メリディアンローグ・齊藤涼インタビュー かさこワールド メリログ応援サイトトップ

次代を担うニュータイプ・インタビュー:
メリディアンローグ・ボーカル涼さん。

私が一度ライブで聴いて
その素晴らしさに衝撃を受けたバンド、
メリディアンローグ(メリログ)
(2006/12/4のつぶやきかさこ)

XのボーカルToshiを思い起こさせる
天性の伸びやかな歌声を持ち、
作詞作曲も手がけるボーカル涼さんに
インタビューした。
(取材日:2007.2.28)




●序:メリログとは

ネット・デジタル新時代の
“紐帯(つながり)”を指し示す伝道師(アーティスト)


ほぼ初対面の涼さんと居酒屋で4時間にわたり、
音楽活動を中心に、さまざまな話を聞いていた中で、
メリログ(=涼さん)を一言で表す言葉として、
ふと自分の中で得心のいくキーワードを思いついたのがこれである。
※注:私自身の勝手な解釈です。

“新時代の紐帯を指し示す伝道師”


パソコンを中心としたデジタル製品旋風と、
従来の情報収集方法および人間関係の構築方法とは、
まったく異なる革命的なインターネット。
新しく登場した圧倒的な力を持つデジタルとネットに、
人々は戸惑い、不安に思いながらも、
時に過信視し、時に過剰拒否反応を起こしながらも、
時代が進むに連れ、その時その時の状況に合せて、
否応なくそれと向き合っている。

こうした過渡期的な新時代の中で、
人々がどうやってデジタルやネットの良さを活かしつつ、
人間の本能として持つ心やアナログな部分とうまく調和していくか、
いわゆる「デジタルとアナログの融合」という、
現代社会の最大の課題について、
問題提起を行い、その答えを模索し、
自分たちの考えを提示しているのが、
メリログ=涼さんの音楽ではないかと私は思った。

●1:20歳、カラオケがきっかけで歌に目覚める

ライブで一声聴いて、その素晴らしい歌声と、
あふれんばかりの音楽的才能に、
さぞ小さい頃から音楽漬けで育ったのだろうと思いきや、
彼が本格的に音楽をはじめたのは、
なんと大学2年生、20歳の頃からという話に驚いた。

「ピアノは4歳の頃から習ってましたし、音楽は5以外の成績はとったことないですけど、
高校までずっと漫画家になりたいと思っていたので。
大学に入るまで音楽をほとんど聴いてなかったんで、
B'zもGLAYもまったく知らなかったほどです」

そんな彼がなぜバンドをするようになったのか。
そのきっかけは実に驚くべきものだった。
「大学に入って、自分には漫画家の才能はないなって、
周囲の人の絵を見て思って。
いろいろなサークルの勧誘についていった時に、
行きたくもないカラオケに連れて行かれて、何か歌わなければならないけど、
最近の音楽はまったく知らず・・・。
でも歌ったら『歌、すげえうまいんじゃない?』って話になり、
それで歌うことに目覚め、バンド活動をはじめるきっかけになったのです」

他人より何が自分に優れているのか。
ピアノもそこそこ、漫画もそこそこ、
でも周囲を圧倒するような才能はない。
自分は何が優れているのか、その答えを探し求めていた彼が、
「これなら周囲に負けない」と思える、歌に出会った瞬間だった。

〜アイデンティティの確立〜
自分とは何か、自分が生きている意味は何か、自分の存在とは何か、
それがわからないから、しかも豊かな時代ゆえに余計に見えにくくなっているから、
若者はモラトリアムを延長し、フリーターになり、ニートになり、転職を繰り返す。
漫画ではダメだと思っていた彼に、
カラオケというひょんなきっかけから、光が差し込んできたのである。

ただはじめは単にカラオケで歌を披露するために、
最近流行の曲を手当たり次第、聴くまくって、
歌うレパートリーを増やしていったに過ぎなかった。
そのうち単なるカラオケでは満足できず、
「歌を歌いたい。そうだ、バンドをやろう!」と、
大学2年になって軽音楽サークルに入ることに。

しかし2年から入る人は珍しいので、なかなかうまくいかず、
かつボーカル志望なんてゴロゴロいるのでバンドが結成できない。
仕方がないので1年生に声をかけてバンドをつくるも、
1年生だからろくに楽器が弾けず、
「じゃあ僕が楽器を覚えて教えていくしかない」と、
ドラムやギターを独学で覚えて、後輩に教えるといったこともしていたという。

でもそれでは真っ当なバンド活動ができない。
そこで彼は軽音楽サークル内でのバンド結成をあきらめ、
ネットでメンバーを募集し、
2001年、大学3年生の時に、メリディアンローグを結成した。
遅まきながら、やっと彼はバンド活動のスタートラインに立ったのであった。

ラルクアンシエルのコピーバンドからはじめ、
当時のメンバーであるギターがオリジナルの曲を作って活動をしていたメリログは、
多分、どこにでもあるバンドの1つにしか過ぎなかっただろう。
しかし転機が訪れる。
2003年、メリログの作曲を手がけてきたギターの脱退により、
歌える曲がなくなってしまい、バンド崩壊の危機にさらされたのだ。

「就職する気はぜんぜんない。昔からクリエイター的な職業で、
食っていきたいという思いもあったし、
その頃からメリログで食っていきたいという思いが強かった。
歌う曲がないなら、自分で作ればいいんじゃないか。
今まで作曲はしたことなかったけど、
自分で勉強して作詞作曲することにしたんです」

ライブではじめて聴いた彼の音楽的才能の素晴らしさから、
てっきりずっと作詞作曲を手がけていたものとばかり思い込んでいたが、
作曲を本格的にはじめたのはなんと2003年から。
作曲をしてみると意外とできそうだということに気づいた彼は、
音楽理論やパソコンでの作曲方法を独学で覚えながら、
曲作りに励んでいたのである。

2003年、メンバーは涼さんほか、現在のメリログ原型ともいえる、
ベース川之上、ギター長田、ドラマー海保の4人体制となり、
新生メリログのスタートとなったのである。
※2007年3月現在はベースが脱退し、3人体制

●2:手段としてのデジタル、創作の源泉となっている想い、その融合
つい最近から本格的な作曲活動をはじめたこともあり、
彼の作曲手法はパソコンがメイン。
ピアノを弾いた音をPCに取り込み、
そこにギターやドラムなどの音をPCで打ち込んでいき、
曲として完成させる最終的なミックス作業も、
すべてPCで自分でやってしまうという。

「デモテープとなる曲の原型は、
ほぼ完成の状態で僕がパソコンで作ってしまうんです」と、
アルバム『マクロポリス』に収録されている「パノラマ」のデモ版を、
その場で聞かせてもらったのだが、CDに収録されているのと、
何ら変わりはないほどの完成度に驚いた。
まさに自分一人でパソコンを使って曲ができあがっている。

しかし、曲からまったくデジタルで作った機械感というか冷たさを感じないのは、
そこに生身の人間である彼の、高く響く透き通るような歌声と、
メンバーが奏でる生の音が調和しているからだろう。
また、単なるPCオタクで音楽を作っているわけではなく、
彼には伝えたい想いやメッセージがあるからこそ、
心に響く音楽になっているのではないか。

メリログの音楽の大きな特徴は、社会的で意味深な歌詞にある。
「隷属させられたのは資本家のドグマで
捏造された「幸福」というプロパガンダで扇動する
生殺与奪も握られた所詮傀儡の僕らの
首を締めつける糸が見えるかい?意図が見えるかい?」
アルバム『マクロポリス』「ストリングス」より

「恋愛の曲は供給過剰だし、今のところ書こうとは思っていません」
というように、ほとんどの曲が、社会的なメッセージを、
巧みな暗喩を使いながら、見事に描いているものばかり。
こうした現代社会学的な用語を使った歌詞を歌っているバンドを、
ほとんど知らないだけに、私にとってもすごく新鮮だし、うれしかった。

というのも、これは音楽を作る側ではなく聴く側の意識の問題かもしれないが、
日本ではどうも社会や政治を絡めると敬遠されがちになるせいか、
そうしたバンドが少ないように思う。
社会や政治と向き合う日本のミュージシャンがもっと増えてくればいいと思うし、
見事な社会分析的な歌詞を、難しく感じさせずに、
リズミカルなメロディに載せ、
音楽として楽しめるメリログの楽曲は、見事というほかない。
こうした曲は、彼も私も好きであるミスターチルドレンにもいえることだが。

これだけのメッセージ性があると、作詞が先かと思いきや作曲が先だという。
「詞が先だとそれに曲が引っ張られて、曲が崩れてしまうこともあります。
詞ももちろん重要ですが、音楽である以上、音が重要。
音に合わせた“言葉の自分辞書”があって、
曲がよく聴こえるような言葉選びをして、作詞しています」

なるほど。だから不思議なことに、
歌詞だけ見るとすごい言葉が並んでいるけど、
ライブやCDで聴いてもスンナリ耳に入ってくる。

「もちろん音楽においてすごく詞も重要です。
自分の伝えたいこと、主題を決めて作詞するのですが、
曲を作る時間より5倍ぐらい時間がかかるし。
特に日本語は音数が少ないから、短い曲の中で、
いろいろメッセージを入れるのが非常に難しい。

そこで便利なのが四字熟語。
少ない音数で多くの意味を伝えられるから。
ただあまり難解すぎてひとりよがりにならないよう、
ドラムの海保君がチェックしてくれます。
一般人としての常識的な観点で歌詞をチェックしてくれる、
海保君の存在は非常にありがたい」

それにしても社会的メッセージを伝えたいという、
彼のモチベーションの源泉はどこにあるのだろうか、興味があった。
「社会に対する不満がその源になっているんだと思います。
社会や政治という大きなことだけじゃなく、
たとえばどこか店に行っても『もっとこうすればいいのに』ってすごく思う。
そうした不満が、何かを伝えていきたい自分の創作の原点になっている」

その気持ちはすごくわかる。
私が文章を書き始めたのも社会へのフラストレーションから。
「創作的な活動をしている人の多くが、
何らかの不満を持っているのではないでしょうか。
満足していたらエネルギーが沸いてこないのでは?」との彼の意見に同感だ。

だからといってメリログの詞が、
社会に対する不満だけのものではない。
「自分の不満だけをたらたら書いていても、そんな音楽は誰も聴きたくはない。
そういう音楽がわりと多いですけど。
どうすれば社会がよい方向になるのか、
その解決策を提示するのは難しいことだし、
わからないこともあるけど、
どこに問題があるのか、問題提起し、
今、自分たちが考えるベターな答えを少しでも提示していくことが、
必要なんじゃないかなと思っています」

作詞する際、もっともらしい偉そうなことだけでは伝わらないと感じている。
「たとえば地球環境は大切ですとか、アフリカの子供を救いましょうとか、
それ自体は間違いないけど、そういったところで人には伝わらないと思うんです。
自分とかかわりがあること、パーソナルなことからリアルにつなげていかないと、
聴く人にメッセージは届かない。
できるだけ聴く人が身近に感じられるようなものを大切にして、
そこから大きな問題を考える気づきを与えるというか、
問題の入口になればいいなと思って作詞をしています」

この話を聞いて私がホームページでやっている文章と同じ想いなんだなと感じ、
すごく共感を覚えた。
政治的なメッセージを伝える歌詞だからといって、
ダイレクトに政治家のスローガンみたいなことをいっても伝わらないわけで、
歌詞に暗喩や比喩を巧みに用いて、身近なところ、自分とのかかわりから、
世界が広がっていくような、そんなイメージで曲を作っているのだなと思った。

●3:アルバム『マクロポリス』に込められた想い
アルバム『マクロポリス』はまさにそのような流れで歌詞を書いていったという。
「はじめに『パノラマ』と『ストリングス』という2曲があって、
でもそれだけだと社会の問題提起でしかないから、
そこからスタートして、じゃあどんな風にしていったらいいのかということを考え、
残りの4曲ができたんです」

〜アルバム『マクロポリス』 〜

「小さな箱庭」という自分だけの小さな世界の中で、
自分だけの「掌の上で踊り続ける」僕たちが見ているのは、
ミニチュアでジオラマでしかない『パノラマ』。

「自由」なようでいて、所詮は社会という「絡みついた糸」に、
生まれた時から絡め捕られているに過ぎない自分たちの、
「糸(=意図)」に気づいているのかを問う『ストリングス』。

「肉体以上の身体を得」て、「端正な顔立ちで溢れて」いるのに、
なぜか「無個性」な僕らは、、
所詮は誰かの「複製」でしかないんじゃないかという『レプリカ』。

カーテンを締め切り、「鍵をかけた室内」で、
「仮想現実を写すモニター」ばかりを見ていて、
「本来向かうべき未来」から「目を背けている」僕らという『ラティメリア』。

「愚かなる圧制により、溜まる不満に対し、
異邦のターゲットを捏造って防ぐ」という、
まさに今のアメリカを筆頭とする戦争で支持を得る政治体制に対して、
人間の生命という「ルーツ」を辿っていけば、
「僕らは元々一つ」なのだからこそ、
「互いに向け合った銃も捨て去って」「手と手を握り合って」
世界を生きていくべきじゃないのかという『蒼星の系譜』。

誰もが外から鍵をかけられた「巣箱」の中に閉じ込められていて、
「造られた階層構造」で誰もが巣箱から飛び立ちたいのに、
囚われたままになっている社会の中で、
「始まりはたった一人」「『無意味だ』と」
自分より下の階層の「鍵を開けて」あげる、
その「連続反応」でみんな「籠の中」から「飛び立てられる」という『バードケージ』。


アルバム『マクロポリス』を曲順に詞を辿っていくと、
現状の問題提起から、その先の明るい未来の提示という流れが見える。
こうしたきちんとしたコンセプチュアルなアルバムは、
個人的には非常に好きだ。

涼さんはこんな工夫をも忍ばせていた。
「最後の曲『バードゲージ』では、みんな一人一人が、
鳥かごから飛び立っていくことをイメージして、
『door will open for you and them.birds are to fly high in the sky.』
というコーラスの人数がどんどん増えていくようになっているんです。
コーラスしてくれる人も公募して、自分の歌声を入れたデータをMP3にして、
メールで送ってもらったものをサンプリングして曲にしました」

その話を聞いてメリログのことを、
“ネット・デジタル新時代の紐帯(つながり)を指し示す
伝道師(アーティスト)”だなと思った。

未だに多くの日本人にインターネットやデジタルに対する、
非常に一方的で偏った認識がある。
ネットやデジタルは“冷たい”もので、アナログだけが本物みたいな。
しかし私はそうは思わない。
メールで音声を送ってもらうというこの話もそうだが、
使い用によってはアナログではできなかった、
新しい人と人とのつながりの可能性が出てきた。
しかもそれは世界中、誰とでも、かつ低コストでできることから、
国境や国家という枠組みを超えた非常に重要な意味を持つ、
コミュニケーションツールになりつつある。

今までつながることができなかった人がこうしてつながれる。
ネットやデジタルの良さをフルに活用し、
でもそこには生身の人間であるアナログ的良さもあって、
それを音楽にして伝えていく。
私がメリログのことを「新時代の伝道師」ではないかと思ったのはこのためだ。

●4:ネットの可能性と限界
ネットと政治・社会という意味で、
彼は非常に興味深いことを話してくれた。

「なぜ今の人たちが政治について興味を持たないかというと、
無力感があるからではないでしょうか。投票したって何も変わらない。
だから投票しなくなる。だから政治に興味を失っていく。
自分たちの行動から政治が変わったという実感を伴う、
民意を反映する仕組みがないとダメだと思うのです」

まさに彼の言う通りだと思う。
郵政民営化をめぐるドタバタ劇などにしてもそうだけど、
あらゆる政策が自分と一致する政治家も政党も存在しないのに、
小選挙区での数人の選択肢からしか政治を選べないとするなら、
投票に行っても無意味と思うのは仕方がないことだ。

「政治家をめざしているかさこさんは、
民意を反映する仕組みをどう考えていますか」と質問を受け、
ネットによる政策別投票と答えると、彼も非常に共感してくれた。
「ネットに慣れ親しんだ世代が政治・社会の担い手の中心にならないと、
今の政治は変わらない」と彼が言うように、まさにその通りだと思った。

政治や社会について、彼と私が話している提示策が正しいかどうかは別問題として、
こうした話を普通にでき、自分なりの意見を持っているということが重要だと思う。
常に政治や社会に対するアンテナを張って、
社会をよくしていきたいという想いを持っているから、
彼から社会的な詞が生まれ、伝えたいメッセージが生まれていくのだろう。

ただ彼はすべて何もかもネット万歳という人ではない。
彼がネットで懸念しているのが、
「不必要な情報(ノイズ)が入ってこないこと」だという。

「必要な情報を検索してダイレクトに情報に行き着いてしまうと、
自分にとって不要な情報が入ってこなくなってしまう。
みんながみんな、自分の興味ある情報しか接しない『オタク』になってしまう。
それは非常に危険なことだと思うんです。

たとえばネットの登場でアマゾンとかでは、
みんなが買う人気大衆商品ではなく、
一部のマニアしか買わないようなニッチ商品が売れる、
『ロングテール』現象が起きているわけですけど、
どんどんネット化が進めば、
どんな商品もすべてロングテールになってしまうんじゃないか。
ニッチな市場しかなく、みな分断化されてしまう、
そうした危険性があると思います」

「そのような意味では、テレビモデルって非常に優れているんです。
視聴者は無料でコンテンツ(番組)を見れる代わりに、
広告という『不要な』情報を見なければならないわけですけど、
広告を見て、商品を知ったり、何かに気付いたりすることもある。
そうしたノイズ情報をどうネットで取り入れていくかが、重要だと思います」

非常に興味深い意見。
ネットはすごく便利な反面、
ムダが少ないため、自分の興味ある枠の世界以上に広がらない可能性があり、
そのため、過度にネット依存した世代は、
視野が狭くなり、自分の世界に閉じこもってしまう危険性もある。

こうした危険性を意識しながら、
どうネットとアナログ的なものをうまく融合させていくかってことを、
彼は考えながらネットを活用し、音楽を作っている。
社会現象に対する鋭い洞察力があるからこそ、
音楽に、詞にメッセージがこもり、それを聴いた人に伝わっていくのだろうなと。

「もちろん、こうしたメッセージを、
音楽ですべて伝えるのは難しいと思うけど、
僕たちの音楽が何か気づきのきっかけになってくれればうれしい」

●5:「作品が墓標」というほど徹底した作品へのこだわり

「毒にも薬にもならないモノを作っても仕方がない」
彼の音楽作品に対する想いの深さ、こだわりがうかがえる言葉だが、
さらに彼は自分の作った曲をこんな風にたとえた。
「自分の音楽作品をこの世に残していきたい。
それは自分にとって1つ1つ墓標を作っている感覚なのかもしれない。
だから恥ずかしいものは作りたくないし、
自分の納得がいくまで作品は徹底してこだわっている」

「音楽で食っていきたい」という彼のプロ志向が、
作品に対する姿勢からも中途半端ではないことがわかる。
「どちらかというと自分は音源ベースのアーティストなのかもしれない。
形として残る音源作品のクオリティはとことん追求します」

音楽に限らずいろんな創作活動って、
それなりにやれば簡単にいくらでも「作品」はできてしまうかもしれない。
でも1つ1つの作品にどれだけこだわれるか。
それがプロとアマの違いなのかもしれない。

プロとは何かという話になり、彼は非常に興味深いことをいった。
「プロって何ですかね?
ただ音楽で食っていけてもそれをプロとは思わないんです。
自分が理想とするなりたい姿になれてはじめてプロといえるんじゃないでしょうか。
音楽で食おうと思えばいくらでも食えるけど、
やりたくもない音楽で食っても、僕はプロとは思えない」

僕にとってそれは非常に心打たれる言葉だった。
それは彼が私に「プロのライターって何ですか?」と逆に質問をされ、
それに対する答えと共通する想いがあったからだ。
プロのライターは、自分の書きたいものを書くんじゃなく、
クライアント(広告主)や出版社の意向に沿ったものを書いて、
お金をもらえればプロのライターといえる。

自分も文章で食っていくことに憧れ、一時フリーのライターになったが、
「自分がしたいのはこれじゃない」と気づいた。
確かにフリーライターとして金は稼げるが、
自分の書きたくもない文章をいっぱい書いて稼いでも意味がない。
自分がしたいことは、なんでもいいから文章で食っていくことではなく、
自分が書きたいものを書いて食っていくこと、
すなわち、ライターではなく作家になりたいのだなと。

まさに彼が言ったこともこれと同じ。
音楽を手段に食っていくならいくらでも手段はあるが、
自分が発信したい音楽を作って食っていくこととは別だ。
彼がプロの定義といったのはライターと作家の違いに他ならない。
彼は単に音楽で食っていくこと以上に、
自分が伝えたいことを発信するアーティストとして、
食っていくことにこだわっているのだ。
だから、彼は現状に満足することなく、
飽くなき向上心をもって音楽活動に励んでいる。

●6:自己満足のライブハウスではなく、路上ライブで実力を試す
圧倒的な才能を感じるメリログだが、
彼らが売れ始めたのは、泥臭いともいえる地道な「営業活動」があったから。
「いい音楽をやっていれば売れるなんて思ったら大間違い。
営業力+宣伝力がなければ、売れることはない」と彼が語るように、
いい音楽をどうやって広めていくかの重要性を、
メリログは認識し、活動していったからこそファンが増えていったのだと思う。

「今のライブハウスでバンド活動をしていてもファンは広げられない。
ライブハウス側に運営の工夫が足りないから。
バンドに客を呼ばせてチケット不足分はお金を払わせる。
商業主義的に偏り過ぎて、新しいバンドたちを育てていこうという気持ちが少ない。
だからバンドも客もライブハウスから離れていってしまい、
潰れていくライブハウスも多く、悪い循環に陥っている」

私はこの世界に首を突っ込むまで知らなかったが、
今のライブハウスの運営のあり方に疑問を持つものは、
音楽を愛する若者に共通している。
毎月撮影しているライブイベント「NICESHOT」を企画している、
TOKYOHELLOZの加藤代表も、集客をバンド任せにし、
バンドに金を払わせるライブハウスのあり方に疑問を持ち、
自分たちでバンドを呼び、客を呼び、
バンドに金を払わせない自分たちのライブイベントの開催に至っている。

「多くの人に自分たちの音楽を聴いてもらうために何をしたらいいか考えたら、
路上ライブが一番いいという結論になり、2004年からライブハウスでの活動を一切やめ、
路上ライブ、屋外イベントのみの活動にしたんです」

路上ライブ活動の経緯やその効果については、
メリログ・ドラムの海保氏のインタビューを参考にしていただければと思うが、
涼さんからこんな効用もあるといっていたのが印象深かった。

「路上でやると自分たちの音楽のレベルがはっきりわかる。
一般の人に自分たちの音楽がどれだけ通用するかが、
立ち止まってくれる人の数でわかる。
路上でやっていて足を止めてまで聴いてくれる、
さらにそこでCDまで買ってくれるっていうのは、
よほど気に入ってもらえない限り、してくれないことだけど、
バンドを職業にして食ってこうと思っているなら、
そこまでの音楽を作らなければ食っていけないわけで。
自分たちがどれだけのレベルにあるかわかるから、路上ライブはすごくいい」

そこそこいい音楽ぐらいじゃ、決して路上ライブの前で足を止めたりはしないだろう。
でもそこそこいいぐらいじゃ、到底プロなんかになれない。
ライブハウスは錯覚を起こしやすい。
整えられた音響、舞台、照明で音楽をやり、
知人や友人をかき集めて一段上のステージに立って歌えば、
まさに金で買ったロックスター気分になれるだろう。
しかし、それは本当の実力じゃない。

路上でやれば音響だって悪いし、バンドをよく見せる照明だってない。
客席から見上げるステージではなく、
むしろ道路の邪魔物と見られかねない場所で音楽をする。
そんな圧倒的に不利な状況で音楽をやっても、立ち止まってもらえる音楽でない限り、
プロにはなれないという判断基準になるだろうなと。
「本気でプロになりたいと思っているバンドなら、
ライブハウスでやる前にまず路上でやって実力を知るのが一番いいと思う」

路上ライブでやるかライブハウスでやるかという話は、
「作家になりたい」時に何をするかと非常に似ているなと思った。
「作家になりたい」「物書きになりたい」といいつつ、
ブログやホームページ、携帯小説を「デジタルで軽い」と批判し、
自分でマスターベーションのようにせこせこ書いていたところで、
決して人の目に触れることはなく、自分の文章がどれだけ人に受け入られるかわからない。

もちろん、きちんとした出版社の作家登竜門的大賞に応募するつもりなら、
それでもいいが、そういう人に限って、いつまでたってもそれすら応募しない。
結局、口先だけで作家になりたいといっているだけで、
本気でそのための努力をしていないのだ。

バンドマンが路上ライブで時に批判され時に恥をかきながら、
自分の作品を多くの人に聴いてもらえる環境に身を置き、自分の実力を知る。
作家志望に限らず、最近の若い人たちは傷つくのが怖いせいか、
自分の実力(作品)を人前で発表することに臆病になっている気がする。
それではいつまでたってもプロになれないよなと、
涼さんの話を聞いて思った。

「ライブハウスの運営が変わり、メジャーデビューの道筋として、
きちんと機能するようになればいいと思う。
日本には『機会の平等』が少ない。
駆け出しのバンドががんばっていい音楽をやっていれば、
きちんと評価され、メジャーに行けるような、
平等な機会が必要だと思います」

まさにその通り。
作家も漫画家も音楽家も女優・モデルも、
機会が均等ではなく、評価システムが不透明だから、
実力とは関係のない努力が幅を利かせ、
そこに金であったり性欲であったり権力であったりが絡んでくる。
だから人は地位にすがり、金にすがろうとし、社会がおかしくなる。

企業の採用にしてもそうだけど、
もっと透明性のある評価システムと機会平等が必要なんじゃないかな。
涼さんと話をしていると、いつのまにか音楽から、
政治・社会の話に発展していくのが、私には心地よかった。
ここにも真剣に政治・社会のことを日頃から考えている人がいるんだなと。

●7:音楽をきっかけに、広がる“つながり”
作詞作曲を手がけ、音源も完成に近いものを一人で作ってしまうボーカルなら、
ソロでもいいんじゃないかと質問をする前に、彼からこんな話があった。

「作詞作曲をするボーカルのみんながみんな、なぜソロにならないのか、
最近、すごくよくわかるんです。
バンドは運命共同体のようなもので、いわば1つの会社なんです。
それぞれにいろいろな役割があり、バンド運営、音楽活動のために、
みんなで協力して進めていく。
単に音楽を作ればいいだけじゃなく、営業や宣伝や経理がいるわけで、
そのためには単なる演奏のサポートだけでなく、
バンドとしてのメンバーが必要になる。
メンバー同士は一般企業と違って演奏という絆で結ばれている。
メンバーは僕にとって心の支えになってくれる必要不可欠な存在なんです」

ライブではじめメリログを聴いた時、彼の圧倒的な素晴らしい歌声に魅せられ、
はじめ「バンドがいいというよりボーカルの歌声がいいだけなのかな」と思ったが、
ライブで全体の演奏を聴いていくうちに、またインタビュー映像で、
ドラムの海保氏が涼さんの歌詞をわかりやすいように直してもらうよう、
アドバイスをしているといった話を聞くにつれ、
やっぱりボーカル一人だけでなく、バンド全体としてうまく機能しているから、
このバンドはクオリティが高い素晴らしい音楽が演奏できるのだなと思った。

また、バンドを会社と捉える発想も新鮮だ。
単なる仲良しサークルじゃなく、音楽で食っていくプロをめざすために、
何をすべきなのか、役割をきちんと決めて、その目的に向かって、
それぞれが協力し合い、がんばっていくという、
いわば経営方針がしっかりしているから、バンドがうまく機能し、
目標がぶれず、プロになるために一直線に進んでいっているのではないだろうか。

音楽作品=曲についてはすべて彼自身が担当している。
「よくあるのは、バンドのメンバー同士で曲についてああでもない、こうでもないといって、
曲をどんどん変えてしまっていくと、メンバー誰も納得できない、
みんなの総和をとった妥協の曲になってしまい、
結果、作品のクオリティが薄まってしまい、いい曲がダメになってしまう。
その意味で、メリログの曲については僕がすべて一任されている。
海保君がチェックをするけど、それを踏まえた上で作るのはあくまで自分。
そういう役割分担がしっかりできているから、メリログはうまくいっていると思う」

涼さんがパソコンをベースに音楽を作っている作業は、
彼が高校生の頃まで漫画家になろうと思っていたように、
一人で完結する「オタク」作業といえるかもしれない。
しかし、なんだろう、それが単なるオタクの一人遊びではなく、
彼のこだわりからできた作品が、メンバーに広がり、そしてファンに広がり、
彼の作品を契機に、いろんな人とのつながりや広がりになっている、
そういう力があるし、そういう音楽活動の仕方をしているように思う。
だからこそ私はメリログを「新時代の紐帯(つながり)」を担うバンドだと感じた。

「僕の音楽活動はメンバーに支えられ、ファンに支えられ、
多くの人に支えられてできているとすごく最近感じるんです。
2006年12月のワンマンライブでもいいましたけど、
ライブに来てくれている人たちは、一人一人が大切なわけで、
決して1/200とか1/400に過ぎないと思ってほしくない。
一人一人が集まってはじめて200人とか400人という大きな力になっている。
大勢になってしまうと、自分一人の力なんてという無力感を覚えてしまうかもしれないけど、
決してそうではない。
社会も政治も音楽もそう。
一人一人が大事。それが集まると大きな力になるんです」

彼のこの話を聞いていると、まさに環境問題とか政治の問題はこれに尽きるんだよなと思う。
一人一人はたいしたことないけれど、きちんとゴミを捨てないのが、
みんな集まれば塵も積もれば山となり、地球レベルの問題になってしまう。
一人で投票したって政治は何も変わらないと思うけど、
そうやって思う人がいっぱい集まれば、結局何も変えられなくなってしまう。
一人一人が集まってはじめて大きな力になるんであって、
自分は大きな分母の1という分子に過ぎないという考えをしないでほしいという、
彼の想いは、音楽やライブにとどまらずいろんなことに当てはまる。

「ライブに来てくれた人を一人一人、ほんとに大事に思っているし、
応援してくれた人たちに何かフィードバックできればなと思っています」
そうしたひたむきな姿勢というかファン(お客さん)を大事にする姿勢が、
彼らの音楽となって現れているような気がした。

2007.3.21、3ヵ月ぶりに彼らのワンマンライブがある。
「目の前の1つ1つのライブが真剣勝負。
特にこのライブにはバンドとしての命運がかかっているので、多くの人に来てほしい」
私が一声聞いて度肝を抜かれ、素晴らしいと感じたメリログのライブ。
この記事を読んで興味を持った方は、ぜひライブに行ってみるといいと思う。
マジで度肝を抜かれます。
もちろん私も行きます。

2007年3月21日(水・祝) 表参道FAB
メリディアンローグワンマンライブ2007【3 to One】

開場 17:00/開演 18:00
前売 \2500/当日 \3000
チケット予約はホームページからが便利
http://meridianrogue.com


ボーカルで作詞作曲を手がけ、いかにもアーティストという感じで、
取材前は少々近寄りがたいとも思っていた涼さんは、
意外にも実に気さくで親しみやすい人だった。
彼が考えている今のあふれる想いを、
かなりのスピードでテンポよく話してくれて、実に心地良かった。

最後に、なぜ彼がここまでして音楽活動にこだわるのかを聞いてみた。
「どうしても歌を歌っていたいという気持ちが一番強いのかもしれません。
自分が誇れる部分、他の人より優れていると思えるのが歌だから」

漫画家をめざしていた彼が、カラオケで歌の才能に気づいたのは20歳の頃。
涼さんの話を聞いていて思った。
きっと一人一人には他の人より優れた才能や資質があって、
それを活かした職業選択ができれば、本人も社会も幸せなんじゃないかなと。

「自分には何の才能もない」と思っている人も多いが、
私はそんなことはないと思う。
涼さんのようにカラオケに行くまでその才能に気づかなかったという人もいる。
自分の才能に気づけるかどうか。
その才能を磨く努力ができるかどうか。
そして何より「才能とは持続する情熱」。そのことが好きであるかどうか。
自分が何で生きていくのか、考えてもわからなければ、
まず動きながら考えてみれば、自分の天性みたいなものにいつか気づくんじゃないのかな。

●取材こぼれ話:オタク気質のデジモノ好き

「いやー僕はオタク気質なんですよ(笑)。
なんでも徹底して研究し、ハマってしまうタイプで」
インタビューをはじめた最初、
音楽の話そっちのけではじまったのはなんとデジタル製品の話。
彼は漫画にはまりゲームにはまり、デジモノにはまる凝り性的性格。
なんとパソコンを7台も持っていて、メインで使っているのは自作PC。

パソコンだけでなく、いろんなデジモノに相当詳しく、
ipodとは違ってデータが簡単に移動できて便利だという、
韓国製の携帯音楽プレイヤーに、
動画と写真が撮影できるコンパクトなデジカメ&ビデオ。
さらにはウィルコムのキーボード付Widowsモバイル搭載のW-ZERO3まで、
カバンから続々と出てくるデジタル製品の数々に、
デジモノ好きの私も「参った」という感じ。

「デジモノ買う時には徹底して研究して調べるから、
僕が選んで買うモノははずれがないってメンバーからも評価を受けているんです」
もちろんすべては音楽活動に必要なものにつながっていくわけだが、
新しい製品を購入する際には、
2ちゃんねるのスレッドを見て、価格コムで口コミ情報をチェックし、
念入りに調査した上で製品を選ぶという。

さらにかなりのゲーム好きでほとんどのゲーム機は持っているという。
「対戦格闘ゲームで全国大会に出たこともある」というゲーマー。
音楽以外の唯一の将来の夢は「ゲームをつくりたい」というほど。

彼の意外な一面なのかもしれないが、
音楽作品に対するこだわりから考えれば、
何事にも徹底してこだわる彼の性格がうかがえる一面だなと思った。

そしてゲーム好きのせいか、ゲームミュージックの関心も非常に高い。
前作アルバム『アクアリウム』を聴くと、
まるでそれ自体が1つの完結された物語のような、
ファンタジーゲームのゲームミュージックとさえ思える感覚が確かにある。
詞のない曲が交互に挿入されているのだが、
それを聴いているとファイナルファンタジーのようなRPGの音楽としても、
すぐに使えそうなクオリティ。
彼の音楽創作活動のバックボーンとなっているものは、
ある意味ではゲームにあるのかもしれない。

●メリディアンローグ公式サイト
http://meridianrogue.com/