ミスチル史上最高のライブDVD「HOME」 ミスチルトップ かさこワールド

「HOME」とは、いわずとしれた、8/6に発売された、
ミスチル史上最高のライブDVD「HOME」なんだけど、
そのレビューを紹介するついでに、
ふとそれをきっかけに考えた「HOME」、すなわち、
帰省する先の「HOME」であり、わが家の「HOME」であり、
そして母国の「HOME」ということを考えてみたい。

・何が僕らにとって「HOME」なのか
と、桜井さんがライブで言ったように、
その答えは、見事なセットリストにあった。

アルバム「HOME」のライブツアーというより、
ミスチル総決算的15周年記念碑的“HOME”ツアー。
アルバム「HOME」から演奏した曲はわずか6曲/24曲。
一方で24曲中シングルがなんと13曲!
さらにこの10年、ほとんどライブでやってこなかった、
「星になれたら」「CROSS ROAD」「シーソーゲーム」といった、
懐かしい名曲を惜しげもなく披露した。
過去の名曲から最新曲まで、
網羅的なベスト盤的セットリストとして結実したわけだ。

しかも曲順の流れが実に見事!
単に時系列的に曲を演奏した「POPSAURUS」とは違い、
その流れが素晴らしく、一瞬たりとも見逃せない、
どの曲も夢中になってしまう、巧みなセットリストとなっている。
別に大ヒットシングル曲が多いから、
このライブDVDがミスチル史上最高なのではなく、
セットリストの見事さと流れの素晴らしさから、
私は史上最高ライブDVDと評している。

ほんとすごい!これは超お買い得!
いうなればPV付ベストアルバムを購入したみたいなものだ。

・物事は捉え方次第
ライブDVDに挿入されたインタビューで、
桜井さんはこんなことを言っている。
「世界を悲観的にも捉えられるし、楽観的も捉えられる」

まさにその言葉通り、
物事を一方通行で見ない、
同じ世界をあらゆる角度から見たミスチルワールドが現出している。

「すべてはフェイク」と言った後に、
「すべては真実」の「Any」につなげ、
「Worlds end」で世界が終わりをつげたかと思えば、
「終わりなき」旅が続いていく。
「CENTER OF UNIVERSE」で世界は素晴らしいといい、
その後の「Dance Dance Dance」では、
地球儀をクルクルと回して見せる皮肉ぶり。
とにもかくにも前後の曲の流れが、
すごくよく考えられていて、実に巧みで意味深なのだ。

ミスチルが圧倒的に支持されている理由、
私がミスチルの魅力に虜にされる理由、
それは一方的な理想論的主張ではなく、
理想と現実、いいことわるいこと、楽観と悲観など、
様々な二律背反的な世界をそのまま捉え、表現しているからだろう。

どちらかに偏れば飽きられるし、
世界の一方しか語っていないことになってしまうわけだが、
ミスチルはその両方を、歌詞にしても曲調にしても表現している。
そのミスチルの魅力がこのライブDVD「HOME」には、
これまでのライブDVD以上に見事に結集している感がある。
だから私はこのライブDVDは史上最高と思う。

ライブで一度見たにもかかわらず、
あらためてDVDを見てもほんと素晴らしい!
「彩り」や「CROSS ROAD」のはじまりだけ聴いただけでも、
涙が出てくるほどの感動。
1曲たりとも見逃せない、テレビの前から動けなくなる、
すごいライブDVDです。



・僕らにとっての「HOME」とは?
ミスチルにとって「HOME」とは、
これまで自分たちが演奏してきた曲たちだった。
果たして私たちにとって「HOME」とは何だろう。
折りしも、今はお盆休みウイーク。
実家や故郷に帰る人も多いはず。
それもひとつの「HOME」で、
日常の暮らしの中で、学生だったり仕事をしていたりしながら、
帰るべき「HOME」がある。
それは物理的な意味だけでなく、
心の拠り所としての「HOME」なのかもしれない。

たまにしか帰らないかもしれないけど、
帰ってもやることないかもしれないけど、
間違いなくそこは自分にとっての「HOME」。
ふと何かに迷った時、悩んだ時、
「HOME」に帰ってゆっくり考え直してみるのもよいのではないか。

私も久しぶりに「HOME」の休日を過ごした。
福岡・つま恋・高知・札幌・大阪と旅続きで、
久々にわが家に帰ってきた。

旅に出ていても、パソコンがあってカメラがあって、
ネットがあって、ケータイもあって、
メールもつながれば、毎日の更新もできるとなると、
移動オフィスみたいなもので、
それほど日常から隔絶された感はないんだけど、
やっぱり旅先とは違い、家に戻ってくるとほっとする。
それは誰にでもある「HOME」。

そして北京オリンピックをめぐる様々な戦い。
スポーツの戦いだけでなく、自分たち民族や自分たち領土の戦い。
デモ、テロ、戦争・・・
それはまさしく「HOME」をめぐる争いではないか。
守るべき自分たちの「HOME」とは何かをめぐって、
領土や自由や民族としての誇りを争いあう。
互いに「HOME」の解釈が異なるから、ぶつかりあう。

「HOME」とはある意味では他者との線引きでもある。
でも中国だろうがチベットだろうが、グルジアだろうがロシアだろうが、
みな地球というひとつの大きな「HOME」に暮らしているわけで、
その家の中で部屋のぶん取り合戦をしていても仕方がない。
「ひとつ屋根の下」という言葉があるが、
それぞれ異なる「HOME」を持つ人たちが、
ひとつ屋根の下、大きなHOMEの中で、
小さな自分のHOMEを持ちながら「共存」していくことこそが、
世界にとっての、社会にとっての「HOME」ではないか。
そんなことを思った。