古き良き時代の街が残された国・オーストリア かさこワールド

オーストリア写真

・8つの世界遺産評価
旅する1つのメルクマールとしての「世界遺産」というキーワードは、
日本人にとっては水戸黄門の印籠がごとき、非常に効き目のある公のお墨付きである。
ところが世界遺産にはさまざまなものがあって、すべての世界遺産が観光名所として最適かどうかは別問題である。
逆に世界遺産になっていなくてもすごいところはいっぱいあるわけで、
世界遺産というキーワードだけを頼りに旅行を計画するのもある種の危険が伴う。
オーストリアには8つの世界遺産がある。
今回は世界遺産を回るプレスツアーだったわけだが、私の独断と偏見で、世界遺産評価をしてみよう。

 ・ワッハウ渓谷
 おすすめ度:★★★★★
 全長約3000kmにも及ぶドナウ河の中で、
 オーストリアのメルクからクレムスの間、
 ワッハウ渓谷が世界遺産として登録されている。
 古城や修道院を中心とした小さな中世的街がドナウ河沿いにあり、
 ドナウ河クルーズを楽しめる場所。
 ウイ−ンからも近くおすすめの世界遺産だ。

 写真はドナウ河とデュルンシュタインという町。
 この小さな街もとってものどかで、おすすめしたい。
 この辺りはワインの産地としても有名で、ワイン畑が広がっている。

 ・ハルシュタット
 おすすめ度:★★★★
 オーストリアの湖水地方の旅。
 美しい湖と険しい山々が織り成す自然の景勝美プラス、
 中世的雰囲気を残るかわいらしい街・ハルシュタットもおすすめ。
 日本人団体旅行客はザルツブルグから日帰りバス旅行をしてしまうようだが、
 実にもったいない。
 ここで泊まって湖の自然美をただ眺めるだけでなく、
 紀元前から塩の採掘が行われている塩坑見学や、ハイキングもできる。
 1泊20ユーロ(約3000円)ぐらいで泊まれる安いペンションもある。



 ・ウイ−ン歴史地区
 おすすめ度:★★★★
 640年間、ハプスブルグ家の帝都であったウイ−ン。
 その古い街並みがしっかりと残されていて、実に楽しい。
 気ままに迷路散策のつもりで歩いて見ることができる。
 シュテファン大寺院や王宮といった代表的な見所もあるが、
 別にそんなところでなくても普通に街を歩いているだけで楽しめる。

 もちろん時代の変遷とともに、古い建物にはブランドショップがあったり、
 洒落た小粋なイタリアレストランがあったり、スターバックスがあったりするわけだが、
 建物の外観は変わることなく味があるので、問題はない。
 またロンドンやパリといった大都会とは違い小さいので、歩いて見て回れるのも魅力。


 ・ザルツブルグ歴史地区
 おすすめ度:★★★★
 典型的なヨーロッパ中世都市的景観が残る街。
 城塞があり大聖堂があり宮殿があり庭園がある。
 丘があり川がある。
 賑やかな目抜き通りもあり、退屈しない街。
 モーツアルト生誕の地ということで、
 モーツアルトの生家だの住居だのも観光名所になっているけど、
 そんなもんがなくっても楽しめる街だ。
 こういう古都に何日もいて、あてもなくうろつきまわるのはきっと楽しいだろうな。



 ・グラーツ旧市街
 おすすめ度:★★★★
 何があるわけではない。
 あるのは時計塔、小さな教会ぐらいで、あとは古い街並みが残るのみ。
 ウイ−ンやザルツブルグの旧市街に比べたら非常に小さい。
 でもそのコンパクトさゆえか、なんかうきうきできる楽しい街。

 赤茶屋根の街並みが残り、迷路のような街並みが残り、
 そこをただわがもの顔に歩くだけなんだけど、
 自分だけの地図、自分だけの街が描きやすい場所っていうかな、
 自分がタイムスリップしてかつての街にまぎれ込んで、
 その物語の主人公になったような旅気分を味わえる街。

 日本人はあまり訪れていないらしいが、ここはぜひおすすめしたいな。
 ウイ−ンからもそう遠くはない。




 ・シェ−ンブルン宮殿
 おすすめ度:★★
 ウイ−ン市街にある大宮殿。
 ハプスブルグ家の離宮として建てられ、1400室あまりもの部屋があるという。
 見学できるのは40室だが、それでも見て回るのは相当な時間がかかる。
 歴史や人物史に詳しい人がこの宮殿内部見学をすれば、
 表面に見えるものだけでなく、その奥行きを感じることができるんだろうけど、
 マリア・テレジアが何者なのか、当時の歴史状況はどんなものだったのか、
 そういったことを知らないと、ただ豪華な宮殿ですねで終わってしまう。

 たとえばエジプトのピラミッドとかペルーのマチュピチュ遺跡とか、
 歴史がわからなくっても、こりゃあとんでもないすごいものだなって思えるんだけど、
 こういう宮殿物っていうのは残念ながらそれがない。
 だから歴史的知識がないとなかなか楽しめない。
 もちろん宮殿内では部屋をことこまかく説明してくれるガイドさんもいるだろうけど、
 その時わかったようなつもりになったとしても、帰ってきて誰かに説明できるかっていったら、
 聞いたことの1つも覚えていないみたいになりかねない、典型的な観光名所だな。


 ・センメリング鉄道
 おすすめ度:★★
 鉄道が世界遺産?!
 昔、鉄道好きだった私からすれば、
 こんな願ってもない世界遺産がなぜ有名ではないのかと思ったが、やはりそれなりだった。

 世界遺産に選ばれた理由は世界初の山岳鉄道であるという理由から。
 山の中によく鉄道を作りましたねという意味で遺産に選ばれている。
 1854年に完成したそうだが、その当時のトンネルや橋を使ってはいるものの、
 列車は味気のない最新普通列車が走る。
 車窓から眺める景観は確かに素晴らしいが、
 ここより素晴らしい山岳鉄道なら世界にはいっぱいあるし、日本だってある。
 そんなわけで残念ながら鉄道ファンにも一般旅行者にも、
 あまりおもしろくない世界遺産になってしまっている。

 ただこの街を起点にハイキングしたら、
 鉄道に乗るよりもその鉄道がいかにすごいところを走っているかなどがわかるし、
 眺めも車窓よりすばらしいから、それなりに楽しめるはず。

 ・ノイジードラーゼ湖
 おすすめ度:★
 世界遺産には大きくわけて文化遺産と自然遺産があるわけだが、ここは自然遺産である。
 ただシアトルのオリンピック国立公園だとかアメリカのグランドキャニオンだとか、
 そういった壮大な自然遺産と比べると、なんともみすぼらしい自然遺産である。
 湖は泥色で美しくはない。
 景色はただだだっぴろいだけで景観が織り成す美はない。

 じゃあなぜここが世界遺産なのかというと、
 さまざなま渡り鳥が来たり、野鳥が住んでいたりするから、
 そういった鳥の生態系という意味で遺産に選ばれているらしい。
 といっても渡り鳥の季節でないと鳥はなかなか見当たらず、
 いけば何千匹もの鳥が見られるというわけではない。
 そうなると泥湖とのっぱらがあるのみとなってしまう。

 野鳥好きにはたまらないだろうが、
 一般旅行者がイメージする「世界遺産」的名所としてはふさわしくないので注意を。
 ただしハンガリー国境に近く、この湖付近にある小さな街は興味深い。


・オーストリア子供写真集

 まさか、ヨーロッパで子供の写真をこんなに撮れるとは思ってもみなかった。
 昨年11月末、会社主催の絵画&写真展で、
 「アジアの子供たち」をやったわけだが、
 残念ながらそれ以降、アジアに行く機会がなく、
 今年の写真展は子供ではできないなと悩んでいたところであった。
 (というわけで総持寺の墓猫に行きつくわけだが)
 それが、まさかヨーロッパ、オーストリアの自由旅行ではなく、
 プレス旅行でこんなに子供写真が撮れるとは。
 思わぬ収穫である。

 見ていただければわかると思うが、かわいい。
 写真を撮影する側の技術などに関係なく、
 子供を撮れば理屈抜きに「かわいい」とまず思ってくれるはず。





そういう意味で「子供」や「ペット」を撮るのはカメラマンとして邪道だという意見もある。
それは作品でもなんでもないと。
しかし僕が思うに、玄人にしかわからないようなわけのわからん作品を撮って、「芸術家」ぶっているのは、
自己のマスターベーションであって、見る側のことを考えていない、
にわかプロが陥りやすいそれこそエセ芸術にしか過ぎないと思う。
写真を見てくれる人が無条件に「かわいい」「きれいい」「すごい」と思えるのならば、それでいいじゃないか。

これは写真に限らず、小説なんかでもいえることで、
一般人が読んでも意味不明な作品を「芥川賞」なんかにして、
いかにもわかった風な解説者たちなんかあてにならないわけで、
一般読者が読んで理屈抜きに読んでおもしろいと思えるものこそ、
いい作品といえるんじゃないかってことが多々ある。

 シアトルの取材旅行の時にこんな話があった。
 僕を含め3人のカメラマンに、現地でお世話してくれた方が、
 「何の写真が得意か?」という質問を投げかけた。
 Aカメラマンは「目的がはっきりわかっているもの」と答えた。
 何を言っているかわからないと思うが、
 ある意味では最もプロらしいカメラマンの答えである。
 つまり広告写真や依頼写真ということである。

 一般人はカメラマンというとみんなアラーキーのような作品カメラマンだと
 勘違いされている人も多いと思うが、それはほんの一握りのカメラマンに過ぎない。
 プロのカメラマンのほとんどは、普段何気なく目にする写真を撮って生業を得ている。
 雑誌、カタログ、パンフレット、会員誌などなど。
 自ら何かテーマを決めて撮るのではなく、クライアントがいて「これを撮って」と依頼されたものを撮る。
 これがほとんどのカメラマンの仕事だ。
 写真集や作品がなくたって立派なカメラマンなのである。
 このAさんはそういう意味で「目的のある撮影が得意」と答えたのである。

Bさんは「風景」と答え、僕は「子供」と答えた。
それを聞いたシアトルの人が驚いたのだ。
「Bさんは取材中、いっぱい子供を撮っていたように思うし、
かさこさんは風景ばかりを撮っていたように思うのに、答えがなぜ逆なのか?」と。

Bさんにしても僕にしても「仕事」で撮る依頼写真は、
本人の得意とする分野とは別の、割りきった写真であったから、
本人が得意とするものとは正反対の答えとなったのだろう。


ラスベガス、シアトルに取材旅行にいったが、ほんと子供が撮れない。
アジアでは子供は撮れるけどアメリカでは撮れない。
ヨーロッパもどこかでアメリカと同じで、子供なんか撮れないと思っていた。
しかし今回は子供を目にする機会も多く、おかげでこんなに撮れた。
僕の文章はいらない。
この写真一点で無条件に「かわいい」と思ってもらえれば、それで1つの「表現」として成り立つわけである。

ただ僕はカメラマンよりライターという意識がある分、
また写真という切り取り作業が、非常にある種の騙しができてしまうことを知っている分、
ちょっと今回の子供写真についての撮った過程を、
アジアの子供写真との比較の上で補足しておこうと思う。


だいたいどの町でも広場や通りで撮ったわけだが、必ず親の付き添いがあった。
そのほとんどが乳母車に乗せられていた。
つまりこれらの子供の写真を撮った時には、基本的にすぐそばに親がいて、大抵の場合、親の了解を得て撮っている。
これが僕が撮ったアジアの子供たちとはまったく違う。
アジアの子供たちを撮った時には、まずというか100%親はいない。
子供だけがいて、そこで僕はその子供とコミュニケーションを取って写真を撮っている。
そういう違いがある中で撮影されたということを明記しておきたい。
だから撮影した僕から見ると、撮った子供とのコミュニケーションの度合い、
というか印象・思い出の度合いはまったく違う。

 アジアの子供は撮った子供にはたいてい思い出やエピソードがある。
 たとえばトップページにある子供。
 この撮影場所はチベットのギャンツエという町で、
 目の前がある種の観光名所になっている仏塔の目の前で撮っているんだけど、
 ただ通りすがりを撮っているだけでなく、ささやかなエピソードがある。

 僕は仏塔を撮っていた。
 そこに子供が近づいてきた。
 彼女は近づいてきて、片手に持っているビニール袋から白い粉を出して、
 僕にあげようとしてくれた。
 僕はその行為に戸惑った。
 なんだ、この白い粉は?!
 なんかやばい粉じゃないよな・・・。

 でも子供の誘いをむげに断るわけにもいかないし。
 そんな時彼女がこう連呼した。
 「スイート、スイート・・・」

 僕は「スイート」の意味することがわからなかった。
 彼女にうながされるまま、僕は、白い粉をなめてみた。
砂糖?!
そっか。だから「スイート」なのだ。
僕は警戒心をとき、彼女にカメラを向けた。
それがトップページの写真の撮影状況なのだ。
だから僕はこの写真に、単に「かわいい」以上の思いいれがある。
ロンボク島のみやげ売りのあの少年の切ない表情の写真にも、その種のささやかなエピソードがある。

 残念ながら、今回の子供写真にそれはない。
 そんなことがなくてもかわいければいいということは前述のとおり、
 理解しているつもりだけど、
 そういったことがない分、僕にはいささか不満足な部分がある。
 通りすがった子供に声をかけて、子供を撮っただけ。

 ただ、「お手軽」とはいえ、それでもささやかな撮る側の意志は含まれている。
 すべてのカメラマンが子供にカメラを向けるわけではない。
 取材中に子供を見つけ、そこに行き、
 カメラを向けるという行為は十分に撮った側の表現であるといえる。
 そこで子供に目が行かず、大人に目を向けるカメラマンもいるだろうし、
 家に目を向けるカメラマンもいるだろうし、物に目を向けるカメラマンだっている。
 アジアの子供たちと密度が違うとはいえ、
 親と子供に多少なりとも写真を撮る以上、
 そこにその人なりのコミュニケーションが介在している。

 でもアジアの子供たちを撮った写真の想いとは、密度が違うんだよなと僕自身は思ってしまう。
 だから撮った僕からすると、同じ「かわいい子供」であっても、写真に対する想いいれが違う。

まあそういうことがあって、僕は今回の取材旅行で一時、子供を撮るのはやめようかとも思ったけど、
かといって自分の興味が、自分の視線が、自分の被写体として、
子供たちに目がいくのを抑えることはできなかったので、
まあ深く考えず、純粋に子供の写真を撮ろうと思った。
それがこの写真群である。

 別にこんな理屈をこねる必要はないわけで、
 ただ子供の写真だけがあれば別に、
 僕の能書きはいらんといわれるかもしれないけど、
 今回はそんな風にして撮った写真であるということを知った上で見て欲しいな、
 という願いがあって書いてみた。

 ちなみに今回の子供写真撮影で1つ付け加えるならば、
 都会(ウイーン)より地方都市の方が、子供が撮りやすく、
 また子供の自由度、解放度が高いような印象があった。
 やはり都会と地方都市では、社会環境が違うゆえに、
 子供の育て方が違ってくるのかな。


まあそんなわけで、ひとまず7/2〜11のオーストリア取材の収穫を、みなさまにお届けします。
僕の能書きは気にせず、子供で癒されてくんさい。

・オーストリアおとな写真集
さてさて自称子供カメラマン・かさこ氏なのではあるが、
実は先日アップした「オーストリア子供写真」以外にもまだまだたくさんの子供写真が残っているわけだが、
あんまり子供づくししても、変な誤解を受けても困るのと、
「人間は子供しか撮ってないんかい」というお声も聞こえてきそうなので、
今回はかさこワールド初?!の海外おとな写真集をおおくりします。
※子供の写真は気合い入れて撮っているので、
一人の子供に10〜20枚ぐらいシャッターを切るわけだが、
大人はおまけみたいなものなので、一人に対して1枚ないし2枚ぐらいしかシャッターを切っていないので、
構図やクオリティに子供との差があることはご了承ください。

・美女シリーズ

被写体として選ぶということは、そこら中に歩いている無数の人から、
なんらかの形で僕が「選んで」いるわけである。
そうなれば人間、悲しいかな、平凡な人より美しい人に目がいくのは仕方なかろう。
というわけでオーストリアの美女たち。

左:ウイ−ンで最も観光客が集まるシュテファン寺院前で、 音楽コンサートのチケット売りをする女性。
ウイ−ンは音楽の都。
こんな白雪姫みたいな衣装きせられて音楽チケット売っているのはきっと、
どこかからか音楽を勉強しにきて、まだ才能が日の目をみない、
音楽学生のアルバイトではないかと思うのだが、文句なくかわいい。
チケットは買わなかったが写真は嫌がらず撮らせてくれた。
うれしいね。

中:ザルツブルグのタクシードライバー
モデルさんかと思いきや、タクシーの運転手。
女性ドライバーってだけでも珍しいのにこんなきれいで若い人がタクシードライバーとは。
同乗したプレスツアーに参加していた女性たちも彼女の美しさに声をあげていた。
しかしやっぱり西欧文化のいけないところ。
とにかく食事の量が多すぎる。
運転席にいる時にはきれいな顔しかわからなかったが、立ってみると結構ウエイトはありそうだ。
彼女の名誉のためにいっておくならば、このぐらいのウエイトは普通で、
とんでもない巨体女性はうようよしている。
アメリカ・ヨーロッパは食事の量をちと考え直さんといかん。
それでもやっぱりこの人、きれいですよね。

右:ウイ−ンの観光客用モーツアルト・シュトラウスコンサートに出ていた歌手
きれいという前に、とにかくこの人の豊かな表情とものすごい声量に驚かされた。
音楽学生みたいな楽団がモーツアルトやシュトラウスのコンサートをしているわけだが、
あまりクラシック音楽の知識のない僕は、そのうち眠くなってしまうわけだけど、
この人が登場してから目が離せなくなった。
ほんとそのぐらい声量、表現力、表情、演技力豊かで観客を魅了してくれた。
背は高いが人前に出るせいか太ってはいなかった。

・子供心のある男性シリーズ

左:ウイ−ン音楽コンサート客引き用のエセモーツアルト
ウイ−ンにはこのようにモーツアルトの格好をした客引きが、
コンサートチケットを売るためにあちこちにいる。
これはたまたまコンサート会場の近くのレストランで、休んでいたモーツアルト。
休んでいたところ僕が声をかけ、写真を撮ってもいいかというと、
あわてていつもの観光用スマイルをとるべく顔をあげたが、
今日はもう仕事を終えたあとだったのか、こんなバカらしい格好している自分が嫌になったのか、
疲れの表情を色濃く残しながらもちょっぴり苦笑いスマイルを向けてくれた。


中:ザルツブルグ・人形劇を操る裏方さん

ザルツブルグの人形劇はイタリア語かなんかでストーリーもさっぱりわからず、
すっかり睡眠タイムだった私だが、その人形劇を動かしている裏方さん。
もうとにかく人形が好きで好きでたまらないといった感じで、
言葉はわからないけど、彼の人形に対する異常なほどの愛情がひしひしと伝わってきて、
こりゃ確かに彼にとっては人形劇は最高におもしろいだろうなと感心した。
こういう「好きを仕事にした」人の目って全然違うんだよね。
澄んで輝いている。
嫌々仕事をしている大勢の日本人とは違う。
もう仕事が好きで好きでたまらないんだろうなって感じ。
そこまでいれこめるものを持てるってことがうらやましくさえあるぐらい、
人形にいれ込んでいたが、まあその仕事を続ける意味でも、
自分が人形が好きということ以上に、見る人におもしろい人形劇とは何かを考えてもらえればなと思う。

右:ホイリゲ(ワイン居酒屋)でのバイオリン演奏者
団体観光客が大型バスで訪れたりするホイリゲなんだけど、
それでもとても雰囲気はよく、演奏者が各席をまわって音楽を楽しませてくれる。
日本人に限らずカメラを持った観光客ばかりだから、
写真慣れしているのか、僕がカメラを向けると、ポーズをとりながら夢中で演奏をはじめた。
なかなかきのいいおにいちゃんである。

・美少女シリーズ

「これは子供写真ではないか」とおっしゃる方もいるかと思うが、
僕の中でこの年代はもう「おとな」である。
僕が子供写真の対象にするのは非常に狭い。
まだ自分で歩いたりすることのできない赤ちゃんは除外しているし、
小学校中学年ぐらいからは立派な大人として子供写真の対象からは外している。
そこまで年齢が達してしまうと変な「知識」と「頭」があるから、
なかなか純粋な表情がとにくいし、自分のことを振り返ればわかるだろうが、
もうこのぐらいの年になると、自分はいっぱちの大人のつもりでいるから、
このぐらいの年代は子供写真には含まれないのである。

左:「サムライ&ゲイシャ」展示会をやっていたレオーベンの町で
背景に写っているのはその展示会場で、毎年ある国の展示会をやっているらしく、
昨年はモンゴルだったり今年は日本だったりしていて、今回は「サムライ&ゲイシャ」展示会をやっていたわけだが、
そこの会場から出てきた女の子の一人。
実はこの周りに3人ぐらい女の子がいたが、僕がカメラを向けると、
恥ずかしいのかなんのか2人は大笑いしながら逃げていってしまった。
この少女だけが恥じらいをもちながらも、立ち止まって写真撮影に応じてくれた。
立ち止まってくれたこの少女の純真性は見ていてとてもすがすがしい思いがする。

中:デュルンシュタインで親の記念撮影を依頼された少女
親と観光旅行に来たらしいのだが、親がなんだかたいそうなカメラを持っていて、
彼女に記念撮影を撮らせようとしているところ。
彼女は彼女なりにこのバカでかいカメラを必死にたてにしたりよこにしたりしてのぞきこんで、
写真撮影をしている姿が、ほほえましいというよりはちょっといたましい感じがあった。

右:ウイ−ンの電柱に張られた千と千尋
たいしたものである。日本アニメは。
こうしてオーストリアにまで上陸しているとは。
「厳しい」映画論評の僕だが、その中でも大絶賛の「千と千尋」は日本の世界遺産だな。
宮崎映画のほとんどが少女を主人公にしているが、少女の純真性は、
男性では現すことのできない何かを、この年代の少女だけが持ちあわせているのだろう。

・二人組の子供たち




・ウイ−ン・カフェ文化

 オーストリアの首都ウイ−ンには、雰囲気のある老舗カフェがたくさんある。
 ヨーロッパのカフェ文化の中でも、ウイ−ンは特に花開いた場所であったせいか、
 今でも古色蒼然としたカフェが人気を博している・・・
 といいたいところだが、時代の流れとともに老舗カフェは少なくなっていく傾向にあるようだ。

 ウイ−ンの最も華やかな通り、観光の中心地ケルントナー通りの入口、
 オペラ座のすぐそばに「スターバックス」ができた。
 その他、市内に3軒あるという。
 老舗カフェは市民の情報交換の場として、またさまざまな新聞が読める場所として、
 どちらかというと情報コミュニケーションの場として流行ったわけだが、
 インターネット時代に、このような老舗カフェの役割は終わってしまったのかもしれない。

 建物が変わらないウイ−ンにあっても、時代の流れとともに確実に人々の心は変わり、
 スタバで気軽にテイクアウトしたり、お洒落なレストランでカフェを飲んだりして、
 老舗カフェは社会の隅に追いやられた老人たちの憩いの場もしくは、
 観光客の記念撮影のための休息場としてしか生き残れないのかもしれない。
 もちろんカフェの都ウイ−ンでは、それでも老舗カフェが多く残っている方だといえようが。

まあそんなわけで、日本人観光客はどこでもいいから老舗カフェに入って、
せっかく古い街並みが残っているウイ−ンに来たのだから、
この時ばかりは「スタバ」ではなく、タイムスリップした老舗カフェでコーヒーを飲んでみるのがよろし。

 さてさてカフェの人気もさることながら、ウイ−ン名物といっていいだろう、
 トルテ(チョコレートケーキ)人気もすごく、
 ザッハートルテの二大元祖、ザッハ−とデーメルには、
 トルテ目当ての観光客でカフェは大賑わいである。
 なぜ元祖が2つあるかは歴史的な諸事情により、両店ともオリジナルを主張し、
 トルテ戦争として裁判沙汰までなったそうであるが、
 まあまあ食べ比べてみるのがいいらしいとどこのガイドブックでもすすめている。

 こうみえてもケーキ大好きの私は、少ないウイ−ン滞在時間を利用して、
 ザッハ−のトルテもデーメルのトルテも食ってきた。
 味はともかく、両者ともでかい!
 これ1つ食べると一食分いらないって感じぐらい腹がふくれるので、
 日本人は2人で1つで十分である。

味はザッハ−の方が甘すぎるきらいがある。デーメルの方が食べやすいということだ。
このくそ甘いケーキになぜ横に生クリームが!と思うかもしれないが、
この生クリームと一緒に中和させて食べないと、とてもじゃないけど甘すぎて食べられない。
(生クリームは甘くない)

しかししかし、ここでカフェ選びに気をつけなければならない。
見てのとおり、注文するカフェの種類を間違うと、
トルテも生クリームたっぷり、カフェも生クリームたっぷりなんてことになりかねない。
右の写真は、アインシュペンナー、つまりはウインナ−コーヒーである。
ウインナ−コーヒーとはその名の通り「ウイ−ンのコーヒー」である。
ウイ−ンがカフェの都と呼ばれるように、コーヒーの種類が実に多い。
この生クリームたっぷりのウインナ−コーヒーだけでなく、
メランジェ(泡立てミルク入りコーヒー)だのモカだのエスプレッソだのブラウナーだの、
さまざまなコーヒーの種類がある。

これだけコーヒーの種類があったからこそ今まで「スタバ」は不要だったわけだが、
時代の流れかな、老舗カフェのコーヒーの種類なんかよりも、
今時のスタバのコーヒーの種類から選ぶ方は格好いいんだろうな。

ま、そんなわけで、ウイ−ンにきたら、生クリームたっぷりのトルテと、生クリームたっぷりのウインナ−コーヒーを、
老舗カフェでゆっくりお召し上がりくださいませ。

・メメントモリ〜死を想え〜カタコンベ

 カタコンベである。
 地下墓地というのかな。ここは地下ではなかったが。
 オーストリアの教会内部には、このように頭蓋骨を並べた部屋がある。
 キリスト教の風習なのか、今でもこの地方ではこのように頭蓋骨をひとまとめにするという。

 別にこれは見世物ではない。
 でもこうして参拝客ないし観光客は、人骨の山を目にすることができる。
 気持ち悪いかもしれない。
 のぞきみ趣味なのかもしれない。
 でも、これは目の前の事実。

 メメント・モリ〜死を想え〜

 こんな時代だから、どんな形で自分の「死」が突然襲ってくるかもわからない。
 だからこそ「死を想え」。死ぬ気になればなんでもできる。
 どうしようもない社会だけど、限られたほんの短い生であることを知れば、
 できる限り精一杯生きたいと想うのではないか。

生を見つめ直すための死、
その契機としての人骨の山

そう考えてみれば、決して気色悪いだけのものではなく、のぞきみ趣味ではない、
何か哲学的思考がよぎるのではないか。
日本人の自殺者が今年は3万人を越えたという。
経済的な苦難を理由にする人も多いという。
確かに死ねば楽だ。
でも死ぬ勇気の前に、死を想えば、もっといろんな生き方が見えてはこなかったか。

もちろん、写真だけでは十分に伝わらないと思うけど。
この狭い洞窟のような空間、妙な静寂、外気から隔離された冷気と空気、
そして目の前に自分をみつめる頭蓋骨の数々・・・。

死は常にいつも目の前にある。
だからこそ、懸命に生きてほしい。

・オーストリア子供写真集3


まだまだあるよ、オーストリア子供写真。
いやあ、自分でもまだまだこんなに子供写真ストックがあるとは思いもしなかった。
よく取材の合間をぬって子供を撮ったなと思う。
でもやっぱり今年の写真展は、今のところ、子供ではなく猫かな。
残念ながら子供はさらっと撮ってしまっているけど、
墓猫どもとのコミュニケーションというかつきあいというか駆け引きは長いからな。
でも子供たち、かわいいじゃないですか。それでいいと思う。


個人的には一番左の写真がすきかな。
こう4つ、並べてしまうと、1つ1つが小さくて逆に焦点がぼやけてしまうけど、
左の女の子だけ、でかくしてばーんと出したら、結構いい絵になるんじゃないかな。
写真はなんでもそうだけど、でかいほうがよく見えるからね。

あるカメラマンから「笠原さんの写真は結構タテが多いですね」と言われ、
「それってあんまりよくないんですか?」と尋ねると、
「いや、普通の人は、カメラを持ったらヨコだからヨコばかりが多くなるんだけど、
これだけタテの写真が多いってことは意識して構図を決めようとしているからいいんじゃない」といわれ、
なるほどそんなもんかーと思ったことがある。
まあ、タテが多いから一概にいいとか悪いとか、そういうレベルの話ではないが、
個人的にはタテの写真の方がすきなんだよね。
ただホームページの場合、写真に文章つける場合でも、
タテよりヨコの方がぱしっと決まるような気はするんだけど。

ま、そんなわけでくだらん能書きはともかく、子供の写真を楽しんでくれたらそれでいい。

・夜景の美しい街
ヨーロッパの楽しみの1つは、古い街並みが残された景色なのだが、
さらにその建物群が、夜になるとライトアップされることだ。
1995年、僕のはじめての一人旅はスコットランドのエジンバラだったのだが、
夜、街に到着して驚いたのは、幻想的にライトアップした街の夜景だった。


(写真:ザルツブルグの夜景)
それ以来のヨーロッパ。
アジアにはアジアのよさがあるが、この美しい夜景の街並みを楽しめるのは、
やっぱりヨーロッパならではだろうな。
時とともに微細に変わりゆく街並みの夜景。
写真はザルツブルグの旧市街なのだが、川があってその向こうに街があって、
さらに背後に城があるという典型的なヨーロッパの街並なんだけど、
とても美しかった。


(写真:ウイ−ン・ホイリゲの夜景)
この写真はウイ−ン市の中心部から少しいった、ホイリゲ(ワイン酒場)の集まる街並みの夜景。
歴史的な建築物があるわけでもなし、どでかい建築物があるわけではないが、
ワインを飲みにきて、こういったかわいらしい小さな街並みの夜景を楽しめるというのは、
なにものにもかえがたい思い出だよな。


(写真:グラーツ旧市街の夜景)
オーストリアでもあまり日本人がいかないが、ウイ−ンから列車で2時間ぐらいでいける、
オーストリア第2の都市、世界遺産の町、グラーツの夜景。
すごく小さな街並みで迷路のような旧市街を散策するのは実に楽しいのだが、
夜もなかなか幻想的だ。
撮影した時間が23時をまわっているのであまり人はいないのでちょっと寂しい気もするが、
ブルーとグリーンのネオンが通り沿いに一直線に連なる様子はとても美しかった。
またこの小さな街並みを色とりどりの路面電車が走り、
これがまた妙に旧市街の街に解け込んでいてとてもよかったな。

ヨーロッパにいったらぜひ街の夜景を楽しんでほしいな。