アジア90日間旅行
  
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・5日目 北京(中国)(1999年8月5日)
船に乗ること26時間。中国、天津港に16:00到着。
入国手続きは簡単に終わり、中国入国。
船内で一緒だった韓国人の紳士が、迎えにきている車で北京まで乗せていってくれるというので、好意に甘えることにした。
友達が迎えに来ているといっていたら、現れたのは若い女性。
中国に愛人でもいるのかと思ったら、韓国語も日本語もしゃべれる通訳の人だった。
その人の話によると、この中年紳士は貿易会社の社長さんなのだそうだ。
その他にあやしげな中国人の男たち3人が一緒にいた。
  
迎えにきた車はトラック。韓国から持ってきた品を北京に運ぶためだ。
僕は荷台なのかなと思ったら、3人がけの後部座席に4人がけして僕を乗せてくれた。
通訳の人が日本語を話せるのでずっと話をしていた。
これほど流暢に韓国語も日本語も話せるのに、韓国にも日本にも行ったことはないという。
「中国の人がガイコクいくの、とってもむずかしいです。」
北京に到着したのは20:30。今からホテルを探すのは面倒なので社長さんと同じホテルに泊まることにした。

・6日目 北京(中国)(1999年8月6日)
ホテルを探そうかと思っていたが、今のホテルが居心地良いのでそのまま居座ることにした。
モンゴル行きの列車のキップが取れるまではずっと北京にいるつもりだ。
フロントで泊まるのを延長したいと理解させるのにえらく時間がかかった。
要求された金額がやたらに多いのでもめたが、それはデポジットだとわかるのに時間がかかった。
昨日は通訳の人が僕の手続きもしてくれていたからスムーズにいったのだ。
  
北京に夏休みの間だけ留学しているサークルの後輩と会う予定でいた。
ところが僕は連絡先の書かれた紙を忘れてきてしまった。
様々な手を尽くしやっと連絡が取れるところまで、やたら時間がかかった。
留学先の中国人民大学に赴く。
大学の近くの「ギョーザ大王」なる店で夕食にギョーザを食べた。
そこはギョーザの専門店で、ギョーザの種類が30ぐらいある。
とにかくおいしいかった。
僕は中国語を全く話せないので、中国語を話せる人がいるおかげで、うまいものにありつけた。
  
旅行者の誰もが口をそろえていう。
中国は個人旅行の大変しにくい国だ。
とにかく英語が通じない。
やっぱりこの先の長い中国旅行を考えると、少しは中国語を話せるようにならなくてはだめかな。

・7日目 北京(中国)(1999年8月7日)
韓国・中国と急ぎ足で来たせいか、疲れが出て珍しく10時半まで寝ていた。
思えばここまで、長い船旅の連続だったからだろう。
日本に絵はがきを書いたりして、のんびりとすごした。
それにしても北京にマックは随分増えたなと思う。前来た時よりかなり増えたのではないか。
今、中国は建国50周年記念を10月で迎えようとしているので、北京は建設ラッシュだった。
  
夜ホテルの近くの北京ダック屋に行ってみた。
どう注文するかもわからなかったが、出てきたものは無茶苦茶うまかった。
日本で食べたら相当高いだろうが、1皿2人分30元(約450円)だった。
あつあつの鴨肉をどろっとした甘味のあるたれをつけて、
ギョーザの外側の皮のようなものに、ねぎやきゅうりを入れてまいて食べる。
これはうまい!またここに来ようと思った。

・8日目 北京(中国)(1999年8月8日)
今日も午前中はゆっくり寝ていた。
思えば、旅に出る前の7月は無茶苦茶忙しかった。
仕事の引き継ぎ、旅行の準備、引越し。
会社を辞めてすぐ2日後には日本を出発。
これまでどんどん先へ先へと進んできたが、この北京での一時が、僕にとってはゆっくりできる「夏休み」だった。
「ローマの休日」ならぬ「北京の休日」。
   
午後から試しに北京にある遊園地に行ってみる。
乗り物はすべて日本の何年前かの中古品。
中国の遊園地に来たのではなく、タイムスリップして昔の日本の遊園地に来たみたいだった。
それでも乗り物に乗るのに結構並んで待たされた。
夜は北京名物、羊肉のしゃぶしゃぶを食べてみるが、
たれがあまり馴染めなかった。日本のしゃぶしゃぶのたれで食ったらうまいだろうなと思った。

・9日目 北京(中国)(1999年8月9日)
明日からモンゴルに行くのでその手配。
旅行会社に頼んでモンゴルビザを取ってもらい、モンゴル行きの列車の切符を受け取る。
モンゴルまでの寝台列車の値段は599元(約8500円)。
書いた手紙や絵はがきを郵便局で出す。
暑い北京の町の中をあちこち動き回っていたので、喉が無性に乾き、
マクドナルドでシェイクを2つ飲んだら、腹にきた。
腹の調子がかなり危うくなり、明日からモンゴルに行くので、念のため病院に行く事にした。
英語が通じる病院と教えてもらったのに、中国語しか通じない。
腹が痛いということは伝えられるが、細かい状況を説明できない。
薬はもらってきたが、大丈夫なのだろうか?
薬で下痢はなんとか誤魔化せているが、明日の長い列車の中で持つのだろうか。

・10日目 北京(中国)(1999年8月10日)
7:40北京発、国際列車モンゴル首都ウランバートル行きに乗る。
念願の、列車で国境を越える初体験ということでうきうきしていた。
同室のコンパートメントのモンゴル人家族からカップラーメンをいただいた。
中国の列車には熱湯の入ったポットがあるので、カップラーメンやインスタントコーヒーが飲めるのだ。
途中車窓から万里の長城が見えた。
モンゴル行きの国際列車に乗って、車窓から万里の長城を眺めながら、カップラーメンを食う。
最高だなと思う。
  
列車はすぐに延々と広がる草原地帯を走っていく。
北京のすぐ北の中国地域はは「内蒙古自治区」と呼ばれ、実質モンゴル文化圏なのだ。
まだモンゴルに入国はしていないが、モンゴル的一面が草原の車窓が広がっている。
列車は走り続け、21:00中国側国境の町到着。車内で出国検査。
しばらく停車した後、モンゴル側国境の駅に到着したのは24:00を過ぎていた。
車内ではれてモンゴル入国スタンプをパスポートに押してもらう。
長い長い列車での1日だった。