アジア90日間旅行
  
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43日目 ラサ(チベット)(1999年9月12日)
昨日は1時過ぎまで飲んでいたので、今日はゆっくり寝ていた。
昨日出会った学生の大半は明日ネパールのカトマンズに向けて出発するということで、
再びみんなで集まり、中華料理屋でいろんなものをつまみながら、飲んだ。
何人かはまだチベットに残るようだった。
僕はサムイエで知り合ったカメラマンの人と一緒に20日ぐらいにネパールに行くことにしていた。

44日目 ラサ(チベット)(1999年9月13日)
今日はラサから60km離れた山の上にあるガンデン寺を訪れる。
バスの出発時刻は6:00。真っ暗な中をひたすら待つ。
バスが来たのは7時過ぎ。山をくねくね登っていきガンデン寺に到着したのは9:30。
ガンデン寺にある食堂でトゥクパ(うどん)を食べたがあまりおいしくはなかった。
それで売店でチョコレートを買ったが、食べたら中に何か固いものが入っていたのか、
グッキと歯をやってしまい、チョコレートを吐き出すとかけた銀歯が出てきた。なんてこった。
ガンデン寺は山の上にあるので景色が良かった。
その辺にいるヤクは獰猛そうで、僕が通ろうとするとものすごい形相でにらむので、仕方なく迂回した。
襲われそうな危険を感じたからだ。歯はかけるはヤクに襲われるはでは洒落にならない。
14:00にラサ行きのバスが出発し、16:00ラサに戻ってくる。
今日はとんだガンデン寺ピクニックになってしまったが、いろいろあってとてもおもしろかった。

45日目 ラサ(チベット)(1999年9月14日)
今日は1日ラサにいて、カメラマンの人とネパール行きの手配をしにいく。
ネパール行きの公共バスが走っていないため、車をチャーターするかヒッチハイクで行くしかない。
ヒッチハイクは非合法で見つかると問題となるので、車をチャーターする。
2人だけでは高くつくので、一緒にネパールに行く旅行者を探す。
日程や途中で寄りたい場所などが合わず、一緒に行く人は見つからなかった。
ネパールに行くことはできるのだろうか。

46日目 ラサ(チベット)(1999年9月15日)
今日はラサから200km離れたツェタンの町へ観光に行く。
7:30、バスに乗り、出発は8:30。
大きな川沿いをずっと走っていく。もうチベットは秋なのか、葉っぱには黄色が交じっていたりする。
13:10、ツェタン到着。そこから耕運機の荷台に乗って、観光へ行く。
耕運機がタクシー代わりとなっているのだ。
町を抜けると舗装されていないじゃり道で、荷台に座ることができず、ずっと立っていく。
小さな村の集落の近くの小高い丘に、ユムブラカンという古い建築物がある。
中には僧もいるのでお寺なのだろうか。
しかし丘の立つ建物の姿は、寺というよりヨーロッパの城を思わせる。
ここはチベットではなく、ヨーロッパの古城めぐりをしているのではないかと錯覚する。
観光を終えて、本当はツェタンに泊まるつもりだったが、ラサに帰れるかもしれないと思いバスに乗る。
17:00、バス出発。ラサの町から100km離れた空港で終着。ラサ行きのバスはもうないという。
幸い、白タクが待機していたのでラサに帰れた。
これからネパールへ行動を共にするカメラマンのホテルへと移る。

47日目 ラサ(チベット)(1999年9月16日)
移ったホテルは5人部屋のドミトリー。全員、日本人だった。
昨日、成都から飛行機で来た日本人3人とあわせて5人で、
チベット国境の町とラサの中間点シガツェまで車をチャーターして行くことに決まった。
早速その手配に旅行会社に行き、ネパールのビザの申請に行く。
これでラサともお別れだなと思い、再びポタラ宮を見にいく。
いよいよ長い長い中国を脱出し、ネパールに向けて動き出した。

48日目 ギャンツエ(チベット)(1999年9月17日)
10:30、ホテル出発。カメラマン、僕、学生カップル、僕の実家の隣の駅に住む学生君、5人のパーティーで出発。
4000mの峠を越え、チベット高地に広がるヤムドク湖を眺める。
途中、道が雨のためにどろどろになって、車(日本製の4WD)が動かなくなってしまい、みんなで押して何とか難を逃れる。
そこからさらに氷河が間近に迫る5000mのカローラ峠を越え、
夜21:00、ギャンツエの町に到着。
1日チベット高地のドライブは美しい景色だったが、疲れもした。

49日目 シガツェ(チベット)(1999年9月18日)
今日は1日ギャンツエを観光。
各々が起きた順に行動していった。
まず僕は、8階建てにも及ぶギャンツエ・ストゥーパ(仏塔)を見にいく。
最上部には目玉がついていて、まるで町の様子を見守っている守り神のようにも思える。
ネパールで見たストゥーパと同じ目玉をしていた。
それから山にそびえるギャンツエ城に上る。
ここでチベットとイギリスが戦いをしたというのだ。
こんな辺境にまで攻め入ってきたかつてのイギリスの力を思う。
写真撮影をしているカメラマンと、臨時に助手をしている学生君に会った。
18:20、ギャンツエ出発。チベット第二の都市、シガツェに20:20、到着。
これで臨時の5人ツアーは最後ということで、中華料理屋でみんなで夕食をとる。
メニューはなく、台所に行って食材を選び、調理方法を選ぶという食堂だったが、うまかった。
夕食の帰り道、停電のため周りが一斉に暗くなった途端、美しい星空が天から降ってくるような感じだった。

50日目 ラサ(チベット)(1999年9月19日)
カップルとはここでお別れ。ラサに帰り、中国・北京経由で日本に帰るためだ。
僕とカメラマンと学生君3人はネパールをここからめざす。
ところがここで車を手配しようとしたら全く今出払っていてないというのだ。
カメラマンの中国ビザが23日で切れるため、これはここで待っているとやばいということで、
急遽、予定を変更し、ラサに戻ることにした。
もうカップルを乗せた車は行ってしまったので、バスで帰る事になった。
13:30、バスに乗り込むが出発したのは15時過ぎ。
別れを告げたラサに再び戻ってきたのは21時過ぎだった。
またこれでホテルの近くにあるおいしい肉まんが食えるとそれだけが楽しみだった。

51日目 ラツェ(チベット)(1999年9月20日)
またネパールに行く車をチャーターしなくてはならないが、2人では高くついてしまう。
ホテルのおやじに聞くと、今日1人350元(約5000円)で、ネパールの国境まで1泊2日で行く車があるという。
これはかなり安い値段である。しかも1泊2日で出る。
僕らはこれに乗ることにして、あわてて荷物をまとめて、車に乗り込む。
日本製のランドクルーザー3台で18人ぐらい。
外国旅行者(日本人もいた)、チベット人と乗客は多様。
昨日、急遽ラサに戻ってきてまたあっという間に去っていく。
学生君はまだラサに残るということで、カメラマンと僕の2人がこの車に乗ることにした。
13時過ぎラサ出発。昨日いたシガツェに19時着。
車は途中故障しながらもだましだまし走り続けて、夜中1時半ラツェの町に到着。
今日は疲れ果てた。

52日目 ダム(チベット)(1999年9月21日)
朝8時半出発。とにかく今日中にチベット側国境の町ダムに着くために、朝早くから突っ走る。
ラツェの町を抜けると標高が高いせいか、雪の跡が地面に残っている。
途中の道で、どろどろの道にはまってしまい、2時間近くそこで立ち往生した。
チベット高原を走り、途中、ティンリーの町で休憩。
ここからわずかながら世界で一番高い山、チョモランマを見る。
さらに標高5000mの峠をいくつも越え、最高地点は5220mだった。
夜19時過ぎからは今度は一挙に下っていき、
山の斜面に人工的に作られたチベット側国境の町ダムに21時到着。
「これで中国脱出だ!」「旅行者天国ネパールだ!」
誰もが喜んでいた。
僕とカメラマンと仙台に住む大学生と、20代後半の日本人の女性と、ジャックと名乗る韓国人の5人で
明日、チベット国境からネパールに入り、さらにネパールの首都カトマンズを目指すことにする。