神なき時代のカテドラル〜メキシコ旅行〜 かさこワールド

メキシコという国は、知っているようであまり知らない。世界遺産が21もある歴史と自然あふれる国である。
世界3番目の規模を誇るピラミッド・ティオティワカン。謎に包まれた数多くの巨石遺跡が残るマヤ・アステカ文明の中心地。
しかし昨今の日本人旅行者に人気なのは、世界有数のビーチリゾート・カンクンであり、
「地球の歩き方」では、首都メキシコシティを出しぬき、まずカンクンが紹介される有様である。


 古代文明が栄えたこの地には、
 残念ながらメキシコ語もなければメキシコ人もいない。
 公用語はスペイン語であり、
 町で人を見ても「メキシコ人」とくくれる共通の枠はなく、
 それはかつて学校の社会で習った「メスティソ」
 (先住民とスペイン系白人の混血)が、人口の約80%を占めるからである。

 その風景は意外にも極めてヨーロッパ的だ。
 どこの町にも、大教会(カテドラル)を中心とした広場(ソカロ)があり、
 そこが町のセンターだ。ないのは城ぐらいなものである。
 約95%がカトリック教徒であり、
 町の片隅やバスの運転席にもキリストが奉られている。

 その信仰が意外にも熱心であることに驚かされる。
 スペインに征服されたにもかかわらず、
 うまくスペイン文化と融合した安定さを感じさせる国だ。
 (写真:メキシコシティ・メトロポリタンカテドラル)


メキシコというとなんとなく「治安が悪い」「物価が安い」「後進国」といったイメージを持つかもしれないが、
そんなことはない。大都会。立派な先進国である。
標高2200mにある首都メキシコシティは人口2000万人の世界一の大都市だ。
車がひっきりなしに走り、ファミレス・コンビニ・ファーストフードもある。
ちなみに今年大騒ぎのワールドカップにも日本開催グループにメキシコは登場する。しかも世界ランクは9位である(日本は35位)。
タコス屋台で知り合ったおやじに諭されたものだ。
「日本は確かにいいチームだ。しかしメキシコに比べればまだまだだ」と。

 町を歩き、教会の前にたたずみ、サボテン山を越え、古代遺跡をまわる。
 そんなメキシコの旅で考えたのは「神」だった。
 2001−2002tubuyakiSPECIALで書いた「神なき時代に未来はあるか」。
 今年は日本にとっても世界にとっても大きな時代の転換期にあたる。
 そこに出てくるいくつかのキーワードの中でも重要なものの一つが「神」である。

 “神とは何か?”
 2002.1.1に発売されたミスチルのニューシングルB面「さよなら2001年」で、
 桜井君はこんなことを言っている。
 「ねえ神様 あなたは何人いて一体誰が本物なの?」

 その答えになるヒントをメキシコという国は与えてくれたように思う。

 神なき時代のカテドラル。 神なき時代のピラミッド。
 そこに現代の危機を乗り越えるヒントがあるように思えてならない。
 (写真:トゥーラ遺跡・4人の戦士像)



・遺跡考学
<1>古代遺跡の巨大の謎

 なぜ時代をさかのぼればさかのぼるほど、遺跡は強大なのか?
 ひょっとすると昔の方が、
 今よりはるかに高度な文明が発達していたのではないだろうか?
 遺跡の前に立つと、そんなことを考えさせる。

 しかし世界で3番目の規模を誇るピラミッド擁する、
 ティオティワカン文明を滅ぼしたのは、
 一説によると、これよりはるかに小規模な遺跡しか残されていない、
 トゥーラのトルテカ文明だったという。

 (写真右:紀元前2世紀頃から建造された、
 ラテン・アメリカ最大の宗教都市国家・ティオティワカン遺跡)
 (写真左:7世紀、ティオティワカン文明消滅後に現れた、
 トルテカ文明の中心都市トゥーラ遺跡)

 同じく、広大な都市遺跡・モンテアルバンは打ち捨てられ、
 人々は小さな田舎村ミトラへ移っている。



 (写真右下:中央アメリカ最古の遺跡・モンテアルバン)
 (写真左下:モンテアルバンを放棄した後、宗教の中心地となったミトラ)

時代が進むごとに、遺跡は小型化する傾向にあるのだ。
時代が進めば進むほど、遺跡の規模が小さくなるのはなぜだろうか?
きっとそれは、昔の方が権力の集中が著しかったからだろう。
圧倒的な力を持つ少数の権力者が大多数の奴隷を支配して、自分の権力誇示のために大規模な史跡を作り上げた。

遺跡の規模は民主主義度に反比例する。
民度が高ければ高いほど、権力の集中は少なく、遺跡は必要最低限の小規模なものになる。
一方、支配者の権力が集中していればしているほど(民度が低ければ低いほど)、遺跡は巨大化する。
だから僕らは単純に、遺跡の大小で、文明度を図ってはいけないのだと思う。

不況にあえぐニッポン。
にもかかわらず、田舎の市町村にいけばいくほど、不必要な立派な庁舎や無駄な施設があることが今も問題となっている。
豪華な庁舎がある市町村ほど、それだけ為政者が好き勝手に税金を使うことができるという、
民主主義度の低い地域であることを指し示しているのではないだろうか?

<2>エジプトピラミッドとの比較


(写真右:世界で3番目の規模を誇るティオティワカンのピラミッド。階段があり、頂上までのぼることは大変ではない)
(写真左:まっすぐに伸びる道を中心に、遺跡群が計算され尽して並べられているティオティワカン遺跡)

ピラミッドといえば言わずと知れたエジプトのピラミッド。
エジプトに行った時、絶対にピラミッドに上ろうと思ったが、目の前にしてそれが無理であることを悟った。
積み上げられた一石一石があまりにも巨大であるからだ。
それに比べてこのティオティワカンのピラミッドは、高さはそんなにかわらないにもかかわらず、楽に上ることができる。
階段があることもその要因であるし、エジプトのピラミッドと違って、巨石が積み上げられているわけではないこともその要因である。

エジプトのピラミッドとの相違点は、ピラミッド周辺に残された遺跡との連関が極めて明白であるということだ。
遺跡の保存状態の問題なのかもしれないが、
このティオティワカン遺跡は、1本の死者の道を中心に各遺跡が精緻に並べられていることがわかる。

エジプトのピラミッドは、どこか神々の仕業、宇宙人の仕業ではないかと思わせるような、
人間技ではない、超自然を感じるが、このティオティワカンでは、計算され尽くした人間の大規模事業だと感じた。

<3>人類の叡智と愚かさ






 世界各地に残るピラミッドは、一体誰が何の目的で作られたのだろうか?
 それは今だはっきりとは解明できぬ世界の謎である。

 しかし、人はピラミッドを眼前に立ち尽くすと、
 もっとシンプルな結論に行きつくことになるだろう。

 “ピラミッドは、のぼるためにある”









 どんなテーマパークより、
 スケールのでかい遺跡に子供を連れてきた方がはるかに喜ぶことだろう。
 ビーチは人を虚無にさせるが、遺跡は人に想像力を与えてくれる。

 モンテアルバンに、日本人の家族連れが来ていたのが印象深かった。
 年末年始、テロのご時世、メキシコの田舎町の丘の上の遺跡まで、
 小さな子供を二人も連れて家族で旅行している、
 そんな家族に僕は敬意を表したくなった。
 ハワイでアホみたいに高級ホテルにふんぞりかえって、
 殿様気分に浸る子供を育てるより、
 2000mの高地で人類の叡智と無謀さが現れた遺跡を見ることの方が、
 どれだけ子供のためになるだろう。

 とはいうものの、現実は理想論通りにはいかない。
 人間とはいかに愚かしい動物であるかを知る。
 遺跡のすごさに感動しているものの、
 ティオティワカンで最も印象深かったことは、
 疲れ果てて休憩したお店での、アイスクリームのうまさであった。


・meet the parade!
 はじめて外国で年明けした。
 元旦そうそう、午前中はミトラ遺跡へ。
 午後はモンテアルバン遺跡を見学。
 町へ戻ってくると、今度は教会広場と博物館を見学。
 朝から動き回ってさすがに疲れた。
 さらに今日は夜行バスに乗って、
 メキシコシティに戻らなくてはならない。

 博物館を見終えたら、
 コロナビールでもくらって昼寝でもするかと思った矢先、
 博物館の前には人だかりが。
 これは一体何だろうかと待っていると、
 あやしげな巨大人形と、
 民族衣装をまとった花かごを背負った女たちが続々現れた。
 どこからともなく合奏団が待機して、
 今か今かとその時を待っている。

 パレードだ!と誰かが叫んだ。
 ビールをのんだくれて昼寝する計画を僕はなくなくあきらめた。
 ひょっとすると、これはおもしろいことになるかもしれない・・・。

 合奏団のにぎやかな演奏を合図に、パレードが始まった。
 先導役のピエロからはじまり、花火をあげるがきんちょ、
 巨大人形がその後に続き、合奏団、
 そして花かごを頭に華麗なダンスを踊りながら進む、
 民族衣装をまとった女性たち。
 その後に、ろうそくを掲げた市民たちが延々と続いていた。

 地元のテレビカメラもマスコミも取材にきてカメラを向けた。
 僕もプレスの一人であるかのように、
 地元のカメラマンと並んで、パレードする光景に、
 次々とシャッターを切っていった。

 もしもうちょっと早く博物館を出てきてしまったら、
 このパレードにでくわすことはなかったのだ。
 こんな風に、旅とはまるで人生の凝縮であるかのように、
 人間の運不運、出会いと別れ、すれ違いや偶然を、
 一瞬にして見せてくれる。
 地元の人々に混じってパレードに参加できた幸運を
 僕は噛み締めながら、
 「これだから、旅はおもしろいのだ」とつぶやいた。






















 華麗に舞う女性たちに見とれながら、
 人々はゆっくりと町を歩いていった。
 知らぬ間に、いつしか太陽は沈み、辺りは暗闇に包み込まれがはじめていた。

 このパレードは一体どこに向っているの?
 そうだ、きっと教会前にある「踊りの広場」に違いない。
 パレードで行進してきた人々だけでなく、
 パレードを待ちわびていた人々が、
 「踊りの広場」に入ってくるパレード団に大きな拍手を送っていた。

 老いも若きも、富める者も貧しい者も、
 1/1、このパレードが広場に入るやいなや、
 会場にいる人々の全部が一体化した、
 そんな錯覚に襲われた。

 僕は今、幸せです。
 目の前には教会があった。
 目の前には神が飾ってあった。
 人々は年に1回の狂夜へと突入したのであった。

・カミサマ
 人類の最大の発明品は「神である」と、2001-2002 tubuyaki SPECIALで書いた。
 もう一つ、都市を離れてバスの車窓から一面に広がる景色を見て思った。
 それは「農耕である」と。

 人間が生きるために最も必要なモノは、食べ物である。
 それは今も昔も変わることはない。
 「食べるため」に人は働いている。

 食べ物を育てて作ることを知らなかった人類は、狩猟生活をしていた。
 動物を狩って食べていたのだ。
 ただ狩猟は食料の安定的確保が難しく、移住生活を余儀なくされたことだろう。

 しかし人類が農耕を発明したことで、
 食料の安定的確保が可能になり、定住生活が可能になった。
 そこに「文化」が生まれ、「文明」が生まれた。

 農業を営む者にとって一番大切なもの、それは天候であり、自然環境であった。
 だから、天こそ、自然こそ、神なのだ。

 ティオティワカンの主神である「トラロック」は、雨の神様だ。
 農耕にとって天の恵み「雨」は最も重要な要素の一つ。
 農耕の神・雨の神トラロックが、あらゆる生き物の生死をつかさどると考えられていたのは、
 農耕社会にとっては最もなことだ。

 しかし人類とは実に愚かである。
 巨大都市ティオティワカンが滅亡した要因の一説は、
 この雨の神トラロックと風の神ケツアルコアトルをそれぞれ信奉する勢力が、
 争ったからではないかと言われている。


人間の発明した神。
それはその土地によって、また各個人によって、それぞれの神がいればそれで良かったにもかかわらず、
唯一神を決めるための愚かな争いによって、人類は荒廃した。

神の名を借りた戦争によっていかに人類は無益な争いをし続けてきたか。
キリスト教の派閥争いや仏教の宗派争いも、現代の対イスラム包囲網も、過剰な過激派も、為政者の都合による宗教弾圧も、
すべては「神」を特定のものにしか認めないという愚かなる考えからなのだ。



神は、何人いようが何であろうが構わないのだ。
花だろうが、人形だろうが、少女だろうが、パイナップルだろうが、壺だろうが、ひょうたんだろうが、
太陽だろうが、月だろうが、炎だろうが、馬だろうが、牛だろうが、蛇だろうが、龍だろうが、
イエスだろうが、アラーであろうが、サボテンだろうが、大樹だろうが・・・
結局は何だっていい。
自分が「神」と信じられるものであれば。それがその土地の人々に幸せをもたらせば。

「神」は人間が作った史上最高のトリック。
だから何でもいい。
人や土地の風土にあわせて、神が多数存在することは当然のこと。
神が発明されたのは、人間が己の我欲を抑えて、人類が平和に暮らすため。
だから神のために争いを起こすということは、元来ありえないこと。まして他の神を否定することなどありえない。
自分の中で、その土地土地によって唯一神であればよいだけで、
それを他に強制することは、神の発明目的からは逸脱するものである。

神は何だっていい。実在する人間でなければ。
神はフィクションだからこそ、作り物だからこそ、人々に平和をもたらす。
だから、実際に生きている人物は決して神になりえない。
実在する人物を神にした時、その社会に不幸が訪れるのは、歴史が証明済だ。

カミサマ・・・
現代は神なき時代を迎えている。
取り違えた「神」を使って、人類は不幸な争いを繰り返している。
信じる神がいない社会は、政府が作った法でしか人間の我欲を抑えることができず、法の目が届かなければやりたい放題。
法の網をかいくぐり、法の盲点をついて、法を都合のように解釈して、罪を重ねていく。

まして汚職にまみれた人間が作った法で、不祥事の絶えない警官が監視する法など、
守られるはずもなく、社会は荒廃の一途を辿っている。

現代社会は今、大いなる危機にある。
この神なき時代に、いかに人類を平和にする「神」を創りあげることができるか。
そしてまた「農耕」という人類の発明を忘れて、機械に没頭する社会に、再び「天=自然=神」の大切さをいかに気づかせるか。
その成否が人類の存亡の危機を乗り越えるポイントではないだろうか。

・アメリカ
 テロの影響で愕然と旅行客が減ったアメリカ。
 他の国への航空券が取れなかったがために、僕は幸か不幸か、
 現代社会の悪の権化をなしている「アメリカ」という国に、触れる機会を得た。

 アメリカにはわずか半日しかいなかったし、
 まして西海岸のロサンゼルスからすぐのサンタモニカにしかいなかったので、
 それだけの経験で「アメリカ」という国を語るというリスクを犯していることを、
 知って聞いてほしいと思う。

 まずこの国について驚いたのは、見る人が多国籍多人種なことである。
 中国にいけば中国人がいて、インドに行けばインド人がいる。
 ロシアにいけばロシア人がいて、フランスに行けばフランス人がいる。
 しかしこのアメリカにはそういう圧倒的多数を占める人種がいない。
 見る人見る人、いろんな人種が入り乱れている。

黒人もいれば白人もいるし、一見日本人に見える人もいるし、中東系の人もいる。
「人種のるつぼ」とはこのことだと思った。
それは日本という単一民族国家の常識からすると驚くべきことだ。それを肌を持って実感した。

ここは超実験国家なのだ。
ここは超幻想国家なのだ。
ここに、アメリカに、世界がある。世界が凝縮している。

だからここにはアメリカ語もアメリカ人もアメリカ料理もない。
アメリカ市民権を得た無数の移住者たちによる世界国家なのだと実感した。

飛行機から大地を眺めると、その国の実情がよくわかる。
アメリカは、町はもちろん畑でさえ、きれいに区画割りがなされていた。
町のストリートの名はすべて数字という、無味乾燥というか実に機能的。
広大なアメリカ大陸はどこまでも広がり、歴史と土着性のないこの国の風土は、虚無だ。
誰もが透明人間になれる。外人であることを気にしなくいい。
他の異国で外人がいたら相当目立つけれど、この国にいてもそれがないのだ。
誰が歩いていても不思議ではない。無機質な空間なのだ。

だからこそアメリカドリームが成立するのかもしれない。
こんな虚無空間にいたら、誰だって強烈な自己表現欲に駆り立てられることだろう。
だからこそこぞってアーティストたちはアメリカに在住するのかもしれない。
この国にいると、自分が何かをなさなければ存在感が喪失してしまいそうな危機感に襲われる。
アイディンティティをこれほど希求させられる空間は他にない。
この無機質な空間で誰もが自己の存在証明を必死になってしようとするからこそ、アメリカンドリームがうまれるのだろう。

圧倒的な虚無空間、アメリカの功罪はいかに?
アメリカは壮大なる世界実験国家であることには間違いはなかったが・・・。

・アメリカたびばな「職のカースト」
日本から12時間で、ロサンジェルス空港に到着。
ロスでメキシコ行きの飛行機に乗りかえる。その間、3時間。
僕はロス空港を歩いてまず思ったのは、アメリカには実に雑多な人種がいること。
そしてもう一つ感じたことは、「職のカースト」が存在することである。

よくインドに行った旅行者がインドのカースト制度を批判する。
確固たる職能身分制度だからだろう。
しかし自由と平等を標榜する「民主主義国家」アメリカにも、
れっきとした職のカースト制度が存在することを、降り立って30分程度でわかってしまう。


空港にいる警備員や交通整理員は100%黒人。
空港の受付にいるのは100%白人。
これほど人の色で職業が分断されていると、インドのカースト制度よりはるかにわかりやすい。

アメリカは残念ながら不平等国家だった。
やっぱり未だに黒人と白人という差別があるのだなと感じさせられた。
そんなことはなんとなくニュースなどで伝え聞いて頭ではわかっていたのだろうが、
その国を目の当たりにして、これほどまではと思わなかった。

情報氾濫社会だからこそ、自分で行って見て聞いて、肌で感じたことを大切にしたい。

・アメリカたびばな2
<ルールにみるアメリカと日本の違い>
サンタモニカからロサンゼルスの空港へ行くのに、タクシーを呼んでおいた。
そのタクシーおやじが、朝早いというのに終始フレンドリーだった。
タクシーという密室の中で、見知らぬ人同士が一定の時間、空間を共有することにおいて、
初対面からめちゃくちゃフレンドリーであることが、アメリカでは唯一犯罪防止の手段なのだろうかと思うが、
そんなことはさておき、とにかく親しげにいろいろと話してくれた。

それが他の外国で感じるような「日本人であるから」ではない。
やはりそういう態度が習慣化しているのだろう。
空港に到着すると、まるで親しい友達が送ってくれたがごとく、快活に「バイ!」と手を振った。
そのフレンドリーさは実に心地よかった。

このタクシーおやじが運転中、一度だけ怒りだした出来事があった。
それは前方の車がウインカーを出さずに車線変更したことだった。
それほど危ないと思ったわけではないが、快活なおやじは態度を一変し、この車に執拗に怒りはじめたのだ。
「突然ウインカーも出さずに車線を変更するというのはとんでもないことだ。
もし事故にでもなったらどうするんだ。あんな危険な運転の仕方はない。ああいうドライバーは絶対に許せない」

はじめは僕も「危ないですよね」と相槌を打っていたものの、
延々文句を言い続けるあまりのしつこさに、僕は同意するのも面倒になり、ただぼっと外ばかり見ていたが、
それでも彼はそのドライバーを批判し続けた。

「どんな奴が運転しているか、つらを見てやる」
といってスピードを上げ、彼の車を追いぬこうと必死になった。
「おいおい、そんなムキになって運転する方が危ないんじゃ・・・」
と思いながらも、多分今は何を言っても聞かないだろうなと思い、 ただ事故だけは起こさんでくれよと祈りながら乗っていた。
なかなか追いぬくこともできずにいたが、相手が再び車線を変更し、
違う方向へ走っていった時に、そのドライバーの横顔が見えた。

「じじいだ!」
結構な歳をいった老人が、前しかみずに運転している様子が、僕からもよく見えた。
「じじいがあんな風に運転するのは危険だよ。絶対にあんな運転はいかん」
しばらくじいさんドライバーへの批判が続いていた。

たいしたことではないのに、これほど快活なおやじが腹を立てるっていうのはどういうことなんだろう。
ずっとそれを僕は考え続けていた。
たまたまそんなことに遭遇して、この一例を国民性として拡大解釈するとすれば、
きっと多種多様な人種の住むアメリカ人にとっては、
ルールを守ることっていうのは絶対的な条件なんだろうなと思った。

アメリカは何かと言うとすぐに法である。
あれだけ法がしっかりしているというのは、
同一の価値観や同一の民族性を持たないバラバラの人々の秩序を保つためには、
何事も法によって取り決めがなされないといけないのだと思う。
だからこそ争いが起きた場合にはすぐに裁判になり、迅速に行われる。

その点、日本は島国で他の国との関わりも少なく、
ほとんどが同一民族で誰もが生まれた時から日本語を話す日本人であるわけだから、
細かくルールを決めなくとも、なんとなくそれはいけないとか、なんとなくそれはいいだろうといった、
明文化されないルールっていうのが根付いているから、いちいち契約や法で取り決めなくとも、裁判しなくとも、
互いの思いやりや話し合いでどうにかなってしまうところがあるに違いない。

あんなにも快活なおやじが、そんなに危険でない運転にあれほどまでに激怒した理由って、
やっぱり何でも法律社会のアメリカだからこそなのではないかと僕は思った。

・メキシコたびばな1
<1>
メキシコ人が僕に話しかけてくるはじめの言葉は、十中八九、
「エスパニョール?orイングリッシュ?」であった。
あんたはスペイン語を話せるか?それとも英語しか話せないのか?とまず聞かれるのだ。

ここはスペインではないにもかかわらず、植民地時代の名残で、公用語はスペイン語。
英語はほとんど通じない。
だから僕が「イングリッシュ」と答えると、ほぼそこで会話は終わってしまう。
残念なことだが、まともに英語も話せないのにスペイン語などに手が回るはずもない。

しかしそれでも現地でホテルを探して泊まったり、レストランで食事をしたり、
バスや列車のチケットを買ったりして、旅ができるのだから、そう心配することはない。
しかも不思議なことに、旅をしていくうちに習いもしないのに、スペイン語の意味がわかってくるのだ。
もちろん複雑な会話はわからないが、何を言っているか何となくわかるようになってくる。

例えばお店でミネラルウオーターを買う。
「シンコペソス」と返答がくる。
多分値段のことを言ってるのだろうが、いくらかがさっぱりわからない。
適当にお金を出すか、紙に書いてもらうかする。
そこでやっとミネラルウオーターが5ペソだったことを知る。

これを何回か繰り返しているうちに「シンコ」というのが「5」なのだなと自然に覚えていく。
すると不思議なことに「じゃあクアトロと言われたのは4なのだな」と他の数字も覚えてしまう。
こうなってくると実に旅が楽しくなるのだが、残念なことに、
せっかくその国に慣れ始めた頃には帰らなくてはならないのが、短き旅の欠点だ。

<2>
海外でコーヒーを頼むと、大概どこでもミルクはついてこない。
ミルクが黙って出てくるのは日本ぐらいではないだろうか。
ミルク付コーヒーと言わなければ、ミルクは付いてこないし、 ミルク付の場合には値段が違う場合もある。

このメキシコでもそうだった。
英語が通じるところなら「ミルク」といえば通じるのだが、スペイン語しか通じないお店ではえらい苦労した。
コーヒーを頼んで「ミルク」と何度言っても通じない。
ゼスチャーでコーヒーに液体をたらすまねをしてみても、わからない。
そのうち店員は「レイチェ?」と聞いてきた。

「いや、レイチェじゃなくてミルクだ」 「レイチェじゃないの?」 「いや、ミルクだ」
店員はあきれ顔をして戻っていった。僕も通じなかったのならミルクなしでコーヒーを飲めばいいやとあきらめていた。

するとちゃんとミルク付で店員がコーヒーを持ってくるではないか。
そして彼女はミルクを指差し、「これがレイチェなの。覚えておいてね」と笑みを浮かべた。
スペイン語ではミルクのこと「レイチェ」っていうんだ。
こうやって旅をしていると徐々に言葉を覚えていけるのだ。

<3>
外国語会話は必要に迫られ、しゃべらざるを得ない状況になれば、自然と誰だって覚えていけるもの。
それを「いつかは使うはずだ」とか「外国語ぐらいしゃべれなければ」と、
普段会話をする場面がない日本で、教養のために外国語会話を覚えようするから、なかなか覚えられないのだ。

「日本人は英語を6年間も勉強しているのに、ろくにしゃべれないのはなぜか?」
英語をそれなりに話せるアジア各国の人からこうバカにされるのである。

旅の楽しみは言葉を自然に覚えていけること。
言葉を覚えていくと、その国でだんだんといろんなことができるようになっていく。
大金はたいて駅前留学やらTOEICやらのしょうもない勉強するなら、
楽しくて自然に言葉を覚えられる旅に出たほうがはるかによい。

・機内食
 思えば、はじめて海外旅行に行った時には、
 妙に「機内食」というものに期待を抱いたものだった。
 しかしそれが愚の骨頂であることを思い知らされる。
 機内食ははっきりいってまずく、そして少なかった。
 それはどこの航空会社でも大して変わりないことがわかりだしてからというもの、
 必ず飛行機に乗る前にはめしを食べるようになった。

 しかし航空会社もバカではない。
 それなりに工夫しているなと思ったのが、今回の「大韓航空」である。
 普通、機内食では「フィッシュorミート?」と聞かれるのがごく一般的だが、
 なんとこの大韓航空、「フィッシュorコリアンスペシャル?」と聞いてきたのだ。

 欧米人はこの非常識な質問に当然のごとく「フィッシュ」と答えざるを得ないわけだが、
 韓国人および日本人は喜んで「コリアンスペシャル!」とスッチーに宣言するのだ。
 出てきてびっくり!
 それはなんとビビンバであった。

かえってこのように一品料理の方が当り外れが少なく、うまかったりする。
変に凝った機内食を出されてもやはりそこには限界があり、あまり望ましい味とは言えない。
前に全日空で出された機内食で、凝った肉料理より、そばが一番うまかったのを覚えている。

アメリカ経由メキシコ行きの機内食でまさかうまいビビンバが食えるとは。しかもわかめスープ付き!
旅はそんなささやかなことから感動が始まる。