ベトナム旅行記 ベトナム目次 かさこワールド

豚は夜運べ



ギヒーギヒーギヒヒヒヒヒー

ベトナム北部山奥の少数民族の市場に響き渡る鳴き声。
市場でひもでつながれたままの犬が売られていたのを見て、
「ベトナムでも犬、売ってるんだ」と驚いたのだが、
(韓国の犬市場とはまた違った風情)
それより何より私の関心を引いたのは、
鳴き叫ぶ豚の鳴き声であった。





市場では、馬、牛、豚、鶏、犬などが、
生きたまま売られている。
豚以外は自分の運命を知ってか、
わりとおとなしくしているのだが、
豚に限ってはかなり往生際が悪い。

豚の買い手がつくと、袋に入れられるのだが、
袋をかぶせようとした瞬間、
豚がこの先の運命を悟ったのか、
鳴き叫び、暴れ回るのであった。

なんだかそんな光景を見て、
不謹慎にも「いいな」と思った。





“豚は夜運べ”
豚がわめく光景を見て真っ先に思い出したのが、
今から20年以上も前、
1983年に出版された藤原新也著「東京漂流」の、
はじめの章タイトルであった。

藤原新也が車のブレーキだと思いこんでいた音が、
夜中散歩した時に、実は豚の鳴き声であったことが判明した。
なぜ豚を夜に運ばなければならないのか。
藤原新也は、それについて、
「臭いものは日常の裏で秘密裏に進行させようというシステムが
暗黙のうちにできあがっている」と評した。

やや曲解ともいえなくもないが、
確かに私たちの生活のなかで、
スーパーには豚肉があふれているのに、
都市で生きている豚を見る機会はない。

「生が見えないと死が見えない」
日本社会が病んでいく原因を、
生死を隠し、社会をソフトケートしていったことにある、
と藤原新也は考えた。

だから「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」
という鮮烈な“キャッチコピー”のもと、
インドの川で人間の死肉を食らう写真を、
日本社会に解き放った時、
賛否両論、ものすごいインパクトがあったのだろう。

韓国の犬市場の写真を撮影していた時、
なかには店から「撮るな!」と声がかかることもあった。
犬を食べるなんて残酷だ。
野蛮な国だ。未開の国だ。
先進国からそう批判されてはいるものの、
昔からの食文化を容易に捨てられない、
韓国という“中途半端”な国の悩みだったに違いない。

日本人だって先進国の人間だって、
生きた動物を食らって生きている。
にもかかわらず、豚を食っても残酷とは言わず、犬を食うと残酷という。
なんともおかしな話だ。

人間様は生きた動物を食らって生きている。
でも生きた動物をぶっ殺して肉を食らっているという、
その過程を省かれた途端、
自分は高尚で上品な人間だと錯覚する。
犬は残酷と批判するのは、
日常で生きた姿を豚や牛より見るからだろう。

日本のある小学校で豚を飼い育て、
みんなで食べようという話だったが、
子どもたちが豚に情がうつり、
食べるか食べないかを子どもたちが決めるという話があり、
映画化されたらしい。

非常にいい教育だと思う。
我々は日々生き物をぶっ殺して生きていることを、
机上ではなく豚を目の前にして飼い育てることで知れば、
食のありがたみや生のありがたみ、
人間とはどのような生き物なのか、
実感できるのではないか。

かつての日本では今のベトナムのように、
家で鶏や牛、豚を飼っているところも多かったはず。
だからこそ食べ物のありがたみや、
育てることの大変さや、
「環境」などとほざかなくても、
生物の連鎖や限られた資源のなかで、
地球で生かされていることを、
知りやすかったのではないか。

今の世の中、「ぶっ殺す」過程が見えなくなった結果、
人を理由もなく簡単にぶっ殺してしまう人が増えたのではないか。
「ぶっ殺す」過程を知らなくなったために、
平気で食品を偽装するということが横行したんじゃないのか。

お上品になった現代人は見るべきだと思う。
生き物が売り買いされ、ぶっ殺されて商品になる過程を。
それが社会を良くするための教育だと思う。
単にゆとり教育で学力が下がったから、
また知識詰め込み学習を授業増で補いましょうって、
そんなことやっているから、
まともな人間が育たず、異常な犯罪が増え、
他者を思いやる心が育たず、まともな社会が成り立たない。

だからベトナムの市場で豚が鳴き叫ぶのを見て、「いいな」と思った。
フランスパンにはさんで食べた、おいしかったベーコンは、
豚のおかげで食えたんだなと。

大げさかもしれないけど、豚の鳴き声を聞くことから、
社会改革を始めた方がいいんじゃないかと私は思う。

ベトナム市場の様子





バックハー市場写真(ベトナム)
https://www.kasako.com/0901vetot.files/09bachafoto3.html

モン族市場写真(ベトナム)
https://www.kasako.com/0901vetot.files/09monfoto1.html

韓国犬市場写真
https://www.kasako.com/0707koreadogfoto.html



田舎暮らしの憧れ〜ベトナム棚田写真





サパという町から、1人17ドルのトレッキングツアーで、
(行き帰りの車送迎、トレッキング中のガイド、昼食付き)
少数民族の村を訪れる際、棚田風景を間近に見ながら歩きました。

都市に住む私にとっては、
こういう風景っていいな〜と思いつつ、
住むのはムリかなと思う。

不景気のせいか、農業ブームが再来しそうだけど、
農業の会社をやっている方が、
「都会がイヤになった」「田舎暮らしをしたい」
みたいな人は農業には向かない、
といっていたのが印象的だった。

田舎暮らしブームもそうだけど、
都会にも田舎にも、
それぞれのメリット、デメリットがあるわけで、
所詮はないものねだりなのかなと。

私はたまにこうして旅行で田舎を訪れるぐらいが、
いいかな〜という感じです。

現地にいるのんびりとした雰囲気が、
少しでも写真で伝わればなと思います。

【動画】トレッキングで訪れた小学校


ベトナムの棚田写真ほかトレッキング写真
https://www.kasako.com/0901vetot.files/09sapafoto1.html
https://www.kasako.com/0901vetot.files/09sapafoto2.html

暴走族じゃありません【動画&写真】





暴走族じゃありません。
バイク王国ベトナムの首都ハノイの光景。
ベトナムの交通手段として、
自動車より自転車より圧倒的に多いのがバイクなんです。

自動車業界の世界的な販売不振が続くなか、
とはいえ新興国市場は景気が回復すれば、
また自動車が売れるだろうけど、
このベトナムでは無理かなという気がした。

特に首都ハノイは道が狭く、駐車スペースもない。
バスとかトラックとか特殊車両をのぞいて、
人々の移動手段としてちょうどいいのがこのバイクではないか。
昼間ともなると各店先はまるでバイク販売店のように、
ずらりとバイクが並ぶ。

バイクにまたがるベトナム人を見ていて、
私はある異変に気づいた。
みんなヘルメットをしているのである。
2004年のハノイで撮影した写真を見ると、
ヘルメットをしている人は皆無に等しい。

この4年でベトナムが変わったことは、
自動車が普及したことではなく、
ヘルメット着用が徹底されたこと。
町にはカラフルなヘルメットを売る店をよく見かけた。

日本では自転車の売上げが伸びているという。
長距離通勤の地方ならいざ知らず、
渋滞や駐車スペースに難のある都市部の人が、
自動車を持つ意義は薄れているのではないか。

ベトナムのようにバイクをうまく活用してもいいし、
中国のように自転車にうまく活用してもいい。
すべての人の移動手段が自動車である必要はないわけだし。

ただ、それにしてもベトナムのバイクが多い光景は、かなり異様ですが(笑)

【動画】ハノイの町並み




ベトナム・ハノイ写真
https://www.kasako.com/0901vetot.files/09hanoifoto1.html

・珍道中・花モン族市場への旅





ベトナム北部に住む少数山岳民族・花モン族の写真です。
花モン族だらけのこの写真は、
毎週日曜日にだけ開かれる、
バックハーの村の市場で撮影しました。

この市場には周辺の山から、
物を売りに花モン族が大挙して押し寄せ、
20〜30km歩いてくる人もいるそうです。
とにもかくにも、衣装のカラフルさがすごい!





日曜市場を見るため、
土曜日に日本から飛行機で6時間、ハノイに到着後、
ハノイのロッテリアでDS桃鉄で2時間半潰した後、
ガタガタ揺れる3段ベッドの夜行列車に乗り、
運悪く同室に酔っ払いオーストラリア人がいて、
こいつの寝言を聞かされ続けて、列車に乗ること9時間、
中国国境に近いラオカイに朝5時に到着後、
早朝のせいか、通常の4倍近い法外な値段をふっかけられた、
オンボロ路線バスで山道を行くこと2時間、
バックハーの町に到着後、
シャワールームに裸の女性が壁に描かれた、
英語の通じないあやしげなホテルにチェックイン後すぐ、
バックハーの市場で撮影しに行った甲斐がありました。

花モン族写真
https://www.kasako.com/0901vetot.files/09bachafoto1.html

・フランスパンとコーヒーの国ベトナム



ベトナムといえばフランスパンとコーヒー!
とイメージする人は多くないだろうが、
そこら中にフランスパンが売られている、
フランス顔負けのフランスパン天国であり、
そこら中にカフェがあり、
ホットコーヒーはもちろん、
海外では珍しいアイスコーヒーまである、
コーヒー天国なのだ。
アジアでパンとコーヒーが名物な国なんて実に珍しい。

なぜベトナムなんかに、
フランスパンとコーヒーがあるかっていったら、
かつてフランスの植民地だったからだ。
その頃の影響が今もしっかりと、
ベトナム人の日常生活に根づいているのだ。

驚くべきことに、コーヒー輸出は、
ベトナムはブラジルに次いで世界第2位!
ベトナム経済を支える主要な輸出品目でもある。



日本ではあまりなじみのないベトナムコーヒー。
味も淹れ方も日本のコーヒーの概念とは大きく異なっている。

まず淹れ方。
写真を見ていただければわかるが、
ガラスコップの上にフィルターがのっていて、
ここからポタポタ落ちてくる。
私なんかはせっかちだから、
この落ちてくる4〜5分の間が待てなくって、
何度も何度もフィルターを空けては、
お湯の残量をチェックしてしまう。

こういう淹れ方で飲めるベトナム人って、
きっとせっかちじゃないんだろうし、
いい意味でも悪い意味でも、
のんびりしている国民性なんだと思う。
日本人気質や日本人の時の流れのあわただしさを考えると、
到底、日本では流行らない淹れ方だろう。

そして味。
ブラックとミルク入りの2種類選べるんだけど、
一般的なのはカフェ・ウィズ・ミルク、
すなわちベトナム語でカフェ・スア。
ミルクはすでにコップの底に入って出てくるんだけど、
なんとこのミルクが超甘ったるいコンデンスミルクなんです!

だからはじめてベトナムコーヒーを飲む日本人は、
一口飲んでぶったまげるわけです。
なんじゃこの甘ったるさは。
できそこないのコーヒーはと。

確かに慣れないうちは、
とてもコーヒーとはいえない代物にも思えるんだけど、
これが不思議とクセになるんです。
この甘ったるさがなんともいえなくなるんですね。
まあベトナムの気候のせいもあるかもしれないけど。

私は日本でコーヒーを飲む時は、
砂糖は入れないんだけど、
ベトナムの甘ったるいコーヒーが、
おいしく感じてしまうから不思議。

このコーヒーが、外国人旅行者が多い場所だけにあるわけじゃなく、
地元用のカフェもいっぱいあって、
大抵どこの町でも飲める浸透度。

私は大のコーヒー好きゆえ、
アジアを旅して困るのは、
コーヒーが飲めないこと。
大都市ならファーストフード店か、
最近ではコーヒーチェーン店がアジアにもできたから、
飲めるようになったけど、
地方に行ったらまず飲めないわけです。

ところがベトナムに行けばどこでもコーヒーが飲める。
これはコーヒー好きの旅人にはたまらないです。
ちなみにお値段は、
ツーリスト向けカフェで1杯15000ドン=約75円。
地元向けカフェならもうちょっと安い。

まあネパール以西になれば、
おいしいチャイが飲めるからいいんだけど、
コーヒーが飲めるってすごいです。

そしてフランスパン。
アジアでフランスパンが食えるなんて最高です。
味もかなりしっかりしている。
フランスパンって便利なのは、
朝食でもいいし昼食でもいけること。

アジアを旅していて困るのが朝食。
高級ホテルに泊まれば、
西洋式ブレックファーストがついているけど、
私が泊まるようなミニホテル、ゲストハウスになると、
朝食がついているところは少ない。
しかしベトナムなら朝食に困らないわけです。
その辺の路上で売っているフランスパン買ってきて、
食べればいいわけですから。

昼食にするなら、フランスパンをサンドイッチにすればいい。
ベトナムではバインミーといって、
フランスパンに野菜を挟んだサンドイッチが、
よく売られている。

今回、新たな食べ方でおいしかったのが、
ベーコンとチーズを挟んだフランスパン。
トレッキングツアーの村の昼食で出たんだけど、
これが実にうまかった!

食後はもちろんベトナムコーヒーを頼んで、
至福の時を過ごす。
食べ物がうまいと、
旅の疲れを癒し、活力を与えてくれる。
ベトナム春巻ももちろんおいしいんだけど、
さすがに毎日春巻食べてたら飽きるわけです。
でもフランスパンとコーヒーなら、
毎日でもぜんぜん飽きない。

そんなわけでベトナムに行ったら、
ぜひフランスパンとコーヒーをお試しください。

・ベトナムの学校と子どもたち写真アップ〜語学力で所得格差が決まる




中国国境にも近いベトナム北部の町、サパ。
サパから少数民族の村を訪れる、
トレッキングツアーに参加し、村の学校を訪れた。

ベトナムのなかでも最も貧しい地域。
子どもたちの一部は靴も履いていないのに驚いた。

少数民族は独自の言語を持つため、
小学校ではベトナム語を教えるという。
ベトナム語が使えるようになれば、
農業や家畜業を営んで生産した余剰品を、
ベトナムの町の市場で売ることができ、
貨幣を得ることができる。
それにより、服や生活用品、
場合によっては、
家電製品が買えるようになるかもしれない。

もしベトナム語だけでなく、
英語が使えるようになれば、
収入は飛躍的に増える可能性を秘めている。

たとえば少数民族の村を訪れる、
このトレッキングツアーは、欧米人に人気で、
英語が使えれば、旅行会社、ガイドの仕事に就くことができる。
サパには欧米人旅行客が多く、
英語が使えれば、ホテル、レストラン、
みやげ店で働くことができるかもしれない。

トレッキングツアーは1人17ドル〜。
中級ホテルなら1泊40ドル以上。
レストランでパスタやピザが5ドル以上する。
1人あたりのGDPがわずか818ドル(8万円)で、
フォー(ベトナム麺)が100〜150円程度の国では、
外国人相手の商売は高収入になると予想される。

靴も買えない家庭も多い少数民族の村にもかかわらず、
外国人相手にみやげ物を売ろうと、
トレッキングについてくるみやげ物売りの少数民族のおばさんは、
カタコトとはいえ英語を話せるのだが、
なんと驚くべきことに携帯電話を持っていた。
これぞ語学力による所得格差の恐るべき実態だ。


日本で派遣切りが問題となり、
派遣を社員にしたら企業に助成金をばらまくような、
どうしようもない目先の政策が実行されようとしているが、
あるコメンテーターの話が印象的だった。

「失業者にTOEIC800点以上取らせるよう、
その勉強費用にお金を出すとか、
そういうお金の使い方をした方が、
はるかに有効な雇用対策になる」

もし派遣切りされた人たちに、
TOEIC800点以上もの語学力があれば、
不景気だろうが派遣切りはされないだろうし、
そもそも派遣でなく社員になるだろうし、
それどころか一般人よりも高収入が期待できる。

もちろん金を出しても、
失業者にすぐ語学力が身につくのかとか、
そういう税金の使い方がいいのかとか、
今、生活費さえない失業者に、
そんなのんびりとした対策でいいのかとか、
様々な問題はあるとはいえ、
このコメンテーターの言葉は失業問題の本質をついている。

語学力があれば、商売のチャンスが広がり、
ひいては安定した収入、高収入を得られるチャンスがある。
それはベトナムの少数民族の村を見て、強く感じたことだった。

そのような意味で学校教育というのは、
国の根幹をなすものであり、
一人一人の人生を左右する土台となるもの。
中学・高校で6年間も英語を勉強させられるのに、
ろくに日常英会話もできない国なんて、
前代未聞という他ない。

もし日本の学校の英語教育が、
会話力に重きを置いたものだとしたら、
派遣切りされた失業者だって、
英語が話せることにより、
就ける職種が大きく広がったはずだ。

語学力に限らず、社会生活学力が、
どの程度身についているかで、
所得格差が大きく変わってくる。
そんなことを考えさせられた、
ベトナムの学校見学だった。

ベトナム学校の子どもたち写真
https://www.kasako.com/0901vetot.files/09vetokodomofoto1.html

・笑顔の旅行者
ベトナムの首都ハノイの旧市街を歩いていた時のこと。
観光客相手の乗り物として、
ガイドブックなどにはトラブル多発・要注意と書かれた、
悪名高きシクロ(三輪タクシー)に乗っていた、
中年の西洋人男性が、
幸せそうな満面の笑顔を浮かべ、
デジカメのシャッターを切っていた姿がすごく印象的だった。

もしかしたら彼はこの後、
シクロのドライバーに難癖つけられ、
大金せがまれたりしたのかもしれないし、
何事もなく観光を終えたのかはわからないけど、
彼は、何物にも代え難い、
幸福な一瞬を味わえたのは間違いのない事実で、
それはとっても素晴らしいことだと思った。

物事を楽しめること。
それは、人生を幸せに生きる才能の一つ。


物事を楽しめない人が増えているような気がする。
何をやっても楽しくない。つまらない。
文句ばかり。愚痴ばかり。
自分から何一つ行動せず、
何一つ提案しないのに、
自分の人生は楽しくない、不幸だと思い込んでいる。

それは、もったいないことだと思う。
自分に楽しめる気持ちがないと、
人生はいつまでたってもつまらないまま。

楽しいことがわからない。
楽しいことが見つからない。
そんな風に答える人がいるかもしれないけど、
「楽しい」って感情はそんな難しいもんじゃないし、
自分にとって楽しいことは、
人からアドバイスされたってわからないわけで、
自分で見つけるしかない。

それに楽しいことは、
誰かが与えてくれるものだと思っているから、
心の底から楽しいと思えることに出会えないのではないか。

10代後半から20代前半の頃の私はそうだった。
「何かおもしろいことないか」。
いつもそう思ってた。
自分から何か行動することをせず、
現実につまらないと文句ばかりいって、
誰かが楽しいことを勝手に運んできてくれると、
ただただ待っていた。

そんなダメダメな私が、
楽しいことを見つけられたのが海外旅行だった。

海外旅行って日常と違い、
起きる出来事のふれ幅が大きいわけです。
いい意味でも悪い意味でも刺激が強く、
それが短期間で起きるから、
時間がすごく凝縮されている。

これだけ情報化社会が進み、
世界の最果ての地の情報や映像なども、
瞬時に伝わる時代であっても、
エジプトのピラミッドを生で見たら、
テレビや本で見るのとはまったく違って、
やっぱりすげえなーと思うし、
ピラミッドにはあやしげなエジプト人がいて、
ずっと私につきまといガイド料をせびるとか、
そういうちょっとしたハプニングが起こったりもして、
旅に“生”を吹き込んでくれる。
プラスもマイナスも刺激が強いから、
海外旅行ってすごく楽しいんです。

私の場合は楽しいことが海外旅行だったけど、
別に旅行じゃなくても、
自分が楽しいと思えるものがあるかないかは、
その人の人生を大きく左右する。

あのハノイで見た中年西洋人旅行者のように、
幸せそうな満面の笑顔を浮かべられるほど、
自分にとって楽しいことが1つでもあると、
こんな世の中であっても、
人生は“バラ色”に変えれるわけです。

人生、すごく楽しんでいる人もいれば、
そうでない人もいる。
どうせ生きているんだったら、
楽しい方がいいじゃないか。
無責任な享楽主義や快楽至上主義を、
すすめてるわけじゃないけど、
日常を彩るささやかな楽しみを、
1つ1つ増やしていくと、
きっと世の中全体も、
明るくなっていくんじゃないか。

私は政治家になって世の中をよくしたいと思っているけど、
政治ができることは社会の最低限の枠組みづくりに過ぎず、
人を不幸にしないことはできても、
人を楽しませることはできないと思う。
楽しむかどうかは、
一人一人の気持ち次第にかかっているから。
そもそも政治が人の楽しみを決めるとしたら、
それ自体が間違った政治だと思うし。

みんなが楽しいことを見つけて、
人生楽しく笑顔で過ごせたら、
暗いニュースは減って、
明るいニュースが増えるんじゃないか。

あの中年西洋人旅行者のように、
私も人生を楽しむ技術を、
もっともっと磨かなくちゃな。