喪失の国、日本By 書評ランキング

実に興味深い本に出会った。
「喪失の国、日本」(M.K.シャルマ著・山田和訳)である。
インド人エリートビジネスマンが日本での赴任経験を語った体験記。
よく外国人から見た日本体験記で、ただおもしろおかしいものならいっぱいあるが、
この本が類書と違うのは、日本の社会のあり方に対しての指摘が、実に示唆的なのだ。
それはこの著者が、高度な教養と問題意識を持っていたからだろう。
この本を21世紀に日本の社会構造改革の参考書の一冊に加えたいぐらいだ。

インドに詳しい訳者が序文で、この本の狙いをこう語っている。
「日本人旅行者や滞在者が、インドで味わうあの強烈な文化的違和感(カルチャーショック)を、
日本を訪れたインド人もまた逆のベクトルで感じることは疑いないと思ったからである」
まさしくその狙い通りの本となった。

その中で今回は、日本特有の文化的差異を感じたことからの日本に対する有益な示唆ではなく、
西洋的価値観に対する実に的を得た示唆を紹介します。

●市場調査会社に勤める彼が日本に派遣された理由について
「雑誌に載っているような日本経済の最新情報ではなく、
これからつき合う国との文化的ギャップがどのようなものかを知ることだ。
理解を超える部分や感覚の実態を知ることが、相互理解の可能性につながる」


インドネシアの味の素が、豚の成分を使っていたということで、
イスラム法に触れるという問題が今年起こった。
またマクドナルドのポテトの成分についても同種の問題が起こっている。
異文化に対する無理解が、暴動にまで発展したりする原因となるのだ。
相手の感覚的な部分を理解せずに経済進出するから、トラブルが絶えないのだろう。

●経済の繁栄について
「外資の導入による繁栄は、じつはみせかけの繁栄にすぎないのではないだろうか。
「近代」という概念は、欧米がアジアに押し付けたエゴイズムに過ぎないのではないか。
幸福の意味について近代的な価値観で解釈しすぎる。」

アメリカがあれだけイスラム教国から恨まれるのは、
アメリカ的価値観を一方的に押し付けようとしているからではないだろうか。

●はじめて国際線の飛行機に乗った時に、アメリカ映画を見て
「インドが市場開放の路線を選択したということは、近い将来、
このような映像(アメリカ映画)にさらされるということだ。
おそらく保守的な人々による放送局などへのテロが起きるのではないか」

先進国では当たり前のように垂れ流されている過剰な映像。
暴力シーンやセックスシーンなど。
所変われば、これだけでテロの対象となるぐらい、反動的に映るのだ。

●これからインドが近代化をめざすにあたって
「愚かで貪欲な人は、平和を求めるがゆえに経済発展を望み、
経済発展を望むがゆえに政治力を求め、政治力を求めるがゆえに軍事力を高める。
その結果、幸福を得るために集められた金は、再生産しない兵器の購入に消えてしまう。
今の世界がこの無意味な「大口消費」を最終段階とする構造を持っている限り、
幸福のための資金はいつまでも無限の闇に吸い取られていく」


アフガニスタンへの空爆をしているアメリカに対して、テレビである評論家がこんなことを言った。
「一番バカを見ているのはアメリカ国民だ。湾岸戦争にしても今回の空爆にしても、
莫大な税金が意味のない人殺しのために使われている」
戦争をでっちあげ軍需産業に税金を投入して賄賂を受け取る。
再生産しない兵器というのは、民衆の幸福を圧迫していることに早く気づくべきだ。

●自由について
「21世紀に入って、人々は「絶対的な自由」が「決定的な悪」を社会に誘い込むのを見、
自由を語るものが最も危険な(ファッショ)な人物であることを知る。
壮大な自由の実現とともに壮大な悪が不可避的に跳梁し、
忌まわしい悪の華が地上最後の華を咲かせ、人類は破滅に向かう」

まるで今のアメリカを予言しているかのような言葉だ。
「自由のために戦い」と称するアメリカの軍事行動によって、
戦争は単に対テロリストにとどまらず、罪のない一般市民を巻き込み、隣国に紛争の種を撒き、
様々な産業にダメージを与え、そしてさらなるテロの恐怖に全世界を巻き込んだ。


この本が書かれたのは10年ぐらい前だが、こうして本文を抜粋してみると、
今の世界構造を理解するのに示唆的なことが、よく散りばめられている。
西洋的価値観を持たないインド人からの指摘は、
イスラム教国の根強い反米感情を理解するヒントとなるのではないだろうか。



●空港から東京に向かう道路を見て
道路には花に埋もれていながら、動物の姿がないのが不思議だった。
空には鳥も飛んでいなかった。
経済的に豊かな国であれば、動物があふれていると思ったのだが、私の予想は大幅に外れてしまった。
動いているものといえば、クレーンや自動車といった機械ばかりで、
人間が動かしているもの以外はほとんど見られない。


「豊かな国」の意味を投げかけてくれる。
「豊かさ」とはGNPがどうのとか、経済成長率がどうのという問題ではない。
自然に満ち溢れ、動物と人間とが共生できる社会。
それこそが「豊かさ」なのではないか。
動物がいない国など、豊かでも何でもないということがわかるだろう。

●東京に着いて
閉口したのは、建物のどの窓も密閉され、外気が完全に遮断されていることだった。
清潔な空気を確保するために行われているんだろうが、息苦しく感じずにはいられなかった。


本当の意味での「清潔な空気」というのは、人口的に機械で管理されたものではないはずだ。
窓も開けられない高層ビルというのは、もうその時点で人間性を放棄した建物だといえる。
また密閉して空気を管理せざるを得ないぐらい、東京の外気は汚いということだろう。
窓を開けて自然な空気の出し入れもできないことに驚く彼の指摘は、
現代社会のあり方を根本的に考えさせられる。

●ホテルのバーに行って
都市の再開発にあたって、日本は一見無駄に見える余剰空間のもつ人生上の効用を認めなかった。
その結果、人々は、暮れゆく大自然のかわりに、きらびやかな人工照明に浮かび上がる室内を、
星星のきらめきのかわりに窓の外に明滅するネオンサインを背景に人生を語ることとなった。

自然を潰してできた人工空間に一体真の豊かさを見出せるだろうか?
真のやすらぎを見出せるだろうか?

●ホテルの西洋式トイレについて
私の知りあいで、便座に直接尻を下ろした者はいない。
非常に不潔な感じがするので、誰もが便座の上に靴のまま上がる。
便器に直接皮膚をくっつけるという不潔な行為で国際人の仲間入りするのは悲しかった。


私たちが当たり前だと思っていることをもう一度疑って考える必要があるのではないか?
僕はインドで外で大をしたことがあるが、正直言って臭くて狭いトイレなんかでするより、
外の野原でまるで牛や馬のようにする方が清潔なのだと思ったからだ。
西洋式トイレの彼の感想は実にユニークだ。

●ホテルのトイレについて(2)
正直いって私は恐れた。トイレ一つにもさまざまな操作知識が要求される。
すべてがデジタル化されていて、私はコンピュータの技術訓練学校に行かないまま
本番に臨んだ生徒のように、やけっぱちな気分を味わった。
日本はインドのように、石器時代の名残をどこにも残していない。

すべてがデジタル化されていく社会。
時々思う。
自動ドアって必要なんだろうか?
蛇口のない、手をかざすだけで水が出る水道って必要なんだろうか?
結構故障も多いし、自分で細かい調整ができないので。かえって不便だったりする。
デジタル化・ボタン化すれば便利だという幻想は捨てた方がいい。
時には手動の方がはるかに便利なこともある。

●ホテルのフロントでの光景
自分の荷物を置いたまま傍らを離れるという風景は、私には特に信じがたかった。
このように「信頼が先行する文化」を実現している国は、世界的に非常に稀だと思う。

日本にはこうして異国にはない良さがある。
そういったことをもっと意識して社会を作っていく必要があるのではないか。
しかし残念なことに、西欧化・近代化・機械化することによって、
最近ではこういった「信頼が先行する文化」が失われているような気がしてならない。
逆に日本の常識を海外に行っても通用すると思い、同じように振舞うから、
荷物を簡単にかっぱらわれたりすることもある。

●物をなくした場合
自分の過失で財布を落としても警察に届けることができるという奇妙な論理が成立する。

考えてみればおかしな論理だ。
日本はよくもわるくも「自己責任」の社会からは程遠い。
何か問題が起こると、その人自身のミスではなく、管理している組織や行政が問われる。
しかし当事者の責任能力も問われるべきだ。
自ら注意を怠ったり、危険なところに行ったりすれば、事件にあうのは当然の帰結ともいえる。

●町を歩く女性を見て
(発情する女たち・みんな娼婦と見間違えるほどだった)
肌を露出させ、香水を振りまきながら、同時に防犯ブザーを持ち歩くという大いなる矛盾。
男を刺激しておきながら「スケベ」と怒鳴らなければならないなんて、あまりにリスクが大きい。
自分が何をしているのかわかっていないんだ。


自己責任という概念を今の若い女性は本当にわかっていない。
痴漢や性的犯罪が増える昨今、女性の肌の露出度はそれに比例するかのように増えている。
犯罪を招くような欲望を煽りたてるファッション。
極端な話だが、もし日本がイスラム教国にように、
女性たちが肌を一切露出せず、顔にもベールをまいていたとしたら、性犯罪はぐっと減るのではないか。
確かに犯罪を犯す男性は悪いが、
昨今の女性の過激な露出こそが犯罪を増やす原因となっていることは間違いない。

●若い女性について
未来に希望が持てないという焦りからか、
優雅な一人暮らしを楽しんで、婚期を逃した女性が増えている。
海外旅行にしょっちょう出かけ、いいホテルに泊まり、美味しいものを食べ、
エアロビクス教室に通い、ワインとブランド品に精通し、
アーバンな生活にアイディンティティを感じてしまった女たち。


若い女性は消費社会に踊らされているのか。
それともこの社会には未来に希望が持てないから、
だったらいっそうのこと難しいことを考えるのは一切やめて、
バカになって今を楽しんで踊らされてやろうじゃないかと、故意に自発的に刹那主義をとっているのか。
欲望消費社会を終わらせ、新たなる価値観に基づく人間性豊かな幸福社会をめざすためには、
若い女性は自発的にせよ非自発的にせよ、欲望消費社会に踊らされるのはやめてほしいな。
そうすれば愚かな金儲け企業はつぶれ、
表層のファッションではなく、本当に大切なものがわかる時代になるだろう。

●酒とたばこ
すでに喫煙の害と周囲への無言の暴力は指摘されて久しく、
酒にいたってはインドの場合、精神への害が指摘されてすでに数百年になるというのに、
(日本人が男性女性を問わず酒・たばこの習慣を見るにつけ)
人間にとって自由とは、時として何と愚かなものだろう。


最近たばこを吸う女性をよく目にするが、いかにそれが愚かなことかわかっていないのだろう。
ベトナムに行って現地人ガイドがこんなことを言っていた。
「酒とたばこを吸う女性なんて、ベトナムでは娼婦だけですよ。
まっとうな女性は酒やたばこはもちろん、コーヒーさえも飲まない」
子供を生む体を大切にしなければならない女性。
格好つけるためだけに酒・たばこを吸っているなら、辞めたほうがいいと僕は思う。
酒は飲みすぎなければ問題ないとは思うが、
たばこに関しては男性女性問わず、法律で禁止した方がいい。
たばこを吸わない人がその煙によって迷惑をこうむることが許されていいはずはない。


このインド人を今の日本の構造改革大臣として迎え入れたいぐらいだ。
彼の指摘は、日本の良さを再認識させてくれるし、
殺伐とした今の社会を変革する示唆のある提言がふんだんに盛り込まれているからだ。

・書評ランキング

・2001年10月12・13・14日 必読!おすすめ本
実に興味深い本に出会った。
「喪失の国、日本」(M.K.シャルマ著・山田和訳)である。
インド人エリートビジネスマンが日本での赴任経験を語った体験記。
よく外国人から見た日本体験記で、ただおもしろおかしいものならいっぱいあるが、
この本が類書と違うのは、日本の社会のあり方に対しての指摘が、実に示唆的なのだ。
それはこの著者が、高度な教養と問題意識を持っていたからだろう。
この本を21世紀に日本の社会構造改革の参考書の一冊に加えたいぐらいだ。

インドに詳しい訳者が序文で、この本の狙いをこう語っている。
「日本人旅行者や滞在者が、インドで味わうあの強烈な文化的違和感(カルチャーショック)を、
日本を訪れたインド人もまた逆のベクトルで感じることは疑いないと思ったからである」
まさしくその狙い通りの本となった。

その中で今回は、日本特有の文化的差異を感じたことからの日本に対する有益な示唆ではなく、
西洋的価値観に対する実に的を得た示唆を紹介します。

●市場調査会社に勤める彼が日本に派遣された理由について
「雑誌に載っているような日本経済の最新情報ではなく、
これからつき合う国との文化的ギャップがどのようなものかを知ることだ。
理解を超える部分や感覚の実態を知ることが、相互理解の可能性につながる」


インドネシアの味の素が、豚の成分を使っていたということで、
イスラム法に触れるという問題が今年起こった。
またマクドナルドのポテトの成分についても同種の問題が起こっている。
異文化に対する無理解が、暴動にまで発展したりする原因となるのだ。
相手の感覚的な部分を理解せずに経済進出するから、トラブルが絶えないのだろう。

●経済の繁栄について
「外資の導入による繁栄は、じつはみせかけの繁栄にすぎないのではないだろうか。
「近代」という概念は、欧米がアジアに押し付けたエゴイズムに過ぎないのではないか。
幸福の意味について近代的な価値観で解釈しすぎる。」

アメリカがあれだけイスラム教国から恨まれるのは、
アメリカ的価値観を一方的に押し付けようとしているからではないだろうか。

●はじめて国際線の飛行機に乗った時に、アメリカ映画を見て
「インドが市場開放の路線を選択したということは、近い将来、
このような映像(アメリカ映画)にさらされるということだ。
おそらく保守的な人々による放送局などへのテロが起きるのではないか」

先進国では当たり前のように垂れ流されている過剰な映像。
暴力シーンやセックスシーンなど。
所変われば、これだけでテロの対象となるぐらい、反動的に映るのだ。

●これからインドが近代化をめざすにあたって
「愚かで貪欲な人は、平和を求めるがゆえに経済発展を望み、
経済発展を望むがゆえに政治力を求め、政治力を求めるがゆえに軍事力を高める。
その結果、幸福を得るために集められた金は、再生産しない兵器の購入に消えてしまう。
今の世界がこの無意味な「大口消費」を最終段階とする構造を持っている限り、
幸福のための資金はいつまでも無限の闇に吸い取られていく」


アフガニスタンへの空爆をしているアメリカに対して、テレビである評論家がこんなことを言った。
「一番バカを見ているのはアメリカ国民だ。湾岸戦争にしても今回の空爆にしても、
莫大な税金が意味のない人殺しのために使われている」
戦争をでっちあげ軍需産業に税金を投入して賄賂を受け取る。
再生産しない兵器というのは、民衆の幸福を圧迫していることに早く気づくべきだ。

●自由について
「21世紀に入って、人々は「絶対的な自由」が「決定的な悪」を社会に誘い込むのを見、
自由を語るものが最も危険な(ファッショ)な人物であることを知る。
壮大な自由の実現とともに壮大な悪が不可避的に跳梁し、
忌まわしい悪の華が地上最後の華を咲かせ、人類は破滅に向かう」

まるで今のアメリカを予言しているかのような言葉だ。
「自由のために戦い」と称するアメリカの軍事行動によって、
戦争は単に対テロリストにとどまらず、罪のない一般市民を巻き込み、隣国に紛争の種を撒き、
様々な産業にダメージを与え、そしてさらなるテロの恐怖に全世界を巻き込んだ。


この本が書かれたのは10年ぐらい前だが、こうして本文を抜粋してみると、
今の世界構造を理解するのに示唆的なことが、よく散りばめられている。
西洋的価値観を持たないインド人からの指摘は、
イスラム教国の根強い反米感情を理解するヒントとなるのではないだろうか。

● 激辛20倍カレーを食べる(1)
インドとは何の関係もない別種の料理である。
はっきりいって、これは食べ物ではない。食事でさえも辛さを競い合うゲームになっている。
ここはレストランではなくゲームセンターだということに、もっと早く気づくべきだった。

日本という国は、実に外国文化をねじまげるのがうまい。
本場インド料理なんて真っ赤な嘘。
どうしてこうも勝手なイメージが、一般的に普及してしまうのだろうか。
インドのカレーが辛いなんて、一体どこの誰が言ったんだ?
それにしても、激辛や大食いといったもので客をおびきよせようという店が
まかりとおるこの国は、ほんと傲慢だと思う。
しかし足元をよく見れば、食料を自給自足できない国だという危機意識を持っているのだろうか。

●激辛20倍カレーを食べる(2)
いくら辛くしても唐辛子の量などたかがしれているのに、
日本では20倍カレーに200円も追加しなければならない。

この国の価格はほんとおかしい。
どこもかしこも、金を騙し取ってやろう、少しでも楽して儲けようという態度が、
目に見えて表れている。

●日本文化を象徴する言葉「結構です」
「たいへんいいのでください」という意味と、「よくないのでいりません」という正反対の意味を持ち、
状況に応じて、あるいは微妙な抑揚によって使い分けられる。
驚くべきことに、日本人でさえ、しばしその意味を取り違えるという。
そのように曖昧で厄介な言葉が日常で使われる。
それはおそらく日本文化が「相手の心を推し量る」ことに価値や美意識を見出しているからだと思われる。


日本人の曖昧さ。
それはプラスとマイナスの両方の面がある。
僕は日本人がこの「曖昧さ」を捨てて、ドライな西洋人になる必要は全くないと思う。
ただし外国とつきあう時には、この曖昧さが通用しないことは知っておくべきだ。

●国民の祝日に国旗を掲げる習慣について
何も知らない外国人がその光景を目にしたら、
クーデターが起きて新しい国が誕生したと勘違いするかもしれない。

日の丸を掲げる行動が、これほどまでに誤解される可能性を秘めている
ということを日本政府は知って、学校に日の丸・君が代を強制しているのだろうか?

●マンション住まい
マンション住まい初日に廊下で朝日を楽しんですっかり気に入った私は、翌日からテーブルを出そうと考えた。
朝日を祝して線香を廊下に焚いたら、それが物議をかもした。
その日のうちに管理人を通じて管理組合からクレームがきた。

確かに集合住宅という特異な形式においては、
他人との共同生活のために、住人の行動は規制される。
きっと管理人は目をひんむいて、注意しにきたのだろうな。
インド人だけというだけで、きっと変な目で見ただろうし。
マンションなんていうと格好良い響きがするかもしれないが、ようはブタ箱だよな。

●スーパーマーケット初体験
なんといっても驚いたのは、キャベツもにんじんもキュウリもなすも、
染み一つなくぴかぴかに輝いていたことである。
どの野菜も工場で作った製品のように形と大きさが統一され、まるでプラスティック製品のようにみえた。
どういうふうに栽培するとそうなるのか、私にはわからなかった。


見た目を重視し、植物を薬品漬けにして作り上げた人工野菜。
見た目が不格好であっても、自然そのままの方がいいものに違いないのに。
こうして外見重視の構造が人々に刷りこまれ、汚物蔑視がなされるのだろう。
汚いもの・醜いものを抹殺するのはなく、それを受けいれる寛容さがこの社会にはない。

●アウトドアブーム
自然を愛する行為が、自然を破壊するのは皮肉なことだが、
豊かさの意味を消費と欲望に結びつけているからだろう。

自然を楽しむレジャーに、金をかけ、道具に凝り、重装備していく人々。
でっかい車に乗り込んで、物に囲まれてちっとも脱都会ではない。
にもかかわらずゴミだけは置いていく無責任さ。
自然を汚すことは自分を汚すこと。
「アウトドア」なんてかっこつけても、管理されたコンピュータゲームと大差はない。

●木の美学
日本人は、この二千年、何を作るにも木を用い、木と向かい合って生きてきた。
木と相対する無限の時間の中で、人生と美を学んだ。


一体いつから日本は、木の文化を捨てコンクリートの奴隷と成り果てたのだろうか。
凶悪犯罪が増え、社会が殺伐としているのも、
こういったことが大きな影響を及ぼしているのではないだろうか。

●サイン
日本人はサインの意味を理解していない。
契約に際して不可欠とされる日本的サイン「ハンコ」が、同じものが町で売られているのだから。


よく考えてみればおかしな話。
自筆のサインは偽造のしようがないが、ハンコなら簡単に買ってこれるし偽造できる。
西洋社会のしきたりにそって「サイン」を導入したものの、
もともとそういう社会習慣がなかったから、ハンコという、
本来のサイン制度にはあってはならないものがまかりとおってしまったのだろう。
おかしいよ。ニッポン!!