椎間板ヘルニアドキュメント かさこワールド

腰痛とは全く無縁だったかさこが、2002年2月(27歳)、突如、腰痛に。
しかも日に日に悪化し、4月レーザー手術。 しかし効果なく2週間の寝たきり生活。
その後復活するも、6月末、またしても腰痛悪化する・・・。
かさこの腰痛は治るのか?
椎間板ヘルニアドキュメントをリアルタイムでお届けします。

・ドキュメント6:リハビリ〜退院(7/18〜24)
7・18:18日目
●歓喜!
待ちに待った起き上がれる生活。
今までただひたすら寝たままを指示していた先生がやってきて、
コルセットをつけて起き上がっていいとのお墨付きを得た。
しかもそれだけではなかった。なんと歩くことも許されたのだ!
といっても立ち上がるだけでちょっとふらつく今の僕は、
当然すぐには歩けないから、リハビリ用の歩行補助器を使って、
な、ななんと、トイレにいくことも許された!
これでベッドでうんちしなくてすむ!それが何よりうれしかった。

2週間寝た後は、まず起き上がるだけで、まだしばらくベッド生活が続くのかなと思ったが、
一挙に歩くことを許されて、もううれしくてうれしくて仕方がない。
歩けることで大喜びする・・・ほんとに健康であることの喜びを味わった。
歩くことなんて普段じゃ当たり前のことなんだから。それで大歓喜できるのだから。

さすがに寝たままでノートパソコン打つより、ちゃんと座って打った方がはるかに早い。
思いつくまま文章を書ける喜び。
こうして僕は2週間寝たきりという拷問に等しい生活から脱出できた喜びを、存分に味わっていた。

シャワーも浴びれる。歩けるからホットコーヒーも飲める。
トイレにもいける。座ってテレビを見れる。座って飯を食える。ああなんて極楽・・・

寝たまま、テレビをみ、本を読み、パソコンを打ち、電話をかけ、食事もし、トイレもする。
こんな辛いことにも慣れはじめた2週間。こんなにうれしい瞬間はない。
とにかくいち早く病院内を歩き回って筋力を復活させ、退院を願いたい。

●5分で筋肉痛
歩行補助を使って、空調の効いた快適な環境で、
何の障害物もなく、人通りもなく、平坦な道をわずか5分歩いただけで、早くも筋肉が痛い。
思うに、ドラマや映画などで監禁されたところから脱出するというシーンがあるが、
狭い部屋に2週間もおしこめられていたら、筋力弱って歩けないですよ。
まして走って監禁者から逃げおおせるなんて絶対に不可能。
最近の事件でも、長期にわたり監禁する事件があったけど、もし手足を縛られて動けずほっておかれたら、
いくら鍵が開いていても自分で脱出することなど不可能に近い。
「歩く」なんていう当たり前のことでも、ちょっと動かなければ簡単に人間の筋力は落ち、骨抜きにされてしまう。
いかに毎日の何気ない継続が大切かを知るいい勉強だな。

しかし、レーザーなんぞやらずにはじめから切開手術すべきだった・・・
手術後2週間。足のしびれもなく、痛みもない。嘘のように背筋を伸ばしてまっすぐ歩ける。

●人間の欲望は尽きることがない。
立てた、歩けた喜びもあっという間に終わり、1日も早く退院したいという焦燥に駆られている。
なんだか3ヶ月アジアを旅行した、旅の終わりに似ている。
目の前に迫った日本帰国を前に、やりたいことを列記し、
1日も早く、それを実行に移していきたい衝動に駆られている。
生き急ぐ僕に、旅や入院という空白を神がプレゼントしてくれたものの、
その空白は、逆に空白後の反動となって、ものすごい勢いで行動力を増幅させる結果となる。
つまりは結果、また生き急ぐことになるのだ。
当たり前のことが当たり前にできない入院生活の中で、
あれもしたい、これもしたいという想いが、普段の何倍にもなって爆発しそうだ。
だからこそ退職しなければ時間がないんだろうな。

7・19:19日目
●自分で何でもできる喜びはこの上ない。
人にやってもらえば何かと気を使う。
朝、パンが出るのだが、トーストするなら給湯室に行かなくてはならない。
さすがに忙しい看護婦にトーストしてくれとは頼みにくい。
それだけでなく、頼んだはいいものの、いつになっても来ずに、
朝食をいつまでたっても食べれないという状況も、十分考えられる。
そうなれば、仕方がないけど、トーストはあきらめようと思う。まあたいした問題ではないのだから。

でも自分で動けるようになり、誰に気兼ねすることもなく、自分のペースで物事を行える。
たかがトースト、されどトースト。
そしてまた、食後に一杯のコーヒーも、2週間ぶりの飲める。
夏だろうがほとんど冷たい飲み物を飲まず、ホットコーヒーばかり飲んでいる僕には、
2週間の禁ホットコーヒー生活は辛かったけど、歩けるようになれば、自分で何でもできる。

そして2週間ぶりのホットシャワー。
気持ちいいな。
この2週間、頭を洗ってもらったのは2回。体はおしぼりでふく程度。
それが熱いシャワーを浴びれるのだから、ほんとこの上ない喜び。
ほんとなんだか旅のよう。
安宿を泊まり歩いて、いちよシャワーはついているものの、熱湯などでるはずもなく、
ぬるま湯シャワーで何日も過ごしていていると、「日本に帰ったら風呂に入るぞ!」と願う。
まったくそんな状況に似ている。

ホットシャワーといえば、ネパールの安宿選びで、ホットシャワーが出るところをと選んだりして、
旅先で知り合った人が、「ホットシャワーでるの?!」と驚き、
僕の部屋のシャワーを浴びにきたりもした。
それほどまでに熱湯で浴びれるシャワーというのは、
単に体を洗うという意味以上に、大きな活力となるのだ。

自ら選んだ旅ではなく、強制的に入れられた病院での旅は、もう終わりに近づいている。

●ひたすら歩く
今日はかなり歩いた。
というか2週間寝たきりで、昨日歩き始めたばかりとは信じられないぐらい歩いた。
歩行補助器を使わずに結構歩いた。20分も歩くと足のあちこちが痛い。
筋肉痛なのだろう。でも僕は歩く。
だって下界で歩くことはこんなもんじゃない。
階段はある。立ちっぱなしの状態もある。
人混み、暑さ、障害物、昇り坂、下り坂・・・
今は病院で歩けるだけ歩く。

看護婦からさんざん「歩き過ぎ」と言われたが、とにかく歩く。
病院内で歩いた距離なんて知れてるのだから。
もちろん筋肉痛は覚悟の上。今はとことん痛みつける。
ここでしか安全な環境でのリハビリはできないのだから。
痛みに痛みつけて、負荷をかける。ガンガンに筋肉痛にして、それでも歩き続ける。
肉体が思い出す。新たに筋肉が再生する。
だから僕は、ひたすら歩く、歩く。

●カップラーメン
ほんとここの夕食はへぼい。典型的な和食で、腹にたまりそうもない。
年配の人は喜びそうなメニューだが、若者には到底絶えがたい。
とりあえずごはんとみそ汁とメインの魚を食べると、
さっさと食器を下げ、いよいよ本当の夕食がはじまる。
寝たきり生活時は、ポテトチップスを夕食の足しにしていたが、
本来ポテチはおやつであって食事の足しにするものではない。
食事をたらふく食べた後、別腹で食うものだから、
空腹時にポテチを食べるのは邪道であり、あまりおいしく感じない。

ところが自分で動けるようになったものだから、見舞いに来た人にカップラーメンを買って来てもらった。
給湯室にいって熱湯を注ぎ、3分待つ。
そして手術前日に脱走してラーメンを食べた以来、約2週間ぶりにあたたかい麺をすする。
食べたのは日清のカレーカップヌードル。

う〜ん。最高!
ほんと涙が出るほどうまかった。
とことんジャンクフード世代なのだなと思いつつ、
しょうもない夕食出すなら、カップラーメン一つ出してくれればいいのにと思う。

食事を残してカップラーメンを食べる不届き者などこの赤坂の病院にはいないわけだが、
川崎の病院にはそんなのがわんさかいた。
僕の前のベッドの人は、必ず昼は、病院の食事に一口も手を出さず、カップラーメンを食っていたし、
隣のおやじは、マヨネーズやらしょうゆやらソースやら、調味料をすべて取り揃えていて、
うす味で味気ない病食を自分で味付けするだけにとどまらず、酒も看護婦にばれぬよう飲んでたりもした。
まあそんな雰囲気を踏襲して僕もここでカップラーメンを食べているわけだが、
赤坂の病院だとどうもその行動は浮いてしまって心苦しいものの、
そんなことよりカップ麺を食える喜びの方が勝ってしまうわけである。

7・20:20日目
●起き上がり3日目
今日は歩行補助器なしでの単独歩行のリハビリ中心となる。
しかし歩く場所は病院の1フロワーで単調この上なく短い。
かつ看護婦の目につき心配されるのでこれでなかなか歩きにくい。
こんなことで歩いて喜んでいたらいけない。
シャバで歩くには、もっと複雑な状況で歩かなければならないのだから。
歩く場所がつまらないということもあるが、20分が限界だな。
それ以上やるために歩行補助器を使って、CDを聞きながら40分歩いた。

今、僕は何をやるべきか。
手術後、僕の仕事は、ただひたすら我慢して寝続けることだった。
それが治療上で僕の最もやるべきことだった。
そして今、起き上がっていいと言われた僕がやるべきことは、とにかく歩くことなのだ。
だから僕は時間のある限り、自分で無理をしない範囲ながらも、120%力を出すことを目標に歩いている。
安全に気をつけて歩くことと、長く歩くことはイコールではない。
7、80%程度の力にとどめておけば、単なる足ならしに過ぎず、
日常生活に向けて(実戦に向けて)のリハビリにならず、リハビリのためのリハビリになってしまう。
だから筋肉痛になるまで120%力を出しきるところまで歩いている。

ところがそんなリハビリ姿を見て、ことごとく看護婦が遠回しにやめるように言うのである。
特に今日はひどかった。
2日目に短い距離で歩行補助器なしで何度も歩いており、
その姿を主治医も知っていて、特に何も言われていないのに、
「歩行補助器を使って歩いてください」と言うのだ。

おいおいそんなもん、昨日で卒業したんだよ。
いつまでもちんたらリハビリで、毎日莫大な入院費とかかる病院にとどまっているわけにはいかないんだ。
入院にコストがかかっていることを忘れてないか?私は金持ちではないのだよ。
いつまでも入院しているわけにもいかず、時間も無駄に過ぎていく中で、
起き上がった僕がやるべきことは、ただひたすら歩くことなんだ。
どうもその点を看護婦はわかっていない。

心配してくれるのはありがたいが、どうもこの手の心配は、僕の心配というより自分の保身くささが漂う。
自分が担当の時に何かあったら大変だ。余計な手間をかけたくない。
リハビリしてる最中に何度も声を掛けられ、歩くことを反対されればされるほど、
リハビリはしにくくなり、歩くことに集中できず、看護婦の目にとまらぬようにしようだとか、
ナースステーションの前は早く通りすぎようとか余計な気を使う結果となり、
看護婦が余計な心配をすればするほど、僕は安全に歩くことから遠退くのだ。

その点、ベテランの看護婦や主治医は違う。
僕が歩行補助器なしで歩いているのを見ても、「気をつけて」と口先だけでなく、
まずコルセットがきちんと着用されているかを見てくれる。
その上で、「あまり無理せずかんばってね」と言われると、
ああこの人は他の看護婦と違って、患者のことを思って言葉をかけているなとわかるのである。

こんな風にしてせっかくのリハビリも、バカな看護婦のせいで思う存分できず、
苛立ちが募る中、バカな看護婦がいる時には目立たぬように秘密特訓せざるを得なかった。
まあでもそんな彼女らの言葉を「はい」と言いながら、なかば無視して、僕はどんどん歩いている。

なぜなら、今僕がやるべきことは、ベッドで寝ていることではなく歩くことなのだから。
病院内でいくら歩いたって、町を歩くのとはわけが違う。
外は暑さ、人混み、階段や坂、でこぼこな道や障害物、車や自転車など、
極めて高度な歩行技術を要するわけで、クーラーの効いた、何の障害物もない、
カーペットがしきつめられた道をいくら歩いたって、
筋肉痛になるだけの話で、本当のリハビリには程遠いのだから、
せめてこんな安全な環境で歩けるだけ歩いておくのが、僕の今最もやるべきことなのである。

僕だってつぶやき書いたり、本を読んだりしたいのはやまやまだが、
それではコストをかけて今、僕が病院にいる意味がなくなってしまう。
とにかく今は歩くこと。
バカな看護婦、自分の保身ではなく本当の意味で僕の心配をしてくれるなら、
つまらん単調な1フロワ−だけのリハビリコースだけでなく、
もっと他のコースを用意することぐらいしてくれるのが、本当の意味での患者への心配というべきだろう。

7・21:21日目
●秘密特訓2
2週間ぶりに起き上がってリハビリ4日目。
例のごとく、フロワ−を所狭しと何周も回っていたのだが、今日は日曜日なのに入院患者が続出で、
看護婦と廊下で話す患者の前を何度も通るのは悪いなと思っていた。
そんな状況下ではてどうしたものかと迷った挙句、
とりあえず歩きの訓練ではなく、外の暑さ対策をしようと切り替えた。

昨日も5分ほど外に出ていたのだが、それではほんの暑さならしにもならないので、
14時の検温までの20分、外に出て暑さに対するリハビリを行おうと、
さっそうとエレベーターに乗って外に出た。

昨日外に出た時よりはるかに暑かった。なんたって午後1時過ぎなのだから。
しかしその暑さがなんとも心地良かった。
ただ外に出てつったっているのはつらいので、リハビリがてら病院の回りを少し歩こうと考えた。
赤坂の日曜日にはほとんど人通りもなく車も通っていない。
しかもこの暑さ。僕のリハビリにはもってこいだ。
僕は気持ち良く暑い日差しを受けながら、約1ヶ月ぶりとなる外の散歩を楽しんだ。

さすがに外は恐い。院内を歩くとのは全く違う。
こんなにも下界とは恐ろしいところなのかと、想像以上のギャップを感じた。
普段気にしないなだらかな坂でさえ歩くのがしんどい。
歩道を歩くことはままならず、障害物を避けながら、車や自転車に後方を注意しながらゆっくり歩く。
気持ち良いと感じた日差しは容赦なく照りつけ、
1ヶ月ぶりに外を歩く僕の体力を急激に奪っていく。

病院内を歩いている時から、ここで歩くのと外で歩くのとは全く違うことを頭ではわかっていたが、
ここまで違うとは思ってもみなかった。
僕は荷物さえ持っていないのに・・・。

病院内で1時間歩くより、実戦の場で歩くわずか10分足らずは、貴重なリハビリだった。
外出許可はもちろん出ていないし、
歩行補助器なしで騒ぎ立てる看護婦連中に何を言われるかと怯えながら歩くのは、ほんと緊張の連続だ。
もしここで何かあったりしたら、「ほらみろ!」と言わんばかりに総攻撃させる。
そんなことになってはならないと、実に緊張しながら歩いた。

でもやっぱり太陽の日差しは気持ちいいよ。
クーラーの部屋に閉じ込められると、ほんと体に悪い。
外の緑に心洗われ、夏の日差しに季節を感じる。
僕の大好きな夏がやってきたことを、やっと今になって実感できたのだった。

7・22:22日目
●秘密特訓3
秘密特訓も大分進化してきて、今日は40分ほど外を歩いた。
なだらかな坂道、階段も歩いたし、さっさと退院したいな。
ひょっとして僕って治りが早いのかも。

午後は秘密特訓は致し方がなく自粛。
というのも、午前中、外来の終わった主治医が、いつ顔を出すかわからないからだ。
主治医が来たらあさってに退院できないかと打診したいから、なんとしてでもすれ違いを避けねばならない。

それで午後は仕方がないので、3階のわずかなフロア−も50分近くもぐるぐる回っていた。
そんなこともあってか、午後の検温に来た婦長さんが、
「笠原さんの回復の早さにみんな驚いていますよ」と言っていた。

僕の中ではリハビリ3日目にしてすでに歩行補助器なしで歩いていたのを、心配症の看護婦に発見され、
「笠原さんは要注意」を目をつけられたのか、
土曜の夜勤の看護婦にも、日曜の日勤の看護婦にも、もちろん日曜の夜勤の看護婦にも、
きちんとそれが引継ぎされているようで、看護婦が替わるごとに、
「もう歩行器なしで歩いていいって先生に言われたんですか?」
「あまり無理しないでくださいね」とさんざん言われたのである。

だったらはよ先生に確認しなはれ、ほんまに心配なら。それが筋ってもんやろ。
先生に確認もせずに「心配」といってさんざん口うるさく言われるのはたまったもんじゃない。
まあそんな情報が婦長にも伝わったのか、1時間ぐるぐる歩いているのを見ていることもあって、
「回復の早さにみんなが驚いています」ということになったのだろう。

そんな状況だから、「いえ実は昨日も今日も外でも歩いてるんです」
なんて口がさけても言えない状況で、
「外で歩いてもいいですか」なんて聞こうものなら、まず間違いなく反対されるだろうから、
仕方がなく、隠したいわけではないんだけど、秘密特訓にならざるを得ないのである。

早い早いと確かに早いのかもしれない。
もともと体力にも自信があるから、結構無理して重い荷物を持ったり、
40度の砂漠を10kmほどチャリンコこいだり、
そういった体力的な能力が回復の早さになっているのかもしれない。

というか僕に言わせれば2週間寝ていたのはちょっと長すぎたのであって、
本当は僕なんかの若い人なら1週間ぐらいでも良かったのではないかと思う次第ではある。
まあここに入院している患者の平均年齢は多分60歳を超えているから、そういった患者を基準に見て、
「え、もう歩行器なしで歩いてるの?」と心配になるのだろうが、
その辺は看護婦なのだから、性別や年齢、病歴を考慮して、個人差を考え助言すべきなのである。

というわけで、もう外を歩けるようなら、はっきりいってここの病院にいる必要がないわけで、
さっさと退院したいといまかいまかと主治医が来るのを待ち構えている。

●退院決定
主治医は非常に合理的な感じの人で、好感が持てる。
今日見に来てくれてあさっての退院に、すぐOKを出してくれた。
やっと長い旅に終わりが来た。もちろんすぐに会社には行けない。
幸いにしてデスクワークだったから良かったものの、
通常通り何をしても構わないのはあと1ヶ月先だという。
1週間は自宅でリハビリし、会社に行っても構わないという。

退院。
なんとこの日を待ちわびたことか。
結果的には23泊24日+川崎の病院で3泊4日。
約1ヶ月にも及ぶエアポケットだった。

これからまた新たな人生に向けてやらねばならないことがたくさんある。
というのも退職するという言葉は、上司の胸のうちにしまわれていて、誰も知らないのだから。
3年という目標からすれば早いといえば早いが、これほどいいタイミングはない。
なんとかここで退職し、しばらくゆっくりし、
(ゆっくりといってもこの休みをフルに活用し、忙しくはなるだろうが)
新たなステップアップを考えたい。

7・23:23日目
●衝撃!
僕の退院が決定した翌日に、
「ミスチル桜井、脳梗塞!ツアー中止、年内活動休止!!緊急入院」
のニュースにぶったまげた。
8/4の神戸のミスチルコンサートを楽しみに入院生活を送っていたから、
単純に中止になったことは残念だったが、それにしても僕の退院の翌日に、
大好きなミスチルのそんなニュースが流れるとは。
考えるところがいろいろと多いな。

●計画的犯行
起き上がりが許されてから5日間。
ナースステーションの周囲を何十周も歩き回り、早々歩行器なしで歩き回り、
やたら看護婦の目につき、心配や激励や注意や警告まで受けるぐらい、歩き回った僕が、
明日の退院を前に、今日はうってかわって一切歩かない。
これだけおとなしい僕に看護婦も不信気だが、これももとから僕の計算づくでの行動だ。

なんせ主治医が顔を出すのは1日1回、わずか2、3分。
調子はどう?いいです。じゃあ引き続き・・・で終わってしまうから、
とにかく今、僕は元気で歩くのに何の支障もないということを訴えるには、
まず看護婦にアピールしなくてはならない。
看護婦から普段の僕の驚異的なリハビリ状況を聞かされれば、退院が早まるというものだ。
また主治医が来そうな時間を見計らってのリハビリも計算づくでやっていた。
(残念ながらその成果はかんばしくなく、僕が休んで眠っている時ばかりに主治医が来て、
「かさこさんはほんとよく寝てますね」といわれてしまっていた・・・)

もちろん単にアピールするためだけではなく、やはり外を歩くことを考えれば、
病院で歩いて歩き過ぎることはない。
僕なりのリハビリ計画で進行させていった結果、結果的に退院アピールにつながったといってもいい。

それと同じように、今日歩かないのは、
単にもう退院が決まってアピールする必要がなくなったからだけではない。
むしろこれまでかなりハイペースで長時間のリハビリを行ってきた。
だから明日の退院にそなえて、軽い筋肉痛を治すべく休むためなのだ。

5日間歩くだけ歩けば1日休んでもそれほど筋肉は落ちない。
退院日にはタクシーで帰るとはいっても、病院内での安全な環境ではなく、
いよいよ弱肉強食のシャバに出るのであるから、
その時に筋肉痛では今まで何のためのリハビリかわからない。
一度家に帰ってしまえば、また同様にリハビリすればいいのだが、退院が一番心配なのだ。
だから退院前日は全く歩かないのである。

どうも僕がそこまで計算してリハビリとか秘密特訓をやっているとは、誰も思っていないようで、
やたらめったら「無理しないで」と言われるのは、心配してくれるとはいえ、
当人にとってはありがた迷惑であって、本当に僕のことを考えるのなら、
主治医に確認して医学的根拠のもとによるアドバイスなり、リハビリするための積極的な環境提供など、
そういったことでの心配を切にお願いする次第である。

何がどうあれ最終的にはすべて自分なのだ。
医者や看護婦がどういおうが、
自分が納得できない行動をして後で悔いることほど無念なことはない。
周囲のアドバイスを受け、その上で自分が判断し行動すれば、結果はどうあれ後悔はしない。
最後は結局は自分なんだ。
もちろんそこに至るまでに他人の協力やアドバイスがあってこそ。
でもそれに振り回されて自己判断しないのは、悔いを残すだけだ。
何事も自分で判断し行動し、その結果に自分が責任を持つ。
そうでないと医者も政治家も警察も教師も信じられない時代にはやっていけない。

とまあそういうわけで、僕はやたらめったら無理して歩き回っていたのとは違う。
綿密な計画と細心の注意の上で、大胆な行動をする。
他人にはその大胆な行動だけしか目にとまらず、心配する結果になるのだろうが、
僕がその行動を起こすまでにどれだけ考えているかということを知ってもらいたいよな。

常に僕は確信犯である。
何事も時代や他人のせいにしていてもはじまらない。
だから自分で判断しなければ。

時代は自己判断・自己責任の時代である。
騙す方も悪いが、騙されてしまった後では手遅れになってしまう。
それは飲めばやせるなんてバカなトリックにひっかかり、
たいして太ってもいないのに、流行りすたりでダイエットブームに押し流されている、
現代女性の悲劇は、自己判断・自己責任の欠如と言われても仕方がない。
騙す方が悪いといっても死んでしまってからでは何もならないのだから。
何とひきかえにダイエットを選ぶか。
リスクとリターンを考えて行動して欲しいなと思う。

●眠れない
明日退院だというのに、なんとも長い夜を過ごした。
ここ連日、眠いのに眠れず、寝苦しい夜が続いた。
起き上がれるようになってからは、1日中ベッドに寝ているわけではないので、
昼寝する時間も圧倒的に減り、また夜眠れないので、ほぼ昼寝をせずにもかかわらず、眠れないのだ。
21時に消灯されてから、真っ暗闇の天井を恨めしく見続けた。
もう夜があければ待ち望んだ退院なのに、
僕はなかなかねつけず、じっと暗闇の天井を見据えていた。
退院ということがまだ信じられないのかもしれない。
ここでの生活が長すぎて、それが当たり前になってしまったのだから。

7・24:24日目
●退院
退院当日!
僕はこれから楽しい旅行に行くのを待ちわびているかの心境だった。
ここから脱出できる。
ただ自分一人で荷物を持つことができず、妻が来てくれるのを待たざるをえない。
そう思うと、退院したとはいえ、まだ自分じゃ何もできないのだという情けない思いもあるが・・・。

予定通り、昼に妻が来ると、ラーメンランキングトップ10内に入っている、
赤坂見附の刀削面を食べに行く。
手術の前の日も病院を脱出してラーメンを食べ、そして退院すぐにラーメンを食べる。
病食ばかりだとラーメンみたいなものがとっても食べたくなるらしい。

まあでもこうして、排泄欲にも悩まされることなく、食欲に神経を注げるようになったこと事態、
ある意味では大きな進歩なのだろう。
寝たきりで排泄欲に悩まされていた時は、でないから、なるべく食べないようにしようと、
どこかでセーブしていたのだから。

帰り、電車に乗っても良かったが安全をとってタクシーで帰宅。
なんだかまだ信じられない。
病室を出て、エレベーターを降りて、外に出て、
そしてもうそこから無限の荒野に出て病院に帰る必要はないのだ。

僕が入院している間、みんなはここで生きていたのか。
そんな目で外界を眺めていた。

久しぶりに家に帰ってきた。
といってもこの家は引っ越してきたばかりで2ヶ月しか住んでいたい時点で、
入院1ヶ月過ごしたから、なんだかここが自分の家じゃないような不思議な感覚だった。
だから僕はことさらに「わがやに戻ってきた」という言葉を繰り返していた。

帰ってきた喜びと、退屈で不便だけど気楽で安全な病院という特殊空間から逃げてた脱力感。
そして、僕はまだ何もしていない。
退院してからが本当のスタートなのだ。
普通に外を歩けるようにならなくてはいけない。
荷物を持てるようにならなければならない。
退職届を出しに行かねばならない。
転職先を考えねばならない。

そして僕が1ヶ月の入院を終えて、真っ先にやりたかったことに僕は手をつけた。
そう、それはかさこワールドを更新すること。
読者のみんなに退院したという報告をしたかったこと。
不思議なことだが、毎日更新しているかさこワールドは、大変なことではなく、
僕の心の支えであり、一番の趣味であり楽しみになっていた。
こうして退院を報告できる場があり、病院で考えた事を、たとえ少数であろうと、発表できる喜び。
かさこワールド、ありがとう。
なんだか自分が作ったホームページに自分に励まされた感覚だったな。

入院生活完


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