ハイフォンの【キセキ】〜ベトナム旅行2004 かさこワールド

1:ぶち切れかさこの顛末
<1>
あまり天気が良くなかったので、自転車での観光をとりやめ、
ニンビンの主要みどころは車をチャーターしてざっと見て回ってしまった。
次にどこに行くか、2つの選択肢を考えていた。
・もう1泊ニンビンに泊まり、天気が晴れるのを祈る
・ハノイに戻り、翌日マイチャウという少数民族の村を回る1泊2日の現地ツアーに参加する

しかしどちらも難点があり、どうしようかとガイドブックをぱらぱらめくっている時、
「そうだ、ハロン湾に行こう!」と思いついた。
ハロン湾は「海の桂林」とも呼ばれる景勝地で世界遺産にもなっているところ。
ただあまりたいしたことはないと聞いていたので選択肢から外していたのだが、
今の時点では日程や距離から考えると最適な選択肢だった。

まずこれからバスでハイフォンという港町に行き、そこで1泊。
翌日、ハイフォンから船でハロン湾に行くという予定にすることにした。
よくガイドブックは重いからと、自分が必要なページだけ切り裂いて持っていく人もいるけど、
現地でさまざまな状況が変わった時に、不必要と思えるページが必要になることもあるんだよなと思った。

それが紙媒体の良さだよな。
今後、旅行に行く際、ネットで自分の必要な情報だけプリントアウトして持っていく、
みたいなスタイルが出てくるかもしれないけど、
そうなると現地での状況変化に対応できない。
決まりきったパッケージツアーならともかく、自由な個人旅行なら、
やはり不必要とも思える情報でも持っている意味はあるんだなと。

そんなわけで、急遽、ニンビンからハイフォンへ行くことにした。

<2>
問題はバスがあるかだった。
午後3時、閑散としたニンビンのバスターミナルに行く。
切符売場に行き「ハイフォン行きをください」というと、返ってきた答えは「ノーバス」だった。
はー、参ったなあ。やっぱりないのか。
どうしようか、また再び今後の進路に迷い始めた。

外で声を掛けてきたバイクタクシーのお兄さん2人が、
「どこへ行くつもりだったんだ?」と再び声を掛けてきたので、
「ハイフォンだよ」というと、ニヤニヤしながら、
「バイクで行くか?」なんていうけど、ただそれは笑うばかりだった。
距離にして約100km、バイクの後にまたがって、
大きなリュックを背負い続けてハイフォンまで行くってのは、
できないことはないけど、やっぱりちょっと無理な話だよな。
声を掛けたバイクタクシーも半ば冗談だ。
彼らだってハイフォンまで行ってしまったらまたニンビンに戻ってこなくちゃならないのだから。

さてさてどうしたもんかと迷っている時、制服を着た1人の男が僕らに駆け寄ってきた。
「乗れ!ハイフォンに行ってやる」
「本当?!」
その制服はバスターミナル関係者を思わせたのでタクシーの客引きではあるまい。
半信半疑な思いのまま彼に着いていくと、
ターミナルに泊まっている「ハノイ行き」のミニバスをさし、
「これに乗れ!」というのだ。

ハノイ行きって書いてあるし、もう他の乗客は乗っているし・・・。
「本当にこれでハイフォンまで行ってくれるのか」というと「そうだ」と答える。
多分、ニンビンから一端首都ハノイまで出て、
そこからハイフォン行きのバスに乗っけてくれるということだろう。

それは考えなくもない選択肢だった。
ニンビンから直接ハイフォンに行けなくても、多少時間はかかるが、
ニンビン→ハノイ→ハイフォンと行けないこともない。
特にニンビンーハノイ間が予想以上に近かった。
ガイドブックには所要2時間半と書いてあったが、
途中から高速道路があるせいか、行きは1時間半かからなかった。
とりあえずこのおっさんに従うかと思い、ハノイ行きのミニバスに乗り込むことにした。

<3>
乗る前に料金を確認する。
ハイフォンまで1人4万5000ドンだという。
妥当な値段だった。
ハノイまで2万ドンとバスターミナルの看板にも書いてあった。
ハノイーハイフォンが2万5000ドンということなら、極めて妥当な値段だ。
2人で9万ドンになるので、その制服を着たおっさんに10万ドン支払う。

そのやりとりを見ていた他の乗客が、僕らを心配して声を掛けてくれた。
片道2万ドンしかかからないはずのハノイ行きに10万ドン紙幣が出たからだろう。
「ハイフォンまで行くのか」
「一体いくら払った?」
「ちゃんとお釣りをもらわないとだめだよ」
そのような言葉を掛けてくれ、最後にガムをくれた。
(といっても英語ではなくベトナム語だったので正確に何といっているのかはわからないが)

確かに心配してくれた彼の言う通りだった。
10万ドン渡して1万ドンの釣りを返してくれないまま、
バスが出発しそうになったので、制服を着たおっさんを捕まえて釣りをくれという。
するとしぶしぶ、ボロボロになった5000ドン札を2枚よこした。
その様子を見ていた、心配してくれた乗客は、僕に「よくやった!」とVサインをしてきた。
僕はにっこり微笑みを返した。
そんな一幕があってバスが出発した。
ちなみに釣りをせしめようとした制服の男は車掌で、バスに一緒に乗車した。

<4>
ミニバスのせいか、かなりかっとばして運転していたせいか、
ニンビンからハノイは1時間ちょっとだった。
ハノイのバスターミナルに着くと、閑散としたニンビンのバスターミナルとは違って、
人やバスや物売りや客引きであふれかえっていた。

さて我々はどうなるのだろうか。
ハノイのバスターミナルに着くと乗客は降ろされた。
バスには降りてきた客を待ち構えるように、バイクタクシーの客引きが大勢取り囲んでいたが、
バスの車掌は、「君らはまだ降りなくていい」とバスターミナルの奥へと進んでいった。
僕らを心配してくれた乗客はバスを降りる際「がんばれよ!」みたいな声を掛けてくれ、
最後まで心配してくれた。
あの人はほんと親切な人だったなと思ったが、
そこまで心配してくれた理由がその時にはわからなかった。

ミニバスは僕らと車掌と運転手だけ乗せたまま、バスターミナルの中心まで来た。
そこで降ろされ、車掌についてこいといわれて、そのままついていく。
ハイフォン行きのバスに連れていってくれるようだった。
すでにハイフォン行きのお金は支払っているのでその辺の連絡がうまく行くのか心配だったが、
彼から思わぬ言葉が出る。
「ハイフォンまで行くバスチケットを買うので金をよこせ」
というのである。
(彼も英語はまったくしゃべれず、ゼスチャーと表情からの推測である)

「はあ?」
僕は何か聞き違いをしているのではないかと無視していたが、
やはりどうやら別途、金をよこせといっているらしい。
「いや、あんたにもう9万ドン払ったでしょ」
とこちらもゼスチャーでいうが一向に通じない。

とりあえずハイフォン行きのバスまで行く、歩きながらの間、このような押し問答が続くが、
彼は「ハノイ行きまでのバスチケット」を出せというので、
「2万ドン」と書かれたバスチケットを取り出すと、
それを破り捨てて「今度はハイフォン行きまでのチケットが必要だから金をよこせ!」
といってきた。

証拠隠滅・・・
ハノイ行きのバスチケットを破り捨てるという行動を見た瞬間、こいつの魂胆がハッキリした。
そして、僕の何かがぷちっと切れた。

「ふざけるんじゃね、このクソガキが!
おまえにもう金、払ってんだろう!!
おい、金、返せよ!!金、返せよ!!!金、返せよ!!!!!」


われながら、ものすごい剣幕だったと思う。
というのはバスターミナル中の人が、こちらを注視していたのに気づいたからだ。
車掌はカモだと思っていたジャパニーズがいきなりものすごい剣幕で切れだしたのに、
あわてふためいている様子だった。

車掌はまずったように、とりあえずハイフォン行きのバスまで案内する。
そこには彼と同じ制服を着た人たちがいた。
どうやら同じ系列のミニバスに乗せてくれるということなのだろう。
とりあえずそのバスに座るようにいった。

ものすごい怒りの剣幕で乗ってきた日本人乗客に、
ハイフォン行きの車掌や運転手は、遠慮がちながらもどうしたのか様子を探ろうと、
差し障りのない言葉をかけてくる。
「ハイフォンへ行くんだよね」 「ええ」
私は彼らに罪はないので、ニヤっと笑いながらそう答える。
それが余計に不気味に思えたのか、それ以上、言葉を掛けてこない。

あの、車掌、逃げたのか。
このままこのバスに乗せられ、彼らから新たにバス代を請求されたらどうするか。
彼らは悪くないのだから、支払わないわけには行かないよな。
でも、今、何かでもめているということは彼らにもわかっている。

するとあの車掌が戻ってきた。
ターミナルの切符売場でハイフォン行きの切符を2枚購入してきたのだ。
先程の一方的な金をよこせという剣幕はなく、恐れおののきながらも切符を差し出し、
「切符を買ってきたからこの金を払ってくれないかなー」みたいな感じだったが、
切符をぶんどると、「もう金、払っただろう」と一蹴する。

「あははは、あははは、そうだよな、そうだったよな」と引きつりながら、消えていった。
バスの同僚たちに「なんでこの日本人は怒ってるんだ」みたいな質問を浴びていたようだったが、
「いやー、俺にもわかんないんだよねー、俺、何にもしてないのにさー」みたいな、
へらへらした態度が見られたので、追っていってカツを入れてやろうかと思ったが、
なんせこちらは言葉が通じないし、金を払ったという証拠もないので、ここで取りやめにする。
そんな一幕があって、無事、ハイフォン行きのバスに乗れることになった。

<5>
久しぶりに切れたなー。
「金、返せ!」という日本語がハノイのバスターミナル中に響き渡ってたな。
私にもスイッチが切り替われば、まだまだこんなパワーがあるんだななんて妙に喜ばしく思う。
とにかく執拗に心配してくれたハノイまで一緒にきた乗客の顔が浮かぶ。
あんたの心配した通りだったな。

もし彼の言うなりになって再度、2万5000ドンのバスチケットを払ったとしても、
日本円にしたらたかが200円ぐらいの話である。
でもそのように「日本円で安いから」ということで済ませてはいけないんだと思う。
不当な金は取り戻さなくてはいけないと思う。
もちろん、それは海外旅行の際だけに限らず、日本にいる時でもそうだけど。

ちなみに、同じバスターミナルの出来事だったが、ハノイからニンビンに行く切符を買う際、
僕はお釣りを一部取り忘れてしまったのだが、追ってきてお金を返してくれた。
ベトナムは概してぼったくってやろうという人は少ないと思うが、
油断をしていると、このような人にあたることもある。

でも歳や旅を重ねると、このような事件1つで旅が暗くなるということはない。
むしろ「おもしろいことがあったな」と妙に楽しくなったりもする。

ハノイからハイフォンまでミニバスで2時間半。
でも、バス内で眠ることはなかったな。

2:金乞い子供の“変身”
今回のベトナム旅行でもたくさんの子供写真を撮った。その中でも思い出深い1つのエピソードを紹介しよう。



港町ハイフォンの朝の出来事であった。
ハロン湾に行く前に、朝、ハイフォンの町を散歩していた。
町の中心部に、この町の英雄という銅像がある。
その銅像を見ようと思った時、彼ら2人が近寄ってきた。

「子供だ!」と思ってカメラを向けようとすると、
彼らはすがるような目で「マネー、マネー」といってきた。
ベトナムで子供から金をせびられる経験は、僕の中ではほとんどない。
だからそれは意外だった。

僕は彼らをにらみつける。牽制する意味を込めて。
でも他のアジアの国々で金をせびる子供たちに見受けられる、切羽詰った意志というものが感じられなかった。
本来、金をせびる子供とわかってカメラを向けると、何百メートルとこの先、ついて来られる恐れがあるのだが、
僕はなぜかこの時、「マネー」といってきたこの2人に、
「マネー?!そりゃ、だめだよ。金はね、あげないよ」
と日本語でつぶやきながら、彼らを見下ろすかのように、
威圧しながら、ゆっくりカメラを向け、数枚、撮った。

それが上記の写真である。
見る限り、確かに金をせびるだけの子供である。
他の子供たちとは違って、何か陰がある。

カメラで撮ったにもかかわらず、彼らがしつこく金をせびってこないことに気づいた僕は、次第に、大胆になった。
どうしても彼らを写したいと思ったわけではないが、その時ばかりは、
もしかしたら面倒になるかもしれないということがあるにもかかわらず、
それを気にせず、彼らに再びカメラを向けた。

それも、今度は、見下すように、逃げるように、さっと撮ってしまう撮り方ではなく、
僕はしゃがんで、明かに撮りますよってな具合で、じっくり彼らにカメラを向けたのだ。



そこで思わぬ出来事が起こった。
暗い表情をしていた彼らが、僕がしゃがんで撮ろうとした瞬間、態度を変えたのだ。
笑ったのである。

なぜ急に態度を急変したのか僕にはわからなかったが、
僕がしゃがんだことで、彼らは自分たちを撮ってくれる人なんだというような表情に変わった。

何度もにこやかな表情をした。
何枚も撮った。
「マネー」とは二度といわなかった。
「シンカムオン(ありがとう)」と声を掛けた。「タンビエット(さようなら)」と声を掛けた。
彼らも恥ずかしながら、さよならというような手振りをした。

なぜこのようなことが起きたのか、僕にはわからない。
はじめは完全に金をせびろうとしていた彼らがなぜ・・・。

ネパールでこれとまったく逆のことはあった。
(はじめにこやかだったにもかかわらず、撮り終えた後、マネーマネーとしつこく延々とつきまとわれた)
しかしこのようなことは、海外で子供の写真を撮ってはじめての経験だった。

何かが彼らの心を動かしたのだとしたら、僕はうれしい。


3:活気あふれる港町
ハイフォンという町はあまり馴染みがないと思うが、
ベトナム北部では第2の都市らしい。
といっても5階以上のビルを見た覚えはないし、
ハノイにしてもホーチミンにしてもそうだけど、
ベトナムはまだ社会主義国のせいか、
クレイジーなアジア各都市のように高層ビル群が乱立する状況にはない。
だから北部第2の都市といっても、きわめてのどかな港町である。

国際的な港があるせいか、
町の中心部には洋楽ががんがんかかったような、
洒落たバーみたいなものが結構数多くあったのが目についた。
圧倒的にバイクが多いけど、自転車も多い交通量は、
いかにもベトナムらしい。

特に見所がある場所ではないので、通過地点に過ぎない町なのだが、
歴史を紐解くと、かつてはフランスの直轄植民地だったり、
軍港だったためにアメリカに大規模空爆を受けたりと、
さまざまな紆余曲折があって現在の町があるわけだが、
そのような歴史を感じさせない、からっとした町だった。

町の中心部にある建物にはホーチミンの肖像画が。
彼がなくなってからもう30年以上過ぎているが、
日本、フランス、アメリカという3つの帝国主義と戦い、
勝利し、独立を勝ち得た彼の功績は、
今だに圧倒的な存在感があるのだろう。

しかし良いか悪いか、ベトナムは現在も社会主義体制。
そのために他のアジア諸国と比べると、
経済「発展」は遅れている。
街角にはクーラーではなくて扇風機の山があることからも、
そんなことがうかがいしれる。
でも経済「発展」することが本当に豊かな社会になるかどうか、
先進国の「惨状」を見ても疑問視される中、
ベトナムの時間はゆったりと流れているように思う。

しかし携帯電話だけはかなり普及しはじめているようだった。
もちろん他のアジア諸国とは比べ物にならない普及率だが。

ハイフォンの町を歩いて感じることは「中国」だ。
ハノイにしてもそうだけど、中国は大変近い。
そのせいか、レストランやホテルでも結構、
中国語が飛び交っている。
華僑経営なのではないかと思う。
泊まったホテルの受け付けも中国人必殺「メイヨー」を連発していたし、
中国レストランに入ったら、中国人だと思われ、
「どこの出身ですか」と大変歓迎されそうになったので、あわてて「日本人です」といった次第だった。


写真左:暑いせいなのか、クーラーの普及率が低いせいなのか、
店の前の歩道の椅子に座り、食べたり飲んだりする姿をよく見る。
写真右:市場の中でも屋外食堂が大繁盛だ。


写真左:「ベトナム人民服」専門店とでもいうべきか。
衣服の市場でも商品を上の方に陳列しようという傾向が強いが、とりにくくないのかな。
狭い面積を有効利用するための発想なんだろうけど。
写真右:どこの国にいっても雑誌が多い。
しかし日本もそうだし、他の国もそうだけど、
こんなに似たような雑誌がいっぱいあって、それほど読まれているのだろうか。


写真左:町にあるデパート。といっても3階建てだが。
ここでも中国語が結構飛び交っていた。
写真右:路上店の脇で勉強する子供。こんな光景がまだベトナムにはある。
それを「貧しい」といい、クーラー効いて、パソコンを使いこなす環境で学べる日本の子供が、
「豊か」といえるのか、時折わからなくなる。


ハイフォンの路上市場。
野菜が圧倒的に多いが、港町のせいか魚も結構あった。
なぜか路上市場をのぞくと胸が躍る。
地図上に市場があると海外では必ずのぞくようにしている。


今回、GWにもかかわらず、ハノイ行きのチケットが、安く簡単に手に入ったのは、ひょっとしてこれの影響?!
鳥インフルエンザやらSARSやら、ベトナムもダブルパンチを受けた国である。
市場の衛生状態は極めてよくない。
でもそれが普通なのだ。そしてそれでもう何十年もやってきている。
十年後、この町の市場を訪れたら、屋内で衛生環境の良い「市場(スーパーマーケット)」になっているかどうか。
微妙なところではある。

4:巧みな話術で見事にぼったくられる
たかが2万5000ドン(約200円)といえども、
不当な請求には、異国のバスターミナルでぶち切れる私ではあるが、
そんな私でも結構、やられている(ぼったくられている)。
旅行者が使う「ぼったくられた」という意味には2種類あって、
定価がないような決まりのない値段を、
相場よりはるかに高い法外な値段でとられた場合と、
もう1つは、明かに定価があって、売られた値段か定価より高かった場合が考えられる。

前者の場合は非常に曖昧で、何をもってぼったくられたか、
一体いくらが相場なのかという問題があるので、
本当にぼったくられたといっていいかどうか判断に迷う場合もあり、
往々にしてこのような場合には「ぼったくられた」と気づかないことも多々あるわけだが、
今回、私がベトナムで見事にぼったくられたのは後者の方である。
つまり、明かに定価より高い値段を取られたことに後から気づき、
見事に間違いなくぼったくられたというわけだ。

ハイフォンでのこと。
ハイフォンのホテルをチェックアウトし、ハロン湾行きの船に乗ろうと、
ホテルから船乗り場までタクシーに乗っていた。
その途中で、妻が気づいた。
「ホテルにパスポートを預けたままじゃない?」

ホテルに自らパスポートなんて絶対に預けない。
高級ホテルのフロントだって信用ならない。
金ならなくなっても仕方ないが、パスポートはシャレにならない。
パスポートは絶対に自分自身の身から離さないのが僕の鉄則ではある。

なのになぜホテルに預けたか。
預けたのではなく、取られたのだ。
ベトナムのホテルではチェックイン時に必ずパスポートをぶんどられる。
きちんと泊まった記録をつけなくてはいけないということと、
デポジット的意味合いもあるのだろう。
「先にホテル代払うからパスポートを返してくれ」といってもノーだった。
なので仕方なく預ける。
チェックアウト時に私もまったく気づかず、フロントの人も返すのを忘れていた。
それでパスポートを忘れてしまったのだ。

几帳面でまじめで神経質なA型の私にとってこのような失態は珍しい。
だからそのことに少し浮き足立っていたのかもしれない。
船の時間がガイドブックでは9時半となっていた。
それを逃すと11時になってしまう。
ホテルを出たのが9時20分だった。
そんな風にあわてていたのもぼったくられた遠因だったのかもしれない。

タクシーでぼったくられたわけではない。
タクシーのあんちゃんは引き返した分のチップはよこせよみたいな言い方をしていたが、
メーターで8000ドン(約50円)だったので1万ドン(約70円)渡したら、
何もいってこなかった。

ハイフォンの船着き場に着いた。
急いで船の切符の窓口に急ぐ。
そんな私たちに、菅笠をつけた1人のおばさんが寄ってくる。
「どこに行くのか」
「ハロン湾だ」
「そうか、こっちだ」
と切符売場に案内してくれた。

本来なら切符売場の前で勝手に案内してくれる人ということで怪しまねばならぬのだが、
ベトナムのバスターミナルでもこのようなことがあり、
変な客引きかと思ったら正規のバスに案内してくれた、
ただの正規のバスの客引きってことがあったので、
もしかしたらこの人は船の正規の客引きなのかもしれないと思った。

船の切符売場の前に来ると、彼女はこういった。
「ハロン湾に行きたいのですね」
「はい」
「ホンガイ側ですか、バイチャイ側ですか」
(ハロン湾は海を隔てて半島が2つあり、ホンガイとバイチャイの2つがある。
バイチャイ側が観光の拠点となる中心地である)
「バイチャイに行きたい」
「船はホンガイ行きしかない」

それはガイドブックから知っていたことだった。
観光拠点となるバイチャイ側につかず、船だとホンガイ行きに着く。
そこからまたわざわざ渡り船に乗ってバイチャイ側に行き、
そこからバイクタクシーに乗ってホテルが集まる町の中心部に行かねばならないことも。

でも自分自身に迷いがあった。
バスの旅よりハロン湾まで船で行けるのならそれはおもしろかろうという思いから、
船で行こうと思ったのだが、それはかなり面倒かな、
短期の旅行だし、時間効率を優先した方がいいかなという迷いの気持ちもあった。
そこを見事につかれたのである。

「船はホンガイ側にしかいかないし、ここから3時間かかる」
「3時間?!」
2時間ぐらいでいくものだと思っていたので3時間という数字には驚いた。
「もしバスなら観光に便利なバイチャイ側にダイレクトで行けるし、
それに1時間半で行ける」
「たったの1時間半?!」
バスでも2時間ぐらいかかると思っていた私にとっては、その時間差はあまりに驚きだった。

彼女の言葉を全面的に信じていたわけではなかったが、
もともと船で行くよりバスの方が便利であることはわかっただけに、
心が揺れ動いてしまった。

しばらくこの場で考えようとした時、彼女があわててこういったのだ。
「バスがもうすぐ出てしまう!早くこっちへ!!」
まんまと引っ掛かった。
私は彼女の後を懸命に追いかけていった。
船の切符売場の人たちが「おい、どこへ行くんだい!待て!」
という言葉を振り払って。

それでも僕は心のどこかで全面的に彼女を信用していたわけではなかったが、
案内されたバスは確かに普通のミニバスだったし、乗客もあと2席の残して満席だった。
彼女に嘘はなかったのだ。
「さ、荷物は奥に閉まって」
といわれ、瞬く間に座らされ、僕らが座ったらさあスタートみたいな状態になった。

「いくら?」
乗ったが最後、法外な値段をとられるんじゃたまらない。
そう思った僕はとっさに値段を聞いた。
「10万ドン(約700円)」
「10万ドン?!」

日本円にしたらたいしたことのない金だが、
こちらで10万ドン札を出すといったらたいそうなことである。
「2人?」
「いや、1人10万ドン」
「1人10万ドン?!」

おかしいよな、おかしいよな、明かに高いよなと思っていた。
そうだ、ニンビンからハノイに行った時に親切にしてくれた乗客がいたように、
周りの乗客に値段を聞いてみようと思い、
前の乗客に「ハロン湾まで1人10万ドンか?」と聞いたが、一向に要領を得なかった。
客引きおばさんはもうバスはすぐ出発するよといわんばかりに急いでいる雰囲気がある。
いな、そのおばさんだけでなく、乗客全員がわたしらのやりとりが終えないので、
出発できないという冷たい雰囲気だった。

1人10万ドンって絶対おかしいよなと思いつつ、
そんな雰囲気もあってか、焦らされる気持ちもあってか、
面倒になってそのおばさんに2人分20万ドンを支払った。

おばさんは車掌としては乗り込まなかった。
バスなのに、いきなり出発して船に車ごと乗るので驚いた。
ずっと陸路ではなく、船とバスを併用するから1時間半でいけるし、こんなに高い値段なのかと。

と思ったら、小川を渡る程度で、再び船から降ろされ、またバスに戻される。
そして陸路をバスは走り出した。

騙されたな・・・

バスが走り出してから30分ほど、男の車掌が乗客から運賃を徴収しはじめた。
あの客引きが「完全な」ニセモノだったなら、ここでまた運賃を支払わなければならないが、
さすがにそれはなかった。
でも僕らと同じハロン湾に行く他の乗客が支払っている値段は2万5000ドンだった。
ガイドブックを確かめるとやはりその値段。
ニンビンーハノイ間とかのバスの値段と比較したって、10万ドンはやはり異常な額だ。

完全にやられてしまった。
「ぼったくられる」というのはあまりに巧妙でそれすら気づかないとか、
かなり強引で状況的にも不可抗力な場合もあるが、
ほとんどの場合は、今回のように、本人の油断によるものだろう。
それにきっとどこかに、
「ジャパンマネーに換算したらたいしたことはない」という深層意識があるのだ。
だからぼったくられてしまう。

別に旅慣れたことを自慢して、
ぼったくられなかった=善、ぼったくられた=悪、というつもりはない。
ただ旅で出会う海外での「ぼったくり」を考えると、
そこでまじめに働いている人はバカをみて、
うまくガイジンを騙した奴が楽して金儲けできて、
そういう「不健全な社会」にしてしまっていることに、
ぼったくられることによって加担してしまうのはよくないことだなと最近考えるようになった。

親切に忘れたおつりを届けにきてくれる人だっているし、
まけてくれたり、サービスしてくれたり、親切な人は旅先でいっぱい出会う。
でもそういう人たちには何もしてあげられず、
騙すのがうまい輩に金をばらまいてしまうっていうのは、
騙された方の責任もあるよなって思ってしまう。

まあ、そういう観点から考えて、ジャパンマネーに奢って、
簡単にぼったくられてしまうことはいけないことだなと思った。