映画論評・2つ星 かさこワールド

しぶいなあ
★★

「スパイダーマン」「ハリーポッターと秘密の部屋」「ロードオブザリング1」「グラディエーター」「フルモンティ」
「地雷を踏んでサヨウナラ」「メメント」「カジノ」「ラストエンペラー」「蝶の舌」「ウォーターボーイズ」「サウンドオブミュージック」
「戦場のピアニスト」「マイ・レフト・フット」「ピンポン」「郵便配達は2度ベルを鳴らす」「ナビィの恋」「HANA-BI」「北京ヴァイオリン」
「ロードオブザリング3(完結編)」「バクダットカフェ」「座頭市」「凶気の桜」「ハリーポッターとアスカバンの囚人」
「バトルロワイヤル1」「アマデウス」「僕は怖くない」
「存在の耐えられない軽さ」「裸足の1500マイル」「デリカテッセン」「萌の朱雀」「スパニッシュアパートメント」
「インファナルアフェア2」「茶の味」「ノーバディーズ・フール」「オテサーネク」「ハリーポッター4 炎のコブレット」
「亡国のイージス」「パパって何?」「みんなのいえ」「スウィング・ガールズ」「コーラス」「イルマーレ」「ミリオンズ」
「容疑者・室井慎次」「トンケの蒼い空」「麦の穂をゆらす風」「ユア・マイ・サンシャイン」「時をかける少女」「鉄コン筋クリート」

バトルロワイヤル
「中学生が殺し合う社会に衝撃を与えた」というたれこみだったが、
ただそれだけで、映画からは社会性やメッセージ性は感じられなかった。
ゲーム映画でただそれが本当に殺してしまうというだけで、
映画を見ていても、現代の子供たちの病理とか今の社会の状況とか、
そういうテーマはまったく読み取れない。
ただ誰が生き残るか、ゲームを見るように、一部引きこまれて見てしまう部分もあるけど。

よかった点を先にいっておこう。
・人を信じられない状況化での人間の行動を巧みに描く
よかったのは灯台で女子ばかりが集まっていて、みんなで生きようとするんだけど、
料理に毒を入れたせいで、みんなが疑心暗鬼に囚われ、
人が信じられなくなり、武器を取り、結局みんな殺し合ってしまうシーン。
これこそまさに「人が信じられない」そして「武器がすぐそばにある」状況下での、
人間の悲惨な行動を描いたシーンだなと思う。
こういうシーンが多ければこの映画は「ほんと」だなと思えるんだよね。

・先生(たけし)の苦悩
大人VS子供という構図ながら、大人(先生)も子供に見放され、悩んでいるというそういう姿を、
ビートたけしの独特なキャラクターと演技のおかげで見事に描いているところ。
あの役はビートたけしでなくては務まらなかっただろうな。

批判点
・中学生のわりにカップル行動が多い
クラス全員で無人島に放り出されて、殺し合いをするんだけど、
やたら目立つのがカップルでの行動。
中には殺し合いゲームができないので、2人で仲良く自殺してしまうカップルが2組いる。
主人公(藤原竜也)含め、カップル行動だ。
しかし、と思う。
高校生ならまだわかるんだけど、中学生ってまだそんなにカップルって少なくって、
基本は同性の友達同士グループでの行動が基本になるんじゃないかと思う。
それがはじめはすごく不自然で仕方がなかった。

逆にこの映画で同性グループで描かれているシーンはすごく中学生の設定としてよくわかる。
灯台に集まる女子グループと、ハッキングを試みる男性グループ。
この2つのグループ行動は非常に素直に見れる。不自然さがないからだ。

ついでに「殺し合い」という極限状態に置かれて急に「告白ゲーム」になってしまうのも解せない。
「本当はおまえが好きだった」みたいなシーンが多々出てくる。
まあわからないでもないんだけど、中学生でしょ。

・あっさり3人が生き残ってしまう
1人しか生き残ることができないというゲームの設定なんだけど、
最後、3人が生き残った時、そこで誰を殺すか、みんなで死ぬかみたいな苦悩こそが、
本当はこの映画としてのテーマではないかと思うんだけど、
前回の優勝者がいて、首輪の外し方をしっているので、
あっさり先生を欺き、3人生き残れてしまう。
でもそれだったら、はじめっから首輪外せばいいじゃんとか、
そもそもなぜ前回優勝者が参加したのかとか、なぜ彼が主人公カップルを助けたのか、
非常に設定が弱くてすんなりストーリーに移入できない。
中学生が殺し合うゲームという架空世界の設定なんだから、
その周囲の世界観をしっかり描かないと、簡単に首輪外してしまえたりしちゃうと、
「なんだ」という話になりかねない。

それだったら、男子グループがやったように、
大人を上回る頭脳で、首輪のシステムをハッキングし、
その間に爆弾突っ込んで大人達を殺して生き残るストーリーを軸にした方が、
すごく自然に見れるし、その方がよっぽどもおもしろいし納得がいく。

その他、とにかく不自然な点が多く、たんにセンセーショナルなキャッチコピー、
「中学生同士が殺し合う」というただそれだけの映画で、
そこから伝わってくるメッセージ性や社会性や、現代の子供が殺人を犯す状況とか、
だらしのない大人社会とか、そういうところにまでメスが入れられていない中途半端な映画になってしまっている。
これだったら「ぼくらの七日間戦争」の方がよっぽどもリアルが感じられ、
社会問題をえぐりしたセンセーショナルな映画だと思う。

見ない方がいいです「インファナルアフェア2」
インファナルアフェア1がとてもおもしろかったので、
すごく期待して見たんだけど、つまらない。
見ない方がいいです。

なぜか。
1より過去の話だから。
だから誰が死んで誰が生き残るか、
最後にどうなるか、みんなわかってしまう。
ストーリーが読めてしまったら、この手のアクション映画は、
なんもおもしろくない。
単なる1へ行くための説明なのだから。

結局1がおもしろくってヒットしたから、後付けで過去の話をつくって、
映画にして儲けようってそういうことでしょう。

3は1より未来の話らしいので見る価値はあるかもしれないけど、
結局、1が一番おもしろいってことになりかねなさそうだな。

つまらない2を見て、1で口直ししたい感じがした。
せっかく1がおもしろいのだから、その評価を下げるような、
意味のない続編は作ってほしくないな。

ハリーポッター3(アスカバンの囚人)
アメリカ帰国の翌日、朝から早速、ハリポタ3を見てきました。
「犠牲者」を増やさないためにもいち早く私自身がチェックしてくる、
なぜあんなつまらないものが大ヒットするのかその原因を探る、
もしかしたら今回あたりからおもしろくなるのではないか、
などなど、わざわざ「つまらない」ハリポタを見にいく理由はいろいろ考えられるわけで、
いやいや、かさこさんはわざわざ批判するために見にいくのではないかと、
もっともらしいうがった見方をする人もいるのですが、
前にも申したように、つまらん映画をお金をかけて批判するために見にいくほど無駄なことはないわけで、
本当の理由は、ただ単に妻がハリポタが好きだからに過ぎないわけです。

さてさてここからはネタバレ注意。
まず全体的な印象からすれば、ハリポタ1、ハリポタ2より各段に良くなった。
やっとストーリーがでてきたというかやっと構成ができてきたというか。
そういう意味では1や2よりはるかにましな映画であることには間違いないです。
今回は眠ってしまいたくなるような、無駄なシーンがなかった。

ただ決定的に「ダメ」だったことがある。
ストーリーがどんどん進行していって、今回はなかなかいいじゃないかと、
終わりに差しかかった頃、とんでもない「裏切り」をする。
これまで進んできたストーリーの結末を変えるために、
時間を遡って、過去を変えてしまうというとんでもない「魔法」を使うのだ。

あのね、そんなことできちゃうんだったら、
なんでもかんでもそうできちゃうでしょう。
第一、13歳の少女魔法使い見習が、時間を遡れるという、
とんでもない代物(魔法というか道具)を持って、勝手にあやつりまくっているというのは、
せっかく作り上げてきたこのファンタジー世界全体の秩序を、
根底から覆してしまいかねないものだ。
それこそそんなすごい道具があるなら、
それをめぐってさまざまな争いが繰り広げられる1つの映画になりうるだろう。
過去に勝手に行って、過去を変えてしまうんだから。

これがほんと興醒めだった。
というかこのハリポタシリーズ全体にいえることだけど、
魔法使いを扱ったファンタジーにもかかわらず、この辺の秩序が無茶苦茶なんだよね。
架空の世界だからこそ、その辺のルールをきちんと作りこまないと、
「なんだ、なんでもありの、都合のいい、嘘ものじゃん!」と思われてしまう。

あと今回、ストーリーが非常に複雑になった。
単なる善と悪の戦いではなくなった。
その辺が評価できる点なのだが、原作をかなりはしょってでも2時間30分もの長さで、
その複雑なストーリーをきちんと現しきれていない。
私は途中、わけがわからなくなった。
これを子供が見てわかるのかな?と子供向けのハリポタを見て思った。

実際、小さな子供連れのお客さんがかなり来ていた。
ハリポタ1や2なら完全に小さな子供向けで、その路線で突っ走るなら、
大人が見て楽しめなくてもそれでいいわけだけど、
今回は小さな子供にはちょっとしんどいと思う。
大人ですら、はしょり過ぎたストーリーのせいで、一瞬、話がわからなくなるのだから。

ハリポタをつけねらう囚人が脱獄したという話なんだけど、
いざその囚人との対面シーンになると、
なんとまあその囚人が敵ではなく味方になってしまったり、
いかにもその敵を手引きしている、うさんくささをぷんぷんさせている、
今回新たに登場する先生も悪者かと思いきややっぱりいい人のままだったり、
でもそいつが、その偉大なる魔法使い先生が、狼男になっちゃって、
我を忘れて味方をも攻撃するんだけど、
なぜそんな偉大な魔法使いが、満月になる日もわからず、
狼男にならないような薬を飲むのを今日に限って忘れるのかと、
その辺の設定の強引さが非常に興醒めしてしまう。

さらにハリポタを助けるために、いかにも嫌味ったらしい敵役っぽいんだけど、
実はいい人だったという先生(これは前作で使ったから、これをもう1回やられると、
ネタバレになるので見ていて結末が読めてしまいおもしろくない)が、
助けようとしたのにハリポタに攻撃されてしまったり、
さらにはそこにストーリーとはまったく関係ないと思われた「ネズミ」が正体を現し、
すべてはこいつが悪かったみたいなことになって、なんだなんだと思うんだけど、
彼はよわっちいにもかかわらず逃してしまう。

もうほんとストーリーの描ききれてなさこの上ない。
そこに強引なありえない設定を使うからファンタジー世界が、
単なるうそつき世界になってしまう。

というわけで、今回は子供も厳しい。
妻の話によると原作を相当はしょっているらしいので、
だから余計話がわけわからなくなっている。
もうちょっと原作のストーリーをうまく描き出すことを心掛ければ、
まあ見れなくもない映画だけど、
この作品に通底する、無茶苦茶な設定が多すぎることは何ら変わりないわけで、
やはりこの映画を見る意味が見出せなかった。

なんでこんな映画がはやるんだろうか。
流行っているものを見なきゃという脅迫観念からか?!
それとも本当にしっかり作りこんだファンタジー世界ではなく、
お気軽な現実逃避のニセモノファンタジー世界のお話が、
意味性に満ち溢れてしまい、ほんとどうようもない現実社会からの、
手っ取り早い「癒し」として、機能しているからなのだろうか。
私にはわからない。

・麦の穂をゆらす風
これが2006年カンヌのパルムドール賞か。
パッケージの裏に井筒監督の絶賛評もあったので借りてきたが、
正直、がっかりした。
テーマはいいのに描き方が最低だ。

<ここからネタバレ注意>
はっきりいって後半30分でこの映画はこと足りる。
英国軍VSアイルランドから、
英国との条約批准で今度は、
アイルランド人同士で、
条約批准賛成VS反対派の争いになり、
まるっきり英国軍がやっていたひどいことを、
今度は条約批准賛成派がやるという話は、
後半30分に凝縮されている。

それまでの1時間30分はもっと端的にまとめないと、
立場が変われば歴史は繰り返し、
人は同じ過ちを繰り返すという、
非常に重要なメッセージがぼやけてしまう。
前半があまりに長いため、
単に英国軍がアイルランドにひどいことをしましたよ、
映画なのかと勘違いしてしまう。
もったいない。
同じテーマでもっと優秀な監督が描いたら、
この作品、見違えるようによくなるだろう。

それとひどい拷問シーンで暗さを煽っているわりに、
英国軍を殺してしまう時のあっけなさとか、
なんかこう、争いの悲惨さを訴えているわりに、
どこかで英国軍を殺すのは善で、
英国軍の拷問は悪みたいな、
そういう一元的テーマが通底しているようで、
真の争いごとはやめよう映画になっていないような気がする。

ハリーポッター4 炎のコブレット
なんか前3作とはまったく別の映画になってしまった。いい意味で。
というのもこれまでは子供を主人公にしたメルヘン映画だったわけだけど、
子役がみんな急成長してしまい、「子供」といえないぐらい大人びた変貌を遂げてしまったので、
まったく違う映画を見ているような、そんな感じだ。
なので私は新鮮に見れたが、こうなってくるとターゲットが難しくなるんじゃないかな。
これまでだったら小さな子供対象だったけど、
もうそういう映画でもないような感じになってしまったから。

子役の成長のせいか、この作品に慣れてきたせいか、
それほどおかしなストーリーや矛盾はまだまだ満載だが、あまり気にならなくなった。
相変わらず、原作をかなりはしょってしまっているせいか、
そのはしょりかたが下手なせいか、つぎはぎ作品みたいになっているし、
唐突に恋愛テーマが出てきたりして見ていてとまどってしまうのだが、
多分、この作品を、キャストを変えて映画監督も変えて、
うまく構成しなおせば、それなりにおもしろい映画になる可能性は秘めていると思う。

ただもうブームは去ってしまったのか、映画館は結構空いていた。

・ハリーポッター・秘密の部屋
<1>
11/23(土)ハリーポッター第2弾スタートということで、早速見てきましたよ。
ハリポタ第1弾をつぶやきで常時けちょんけちょんに排撃していた僕ですが、
まあ第1弾をあれだけ批判する以上、第2弾も実際に見なければ批判はできないなということで、
公開初日に映画館に行くという、まるでハリポタ好きみたいなマネしてきました(笑)。

結論からいうとまたたいしたことはなかったんだけど、ただ1点だけ、実にいい一言があって、
この一言聞けたなら、それまでどんなにつまらなくても映画をわざわざ見に来た甲斐があったなと
思えるものがあった。

「自分が何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分が何を選択するかにかかっている」

いやあこの一言を物語の最後の方に聞いて、いいじゃないですか!って思いました。
これは実に示唆に富んだいい言葉ですよ。

どういうことかというと、ある人間の人生にせよ生き方にせよ、
あるいはアイディンティティといってもいいかもしれないが、そういったことは決して能力で決まるんじゃない。
その人が自分の意志で何を選ぶかで人生が、生き方が変ってくるということを言っている。
この言葉は今の荒廃した社会への一筋のヒントとなりえるわけです。

たとえば一番わかりやすい例でいえば職業選択。
もし自分の人生を「幸せ」に送りたいなら、
「何ができるか」ではなく「何をしたいか」で選べってことでしょう。

つまり自分の能力だとか資格だとか専門だとか学科とかで選ぶんじゃない。
自分がしたいものありきで選択すれば、能力なんてあとからついてくる。
そういうことですよ。

それは僕が大好きな言葉、「才能とは持続する情熱である」ということと同じ。
能力の前に意志ありき。能力ありきで人生を生きるんじゃなく、
自分の意志があってそこで何をしたいかで選択する。そういう言葉なんですよ。
これはつまらんハリポタといえど、実にいいこといいましたよ。

この言葉がこの映画でどういうやりとりの中で出てきたかというと、主人公のハリポタ君には悩みがあって、
自分はグリフィンドール(仲良し善グループ)ではなく、
ス〜(能力はあるが冷たく権力志向の強い悪グループ)の人間なんじゃないかと思っていた。
でも彼はス〜ではなくグリフィンドールのクラスになった。

「なぜだと思う?」と校長が聞く。
「自分がス〜に入りたくない。グリフィンドールに入りたいっていったから」
「その通り。君が君の意志で選んだのだよ。
自分が何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分が何を選択するかにかかっている」
という位置付けで出てきた言葉なのだ。

つまり圧倒的な能力を持つハリポタ君だが、その力を悪に使った悪者とは違って、
自分の意志で選んだところに君の価値があるってこと。これは非常に大切なこと。
たとえば偉大な発明をした科学者や絶大な能力を持つ医師が、
自分の意志ではなく能力ありきで仕事をするならば、
その能力を悪(儲け)に使うことを優先する危険性が出てくる。
爆弾を発明した人のせいで大量に人殺しが行われるようになってしまったということではなく、
その発明した能力を高く買ってくれる悪者に手渡すか、
善用する方法を考えるかは、その人の意志次第で変ってくる。 ようはそういうことなんですね。

<2>
面接にいって2時間説教したばばあが、
中央大学法学部政治学科→消費者金融アイフル→編集プロダクションという経歴を見てこう言った。
「なんでアイフル辞めたの?」
「別のことをしたくなったから」
「なんで」
「う〜ん、サラ金には夢がないからですかね・・・」

「サラ金にだって夢はあるよ!あなたは300mの山に登ってそれですぐにそれであきらめちゃう。
確かに営業成績は良かった。でもそれでサラ金の山は終わりじゃない。
300mの山を登れば次に1000mの山があって、それを登れば3000mの山があって、いくらでも夢はあるんですよ。
サラ金に夢がない?バカなこと言わないでくださいよ。サラ金にだって夢はいくらでもあるよ。
部長なら部長の、取締役なら取締役のサラ金の夢ってあると思うよ。
もっといろんな人に抵抗なく安い金利で借りてもらえるようなシステムを作るとか、それで十分立派な夢じゃないですか。

サラ金だって役に立ってるんだよ。アイフルでお金を貸してくれたおかげで助かっている人だっているんだよ。
それをつまらない、夢がないから辞めたって、ようはすぐにあきらめただけじゃないの。
あなたはそうやって300mだけ山を登ってはすぐ別の山を追い求めて、
でもまたすぐに別の山を探して、いつまでたっても3000mとか4000mの高い山に登れない人ですよ」

確かに彼女の言葉には一理あるかもしれないが、僕は2つの点であきらかに納得がいかなかった。
よっぽど言い返そうかと思ったが、あまりにバカらしくなって辞めた。
もう50歳過ぎでそういう信念でずっとやってきた、ちょっとヒステリックばばあに何を言っても無駄だろうという思いと、
もう自分の中でこの会社になんか頼まれたっていくもんかと思っているのに、
すでに面接はじまってから1時間半以上が過ぎていて、外が真っ暗になっていたからだ。

まず1つ。
それは今回のハリポタのこの言葉、
「自分が何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分が何を選択するかにかかっている」ということ。
つまり確かにばばあの言う通り、僕はアイフルに残って、サラ金のもっともっと大きな夢を
追い求めていくという人生の選択もあったのかもしれない。
でも僕はそれをしなかったのは、まさしく、
自分がアイフルでそういったことをしていく能力があるかもしれないなんてことは全く関係なく、
そんなことより別に力を注ぎたいもの、今の時点では経験がないから能力はないかもしれないが、
僕はアイフルという道ではなく編集という道を行きたかったから選択をしたのだ。
営業マンとして300mの山を登ったならその山で究めろということなのかもしれないが、
僕は僕が今自分ができる能力だけで人生の選択をしていないからこそ、
未経験で能力が今の時点ではないかもしれない、いわば遠回りの別の道を選んだのだ。

そしてもう1点は、ハリポタの話とはずれてしまうが、
「サラ金に夢がある」なんて実態を知らない人間の遠吠えに過ぎないなってこと。
もっと低利で借りやすくする?それがサラ金の夢?笑わせるな。サラ金は百害あって一利なし。
こんなもの使うべきものじゃない。でもだらしのない人間がいるから絶対になくならない商売なだけであって、
もし僕がサラ金の夢を語るなら、来たお客さんに説教して借金しないようにいいますよ。
つまりサラ金がない社会にするためにサラ金に来たお客さんを使わないよう教育することですよ。


「サラ金っていうのは一時的な麻酔でしかない。
今借りれば楽になるかもしれないがあとで大変なことになる。
だから一切合切借金なんて辞めなさい。
サラ金から借りるぐらいお金がないならさっさと破産宣告して人生やり直しなさい」と。
もっと低利でサラ金を借りやすくするのは、
自分の「夢」じゃなくて会社の「儲け」と国民の堕落に手を貸しているだけですよ。
だいたい自分が絶対に利用したくない商品を売っているなんてやっぱりおかしいんですよ。


<3>
ハリポタの話に戻そう。
そんなわけでこの一言があったおかげで、僕は今回そんな損したなあという気持ちにはならなかったが、
まあはっきりいって相変わらずつまらないですよ。

1:これは幼稚園から小学生向きである。
これは大人が見てもあまりおもしろいものではない。
幼稚園・小学生だったら子供騙しの魔法使い世界みたいなことで夢を与えられるかもしれない。
はっきりいって大人を対象としている内容ではないということ。
だから僕、思うんだけど、これマンガにしちゃった方がいいんじゃないかって思う。
それで完全に子供向け映画として大々的に売り出す。
その方がはるかにいいものになると思いますよ。

2:ストーリー性・テーマ性があまりに弱い

原作のいいところシーンのつぎはぎなのか、
今回はどんな話をしたいのか、どんな謎があってどんな展開をしていくのか、
そういったストーリー性・テーマ性を強く押し出していないがために、
一体いつ物語がはじまったのかがわからない。
ただおもしろ不思議魔法使い生活みたいなものがだらだら流れて、なんのこっちゃって感じ。

せっかく今回はラストシーンで、
「自分が何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分が何を選択するかにかかっている」
という素晴らしいメッセージがあるわけです。

これ一言を中心に、この一言に辿り着かせるための映画ストーリー作りってできたはずなんです。
もっと主人公の心の葛藤を描き、そこに焦点をあててストーリー展開していって、最後にその一言があると、
「ああ、人間は能力の前に自分の意志が大事なんだ。何ができるかではなく何をしたいかが重要なんだ」
って大人にも訴えられるメッセージになるわけです。
しかし残念ながらそういうストーリーにはなっていない。

またこの一言を中心にしなくても、
今回の物語でいえば、純血の魔法使いが人間(マグル)の血がまじった魔法使いを
排除するということを強烈にアピールしていくストーリー展開もできたはず。

そうすれば純血主義VS人間との混血主義争いみたいなことで、
今の現代社会への一つの大人へのメッセージとして成り立つわけじゃないですか。
第1弾と違ってせっかくいいテーマがあるのだから、
そのテーマに沿った映画作りをすれば、かなり人の心に訴える作品になりますよ。

3:所詮怪物との闘いという善VS悪のウルトラマン話に過ぎない。
せっかく魔法使いの世界というファンタジー性を売りにしているのだから、
もっと謎解きに深みがあってもいいと思うんです。
でも結局はその部分はあまり強調されず、終わってみれば学校に棲む怪物を
ハリー君たちがやっつけた!っていうウルトラマンヒーローの話でしかない。
それだったらもう完全な子供向きにすべきなんですよ。
複雑な謎解きがあって最後に怪物との闘いがあるなら大人も楽しめるけど、
たいした謎解きではなく怪物と闘って勝ちました。よくやりました。ではあまりに幼稚過ぎる。
というか原作は映画と違って大人を対象としてないんじゃないか?

4:子供俳優の年齢の中途半端さ
第1弾で唯一よかったのはハリー君以外の準主人公ともいえる男女2人の友達のあいくるしいキャラクター。
どんなに話がつまらなくても子供の表情がかわいければそれでいいってことはあるんだけど、
中学生ぐらいなのか、第1弾に撮った時より身体的発育をしてしまって、
徐々にそのあいくるしいキャラクターが影をひそめてしまっているんです。

準主人公ともいえる男の子は、とぼけた顔は変っていないものの、
声変わりの途中なのか、前回より明らかに渋く低い声になってしまって、せっかくの愛嬌さが台無し。
準主人公ともいえる女の子の方は、大人の女性へと変る節目のせいか、
子供らしいかわいらしさも影を潜め、大人っぽい美しさもまだまだで、
非常に中途半端なキャラクターになってしまっている。

このことからも僕はマンガにした方がいいんじゃないかと思うわけだし、
どうせならもっと小さい子が怪物たちに立ち向かうなんて方が、はるかに良かったのになあ。
ようは彼ら、多分一番生意気な時期にさしかかってしまっていて、
ファンタジー世界に登場する子供の愛くるしさがなくなってきてしまっているというのが
この映画の最大のミスといえる。

結論
そんなわけでもし見ようか迷っている人がいるなら明らかに見送りだろう。
逆に小さな子供を連れて見にいくならまあ見てもいい映画ではないか。

特記事項
※このハリポタの映画がはじまる前に「ロードオブザリング」第2弾の予告があるんだけど、
大人は絶対こっちを見るべきだな。
「ロードオブザリング」について第1弾はわざわざ映画で見るべき代物ではないとつぶやきで書いたが、
映画制作会社もそれをわかっているようで、予告ではっきりと、
「第1弾は序章に過ぎない!」といっている。
そりゃそうだよ、ほんとやっと旅がはじまってこれからってところで終わっちゃうんだから。
その点、第2弾はやっと物語がはじまるようで、予告を見ただけでも実におもしろそうだった。

※ハリポタ第2弾は、多分製作者側が第1弾のつまらなかった客の噂が立たぬようにとの配慮なのか、
やけにテレビ紹介などもで予告映像を流し過ぎる傾向がある。
これはつまらないの裏返し表現であり、
本当におもしろかったらあんなに必死になって映画のシーンを公開前からばんばん出さないと思うんですよ。
公開初日の朝やっていた王様のブランチなんか、ほんとここまで紹介しちゃっていいのかって感じで、
やたらいいシーンを強調するあたり、相当第2弾の客足に危機感を持っている状況がありありとうかがえる。
ま、それはロードオブザリングも同じなんだけどね。


・ロードオブザリング 王の帰還
<1>
「ロードオブザリング」完結編を、早速、映画館で見にいってきました。
見るか見ないか迷っている人、前作でこけてもう見たくはないが、結末を知りたい人など、
ご参考にください。※一部ネタバレになりますので、ネタバレがいやな方はご注意ください。

まずは結論から。
前々作の「1」より前作の「2」より、完結編なので、まあ見てもそれほど失望はしないと思います。
「1」や「2」は3時間以上見せられた挙句、まだ物語の途中・・・では、
ほんとうんざりする部分もありますが、今回その心配はない。
物語にかたがつくので、その意味では安心して見にいけます。

「1」「2」は家でビデオで見たのですが、はじめて今回映画館で見て思った。
「この映画はもし見るなら映画館で見た方が絶対いい」と。
今回特に戦闘シーンが多く、それを映画館の大画面で見るとものすごい迫力なんです。
この「ものすごい迫力」のおかげで、「そりゃないだろう」と思う、
ストーリー上の気になる点が誤魔化されるんですね。
家でビデオなんかで見てしまうと冷静に見れてしまうから、
ストーリーだけ追ってくと、「なんだよ」と思うかもしれない。
大画面の迫力だけですごいと思えるので見るなら映画館の方がいい映画です。

ですので、「1」「2」を見てその後、どうなってしまうんだろう?と気になっている方は、
ビデオで見るより映画館で見た方がいいでしょう。
「1」「2」を見て、結末は気になるけど、どうしても見たいというほどでもないのであれば、
映画を見る必要もなく、ビデオも借りる必要はなく、
このつぶやきで結論だけ聞いてしまうのがお金と時間の無駄(なんたって3時間半!)を防げるでしょう。

さてさて、ここからネタバレ注意。
完結編ゆえに「結論が知りたい」という人も多いと思いますが、まあはっきりいってたいした結論じゃない。
見終わって思ったんですね。考えてみればこの物語はすべて「こうなるだろう」と思ったところに落ちついたと。

まず指輪ですが、いろいろあったにせよ、滅びの山に投げ捨て、指輪は消滅。
中つ国に平和が戻るわけです。
まあこれはこれ以外の結末はあり得ないでしょう。
それから主要メンバーは誰も死なない。
1人ぐらい死なせた方がもしかしたら盛り上がったのかもしれないのだが、
そういう危機的な場面も皆無に等しく、予想通りというか、「旅の仲間」はハッピーエンドで終わる。

それから本当の主役はホビットのフロドではなく、人間のアラゴルンではないかと思うわけですが、
見事に彼は戦闘を指揮し、戦いに勝ち、王様になる。そんでもって念願のエルフ君との結婚も果たす。
これも見事に予想通り。

とまあいう風にみんな予想通りの結末に収束していくので安心感はあるが、
驚きやびっくりするようなことは3時間半、3作合わせたら10時間以上にもなるこの物語を見ても、
まあ起こらないという意味では、ちょっと物足りなさがあるかなという気がしないでもない。
原典の本で読めば、10巻も読んでみんな収まるべきところに収まったという感慨はあると思うんだけど、
映像で10時間以上見せられて、みんな予定調和というのは、本のような感慨を覚えることは難しいだろうな。

ただこれは映画を見終えてふと振り返って思ったことで、
映画を見ている最中はやはり予定調和にいくことを願っているので、
これはこれでそれしか結末の仕方はなかっただろうと思う。

<2>
つまらなかった点はいっぱいあるのだが、それをピックアップする前に、
考えさせられた点、おもしろかった点についてはじめに紹介しよう。

・戦いの愚かさ
圧倒的な戦力を誇るサウロン軍に立ち向かう人間の悲壮な姿を見てふと思う。
なぜ戦争や殺し合いをしなくてはならないんだろうかと。
幸いにしてこの物語は人間同士の戦いではなく、
醜いオークや明らかに「悪」の軍と人間が戦っているので、人間同士が殺し合う戦いの愚かさとは違うわけだが、
戦いがあることによって人が死ぬことには変わらないわけで、
戦いがない時代というのはないのだろうかと、負け戦に臨む悲壮な人間の姿を見て思った。
戦いは美談じゃない。虫けらのように、あっけなく人が殺されていくことなんだと、この映画の戦闘シーンを見ながら思った。

ただしこれは私の想像力による思いであって、別にこの映画は、
そういうことを訴えて作られている節はほとんどない。

・戦いへの狂気
一番おもしろかったのは、セオデン王の娘の戦いぶりだった。
(はっきりいって「1」「2」を見た人でも私もそうだが、固有名詞をあげても、
誰が誰だかわからないだろうが、説明するため使わせてもらう)
愛するアラゴルンのそばにいたい一心から、父であるセオデン王の命令にさからい、男装して戦いに参加。
すさまじい戦闘シーンを目の前に、身震いするわけだが、
セオデン王が兵を鼓舞するために「死ね!(Dead!)」と叫ぶわけだが、
王の娘もそれに連れられたホビットの1人も「Dead!」と叫んで、戦いや死を恐れる自分を鼓舞し、
無謀な戦いへと駆り立てたれていく。
その姿を見た時、人間の戦いへの狂気の一端を見たような気がした。
「天皇万歳!」だとか「祖国のために!」とかなんでもいいけど、
そういう合言葉を使うことによって、人間の冷静な判断は自分自身をも狂わせ、
狂気の沙汰へと突っ込ませてしまうんだなと。

その王の娘が大活躍する。
とどめをさされそうになっていた王を助け、敵兵では最も強い輩を見事に倒す。
愛する人のために戦争に参加し、愛する父のために身を投げ打って戦いを挑む姿はすばらしかった。
あんなすばらしい女性をアラゴルンはふってしまいエルフとくっついてしまうのは、ちょっと残念だったな。
今回の映画で最も光っていたのは、この王の娘だったのだから。

さてさて、この映画で「おいおい、それはないだろう」という主なトピックをあげておこう。
・戦いを決した「死人兵」の出現
今回、人間軍VSサウロン軍で、圧倒的劣勢にたたされた人間軍が勝利するのは、
なんと亡霊の死人兵の出現によるものだ。
アラゴルンが亡霊の山に入って、彼らを仲間にし、
もう人間軍が絶対絶命で負け寸前というところで、
無数の亡霊死人兵をつれてきて、その死人兵が圧倒的な強さを誇るサウロン軍を瞬く間に蹴散らしてしまう。

おいおい、これはちょっとひどいですよ。
人間の勇気もくそもない。今までのサウロン軍の強さはどうしたことか。
斬っても死なない不死身の死人兵(しかも生きている時は悪い奴だったらしい)が、
戦いを決してしまう秘密兵器なんて、ちょっとどうかしている。
確か「2」でも圧倒的劣勢にたたされていた人間軍を「これで救えるのかよ」と思う援軍で、
戦いを決したのだが、重要な戦いを決する要因のあまりの情けなさに、
「じゃあこれまでの必死の戦いはなんだったのか」と興ざめしてしまう。

・結局はガンダルフが強い
圧倒的劣勢にたたされても人間が勇気を振り絞って戦えば希望の道が開けるのだというのが、
1つのこのテーマだとは思うんだけど、
戦いで目立つのは「人間の勇気」ではなく、魔法使いガンダルフの圧倒的なパワーだ。
人間の国ゴンドールの悪執政を倒してしまい、ガンダルフが戦いの指揮をとったり、杖の光で敵を蹴散らしたり、
だったらはじめっからガンダルフがサウロン軍と戦えばいいんじゃないかと、思わざるを得ない部分が多すぎる。

今回は特に、ガンダルフと対抗していた魔法使いは出てこないので、
ガンダルフのパワーは誰よりもズバ抜けていて、
彼がそれこそフロドを守護し、滅びの山まで連れていって指輪を捨てさせれば、
いともかんたんにこの物語は終わるのではないかと思う。
こういう圧倒的パワーを持った存在がいると、かえって物語の秩序を乱しかねない。
というか、ガンダルフが主人公になれば?と思わざるを得ない。

・主人公のフロドの旅があまりに情けない
人間軍VSサウロン軍という壮大なスケールの戦いが展開されている中で、
ゴラムに連れられたフロドとサムの旅も随所に出てくるわけだが、これが実に情けない。
初歩的なトリックにひっかかり、クモという情けない敵に負けてしまい、
予定調和通り、ことごとくサムが主人公を助ける。

原作はともかく、映画にした時のことを考えると、
この指輪の話はもしかしたらいらなかったんじゃないかと思えるぐらい、
アラゴルンやエルフやガンダルフとサウロン軍のすさまじい戦いに比べて、
主人公フロドの旅は、ハリーポッターの戦闘シーン並に幼稚に過ぎる。
映画化するのだから、ちょっとその辺を考えた方がいいな。

・ラストシーンが長すぎる
最後、指輪を捨てて無事戦いが終わるのだが、
原作に忠実にとの配慮なのか、「もうここで終わらせてもいいのに」と思うラストシーンが、
何度も延々と続き、せっかくの一大盛り上がりがどんどん興ざめしていくという、
実に情けないラストになっている。

延々続くラストシーン
・指輪を葬ったフロドとサムが鷲に助けられる・・・これで終わりかと思いきや、
・アラゴルンが旅の仲間の前で王様になる・・・これで終わりかと思いきや、
・エルフが出てきてアラゴルンと再会を果たし、キスをする・・・これで終わりかと思いきや、
・今回活躍したホビット4人に、アラゴルン含めみんなが平伏する・・・これで終わりかと思いきや、
・ホビット庄に戻り、サムが念願の結婚する・・・これで終わりかと思いきや、
・フロドが単調な生活に戻り、やることもなく、この指輪物語を書き終えたというシーン・・・これで終わりかと思いきや、
・人間の時代になり、エルフ、ガンダルフ、そしてフロドが旅立つ・・・これで終わりかと思いきや、
・ホビット庄のサムが家族と暮らすシーン
これでやっと終わりになる。

ついに指輪を葬ったと、映画館に閉じ込められて3時間、
もうこれで終わったなと思い、観客はさすがに疲れてきていて、
そろそろトイレにもいきたいと思い始めてから30分間、
どこで立ち上がっていいものやらと思うシーンが上記のように延々繰り返されるわけだ。

家でビデオで見ているなら、一時停止してトイレにもいけるが、映画館ではそういうわけにはいかない。
指輪が葬り去られるまでの3時間なら集中できるが、
その後の単調なラストシーンの連続30分はトイレにいけない映画館では拷問に近い。

・総論
この「トイレに行けない」という人間の生理現象まで無視した映画化を考えても、
しかもその3時間半が3作という長さはやはり根本的に、
10巻以上にも及ぶファンタジー物語の古典的原典ともいうべき「指輪物語」を、
映画化しようとしたところにそもそもの失敗があったというべきだろう。
せめて原作とは関係なく、映画化ように脚本を完全に書きなおすなど、
映画で見ておもしろいように再編成しなおさないと、
この中途半端な原作からの映画化ではどうしようもないと思う。

そんなわけで、ハリーポッターと並んで、ファンタジー映画ブームを巻き起こした、
ロードオブザリングだが、やっと完結したということでほっとしている。
完結編は映画館の迫力と完結したということで、映画館を見終えた時には、
★★★評価でもいいかなと思うぐらい、別に損したような気もしなかったが、
これから見る人のことを考えたり、「1」「2」の拷問のような長時間のプロローグを見なければ、
この「完結編」だけ見てもわからないことを考えると、残念ながら★★評価が妥当かと思う。

長い長い旅が終わりロードオブザリングの旅の仲間たちは解散したというテロップが流れるが、
これにつきあわされた観客の長い長い旅もほんとこれでやっと終わった。

そしてもぬけの殻となってしまった情けない主人公フロドのように、
観客もまたこの長さを追えて、何もする気がない無気力・脱力感に襲われるという意味では、
非常に皮肉のきいた映画だな。
みんな主人公フロドのようになれるよ!
指輪の呪縛から解き放たれたものの、その傷は癒えず、日常生活に戻りにくいという意味では。

・戦場のピアニスト
昨年かな、ものすごい話題になった「戦場のピアニスト」。
レンタルが開始されたので早速見てみた。
悪くはないし、言いたいことはわかるし、この作品の存在意義は非常に大きいと思う。
映画の作り方としては2つ★だが、存在意義としては五つ★だろう。

ナチスドイツによるポーランドにおけるユダヤ人大虐殺。
その実態があまりに鮮明に描かれている。
主人公となっているピアニストの実話であること、
また監督自身が幼少期にこのような状況下で生き抜いた思いから、
この時代を忘れてはならない、この過ちを繰り返さないためにも記録として残しておく必要があるという意味で、
この映画の存在自体は大変素晴らしいものだし、だからこそ絶賛されたのだと思う。

そういった意味で考えさせられることは非常に多い。
ここ最近、非常にきなくさい世界情勢になってきた。
ナチスという絶対悪があればわかりやすいのかもしれないが、
今の時代、単にテロリストが悪いとかフセインが悪いとか言いきれないところが恐い。
それは今のイラクの状況を見ればよくわかる。

国や政治のせいで、ここまで国民がズタズタにされてしまう、恐るべき映画の内容。
それはもう遠い過去の話だと思うにはまだ早いのではないか。
一歩間違えると、今の時代だって似たようなことがおきないとも限らない。

この映画から考えるに、きなくささを感じ取った時点で、
いち早く手を打たないと、抑圧はエスカレートしてもうどうにもならなくなってしまうんだなということ。
そういう意味で、アメリカ・ブッシュの横暴とか日本の政治家の横暴とか、
国民が手の打てる段階でなんとかしないと、
いつのまにか自分たちの抵抗力を奪われていうなりなんてことになりかねない。
ほんと考えさせられる映画だ。

しかし映画の作り方としてはちょっとどうだろう。
2時間半の単調さ。実話だから仕方がないのだろうが、ピアノ・ピアニストという唐突さ。
徹底したドキュメンタリーフィルムなら、それに徹して、
もっとコンパクトにもっと記録的な映画作りでもよかったのではないか。

もちろんそういう映画ではなく、なんとなく大衆が見られるように手を入れたからこそ、
いろいろな人が簡単に見るようになったかもしれないんだけど、
どうせ変な娯楽映画とは違う、戦争の悲劇、人間の過ちを考える映画なのだから、
そこに徹底した映画の進め方をすべきなんじゃないかなと思う。
2時間半も延々似たようなシーンの繰り返しをしなくても、十分わかるんだし。

もっと簡潔にして、この映画を見て考えさせられる時間が欲しい。
ちょっと長すぎて、かつ単調で、十分伝えたいことはわかるし、重要なテーマなんだけど、
もっとコンパクトにしてくれないかなと飽きがきてしまう。

でもこういうきなくさい世界情勢の時代だからこそ、この映画を見る価値はある。
9.11から2年。今頃アメリカがやっと9/11になっただろう。
もう一度、こういった「戦争映画」を見て、政治のあり方を考えるべきなんじゃないかなと思う。

※昨年、中国東北地方に行った時、ハルピンで見た731部隊址はすごかったな。
そういった「負の遺産」を生で見てくることも、旅行として意義は非常に大きいように思う。
ぜひ機会があればポーランドにいってアウシュビッツを見てきたいなと思った。

座頭市 北野武監督
勧善懲悪の単なる時代劇。
テレビの水戸黄門の方がはるかにおもしろい。
確かに映像はきれいだけど、テレビで何度となく数ある時代劇を見慣れている日本人が、
いまさら見る作品でもあるまい。
映画紹介ではやたらタップシーンが出てくるけど、
基本的にラストシーンにしか出てこない。

盲目の主人公が、実は目が見えるという最後のどんでんがえしは驚きで、
ような目が見える見えないということにかかわらず、
人の心を見ることは目が見えてたって見えない人もいるし、
目が見えなくても見えるものもあるみたいな、そういう教訓をもろに出して終わるんだけど、
ちょっと駄目押しくさいよな。

これまでの武映画から考えると、フツーの映画で、
というか正月とかの特番でテレビで2時間スペシャル程度で放送するぐらいのもの。
ストーリーも複雑じゃないし。

海外には古き良き不思議な世界のジャポニズムみたいな、
そういうものをやたら賛美する傾向が、彼らは知らないだけにあるんだろうけど、
日本人からしたらたいした話じゃない。

フルモンティ
悪くはない、けどあんまりおもしろくはない。
くだらんアメリカ映画みたいに、バカみたいに映像や特撮に金をかけ、著名な俳優ばかり集めて、
金にまみれて中身のない巨人軍みたいな作り方をする、アメリカ映画なんかと違って、
この映画はイギリス映画のせいか、そういう嫌味的なところはなく、
舞台となっているのも日常の1シーンで親近感はもてるわけです。

ただ映画レベルかというとどうなのかな。
金を払って見る映画ではなく、テレビをつけたらやってたちょっとおもしろいテレビ番組。
それでいいのではないか。

しかし僕はこの映画、最初の20秒で爆笑した。
はじめ鉄鋼産業で未来輝く街が古いフィルムで紹介されるんだけど、
25年後という字幕のあとにさびれた鉄鋼所!
これには大笑いだった。
よくあることだよ。今の日本みたいにね。
もう高度成長期は終わったし、移り変わりの激しい現代で、
輝かしい未来のある産業の街ってのがいかにうさんくさいかをこの最初の20秒足らずでぱっと現した。
これはいいですよ。

ただその後は、予想のつくストーリーっていうかな、
失業であぶれた男たちが、男性ストリップが人気なのを見て、俺たちもやってみるかってはじまって、
そこからすったもんだ、滑稽な男たちの様子が描かれる。
全部脱ぐことに決めるんだけど、恥ずかしくて嫌だとやめようとするんだけど、
結局はやって、最後ヌードになってはい終わりみたいな。

ストーリー展開中に「くすくす」笑えるシーンは何度もあるんだけど、
結構見え透いてるっていうか、なんかお決まりのコメディみたいで、
先が読めちゃうからおもしろくない。

さびれた街で失業者の男たちが滑稽でありながらも真剣に・・・っていう題材は悪くはないと思うんだけど、
だからなんなんだみたいなこととか、こんなにうまくいくかーとか、
なんで一番社会的地位を気にしていた主任が一度もいやがらずに協力してくれてるんだみたいな、
そういう疑問っていうのがいっぱいあって、
そう考えていくと、志村けんのバカ殿的コメディとあまり変わらんじゃないかって思うと、
ちょっと映画としてどうなのって感じはある。

テレビのドラマだったらいいんじゃない。こういうのがあって。
わざわざ映画にする意味は見出せない。

・ロードオブザリング
あのくそおもしろくない「ハリポタ」のせいで、
その後に放映されたハリポタもどきの「ファンタジー冒険映画第2弾!」
みたいな位置付けになってしまったせいか、
ハリポタで期待を裏切られた人が遠ざけてしまった作品ではないかと思うが、
幼稚園か小学生向きに書かれた児童文学的ハリーポッターとは違って、
この原作「指輪物語」は、中学生か高校生以上を対象にした、いわば「大人」のファンタジー冒険潭で、
ファンタジー冒険小説にちと足を踏み入れたことのある僕にとっては、
すでに中学生の時に、この原作「指輪物語」が古典的名作であることは知っていたという、
にわかブームのハリポタとは格が違う原典ではある。

しかし残念ながら、このロードオブザリングをビデオで見た評価はあまり良くない。
何がよくないって170分近く見せておいて、話が完結していない!という、映画としてはあるまじきこと。
ハリポタのように1部完結のシリーズ作ものではなく、
3部通してみてはじめて1つの物語が完結するという、完全なる連続3部作ものなんです。
はじめのちんたらちんたらした物語の序章部分は、
まさしく原作のどうしようもない退屈な序章部分をひきづっているんだけど、
確かにこの壮大なスケールの物語をはじめるにあたっては、この序章的知識が必要なんだけど、
映画なんだからそれはうまいことわかりやすく短時間でまとめる必要があっただろうに。

やっと後半あたりになって仲間がそろって「いよいよ冒険スタート」となるだけど、
その冒険の途中で映画が終わってしまい、次回作2003年春登場なんていわれて、
挙句の果てにこの1部の物語のもっとも印象的なシーンであるはずの、賢者のじいさんの死も、
いきなり次回作の紹介で「生き返った」ことが判明してしまうという、
なんとも情けないありさまである。

もともと10巻にもおよぶファンタジー小説の古典的名作を、
映画という短い時間でおさめることができるのだろうかと、
危惧していたわけだが、やはり無理だったらしい。
3部作通しで見られなきゃ、尻切れとんぼで後味悪いですよ。
テレビドラマじゃないんだから。1500円もの金払ってみる、
一つのエンターテインメントとしての「映画」としては失格。
せめて3部すべて撮り終えてから放映してほしかったな。

ハリポタでもそうなんだけど、ファンタジー冒険小説っていうのは、
ある意味、一部のオタク的世界みたいな部分があって、基礎知識が必要なんです。

ドワーフとかホビットとかエルフといった種族ってどういう特徴を持っているのか。
賢者・魔法使い・レンジャー・戦士・僧侶といった職能はどういうイメージなのか。
そういったことは本であれば詳細に書かれているからわかりやすいし、
一度でもこの手のファンタジー小説(僕の場合はロードス島戦記だが)を読んだことがあるとか、
種族と職能が出てくる「ウィザードリー」なんていうゲームをやったことがある人でないと、
映画でいきなり説明なしにホビットだのエルフだのドワーフだの、
その中での「人間」だのが出てきても、ちょっとそのファンタジー世界の広がりというか、
物語の前背景というか、物語の奥行きみたいなものがわからないと思うんですよ。

そういう意味では僕なんかがこのビデオをいきなり見ても、
ドワーフとはどんな種族かとかエルフとはどんな種族とかがわかっているから、
その説明なしでも物語の奥行きを理解しながら見ていけるんだけど、
それがわからない人にとってはちょっとピンとこない映画なんじゃないかな。

そんなわけで、もちろんハリポタとは比べ物にならない次元の物語だけど、
・3部作すべてが出た時点でビデオ借りてきて通しで見ないとおもしろさが半減する。
(ようは映画館いって続き物のテレビドラマを1年おきにみせられているようなもん)
・ファンタジー冒険小説の基礎知識を同種の本なりで得ないと、おもしろさが半減する。

というのが僕の結論。

ということで手っ取り早いのが「ロードス島戦記」水野良著を読むのがよろし。
それかかなり前半部分が退屈な「指輪物語」の原典を読むか。
でも本を読まないとわからない「映画」なんて、エンターテインメントとしてはどうかと思う。
結局は、もともとオタク的世界ともいえるファンタジー冒険小説に興味がある人なら、
その映像化として見ることはできるだろうけど。

本の名著は映画化されると大概がっかりさせられるんだよな。
わかりやすいはずの映像も、文字という読者自身の想像力には負けるということか。
そう考えると、活字が読まれなくなり映像優先の時代といえど、
本も捨てたもんじゃないなと思う。

HANA-BI 北野武監督
「菊次郎の夏」「ソナチネ」と予想を越えてはるかにおもしろかったたけし映画にはまり、
ヴェネチア国際映画祭・金獅子賞受賞という肩書きのついた、HANA-BIを借りてみた。

「ソナチネ」ほどの圧倒的感動はない。
悪くはないけど、たいしたことはない。
ちょっと残念だったかな。期待したということを差っ引いたとしても。

銃声があまりに多すぎる。
オンオフがはっきりしない。
もっとメリハリをつけないと。

確かに岸本加世子の演技は実に素晴らしい。圧倒的な演技力。
ほとんどが無言。それを巧みに表情で表すあのうまさ。
ほんとこの映画は彼女の演技の巧みさだけが際立っているといってもいい。

それに比べると他はちょっとな。
予想ができてしまう展開というか。ちょっと臭さも感じてしまうというか。
やっぱりソナチネのようなあの自然さはまぐれだったのか。
ほんのちょっとのさじ加減なんだと思うけど、
ちょっと力を入れすぎるとなんてことはない作品になる恐れがある。
それが恐いからバカな洋画は派手なアクションや豪華なキャストや、
あり得ないストーリーを付け加えるわけだろうが。

あと圧倒的によかったのはね、たけしの絵。
顔のない動物の絵の連続。
動物の顔がすべて花になっている、あのわびしい絵。
はっきりいって、あの絵だけでも十分映画になる。
そのぐらいあの絵の存在感は圧倒的だった。

ラストシーンも予想できてしまうだけにつまらない。
ソナチネはまったく予想もしなくって、あっけにとられてしまうラストなんだけど、
この作品はわざわざ前置きもあるし、
ストーリーを追えばこうなるのかなってことがわかってしまう。

しかし、と思う。
<ここからラストシーンのネタバレになるので注意>
たけしはあの妻を撃つことができるだろうか?
確かに人殺しをして逃げ場がなくなったのかもしれないし、
もうそのつもりで旅に出たのかもしれないし、妻の余命がもうわずかであることを考えれば、
苦しませずに死なせたいという愛情もわかるし、
彼女だけを取り残して警察に捕まったらそれは妻があまりにかわいそうだから、
一緒に死ぬというのはわかる。

でもいざその場になったら、あのかわいらしい妻に銃を向け撃つ事ができるだろうか。
頭ではわかっている。
ここで一緒に死ねば幸せなまま終われる。
でも目の前の妻をいとも簡単に殺すことができるだろうか。
撃つとしても、もっと逡巡があってもよかったはずだ。
それが人間ってもんじゃないか。

ま、そんなわけで悪くはないけど、
決してたけし映画をこの映画から見てはいけないと思う。
でないと「こんなもんか」と思ってもう二度と見なくなってしまう可能性があるから。

ぜひ「ソナチネ」から見て欲しい。

・ウォーターボーイズ
映画ウォーターボーイズをテレビで土曜日に見たが、
まあ周囲が騒ぐほどおもしろくなかった。
ただそれには大きな理由がある。
それは僕が、この映画の製作の契機となった埼玉県立川越高等学校出身だからである。

多分、この映画のおもしろさは「男がシンクロをする?!しかもそれを文化祭で発表する?!」
というユニークなテーマから成り立っていて、それを見る人は「珍しい」と思ってみるんだろうけど、
カワタカ(川越高校の略)出身者の僕からすれば、
それはあまり珍しいことではなく、僕の高校生活の中で普通に行われていた1コマだったからだろう。
つまり「男がシンクロして文化祭で発表する」っていうのは、
カワタカ出身者にしてみれば普通のことであって、何も映画にするほど特異なことだとは、
その高校にいたから思えないのである。
だから僕にはこの「ウォーターボーイズ」がたいしておもしろくないと感じるのだろう。
だって高校の時にすでにあの実におもしろい男シンクロを生で見ているのだから。

それとちょっと似た話なのだが、
好評連載中の「サラ金!」だが、そこに出てくる清原さんのモデルとなった人いわく、
「サラ金はたいしておもしろくなかったけど、旅行の話はおもしろかった」という感想を抱いたらしい。
これはまさしく僕が「ウォーターボーイズ」をたいしておもしろくないと感じたのとまったく同じ原理だ。
「サラ金!」はそこの世界を知らない人が読むからおもしろいんであって、
それを日常の当たり前の仕事としている人が読んでも「当たり前のこと書いてあるだけじゃん」としか思えない。
まして清原さんの場合には、僕の数倍サラ金業界にいて、もっとえぐい話を実体験しているから、
僕の「サラ金!」を読んでもおもしろくないと思うわけである。

逆に清原さんが「旅行話の方がおもしろい」と思うのは、
彼が海外旅行に行ったことがないからだろう。
多分「アジア90日間」旅行記なんかは、海外旅行にあまり行ったことがない人や、
行ったとしても1週間ぐらいの旅行しかしていない人にとっては、
あまりに途方もない話で、興味を持って読めると思うんだけど、
僕なんかよりも何度も半年とか1年とか旅をしているバックパッカーがこれを読んでも、
たいしておもしろいとは思わないだろう。

ある意味、「サラ金!」や「アジア90日間」をおもしろいといってくれるのは、
主人公が読者と同じ視線を持っているからだと思う。
「サラ金!」の主人公・八木は、この道、何十年というサラ金のプロではなく、
金融業界のことをまったく知らない、単なる大卒新入社員だからこそ、
読者は八木を通してまったく知らない金融業界を八木の成長とともに知っていくことができるわけだし、
「アジア90日間」旅行記にしても、僕がそれまでに何十日間もの旅をしたことがある経験者ではなく、
こんな長い旅をするのははじめてだからこそ、読者は「へえー、思い立てばこんな旅は誰でもできるんだ」
と思うわけです。

作品の評価にはそういった見る側の基礎知識・立場、これまでの環境が大きく影響するわけで、
それによって大きく違ってくるわけです。
ですので僕からいわせれば映画「ウォーターボーイズ」はたいしておもしろくない。
どうせなら毎年やってるカワタカの文化祭に本物のシンクロを見に行った方が、
はるかにおもしろいですよと思う(※はたしてまだシンクロをやっているのかどうかは知らんが)。

ナビィの恋
沖縄を舞台にした日本の映画。
沖縄の中でもそう大きくはない粟国島というところで撮影されたらしく、
東京では考えられない、その圧倒的な開放感ある、
何もない島の空気が伝わってくるようなカットが多く、
いつのまにか沖縄の離島が自分の日常に置き換わるような錯覚を覚えさせてくれる映画ではある。

監督がインタビューで「ミュージカルを作りたい」といっているように、
場面場面で沖縄の音楽が効果的に挿入される。
音楽は土地に根ざすんだなということをつくづく感じさせる。
沖縄の音楽を流せば、沖縄の空気がこちらにも伝わってくるから不思議だ。

さらに驚きなのは時折字幕が出ること。
「日本」という括りでありながら、島の人の言葉は、
字幕なしでは理解できないというこの不思議さは、すごく新鮮だった。

以上、沖縄的雰囲気を伝える映画としては非常によくできているのだが、
それだけに主題となっている79歳の恋のストーリーは、はっきりいって余計だった。
確かに回顧シーンでのモノクロフィルム回想などは、
映画の中にある映画として非常によくその当時の雰囲気を伝えるような、
技術的なすばらしさはあるんだけど、
今更60年前の恋愛話を持ち出して、60年ぶりに島に帰ってきた男と、
出ていってしまうというストーリーが、
まあそういうことはあるだろうけど、だからなんだってことで、
はっきりいってこの映画にある必要性が感じられない。

たとえばこの79歳のおばあさんの旦那と初恋相手の恋にゆれる樣を、
孫娘もまた本島の男と地元の男の2人に揺れる様に投影させるのかなと思いきや、
残念ながらこの孫娘はほとんど迷うことなく本島の男に決めてしまうし、
この島の一つのキーポイントとなっている「占い」では地元の男と結婚した方がいいという呪縛もなく、
島のみんなが大歓迎して、なんなくハッピーエンドになるので、
そうなると79歳の揺れる恋の存在が意味をなくしてしまう。

どうせだったらそういう恋愛沙汰は一切抜きにして、
島の日常を完全なドキュメンタリータッチでミュージカルにして撮るといったことの方が、
はるかに説得力のある映画になったのではないか。

またもし若い孫娘の恋愛を持ち出すのなら、
地元の男と本島からドロップアウトしてきた男の対比をとことんやるべきで、
そこに潜む島の現実の問題みたいなものを絡ませたテーマにすべきだと思う。
たとえば地元の男は島から出たがり、その娘と東京に出て一緒に暮らそうという一方、
東京からドロップアウトしてきた男はその娘に、この島で一緒に暮らそうといい、
単に男を選ぶことだけでなく、それが「本島」か「島」かを選ぶような、
今の若者が苦悩するような問題に置きかえるような、
そういう映画にすれば、この恋のストーリーが生きてくるわけです。

そういう意味で、離島の空気を実によく伝えているいい映画でありながら、
ストーリーが中途半端なので、かえってそれが映画のよさを損なわせている。
ミュージカルとしての沖縄的日常を描く作品なのか、
恋愛に揺れながら、都会か田舎か、本島か島か、を選ばせるようなテーマ性をモチーフにした作品なのか、
その両方でもいいんだと思うんだけど、
今のままではストーリーが弱いので、そういう意味で訴えかけてくるものが少ない映画だな。

亡国のイージス
もったいないな。なんぜこんな描き方しちゃうんだろう。
違うだろ、テーマが!
ちゃんと描けよ。内容を考えてさ。
素晴らしいテーマを扱っているにもかかわらず、
違うところに力点を置いてしまっているため、
ダメな映画にしてしまっている。
もったいない!

・・・ここからネタバレ注意・・・
この映画のテーマはね、日本の国防意識の問題、
アメリカ追従の防衛政策がいいのかどうか、
下手をすると、自国の防衛兵器が自国の攻撃兵器になりかねないということ、
国を守るというのはどういうことなのか、
中国脅威論や北朝鮮がきな臭い状況の中で、
豊かな社会でスポイルされてしまった現代の日本人に、
何かきっかけがあれば、一転して「亡国」になりかねない、
そんな危機的状況に日本はあるという、強烈な皮肉のきいた現代シミュレーション映画なわけです。
それを普通に描けばいい。

ところが、それをね、現実にはあり得ない不死身の男の正義漢ストーリーにすりかえてしまっている。
そんな映画じゃないだろ!誰だ、せっかくのテーマを説得力のない話に変えてしまったのは。
原作が悪いのか監督が悪いのか知らんが、ひどい描き方だ。

日本のピンチを銃も持たずに愛だの信頼だの正論を吐き、
現実の人間ではあり得ない一人のスーパーマンが、
亡国の危機を救ってしまうというとんでもないストーリーにしてしまう。

バカじゃないのか。丸腰であんなに敵を倒せるか、ボケ!
これこそが平和ボケした日本人の描く理想のストーリーなんだよ。
そんなのは現実にはない。
ちゃんとストーリーとテーマを追っていけば、
こんな映画の描き方にならないはずなのに。

内容的には超素晴らしいマンガ「沈黙の艦隊」っぽいものです。

デリカテッセン
「アメリ」の監督の映画。
シーンの見せ方にしてもストーリーにしてもすごくいいはずなんだけど、
ぐっとくるものがなかった。
はじめの30分、まったく意味不明だった。
映画が描く世界にうまく入っていけないのだ。
30分ぐらい過ぎてはじめて「ああ、こういう世界を描いているんだな」とわかる。
視聴者をこの映画が描く独特の世界に移入させていく工夫に欠ける。
舞台が1つのアパートに限られていることをまずすぐにわからせ、
ぱっと切り替わる似たような登場人物の連続で視聴者は混乱するから、
たとえばはじめだけ「201号室」とか「301号室」みたいな字幕を入れるだけでも、
くだくだ余計な説明をすることなく、視聴者がこの映画の仕掛けを理解できる。
はじめ、ただでさえ暗い画面に、似たような登場人物だけど、ちょっと違う人物がいろいろでてきて、
その関係性がまったくわからず、混乱しっぱなしになるので、
映画世界の説明を早めに入れるべきだ。

この辺のことが理解できるのは、ベッドのきしみ、ふとんを叩く音、天井を清掃する、
チェロを弾く、編み物をする、すべての人々が同じトーンでやっていくシーンが出てきて、
はじめて「これらの登場人物はすべて同じアパートの住人で、
この映画はこのアパートをめぐる物語なんだ」とやっとわかる。
そのシーンでやっとなんとなくこの映画の雰囲気に慣れてきて、
この映画はストーリーを追っていくのではなく、
不思議なシーンの細部の連続で、人間の内面みたいなものを象徴的に見せていく映画なのかなと思ったところ、
急にしっかりしたストーリー性が出てくる。
これもどうかな。
ストーリーに沿って見て行くからみやすいんだけど、
せっかく造り上げてきたこの不思議な世界が急に世俗化しちゃうっていうか、
非常にチープなものに見えてしまう。
せっかくここまで30分たえて、わけのわからんシーンの連続で、
異空間を見せてきたのだから、
そのままそういう撮り方で、ストーリーを追っていってほしかった。
見やすくなる分、この映画の魅力が失われているような気がする。

あと、物足りないのは最後のところ。
悪党はみんな死んでしまい、二人仲良く音楽を演奏するシーンで終わるんだけど、
せっかく「悪いのは人間じゃない。環境だ」とか「罪を憎んで人を憎まず」とかいわせてるんだから、
そんな風な結果にしてほしかったなと思うんだけど、
結局は正義VS悪党みたいな結果になってしまったのは残念だ。
一人、おやじに肩入れしていた恋人がブーメランを渡すという見事な裏切り劇は、
ちょっとした見ものなんだけど、
そこまであの恋人がおやじを憎んでたとも思えないし、
両方を生かせる結果がなかったものかと思う。

また最後、大人のドタバタ劇にまったく関わらなかった子供たち二人が、
アパートの屋根で音楽を演奏していて、そこで映画を終わらせれば、
単純な善悪図式にならなかったんだけど、
結局、その子供の後に主人公とヒロインを登場させてしまうでしょ。
それは平穏な結末を願う視聴者に安心感を与えるには十分だけど、
私にはあれはいらないと思う。
大人のドタバタ劇で、ぐちゃぐちゃになったアパート。
そして夜が明ける。
子供だけいればいいじゃないか。
そこであの2人だけを出してしまうことで、
せっかく描いてきた不思議な世界と愚かしい人間たちの内面が、
アメリカ映画の単純善玉VS悪玉映画になりかわってしまう瞬間だ。
そんな単純なものだったのか。

題材はいいし、描き方もうまい。
だからこそ、もっとこだわって、もっと徹底した世界を作り上げてほしかったな。

容疑者室井慎次
ほんとクズだな。
フジテレビの金儲けのためだけに作られた作品。
非常におもしろい踊る大捜査線を汚すものだ。

登場人物の少なさ、ストーリーの単調さ、底の浅さ、ほんとひどい。

トンケの蒼い空 韓国映画
もったいない!テーマはすごくいいのに、
監督がそこにユーモアを付け加えようとした演出が際立つため、
せっかくのシリアスなテーマやストーリーが台無しになってしまう。
すごく考えさせられるいい話が散りばめられているのに・・・。

ここからネタバレ注意
はじめ度肝をぬくのは、野良犬が殺され食べられてしまうこと。
韓国は犬を食うからなるほどこういうこともあるんだろうなと思うけど、
主人公が弟同然のようにかわいがっていた犬が殺されてしまうなんて・・・。

その後も、家に不良少女が連れられてきて、
主人公との微妙な心のすれ違いとか、
学がないために騙されてしまう人たちのために、立ち上がることとか、
いろんな出来事があって、目が離せない映画なんだけど、
そこに違和感ある余計なユーモラスを加えてしまうんだな。

配役もストーリーもまったく同じで監督が変われば、
きっとこれは見違える作品になるだろう。

萌の朱雀
1997年カンヌ国際映画祭で新人監督賞をとったという日本人の作品。
欧米の映画にあきあきしていたので、日本の映画を観たいなと思って借りてきた。
はじめの20分、ずっと見入り続けてしまった。
何が起きるわけでもないけど、奈良の山奥にある村の生活にすごく魅せられて、
ここを舞台にどんな物語がはじまるのだろうととても楽しみにさせてくれた。

ただその後、一挙に月日が10年ぐらいたってしまって、ちょっと違和感を感じる。
その後も、なんだかいまいちのまま終わってしまった。
魅せ方はとてもいいと思うんだけどね、
あまりに説明がなさすぎて、未だに登場人物の家族関係がわからないから、
なぜ彼らがお別れしなければならないのか、
なんで急に夫がいなくなったのか、さっぱりわからん。
説明しすぎるのはよくないけど、説明しなすぎるのも問題だ。
もっと会話の節々でわからせるような言葉をいわないと、
私にはなんの物語だったかニュアンスしかわからない。

映画を見ただけではさっぱりストーリーがわからんので、
ネットでいろいろ解説をみて、やっとなるほどとわかった。
でもね、それではだめなんだよ。
映像で、映画の中で、解説しているようなことをわからせなきゃ。

アマデウス
3時間。特にモーツアルトに興味がある人間でなければしんどい映画。
ただ視点がいいのは、彼を主人公にしているのではなく、
彼に嫉妬していた宮廷作曲家の視点から描かれていたことだ。

・グラディエーター
評価の難しい映画だな。
ぼろくそにいうつもりはないんだけど、なんというかな、
もっともっと救われるような展開がよかったというか、
なんだかどうしようもない結末で終わってしまったなという感じがしてならない。

古代ローマ帝国を舞台にした話というから歴史物を期待されている方は、みない方がよろし。
これは歴史映画ではなく、歴史を騙ったアクション映画に過ぎない。
かといってアクション映画としてどうかという評価も難しい。
グラディエーターというのはタイトル通り剣闘士という意味で、
コロッセオで繰り広げられるグラディエーターの闘いぶりには、
確かにじっと見つめてしまうものがあるんだけど、
それがおもしろいのは、1.奴隷で売られてアフリカ?で戦っているシーン、
2.ローマのコロッセオデビューした戦い、3.5年前に英雄と虎が出てくる戦い、
この3つである。

それ以外はいろんな違った話が交ざり込んでいる。
違った話ーつまりはバカ皇帝転覆のクーデター話なんだけど、
それがなんか回りくどいっていうかな、
どうせだったらコロッセオに出てきた皇帝をいきなり人質にとって、
政変を起こすみたいなそういう展開でもよかったような気がするんだけど、
そこでなぜか絶えてしまい、結局は自分の危険を増すばかりとなる。

観客を味方に、ローマは民の力によって操られているというのはわかるんだけど、
最後、いくらなんでもバカちゃん皇帝とグラディエーターが戦うってあり得ないわけで、
皇帝が殺されても観客が歓呼の声をあげるわけでもなく、静まりかえってしまうのは当然でしょ。

僕らには皇帝の悪政というのが映画を見てるからわかるけど、
観客にはなにがなんだかわからない。
つまりこの映画の最大の愚は、結末に皇帝VSグラディエーターを持ってきてしまったことなんだな。
観客が突然の皇帝の死にわけもわからず静寂に包まれてしまうのと同じように、
映画を見ている方も、これってどうなんだろう?って思ってしまう。
これではグラディエーターは英雄にはなれない。

しかもそのグラディエーターまで殺してしまって、
いきなり皇帝の姉が取り仕切ったところで、だからなんなんだみたいな、
そこにローマの復活はないわけで、なんだかさっぱりわからない観客というのが本当だと思うんですよ。

題材は悪くないし、戦いのシーンもおもしろかったことがあるんだけど、
もうちょっと構成を工夫しないと、この映画のいいたかったことがわからない。

たとえば民衆に対して圧制を強いていた皇帝が、1英雄によって殺され、
民衆のためのローマ政治が復活したみたいな話なら、筋としては通るんだけどそうはなっていないし、
結局、先代ローマ皇帝の夢は、バカ息子に皇帝を継がせないことだけではなく、
腐敗しきった元老院をどうにかしたいということもあったはずなんだけど、
結局この結末だと民衆とは関係のない元老院だけが、罪を皇帝におっかぶせて、
自分たちの権力は温存みたいな話になっていてちゃんちゃらおかしいわけで、
でもたとえばそういう単純なサクセスストーリーではなく、
現実の政治とは民衆の理想通りにはいかず、
さまざまな権力者たちのエゴや権力欲によって左右されてしまうんだよみたいなことを言いたいのであれば、
焦点をグラディエーターではなく、たとえばバカ皇帝を逆に主人公にしてしまうとか、
そういう方法だってあるはずなんだけど、そうはなっていない。

結局何をいいたいかっていう映画としての狙いがわからなくって、
最後は悪役のボス・バカ皇帝も殺され、善玉の主人公も死んでしまって、
その周囲にいた人たちがこれからは主役ですよみたいな終わり方をされても非常に戸惑ってしまうわけです。

唯一、残った人々では、皇帝の姉というのが目立った存在で、
逆に彼女を主人公にして、かわいい弟と愛する男との間の葛藤に揺れながら、
結局は両方が死んでしまって残念だけど、ローマ民衆のために私がこれから政治をするのよ、
みたいなことならわかるんだけど、この映画はそうはなっていない。

素材はいいと思うんだよ。でもなんだか焦点がぼけちゃってて、
最後に始末のわるい終わり方されても、見た人にとっては救いようのない結末なんだよね。

ただあそこで1つおさえておきたいのは、
主人公が完全な善でバカ皇帝が完全な悪みたいにされているけど、
皇帝がなぜあのような行動をふるまわざるを得なかったかという描写については、
実は結構しっかり描かれていて、隣りの芝は青いみたいな形で、
バカ皇帝のお父さんも姉も主人公を愛して、バカ皇帝自身に愛を注いでやらなかったことが、
彼の歪んだ心を生み出してしまったという、
そういうことをテーマにしてもひょっとしたらよかったんじゃないかなと思うんだけど、
そうもなってないからやっぱり釈然としないんだな。

それかほんと開き直って元将軍が一度奴隷から数々の難儀な戦いを経て勝ちあがり、
ローマに帰ってきて将軍として復活するみたいな、
まさしくグラディエーターの戦いに焦点をあてたアクション映画でもよかったんじゃないかなとも思う。

ほんとそういう意味で、ここにはいろんなテーマで映画が作れたにもかかわらず、
みんなテーマをごっちゃごちゃにぶちこんでいっしょくたんにしちゃって、
結局らちがあかなくなって、悪玉VS善玉対決を最後にもってきて両方殺しちゃったっていう、
どうしようもない結末を導き出している。

たかが2時間、されど2時間。
映画というたった2時間の世界に観客を引き込むためには、
1つしかいらないからテーマの軸を定めて作ってほしいよな。
もったいないですよ。制作費や演じた俳優たちや金を払って見にいった観客たちが。

僕は怖くない(イタリア映画)
悪くはないんだけど、ちょっと前半がたるかったり、
設定に無理があったり、あり得ないだろうと思うハッピーエンドで終わってしまうことなど、
解せない部分が多かったので2つ星評価にしたが、
まあ3つ星ぐらいでもいいかもしれないが、おすすめするほどの映画ではない。

イタリアのすごい田舎村を舞台にしていて、
すごくそこがきれいなんだけど、
単に舞台が「きれい」というだけでなく、
きれいがゆえに、田舎ゆえに、狭い社会、虚無的な社会、犯罪を犯しやすい社会といった、
そういう意味のある舞台設定になっている。
ただ「美しい場所が舞台」というイングリッシュペイシェントのような、
設定に意味のない砂漠が舞台というのとは訳が違う。

よかったのは、主人公が発見した子供が、大人達が関わっている誘拐された子供だったということ。
はじめは一致してないのかなと思ったら、
実はその子供は誘拐されていて、
子供社会の接点と大人社会の接点が「事件」に巻き込まれる設定は大変おもしろい。

ただ、はじめはそれがわからなくって、
単に穴に住んでいる子供とそれを発見した子供の友情物語みたいな感じで、
いやいやもう10歳なんだから、穴に住んでる子供が鎖につながれていて監禁されていたら、
大人にいうだろうし、毎日通っていれば大人にもわかるだろうみたいな、
設定の不自然さをずっと前半は感じ続けることになるのだが、
やっと後半になって、大人の犯罪と結びつき、それが子供にもわかり、
おもしろくなってはいくのだが。

あとはラストのシーン。
誘拐された子供を主人公が助ける。
その主人公が誘拐された子供と間違われて、実の父親に銃で撃たれてしまう!
これには「あっ!」と思うんだけど、残念なことに軽傷で、
しかも誘拐された子供が逃げずにその場にいて絶体絶命になるんだけど、
警察のヘリがきて、すべてが一件落着し、そこで終わってしまう。

それが非常に現実味がなく、いかにも映画的な調和的な終わり方でちょっと残念だった。
あの状況だったら、主人公の子供が銃で撃たれて死んでしまっても不思議ではなかったし、
その方が、なんかすごく、この物語のリアリティというか人生の皮肉というか、
悪いことはできないなみたいな、ぐっとくる物語になったんだけど、
なぜか真っ暗闇の状況で足だけしか撃たれず、生きてしまうというのに納得がいかないし、
だいたい昼間っから警察のヘリが来ているんだから、あの隠れようのない田舎町で、
なぜ犯人たちが夜まで捕まらずにいたのかとか、そういう不自然な設定がでてくると、
ストーリーに入っていけないわけですよ。

あとどうせなら、子供が生き残ってもいいから、最後、警察のヘリがきて、
子供の両親や近所の両親がみんな捕まる映像とか流してほしかったな。
つまり、この映画は、犯人が捕まったから一件落着じゃなくって、
犯人は子供の両親なんだから、捕まった以後、子供は複雑な立場に置かれるわけですよ。
つまりその子供は両親が誘拐した子供を助け、結果的に、両親を犯人として捕まえさせてしまったわけで、
その後の彼の苦悩や実生活上の問題とか、そういうところまで最後、
ちょっとでもいいから映像に出さないと、「これで子供は助かりよかったです」って終わり方はおかしい。
まあ何を伝えたいのかがはっきりせず、視聴者に迎合した作り方になっているから、
こういう形で終わってしまうのだろう。

・マイ・レフト・フット
脳性小児麻痺の半生を描いた実話を映画にした。
こういう話っていうのは難しいな。
健常者がこの手の映画を見た場合に、
身障者に対する無意識の優越感からくる同情的な感情で「感動」することもあるわけで、
そういう見方を助長させていると捉えられなくもないし、
いや、逆にそんなことはない、身障者を正面から見据えて捉えた作品だということもできるし、ちょっと難しいな。

僕が単に映画を見た感想としてはあまりおもしろくはなかった。
一番、おもしろかったというか印象に残っているのは、
主人公がお医者さんの恋に破れ、荒れるシーン。
いろいろな捉え方があると思うけど、あれが現実なんだよな。
身障者に対して同情したり優しく手を差し伸べることはできるけど、それは恋愛とは違う。
身障者から恋愛関係を求められてそれを受け入れることっていうのは、
理想論とか道徳論とかではなく、現実の自分の問題として置き換えた時、やっぱり難しいと思うんだよね。
それが本音だと思う。

最後に結婚することができハッピーエンドで終わるからいいけど、
あの恋破れるシーンっていうのは、身障者が置かれた現実を描いている点では、
変に話を理想論にすりかえたりせず、現実を描いている点で評価できると思う。
現実から目をそらして理想論を唱えて変に美化した映画を作っても、
それは受けるかもしれないが、意味をなさないと思う。

そういう意味では、もう1つ印象に残ったシーンは、彼の絵の展覧会が開かれるシーン。
「身障者の画家」だから評価してるんじゃなく、
「素晴らしい画家」だから評価しているという発言。
あの発言が本音かどうかはわからないが、
足で描いたから素晴らしいとか、身障者が描いた絵だから素晴らしいとか、
そういう健常者の優越感に基づいたやり方っていうのが、最も、身障者を傷つけることになるのかな。

その2つのシーンからはこの映画が健常者の優越感から来る身障者を題材にした映画ではない、
と思いたいのだが、作る側がどうであれ、見る側によっては、そういう見方をする人もいるかもしれない。

難しいのは健常者と身障者を「差別」することはいけないと思うんだけど、
「区別」は必要なわけで、身体の機能が不自由な人に対する特別な措置はすべきであって、
それを履き違えた「平等」主義でああだこうだいうのはおかしいとは思う。

むしろこの映画は、脳性小児麻痺の子供を変に甘やかしもせず、
「本当」の母性愛で包み込み、立派に育てた母を主人公に描いた方がよかったのではないかと思う。
あくまで主人公を身障者にすると、ありきたりの同情お誘い映画に見えかねないし、
ストーリーがみえすいてしまうから。

映画としての作りとしてはあまりおもしろくない映画だと私には思えた。

・ピンポン
窪塚洋介主演の卓球青春映画。
テレビでやっていたので見た。

まずこの手の日本映画(ウォーターボーイなどもそうだが)で思うことは、
「映画にする必要があるのか」という疑問。
別にテレビのスペシャル番組なり連続ドラマにした方が楽しめるんじゃないかな。
大画面・大迫力でかつ期間限定で金を払ってわざわざ映画館に見にいく内容ではないような気がする。

それはさておき、内容そのものはおもしろくないことはないが、たいしたものじゃない。
窪塚君なんかよりも脇役の面々の演技のうまさやそのキャラクターは非常にいい。
ずっと脇役主体でストーリーが展開していくことはおもしろかったのだが、
図ったように主人公・窪塚君が卓球の練習に励み、
いとも簡単に優勝してしまい、さらには何年後に世界大会に出るなんてところまで映し出されると、
あの短い映画の中では唐突感がありすぎる。

映画にする意味を見出せない。
10回ぐらいの連続ドラマにした方が結構おもしろいんじゃないかな。
あとは主人公が見事に勝ってしまう予定調和的な単純ストーリーをどう見せるかだろうな。

スパニッシュ・アパートメント
もったいないな。題材はいいのに、描き方が不十分かつ、いらんところが多すぎる。
せっかくいい感じなのに、もったいないな。

とにかく最後がよくない。
パリからスペインに留学した学生が留学を終えて帰ってきて、
役所に勤めるんだけど、「ここは僕の求めていた場所じゃない!」みたいなことで、
やめて、昔から夢だった小説家の道を歩むという。
な、なんて、陳腐なんだ!!!

そういう前ふりがあまりない。
親から大学を卒業したら役所にいけよみたいな強烈なプレッシャーがあって、
本当は小説家になりたかったんだけど、どこかで自分もあきらめて、
っていう、そういうきちんとした前ふりがなくね、
そもそも留学してもそういう素振りもまったくなく、
ただ楽しい学生の延長みたいなことだけしてただけでね、
いきなり最後の結末が、会社を辞めて小説家になるかよ!と思うと吐き気がする。
いい加減にしてくれよ、おい。

留学生活も非常に中途半端。
どこに焦点が置かれているかわからず、ただ漠然と出来事を展開しているだけ。

しっかりした軸をすえた上で、いろいろな出来事が副次的にあり、
それを通して主人公が変わっていき、結果、最後こうなりましたというのならわかるんだけど、
結局、ただありきたりの大学生活を送りました。
会社が嫌だからやめました。
そういえば随分昔、小説家になりたかったので、
この楽しい留学生活を書いてみましたっていう、
まるでガキの作文を見せられているような低次元。
勘弁してほしいね。


・地雷を踏んだらサヨウナラ
1972年、カンボジアで戦場カメラマンとして活動していた一ノ瀬泰造の物語を映画化したもの。
当時、聖域として足を踏み入れることのできなかったアンコールワット遺跡をカメラに収めようとし、
享年26歳の若さで亡くなった。

映像のデキは最悪だが、ストーリーはおもしろいし、考えさせられることが多い作品ではある。
演技や全体的なシーンが嘘っぽく、迫真に迫るような臨場感が全くないのだ。
まあ、それはさておき。

戦場カメラマンというのは本当にハイエナだよな。
無名のカメラマンたちが、戦場という危険に裏打ちされた「特ダネ」を求めて、
戦争をやっているところで、殺される人々を写真に収めていく。
その写真が鮮烈で悲惨なほど、新聞社に高く売れるのだから。

彼がお世話になっているホテルの子供が殺された時、
彼は悲しみと同時に「特ダネ」感がよぎり、死んだ子供にカメラを向けるか迷うシーンがある。
その気持ちはほんとよくわかる。
別に僕は戦場カメラマンではないが、海外旅行をしていると、それに似た場面に出会うことがある。
地元の人々と親しくなったからこそ出会えた場面に、カメラを持ち出すことは、
写真としてはいいものが撮れるのにと思いつつも、やっぱりそこで撮るのはためらわれる。
しかしもし僕が「トラベルライター」としてお金をもらってやっていくとするなら、
それは「仕事」として撮るべきではないかという問題にぶつかるのだ。

同朋の戦場カメラマンの死や、親しくなった人々の死に出会う度に、
自分のやっていることと、そしてこの戦争が一体何なのかを否応なく考えさせられる。
些細な権力や領地争いのために、互いに傷つけ合い殺し合い、憎しみ合う人間たち。
次第に戦争が目的化し、何のために自分が戦っているのかわからなくなる。
ただ上の命令に逆らうことは許されないので、敵国の兵士を残虐に殺す。

戦争の中で中立の立場にあるカメラマンを主人公にすることで、
戦争の無意味さがより一層際立ってくるのだ。

つい先日、日本のフリーランスのカメラマンがタリバンに捕まったとのニュースが流れた。
戦場に群がるハイエナたちが、金と名誉と栄光を求めて、危険な戦場に乗り出していく。
もちろんそこには崇高な信念や高尚なテーマを持って望んでいる人も多いだろうし、
戦争にプレス(マスコミ)が全く入らないのも、
世界に何が起こっているかという事実を中立的に伝えるという意味では、考えられない。

しかし湾岸戦争時の石油にまみれた水鳥の映像がやらせだったように、
現代社会では資本主義という観点から、事実を伝えることより、
センセーショナルな映像や写真で「売れる」ものを撮ることが、
残念ながら意識的にせよ、無意識的にせよ発生してしまうのだ。


タリバンに機関銃を持ってポーズを決めてもらう写真を撮るのにいくら払っただとか、
お金を払ってお願いすると、注文通りのポーズを撮ってくれるということがあるらしい。

戦争と報道。
ブッシュは「新しい戦争」だというが、30年前の時代と、戦争と報道の問題は何ら変わっていない。

・メメント
藤原新也の「メメントモリ〜死を想え〜」から、
僕がつぶやきでもまた何か話のついでに「メメントモリ」と騒いでいたことから、
妻がこの「メメント」という映画を借りてきたらしい。

この映画の評価は非常に難しい。
時系列でなく、全く逆の時系列で追っていく構成のために、
「あれ、これって何だっけ?」ってはじめにかえって見返してみないと、
ようわからなんのだ。

つまり映画の構成としては非常に斬新だし、驚くべき手法で、
確かに「どうなっていくんだろう?」と記憶を辿る旅は非常におもしろかったが、
最後のシーンを終えて、
「これは何だったんだろう?」「この作品は何を言いたかったのだろう?」
と思うと、下手をすると作品の構成上の奇抜性だけで、
見終えた後、ストーリーの混乱さが残るだけの、
何とも不可解な映画という評価だけに終わってしまいかねない。

ビデオで借りたから、わからん部分を巻戻したり見返すことはできるが、
映画館で見たらそういうわけにはいかないし。

でもDVDで借りたおかげで監督インタビューが付録についていて、
この作品で監督は何を表現したかったのかを聞いて、
やっとこの作品の意味みたいなものがわかった。

記憶は非常に主観的であり、メモを取ることは日常茶飯事に行われていること。
記憶は記録ではないということ。
時系列的な物の考えより、逆時系列で追っていく思考の方が、
むしろ人間としては普通であること。
(逆さ日本史が流行ったのもこの理由からだろう)

そしてテレビ番組でのインタビューだったのか、
観客の一人が、
「監督はこれを1度見ただけで観客がストーリーを理解できると思いましたか?
何度も見にいかせるための興行収入目当てですか?私ももう一度見にいくつもりですが」
という非常にアイロニーの効いた質問がすべてを言い当てていたが、
それに対して「何度も見ても新しい発見のある映画を作りたかった」
という答えでやっと納得した。

非常に実験的で斬新な作品で、
映画好きで普通の作品に飽きた人や物足りない人にとっては、おもしろいんじゃないかな。
他の人はDVDで借りて監督インタビューを見ないことには、
一度見ただけでは事件の真相がわからない、不可解な映画で終わってしまうだろう。

まあそんなわけで、映画作りという意味で非常に興味深い作品で、
かつDVDで借りて監督インタビューとセットで見ると、
いろいろ考えさせられることがある作品という評価だ。

・蝶の舌
悪くはないんだけどピンボケ映画だな。
いいたいことはわかるし、随所に散りばめられてはいると思うんだけど、
非常に拡散してしまっていて、何を伝えたいのか、
何をここからくみとってほしいのかがわからない。

DVDだったので監督インタビューを聞いたところによると、
原作の「蝶の舌」のほか「カルニャーニ」「サックス〜」という、3つの物語を組み合わせているみたいだ。
そのせいかもしれないが、何を伝えたかったがイマイチなんだな。

最近のただ長ったらしい映画時間にほとほと困るが、これは90分と短すぎる。
「ライフイズビューティフル」を思い起こさせるかのように、
最後になって、スペインの政治体制変化のために、
赤のレッテルを貼られた先生が捕まってしまい、
それをおっかける少年の姿がラストシーンなんだけど、
あまりにそのシーンが短くあっけなく終わってしまうがために、緊迫感がない。

ライフイズビューティフルのように、前半の自由な生活の中にも、
どこか後半の暗転するシーンにつながるポイントがあって、
そこからだんだんと暗転していく様子を描いていく手法で、
この映画を作りなおせばもっといいものになると思うんだけど。

それともっと少年と先生の物語としてこの2人に焦点を絞るべきだと思うんだよな。
まだ「スズメ」で羽を持って自由に飛びまわることができない少年に、
先生が「自由」「自然」「大人」という名の社会に飛び出していくための教育をしていく。
その中で、政治体制のために捕まえられてしまう先生と、
その教えを受け成長途上の少年の最後に投げ掛ける言葉・・・
そういう描き方をすればもっと話がわかりやすく、
強烈なメッセージを伝えていけると思うんだよな。

監督インタビューでは原作の「蝶の舌」を呼んだたら、
強烈な印象を受け、だから映画化しようと思ったっていってるんだけど、
その強烈な印象っていうのがこの映画にはあまりないからな。
まったく監督の力量不足による、せっかくのストーリーを台無しにしたケースじゃないか。

そして少年の最後に投げ掛ける言葉、この映画を締めくくる言葉として、「蝶の舌」でよかったのか?
もっと自由とか生きていく上での自然の尊さとか、
もっと象徴的な言葉の方がいいんじゃないか。
まあこれは原作の問題になるとは思うけど。

本を映画化する場合って原作をかなりの部分はしょらなきゃならないわけで、
それをわずか2時間にまとめるという極めて難しい作業。
でも映像という特徴を生かして、はしょったストーリーでも、鮮烈にメッセージを伝えることができる。
それが映画のよさなんだと思うけど、
残念ながらこの映画は、いいストーリーをまったく生かしきれてない感じがするな。
残念で仕方がない。

裸足の1500マイル
映画の構成としてはいまいちだが、問題提起したテーマがいい。
1930年代以降、オーストラリアでは、先住民族アボリジニと白人の混血の子供を、
強制的に親から隔離し、白人教育を叩き込むというのがこの話の背景だ。
「野蛮」な「原住民」を「救う」ために、
混血児を隔離し、白人教育を施すことで、白人化を進め、
先住民族アボリジニを絶滅させようという実にすさまじい計画だ。
しかもこの政策は1970年頃まで行われ、
白人教育を受けた世代は自分の民族のアイデンティティの喪失に今も悩んでいるというから驚きだ。
このような問題が歴史的にあったということを教えてくれるだけで、
この映画は大きな役目を果たしていると思う。

ストーリーは実話に基づいていて、
故郷から約2400kmも離れた場所に隔離された少女3人が、
隔離施設から脱走し、砂漠や荒野を9週間歩いて故郷に戻るという話。
このすさまじい実話をもとにしたストーリーなんだけど、
そのすさまじさがこの映画ではまったく伝わってこないのが残念。

存在の耐えられない軽さ
170分近い長い映画。
チェコの改革運動「プラハの春」をソ連が蹂躙したという政治的な時代背景をバックに、
女ったらしの男と生真面目で感性の鋭い女の夫婦愛を描く。
見ていて不快感はないし、それなりはそれなりの映画なんだけど、
今ひとつ焦点ボケがあったような気がしてならない。

・政治的なテーマなのか単なるラブストーリーなのか
この映画のハンガリー版といっていい「太陽の雫」は男女の愛を描きながらも、主題ははっきりしていた。
政治である。
時代が変われば改革派が投獄されたり体制派が投獄されたりといった、
政治権力の時代変遷に巻き込まれながら生きていく一家を描いたという意味で、
非常にテーマが明快だ。
この映画も「プラハの春」を押しつぶしたソ連の戦車部隊のプラハ入場シーンや、
市民の抵抗などが当時の映像と思われるもので出てくるし、
女ったらしの主人公はソ連を批判する文章を書きながら、
それを絶対に謝罪することなくソ連に抵抗しているし、
その妻は反戦を訴える写真を撮っていたりしているんだけど、
この映画は、そういう圧制政治下で信念を持っていきる男女というところまではいかない。

わりと簡単にスイスに逃げていったし、すぐにプラハに戻ってきて、
目を付けられた2人がソ連の秘密警察の罠にはまっていくのかと思いきや、
それも実にあっさりしていて、簡単に田舎に引っ込んでしまう。
※小説「プラハの春」を読む限り、こんなあっさりソ連の秘密警察が、
反体制派を逃がしてしまうというのがどうにもおかしい
しまいにはその秘密警察の陰謀とか政治的な変動のためにこの2人が死んでしまうわけではなく、
突然、交通事故で死んで終わりとなる。
まあそれはそれでいいのかもしれないけど、この映画のテーマが、
単なる日常のありふれた1カップルを描いただけなのか、
無理やりそこに政治的テーマをおっかぶせたのか、
政治と人生のテーマバランスがどうにもはっきりしないから、
両方とも中途半端な形で終わってみえる。

それとこんなに長く時間をかける必要性が感じられない。
「太陽の雫」は3世代を追うからこのぐらいかかっても納得いくんだけど、
この映画はやたら女ったらしの男のセックスシーンばかりがでてきて、無意味に長い。
特に「プラハの春」の映像が出てくる1時間過ぎまでは、
この映画がさっぱり理解できなかった。
もっとコンパクトに要点をまとめて、さっと象徴的なシーンで見せた方が、
この映画がいいたかったことがくっきり浮かび上がってくるのではないかと思う。
・ラストエンペラー
それこそ今のハリーポッター並に、いやそれ以上に騒がれた映画。
確かテレビで放映された時、どれどれと見たものの、
あまりの退屈さとあまりの単調さと、そしてあまりの長さに途中で見るのをやめてしまった記憶がある。

ただその時と見る状況は違う。
2週間前に、まさしくラストエンペラー溥儀の舞台の一つである満州各地を訪れ、
かつ満州国の首都新京(長春)にも行き、
溥儀が暮らした皇宮や映画制作した長春映画製作所を訪れていたし、
溥儀についての博物館も見た前知識があったので、それほど退屈せずに見ることはできた。

でもあたらめて見て、この前知識や職業的必要性がなければ、
よくできている映画とはいえ一般人が見ておもしろがれる映画ではないなと思う。
とにかくセリフが少ない。シーンだけで見せている。
これは映画のクオリティとしてはすごいことだと思ったが、
これじゃあ一般人が見たら退屈してしまうだろう。
それから今の映画のように無駄なところに莫大な金を使ったり、
CGをフルに使って映像のすごさを見せる手法とは違って、
ほんとこれはすごい壮大な映画だなと思う。
北京・紫禁城でのシーンなど、ほんとすごいなと思う。

とはいえやはり全体的に単調感はぬぐえないのだが、
この映画で考えさせられたことといえば、最後のシーン。
溥儀は戦犯として捕まり、刑務官に「自分の罪を告白せよ!」と迫られる。
それから何年かたったある日のこと、
一般人に戻った溥儀の目の前にかつての刑務官が罪人として捕まり、
同じように「自分の罪を告白せよ!」と迫られる。
毛沢東主義ふきあれる、嵐の時代。
為政者が変われば「罪」の基準も変わり、「反政府分子」として捕らえられてしまうのだ・・・。

それは溥儀生涯そのものも同じ。
3歳で皇帝になったものの、紫禁城での監禁皇帝時代や日本傀儡の満州国皇帝など、
皇帝という支配する身でありながら支配される立場に置かれるという皮肉。

この傀儡皇帝溥儀の住まいとなった満州の都・長春に行って、僕が驚いたことは、
満州国当時の支配の象徴ともいえる、日本の支配者が建設し政治・行政を担った、
日本的建物を「歴史を忘れない」という意図なのだろうが、そのまま今も使っているということだ。
満州国が崩壊し、日本が敗戦に追いこまれたとき、
まっさきにこれまでの恨みを晴らすためにぶっこわされてもおかしくなかった建物が保存され、
しかもそのまま使われているのは正直驚きだった。
だってそれこそ、満州に行ったら、日本人と知れたら石投げられるんじゃないかと思ったぐらいなのだから。
(もちろんそんなことはなかったが)

でもそこには日本の支配者の変わりに中国の支配者が入っただけ。
日本の警察署に中国の公安が入り、日本の官邸に中国の人民政府が入る・・・。
もちろん日本の抑圧体制とは違うものの、
所詮、政治の世界というのは、そこに住む人々とは関係なしに、
国家間、政治家間の権力闘争のなれの果てでしかないという思いを抱いた。

今、世界は様々な問題が表出している。
でもそこで考えねばならないのは、
国家レベル政治レベルでの権力闘争や政治駆け引きは、
彼らは無傷にもかかわらず、一般市民がただ犠牲になるだけのこと。

ブッシュや金正日やビンラディンやフセインがどうのと騒いだところで、
犠牲になるのは無実の国民でしかない。
残虐非道極まりない日本を追い出し中国が全土を支配したが、
もしかしたら一部の少数民族にとっては、単に為政者(支配者)が変っただけのことで、
抑圧されることには変りないかもしれない。

ラストエンペラー溥儀の目まぐるしく変り行く立場の変遷や、
中国政府が長春の日本の満州統治機構の建物をそのまま使っているのを見ると、
ふとそんなことを思う。

・カジノ
ラスベガス理解のために、この「カジノ」を借りた。
ただこの映画のラストシーンでもわかるように、
焦点は古き良き(悪き)カジノの時代を描いた作品で、
今のラスベガス理解にはあまり関係がない。

かつてのギャングが「今はラスベガスはまるでディズニーランドになっちまった」
と嘆くように、マフィアが裏であがりをいただく時代はなくなり、
ディーラーが客を覚える時代ではなくなり、
いかさま連中が押しかける町ではなくなってしまった。
大企業がホテルを買収しカジノ運営をする時代。

その意味で、今のラスベガス理解という意味ではちと見にくいし、
映画そのものとしてもあまりおもしろくはなかった。

ただカジノという大金が動く舞台をめぐり、
様々な人が虎視眈々とその金をくすねようと、あらゆる手段で狙っている姿と、
それを守ろうとするマフィアであるカジノ経営者および、
政治がらみのカジノ賭博委員会の人間の動きなど、
欲望に満ちた人間模様の悲喜劇を描いた点は、
オーシャンズイレブンなんかより、
はるかにリアリティがあって良かった。

・郵便配達は2度ベルを鳴らす
つまらないとかおもしろいとか以前に、意味がわからない。
2時間の物語を見終えて、この映画がいいたかったことは、
「人を犠牲にしては幸せは築けない」って、ことだったのかあ?

旦那を共謀して殺したけど、有罪にならず無罪になった。
2人で幸せを築いていけるはずだったが、事故で奥さんがなくなってしまう。
つまり、殺人はばれなかったけど、世の中の悪事は必ず因果応報、
まわりまわってくるってそんなことをいいたかったのか?

そしてこの意味不明の「郵便配達は2度ベルを鳴らす」という題名だが、
恐るべきことに邦題をつけた日本人が愚かなのではなく、
原題が「The Postman Rings Twice」となっている。

この題名は、郵便配達(たまたまある家を訪れたムショ帰りの男)が、
2度(旦那と奥さん)殺してしまうきっかけになったってことか?

ま、はっきりいってあまりおすすめできない映画であることには間違いない。

・バクダットカフェ
はじめはすごくいい感じで進んでいた。
頽廃というか、なげやりというか、なんというか、
そういう雰囲気ってのが、いらぬ説明やいらぬセリフがなく、
見事にシーンで見せきっていたと思う。

ところが後半になるにつれ、どんどんシーンにストーリーがつけられ、
無駄なセリフが多くなり、ありきたりの物語が付け加えられて、
結局はなんでもない映画になってしまった。

特に後半、もうここで終わるのかと思ってもいい場面が何度もありながら引き伸ばし続けた。
主人公の女性が不法滞在で警察に引っ張られてしまうことになったのが、
カフェに帰ってきてしまって、
またまたカフェが繁盛する様子が延々と描かれ、
しまいにはカフェに滞在している住人と結婚までしてしまうという、
そこまで完全にありきたりのストーリーを描かれてしまうと興醒めしてしまうわけよ。

なぜあの前半の、シーンだけで描いていた頽廃的な雰囲気のままとどめなかったのか。
残念で仕方がない。

凶気の桜
マンションから「飛び降りた?!」という窪塚君の映画をちょうど見ていた。
「凶気の桜」という映画。
たまたま格闘家の須藤元気さんにインタビューしたばかりだったので、
彼が出演している映画ということで借りてみていた。

今の日本を描いたエグイ映画というキャッチフレーズ通りだったが、
もう一歩、描ききれてないというかなんというか。
何かをもっと切り捨てた方がいいのか、
またはもっと詳しく描いた方がいいのか、
とにかく今のままではちょっと中途半端感が残る。

ストーリーはよくできている。
きっと本かなんかで読んだらおもしろいだろう作品。
今の日本にイラつく若者が「ネオなんちゃら」という徒党を組んで、渋谷でいきがってるんだけど、
本物の右翼やらヤクザやらの抗争に利用されて殺されてしまうという、よくできたストーリー。
要所要所にメッセージ性のある言葉が交ぜこまれていて、
意図したいことはなんとなくわかる。

でも、なんか、強烈に揺り動かされるような感覚とか、
強烈なメッセージ性とかそこまでのインパクトがない。
中途半端なエンターテイメントで中途半端なメッセージ映画になってしまっている。
もっともっと思い切ってやらなきゃ。

結局、結果だけを振りかえると、
「フリーの殺し屋」である江口洋介だけが生き残っていて、
じゃあ彼を主人公にしたらってことも思わなくもない。

北京ヴァイオリン

はじめのシーンが驚いた!
昨年訪れた上海郊外の水郷村、西塘だろう場所だったからだ。
ま、それはともかく、中国映画にしては非常によくできているし、
俳優もそれぞれ個性的でなかなかよい。
しかし今一歩ストーリーに納得いかない箇所が多く、すんなり見れない。
国際コンクールをあきらめ、北京駅で弾くのもどうかと思うし。
第一、どうして「心のない」先生とわかっていて頼んで、最後にやめてしまったのか。
そんなことはじめっからわかってるのに。

描き方を変えればきっと素晴らしい映画になる。
ヴァイオリン弾きの13歳が、屈折した大人の心をほぐしていくみたいなことだけに、
フィーチャーして映画を描いていけばとてもよかったのに。
それからヴァイオリン弾きは、よくヴァイオリンを弾ける素人より、
ヴァイオリンが弾けなくてもプロの子役の方がいいと思う。

いい点としてはよく中国的風景が描かれてるなということ。
駅のごみごみ感とか都市と田舎の違いとか。

茶の味
非常にもったいないな。 本当はおもしろいはずなのに、だらだら中途半端で台無し。
もっとしっかりやればうんといい映画になったのに。

映画の撮り方はすばらしい。
それぞれのシーンシーンのカットだけ見ていても、
そこにいろんな意味が含まれているような、
非常に素晴らしい映像。
映像だけで話を語れる映画になってる。
映像はほんと素晴らしいです。

にもかかわらず、中途半端にストーリーつけたり、
中途半端にセリフをつけてしまったり、中途半端にうけを狙ったりしているから、
どんどんつまらないものになっていく。

役者の演技も素晴らしいんですよ。
子役の演技も素晴らしい。ぜんぜんいやらしさがない。
やらされ感がなく、すごく自然。

素晴らしい映像と素晴らしい演技。
140分もいらない。妙な結論づけしたようなストーリーもいらない。
もしかしたらセリフももっと減らしてもいいかもしれない。
80分ぐらいにしてね、映像と仕草だけでどんどん見せてくれれば、
明快なストーリーがなくてもこの映画の素晴らしさは十分に伝わる。

ノーバディーズ・フール
何がいいたいんだかわからん。
単なる「いい人」物語なのか。
息子を捨て、奥さんと別れたおやじが、
30年後ぐらいになって、
町のかわいそうな人たちに親切にする姿を書いて、
それがどうしたって感じ。
でもなぜか、雇い主の雪かき機を盗んだりとか、
警官を殴ったりとかする。
それですべての人から頼られて、
でもその誰かと人生を共にすることもなく、
適度な距離を置きつつつきあっていく。
う〜ん、それで?これが映画?
ようわからんです。

オテサーネク(チェコ映画)
いやー、チェコ映画、いいですよ。
もうおどろおどろしくて、皮肉がききまくりで。
今後もどんどんチェコ映画を見ていきたいなと思うんですが、
これはちょっとダメでした。

民話を下敷きにしたらしく、
人間の精神的に病んでいくはじめの姿が、
だんだん民話ストーリーを追いかけるだけの、
ある意味、普通っぽくなってしまうのがちょっと残念。
赤ちゃんを路上で販売しているような、あの世界観でずっといってほしかった。
あまりに木の赤ちゃんのモンスター性ばかりがすごくなってしまって、
父母や隣の娘の反応が普通っぽくみえてしまう。
モンスターである実在しない木の赤ちゃんより、
実在する人間の矛盾に満ちたモンスター性に焦点をあてて、
それをおどろおどろしく描くのを突き通した方がよかったのではないかと思った。

あとは相性の問題で、この作品はヤンシュヴァンクマイエル監督のものなんだけど、
彼のはこの前、短編をちらっと見たんだけど、ちょっと合わなかった。
あとちょっと面長感があって、眠くなってしまうのもちといかんかな。

コーラス
もったいない!
ありがちなテーマとはいえ、きちんと描けばすごい感動作になるのに。
・・・ここからネタバレ注意・・・
不良学校の生徒たちを新任教師が、
これまでの体罰的なやり方ではなく、コーラスを子供たちにやらせたら、
学校がよくなりましたというよくあるありがちな話。
別にあちがちなのはいい。
問題は、
・不良な子供たちがコーラス導入をあまりにスムーズに受け入れてしまうこと
→そんな素直な子供たちだったら、教師に重傷を負わせるようなことはもともとしないんじゃないか。
→もっと摩擦があり、苦労してコーラスを導入し、そしてよくなりました、
という話でないと、見ていて説得力がぜんぜんない。

・不良子供たちへの体罰的なやり方が問題になり、校長が最後、逮捕される
→この映画の描き方では、そんなに校長は悪役になりきれていない。
→オチを校長=ヒール役にするなら、前半でもっと校長のあくどさを描かないと、
そのオチに共感できない。

・最悪の問題児は結局コーラスでも立ち直ることもできず、
濡れ衣を着せられたままで、かつそのせいで放火までしてしまって終わりにしている。
→そういう最悪の問題児こそ、見捨てずコーラスでたち直させました、ということこそ、
このありきたりなストーリーを感動に至らしめる最重要課題なのに、
あっさりそれを放棄してしまっている。
→なんだ、結局、ほんと悪ガキはコーラスなんかじゃ立ち直らないのかという余韻を残す。

というわけでせっかくいい題材だし、役者もいい演技をしているのに、
しっかりメリハリつけて描けていないのが残念でならない。

スウィング・ガールズ
ウォーターボーイズの吹奏楽部版。監督は同じ。
つまらなくはないが、なんか全体的に、受け狙い感があって、
非常に作り話くささを感じさせてしまうがゆえに、
なんかこう感情移入しきれないというか、リアリティを感じられないというか。
学園物、青春物って、リアリティがないとおもしくない。
フィクションでも現実に起こりそうな話でないと感動はできない。

パパって何?
暗い。とにかく暗い。
一時おもしろくなる気配もあるんだけど、
行き着く先はやっぱり暗い。
そして終わり方。
父が刑務所に入れられたところで終わりにしてもよかったかも。
それを数年後の偶然の再会と、
銃で父を殺してしまうシーンは、いらなかったんじゃないか。
これまで見てきた内容をすべて否定されたような。
殺しちゃダメだよ。あまりに軽薄な結末すぎる。
もっと複雑な心境があるんじゃないの?

みんなのいえ 監督・脚本 三谷幸喜
三谷作品ということで期待したが、ちょっと期待外れ。
ありきたりなストーリー。
しかもそれをしっかり描けず、変に奇をてらうから違和感を覚えてしまう。
・・・ここからネタバレ注意・・・

家をつくるにあたって、若い外国かぶれのインテリアデザイナーが設計し、
つくるのは妻の父親である昔気質の頑固な親父。
その二人が対立して家がめちゃくちゃになるのだが、
どこかクリエーターとして相通じるものがあり、
ともに作品をつくりあげていく、という内容なのだが、
すごく微妙なんだよね、描き方が。

結局、家は妥協の産物でしかないし、
二人は仲良くなったんだろうけど、
互いの作品に対する主張は、結局、合理性のないエゴにしか思えないし、
(若手が扉を内開きにこだわったり、ベテランが6畳のところ20畳の和室をつくってしまったり)
だからよかったよかったとは到底思えないし、
ハッピーエンドになるはずもない。

本来なら、この映画で象徴的なシーン、
バーテンダーがカクテルをつくったのだが、いつまでたっても気に入らないと、
客を待たせてしまうシーンがあり、
結局、若手デザイナーもベテラン大工も、
客のことをまったく考えない、仕事としてサービスを提供していない、
単に自己満足にこだわっているだけの輩だと皮肉る結果こそ、
本来はこのストーリーからいけば納得のいく結末になるはずだ。

もしハッピーエンドでみんな幸せになりましたなら、
あのバーテンダーのシーンを見た若手デザイナーが、
はっと自分の愚かしさに気づいて改めるはずなのに、
それどころか、彼はそれを見て、なぜか壁をめちゃめちゃにしてしまうという、
意味不明の行動をとらせる。

いい部分、いいシーンも多いのに、実に残念な「作品」だ。
それとも三谷氏のことだから、この自分の作品も、
登場する自己満足クリエーターたちのように、わざと「駄作」にしたのだろうか。
それならあっぱれである。

イルマーレ
韓国映画。
ここからネタバレ注意

過去と未来をつなぐ郵便受けをもとに、
二人の男女が手紙を出し合う。
「時を越えた愛の物語」というが、
女性のほうは前の彼氏に未練たっぷりなので、
別に2人の愛の物語ではないはず。

せっかく時を越えるポストという仕掛けがあるんだから、
もっとおもしろいストーリーを描けそうなものだが、
たいしたことはしていない。
さらに問題なのは男性も女性も、
このタイムマシーン的ポストに関係なく、
交通事故にあうという点。
韓国映画は交通事故の悲劇が好きなのかな。
冬ソナでもそうだし。
1つの映画で2人とも交通事故ってのはあまりに芸がない。

前半は単調だし、結局これは何をテーマにしているのかよくわからないし、
最後、無残にも彼が交通事故にあい死んでしまい、
「過去は変えられない」という意味ならいいが、
最後に2人が出会ってしまうシーンがあるゆえ、
それを台無しにしてしまっている。
シーンにこだわったというがすごいきれいな映像作品ともいえない。

ミリオンズ
テーマはものすごくいい。
ストーリーも後半は申し分ない。
にもかかわらず前半のあまりに単調で意味不明の描き方のせいで、
多くの人は見始めてすぐ見るのをやめてしまうだろう。
実にもったいない。

ここからネタバレ注意
テーマはお金と幸せ。そしてお金の使い方。
これについて後半は実に素晴らしく描けている。
大金を得てしまった家族の不幸。
物欲にはしってしまうしかない使い道。
学校で教える寄付も、噂が広まると、
寄付団体が家に列をなして押しかけるという皮肉。
そこにユーロへの両替をしないとポンドが使えなくなるという、
1つの社会的背景を盛り込むことにより、
お金を使うタイムリミットが設けられていることが余計おもしろさを増す。

さらには換金するにも、
「ユーロは一時的に値下がりするから、ドルに換えておいた方がいい」
といったことを長男に語らすのも非常におもしろい。
ちなみに長男は大金をより増やすために、
投資物件を探したりするなどが、
ある意味ではお金持ちの滑稽さを描いていて実におもしろい。

前半からがんがんお金の使い方にテーマを絞ってつくっていけば、
非常に示唆にとみ皮肉のきいたおもしろい映画に仕上がったのではないか。

ユア・マイ・サンシャイン
★★

実話をもとにしたすごい話の映画なんだけど、
そのドラマティックさがあんまり伝わってこない映画。
前半の単調さと後半の説明なき急展開さが、
どうもしっくりこない。
実話をもとにしてるんだから、
もっとうまく描けば、ほんと素晴らしい映画になるはずなのに。

鉄コン筋クリート
★★

もっとシンプルに描けば、
絵もいいしストーリーもテーマもしっかりしているんだから、
いい映画になるのに、
妙に凝っているというかわざと複雑に見せて、
つまらなくさせている。

古い街並みの再開発をめぐるテーマは、
実にタイムリーで、東京をはじめ、
不動産バブル再来の日本各所で、
このようなことが行われている。
そういうテーマを扱っているのはすごくいいわけです。
しかも街並みの絵が実にリアル&ファンタジーで、
昭和的懐かしさを感じるいい雰囲気なわけです。

もっとシンプルに、5歳の子供が見てもわかるような、
そういう描き方をすれば、素晴らしい映画になるのに。

時をかける少女(アニメ版)
★★

いまいちなんだよな〜。
なんだろう、圧倒的に編集が悪いのと、
声優が悪いのははっきりしている。
意味もないのにだらだら長く続けるシーン。
主役の声優のわざとらしい笑い声や泣き声は、
3〜5歳児の声ならフィットするんだろうけど、
とても主役の年齢にあっているとは思えないほど情けない。

まあそうした点もストーリーがおもしろければ吹き飛んでしまうんだろうけど、
ストーリーも今一歩、なんかすっきりしない点がある。

(ここからネタバレ注意)

時が戻れてしまう。
それでいいように時をあやつりいいことばっかのはずが、
ある時をきっかけに、時を操ったせいで周囲が狂っていってしまう。
それを修正しようとまた時を戻して悪あがきをして、
余計ひどくなってしまう・・・。

じゃあその結果、やっぱり時を戻すってのはいけないことなんだねってことじゃなく、
結局はすべて時を戻して丸くおさまってしまうってのが、
なんともすっきりしない。
なんだろう、とにかくすっきりせずイマイチ感を覚えてしまう作品。