カトマン沈遊記 かさこワールド カトマン沈遊記目次

・クマリの祭り
9月24日にネパ−ルで大きな祭りがあるという話を聞き、
その祭りを見るために日程をあわせてチベットからネパ−ルに入った。
ネパ−ルに到着したのは祭りの2日前の9月22日だった。
どんな祭りか聞いた話によると、生き神クマリという少女が、いつもは館に潜んでいるにもかかわらず、
年に1回、この祭りの日には外に出てきて、現在のネパール国王をひざまずかせる儀式が行われるというものらしいのだ。
なかなかおもしろそうな祭りじゃないか。だって国王ともあろう人がただ一介の少女にひざまずくなんて、
これはすごいことだ。ぜひ見てみたいと思った。

ネパ−ルの正式名称は「ネパ−ル王国」である。王国の国王ということは絶対的な権力の持ち主に違いないが、
その国王が祭りとはいえ、民衆の前で少女にひざまずくのだから、これは大変なことである。
一番国の中で偉いはずの国王がひざまずくということは、国王よりも偉い人を認めるということではないか。
それだけ生き神クマリに対する信仰が深いのだろうか。祭りに対する興味は尽きなかった。

そして、祭りの日。今日が祭りの日であることだけは知っていたが、それがどこで行なわれ、
何時から始まるのか知らなかったので、ミニオムホテルの従業員に聞くと、
ダルバ−ル広場で10時から行なわれるということだった。
ネパ−ルの祭りの中でもかなり大きなものだと聞いていたので、少し早めに9時頃、ダルバール広場に向った。
ところが広場に着いてもこれから祭りがすぐに始まるという気配が全くないのである。
クマリの館のすぐそばには、祭りの間クマリが乗る山車が置いてあったが、
その他には祭りが10時から始まるような兆候は見受けられなかった。
広場で1時間待ってみたものの、何も始まらないので一旦近くのチャイ(紅茶)屋に入って様子を見ることにし

外の様子をちらちら気にしながら座っていた。いちよ店の主人に、祭りは何時から始まるのか聞いてみた。
すると「午後17時からだ」と言うのである。
「えっ、17時から?10時からじゃないの?」
「いや、17時からだ」
「本当?」
「間違いない」
というわけで、せっかく来たものの早すぎたようなので、ホテルに戻って出直すことにした。

ダルバ−ル広場からホテルに帰る途中、退屈なのでみやげ屋に寄った。
そこにはカシミ−ル産のマフラ−が店頭に並べられていて、なかなか良さそうなものだったからだ。
違う色のものやら質の違うものやらいろいろ見せてもらいながら、値段交渉をしていた。
気に入ったマフラ−があり交渉に交渉の末、800ルピ−だった値段が550ルピ−に下がった。
ただこれ以上は無理そうだったので、それで手を打つことにした。
マフラ−を買ったからか、主人はチャイを頼んでご馳走してくれた。

店でゆっくりしていると、みやげ屋の主人が、「そろそろ行った方がいい」と突然言った。
「どこへ?」
「祭りだよ。祭り。知ってるだろう。もうそろそろ始まるよ」
「えっ、17時って聞いたんですけど」
「いや12時からだ」
「えっ本当ですか。」
「急がないと間に合わなくなるぞ」

てなわけで、これはみやげ屋でゆっくりとチャイをすすっている場合じゃないと、再びダルバ−ル広場に向った。
ところが行ってみると午前中に来た時の様子と変わりなく、祭りが始まる様子はなかった。
ただ前と違ったのは、広場にある3つの寺院の階段状になっている所に、
場所取りなのか座って待っている人がちらほらいたぐらいだった。
祭りが今日行なわれることは間違いなさそうだが、この調子ではまだまだ祭りは始まりそうもない。
やっぱりさっき聞いた17時説が正しいのか。しかし17時というのはちょっと遅いような気もした。
いろんな人が違う時間を言っている。一体祭りは何時に始まるんだ?
これは聞き回らないと正確な時間はわかりそうもないなと思った。

ちょうどそんな時、チベットで出会った日本人の旅行者と広場で出くわした。
「どうも久しぶりです」
「どうも、どうも。やっぱり祭りにあわせてチベットから来たんですか」
「そうです。ただこの祭り、一体何時からなのか知ってます?」
「僕は16時って聞きましたよ」
「16時ですか」

その後ホテルに戻って、ホテルの人やレストランの人、みやげ屋、ス−パ−の人、通り掛かった日本人などに聞いて回った。
しかしそれぞれが別々のことを言っていた。14時説、15時説、16時説、17時説、18時説。
ただ意見を総合して判断するに、16時か17時あたりの意見が多かった。中でも17時説を唱える人が多かった。
すべての意見を聞いていたらずっと広場で待っていなくてはならない。
ここは一番意見の多い17時説を信じてみることにしようと、ホテルで待機した。

17時説に的を絞ったものの、ホテルに待っていてもなんだか落ち着かない。
本当に17時なのかどうかもまだわからないのだから。かといって早く行って待つ気にもなれない。
そんな中途半端な時間を過ごし、ついに待ちきれなくなって16時頃、
ちょっと早いかなと思ったが、再びダルバ−ル広場へ向った。
広場に向う途中の道端で、これまたチベットで出会った旅行者に出くわした。
チベットで会った旅行者はみな、このネパ−ルの祭りに日程をあわせているから、こんなにも何度も会うのだろう。
しかし彼らは祭りから帰ってくるところだという。
「祭りに行かないんですか?」
「いや、今、行ってきたんですよ。ところが人が一杯で全く見れそうもないので、帰ってきたんですよ」
「そんなに人すごいんですか」
「すごいなんてもんじゃないですよ。あれじゃ全然見れないと思ったんで帰ってきたんです」

しまった。祭りは始まってはいないが、すでに人で一杯だというのである。もっと早くから待つべきだったのか。
今から行って見れるかわからないが、とにかく広場に行ってみようと思った。
ダルバ−ル広場に近づくにつれ人通りは増していった。いよいよ祭りが始まるのだという雰囲気が町に充満していた。
ダルバ−ル広場に到着すると、そこにはものすごい人で溢れかえっていた。
クマリの館と、国王の来るホワイトハウスのような建物の向かいには3つの古い寺院があって、
その寺の階段状になっている部分が見物客の客席になっていた。
それぞれ男性用席、女性用席、プレス席と3つに分かれていた。
その階段にはぎっしりと人が寄せ集まっていてもうそこには入れない。これはすごいなんてもんじゃない。
広場の中心部にはスペ−スが開けられ、銃を持った小隊と楽器を持った楽隊が待機していた。
あちこちに警官が警備にあたって、広場に客が入らないように見張っている。
人の山で広場がほとんど見えない。しかし来たからにはどうにかしなくてはと、少しづつ中に押し入っていく。
時間は夕方16時を回っていた。いつ祭りが始まってもおかしくない雰囲気だった。

しばらくすると広場に何台もの外車が続々と入ってきた。きっと国王が来たのだろう。
彼らがホワイトハウスの中に入っていくのがかろうじて見えた。
しばらくすると、その建物の2階のバルコニ−にその一団が集まった。
ス−ツや着飾ったドレスを着た人たちが互いにあいさつをしあっている。
国王だけでなくその家族や海外からの来賓も来ているらしかった。

いよいよ何か始まるはずだと、後の人はぴょんぴょん飛び跳ね始めた。
僕も同じように飛び跳ねてみるが、跳ねたところであまりよく見えないことに変わりはない。
しかし飛び跳ねないとなんだか落ち着かないので、見えもしないのに後にいる人たち同様ぴょんぴょんやっていた。
なんとかして祭りの様子を見ようと、中には大人同士で肩車する者もいた。
またカメラだけを上に上げてやたらめったらシャッタ−を切っている者もいた。
しばらくすると楽隊の演奏が広場に鳴り響き、ついに山車に乗った生き神クマリが登場したらしかった。
どこかの誰かが「クマリだ!」と叫んだ。もう観客席はざわついてしょうがない。
それに負けじとへたっぴな楽隊の演奏がガンガン鳴り響く。もう広場は混沌状態だった。何が何だかさっぱりわからかった。

前の方にいる人や寺院の高い所にいるよく見える人たちが、「クマリだ」と叫んでいる。
僕を含めた後にいる人たちは、あわてて再びあちこちでぴょんぴょん飛び跳ね始めた。僕も負けじと飛び跳ねる。
一瞬だけ確かにクマリと思わしき山車の台座に乗った、化粧をした生き神の少女がかいまみえた。
大勢の人々の熱気と騒擾の中で、一身に注目を浴びる一人の幼い少女。
まるで見せ物のように、人々の前に曝け出された一介の少女。生き神として選ばれた運命とはいかなるものなのか。
少女の表情は、本当の自分自身の内面は一切見えず、
生き神としてたたえるここに集まる大勢の人々の信仰心が乗り移ったかのような、
信仰の対象物としての無表情な人形のようであった。
無意識の状態。多分、少女は祭りのことを終わってから何一つ覚えていないのではないか。そんな気がした。

人々の熱狂は、クマリが登場するとすさまじいものとなった。もう何が何だかわからない状態。
人々のざわめきとカメラのフラッシュがあちこちで氾濫していた。広場は興奮の絶頂となっていた。
たった一人の少女を前にして、大勢の人たちが集まり歓声をあげていた。
みな少しでもよく見えるポジションを確保しようと、押し合いへしあいになった。
人々をこれほど惹きつけるものは何なのか。人々をこれほど熱狂させるものは何なのか。
クマリという単なる一人の少女を、生き神として信仰する信じる心の強さが、この騒ぎの源となっているのだろうか。

そして祭りは知らぬ間に終わった。多分ほんの数分間にしか過ぎなかった時間だ。
人々のどよめきとため息と心地よい疲労感と共に、名残り惜しそうに、人々は徐々に広場から散っていった。
僕は結局何も見えなかった。ただ一瞬少女の顔を見ただけだった。
国王が本当にひざまずいたのかもわからないし、何が起こったのかもよくわからない。
でもなぜか祭りが終わると、妙な安堵感があった。祭りが終わったんだというほっとした安心感。
祭りという場に参加してできたんだという満足感。そして一瞬だけ見たクマリの表情に、感慨深い想いを抱いていた。
心地よい安堵感と少しの名残惜しさと共に、僕は人々の波に揉まれてタメルへと戻っていった。
こんなに騒然とした場に居合わせたことが最近あっただろうか?
地元の人たちの信仰心からの熱狂が、僕にも少しうつったような心地よいほてり感があった。

雑学コラムA:なぜクマリに国王がひざまずくか?
ネパールでお祭りがあるらしい。そのお祭りでは、なんと国王が生き神クマリにひざまずくという。
生き神とはいえ一介の少女に、王国の国王がひざまずくというのは一体どういうことなのだろうか。
最高権力者たる国王よりも偉い存在があると、国王自ら認めるようなものではないか。
そんなことが本当にあるのだろうか。
というより、それほどまでにネパールにおける生き神クマリへの信仰が強いのだろうかと、疑問に思った。
クマリは常時ダルバール広場にあるクマリの館にいて、
時々窓から顔を出して観光客を喜ばすだけの存在でしかないと思っていたから、余計に不思議だった。

毎年初秋に行われるインドラ・ジャトラ祭りで主役を務めるクマリ。
盛装したクマリが山車に乗り、カトマンズの町を3日間巡行する。
クマリが館に帰ると国王はクマリを訪問し、その手から祝福のティカ(赤い粉)を受けるという。

クマリという神様の誕生は、マッラ王朝時代に遡る。
マッラの王たちが夜中になると守護女神タレジュとさいころ遊びをしながら王の仕事に関して教えを受けた。
しかしある時、女神の気を損ねることが起こり、それ以後は女神自身が姿を現す代わりに、
サキャ家系の娘に宿ってお告げをすることになったという。これがクマリ誕生の伝説らしい。

こうしてクマリが誕生したわけだが、祭りをはじめるようになったのは18世紀後半のこと。
マッラ3王国は互いに抗争を繰り返して弱体化しつつあった。
その頃、中部ネパールでは小王国ゴルカの王プリティビナラヤン・シャハはカトマンズ盆地攻略を狙っていた。
政権の危機を感じたカトマンズの王、ジャラ・ブラカシュ・マッラは、
1760年、ダルバール広場にクマリの館を建設して盛大な祭儀を行い、
国の平安を祈願するためインドラ・ジャトラと呼応するようにクマリの山車巡行をはじめた。

ところが1768年。クマリの山車巡行が行われている最中に、ゴルカ軍がカトマンズへ侵攻。
カトマンズの王は逃亡し、生き神クマリは侵攻してきたゴルガの王プリティビナラヤン・シャハに祝福のティカを与えたという。
現在の国王はゴルカのシャハ王朝の系統。カトマンズ盆地に侵攻してきたシャハ王朝にとってクマリは、
シャハ王家のネパール王としての正統性を意味づける歴史的背景があるのだ。
だからこそ最高権力者たる国王がクマリにひざまずくことまでするのである。
ただクマリというのは、何もカトマンズに限らずあちこちにいる神様で、もとは土着信仰で地母神崇拝的なものだった。
それを国家が権力の正統性を裏付けるために、一大行事として取り上げたに過ぎないとも言える。