| くず ★ |
「火垂るの墓」「プラトニックセックス」「ハリーポッターと賢者の石」「オーシャンズイレブン」「リービングラスベガス」 |
硫黄島からの手紙
くず
くずですね。
一体、何がいいたくて映画つくったんだろう?
ちっともわからない。
戦争の悲惨さ?天皇崇拝を精神軸とした大日本帝国の愚かしさ?
それとも戦時の一人の若者が運良く生き延びた話?
なんかただ撮りましたって感じでね、
何かを伝えたいから撮影したとか、
こんなすごいことがあったから、
その事実を世に知ってほしいとか、
表現者としての核がこの映画にまったく感じられない。
結局、この戦いをアメリカ側の視点で描いた「父親たちの星条旗」が主であって、
その映画をより一層盛り上げ、話題づくりをするために、
「日本側の視点も描いた映画もある」ということで、
後づけされた感が強いと感じざるを得ない。
もちろんアメリカの監督が日本人側にたった視点で、
戦争映画をつくるということ自体は画期的なことだとは思うけど、
単なるその事実だけで、映画としておもしろいかどうかはまったく別問題。
初恋のきた道(中国映画)
くず
人に恋した映画ではなく、
恋に恋した少女の一方的な妄想も、
えんえん流されてもまったくおもしろくない。
こんなどうしようもない映画をどうやってつくるか、
その方が難しいくらいつまらない映画。
血と骨
くずです。絶対に見ないように。
ビートたけしが主演ということで騙された人も多いはず。
ビートたけし監督ならともかく、たけし主演にもかかわらず、
これだけくず映画を作るとは、よほど映画監督が下手なのでしょう。
だらだらだらだら暴力親父の一生が2時間20分にわたって延々流される。
それがテーマならいいんですけどね、
そこに微妙にいろんなテーマ設定を無理やりつきこんでいる。
なぜか在日朝鮮人だけど、そのこととこの映画、何の関係もない。
暴力親父の一生涯なのに、息子の視点で描かれているようなナレーションがずっと入るんだけど、
それほどこの映画で息子は重要じゃないし、2時間目あたりになると、
その息子がまったく出てこなくなっていて、視点がめちゃめちゃ。
とにかく、何をいいたいんだかさっぱりわからん映画。
すごく中途半端で、単にたけしを使っただけの映画。
たけしの素晴らしい演技もこういう焦点のぼけた映画じゃどうしようもない。
ほんとダメですね。このくず映画。
たけし主演ということでみなさん騙されないようにしましょう。
絶対見ない方がいいです「誰も知らない」
くず
新作レンタルで期待して早速借りてきた。
事実をもとにした作品なので外れも少ないだろうと思っていた。
しかし、とことんくずですね。開いた口がふさがらない。
これは映画と呼んでいいのでしょうか?
こんなものが商品として世の中に成り立ってしまうのでしょうか。
製作スタッフは恥ずかしくないのかな。
事実に基づいているからテーマとかストーリーはしっかりしているわけです。
それをいかにダメに見せるかという観点から撮っているような作品。
せっかくのテーマが台無し。もうどうしようもないです。
一言でいえば悲惨なテーマ、深刻な問題を、格好良く撮ろうとしている。
それがダメな根源ですね。
配役にしても流れるBGMにしてもくさいセリフにしても映し方にしても。
物語を簡単に説明すると、お母さんがどっかにいっちゃって、
12歳以下の子供たち4人が暮らす話。
どんどんお金がなくなってきて悲惨な生活になり、
ついには子供一人が死んでしまう。そういう話です。
ところがそういう悲惨さがまったく伝わってこない。
わざとそうしてるんだろうけど、それがわざとらしくて、
作り物の映画に見えてしまう。とても事実をもとにした話とは思えないわけです。
撮り方もほんと見え見えのいやらしさ。
たとえばお母さんが前に娘につけてくれたマニュキュアの爪が、
お母さんが帰ってこなくなってしまったからどんどん落ちてしまっている、
みたいなものをあからさまに娘の爪だけだらだら長く映したりする。
そういう狙いが見え見えのものが多すぎてかつ長すぎて、
「そんなことわかってるよ!」と思うわけです。
そういうのはもっとさりげなく、視聴者が気づくか気づかないかのディテールとしてやれば、
それがより効果的になるのに、そういうディテールをこれみよがしにやられると引いてしまうわけですよ。
全体にいえることはむやみやたらに長すぎる。
もっとシーンの長短をつけないと、だらだら間延びした映画になりかねない。
意味もなくずっと同じシーンを必要以上に長く映し続ける傾向があり、
そのせいで2時間30分ほど時間をくってしまっている。
意味のない長さはしらけさせるだけです。
一番許せなかったのは妹の死。
つまり親がほったらかしにしてその結果、子供が一人犠牲になってしまったけど、
それは誰も知らないまま、時が流れてしまうという大事なシーンなわけです。
しかしね、死体を埋める時の主人公のセリフがあまりに下手かつ情けない。
「すごくすごく冷たくなってて、それが、それが・・・」
わざとらし過ぎる。情がこもってない。
本当に妹が死んで子供がそんなしごくまっとうなセリフをいうだろうか。
もっと動揺したり、もっと感情的になったり、
逆に事実が受け止められず無感情になったりとか、多分そういう身に迫った感があると思うんだけど、
あのシーンを見ても主人公の悲しさが伝わってこない。
さらによくないのはそこに登校拒否の中学生だか高校生の女の子を登場させていること。
「誰も知らない」というテーマを貫くには、
妹を埋葬するシーンは兄と姉とかでやってもらいたいわけですよ。
そこに外部のまっとうな家庭の女の子が登場してしまう。
お母さんがいないぐらいならまだしても人一人死んでしまったら、
普通、その女の子はもっと動揺したり、下手をするとどっかにばれてしまったりするんじゃないか。
人が死んでもそれに中途半端につきあって、
しかもそれをこれみよがしに、真っ白なブラウスが埋葬したから土で汚れましたみたいな、
ほんとこういうわざとらしいいかにもというのは吐き気がします。
そんなことしなくても、この凄まじさは伝わるわけじゃないですか。
もっとさりげなくやってほしいですね。
この女の子も主人公もお母さん役もそうだけど、
なんかみんな格好良すぎるのがすごく違和感があった。
この事実のもとになったキャラクターを反映しているのだろうか。
もっとくせがあったりとかちょっとどこかずれてしまっているようなところがあるとか、
普通の人とは違う臭気みたいなものを出せるキャラクターに配役すべきじゃないか。
なんだか、みんなまっとうすぎて、頭で作ったできすぎの学園劇みたいになっている。
あとは描き方が下手なのか、事実もそうだったのかはわからないけど、
この家庭の現実が「誰も知らない」ことにならないんじゃないかというシーンが、
何度となくこの映画では描かれてしまっている。
たとえば家賃を全然払えなくなっているから、一度上の階に住んでいる大家さんに子供だけの生活を見られてしまう。
その後、何ヵ月も家賃を払っていないわけだから、
大家に見つかりそうなもんですよ。
あとは、コンビニのアルバイトにも家庭事情を話してしまっている。
そのアルバイトは警察に言った方がとかいっている。
そういうところから漏れる可能性高いんじゃないのと思ってしまう。
そして登校拒否の女の子。あの子は頻繁に出入りしていて、一人の死にも直面してる。
いくらなんでもそこまで来たら何らかの形でばれちゃうんじゃないの?
あとは子供の姿があきらかにみすぼらしくなり、
服が汚れ髪がぼさぼさになっていて公園で洗濯とかしてる。
そういうところからばれないのかなと思う。
事実は上記のようなことをしているけど、今は誰もが他人に無関心な世の中だからわからなかった、
ってことになるんだろうけど、この映画の描き方をみていると、
大家にしてもコンビニ店員にしても女の子にしても、
そういう今時の無関心人に見えない。
これは映画の描き方が下手だからでしょう。配役もそうだし選んだ場所とかもそうだろうし。
せっかくテーマがいいのだから、こんなテーマを台無しにするような描き方をしても、
何も伝わらない。
こんな無意味な描き方をするなら、この事実を特集で組んで、
なぜこういう事件が起きたのかを考える、
ニュース番組の20分ぐらいの特集映像で十分だと思う。
ほんとくずです。
バトルロワイヤル2
くず
「1」の反省を踏まえて幾分良くなっているかなという期待と、
「1」で終わったはずの映画をどのように続けていくのだろうかという興味で見たが、
もうほんとどうしようもないくず映画でした。
まだ「1」の方がましだった。「2」ははっきりいってあり得ません。
1:子供まで殺してしまう
「1」の主人公・藤原竜也が「すべての大人たちに宣戦布告」というキャッチフレーズのもと、
国際テロリストになる。
まあ「子供」VS「大人」の戦いなのだからそれはいいんだけど、
2棟の高層ビルを爆破するというとんでもない「無差別」テロをしてしまって、
大人どころか子供まで殺してしまう始末。
なるほど、主人公も悪役にして、「どんな戦いにも正義はない」ということを訴えたいのかと思いきや、
そうではまったくなく、相変わらず主人公を美化した構成になっている。
子供まで巻き添えにした無差別テロが「大人への戦い」なのか。
ようはね、2001.9.11をぱくってセンセーショナルにしただけの、
まったく情けない手抜き作りということですよ。
2:いきなり外国の意味不明
日本の未来を描いた映画のはずなんだけど、急に20年戦争を続けている「ある国」ということで、
外国が出てくる。
そこで藤原竜也君は前回後、日本を脱出して戦ってるんだけど、まったくその意味がわからん。
日本の子供と大人の戦いと、外国での反政府と政府の内紛はまったく別に次元の話でしょう。
それをただ「格好いい」からなのか、藤原竜也にカラシニコフとか持たせて、
戦う者の証みたいにかっこつけさせる。
この映画はゲリラ戦線宣伝映画だったのか?
さらにこの意味不明の外国だが、今回、脱出した後も、またこの国に行く。
彼らがなぜその国に行く必要があるのか、まったく説得力がない。
もう支離滅裂もいいところ。ひどいもんだよ。
3:いつのまにか反アメリカがテーマ?!
子供と大人の戦いだったのに、今回途中途中で中途半端に「反アメリカ」のテーマが出てくる。
まったく突然テーマがすりかわってしまっている。
中学生同士を戦わせた大人との戦いなのに、
アメリカは日本やアフガニスタンやイラクやソマリアやどこやら爆撃を落としたみたいなメッセージが、
藤原君とそれからなぜか先生から繰り返される。
ようはね、9.11テロとその後の反アメリカ風潮を表面だけぱくって、
無理やりこの映画にねじこんだのがみえみえでむなくそ悪い。
まったく別次元の問題でしょう。
第1、日本の無人島でガラクタ小屋に立てこもっているテロリストなんて、
別にわざわざ上陸して銃撃戦しなくたって、ミサイルでもぶっ放せばそれで終わりでしょ?
他にもいいたことがあるが、あまりの情けなさにヘドが出る。
くず中のくず。
ベストオブくず映画。
くずならくずらしくもっと堂々とくず映画を作るべきだけど、
最近の流行りのテーマを入れたりするところが非常にいやらしい。
「1」はまだ見れたが、「2」はこれは映画でもないし物語でもないしなんでもない。
単なる話題だけさらって金儲けしようとするまがいものですよ。
こんな詐欺映画を作って恥ずかしくないのか。
もうほんと想像以上のくずです。
ぜひ「3」は表現者としてのプライドがあるなら制作中止してもらいたい。
(「3」につながるようあちこちに露骨に布石を打っているのも胸糞悪かったので)
・ハリーポッターと賢者の石
<1>
映画「千と千尋」の爆発的大ヒットのあとに、それに代わって世間に騒がれている映画「ハリーポッター」。
僕は不思議でならなかった。
子供を主人公にした魔法使いの物語が、一部の好きな人間にではなく、こうして圧倒的多数の人が見にいくような現象が。
僕が映画を見にいく基準は「想像力をかきたてられるような、ファンタジーもしくは未来シュミレーション」であるから、
このハリーポッターも見に行ってもいいかなと思っていた。
ただこれだけ騒がれて、連日超満員状況にげっそりしていた。
それでも機会があって、1時間半待って、この映画を見に行った。
はっきりいって、信じられないほどつまらなかった。
非常に話がばらけてる。テーマに一貫性がない。
多分、膨大な原作を映画にまとめる監督の力量が足りなかったことが大きな要因であるように思える。
1人の才能に満ち溢れる少年ハリー。
魔法界を救うために、人間界でずっと育てられてきた彼に迎えがくる。
そこで僕は彼がいかに偉大なことを成し遂げるかに注目した。
しかし彼の悪との対決シーンはあまりにへぼい。
しかもその対決は、いつのまにか3人の同級生との友情物語へとすりかえられる。
3人の魔法使いの子供たちが、凶悪な敵に立ち向かって、 友情と愛を武器にしてそれを倒す物語であるならば、
ハリーポッターの生まれの特殊性は意味がなくなってしまう。
ならばはじめっから、ハリーもただの普通の魔法使いの見習いにして、3人が協力して敵を倒す物語にした方が、
「友情」とか「愛」というテーマを強く訴えられる。
またこの映画は「賢者の石」をめぐる冒険なのだが、そのシーンがあまりに少なすぎる。
2時間半もの長時間のなかで、その冒険に費やされるのは40分程度。
それ以外の無意味な前ふりがあまりに多すぎる。
魔法使いの学校の様子を描いているのだが、それもどうもぱっとしない。
<2>
さらに納得がいかないのがエンディングだ。
3人が協力して賢者の石を取り返したという偉大なことが、4つの寮の得点争いに加えられ、
3人がいるチームが「優勝」するという非常に世俗的な名誉で終わってしまうことだ。
彼らはもっとすごいことを成し遂げたのではないか?
それが単なる学校の寮の1年間の得点争いで優勝するという情けない結末に、僕はどっと疲れが押し寄せた。
「こんな情けない結末を見るために、1800円払って1時間半待って2時間半拘束されたのか…」
もちろんこれをテーマにすることもできる。
優秀な魔法使いが集まるチームと、主人公のいるチームとが優勝争いを競い合うというテーマにして、
個々人の能力ではなく、集団で助けあったチームが優勝したという風に、物語を進めていくことも可能だが、
そういったことにはなっていなかったはずだ。
つまりこうしてテーマがバラバラになったまま、すべてやたらめったら詰めこまれているからいけないのだ。
たかだか2時間半の限られた映画の中で、いろいろ詰め込もうとしたのが間違いだ。
もっとテーマを絞り込んで、この物語を描き出せば実におもしろいものになったのに。
これは監督ないし映画用に脚本を書いたものの、明らかな力量不足が露呈した作品だ。
それにしてもこんな映画が大ヒットしている日本の大衆とは、
いかにマスコミに踊らされていて、自分の目でいいものと悪いものを判断できる能力がないことがわかる。
もう何年も前から言っていることだが、ほんと日本の大衆は自分で判断する能力に欠ける。
「赤信号、みんなで渡ればこわくない」
だからこそ、明らかに負けるとわかっている太平洋戦争を起こしたりするのだ。
ほんとこの国は危険だな。
一人のカリスマに、簡単に操作される、ファシズム的温床を内包している国だな。
いつか愚かなる過ちを、世界に繰り返さねばいいが…。
・はっきりいってうんざり「ロードオブザリング・二つの塔」
「ロードオブザリング」第一部を見て、これはきっと第二部の方がかなりおもしろくなるだろうと、
かなり期待を寄せていて、映画館に行ってみてもいいかなと思いつつ、
いやでもやはり三部作なんで、やはりまた消化不良で終わってしまうだろうとの懸念があったので、
映画館で見るのはやめにしたけど、9/20、レンタル開始日、早速第二部を借りてみた。
ごめん。はっきりいってもうつづきを見る気が失せた。
第二部で完全にずっこけてしまったなというのが僕の感想だ。
僕はまだ原作を読んでいないけど、あの偉大なる原作の評判を落としかねない映画になりかねない。
やっぱりこの「指輪物語」は映画ではなく本で読んだ方が、物語の楽しさがわかるんじゃないかと想像する。
ここからはネタバレ注意なので、ネタバレがいやな人は見てから読むように。
第二部、まずはじまって、前作のストーリーとか登場人物を思い出すのに時間がかかる。
なんでこのホビット2人が、悪の巣窟に乗り込んでるんだっけ?
あ、そうかそうかそういうことかと、第二部の途中でやっと説明となるセリフが出てきて思い出す。
こいつら一体なんで仲間同士がばらばらになってるんだっけ。
大作小説を三部作に分けたゆえの弊害。
続けて見れるならともかく、だいぶ前作と間隔があいてるわけだから、
くだらん他の映画の宣伝に時間を割くぐらいなら、きちんと前作のおさらいをしてほしいと思う。
別に僕はそれだけでがっかりしたわけではない。
今回の一大シーンともいうべき、峡谷の戦い。
ものすごい規模で押し寄せてきて、もう絶望だって言う時に、
頼みの綱である、ガンダルフが帰ってくる。
どんなすごい助っ人を用意してきたのかと思ったらなんと・・・
おいおいふざけんなよ。
10000人対300人?の戦いに、一度追放したやつらを連れてきたって、
数の計算からして圧倒的不利なことは変わらないんじゃないかと思いきや、
なぜか彼らがきたおかげで勝利してしまう。
ほんとこれにはね、うんざりしたよ。
そのために、ガンダルフは5日間も不在にしてたのか。
あんた魔法使いなんだから、もっとそういうことじゃないことができるでしょ。
別のホビット2人が古木たちを助っ人にし、敵の1つの拠点に襲いかかる。
ま、これはよかったけど、あれだけ悪の圧倒的力だのなんだのっていってたわりに、
木が出てきてダムを決壊させてっていう、
なんだかもうちょっとファンタジー性を生かした仕掛けにしてほしいよな。
これを本で読むと、もっとそこに至るまでの経緯とか話の奥行きとかが自分で読めるから、
もしかしたらそこそこおもしろいのかもしれないけど、
映画でみると、ここまでじらしていたのに、たったそんなこと?って思ってしまう。
第一部を見た時は消化不良でも続編に期待できたけど、
第二部を見て、こりゃもう第三部は見る必要ないなと思った。
それより、やっぱり本だな。本を読んだ方がおもしろそうだ。
あの指輪物語が映画化されると聞いた時、期待する反面、
あの大作をどのように映画化するんだろうか、無理じゃないかと思っていたが、
そんな不安が的中してしまった、まさに大失敗第二部だったと思う。
ハリーポッター同様、ずっこけファンタジーが、過剰なまでの人気になっているのは、
世間を煽りたてているマスメディアのまったくの無能ぶりが露になっているとしか言いようがない。
まったくあいつらと来たら、ろくに映画も見ずに「おもしろいおもしろい」って騒ぎたてて、
ブームを作って儲けようとしている。
こんなつまらん映画をつまらんと正直にいえるメディアはないのか。
ほんとメディアの健全なる批判機能が働かず、
意味不明な批判(やたら経済政策で小泉下ろしをしようとしたり、
石原発言の全部を放映せず、一部の発言だけを引用して「テロ容認」という、
あまりに情けない、まったく趣旨を理解しない批判)を繰り返しているさまを見ていると、
日本のメディアは確信犯でわざとやっているのか、それともほんとにバカなのか、
ほとほと心配になってくる。
ま、だから本音をずけずけいう久米宏のニュースステーションが、
番組スタート当初は新鮮に映ったんだろうし、
井筒監督の容赦のない映画批評っていうのが受けてるんだろうな。
健全なる批判と多用な意見を収集するはずのメディアが完全に機能停止状態で、
どこの局も似たような作りの番組で似たような意見しかいわず、
くだらんことやっているわりには、コマーシャリズムに対して非常に甘い状況をみるにつけ、
ほんとどうしようもないなと思わざるを得ない。
ロードオブザリングやハリーポッターをそんなにおもしろくなかったといえるメディアがあったのか。
はっきりいってこのロードオブザリング第二部、時間の無駄です。
・オーシャンズイレブン
底のあっさい映画だなあ。情けないなあ。
一体この映画は何を言いたかったんだ?
僕はラスベガスの旅行雑誌を制作するという職業上の理由で、
このラスベガスを舞台にした映画を見てみようと思っただけで、
もちろんその理由からは、非常に興味深い映画ではあった。
というのも、自分が取材するホテル「ベラッジオ」が舞台となっていたから。
その他、僕がこのくず映画を楽しめた理由は、
同じくラスベガス雑誌を制作する上でいろいろな関連図書を読んでいたから。
たとえば主人公がホテルオーナーに「部屋にはミニバーを」というセリフがあるのだが、
これはカジノを知らない日本人にはなんのこっちゃわからん問答だと思うんだけど、
僕がこの映画で一番笑ったところだ。
というのも、ラスベガスのカジノホテルは、客をできる限りカジノフロアに行かせて、
金を使わせるために、部屋の設備をわざと整備していない。
だから冷蔵庫もなければミニバーもない。
つまり「部屋にはミニバーを」というのは最高の皮肉言葉なのだ。
しかしこの映画を見た日本人でこの言葉を理解するのは用意ではないだろう。
またヒロインが同じくホテルオーナーに「カジノはいつもどこかで誰かが見ている」
という捨てゼリフも、これは誰でもわかることだろうが、カジノを皮肉った言葉だ。
というかこの映画はこのようにしてカジノを皮肉っている箇所が多く、
また金の亡者で何をしでかすかわからないみたいな、
ベラッジオのホテルオーナーをこきおろすために作られたのではないかと思えるほどだ。
というのもベラッジオの実在のホテルオーナー「スティーブ・ウイン」は、
まさしく超実業家で華々しい成功を収めたホテル王というか、
ラスベガスの帝王といっていい存在だが、
そうなるためには当然手荒なこともしただろうし、人に恨まれるようなこともあっただろうし、
彼の人生を描いた暴露本まで出されるほど、ビジネスでは成功し大富豪になった反面、
実にそういう闇的な部分があって、それを批判するために作られた映画なのか?と思えるほど、
金を盗まれてしまう彼を悪役に仕立てているが、
実際にベラッジオでの撮影許可をしているということは、
この映画をホテルの宣伝になると了承したのかなあと非常に不可解ではある。
このようにしてベラッジオのホテルオーナーが何者であるかということがわからないと、
この映画のおもしろさは半減するわけで、
アメリカで受けても日本で「おもしろい」と思う理由は、
ラスベガス通でない限りありえないわけである。
というのも、ベラッジオを皮肉った部分以外は、まったくおもしろくない。
超厳重な金庫なはずなのに、あまりにも簡単にホテルオーナーが騙され、たやすく浸入できてしまう。
あんなあやしい武器商人の荷物が、なぜ1億6千万ドルが保管される金庫と一緒に、
いとも簡単に保管されてしまうのかも、あまりに設定に無理があるし、
簡単にカジノの従業員として入り込む設定にも不自然がある。
ましてそのホテルの金庫を襲うっていうのに、
いかにもあやしげな犯罪グルームがそのホテルに泊まるか?
はっきりいって超厳重な金庫を破るスリリング&超頭脳的な犯罪サスペンス映画としては、失格である。
かといって設定の不自然さはともかく、おもしろおかしく楽しいだけの、
エンターテインメントギャグ映画として楽しめるかというとそうでもない。
ましてホテルオーナーとムショ帰りの男が1人の女をめぐってとりあう、ラブロマンスでもない。
というかホテルオーナーがヒロインより金を取ったからといって、
いとも簡単に泥棒夫によりを戻すというのはあまりに不自然。
どうにもこうにもどうしようもない映画なのだ。
なぜそれが人気があったかといえば、
僕はようわからんが、どうもキャストが豪華らしい。
誰も主役級の人たちが何人も出てるからということらしいが、
ってことは、話もおもしろくない、映画そのものに対する制作費もかけず、
工夫も苦労もせずにいかに人気映画を作るかという確信犯的に、
制作側が豪華なキャストでしかこの映画では興行収入を得ることはできないと、
わかっていて作ったとしか思えない。
だいたいブラピが出てると騒ぐけど、彼はちょい役じゃないか。
犯罪グループにいて、いばってるだけで何もやってない。
やったのは医者に化けただけで、
他の人たちの方が金庫破りのためにはるかに重要な役割を演じているではないか。
※さらに彼ら豪華なキャストはDVDの付録で映画の撮影について、
素人にポーカーを教える役(ブラピ)だの素人としてポーカーを教わるシーンが、
自分の俳優イメージと違うのか、「あんなみじめな役をみんなよくやってのけた」みたいな、
非常に低レベルな会話をしていることに驚かされる。
別にそんなにイメージダウンになるほどのシーンでもないし、
第1あんたら名俳優としてのプライドがあるなら、格好良い役なんかすることだけでなく、
そんな難しい情けない役も見事に演じられることは普通であって、
わざわざDVDの付録の部分で、よくあの情けない役を演じたななんて自画自賛しあっている姿には、
本当の意味での俳優としてのプライドもくそもなく、ただ自分の人気だけを追っかけている、
底の浅い連中だよなあとぞっとする想いだった。
ということでラスベガスを知っている人、またはこれからベラッジオに泊まろうという人には、
おすすめしたいけど、別にラスベガスに興味があるわけでもなく、まして行く予定もなく、
ベラッジオというホテルがどんなものかを知らない人にとっては、こんなつまらん映画はないだろうな。
この「オーシャンズイレブン」を見る前に、
同じくラスベガスを舞台にした映画ということで「カジノ」という映画を見たが、
こっちを見た時も「間延びして見せ方が下手な映画だなあ」と思ったけど、
ストーリーの引き込みや設定の自然さ、何をテーマにしているか、
女性の取り合いなど、すべてこの「カジノ」の方が勝っているなと思う。
ま、それは現実のマフィア抗争をモデルにしてるから、
ストーリーにリアリティがあるからだろうな。
オーシャンズイレブンなんかが2002年の人気映画になるとは、
日本人の映画を見る目を疑いたくなる。
ラスベガスにかかわっているから僕はそれなりにおもしろかったけど、
そうでない人、この映画、はっきりいってくずですよ。
・プライベートライアン
まったく意味のわからん映画。
これはアメリカ政府が、国民に戦争をさせるための教育映画か?
兵士の会話から節々に聞こえる「故郷へ帰りたい」「ママ」という叫びだけでは、
戦争の無意味さを訴えているとは到底思えないし、
むしろ戦死したことを美談として語る、戦争万歳映画ととれなくもないが、別にそういうわけでもなさそうだ。
ライアンを救出するという特殊任務に出た8人。
しかし結局なぜそのライアン二等兵をわざわざ救わなくちゃならないのかが意味不明だし、
わけもわからず「橋を守ろう」とかいって一緒に戦って、
ライアン以外はほとんど全滅に近いというのもわけわからんし、
例によってアメリカ特有の無意味な回想シーンがあるわけだけど、
あのわざとらしい「ファミリー」を連れてくることこそ、
なんだかアメリカ社会の「理想像のファミリー像」をとってつけたような演出に、
吐き気をもよおすわけで(しかもライアンの人生への問いを妻?が肯定するあたりも不気味だ。
北朝鮮以上の洗脳映画ではないかと思える)
結局この延々160分以上も見せられた戦争映画の意味は何だったのか?
ひょっとしてわざと長ったらしい160分以上のつまらん戦争映画をみせて、
「戦争映画すら見ることが無意味なのだから、
実際に戦争することはもっと無意味なんだよ」
っていう隠されたメッセージのためにわざとつまらなくしていたのかと深読みしてまうぐらい、
つまらないというか意味のなさを感じた。
ごめん、私にはこの映画のよさがさっぱりわからん。
莫大な金をつかい莫大な時間をかけ、こんな無意味な映画をつくってみました。
つまりそのぐらい戦争って無意味なんですってことを訴えたかった映画としてしか、
理解しないことには、映画をみた160分という無駄な時間が浮かばれないよな。
あまりにも意味不明なので他の人の批評を見てみたが、
絶賛するのは戦争のシーンを生々しく描いた冒頭部分。
そりゃ確かにリアリティあふれる「素晴らしい」映像なのかもしれないけど、
その後に続くストーリーに意味がなければ、
はっきりいって単なる映像オタクが技術に凝っただけであって、
映像はもちろんストーリーやテーマも含めてすべてトータルで見るのが
「映画」であって、1部分の映像がすごいからどうのなんて話はまったくナンセンス。
しかもその冒頭シーンのリアリティが、「戦争の悲惨さ」を訴えるためのものという意味ならわかるが、
その後に続くストーリーを見ていく限りでは、到底そういう映画とは思えない。
だってそうでしょ。
戦争がいかに悲惨かってことを訴えたいなら、
生き残ったライアンが数々の犠牲の上に生き延びて幸せな人生を送りましたっていうラストシーンは、
「戦争の悲惨さ」どころか「戦争の美談化」のためのシーンとしか思えない。
はっきりいってくずの作品だが、きっとこの映画は絶対アメリカ人には受けるよ。
アメリカ戦争賛美教育映画として、軍隊に入隊する新人に研修で見せたらいいんじゃないか。
「戦争で犠牲になることは誰かの幸福のためなんだ」っていう、
戦争賛美の思想を徹底的に叩き込めるんじゃないか。
人生の3時間を無駄にする映画「マグノリア」
いやー、久しぶりにとことんくず映画に出会いましたねー
ここまでくずだと、ほんと笑うしかないですよ。
189分。人生長いといえもど、休日の3時間を無駄にするこの最低映画。
ぜひみなさん、見ないように。
言いたいことはわからなくもない。
いろいろな人の人生物語を織り交ぜて、
人生とは、人間の愚かしさ、悔い、愛、欲望、死といったことをテーマにしてるんだけどね、
脈絡もないし、説得力もないし、作り物っぽいし、単に話を寄せ集めているだけだし、
しょうもない5つぐらいの話をちょっとずつ見せることでわかりにくくさせ、
シンクロさせ、いかにも素晴らしい映画のように見せているだけで、
1つ1つの物語にしても底が浅いし、全体としての物語もバラバラだ。
どうせだったらこの中で、かつてクイズの天才少年と呼ばれたが、
今はアホ扱いされてしまっている男と、
今、テレビ番組でクイズの天才少年と呼ばれる少年の2つの物語に絞って、
なにがしかもっと深いテーマで物語を織り成せば1つの映画として成り立つわけだけど、
そういうこともしてないから、ほんとみんなどの話も底が浅い。
まあでもそのぐらいだったら僕はここまで酷評しなかっただろう。
僕が憤りを越えて笑わずにはいられないほどこの映画を酷評するには、
ラストの方のシーンでとんでもないことをしでかしたからだ。
空から大量の蛙が降ってくる
いろんな物語が同時並行で動いていて、
死が差し迫ったり、愚かしい行為を悔いたり、出会ったりわかれたりという、
ラストに近い場面で、今までの物語のリアリズムをすべて台無しにしてしまう、
空から大量の蛙が降ってくるというシーン。
今までの3時間見せつけられた話はなんだったんだ?
そんな映画なら、はじめに蛙を降らせればいい。
とことんナンセンスであり得ない不可思議な、それでいて現実帯びている、世にも奇妙な物語仕立にすればいい。
でもこの映画、そうじゃないだろう。
なんで最後に蛙を大量に降らせる必要があるんだ?
もうまったく意味不明。
茫然としたね。俺の人生の貴重な3時間を返せ!って思ったね。
おいおい、いい加減にしてくれよ。
人生の無駄を思い知らせるための映画なのか?
蛙が降ってくるという情けないトリックを抜いたとしてもほんと意味がなかった。
ラストでなぜか警官が主人公のごとくなってしまうし、
なんで彼が最後に偉そうに語らねばならないんだ?
もう、ほんと最悪の映画で、笑うしかなかった。
人生の3時間を無駄にしたくないと思う方は、絶対見ないように。
イングリッシュ・ペイシェント
浮気妻との不倫愛の思い出話を、テーマもロマンスもなく、延々168分続く、拷問映画。
くずです。時間の無駄です。
見ないように注意報映画です。
テーマがない。無理やり戦争にこじつけてるけど、
よくよく見ると、戦争とは何の関係もない。
ただ輝かしい不倫愛を事故で失っただけ。
じゃあラブロマンスかというとそうでもない。
ほんと単なる不倫愛をテーマにしていたとしても、たとえばそこに夫が出てきて、
ドロドロの三角関係になってしまい、その心の葛藤や恋愛の駆け引きや、
互いの立場や仕事の関係などで、ドタバタ劇があるのなら、
見ていてもおもしろいけど、そういうのもまったくない。
普通に不倫して、ただその過去の楽しい思い出を回想しているだけ。
回想しているその場面もさっぱり意味がわからん。
なぜ何の関係もない一人の患者を、隊から離れて、廃墟で看護婦が看病しているのか、
意味がわからんし、別にそんなシーンを入れる必要性もどこにもない。
死んだ不倫妻に「地図のない」だの「国境がない」だの「権力者のない」だの、
戦争を匂わせるような遺書を書かせているけど、
別にこいつらの不倫愛は戦争や国境や権力者のせいで引き裂かれたわけではない。
ほんとね、意味がないんだね。
ほんと、ごめんなさい、クズ映画で。ぜひみなさん、見ないように。
クズ映画の製作者に代わり私がお詫びします。
みなさん、時間の無駄ですので、見ないでください。
<追伸>
こんなくそつまらん映画を他人はどう評価するか、ネットで見てみました。
とにかく素晴らしいと絶賛する感想が多かった。
(退屈、感情移入できない、など私と同じような感想も結構あったが)
でもその人たちの感想を見ていると、砂漠が出てくる映像美を絶賛してる。
確かに砂漠の映像は美しい。
でもそれは話のおもしろさとは関係ないでしょう。
(というか私からすればせっかくの砂漠の美しさを、
ストーリーが台無しにしているとしかいいようがない)
美しい砂漠を見たいなら、それそのものを見ればいいわけで、
つまらん中身のない不倫愛映画を見る必要はまったくない。
映画ってのは映像美に凝ればいいってもんじゃない。
しっかりとした、おもしろいストーリーがあって、
それがあってはじめて、その上に美しい映像が必要なんであって、
中身のないストーリーでも映像が美しければいいのなら、映画である必要はなく、
美しい景色映像なり写真なりビデオなりで十分なわけです。
いくらスープがうまくっても、麺と具がまずければラーメンは駄作。
それと同じで、映像が美しいから「いい映画」ってのは、
単なる映像美オタクの評価なわけで、肝心のストーリーをまったく忘れてしまっている。
映像がただ美しいだけじゃ、映画を作る意味がない。
それはプライベートライアンのはじめの30分の映像がリアルだとか、
そういう中身のない映像オタクのすることと同じ。
美しい砂漠の映像に騙されて、テーマ性ストーリー性ロマンス性のない、
単なる不倫愛映画が素晴らしいって?
バカいっちゃいけない。
「美しい」アフリカの砂漠にいって不倫でもしてなさい。
・ニューシネマパラダイス
「これぞ映画!」という実におもしろかったギルバート・グレイプに出会って以来、
「映画ってすごいんだな」と映画を見直しつつあったんだけど、
それから借りてきた3作品は見事に3連敗の3タテくらってしまった。
リバーランススルーイット、蝶の舌、そして決定打を与えたのが、
DVDで借りてきてみた3時間にも及ぶ完全オリジナル版のニューシネマパラダイスである。
どうもこの映画にはもっと短いバージョンがあるらしい。
僕の論評は完全オリジナル版を対象にしているのでまずご了承いただきたい。
(まあ多少短くなったバージョンであっても基本的につまらなかったことは変わらないと思うが)
まずこの史上最悪につまらなかった映画をわざわざつぶやきで載せる理由は、
3時間の時間の無駄を他の人にも味わってほしくないからである。
こんなくそ映画、はっきりいってお金をもらっても見たくはないな。
1)主人公が3世代
まずいけないのはね、たった3時間で主人公が、
子供、青年、50歳ぐらいのおやじと3世代にわたること。
当然3世代で役者は違う。こうなってくるとね、主人公に感情移入できず、
ストーリーに入り込めないわけですよ。
まあせいぜい許されても子供と青年と2世代までだろう。
本だったらいいかもしれない。
文章で50歳の主人公が出てきても、自分で想像するから。
でも映画だと映像になってしまう。
こうなると子供、青年、おやじの3世代が同一人物として結びつかなくなってしまう。
いくら似ている人つれてきたとしてもね。
しかも最悪なことに、一番主人公が輝かしく親しみやすいのは、はじめの子供の頃なんですよ。
だから時間がたつにつれだんだん映画がつまらなくなってくる。
まあそもそもたった3時間の映画で子供から50歳になるまで描こうっていうのが間違い。
回想シーンみたいな形で、はじめとおわりの10分ぐらいずつに出てくるだけならいいけどね、
(それでもグリーンマイルなども主人公の青年時代と回想するじいさんのキャラクターの違和感はひどかった)
3世代がそれぞれ1時間ずつぐらい話に登場しちゃうと、もう3つばらばらなどうしようもない映画であることの、
下地を作っているようなもんですよ。
2)映画がテーマ?
多分、この映画は「映画」がメインテーマなんだろうけど、しっかり描かれていない。
それどころか、途中から映画がテーマではなく、単なる恋愛悲劇物語みたいな様相を呈してくる。
それでも最後はそれをむりやり映画に結びつけるような結末へと持ってくる。
もうてんでばらばらのどうしようもない映画ですよ、これは。
どうも短いバージョンは大恋愛の話は短めで映画をテーマに絞った構成になっているらしいんだけど、
それでも映画をテーマにしているにしちゃあ、すごくピンぼけしている感じ。
子供の頃は、戦争というきなくさい時代の中で、小さな村の唯一の娯楽が映画。
それに夢をかけるおじさんと子供の物語。
ここまではいい。
ところがその後、テレビが発明されて、映画がすたれてきて、
主人公が50歳すぎになって、30年ぶりに帰ってきた時に、
その映画館が爆破されるんだけど、
今、この映画を見て、単純に「テレビの繁栄で映画が衰退した」というメッセージは納得しがたい。
ましてこの主人公が、超一流の映画監督になってしまうならなおのこと。
時代の流れとともにね、映画好きだった子供が、
映画を捨ててテレビのプロデューサーにもなってね、
昔映写技術を教えてもらったおじさんとテレビVS映画みたいな対決論争みたいなことをする、
みたいな、その時代の違い、世代の違いを描いて、
最終的に両者のすみわけがあるみたいなストーリーだったら、
おもしろいし、ひきこまれるし、ふむふむと思うわけですよ。
でもそうじゃない。
映画の衰退っていうわりに、映画館が廃館になるのは24年後だし、
主人公は映画監督として成功しているのであれば、
映画の衰退と古き良き映画の時代の回想というテーマにはあまりに無理がありすぎる。
3)30年後
そしてもっともこの映画を、まったく視聴者から断絶させてしまったのは、
主人公が村を出てから30年後に帰ってくるお話。
30年後っていきなりいわれてもね、意味わからんですよ。
それに30年後にする意味がわからない。
第1、彼は自分の人生の成功のために村を出ただけなのに、
30年間ろくに親とも連絡をとらず一度も村に帰ってこないという設定の必要性もわからない。
はじめなぜ彼が帰らなかったのかは、青年時代に強烈な体験があったからだと思ったわけですよ。
その理由が回想シーンで明らかになるのかなと。
でもその答えは、単に人生の成功のために帰ってくるなというおじさんのアドバイスだけでしょ。
自分から「もう村には帰るまい」という強烈な動機づけとしてそれだけっていうのは、非常に無理があるし、
そういう設定にしたところでこの話のストーリーに何の意味もない。
さらにひどいのは、帰ってきて昔の恋人に再会する。
宮本輝でも似たような話があって、30年後の再会恋愛話ってありえないわけですよ。
20代の若い頃、世間も知らず社会も知らず、
ただ2人だけのことしか考えていない若い無鉄砲なカップルだからこそ、
大恋愛をしたし、そこに引き裂かれるような思いを抱く事件があったわけです。
それを30年後になって偶然再会して、あの時実はこうだったみたいな話になってね、
夫も子供もいる50歳のおばさんがね、
「あなたをずっと待っていたのよ」みたいなことで抱きついてキスするかってことですよ。
もちろん30年もたってるから、じゃあ2人でこれからどうのってことはありえないわけです。
でも主人公はその女性のことを思っていたから独身だみたいなことになっていて、
俺はまだ待つみたいなセリフをはく。
これがね、20代で別れて5年後とかせめて10年後ぐらいだったら、
もっと食い入れるように見れるわけです。
えっ!実はあの時別れてしまったのはこんな理由だったのか。
まだ5年だったら互いに若いしやりなおせるのではないかみたいなことでね。
しかし30年後ですよ。お話にならん。
見ていてむかついてきますよ。
4)別れた理由
そしてさらに納得がいかないのは大恋愛した男女が別れるきっかけとなったのは、
なんと主人公の映写技師の師匠さんだった。
しかもその意図が、主人公を仕事で成功させるため。
確かに彼は仕事で成功したが幸せな人生を送っていない。
それがこの映画の答えなのか?と思ってしまうわけですよ。
つまり仕事に成功するためなら狭い世界から飛び出せ!
でも人生の幸せは訪れてはこないと。
それか逆説的に仕事の成功はしなくても、村に残れば、
愛する女性と幸せな家庭を築けたかもしれないということが結論なのか。
ってことは、この映画のテーマってどうしようもないメッセージってことになる。
仕事で成功するやつは幸せな家庭は築けない。
幸せな家庭を築くやつは仕事では成功できない。
別にそれがいいたかったわけではないと思うんだけど、結果的にそういう結末になってしまっている。
もちろんそれをテーマに映画を作ることはできるわけで、
それだったらもっとドラマティックにそのことだけを描けば、
それはそれで「仕事か恋愛か?」みたいなことをつきつける、
いい映画はできるとは思うんだけど、いかんせんそういう意図はまったくない。
そんなわけで3時間にも及ぶこのくだらん最悪映画。
僕の人生の貴重な3時間を無駄にしたとして損害賠償をお願いしたいぐらい、
つまらん映画だったな。
ぜひ見ないで欲しい。きっと他におもしろい映画はあると思うから。
・パイレーツ・オブ・カリビアン
オーマーイガット!
ラストのシーンで思わず叫んだ。
なんでこうなるの?まったくおかしい。
ストーリーや設定やキャラクターめちゃくちゃやんけ。
こんなくそみそストーリーで誰が納得するねん。
ほんとひどかったな。この映画。
何が気に食わないかを列挙したらキリがないが、
大きなものだけできるだけ簡潔に説明しよう。
まずラスト。
主人公?のターナー君と結局、エリザベスがくっつくことになる。
それをあっさり認めてしまう提督とエリザベスの父親。
あり得ない!!!
法のしもべたる提督は、罪人をターナーによって逃がされたあげく、
結婚すると約束したエリザベスには逃げられ、面目まるつぶれ。
それをあっさり、婚約者の裏切りを素直に認め、他の男に譲るか?
そんな立場やそんなキャラクターじゃあるまい。
まして時代が時代である。
提督といったら相当お偉い人なわけで、そういう立場にある人が、
鍛冶職人なんかに譲ってしまうか?
さらにはそのお偉くなる提督に娘を差し出し、自分の家の安定を図ろうとする、
ようは権力や地位にこだわる父親が、
これまたあっさりと娘の婚約破棄と鍛冶職人との結婚を認めてしまう。
それは絶対にあり得ないでしょう。
そんなお人よしだったら、はじめっから提督との結婚は勧めないでしょうに。
そんでもって絶対いうだろうなと思ったセリフ。
「あなたは鍛冶職人じゃない。海賊よ」
言うと思ったよ。そういうセリフが読めてしまうラストってほんと興ざめするね。
情けない。
2人がくっつくのはいい。
でもくっつくのなら、スパロウ船長がいったように、
「今がチャンスだったのに、間抜け野郎!」といったその時だった。
町に戻らず、本当に海賊としてスパロウ船長とともに生きる決意なしには、
あの2人はくっつけなかったのに、町に戻ってハッピーエンドになってしまうなんて、
絶対にあり得ない。
海賊がゾンビなのも興ざめしたな。
呪いとはいえ、ゾンビという架空設定にしてしまうと、
「戦い」として成り立たなくなってしまうのではないか。
しかもその呪いの所以がようわからん。
なぜターナーの父親の血とメダルを返さなければならないのかようわからんし、
結局、父の血ではなく息子の血でなんで呪いが説けてしまうのか意味不明。
だいたいその後に、またスパロウ船長が盗んだじゃないか。
そしたら今度は彼の血が必要になる?
とにかくこの話の核となる呪いがいい加減な設定になっているから、物語がつまらなくなる。
意味不明なつまらない点をあげたらキリがないからこれでやめておこう。
複雑な設定はせず、単純な海賊三つ巴物語にした方がおもしろかったんじゃないか。
・火垂るの墓
4歳と14歳で、生きようと思った・・・
戦時下の兄妹の暮らしを描いた作品。
ちょっと僕は首をかしげてしまった。
兄妹の悲惨な暮らし、妹は死んでしまい、そして終戦後、兄も死んでしまう。
母親が死に、父親も戦争に行ってしまってきり消息不明。
それで身寄りなく、家もなく2人で生きていったという話ならよくわかる。
しかし違うのだ。
母の死後、おばさんの家で生活することになった。
確かにおばさんは口うるさく時に2人にいじわるな言葉を投げつけることもあった。
でもおばさんはおいてくれたし、めしを食わせてくれた。
それに文句をいって、自分たちだけで生活するといって出ていった。
だから悲惨な生活になり、2人とも死んでしまった。
おばさんが言っていることはいじわるであったが、正しかった。
おばさんの家だって戦時下で大変なのだ。
そこにみなしごを2人預かっている。
ただその2人は家でぶらぶらし、めしについて文句を言う。
そりゃ、おばさんがいじわるになるのも仕方がない。
それで自分たちからおばさん家を出ていって悲惨な生活を送るのは自業自得というものだ。
しかも、その生活ぶりがひどい。
母が残した7000円という大金の貯金を引き出して贅沢し、
金がなくなると、盗人をした。
空襲警報でみんなが防空豪に避難する隙を狙って、家に押し入り盗みを働く。
それで兄妹、楽しく仲良く暮らしていましたといわれても感動するものがない。
おばさんのところで我慢して、おばさんのいうように防火活動を手伝ったりして、
みんなの役に立ちながら食わせてもらう。
それが筋ってもんだろうに。
それともこの物語はこういう兄妹にならないようにとの逆教訓話なのか?
これが預かってくれるおばさんもいなくて、
周囲の人がみんな冷たく、だから仕方がなく盗人もしながら、
兄妹で必死に生きていたというなら感じ入るところはあるんだけど。
ま、それはともかく、それにしても戦争の悲惨さというのは、
この映画のはじめの20分で見事にアニメーションだけど表している。
絶対にアメリカにはこのような映画は作れないだろうなと思った。
プライベートライアンのはじめの20分間が見事に戦争のリアリズムを描いた映像というなら笑ってしまう。
はっきりいってこの映画のはじめの20分の方がよっぽど戦争の悲惨さに対するリアリズムがある。
そういう意味では評価できる作品ではある。
改めて戦争の悲惨さを思う。
8.15、日本は終戦を迎える。
この映画に描かれているように、確かにアメリカによって無惨なまでに殺戮される。
でも、と思う。
それは日本がアジアに侵略し、アメリカ以上の残虐で大殺戮をした報いであることを忘れてはならない。
崇高な政治的目的のための戦争も、所詮は罪のない一般市民が犠牲となり、
生活がはちゃめちゃにされる。
僕らの世代は戦争を知らないから、観念的なことでしかわからないけど、
やっぱり戦争はすべきでないと思う。
プライベートライアンなんていう戦争賛美映画を作って喜んでいるアメリカに、
この映画を見せた方がいいだろう。
作品の内容は上記のように納得のいかないものだったが、
しかし戦争を考えさせられるという意味でははじめの20分間は十分な映画であると評価したい。
・世界最低の映画「猫の恩返し」
ジブリ作品。やっとレンタルになったばかりの新作で、
ずっと借りられっぱなしだったが、やっと借りてこれた。
それほど期待はしていなかったが、そこそこは楽しませてくれるだろうと思ったのが大間違いだった。
つまらないなんて言葉では言い表せないほど、最低の映画。
というか映画とすらいえない。
なんだこれは?
こんなものが堂々と社会に商品として存在していることが不思議でならない。
こんな作品に金を使うなら、公募して一般人が作ったものを作品化した方が、
どれだけおもしろく、どれだけ有用な金の使い方か。
恐いものみたさならぬ、つまらないものみたさの人は借りてみるとよいが、
そうでない人はこの作品に手を出さない方がいい。人生の無駄です。
※くれぐれもいっておきますが、批判するために借りてきたわけではなく、
自分の楽しみのためにおもしろそうな映画かなと思って借りてみてだけに過ぎませんが、
散々たる結果でした。私が70分の無駄をしましたので、これ以上被害が広がらないよう、
批評を展開させていただきます。
1.絵がどうしようもない
ジブリ作品はストーリーがつまらなくても絵のかわいらしさ、とっつきやすさが、
大きな魅力の1つだが、今時こんなダサいというか感情移入できない絵を平気で映画にすることが信じられない。
特に猫がいっぱい出てくるんだけど、猫もほんと下手。
リアルでもなければデフォルメでもなく、かわいらしさもなく不自然。
はっきりいって最悪の絵です。
2.声優のレベルの低さ
人間以外、猫やカラスなどが登場するんだけど、
その声優があまりに下手。
動物の声ではなく、普通の人間の地声でやっているから、動物と思えなくって、
猫がしゃべっていても人間が思い浮かんでしまう。
ここまで下手な声優をキャスティングするのもなかなか難しいだろう。
3.ストーリーのつまらなさ
あまりに情けないストーリー。
どっか小学生にでも話を作らせた方がはるかにおもしろいんじゃないか。
最初の猫を助けるシーンからあまりに不自然で、これだけつまらないストーリーを作るのは、
もしかしたらおもしろいストーリーを作るより大変かもしれない。そのぐらいつまらない。
4.細部へのこだわりのなさ
猫王国に行ったりする。
そういう異世界への物語にする時って、背景とか家とかそこに出てくるキャラクターの細部に至るまで、
きっちり描いてやることによってその世界観が出るわけなんだけど、
そういうことを一切やっていない手抜きの絵。
ちょっと信じられない出来の悪さ。
というわけで、時間の無駄をしたくない人は、この映画絶対に見ない方がいいです。
そういう逆すすめ的情報っていうのも僕は貴重な情報だと思うんだよね。
映画は見る人によって感想は違うと思うから、僕は断言することはしないけど、
この映画だけは自信を持って断言できます。
こんなくず作品、はじめて見ました。
これ以上被害が広がらないよう切に願います。
死ぬまでにしたい10のこと
くずです。映画は。
ただこのタイトルと、余命2ヶ月と診断された女性が、
死ぬまでに何をしたいか、ノートに書き出すという、ただその事実だけはいい。
余命が2ヶ月でなくても、いつ死ぬかわからぬ人生、
自分のやりたいことを、ただ漠然と思っているだけじゃなく、
ノートに書きつけることで、ぐっと実現に近づける。
それは1つの示唆にとむ事実だ。
しかし、映画がくずだ。
そんなに悪くないんだけどね、また時折、すごくいい箇所もある。
今の日本人女性にも多い「ダイエット強迫症」ともいうべき、
痩せているのに、いつもいつもダイエットのことばかりしか考えていない女性が出てきて、
そういう現代病にとりつかれて「生きている」人と、
余命2ヶ月という中で「生きている」人との対比とかはすごくいいんだけど、
そういうのを全面に押し出しているわけでもないし、
でもさりげないほどでもないし、時折技とらしいぐらい出てきたりして、
すごく中途半端なんだよね。
またそんなテーマをこれみよがしにやろうと、
スーパーで物欲に駆られる人とかを映し出したりとかするんだけど、
徹底的にやるわけでもなく、すごく暗喩的にやるでもなく、中途半端だから、
そのメッセージが心に響いてこないわけですよ。
まあただそれは些細な問題。
そんなことより、この主眼のテーマである「余命2ヶ月といわれて、主人公は何をしたか」
に、どうにも納得がいかないことがある。
彼女はノートに10個あげたんだけど、
結局一番やりたくって実現し、この映画の時間の大半が割かれているのは、
優しい夫やかわいい2人の子供がいながら、
彼らに余命2ヶ月ということは告げずに、不倫をしたこと。
どうなの?
余命2ヶ月と診断されて、真っ先にやりたいことが不倫?!
それが「本当の生きる証」?!
いや、ちょっとはわかる。
多分、余命2ヶ月といわれてはじめに考えることは、
自爆自棄になって、性欲、物欲、食欲、睡眠欲を満たすことぐらいだと思う。
でも、この映画、物欲を批判しながら、
結局、彼女がしたかったのは、夫に診断結果を知らせず、
子供の世話を近所の人におしつけて、不倫だけってこと?
別に教訓じみた嘘っぽい話をされるのはいやだけど、
不倫だけで終わってしまったといっても過言ではないこの映画、
一体なんだったのと思う。
映画のくずさはともかく、
自分たちも常に「余命2ヶ月」のつもりで、
自分のやりたいことを素直にみつめて、それを書き出してみるってのは大切だと思う。
はじめは、この映画の主人公と同じように、不倫のような、
下級欲求しか書き出せないかもしれないけど、
本当に余命2ヶ月となったら、もっと違った欲求が出てくるはずだと僕は思う。
それかね、徹底的に性欲、物欲、食欲、睡眠欲に溺れる姿を描くかだね。
この映画は、タイトルだけはいいのに、ほんと中途半端のくず映画です。
シービスケット
競走馬を軸にしたアメリカの実話だそうだ。
題材はいいし、実話もよかったに違いないが、映画はそのドラマティックさを描ききれていない、
非常に下手な作品だ。
多分、この手の題材は、日本人に監督、脚本やらせた方がうまいんじゃないか。
まずはじめの1時間はまったく無意味。
次々と登場人物が入れ替わり、次々と場所が変わり、次々と月日が変わり、
いったい誰が何なのか、何の話をしているのか、まったくわからない。
1時間たつとやっとこの本筋に入ってくる。
小型で見捨てられた馬シービスケット、
異端児調教師、失敗続きの騎手、そして子供が死に、離婚したオーナー。
この4つが手を取り合って、馬がミラクルを起こし快進撃をするというわけだ。
こんないい実話なんだけど、まったくそれが生かされていない。
配役も適切ではないのではないか。特に騎手役。
スパイダーマンの彼がなっているんだけど、
なんか、ほんとだめな騎手で同情の余地がないんだよね、はじめの方は。
それを葛藤もなく、すんなり使うオーナーにも見ていて納得がいかないし。
もっともっとみんな一度人生に失敗した敗者なんだけど、
二度目のチャンスを与え、みんなもめながらも努力しあい、
共通の目標のためにがんばっていき、それが結果となったということを真摯に描けば、
それなりの映画になっただろうに、
どうでもいいシーンが長く、もっと突っ込んで長くみせた方がいいシーンがぱっと切り替わってしまい、
非常に情けない映画だ。
せっかくの実話なんだから、もっといい映画監督にあたり、映画化されていたらなと思う。
奇跡の海
痛い、痛すぎる、くずです。
この映画風に神との対話でこの映画を紹介しよう。
「主よ、私は罪を犯してしまいました」
「どんな罪かね」
「超くだらない「奇跡の海」というくず映画のために、人生の貴重な2時間半をつぶしてしまいました」
「それは大変な罪を犯したな。懺悔をしなさい」
「はい。懺悔をします。二度とくず映画は見ません」
「懺悔するだけではだめだ。お前にはやるべきことがある」
「やるべきことといいますと?」
「お前は作家だろう。ならば、どれだけこの映画がくずだったか書いて、
多くの人に教えてやるがよい。ならば、お前の犯した罪は赦されよう。
多くの人の貴重な2時間半を救うのだから」
「おお、主よ。わかりました。早速、この映画がいかにくずだったか。
間違ってもレンタルしないように書いてみせます」
・一体何がテーマなのか?
教会の硬直的な決まりを皮肉に批判したいなら、それに特化した作品にすべきだけど、
きっとそういうわけではないんだろう。
でもこれを「愛」がテーマの物語といえるか。
大怪我をした旦那が、なぜか妻に不倫しろとけしかける。
まず、この設定に相当な無理がある。
誰がそんなこというか。
しかもその話を聞かせろという。
そんなアホな話あるかいな。
そんでもってちょっと頭の弱い妻がおかしな行動に出る。
それを先生や姉がやめろという。病人は悪の力があるという。
ようわからん。
しかもその大怪我追って絶望視されている夫が、
なぜかラストになるとあっさりケガが直り、普通に歩けている。
それじゃあ、なんだったんだ。今までの話は。
夫が死んでしまうぐらいの大怪我を追った。
だから狂っているって話で引っ張っておいて、
あんなにもいとも簡単に治ってしまうのはどうにも解せない。
・姉を主人公にしてその葛藤をテーマにした映画ならわかる
ちょっと頭の弱い主人公。
でもそれがすごく中途半端でね、一体、この主人公設定で監督は何を言いたかったのか、
私にはさっぱりわからん。
だったら姉を主人公にすべきだよね。
ちょっと頭のおかしい妹がいて、いろいろと問題を起こして憎んでしまいそうになるけど、
やっぱり愛していて、守ってあげなきゃと思う。
そこに妹の旦那への愛情とも憎しみとも思えない感情を抱いてしまい、
しかも旦那担当の看護婦になっていることから、
妹から旦那を奪うために、妹と旦那の仲を引き裂こうと無意識に行動してしまい、
それにはっと気づき、取り返しのつかないことをしてしまったと、
妹の亡骸の前に泣く。
そういう話ならわかるけど、別にそういう話じゃない。
もうほんとこんなくず映画、やめてほしい。
そうそう、最後の鐘がなるシーンもまったく意味不明。
あまりにこじつけくさい。
妻を殺したようなもんの夫の悔恨とか、
そういうものがまったくないしね。
アンジェラの灰
「子供が主人公の映画はあまり外れないのではないか」という仮説をもとに、
パッケージに素朴な子供が写っているこの映画を借りてきたら、いまいちだったな。
何がいいたいのか、メッセージがない。
舞台はアイルランド。
父親が働かず、極貧生活を送る子供時代を描く。
5人子供がいたが貧しいために3人が死亡。
でも父親はおもしろい話をしてくれるので子供としても憎みきれない何かがあり、
酒場で飲んだくれる父を憎むことができない。
とまあそんな貧しい生活の子供時代を過ごしましたという話が2時間続き、
社会人になって働き、貯金をため、アメリカに行くところで終わる。
事実をもとにした物語なのかもしれないのだけれど、ここで何を主眼においているのか、
まったく分からない映画だった。
見る価値なし。
ただ興味深いのは欧米における宗教の威力というもの。
宗教が生活に根ざしていて、罪深いことをしたら教会に懺悔しに行くシーンが何度か出てくるのだが、
そういった場が警察とか裁判所ではなく、身近な教会という場があることで、
もしかしたら犯罪抑止効果になっているのではないかと思ったが、
別にそれはこの映画のテーマでもないし、この映画を見なくてもわかることだけど。
アンダーグラウンド
ユーゴスラビアの激動の歴史を描いた大作で、カンヌでは大賞を受賞!
という触書で借りてきた171分にも及ぶ、超退屈どうしようもない作品。
まったくだめ。お話にならん。つまらなすぎる。人生の貴重な時間を返してほしいと、
各方面から損害賠償を訴えられてもおかしくないような、そんな駄作です。
絶対見ないように印。
テーマはいいんだよ。
第二次世界大戦、ナチスと戦ったユーゴスラビア。
抵抗のために地下に町を作り上げた。
しかし終戦後も「戦争は終わっていない」と嘘をつき、
地下で武器を作らせて、自分だけは成功者として暮らすマルコ。
20年間、その生活をさせていたが、ひょんなきっかけから地下生活者は地上に出てしまう。
しかし再びユーゴスラビアは戦争がはじまり、ユーゴスラビアは分裂する羽目に。
20年の地下生活で「戦争は続いている」と嘘をつかれていたのに、
また戦争がはじまったのでそれが「嘘」かどうかが非常に微妙な感じになる。
いつまでたっても戦争に明け暮れる人間の愚かしさとそれによって狂わされたそれぞれの人生を、
コミカルな音楽にのせてコミカルな映像で滑稽に描く。
ま、そういうことがやりたかったのだろうということは十分にわかるが、
まったくその効果が現れていないのだ。
まず、長すぎる。もう罪悪のごとき長すぎる。
そんなにストーリーの中身はないんだから、無駄は省かないと。
無駄なシーンに意味があるならわかるけど、意味がない。
ただ観客を飽きさせ、伝えたいメッセージをぼけさせ、何がいいたい映画なのかをむちゃくちゃにしてしまう。
しっかりしたテーマがあるんだからもっと端的に描いていくべきだと思う。
170分はあまりに長すぎる。
それと戦争の悲惨さがあんまり結果的には伝わってこない。
コミカルタッチなのは結構だし、その方が愚かしさが伝わってくるとは思うけど、
すごく焦点のぼけた撮り方をしていて、結局、この映画は何だったのかがさっぱりわからなくなってしまう。
コミカルでも裏切りや友人の死や運命の変遷などをしっかり撮らないと。
ほんとただ長すぎるだけでうんざりさせる映画はカンヌで大賞を取ったということに、
カンヌ審査員の目をうたがいますね。
ただユーゴスラビアの内戦と時期がかぶったからそれだけで取り上げただけなのか。
・オール・アバウト・マイマザー
ちょっとこの映画、僕にはわからないな。
おもしろい場面もいろいろあるんだけど、
最後の結末を見てしまうと、なんだか履き違えた「母性愛」になりかねない。
主人公であるマヌエラは、ろくでもない男の子供をはらみ、
一人バルセロナからマドリードへ逃げ、子供を育てる。
にもかかわらず、その子供の名前に夫と同名をつけ、
その子供が事故死で死んで、知り合った女性が、
なぜかまた同じ男の子供をはらみ、その妊娠を手伝ってあげて、
産んだらその女性が死んでしまい、またもや夫と同じ名前のその子供を、
自分でまたその場所から逃げ出して勝手に育てる。
なんか違うような気がする。
子供を自分の大事なおもちゃにしているだけじゃないかと捉えられなくもない。
最愛の夫が死んでしまってその名前を子供につけるならともかく、
そうでないのに夫の名前をつけてかわいがるって、
なんでも自分のいいなりになる子供を夫に見たててるだけのような気がする。
しかもその子供を事故死でなくした悲しみにくれながら、
子供の事故死の原因となった女優のところに取り入ったり、
妊娠している女性を助けてあげたりと、非常に微妙なことをしている。
麻薬づけになっている女優エマが、主人公の女性を「偽善女」と罵るが、
捉え方によっては、まさしく主人公を言い当てている表現ともいえる。
子供は母親のおもちゃではない。特に一人で育てる場合、
過剰な期待と過剰な愛が子供にいきすぎ、バランスを欠いた育て方になる恐れがある。
逆にこの映画は、そういう女性をテーマに描いたら、よかったんじゃないか。
そうすると、この映画が理解しやすくなり、印象深いものになり、
主人公のキャラクターづけがはっきりする。
このままの映画では、あの主人公の女性の行動を、
「強い母性愛」という言葉では到底賞賛できない。
一層のこと、反面教師的な主人公設定にしたら、彼女の行動が理解できるようになるのだが。
・灰とダイヤモンド
ポーランド傑作映画。
正直、僕には理解はできなかった。
ナチス・ドイツ軍が負け、ポーランドから撤退。
その戦後のポーランドの人々のいろいろな交錯する思いを描いた映画なんだと思う。
ドイツ軍は去って希望に満ち溢れるはずなんだけど、
今後どうしていったらいいか混迷を極めているみたいな時代状況を、
自分に置き換えて考えられないと、ちょっと理解しにくいし、
少なくとも私にはちょっと理解できなかったな。
それでも日本人が見ても随分そういったことを理解した映画評を目にすることがあるので、
いい映画というか扱っているテーマ自体はすごくいいということには変わりない。
ただ私はずっと主人公は別の人物だと思って見ていたのだが、
主人公はそっちじゃなかったのかと映画のラストシーンを見終えて、
なんだそうなのか、こいつの心の揺れ動きの方が主体だったのかと、ちょっと驚いた。
恋と革命の選択肢。
いや、僕にはそういう単純なことではない、もっと奥深い時代的テーマがあるように思う。
たとえば今の時代に置きかえれば、イラクがそうだろう。
フセインという暴君を追っ払ってくれてうれしいというイラク国民もいるのだろうが、
暴君は暴君なりのある一定の秩序があったものが、アメリカという第3者の勝手な利害のために、
めちゃめちゃにされ、一定の秩序さえ崩壊し、どうにもならない混迷状況を迎えている、
今のイラクで、イラク国民は自分たちのための国家作りをどうしていくかという、
国民同士のさまざまな思いとその表現手段という意味では、
この「灰とダイヤモンド」に書かれている時代状況と似ているのかもしれない。
小さな中国のお針子
いいテーマなのに描き方がはっきりせず、くずでした。
中国の小さな山奥の農村。文革吹き荒れる最中、
「反動分子」として再教育のための都会から農村に送られた若者2人が、
恋をした農村の娘に外国小説を読み聞かせたりするなど逆に「教育」することで、
生き方を変えるという話。
非常におもしろいテーマだし、山奥の農村のきれいな映像も見逃せないし、
期待ができる映画だったのに、しっかりとテーマが描ききれていなくって消化不良だった。
娘がバルザックの小説で変わったといって二人の若者に何も言わず山を出て行こうとするんだけど、
バルザックの何が娘の生き方を変えたのか、まったく映画では描かれていない。
一冊の本が人生を大きく変えることだってあるとかいうセリフはでてきても、
一体、バルザックの小説を読んで、なぜ彼女が生き方を変えたのかさっぱり映画では伝わってこない。
むしろこの映画で描かれているのを見ると、
単にこの若者とセックスしてしまって妊娠しちゃって、おろしたから、
それで人生観が変わって、村にいずらくなり、新しい世界に飛び出したいだけで、
小説が彼女の人生を変えたとは読み取れない。
教育や思想の制限のせいで、いかに権力を持てる政治家の言うなりになってしまうかみたいな、
そういうことがしっかり描かれていれば、
再教育のために農村にいった若者のおかげで逆に農村が「反動」たる再教育されてしまうみたいな、
そういう映画だったら実におもしろかっただろうに、
そういう点をしっかり描ききれていないから、
中途半端な三角関係恋愛映画にしか過ぎなくなってしまっている。
しかもこれは回想録で27年後のこの若者2人が出てくるんだけど、
その娘の今はわからずじまいで終わらせてしまっている。
その当時、国家が禁止していた外国小説を読み、農村を出て都会に出た娘が、
どのように今を過ごしているのかこそがこの映画のキーとなるはずなのに、
それをうやむやにして終わらせてしまっているのは、
テーマから逃げているか、テーマをわかっていないのかのどちらかだろう。
映画人としてしっかりテーマを見据えて何を描くべきかを考えて撮ってほしいと願う。
ちなみにこの映画はフランス映画です。
ビッグフィッシュ
くず。時間の無駄。何が言いたいかさっぱり意味不明。
大人の、たいして奇想天外でもない、普通のほら吹き物語を映像化し、
最後に本当だったのかと子供が知り、お父さんを見直す。
だから、なんなんだ。
おもしろい要素は1つあった。
スペクターという「幻」の桃源郷的町である。
主人公が小さな町から大きな町へと旅に出る最中、偶然、そこに立ち寄ることになり、
あやうくそこに捉えられてしまうようになる。
それをもっと強く描いて、本当に嘘でもいいからユートピア的世界を描き、
でも彼にはもっと世界を見てみたいという若さゆえに、
その誘惑を断ち切り、世界へ出て行って、
ふと人生が一巡りしたある日、たまたまそこに差し掛かると、
かつてのユートピアの町がさびれきってしまっていて、
かつてお世話になったから、成功した金でそこの再建に力を貸すみたいな、
そういうストーリーだったらわかるんだけど、そこだけがこの映画の主ではないようだし、
意味のない一目ぼれも意味不明ストーリーもナンセンスだし、
子供の父親に対する不信感だけがテーマとなっているわけでもない。
しかも最後のオチはといえば、
ほら吹き話をしているとそれが本当の話になってしまうんだよという、意味不明の結末。
ほんと、どうしようもない映画だった。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
ごめんなさい。これは映画ではない。音楽ドキュメンタリーです。
音楽に特に興味ある人は見てください。
・リバーランズスルーイット
ミスターチルドレン、「HERO」より
“だめな映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられてく”
そんなことを真っ先に思ったつまらん映画。
見ない方がいい。ブラピは今より若々しくすがすがしくていいがそれだけだ。
もっとね、ストーリーに強弱、メリハリをつけんといかんよ。
ほんと僕はこの映画の神経をうたがったのは、
突如、ブラピ演じる弟を殺してしまったこと。
字幕でその内容が出たとき、見間違ったんじゃないかって思って、巻戻しちまったよ。
ほんと意味わかんない。なんでそういうことするかな。
もしね、そのー人間の生と死とか命のはかなさとか、
栄光と挫折とか人間の一生みたいなことを描きたかったんだとすればね、
もっともっとストーリーに強弱つけてやれば突然の死もわからなくはないし、
意味は出てくるんですよ。
モンタナという田舎で天才的に釣りがうまくて有名人の弟。
しかしばくちに手を出しどうしようもなくなっている。
でもその栄光と挫折がストーリーには明確に出てこない。
わざと明確にしないことによって逆に印象を強める効果はあるけど、
そういうことにもなってない。
だったらもっと際だって一人の人間の光と影を描けばいいじゃないですか。
それがないまま、いきなり殺されたっていわれても「はあ?」ってことですよ。
せっかくブラピ演じる弟とは対照的な兄というキャラクターがいるわけですよ。
彼は堅物でまじめ、大学を出、教授になり、大都会のシカゴへいく。
弟はふまじめで酒のみだけど、モンタナを愛し、自然を愛している。
でも兄弟・親子は、幼少の頃の釣りの経験が、
まるで生活の信仰のように大きな意味を持っている。
そういう話の核をもっと際立たせてしっかり描けば、すごくいい話になったにもかかわらず、
何をいいたいんだがわからん単調なストーリーを延々続けた挙句、
突然わけもなく弟が殺される。
その時、僕の心にミスチルの「HERO」の歌詞が流れてきたわけです。
「だめな映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられてく」
ああ、時間の無駄だったな。
映画は腐るほどある。
だからこれは見ないように。
いつか来た道
「1998年ヴェネチア国際映画祭グランプリ(金獅子賞)受賞作品」ということで借りてきたのだが、
なんてことはない、あまり訴えかけてくるものが少ない見るべき価値のない作品である。
テーマはわかるんだよ。
シチリア出身ということで差別が行われているトリノ。
それでも出稼ぎにくる人たち。
肉体労働しかできない兄は弟を溺愛し、
勉強を学ばせるため、弟を学校に入れて、自分は一生懸命働くのだが、
弟は学校をさぼってばかりいる。
よくあるお決まりの設定だ。
この兄弟は異常なほどの「愛」で結ばれているがために、さまざまな悲劇が起こり、
最後は、兄の罪をかばった弟が刑務所入りさせられてしまうというものだが、
だから何?って感じ。
テーマはわかるし、そういう兄弟もいるだろうし、
シチリアから出てきた出稼ぎという立場とか当時の時代状況とかわからなくもないけど、
映画にするほど強く訴えかけてくるメッセージが何もなくて、見ていてほんとつまらなかった。
唯一といえば、兄が友達に向って、
子供は一人立ちするんだからいつまでも親が構いすぎてはいけないみたいなことをいうんだけど、
それは弟をいつまでも子供扱いして構いすぎるお前のことだろうという皮肉が、
まあおもしろいといえばおもしろいのだろうが、せいぜいその一言ぐらいか。
あとは、スリが落とした財布を横取りした弟が、
兄を豪華なディナーに誘い、そこでの兄の涙の話。
そのぐらいかな。
なぜこんなくだらん映画が賞をとったのかわからない。
ほんとおすすめできない映画である。
賞に惑わされて借りる人がいたら要注意作品であることを警告しておこう。
・サハラに舞う羽根
実につまらない。見るだけ損です。
すいませんが、40分見たところで、いたたまれなくなり、見るのをやめた。
あまりにもひどい。
ひどい映画でも最後まで見るようにしているが、これは論外だった。
まったく設定がおかしい。
イギリス軍がスーダンに戦争する話なんだけど、
主人公がスーダン派遣が決まった時、軍隊を除隊する。
それは彼自身がいうように「なぜ、木一本生えない砂漠地帯に女王陛下の旗を立てる必要があるのか」
という、戦争に対する根本的不審かと思いきや、
どうもそうではないらしく、本当に臆病で死にたくないからというだけらしい。
でもそれならそれですごく正直な気持ちでいいわけですよ。
親しい同僚たちは派遣が決まり名誉なことだと喜ぶ最中、
そういう真の気持ちから除隊をする勇気っていうのは、この時代にしたらすごいことなわけです。
ところが「臆病者」と同僚から白い羽根を送りつけられたら、
今度はその「臆病者」という汚名を晴らすために、単身スーダンに乗り込むわけです。
この時点でおいおいいい加減にしてくれよと思うわけです。
軍隊としてみんなで戦地に赴くことすら怖かった主人公が、どうして単身スーダンにいけるんだ?
そんなバカなこと、ないでしょ。
そんなものすごい勇気があるなら除隊なんかしないだろうし、
いやむしろ、一見臆病だけど、除隊する勇気を持つほどの決断をした彼が、
どうして戦争の意味を見出せないのに、自分のしょうもないプライドだけのために、
単身戦地へ乗り込んでしまうか、さっぱりわからない。
どう考えても設定がおかしいでしょ。
こんなくだらん映画、ちょっとどうしようもないな。
それから技術論的なことで言うと、非常にテンポが遅い。
5分で終わる話を無意味に15分ぐらいかけてちんたらちんたら流しているから、
飽きちゃうわけですよ。
もっとテンポよくいかないと、まったくその世界にのめりこんでいけないですよ。
花
絶対に見ないように。時間の無駄です。まったくもって激つまらない。
ハリポタのつまらなさなんて比じゃない。
世界最低の映画「猫の恩返し」よりつまらんかもしれない。
私は人生における106分という時間を無駄に過ごしてしまった。
これ以上、被害者が出ないように、ここで紹介しておきましょう。
同時期に作られた「解夏」という大沢たかお主演映画がなかなかよくって、
この映画も大沢たかお主演映画で、日本映画ならではのほのぼの感とテーマ感があると思って、
新作にもかかわらずレンタルビデオ屋で借りてきた。
もうほんとあり得ないぐらいつまらない。
1:病気診断後なぜドライバーのアルバイトをするのか意味不明
まず、営業マンの大沢たかおが突如めまいに襲われ、倒れる。
病院で、脳に血管がふくらんだものがあって、
5秒後に破裂するかもしれないし5年後に破裂するかもしれない。
だから手術をした方がいいというのだが、その手術は、
もし成功しても記憶がなくなってしまうかもしれないという。
「記憶がなくなるぐらいなら死んだ方がましだ」と投げ遣りになり、
会社をすぐ辞めると、3日間ぐらい家にこもっていた。
そこに得体の知れない人から1週間ドライバーのアルバイトを頼まれ、それを引きうける。
これがまったく意味不明なんですよ。
自転車に乗ってて突然めまいで倒れてしまう、そういう病気を背負った彼が、
しかもやる気をなくして3日間こもりっきりになっている彼が、
なぜ知り合いでもなんでもない通り掛かりの人から頼まれた、
ドライバーのアルバイトを引き受けることになったのか。
まったく必然性がない。
2:必然性のない「車で鹿児島まで行く」
ある弁護士が1週間休暇をとり、高速道路を使わず、鹿児島まで車で行く、
そのドライバーのアルバイト。
そのバカバカしさに一度は辞退するのだが、なぜかまた引き受けてしまう。
その必然性もまったく感じられない。
主人公(大沢たかお)はドライブ中にめまいに襲われ、あわや衝突事故になるかも、
というようなことが起き、
その後、突然、会ったばかりの老弁護士に「死ぬのが恐い」と車の中で泣き出し、
病気のことを告げる。
これもね、まったく必然性がない。
なぜ彼が今ここで見も知らぬ弁護士に発作のごとく告白しなければならないのか。
まったくつながりが感じられない。
3:40年前の新婚旅行の思い出感がまったく映像に出ていない
弁護士が車で鹿児島まで行くのは40年前の新婚旅行を再現しようとしたかららしい。
時折、その新婚旅行時の回想映像が出てくるんだけど、これがまったくひどい。
40年前の回想なのに、そこに出てくる新婚2人の服装も化粧も髪型も車も、
何もかも今風で到底40年前の時代とは思えない。
しかもこの弁護士は妻であった彼女の顔を思い出せないといっているのに、
回想シーンでは顔は隠されることなく、はっきり顔が映し出されてしまう。
これではまったくこの話全体の意味がなくなってしまうわけですよ。
彼は別れた妻の遺品を取りに鹿児島まで行き、
新婚旅行時を再現する形で彼女を思い出そうとするのに、
顔がはっきり出てしまう。
しかも鹿児島についてその遺品から出てくる写真はその新婚時のもので、
回想シーンにたびたび出てくる顔とまるっきり一緒。
「顔が思い出せない」といっていて、最後に写真を発見して喜ぶのに、
映画を見ている視聴者はもうその顔をさんざん見せられてしまう。
こんなひどい映画の作り方をする輩はちょっと信じられないな。
4:主人公の彼女の存在
主人公が病気と診断され、会社も辞め、意味不明の旅に出るんだけど、
彼にはしっかり彼を思ってくれる彼女の存在がいて、
たびたび旅の途上で彼女と携帯電話で話すシーンが出てくる。
これをみてさらに疑問に思う。
そんな彼女の存在がこの2人だけの旅に割り込んできていいんだろうか。
またそれをわざわざ何度も携帯電話で話すという、
せっかく鹿児島まで高速道路を使わず車で行くアナログ感が、
あっという間に通じてしまう携帯電話のシーンでぶち壊しになる。
結局、結末にこの彼女の存在は出てこないのだから、あえて旅の途上で出す必要はまったくない。
5:笑えないいたずら
備前でのこと。昼食を食べた食堂で、お会計をお椀の下に隠すという「いたずら」をし、
気のいい食堂のおばさんが「お会計してください」と追ってくるところを、
2人で笑いながら逃げていく。
私には到底、笑えない。
悪意のないいたずらとは到底思えない。
しかもその食堂のおばさんがいじわるな人でその仕返しみたいなことならわかるんだけど、
そうではまったくない。
さらに走って逃げたために弁護士が倒れちゃって、
このいたずらをされた食堂のおばさんの家で介抱してもらうという、
これまたまったくストーリーにつながりのない唐突感。
こんな悪意のあるいたずらをされたおばさんが介抱するか?
6:意味不明のラストシーン
40年前に新婚旅行をし、30年前に別れた妻。
その後はまったく連絡をとっていないのに、なぜか彼に遺品が残された。
鹿児島の病院につくと、まず渡されたのが新婚旅行時に屋台でとった景品。
それはね、すごくわかるんだよ。
でも彼はそんなことはどうでもよくって、スクラップ帳2冊の中に、
彼女の写真があるんじゃないかとしきりにめくるんだけど、
彼が担当していた裁判の記事しかない。
あのね、おまえはただ単に顔を思い出すための写真が欲しかっただけなんかい?
新婚旅行時の屋台でとった景品をじっと眺めて、
そこで自分の頭の中に彼女の顔がしっかり浮かび上がってくるとか、
そういうのが「感動」するシーンだと思うんだけど、
それを見ても彼女の顔を思い出せない輩が遺品から彼女そのものの顔写真を探さないと、
彼女の顔が思い出せないってなんだそりゃ?みたいな疑問。
さらにひどいのはそのスクラップ帳には新聞記事しかなくって、
彼は失望するんだけど、最後の新聞記事の間に、
新婚旅行時の2人の写真が1枚はさまっている。
そんな都合のいい風にいくか?ってことと、
そこに映っている彼女の顔は視聴者は回想シーンで何度も見ているから、感動がないわけです。
ああ、ここまで車で長い旅をしてきてやっと思い出せたっていう感動が。
7:忘れな草のラストも感動できない
遺品を受け取った彼にもう1つ見せたいものがあるといって見せられるのが、
彼女が植えたという忘れな草の一面。
これも新婚旅行時の回想シーンで彼女がこの花がいいといったもので、
視聴者にはすぐ想像がついてしまうネタバレ必死で驚きはない。
そしてこの忘れな草の一面を見て、この花畑をみて、
この弁護士が「俺もそうだったんだよ」とかいって慟哭する。
つまり2人は30年前に彼らの意志で別れたにもかかわらず、ともに忘れられなかった。
なんだよ。別に無理やり引き裂かれたわけではないんだから、
どこっかでやりなおしできただろうに。
それかやりなおしができなくって30年たって、それほどまでに慟哭するか?とかすごく疑念がある。
しかしそれは100歩譲って理解できるとしても納得いかないのが主人公の思い。
この忘れな草の花畑をみて、彼は手術を受ける決意をし、
もし手術を受けて記憶がなくなったとしても、この花畑を見れば何もかも思い出せるに違いないとか思うらしいんだけど、
はたしてそうか??
たとえばこの弁護士が写真を見て妻の顔を思い出したのではなく、
この忘れな草の一面を見て彼女の顔を思い出したのなら、
彼も今の彼女との思い出となるような花があって、
その彼女に手術が終わって俺に記憶がなくなっていたら、
その思い出の花を見せてくれとかいうストーリーなら納得できるわけだけどね、
このシーンではまったく関連性がない。
しかもこの忘れな草の花畑といってもきれいな花畑ではなくって、
雑草が生い茂っているところに小さな地味な紫色の花がついていて、
すごく印象に残る花畑ではまったくないんだよね。
それでタイトルが「花」ですべてのしめくくりもこの「花」で、
しかも「忘れな草」っていうあまりにベタな名前で、これで感動できるはずがない。
以上、この上ないつまらない映画を作っていただいたのは、
監督・西谷真一、脚本・奥寺佐渡子でお送りしました。
デッドマンウォーキング
映画としては非常によくできていたけど、
内容にはまったく理解がしがたい。
はっきりいって一歩間違えると、
死刑反対という結論ありきのキリスト教宣伝映画と映らないこともない。
死刑囚になっている男をシスター(尼僧)が支える映画なんだけど、
まったく理解しがたいというのは、
よくありがちな「加害者保護」に偏った内容で、
被害者への配慮が欠けているといわざるを得ない。
冤罪だったわけでもなく、この死刑囚は、
若いアベックをレイプしたあげく殺したことは間違いない。
だから誤審でもなんでもない。
共犯者が金があっていい弁護士がついたから死刑を免れて無期懲役になったという不公平や、
彼に金がないから上訴や恩赦が受けられないといったことも、
彼がはじめいったように、彼は誰も殺していなかったならともかく、
彼は殺人を犯しているのだから、あまりそのシステムの欠陥のせいで、
死刑にされるというのも意味もなしていない。
彼が死刑執行される最後の一言、
「オレが人を殺すのも政府が人を殺すのも間違っている」というが、
私にはそうは思えない。
まったく罪のないアベックを残忍な殺し方をした人間が、
自分の責任を棚に上げて、そういった論理で死刑を逃れたいというのはおかしい。
だったら人殺しなんかしなきゃいいんだ。
人間、誰だって間違いを犯すことだってあるし、
たとえば同じ人を殺すのでも、たとえばそのアベックが正当防衛で彼らを殺してしまったことで、
死刑になるのはいかがなものかと思うけど、
彼の場合、まったく情状酌量の余地はない。
しかもシスターに出会うまでは、法廷でも被害者の神経を逆撫でするような態度をとっていたのだから。
つまりまったく死刑になることが当然の人間を、
「こんな人がいい人がいるんだろうか」と思うような、
はっきり言い方を変えれば「ちょっと頭がおかしい」神のようなシスターが現れ、
その死刑までの精神的苦痛を取り払ってあげることにボランティアとして労力を傾けるのならば、
それこそこの映画の被害者家族がいったように、
「犯罪が起こる前に若者に教育することに力を入れてほしい」というのが本当だと思う。
この映画では凶悪な犯罪を犯した死刑囚が美化され、
それを天使のように助けるシスターが美化されるだけで、
事件の被害者家族の痛みがほとんど伝わってこない。
それって問題の本質を誤魔化しているだけとしかいいようがない。
「死刑がすべていけないんだ」っていうことは最もらしくて簡単だけど、
じゃあ残忍な殺され方をされた被害者家族はどうなるんだという視点がまったく抜け落ちている。
しかも被害者家族ではなく、まったく冤罪でもなんでもない死刑囚のサポートをするシスターが、
褒め称えるような映画は、はっきりいってちょっと信仰にこりかたまった、
宗教宣伝映画と間違えられる恐れがある。
根本的な死刑囚の設定を変えない限り、この映画が映画としてよくできていたとしても、
内容に到底共感することはできなかった。
過剰な加害者保護の配慮に、なおざりにされている被害者ならびに被害者家族の痛みに、
もっと配慮しない限り、
これだけ凶悪な犯罪が起きている状況を救えないと思う。
ガタカ
テーマはいいと思うんだけどね、説明足らず言葉足らずで意味がわからん箇所が多い。
それと、これだけ科学が進歩した世界なのに、
他人になりすましたものを見破れなかったり、
逆に遺伝子をもらって他人になっているのにマツ毛一本でばれてしまう稚拙さとか、
圧倒的な遺伝子優劣がついているはずの兄弟で、
劣っているはずの兄が泳ぎで勝ってしまったりとか、
近未来SF映画なんだからその辺の世界観というかルールというか秩序をきっちり描かないと、
都合のいいところだけの勝手な設定に思われてしまう。
だいたい髪の毛や指紋や血液検査で本人確認をしながら、
明かに顔が違う人を見破れない稚拙さ、明かに同一人物が2人いるのにわからない稚拙さは、
到底、科学が発達した社会といえない。
SFなら徹底的に世界観を作り上げないとその辺から醒めてしまう。
それといろいろな事件が起きるわりに、一体この映画は何を言いたかったのかさっぱりわからん。
劣っていても「僕は僕」と正体がばれても続く愛がテーマなのか、
遺伝子作用による恐ろしい近未来世界がテーマなのか、
劣った兄と優秀な弟のライバル的な戦いがテーマなのか、
殺人事件をめぐる犯人探しのサスペンスがテーマなのか、
どれも中途半端に挿入してあるので、物語が散漫で一貫した強いメッセージが伝わってこない。
それと根本的に他人になりすましてまで宇宙飛行士になるという夢が、
今の人たちに大きな「夢」となりうるのかどうか。
たとえば、100年後の地球が環境破壊でぼろぼろで、
でも地球より住み良い星があり、そこには遺伝子エリートしか行くことができない、
みたいな設定だったらわかるんだけど、
何があるかわからない、ひょっとしたら何もないかもしれない星に行く事が、
リスクを負ってまで賭ける夢なのか。
だいたいこんなに科学が発達した近未来社会だったら、
遺伝子エリートでなくたって宇宙に簡単に行けるようになっているというのが普通の設定だろうし。
たかだか102分の映画なんだから、欲張らず、
どれかテーマを絞って、徹底的にそのテーマと世界観を描くという手法をとらないと、
こんな駄作になってしまいますよという、反面教師的な非常につまらない映画の見本みたいだった。
永遠の一日
くず。絶対に見ないように。
何がテーマなのかさっぱりわからん。
明日に死を控えた男の半生を振り返る回想なのか、
懐かしい海辺の家の思い出なのか、
アルバニア移民問題なのか、老人と子供の寂しい者同士の出会いと別れなのか、
19世紀詩人の生き方なのか、
もうそういうものがすべてぐちょぐちょにぶちこまれ垂れ流しているだけの、
非常に情けない映画。
これがなんと1998年のカンヌ映画祭の大賞なのだから笑ってしまう。
過去のカンヌ受賞作品を見ている人もいると思うけど、
これは絶対見ない方がいいね。時間の無駄。
・インドシナ
フランス植民地時代のベトナムを舞台にした映画。
結構、ストーリーはさまざまな形で展開していくおもしろさがあるのに、
その劇的さが映画の撮り方が下手なためにまったく伝わってこないことと、
非常に美しいベトナムの島とか田園地帯とかを舞台にしているのに、
映像が汚くてその美しさがまったく伝わってこない。
テーマもフランスの植民地、共産主義、ベトナムの人々、そこに住むフランス人など、
非常にいいテーマを扱っていて、描き方によっては非常にぐっとくるものになるはずなのに、
そういった描き方がまったくできていない。
題材も舞台もいいしテーマもストーリーもいいのに、これほど台無しな映画にしてしまったのは、
ひとえに映画監督のなせる技だろう。
残念で仕方がない。
ロジャー&ミー(マイケルムーア監督)
最高のドキュメンタリー映画と評した「ボウリング・フォー・コロンバイン」の監督の前作。
90分のドキュメンタリーで、世界ナンバーワン企業のGM社の、
一斉3万人レイオフ問題を取り上げたものだ。
しかしまったく良さがない。
はじめての映画撮影ということもあるのだろうが、
批判する相手というかポイントを間違えているというか、
彼の故郷の町に対する愛情だけが先行し、事実の冷静な分析ができていない。
確かに大企業による突然の一斉解雇には問題はある。
でもGMの広報担当者が映画のインタビューで答えているように、
企業は利益のために存在しているし、
資本主義経済では当然のことだと主張していることに分がある。
「企業は従業員の生涯保障をしろというのか?」という広報担当者の答えに説得力がある。
確かに一斉に3万人、GMだけで持っているような町には堪えるし、
やり方はほかにもっとあるとは思うんだけど、
アメリカ社会の資本主義経済のルール自体がそうなってるんだから仕方がない。
別に違法なことをしているわけではないのだから。
監督は解説で「自分の反対意見を集めている」といっているが、
明かに反対意見を集めて自分の主張を逆に際立たせようとしているだけで、
GM会長のロジャースミスがインタビューに応じないことを憤っているだけで、
それはでも彼の自由だし、
第1、どこの馬の骨とも知らぬ自称「映画監督」なんかあやしまれる方が当然だ。
今なら名が売れて「逃げた」と捉えられるかもしれないけど。
結局、この問題に切れ味がないのは、監督が生まれ故郷への同情心から撮っているだけだから。
だから問題の本質を見極める力が、ボウリング・フォーコロンバインの時のようにない。
まあでも彼はこの第一作で「失敗」と感じたのか、
「ボウリング・フォー・コロンバイン」そして今回のカンヌ映画祭最高賞の、
「華氏911」で見事なドキュメンタリー映画を制作する力をつけたのだから、
まあそのステップだったと考えればいいんだろう。
「ボウリング・フォー・コロンバイン」は絶対見るべきだけど、
「ロジャー&ミー」は絶対見ない方がいい。
・リービングラスベガス
同じく、ラスベガスの雑誌を作るので、
より多角的にラスベガス理解をしたいという個人的な理由にために借りてきた映画だが、
ラスベガスを舞台にしている必然性が見当たらない。
なぜか泥酔してどうしようもない男と、
なぜか金にも対して困っていなさそうな娼婦が恋に落ちてしまう物語なんだけど、
どうして彼らが恋に落ちてしまうのか、
なぜそんなにまで男が酒飲みになって死を決意するまでに至ったのか、
なぜ恋に落ちた女性は娼婦でなくても暮らせそうなのに、娼婦をしているのか・・・
もう疑問を挙げ出したら切りがない。
別に批判しようと思って見ているわけじゃないけど、
普通に見ていても設定に納得がいかないから、
スムーズに映画にのめり込んでいけない。
しかもこの映画、はっきりいってラブロマンスというよりポルノ映画といっていい。
しょっちゅうフェラチオシーンが出てきて、
なんだか見ている方まで気持ち悪くなってくるし、
やたらと「ファックファック」と叫んでセックスシーン。
どうせだったらAVにしちゃった方がいいんじゃないかと思うぐらい。
単調なストーリー。設定に対する不自然さ。
なぜか途中で娼婦が懐古風に話す語り口調のシーン。
映画ってきっと何かを伝えたくて作るんだと思うし、別にメッセージ性がなくても、
スリリングであったりエキサイティングであったり、
コメディであったり、単なるラブストーリーでも、
時間を楽しめるエンターテインメントとして成立するわけだけど、
この映画見てると、この監督って一体何が作りたかったのか意味不明で苛立ってくる。
この映画を見ながら僕が思ったことは、
「この映画よりその辺の小学生に作らせた方が絶対おもしろい!」
そう思うぐらいつまらなかった。
これまで見た映画の中で、ワーストワンじゃないか。つまらなさは。
ラスベガス理解という意味では、
見たことのある町の様子がバックに何度か出てくるぐらいで、
タイトルに「ラスベガス」とつくほどラスベガスラスベガスはしていない。
そう思うと「なぜこの映画はラスベガスでなくてはいけないの?」
という根本的な設定への疑問がぶりかえしてくる。
まあ敢えて親切に極解してあげるならば、
ラスベガスというカジノ=金が、
どうしようもない現代社会最後の儚いユートピアみたいに、
最後の夢を求めて各地から集まってくる場所という位置付けの中で、
人生終わったみたいな酒飲みの遊びと、
金を求めて流れ着いた娼婦との奇妙な出会いによる儚い恋愛物語が、
このどうしようもない現代社会の中で生き抜く人々の、
一瞬の夢であったというような人生訓的な物語なんだろうけどね、
こんな宣伝文句的捉え方はできないわけではないけど、
もしそうであるならば、もっと撮り方やストーリーは違っただろうに、
なぜに「ファックファック」の連続なんだ?!
ラスベガスが舞台となった映画を3作みたが、
マフィア時代のラスベガス映画(「カジノ」)はともかく、
今のラスベガスの楽しさでも儚さでもいいけど、
世界でも稀に見る都市発展形態を遂げた、
奇妙で魅惑の町ラスベガスを表現した映画がないのかなあと、
悲しくなる限りである。
スモーク
中途半端な映画だったな。
いいたいことはなんとなくわかるんだけど、
そういうテーマ性を訴えたいにしては、うざったい即物的なストーリーがつきまとうし、
かといってハラハラドキドキするほどのストーリーでもなく、
非常にどっちちかずの中途半端な映画。
くだらんストーリーは排除してしまって、
アメリカの何気ない日常生活から、
それぞれの問題点をぐっと浮き彫りにしていくような、
そんな映画だったらきっとすごかったんだろうにな。
アフガン零年
アフガニスタンのタリバン政権下の圧政を描いた素晴らしいテーマを扱っているのに、
映画から訴えかけてくる強さがまったくない、どうしようもない映画。
テーマは完全なドキュメントなのに、
映像や構成が凝りすぎていて、狙いすぎていて、わざとらしく感じられ、
リアルな物語のはずがしょうもない架空物語に見えてしまう。
蠅の王
イギリス版「バトルロワイヤル」みたいな映画。
無人島に漂流した中坊ぐらいの連中が、
脱出のために協力すべきなのに、仲間割れをはじめて、
ついには仲間も殺してしまうみたいな映画。
なんだけどぜんぜん、説得性とリアリティがないし、
人間の疑心暗鬼みたいなものもまったく描けてない。
バトルロワイヤルみたいなセンセーショナル性もない。
描きたいことははっきりしてるし、テーマもはっきりしてるんだから、
もっとストーリーを練らないと。
はっきりいって、単に仲間割れをおこした一人の男だけが悪いみたいな、
そういう内容にとらえられかねない。
この映画で描きたかったことは、
無人島から脱出しなければならないという極限状態にもかかわらず、
権力志向とか人間の欲望とか心の揺れ動きみたいなもので、
協力しあうことができず溝が深まっていき、
誰もが誰をも信じられないような、
誰が味方で誰が敵かわからないような、
そういうテーマなんだけど、
それをこの映画でしっかり描けばすごくおもしろいのに、
まったく描けてないから、まったくつまらない。
よくもまあこんなくず映画作ったな。
テーマがしっかりしてるんだから、それに沿って描いていけばいいだけなのに。
ドクトル・ジバゴ
くだらんなー。ただ長いだけ。
単に一人の人物をありのままにトレースしただけで、
視聴者にどこを見てもらいたいのか、何を訴えたいのかがわからん。
よくよく見ると、単に二股をかけただけでの不器用な医師の二股物語。
どっちつかずの二股で、何も同情すべき点もないし、
その二股の葛藤もない。
単に両方が欲しいというだけの医師の二股恋愛を延々2時間以上みせらても、
そりゃ、つまらんよな。
時代に翻弄されたということもこの映画の描き方からではわからないし、
父親を破滅させた悪徳者に対する復讐でもなんでもない。
二股愛に葛藤した人間の愛の不条理を描いたものでもない。
ただ長いだけ、ただストーリーを追っただけの、
実にくだらん映画だ。
恥ずかしくないのかな、こんな映画つくって。
ペレ
題材はいいのにな。長ったらしくて脈絡がなくて、
ただただずっと並べているだけだからメリハリがなくって、台無し。
2時間30分近いんだけど1時間30分ぐらいにして、
時系列の展開に縛られず、シーンシーンのカットカットで、
象徴的なシーンをパシャパシャっと見せていくような構成の方が、
いいんじゃないのかな。
何がくずかって結局、逃げただけかよ!みたいな結末もさることながら、
すごくだらだらだらだらしてる。
それぞれが抱える問題とか人間の欲望とか矛盾とか、
そういうのをもっと短くコンパクトにさらっと見せて、
それを何枚を折り重ねていき全体像を浮き上がらせるみたいな、
そんな方がこの話は絶対にいい。
あと結末は変えた方がいいな。
結局、悪い環境から何の目的もないまま子供だけが逃げて、
「それで何の解決になるの?」みたいなことになってしまう。
そもそも悪い環境ながら主人公は評価が高く、
出世したのだから、体制側から労働者のために改革に立ち上がる、
それこそ前向きな、そしてお父さんとも一緒に過ごせる、
最良の道が広がっているにもかかわらず、
それをやめて、やみくもに飛び出したところで、
もっと人生、悪くなるだけでしょう。
同じ「逃げた」のでも、友達みたいに、
「公園でサーカスに出る」という目標があって、出て行くなら、
それは1つの成功になるわけだけど、
そういうこともないままただ逃げていくだけでは、
人生は開けないでしょう。
マイ・スイート・シェフィールド
ほんとひどいな。これが映画か。
バカじゃないのか。こんな恥ずかしい映画が商品になってしまうこの世のおかしみに絶望感を抱く。
時折いいシーンもあるんだけどね、無駄なシーン、視点のばらけ、構成の下手さなど、
いろんな要因が重なってどんどんどんどんレベルの低い映画にわざとしているように思うぐらい下手だ。
多分、一番いけないのは、あれもこれも詰め込もうとしている点。
もっともっと絞らなきゃ。
たかが1時間半。それほど多くのことはいえないわけですよ。
この映画で3つも4つもテーマをぶちこもうとするからいけない。
1つのテーマに絞って描くだけで、この映画はすごくよくなるはず。
一体誰が主人公なのか。
シェフィールドという寂れ行く町にいて、失業してしまってやばい仕事に手を出さなきゃいけない、
男たちが主人公なのか。
それともその中で妻と子供と別居状態にもかかわらず、
なぜか若い女の子に好かれてロマンスに浮かれる中年過ぎの男が主人公なのか。
それとも「自分探しの旅」に出て根無し草のように彷徨って、
いきあたりばったりで今回もこのろくでもない町のろくでもない連中をおもしろ半分で仕事を手伝いだしたんだけど、
ある一人の男に恋をしてしまったけど、結婚とか定住がいざ目の前に迫った時に、
うまく対応できず、結局は自爆自棄になって別れを選ばざるを得ない外国の女の子が主人公なのか。
それとも、中年男と同居してまるで息子のように慕われながら、
この女の登場で微妙な三角関係になってしまいながら、
そしていつかこのろくでもないへぼい町を出たいと旅願望のある若い男が主人公なのか。
どれか主人公という形で視点を絞ってこの映画を描けばうんとよくなる。
ところが実際の映画は上記のようなものを同時並行的にちょびちょび見せていくから、
どれも軽くて薄っぺらでぐっとこないまま終わってしまって、
結局何がいいたいの?ってなってしまう。
せっかくいいテーマがあるのだ。どれか軸を決めるだけでもぐんとよくなるだろう。
ロスト・イン・トランスレーション
見るに値しないですねー。
東京を舞台にした外国人の物語という設定は非常におもしろく、
日本人が見ると、外国から見た日本の変なところがわかって、
そういう部分がはじめは連発されていておもしろかったんだけど、
だんだんしょうもなくなってくる。
フライ・ダディ・フライ
ミスチルの「ランニングハイ」がテーマ曲になっているので借りてみたが、くず映画だった。
どうしてこんなくず映画をつくれるんだろう。
不思議で仕方がない。
絶対に見ないことをおすすめします。
ホテル・ハイビスカス
沖縄を舞台にした映画って、沖縄で撮れば、
中身はどうだっていいと思っているのだろうか。
確かに沖縄で撮影しているだけで、その独特の雰囲気というか、
独特の空気みたいなものが伝わってきて、
それだけで都会に住むものにとっては逃避感があっていいのだが、
この映画には中身がない。
一体、何をテーマにして、何を言いたいのだろう。
見ている人に何を訴えたいのだろう。
何を見てほしいのだろう。
いろんなものをまぜこんでいるわりに、すべてが中途半端で、
実に情けない映画。
・スターウォーズ・エピソード1
エピソード2上映を前にテレビで放送されたエピソード1。
まあCGがすごいだけで、世界観がなく、ストーリーに奥深さがない。
最終的には戦いになるんだけど、ジェダイとシスの戦いも、
戦略もくそもへったくれもない、ようはただのチャンバラに過ぎない。
もっと未来宇宙世界の世界観を出すこと。
単調なストーリーを奇抜なキャラクターでごまかしているだけに過ぎない。
なんだかCGですべてをごまかしているだけ、
きちんとしたSFファンタジー世界を構築した上で、
ストーリーのおもしろさがあってはじめて映画の基礎が成立する。
ハリーポッターと一緒の愚を犯している。
たとえば宮崎駿作品やディズニー作品のように、
その架空世界へ視聴者を入り込ませる仕掛けにかけている。
はりぼての架空舞台で繰り広げられても、きちんと作りこみをしてないと、
その世界に入っていけないよ。
また同種のものとしては、猿の惑星なんかの方がはるかによくできている。
このスターウォーズは、単なる幼稚なテレビゲームの戦闘ゲームと変わらない。
・帝国の逆襲 特別編
大量広告のエピソード2を記念し、テレビで放映。
あまりのつまらなさに30分で見るのをやめた。
そのおかげでK1が見れたからいいか。
できそこないの戦争映画。ウルトラマンレベルの幼稚な戦闘シーン。
宇宙戦争なら、我らが日本のガンダムの方が圧倒的におもしろい。
スターウォーズには失望した。
広告宣伝費に大金かけるような映画はほんとたいしたことない。
おもしろみのないストーリーで剣をふりまわすなら、よっぽども水戸黄門の方がおもしろい。
これだからアメリカ映画は見たくないんだ。
日本の低俗な中身のない音楽シーンと一緒で、毎回過剰な宣伝でマスコミが煽る映画作品は、
ほんと心に残らない、一瞬のトレンド的使い捨て文化の最たる例だ。
次から次へと変わる映画ランキング。
千と千尋のようなロングセラーなんてどこにもない。
みんな話題についていくために、見ているだけのこと。
こんな情けない映画で騒ぐ現代社会はどこか狂ってるな。
昨年見た「千と千尋の神隠し」をビデオに借りてきてみたけど、
やっぱりおもしろかったなあ。
おもしろい作品は何度見てもおもしろい。