ベトナム かさこワールド
・脱出

 夜21時、サイゴン駅発ハノイ行き長距離夜行列車に乗って、
 ホ−チミンから北へ約700km先にあるクイニョンという港町をめざす。
 「都会より田舎」
 ホ−チミンにわずか4時間足らずの滞在ですぐに移動してしまう。

 南北に長いベトナムにとって列車は重要な移動手段だ。そのため列車は満席。
 12時間の列車の旅だが、寝台席は取れず座席で行く。
 列車に乗って一安心したのは、座席だったがエアコン付き車両であったこと。
 さすがに30度を越す熱帯夜の中、エアコンなしで列車で夜を明かすのはちとつらい。

 列車の移動で危険なのは盗難だ。
 ガイドブックにも盗難が多いから注意するようにと書いてある。
 しかしこの車両に乗った雰囲気は、そんな危険な臭いが全くしなかった。
 座席で夜を明かすという共通の苦難を共にする仲間たち、といった連帯意識が乗客の中に感じられた。

 現地の人の中に外国人である僕が乗り込むと、
 下心があって親切にしてくれるといった態度で近づくのではなく、
 列車の旅を共にする物珍しい珍客に優しく接しようという態度が人々から感じられた。
 だから席を外すときも、眠るときにもリュックに鍵をかける必要ないと判断した。
 言葉は通じないが、周囲の人はみな親切にしてくれた。

 疲れていながら狭い座席で熟睡することもできず、かといって車窓を眺めても広がる景色は闇ばかり。
 しかしそれでも知らぬ間に眠りにつき、列車での朝を迎える。
 きっときれいだろうなと思っていた。目覚めたときに見る朝日に照らされた車窓の風景が。

起きた時にみた車窓の景色は、想像以上に美しかった。
朝焼け空にどこまでも広がる緑の大地。時折そこを駆け抜ける天笠をかぶった人が農作業をしている光景。
ここは田舎なんだなとなんだか急にほっとした。心和む風景がどこまでも続いていた。

ハ−ドで無茶苦茶なスケジュ−ルだけど、旅には苦難の果てに素晴らしい光景や出会いが待ち受けている。
そのことを僕は知ってしまったから、旅はやめられないし、無理してでも旅をする。

もうここに都会の風景はひとかけらもない。
僕は日本から脱出し、そして都会から脱出し、人間としての「心のふるさと」に帰ってきたのだろう。

・白砂
 ホ−チミンから列車で12時間。
 700km北の港町クイニョン。
 景色は劇的に変わります。
 ここは静かな小さな港町です。
 こんなところに来たいとずっと思っていました。
 トウキョウのような表層的な社会で慌ただしく生きていると。

 おい、あんた。
 何をそんなに急いでるんだ?
 昼間っからそう忙しく動き回るもんじゃねえよ。
 人間の人生はな、楽しくいきなきゃそんだよ。
 血相変えて働いてばかりいると、早死にするぞ。







・免罪符
 食は旅の楽しみの一つ。
 ここベトナムでは、ドリップ式のコ−ヒ−が名物です。
 コ−ヒ−を頼むと、アルミフィルターに挽いたコーヒー豆が入っていて、
 そこに熱湯を注いで、その場で落していきます。

 目の前にゆっくりと落ちていくコ−ヒ−を眺めながら、地元のビ−チでのんびりと過ごす。
 外国人観光客用のビ−チではないから、
 夕方になると学校を終えた地元の子供たちがわんさか集まって、
 海辺のサッカ−に興じます。

 僕はコ−ヒ−が落ちるのを待つ間、子供たちのサッカ−ボ−ルの行方を、
 なぜか必死で目で追っていきます。
 きっとここではそれしかすることがないからでしょう。

 海辺の波の音を聞きながら、
 プロの試合でも何でもない子供たちのサッカ−をぼんやりと眺めます。

 こうしているとニッポンという国がはるかに遠い。こんなことしていていいのだろうかとふと思う。
 きっとニッポンではその間に仕事が動いている。
 でもこれが・・・旅。旅という名の免罪符が、無限の無責任と無限の自由の世界へと誘うのです。

 現代人に最も必要なこととは、もしかしたら意味のないことをすることなのかもしれません。
 無為な時間を過ごすこと。何の意味もない時を過ごすこと。
 すべて数値化され、すべてに意義や成長を求める現代社会に生きる私たちの、
 人間性を回復する唯一のリハビリなのかもしれません。

 まだコ−ヒ−が落ちきりません。
 無為な時間に慣れていない僕は、つい我慢しきれなくなって、挽いた豆ごとお湯をコップに入れてしまいました。
 あわてて店のおばさんが飛んできて、僕のそのあまりにとんでもない行動にあっけにとられて、
 怒る気力もなく、あきれてただ笑っているばかりでした。


・桃源郷
 おい、そこの若いの。
 いくら世界各地を旅してまわったところでな、
 おまえさんの求めるようなユートピアなど、どこにもありゃしないんだよ。

 もちろん、ここは確かに美しい港町だよ。
 海辺に咲いた花の生き生きしさ、青空に浮かんだ雲の生き生きしさ、
 透き通る海のみずみずしさ、この地に生きる人々のすがすがしさ…

 でもな、それはな、この町のほんの一部のことにしかすぎねえんだ。
 生きるための苦しみも悲しみも、この美しい港町にだってあるんだ。

 ただ言えることはな、あんたの国から見ればだいぶましだってことよ。
 だからあんたはここがユートピアに見えるんだよ。
 おまえさん、気をつけた方がいいぞ。
 あんたの目はな、あんたの心はな、そうとう濁ってるぞ。
 機械ばかり見てるからそういうことになるだ。

 いいか、ここは楽園でも桃源郷でも何でもない。
 ただ自然がな、そのまま残されているだけのことよ。
 ただそれだけのことなんだよ。

 この地がユートピアじゃねえってことがわかったら、あんた、自分の国にさっさと帰りな。
 自分の国に帰って自分たちでユートピアを作り上げるんだ。
 他でもない自分の故郷にな。


・言葉
 海外旅行に行くなら、英語ぐらいできないと。
 さらに現地の言葉も少しぐらい話せないと旅行ができないと思っている人が多い。
 でも普段日本語しか使っていない我々が、どんなに駅前留学しようとも、
 生きた言語を話すには程遠いということを旅先で知るだろう。

 だからというわけではないが、僕は特別英語がしゃべれるわけでもないし、
 もちろんベトナム語だってしゃべれない。
 それでも旅をすることは意外と簡単であるということを、
 旅をしたことのある人ならわかるだろう。

 インテリ気分で駅前留学やらペーパー資格を取って言語を身につけるより、
 もっと大切なことがある。
 言葉がしゃべれなくても、ボディーランゲージの表現力があれば、大概は通じるのだ。

 旅行で思うこと。それは言葉よりももっと簡単に通じあえるものがあるということだ。
 たとえばそれは音楽であったり、スポーツであったり、絵であったり、ゲームであったりする。
 共通のルールにのっとったものであれば、言葉がわからなくてもコミュニケーションを取り合えるのだ。

 道端で会った子供たちとは誰一人として言葉は通じなかった。しかし僕らは会話をすることなくすぐ通じ合えた。

 「一人足りないから、兄ちゃんも入ってよ」
 「こっちのチームだからね」
 「なんだよ、兄ちゃん、シュートへちたっくそだな」

 スポーツによって言葉がなくても通じ合える不思議。子供たちに混ざって僕はいつまでもサッカーに打ち興じていた。
 旅に出ることは童心に帰ること。子供心に戻ること。日が沈むまで、汗まみれになって白球を追った。


・麺文化
 アジアにおける麺文化の広がりに深く感激します。
 アジアならどこにいっても麺がある。
 しかもそれが日本人の口に合うのです。

 ベトナムで有名な麺はフォ−。
 毎日30度を越す暑さの中で、冷たい飲み物ばかり飲んで、つい食べ物が喉を通らない。
 そんなときに、唯一胃の中に流し込めるのがラ−メンなのです。
 暑い中、汗だくになりながらあつあつのス−プをすすり、麺をずるずる食べる。
 日本人にとっては違和感のない味で、抵抗なく食べれます。
 暑い東南アジアで夏バテにならない秘訣はフォーを食べることかもしれません。

 そうめんのような細い麺に、あっさりした塩味ス−プ。
 具は野菜が中心でとってもヘルシ−。
 毎日毎日、フォ−ばかり食べていました。

 海外に行くと普段慣れない食べ物を食べる事には大きな抵抗があります。
 しかしこうして共通の麺文化が、旅行先でも何不自由なくおいしく食事をすることができるのです。

 アジアは一つ。
 そう感じたのがこのフォーを食べたからでした。




・功罪
 町は生きる歴史の教科書。
 ベトナムの町のあちこちには、フランスパンが売られています。
 それはフランスによる長い占領時代の影響からでしょう。

 今ここで、ベトナムにおけるフランス植民地化による惨劇や、
 ベトナム戦争下における悲劇を教科書的に語ろうとは思いません。
 時代は常に動き、今は常に歴史へと変わり、
 時は人々の記憶を忘却の彼方へと連れ去っていくのです。
 声高々に歴史の教訓を唱えたところで、人間は悲しいかな、
 直接体験した世代でなければわからないことがたくさんあります。
 町で売られているフランスパンは、地元の人々にとっても人気のある食べ物です。
 旅行者の僕にとっても、アジアでパンからはじまる1日を迎えられるなんて、
 実にうれしいことです。

 フランスパンの中に野菜をたっぷりと入れてサンドイッチにして食べる。
 これが最高なんです。
 朝は必ずこのフランスパンサンドイッチをほおばります。
 これにベトナムコ−ヒ−でもつければ、もう気分はヨ−ロッパスタイルのブレッックファ−ストタイムです。

 歴史がもたらした様々な功罪、そして今に残る歴史の遺産。
 過去に学び、現在を生き、そして未来に向って歩いていくのが、人類なのではないでしょうか。

 今、僕が言えること、それは、フランスパンがとてもおいしい。ただその事実だけなのです。