チベット旅行 かさこワールド  チベット目次

1:「2種類」のチベット
チベットに行ってきた。
といっても、ご存知の通り「チベット」という国はなく中国である。
今回は、1999年にアジア放浪した「チベット」とはまったく別にエリアに行った。
以前に行ったのは「チベット自治区」である。

外国人がチベット自治区に行くには「入境証」なるものが必要になる。
入境証といっても、パスポートにビザのような形で何か発給してくれるわけでもなく、
なんらかのチケットをくれるわけでもない。
ただ単に、正規の方法で、そして正規のルートで、通常、中国人が乗っている飛行機ないしバスに、
数倍もの値段を払うと、それが入境証込みとなるのである。

このようにチベット自治区に行くにはちょっと面倒がある。
しかしこの「入境証」が要らないチベットエリアがあるのだ。
甘粛省や青海省などにある「チベット族自治州」だ。
そこに今回、私は行った。

ここなら「入境証」もいらず、距離的にも非常に近いので、
わずかな期間でもチベット旅行ができるというわけだ。

ちなみに「入境証」とは別に、外国人が行くには許可がいる「外国人許可証」なるものもあり、
チベット文化圏には「外国人許可証」が必要な町が非常に多いわけだが、
今回、私が行った場所はすべてこの許可証も不要なので、
外国人であっても自由な旅行(移動)ができるわけだ。

2:意外と近いチベット
さて、チベットというと、何か到底、一般人では行くことができない、
非常に困難なルートを取らないと行けない、
地球の秘境中の秘境というイメージがあるかもしれないが、まったくそんなことはない。
中国の一部なので、はっきりいって簡単に行けるのだ。

ちなみに今回のルートは、
1.成田−(飛行機)−北京:3時間30分
2.北京−(飛行機)−蘭州:2時間
3.蘭州−( 車 )−夏河:5時間
ってな具合に、日本から割に簡単に行けるのである。
※中国の国内線に関しては、中国航空券専門の日本の旅行会社で事前に取得できる。
この夏河(サンチュ)というチベタンの町を皮切りに、
バスで次々とチベタンの町を旅行したというわけだ。

3:旅行に不便さはない
チベタンの町だからといって「水道も電気も何もない辺鄙な場所」といったらこれまた大間違い。
もちろん、かなりディープなエリアに行けばそのような町もあるかもしれないが、
10日程度の旅行ではそこまで辿り着けないし、
そのような町は得てして、外国人非開放地域だったり、
外国人が宿泊できるホテルがなかったりするので、
よほどのことがない限り、そのような町には縁がないと思っていい。

チベット旅行といっても、はっきりいって、残念ながらともいうが「中国」旅行なのである。
私が今回訪れた町には必ずチベタン集落のそばに、
漢民族が作った近代的都市型町エリアが付随していて、
そこのホテルに泊まれば、テレビだってあるし、ホットシャワーだって出るし、
私が掲示板に書き込みしたように、インターネットだってできる場所もある。
「チベット」=「秘境」=「不便」みたいな感覚はまったくないのだ。

だから、私が言いたいのは、
もしよかったらチベットに行ってみたらどうかなとおすすめしたい。
いろいろな海外旅行の仕方があるけど、せっかくお金と時間を掛けて行くのなら、
こんな旅行もぜひしてみたらいいなと思う。

私が以前、会社を辞めて3ヵ月放浪するような、そんな旅はなかなかできるもんじゃない。
でもチベットぐらいなら、1週間の休みと15万円ぐらいの金があれば、誰だって行けるのだ。
もし「秘境」で「不便」でとても行けるような場所じゃないから・・・
と思っていた人がいたら、ぜひその勘違いを捨ててほしいなと思う。

4:漢民族化で希薄化するチベット文化
それともう1つ、すすめる理由がある。
もしかしたら数年後には、本来の意味での「チベット文化」がなくなってしまうかもしれないからだ。
今、中国は未曾有の高度成長で、それに伴い、あちこちで大開発が行われている。
漢民族化=近代化=資本主義化的な波がチベットにもものすごい勢いで押し寄せている。

さらに都市部の中国人の間では、経済的な余剰ができはじめたため、
今、中国国内旅行の大ブームなのである。
特に、チベットや雲南省など、異民族エリアには秘境感があるせいか、
人気もあり、大挙して中国人団体観光客が訪れている。
その受け皿のために、現地にホテルができ、レストランができ、旅行社ができ、
そこで働くのは現地の人というよりは、都市部から流れてきた漢民族である。
こうして今、ものすごい勢いで、チベット文化の希薄化が進んでいるのだ。
過度に観光名所化したチベットなんかいっても、ほんとおもしろくないと思いますよ。

例をあげるなら、今回、私が訪れて失敗した湟中(クムブム)などがそうだ。
せっかくの素晴らしいチベット寺院群が完全に観光名所化されてしまっているのだ。
寺院内は観光ルートが張り巡らされ、中国人団体観光客がガイドに連れられ、
大挙して押し寄せている。
もちろんここは非常に大きな寺で、チベット僧や巡礼者もいるにはいるのだが、
彼らははっきりいっておまけみたいなもので、
もう観光がすっかりメインになってしまっている。

ただ寺だけ見せられても、そこには「魂」が宿っていない。
今回、訪れた他の寺院も確かに観光客もいたけど、
こんなに観光地化されてはいなかった。
周囲におみやげ屋があったり、観光客用のホテルがあっても、
寺院はあくまでチベット僧とそして巡礼者が主役で、
はっきりいって観光客はお邪魔虫的な雰囲気がある。
そういう厳かな雰囲気の寺院を訪れるからこそ、心打たれるわけである。

これと同じような状況が、チベットの中心地、ラサのポタラ宮だろう。
世界遺産にも指定されるほど素晴らしい寺院だし、
外観だけでももちろんすごいんだけど、
やはり内部は上記と同じような感じだ。
私が訪れた1999年にはまだ中国人団体観光客は皆無だったが、
今や大勢、訪れているらしい。
さらに2007年にはラサとゴルムドを結ぶ1000kmにも及ぶチベット鉄道が完成する。
もうこれができたら、完全にラサはThe Endだろう。
なぜなら中国人の長距離鉄道好きは半端ではない。
今までバスで少人数しか運べなかったが、鉄道で大量輸送が可能になり、
漢民族のためにオーソライズされてしまった観光用としての「チベット」になってしまうだろう。

まあもちろん、すべてが観光地化されるわけではないけど、
行きやすいエリアから当然、観光地化されてしまうので、
今後はもっと奥地に行かないとチベットらしさを垣間見ることができなくなってしまう。
だからぜひとも機会があれば訪れてほしいなと思う。

5:チベット文化圏は中国の1/4の面積を占める
今回、私が訪れた青海省、甘粛省以外の省内にもチベット族自治州がある。
それらチベット族自治州とチベット自治区すべてひっくるめると、
大雑把にいって、なんと広大な中国国土のおよそ1/4の面積に当たるのだ。

さらに、チベット自治区の北にある新疆ウイグル自治区も合わせると、中国の国土の約1/2に当たる。
中国がチベットやウイグルの独立を認めないのはそのためだ。
国土が1/2も無くなってしまい、さらには、
このエリアに埋蔵しているといわれる鉱物資源の採取ができなくなってしまうからだ。

その他にも漢民族文化圏ではない独自エリア、内蒙古自治区、広西壮族自治区、
さらには雲南省内にある少数民族自治州など、
漢民族以外の民族自治区、自治州をすべて取り除くと、
あの広大な中国の国土面積はわずか1/6ぐらいになるだろう。
だから中国は「政治的に民主化」がいつまでたってもできないのだろう。
下手に政治的自由民主制的制度を導入してしまったら、
これらの独自民族の自治区が何を言い出すかわからない。

しかし、である。
かつては「少数」民族の独立運動も激しかったし、
それに対する中央政府の圧力も相当なものだった。
力で抑える政治をしていたのである。
だから小競り合いはあちこちで起きていた。
ところが、ここ最近、ほとんどそういうものがない。
一部の過激派ないしは亡命政権以外は、激しい抵抗運動は見られないし、
また、中国政府も強権発動していない。
なぜか。
経済的同化政策に成功したからだ。

政治的に圧力をかけ、強権的に押えつけようとすると、
当然、反発も大きくなるし、政府側にもコストや犠牲が伴う。
しかしここ最近の中国は、見事な高度成長を遂げることで、
非常に金回りがよくなり、開発ラッシュということもあり、
他民族自治州にも漢民族との経済的つながりを持つことで、
お金というおいしいエサをまくことで、
否応なしに、いや時には自発的に、漢民族的中央政府主導的なルールに従い、
経済的に組み込まれていくことによって、抵抗する力をそいでいるのだ。
ま、いってみれば餌付けすることに成功したのだ。

これはかつての社会主義大国ソ連と対比すると実におもしろい。
ソ連は結局、本土ロシアを残して、バルト3国やカザフスタン、ウズベキスタンなど、
民族・地域に根ざした数カ国に分裂を余儀なくされた。
それは一言でいえば、餌付けができなかった、
すなわち、経済発展に失敗してしまったからだろう。

もしソ連は中央政府主導で経済発展に成功していたら、
中国のように分裂することなく体制を維持できたかもしれない。
しかし、それができなかったからこそ、ソ連崩壊という憂き目にあったのだろう。

しかも、分裂後も、未だにチェチェン紛争という卑劣な強権軍事制圧政策を行っている。
そのためにモスクワでは度々テロが起きる始末。
すべては、経済=金回りがうまくいかないところに持ってきて、
さらには政治的・文化的に圧政しようというのだから、
そりゃ、相当な反発を食らうのも当然だ。

きっと中国は賢いからソ連の失敗をよく見ていたのだろう。
部分的に市場開放を進めつつ、資本主義経済を徐々に取り入れながら、
日本の高度成長期と同じで「日本列島大改造」「所得倍増計画」のごとき、
国家主導による莫大な公共投資を中国全土で行い、
高速道路や各公的施設などのインフラ整備をものすごい勢いで進めている。
それが民間および外国の開発ラッシュの後押しにもなり、
今回のように、標高3000mのチベット文化圏に行っても、
山間の道に突如、高速道路が現れたり、1本の通りしかないような町の外側に、
町大規模拡張のため、マンションやらビルやらを建設している。

現に私は、中国に6度ほど訪れているが、
高速道路ができたおかげで以前より大分、短い時間で行けるようになった場所や、
観光開発のため、観光名所の前の畑をぶっつぶし、
きれいな公園を整備したりといったことをこの目で見ている。
それが今、日本の経済誌や新聞で騒がれている「中国ビジネスブーム」の背景にあるのだ。

しかも驚くべきことに、その開発ラッシュが北京や上海といった大都市だけではなく、
山間の小さなチベットの町にまで及んでいるということを、今回チベットを訪れて知った。
確かに便利になることはいいことだと思う。
でも彼らは便利とは程遠い、非効率といっていい信教スタイルを持っている。
それが生活環境が便利になった時に、果たしてその信仰心を維持できるかどうか。
信仰心がなくなったチベット寺院を見たところで、
それは単なる過去の遺物としての歴史的建造物見学にしかならない。
ラサのポタラ宮がそうであるように。

6:ダライラマはチベットにいない
「チベットに行ってきた」といってよく聞かれるのが、
「ダライラマに会ったか?」という質問であるが、
残念ながらダライラマはチベットにはいない。
チベット(中国)から亡命してインドのラダック地方にいて、
そこで亡命政権を樹立しているのだ。

ダライラマがチベットを去ってインドに亡命したのは、
なんと46年前の話、すなわち1959年の話である。

日本人のこの勘違いは、いってみれば西洋人が、
未だに日本はちょんまげを結って帯刀した侍がいるとの勘違いに等しい。

漢民族中国は周囲の「少数」民族を弾圧し、制圧下に置き、国土を広げた。
1965年〜の文化大革命時には徹底して少数民族文化弾圧が行われたこともあり、
かつては内乱というか衝突も多かった。
チベット寺院破壊や中国語強制が行われ、漢化政策が行われた。
(まるで中国が反省しろと批難しているかつての日本と同じことをしたわけである)
チベットもその1つである。

「チベット」という言葉のイメージだけが先行して、
日本ではあまりチベットが理解されていない。
ダライラマがいないということもしかり。
チベットが中国の領土であるということしかり。
意外とツアーなんかで簡単に行けるということしかり。
チベット自治区の中心地ラサには自動車も走り、近代的なビルやホテルもあり、
英語がかなり通じるということしかり。

漢民族化されるチベット自治区に嫌気がさし、
ダライラマのいるインドや、政治的弾圧が少ないネパールに亡命するチベット人は後を絶たないことしかり。
※実際、私が1999年チベット自治区からネパールに抜ける際、
ネパールに亡命希望するチベット人家族と出会ったこともある。

靖国神社参拝とか反日デモとか日系企業の中国進出とか、
さまざまな形で中国が取り上げられているし、
日本人にとってこれから大きな「問題」となる国であることは間違いないのだが、
今後、両国の相互理解を深めるためにも、
チベットは中国の領土であり、ダライラマが中国にいないということは知っておいてほしいなと思う。

さて、その現在のダライラマなのだが、
彼が生まれたのはチベット自治区内ではなく、
私が今回訪れた「中国本土」に近いチベット族自治州内にある。
西寧(シーニン)からおよそ30km行った平安という村で生まれたらしい。
つまり、中国国内におけるチベット文化圏がいかに広いかということを物語っている。

何度も朝日新聞やテレビで取り上げられているが、
中国本土からチベット・ラサに行く鉄道敷設工事が急ピッチに進んでおり、
現在、すべての線路を敷きおえたところだそうだ。
2007年開業した時、ダライラマのいないチベット自治区に漢民族が流入する。
もしかしたら、その時また、ネパールやインドに亡命するチベット人が増えるかもしれないな。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のHP