ハノイ〜2004ベトナム  かさこワールド

  「輝ける闇」開高健著に見る、ベトナム戦争論から、今のイラク戦争を解く。

「簡単な算術なんじゃ。誰でも知っておるわい。
アメリカ人を引けばいいんじゃ。
ここのニセの政府は一週間でつぶれる。
戦争はそれで終わりじゃ。
一週間もかからん。三日か、四日。
そんなもんだろう。

そのあとでコミュニストがどんな政治をしようが、
わしにはこれ以上わるい状態は考えられん。」







「アメリカ兵たちは自分たちが
命を賭けて守ってやってるはずなのに
感謝されるどころか、
ソッポ向くか憎まれるかだけなんで
イライラしてくるわい。
そこへ仲間がどんどん殺されるので
復仇を考えるようになる。

これが堕落のはじまりじゃ。
復仇は征服ではない。
こいつは発展のない感覚じゃ。
どんな軍隊でも外国へきたら堕落する。
きっと堕落する。」



復仇:
国際法上、外国による自国に対する不法行為に対して、
その中止や救済を求めて報復的になされる強制的な行為。
本来は違法行為であるが、相手側の違法行為と同程度である場合には違法性が阻却される。

アメリカに対するテロ攻撃は、本来は違法行為であるが、国際法上の観点から見ても、
アメリカ側の違法行為(虐待、誤爆、戦争)と同程度であるから、
違法性が阻却されると思う。

ベトナムの町を歩いていて、
「撮りたい!」と思った人には、
基本的には声をかけて、
了承を得てから撮るようにしている。
子供を撮るのに断られたことはないが、
大人は結構撮らないでくれと、
断られることも多い。

特に老婆は10人以上声を掛けたが、
この写真のおばあさん以外は、すべて断られた。
その断り方から見るに、
カメラに対する拒否反応が見受けられた。

老爺はなかなか声を掛けにくかったこともあり、
ほとんど声を掛けていない。
写真に写っているこのおじいさんは、
「カメラを撮ってもいいか」と近づいていったが、
うんともすんともいわなかった。
「いいですか?」と遠慮気味にカメラを向けるが、
まるで目の前にいる僕など、
存在していないかのような態度だった。





僕は写真を撮った。
彼は何も一言も発せず、ハノイの町をずっと眺めていた。
おじいさんの背後にいた女子高生?軍団らしきは、この様子をみてゲラゲラ笑っていた。

写真を撮った後、僕はふと思った。
この老爺にしても老婆にしても、
日本やフランスの占領下にあった時代や、国土が分断され、
無茶苦茶にされたベトナム戦争を体験しているのではないか。

確かに、今、時代は大きく変わり、ベトナムを旅していても、
過去の忌まわしい歴史に「匂い」を嗅ぐことは少ない。
でも「忘れ去られようとしている」過去の歴史をまさに同時代で体験した、
世代もまだ生き残っているわけで、彼らからすれば、時代が変わろうとも、
日本人やらアメリカ人やらフランス人やら、過去の歴史を「知らない」若いバックパッカーだろうとも、
そういった人たちにカメラを向けられることに、ある種の複雑な気持ちがあるのかもしれない。
そんなことをふと思った。

ベトナムの憲法前文には、
フランス植民地主義、日本帝国主義、アメリカ帝国主義、中国覇権主義、カンボジア反動主義者という言葉があったそうだ。
その字句が削除されたのは1988年のこと。
ほんの16年前まで、日本は帝国主義国として憲法前文にうたわれていた国だ。
無邪気に老人にカメラを向けた僕に対して、
あの老爺が何も語らなかったのは、もしかしたらそういった背景があったのではないかなどと、
いろいろなことを考えさせられる。

今、ベトナムは、日本からもフランスからもアメリカからも中国からも自由になった。
でも同じようなことが、未だ世界各地で行われている。

イラクは第2のベトナム戦争という言われ方もしている。
さまざまな違いがあるにせよ、「輝ける闇」から抜粋したあの言葉。
「アメリカを引けばいい」という簡単な算術ができない愚かな世界が、
歴史に学ぶことなく、過ちを繰り返している現実がそこにある。