上海レポート かさこワールド

・2日目2:12/28(日)上海→青浦→西塘

<8>交通事故大国
ホテルに戻りチェックアウトし、バス停に行く。
青浦行きバスは、このバスターミナルから頻繁に出ていた。
上海ー青浦まで料金は6元(90円)。バス料金が安いことも中国の魅力である。

青浦に向けて市内を走り出した。
市内はさすがに車も多く、また自転車、スクーターも多く、
歩行者も横断歩道など関係ないから、渋滞しがち。
市内をぬけ、やっと郊外へスピードに乗って走りだそうかという時に、事故である。


そこそこ車体の高いバスに、乗用車がぶつかったのだ。
どすんという軽い音がしただけだったが、明らかにどこかぶつけた音だった。
バスは道路のど真ん中に急停車すると、運転手は一目散に飛び出していく。
中国には車掌がいて(大概おばさん)、車内で切符を売るわけだが、このおばさんもあわてて外に飛び出す。

ぶつかった乗用車は後方10m地点。
こちらもドライバーが車から出て、駆け寄るバスの運転手に大声でわめきたてている。
バスの乗客も一斉にこの騒動に加わるべく、乗用車側に向う。

バスにはほとんど傷はなかったが、乗用車には傷がついたようだ。
メインロードを直進しているバスに、横道から無理やり入ろうとした乗用車が、バスにぶつかってしまったらしい。
しかしどちらも自分が悪いと認めるわけがない。
ともにのっけから大口論の喧嘩腰である。

乗用車の運転手はすぐさま携帯電話で警察を呼ぶ。
携帯って便利だなとこういう時ばかりはつくづく思う。
バスには異常がないので運転に問題はないが、怒り狂っているこの乗用車の運転手と、
事故の白黒がはっきりつくまで、動けないだろう。
急ぐ旅とはいえ、こういう交通事故に巻き込まれるのも一興。
こういうトラブルをおもしろがらないと中国では到底やっていけない。
この手の事故など日常茶飯事だ。

警察が来たものの、想像以上に時間がかかりそうだ。
メイン道路のど真ん中にとめたせいで後続の車が渋滞しているので、
やっとバスを脇に寄せると、いよいよ本格的に現場検証というか、
双方の言い分聞き取り調査がはじまった。

そんな時、おばさん車掌が一斉に乗客に合図した。
「あっちの青浦行きのバスに乗れ!」
騒動に加わっていた乗客は一目散にバスに戻ると、自分の手荷物をとり、後からきた青浦行きバスに乗りかえる。
僕らもあわてて乗りかえる。なんとか座れてほっと一息。

それにしても、さすが中国。すさまじき。

<9>開発区の嵐
バスに乗りかえると、市内を抜け、元国際空港、現在国内線空港として使われている虹橋空港付近エリアに来る。
この辺は、大きな企業工場ばかりが連続している地区だ。
国内企業、時折外資企業もあり、大規模な敷地に、数多くの工場と、
時折、そこの労働者を住まわせるためなのか、人工的な同じ造りの団地が連なっていたりする。
中国はまさに高度経済成長まっさかり。
市内から少し離れたこの虹橋エリアに、企業のバスが何台も走り、流れ作業による労働者を大勢連れていく。
まさに何十年か前の日本の光景ではないか。

この虹橋エリアを過ぎると、ほとんど何もない荒野に出る。
上海の中心部からわずか30〜60分の距離に、まだこれだけ大規模な広大な土地があるとは・・・。
上海の発展はまだまだこれからではないか。末恐ろしいな。
荒野とはいえ、その時々に企業や大規模団地計画の看板がたっている。
上海中心部からドーナツ化現象のように、どんどん郊外に開発地区が広がっていく。
それが過ぎると、ぽつりぽつりとだが農業を営む畑がほんのわずかだが見受けられる。

実におもしろい。
上海市内は高層ビルに通う、第3次産業群。
上海郊外は大規模工場が軒を連ねる、第2次産業群。
さらにその郊外には畑が広がる、第1次産業群。
そしてどんどん郊外を中心部に組み込み、
1次産業者を2次産業者へ、2次産業者を3次産業者へ組み込むことで、「経済発展」「高度成長」がなしえるわけだ。
そして国内間の産業割合にとどまらず、いかに「高次」な産業割合を増やしていくかで、
「先進」国か「後進」国かに分別されていくのである。
まさにこれが共通ルールにのっとった、資本主義マネーゲームの実態であり、
上海は、中国は、まさに冷戦崩壊後(ある意味、戦後)、先進国へのキャッチアップ政策(追いつけ追い越せ)のために、
アメリカ的資本主義ルールを採用し、マネーゲームに参戦したのであった。

まだまだ土地がある。
まだまだ外資が導入され、大規模工場が造られる。
これはすさまじいことだなと、上海郊外の産業エスカレーションを見て思った。

<10>トイレ選びの秘訣
バスに乗ってから1時間半。12時過ぎに青浦に到着。
青浦という街あたりはもう水郷村の雰囲気を漂わせた田舎町かと勝手に想像していたが、大間違いであった。
荒野に忽然と現れる新しい人工的な街。
ここも開発区のための新しい街であった。



今まで空き地だった場所に作られた町。
高層ビル群、整備された道路、デパートなどなど。
終点のバスターミナルで降りようかと思ったが、大勢の人が降りたデパートの前で降りることに。

とりあえずこの新しいデパートでトイレに入る。
中国のトイレはすさまじく汚いし、しかも金をとる。
しかし、きれいなトイレでしかも金をとらないトイレを利用できる。
それがデパートと高級ホテルだ。
中国旅行の秘訣は汚い公共トイレを利用せず、デパートやホテルで用を足すことにある。

<11>言葉がわからなくても会話ができるのはなぜか
デパートで用を足すと、西塘に向う前にここで昼を食べることにする。
まずデパートから離れないことにはうまい食堂は探せない。
デパートにはケンタッキーや中国料理チェーン店などがあるが、
せっかく中国に来たのだからうまい中華料理は街の食堂に限る。
デパートの向いに平屋の長い建物があり、そこに「刀削面」の文字を発見し、即決した。

回教徒が経営する町の食堂で、ラーメン専門店であるらしい。
中国では「麺」は「面」と書く。
蘭州牛肉面も捨てがたいが、日本で食べて感動した刀削面を注文する。

店に入り、刀削面の発音がわからず、でも確か日本と同じような発音だったよなと思い、
「トウショウメン」といってみるが、若い店員には通じない。
しかしすぐわきにいたあごひげをたくわえた実にいい顔したおじいちゃんが、すぐに理解したようで、
「わかった。わかった。刀削面が食べたいんだな。あるから2階にあがりな」
ってな具合にいってくれる。


ガイドブックを見ると刀削面の発音は「ダオシアオミエン」。
確かに「トウショウメン」の発音と似ていないこともない。
なぜ若い店員が聞き取れず、あのじいさんが聞き取れたのか。
それは「言葉」そのものを聞き取ろうとせず、「状況」から何をいいたいかを判断したからに違いない。

若い店員は言葉を理解しようとしているから、正しい発音をしないと理解できない。
でもじいさんは、ラーメン屋の店の前に来て「トウショウメン」と2つと叫んでいる外国人を見て、
この人たちが、ラーメンを食べに来て何か注文しているのだなと「状況」から考えているから、
発音が正しくなくても言葉の意図を理解できたのだ。

実は往々にして日本人同士の会話でもこのようなことがなされているわけであり、
また僕なんかも旅行をしていて、ほとんど中国語がわからなくても、
不思議と相手のいっていることがわかるのは「言葉」で理解するのではなく、「状況」で理解しようとしているからなのだ。
それが人間同士の会話。
言葉は手段に過ぎない。
日本の語学バカはこの点をしっかり踏まえた上で、会話をするための言葉学びであって、
言葉学びのための語学勉強であると勘違いしてほしくないと願う。

<12>旅行に覚えておくと便利な言葉
しかしなんとか刀削面を2つ頼んで、2階の席に座ったものの、
また若い店員が何やらいろいろと聞いてくる。
これがちっともわからないので、
とりあえず「ダオシアオミエン、リャンガ(2つ)」と繰り返した。

ちなみに覚えておくと便利な中国語は「イーガ−(1つ、1人)」と「リャンガ(2つ、2人)」である。
よく観光名所でチケットを買う時や切符売場などで枚数を聞かれる質問をされる。
以前、旅行した時に「イーガ−?イーガ−?」としつこく聞かれ、
この「イーガ−」が1つであろうと気づいたので、
枚数を聞かれる質問がわからなくても、何か聞かれると「イーガ−」と答えるとスムーズに事が運ぶ。
今回は2人旅なので「リャンガ(2人、2つ)」も覚えておいたわけだ。

こうして旅行をしていると決まって使う言葉があり、
質問それ自体の複雑な言葉がわからなくても状況から推察して数少ない覚えた言葉を発せば、
たいがい事はスムーズに運ぶのである。
ま、さらに旅行をおもしろくするためにはもっと語学ができればいいのだろうが、
語学のプロフェッショナルにならなくても、
基本単語を行きの飛行機で要所だけ覚えておけば、旅行の幅はだいぶ広がるのである。

<13>カレーうどん?!
さてさて肝心要の刀削面であるが、一口食べてその味に驚いた。
スープがカレー味なのである。
なんとなくカップヌードルのカレー味を食べているような、まさしくそんな味だった。
別にまずいわけではなく、大変おいしいし、いけるのだが、
まさか本場・中国でカレーヌードルに出会うとは。

日本で刀削面を結構気に入って何度も食べているのだが、
日本で行った3軒とも、「麻辣」刀削面というのか、
あっさりうす味スープにピリ辛味付けされているものばかり食べていたので、
こんな刀削面もあるのだなあと不思議に思ったのである。
まあ、刀削面とはその名のごとく、
でかい包丁でばっさばっさ切った麺を使ったラーメンだとするならば、
別にスープの味は何であろうが、
その麺を使ってさえいればすべて刀削面になるのだろうが。

もちろん朝飯に続いて、何の抵抗感もなく、つるつると食べれる。
実にうまかった。
これで1杯3元(45円)。麺の相場通りだ。

旅をして思うこと、食べ物を抵抗なく食べられる国は旅の楽しさが倍増だな。
中国ではあれも食べたいこれも食べたいってものがいっぱいあって、実に楽しい。
この短い旅行ではすべてを食べ尽くすことは無理だろうが。

とはいえ、食べた後はお茶もいいんだけど、コーヒーでさっぱりしたいこともあって、
再び目の前の最新デパートに入っている肯徳基(ケンタッキー)に行き、
1杯ラーメンより高いコーヒーを飲んで一休憩してから出発する。

<14>地名を日本語よみする癖をつけるな
昼飯を食べて腹を満たすと、タクシーをつかまえ、はじめの目的地、水郷村・西塘へ行く。
西塘は一番、観光地化されていない穴場の水郷村であるとのこと。
それゆえ、アクセスは悪い。
上海からの観光付日帰りバスを使わない人は、どこかでタクシーを使わざるを得ない。
(西塘に行き、公共バスを使っていける方法を発見したが、
上海からは何度か乗り継ぎしなければならず不便ではあるが、バックパッカーならこの手段はいいですよ※後述)

デパートの前で流しのタクシーをとめる。
タクシーをとめる方法は日本と変わりはない。
ぼられる心配が少ない国とはいえ、やはりどの国でも日本人がカモにされる、
トラブルが多いのがタクシーなので、タクシーをとめると乗る前に料金確認をしておく。

「西塘(シータン)!」
基本的に地名さえ現地の言葉で言えれば旅行には意外と事足りる。
しかし中国のガイドブックで非常にまずいのは、中国語が漢字だから読みを日本語でもふっている。
たとえばこの場合「西塘(せいとう)」とガイドブックでは書かれている。
はっきりいってこれはいらない。
ついつい日本語よみで「セイトウ、セイトウ」と地名を覚えたところで、
そんな地名はこの世の中に存在しないわけである。
いざタクシー運転手に場所を言おうとした時、日本語よみで覚えてしまうとほんとどうしようもないことになる。
「西塘」は「シータン」であって「せいとう」などという余計な読み仮名をガイドブックはふってほしくないものだ。

しかし、中国語の場合、発音が難しい。
「シータン、シータン」と連呼してもタクシー運転手、イマイチ、ピンとこない。
ここで中国ならではのコミュニケーションツールが筆談である。
運転手に「西塘」と書いて渡す。
「あっ、シータン!」
「そう、シータン」
僕にはほとんど発音は変わらないように思えるのだが、現地の人からすると微妙に違うらしい。
ま、いずれにせよ、確認の為に筆談は欠かせないのだが。

<15>青浦〜西塘
そして、中国を旅する上で、というか海外を旅する場合にこれさえ覚えておけばという、
「いくら?」という中国語「多少銭(ドウシャオウチェン)?」と聞く。
「いくらかって?う〜ん、まあ多分100元ぐらいだけど、とにかくメーターでいくからさ」
とまあ、不思議と「100元」という中国語さえ聞き取れれば、
あとは身振り手振り、相手の様子でいっていることがわかる。
ということで、おおよその金額を聞いてから乗ってメーター倒してもらうのを確認すれば、
まず中国でタクシーでぼられることはないだろう。

青浦から西塘へは地図上の直線距離は近そうにみえるのだが、
この辺りから沼や川が多く、いろいろと回り道していかなくてはならないようだ。
途中までは整備された大きな道路を走っていたが、
途中途中では、抜け道なのかそれともそこしか行く道がないのか、
川のすぐそばを走ったり、畑地帯を走りぬけたり、空き地を通り抜けたり、
一瞬、西塘に着いたのかと思った小さな水郷村のような村の中を抜けたり、
なかなか普通の道ではない道程だった。

タクシーで走ること1時間、
僕はガイドブックで見ているような水郷村が眼前に広がる光景で降ろされるのかと思いきや、
普通の小さいながらも近代的な町の中でタクシーに降ろされる。

あっけにとられる。
だまされたのではないかとまず思う。
「ここがシータン?」
「そう、ここがシータン」
嘘をいっても仕方がないだろう。
きっと水郷村には車が入れないからこんなところで降ろされるのだろうと思ったら、
親切にもタクシー運転手は水郷村の観光チケット所の目の前で降ろしてくれたのだ。

メーターは115元。
「シェエシェエ(ありがとう)、サイチェン(さようなら)」
とこれは絶対間違えない、中国語の決めゼリフをいってタクシーを降りた。

<16>ホテルがない?!
西塘(シータン)到着。現在14時過ぎ。
さてと、どうしたもんか。
水郷村はどこも観光客は入村料のようなものを払わなくてはならないらしい。
それでこのチケット売場で降ろしてくれたわけだ。

僕はこのチケット売場の奥に水郷村が広がっていると勝手に思い込んでいた。
とりあえずここでチケットを買って「入村」し、
その水郷村内にあるホテルに泊まろうと思い、
チケット売場でチケットを買う前に、念のためホテルがあるか聞く。

「飯店(ファンティエン)?」
ホテルはあるか?との僕からの問い。単語がわかれば文章はいらない。
質問は通じたが、係員は中国人必殺技の「没有(メイヨ−)」=ない!という。
いや、そんなはずはない。ガイドブックにはホテルがあるって書いてある・・・
とはいうものの、シータンはイメージ写真だけで地図もない地球の「迷い方」の、
「ホテルもある」との一言の情報だけでは心もとない。

もう一度「ホテルはないのか?」と聞くが、やはりないと答える。
「ホテル」という中国語が通じてないのかと思い、必殺筆談に切りかえる。
「飯店」と書くと「ここは旅遊区だから旅遊区内にホテルなんかあるわけがない」
とこれまた筆談で返される。

まいったな。
ホテルがないのか。
そんなはずはないと思うんだけどな。
ま、いいや。別に旅遊区内に泊まれなくても、その近くで泊まれればいいのだから。

もう一度、「ホテルはないのか?」と聞いてみる。
すると「メイヨー」を連発していた係員がふと思い出したように、
「あっちの道とこっちの道の行った先にそれぞれホテルがある」という。
なるほど。古い町並みが残る水郷村にはないが、
この降ろされた新興町内のホテルに泊まれということか。
ま、仕方がない。とりあえず、シータンに腰を据え、ゆっくり水郷村を観光したいのだから、
上海から日帰りではなく、わざわざこうしてはるばる来たわけだ。
水郷村内でなくてもその近くに泊まれるならそれで十分だ。

ということで、タクシーが来た道ではなく、
さらにその先の道の方にホテル探しに出かけることにする。

<17>ホテル探し
あのチケット売場の人の口ぶりだとすぐ歩いたところにホテルがあるよって感じだった。
街も小さいながら店もたくさんあって、ホテルの1軒ぐらいありそうだ。

ところが僕らがホテル探しに歩き出すと、
チャリンコタクシーがやけにしつこく「乗っていけ!」と声をかけてきた。
はじめは無視していたのだが、あまりにしつこく誘うので少々不安になってきた。
ひょっとして歩けるような距離ではないんじゃないか。
いやでもそんなはずはないと思うんだよな、この町並みからすれば。

中国の場合、インドのように金儲けのために近かろうがなんだろうが、
とにかく乗せて商売をしたい、またはホテルを紹介してマージンを取りたいという意図なのか、
それとも本当に歩いていくにはちょっとしんどい距離だから、
ある意味、親切心で「乗って行け」といっているのか、この辺の判断がつかないから非常に難しい。
でも5分ほど歩くと、たいそう立派なホテルが見えてきたのでひとまず安心した。

ひとまず、ここに泊まるかは別として、ホテルまで歩いてきてしまったので、
しつこかったチャリンコタクシーの客引きはここであきらめる。
疲れているので即ここのホテルにしてもよかったのだが、ちょっと高そうだ。
そんな時、向こう側の道にツーリストインフォメーションらしき看板を発見。
「地球の迷い方」にシータンの地図が掲載されていないので、
とにかく地図が欲しいということもあって、ホテル探しはさておき、
インフォメーションセンターに向う。

<18>地図を現地で仕入れるのが旅の基本
インフォメーションは人がいなくてまるでここ何年も営業されていないような雰囲気だったが、
そこに隣接しているみやげもの屋らしきところで「地図をくれ」というと、
中国必殺「メイヨー(ない!)」ともいわず、簡単なパンフレット&地図を2元(30円)で売ってくれた。

最近、日本人のガイドブック信仰が強く(それはきっとマニュアル世代なのだろうな)、
なんでもかんでもガイドブックを過度に信じるあまり、
時間がたてば変わる可能性がある情報についても、
「ガイドブックは嘘つきだ」などとしょうもないクレームをいれてくる読者もいる。

でもふと思う。
旅する基本って、今の日本のいたれりつくせりガイドブックより、
まず知らない街に来たら現地で地図を仕入れる。
これが旅の仕方の最も基礎なんだよね。

ベトナムに行った時も、当然「地球の迷い方」には何の記載もない街で、
旅行人の「メコンの国」で、ほんの数行紹介されていたクイニョンの街に着いた時、
ほとんど情報がないなかでまず何をしようかって考えたら、地図を入手しようってことだった。

僕が一番はじめに海外旅行に行った時、ヨーロッパの学生パックツアーだったんだけど、
簡単な名所案内が書かれた現地の地図をくれたんだけど、それがあればほとんど旅ができるんだよね。
分厚いガイドブックなんかほとんどいらない。

現地で正確な地図を入手する。
それが手に入れば、「迷い方」地図を利用する必要もないわけだし、
地図さえあれば旅ができるんだよね。
ってなわけで、シータンをはじめ、これから訪れる水郷村は、まず到着すると地図を入手するという、
正しい旅の仕方を守って旅をすることになった。

確かにガイドブックに間違いは多いということも事実だし、
ガイドブックを売る側がいかにも「この本なら完璧」のごとく情報を売りにしてしまっていることもいけないのだが、
これだけインターネットという情報が発展した時代に、
たかだが1〜2年に1回の更新しかしない紙媒体のガイドブックが、
これだけすさまじいスピードで動いている現実社会についていけるわけもなく、
当然、店が潰れたり、営業時間が変わったり、電話番号が変わったりするわけである。

日本のガイドブックは便利だけど完璧であるはずがないのであくまで目安に。
そして何より現地で最新情報を自分で直接仕入れること。
そこに当初の計画通りの「予定調和」の旅ができなくたって、それが旅の醍醐味なのだから。

久々にプライベートな個人海外旅行をしてふとそんなことを思った。

<19>ホテル選びのコツ
入手した地図をみると、このインフォメーションセンターの裏側に水郷村が広がっているらしい。
さっきのチケット売場は新しい街側にあった。
行く途中に見えた高そうなホテルも、新しい街側にあるとはいえ、
この地図を見る限り、すぐ裏手が水郷村になっている。
これなら水郷村そのものに泊まらなくても観光に不便はなさそうだ。

インフォメーションセンターのそばに1軒、もうちょい安そうなホテルがあったが、
周囲がかなりうるさそうなのでやめにして、高そうなホテルに戻ることにした。
中国はとにかくうるさい。
もし静かな滞在を望むなら大通り沿いは避けた方がよい。
なんだかしらんけど、車やらなんやら朝早くから夜遅くまで、
とにかく結構うるさく、そこそこのホテルに泊まると、窓が薄いので、
その音が全部聞こえてくることになる。
ま、それも旅の楽しみではあるのだが、休まる時に休まらないと、
日本のようなわりと生ぬるい環境で生活しているわれわれが、
ホテルにいる間も中国人パワーの喧騒に巻き込まれるとなかなか休まるに休めない。
というわけで高そうなホテルに宿泊することにした。

もちろん、ホテルなんか予約をしているわけではない。
現地で見つけてその場で空いていれば(というか気に入れば)泊まる、ただそれだけだ。
どうも日本の旅行スタイルになれた一般人からすると、
海外旅行でホテルの予約なしに旅するということが信じられないらしい。
しかし、よく考えればわかることだが、特別なイベントでもない限り、
ホテルが満室になることなんかありえないし、ホテルは腐るほどあるのだから、
予約なんかしなくっても別にその場で直接いって泊めてもらうことは簡単にできる。
ただし、ホテル探しに時間をとられることは覚悟しておかなければならないが。

<20>完璧な言葉はいらない
ホテルに行く。
中国はそこそこのホテルでもレセプションに今日の室料がかかれている場合が多い。
高そうといってもこの小さな町・シータンでのことであって、見た目は普通の中級ホテルだ。
レセプションにチャイナドレスを来た若い女の子がいる。
われわれを中国人と思ったのか早口の中国語で何事か聞かれ、
「まあまあ待ってくれ」と、筆談に切り替え、
「双人房(ツインルーム)」と書く。
ホテルのレセプションにリュック下げて2人で立って「双人房」とだけ書けば、
ホテルに泊まりたいのだなという意志は難しい言葉を知らなくても当然わかる。

彼女は電卓を取り出し、掲げてある料金より安い値段、「220元(3300円)」を提示する。
中国のホテルは基本的に室料だから、2人で3300円。
日本の感覚なら「安い」が、200元前後の室料のホテルは中国では中級ぐらいか。

278元と書かれた掲示板より安くしてくれたのでOKする。
すると何やらいろいろな言葉を発し、「300元」という言葉だけ聞き取れ、
彼女のゼスチャーから、300元支払い、おつりであるはずの80元はデポジットで、
チェックアウトする時に返してくれるという意味がわかった。
なので300元を支払い、領収書兼デポジット預かり証をもらう。

「よく言葉の意味がわかったね」と妻が驚く。
もちろん僕に中国語そのものの言葉は「300元」以外は何もわからなかった。
しかし彼女の意味がわかったのは、中国のホテルにデポジットがあることを知っていたからであり、
何度もこのようなやりとりをアジア90日間旅行でしていたこともあり、
そして何より、言葉だけでなく彼女の動作と表情から何を言っているかの意味がわかったのだ。

日本人の外国語アレルギーとその表裏一体をなす外国語オタク的勉強熱は、
こういった状況やゼスチャーを無視し、普段日本人同士なら普通にやっているコミュニケーションとは何かを考えず、
言葉そのもの、会話そのものを正確無比に覚えなくてはならないという脅迫観念から来ているのだと思う。
同じ人間同士なのだから、まず「言葉」ありきではなく、
気持ちというか心ありきで接すれば、意外とコミュニケーションは成り立つもの。
英語で怒るより日本語で怒った方が相手に意図が伝わるといったことがおこるのはそのためだ。

<21>ホテル・チェックイン
さてさて無事にチェックインができたかと思いきや、また何やら言葉を発せられた。
なんだろう、もう金払ったしなと不思議に思ってると、
「身分証」と書いてくれた。
そっか、パスポートか。
私としたことが、言葉そのもので聞き取ろうとしたために、状況で意図を理解できなかった。

しかし、意外だったのはパスポートを出すと、彼女の表情が一変した。
「リューベンレン!(日本人!)」
彼女はなぜこうも言葉がよく通じず、筆談ばかりしているのか不思議に思っていて、
それが僕らが日本人であるということをパスポートを見て得心したというわけだ。

「リューベンレン、リューベンレン」と僕もいう。
彼女は納得した表情で笑みを浮かべ、パスポートを返却してくれた。
これで無事にホテルにチェックインすることができた。

ちなみにホテルの部屋はツインベッドに、テレビ、バスタブ、トイレがついた快適な部屋。
中国ホテルならではの熱湯ポットサービスが、浄水&お湯サービス機に変わっていたのはびっくりしたが、
さすが、220元出すだけあって滞在するには不自由のない部屋だった。