アジア90日間旅行
  
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79日目 パトナー(インド)(1999年10月18日)
ネパール側国境の町、ビルガンジに朝4時半到着。
国境が開いていないということで外で1人7時まで待たされる。
一挙に旅の辛さが押し寄せてきたが、これはまだまだほんの序の口だった。
7時過ぎにイミグレーションが開き、出国スタンプを押してもらう。
そしてインド側国境の町、ラクソールでインド入国スタンプを押してもらう。
ラクソールからパトナ行きのバスに乗るが、近くのチケット売りにだまされて多分2倍ぐらいの料金を払ってしまった。
日本円にしてみればぼったくられたのは300円ぐらいの話だが、全く知らないうちに騙されてしまった。
今日はインドは祭りのために人でごったがえして道が全然進まない。
バスを3度乗り換え、13時には着くと言われたパトナーには19時に到着。
疲れ果ててインドに到着。
泊まったホテルで、白トカゲの恐怖に悩まされ、蚊の大群でかゆくて眠れず、腹の調子はおかしくなるは最悪の状態。
これがインドなのだろうか。

80日目 ブッタガヤー(インド)(1999年10月19日)
寝不足・腹痛を押して、パトナーからブッタガヤー行きのバスに乗る。
腹痛がひどくなり、何度もピンチを迎える。1度目のピンチはたまたま休憩に道端に止まったので助かった。
2度目のピンチは相当なものだった。我慢しきれず、運転手の席にいって止めてくれとお願いするが、
もうちょっとで着くと言われ無視される。
こいつ、そう言うならおまえのそばでもらしてやるぞと思うと、すぐにバスが止まった。
僕のためにと思いきや、降りる客がいたのだ。僕は一目散にバスから降りると、町の道端で難を逃れる。
相当本格的にひどくなってきた。
ブッタガヤーには11時半到着。ブッタが悟りを開いた聖地で各国の仏教寺以外には何もない田舎の村。
病院を探したがない。途中、薬剤師の薬屋があって、そこに事情を説明する。英語は全く通じない。
あやしい薬を調合して、3種類の薬をもらい、これを交互に2時間おきに10粒ずつ飲めと言う。
かなりあやしかったがどうしようもないので、彼を信じて飲む。
腹の状態が思わしくないのでホテルで安静にしていた。

81日目 ブッタガヤー(インド)(1999年10月20日)
昨日のあやしい薬剤師とその薬が効いたのか、大分腹はよくなった。
ただ幾分のどの調子がおかしいが、たいしたことはなかった。
午前中は、ブッタが悟りを開いたと言われる菩提樹を見にいく。
とても静かでのどかな村。菩提樹のところには巡礼者がひっきりなしに訪れ、チベット僧もいた。
午後はブッタガヤーの近くにあるスジャータの村を訪れる。
たまたま村に帰る少年に出会い、うちにお邪魔させてもらい、チャイを作って飲ましてもらった。
インド人の普通の家にはじめて入った。
ブッタガヤーはとても静かでのどかなのんびりとした町。
腹の調子もいいし、ここにいてもとりたててやることはないので、
明日ヒンズー教の最大の聖地バラナシに行くことにする。
僕がこの長い旅の中で最も行きたいと思っているバラナシへ。

82日目 バラナシ(インド)(1999年10月21日)
バラナシへ列車で行くかバスで行くか迷ったが、バスがホテルの目の前を通るというので、バスにする。
ホテルの前で朝5時半からバスが通るのを待つ。6時半にバラナシ行きのバスに乗れた。
暑いインドの大地をバスは走っていくが、なかなかバラナシまでの距離が減っていかない。
インドの緑豊かな大地を眺め、雑然とした町の活気を眺めながら、僕は到着するのを待っていた。
祭りのせいもあってか、道が混んでいるところが多く、バラナシに到着したのは17時過ぎ。
ガンジス川沿いのホテルに泊まりたかったが、もうあたりは暗く、
バラナシの狭い路地の中を安宿探して歩き回るのは難しいと思い、川から少し離れたにぎやかな所で泊まる。
バスの長時間の旅は相当疲れる。ケツがいたい。列車の方が良かったのかなと思ったりもした。

83日目 バラナシ(インド)(1999年10月22日)
一夜明け、バラナシの朝。ガンジス川沿いのホテルを探す。
とにかく道が狭くてごちゃごちゃしていてわかりにくく、何度も迷った。
狭い路地に牛が歩いていて通れないし、ホテルの客引きがあちらこちらからうるさいしたまらない。
やっといいところを見つけた。ガンジス川を見ながら食べれる眺めの良い食堂がついている安宿だ。
そこに決めた。12ベッドが病院のように並んでいて、1泊35ルピー(約90円)。
ホテルを探し回って汗だらだらにかいてしまったので、
早速、ガンジス川を見ながらラッシー(飲むヨーグルトのようなもの)を飲む。実に最高な気分。
落ち着くと、火葬場を見にいった。
へんな野郎にからまれて「チャリティーをよこせ」と4人のインド人に囲まれる。
「チャリティーの意味をおまえら知ってんのか」と日本語で怒鳴り散らしたあげく、何とか脱出する。
これが「インド」なのだろうか?
昼に食べたエッグカレーとナンはうまかった。

84日目 バラナシ(インド)(1999年10月23日)
ガンジス川に昇る朝日で目がさめる。そしてガンジス川を見ながら朝食を食べる。
最高だな。
ガンジス川はエジプトのナイル川に似ているなと思った。
今日はリキシャー(自転車タクシー)を使ってバラナシをまわる。
ガンジス川を船で渡って、対岸にある城を見たりした。
ホテルに帰る狭い路地沿いにあるレストランで、なんと韓国のジャックと出会う。
これでジャックとは、チベットで会い、ネパールで会い、そしてインドで再び会った。
ヨガの勉強をこのバラナシでするの当分ここにいるという。
こうして偶然に旅の途上で何度も出会う人がいるのを不思議に思う。
次の国パキスタンでクーデターが起こっていた。
親と彼女に電話するとどちらもパキスタンに行くことをかなり心配していた。

85日目 バラナシ(インド)(1999年10月24日)
すっかり気に入ったガンジス川沿いのホテル。朝日に輝くガンジスを眺めながら朝食をとる。
そこに背の高い年令不詳の日本人が話し掛けてきた。
このホテルに泊まるということで、今日は一緒に仏教の聖地サルナートに行くことになった。
名前はかきさん。39才というがもっと若く見えた。おもしろい人で、会話につきることがなかった。
サルナートまで行ったリキシャーが交渉した値段と違うことを言い出し、金をよこせとうるさい。
思わず僕はブチッと切れて、
「おたくなめとるんかい。さっさと渡された金持ってきえんか。このくそ野郎が!」
というとおとなしく引っ込んでいったが、それに驚いたのはかきさん。
「笠原さんって、そんな人だったんですか・・・」
前職での経験が役立ったなあと、会社を辞めてからこのインドに来て思う。
かきさんの話によると、パキスタンにクーデターのために行けない旅行者がいて、
ルートを変更してインドをまわろうかなと言っていた人がいるらしい。
サルナートから帰って、ガンジス川を見ながらチャイを飲み、世界地図を広げてみる。
もし本当にパキスタンに行けなければ、この先どうしようか。
せきがひどくなってきた。

86日目 バラナシ(インド)(1999年10月25日)
チベット、そしてネパールで出会ったまさやんからのメッセージが隣のホテルに2日前に置いてあるのに気づいた。
ネパールで別れたまさやんも、ちょうど2日前にこのバラナシに来ていたのだ。
まだきっとバラナシにいるだろうと、まさやんのいるホテルを探す。
ガンジス川沿いに歩くこと20分。まさやんと3度目の再会。
まさやんも重症な風邪と下痢でホテルで寝ていた。
これからは進むルートが違う。日本で会うことを誓って別れる。
バラナシから先どうしようかと迷っていたが、予定を変更して一挙にデリーまで行ってしまうことにする。
デリーでパキスタンに関する情報を集めようと思ったからだ。

87日目 バラナシ(インド)(1999年10月26日)
今日の午後にバラナシを発つ。最後にガンジス川をボートに乗って川から町を見る。
12才の2人の少年がボート漕ぎだった。
流れと反対に漕ぐのは至難の技。大河ガンジスを12才の少年の漕ぐボートに揺られているのが不思議な気分だった。
ヒンズー教の最大の聖地。集まってくる人々はまるで川で水遊びに興じているようにしか見えなかった。
午後16時発、デリー行き夜行列車の乗る。
列車が30分遅れたことよりも、どこのホームに到着するのかわからないのが不安だった。
無事に乗り込む。4人用の寝台コンパートメント。
荷物の盗難が怖いので1等寝台にしたが、室内に小さなねずみが走り回っていて、恐かった。
夜行列車でベッドに横たわってから、急激に風邪の症状が出始め、高熱が出てきた。
せきこんでその度に起き上がり、高熱で寒気が襲う。
これまで病気をしなかったが、一挙に襲ってきた感じだった。

88日目 デリー(インド)(1999年10月27日)
朝7:30。死んだようにインド首都デリーに到着。寒気・高熱・激しいせき・そして腹の調子も悪くなってきた。
そういえば「深夜特急」もデリーに到着した時は、ひどい熱だったのだと思い出した。
そんなことは真似しなくていいとだるい体を引きずりながら思う。
体調が悪いので個室でトイレ・シャワー付きのホテルにしようと、駅からすぐ近くの1泊200ルピー(約500円)のホテルに決める。
とにかく良くなるためには病院だと思い、夜行列車明けでただでさえ疲れているところをおして、病院に行く。
帰ってきてからずっとホテルで寝込む。
2時間おきに目がさめてしまう。極度の下痢のためにトイレに駆け込まなければならないからだ。
高熱・寒気・下痢・せきが絶え間なく襲ってくる。
実家の近くにある、うまいネギ味噌ラーメンを食えばきっと治るのに、などとラーメンを思い浮かべながら寝込んでいた。
パキスタンへは行けないのだろうか。

89日目 デリー(インド)(1999年10月28日)
昨日の昼間から今日の朝までずっと寝ていた。時計を見ても夜なのか朝なのかわからない。
せきはしているが1日寝たせいか大分いい。とにかくこれからのルートを決めなくてはならない。
クーデターの起きたパキスタンに行くべきか否か。
はじめの計画を押すなら、パキスタンーイランートルコと行く予定。
しかし今パキスタンに行って旅を楽しめるだろうかと考えたら、ただ計画だけを遂行するだけの旅は辞めようと思った。
パキスタン行きは辞めた。でもどうするか。世界地図を眺めながら考えていた。

インドをゆっくり回る。でも今はそんな気分ではない。飛行機を使って最終目的地トルコに行く。その後ヨーロッパを回る。
デリーからタイに飛んで東南アジアを回る。中国のウルムチまで戻ってそこから中央アジアを行く。
それともトルコに行って日本に帰ろうか。トルコーイギリスに行って日本に帰ろうか。
いろんなことを考えたがどれもしっくりとはこない。
そんな時、僕は全く考えていなかった選択肢を思いついた。
「トウキョウ・ジャパン」

僕は自由なんだ。行きたいところに行けばいい。何か話のネタをつくるために旅をしているのではない。
自分が楽しめて、自分がしたい旅をしているだけなのだ。
そうだ。とりあえず一度日本に帰ろう。
デリーの次の旅の目的地はトウキョウ・ジャパン。日本に帰ったからって旅が終わるわけじゃない。
僕が旅への情熱を持っている限り・・・。

そうだ。日本だ、と思いついたら即行動あるのみ。
早速、飛行機のチケットを手配する。
「明日はオオサカ行きなので、トウキョウ行きはあさってになります。」
「いや、今日は?」
「今日の19:30の飛行機があります。」
今、午後の14時。僕は今日のチケットにしてくれといい、あわててホテルに帰って荷造りした。
一度日本と決めたら、そのスピード感をそのままにしたかった。

突然すぎる決断。しかしこれだから旅は楽しいのだ。行きたいところに行けばいい。僕は自由なんだから。
いよいよ日本行きの飛行機に乗る。長い通路を歩いて、飛行機に向かっている時、なぜか涙があふれてきた。
日本に帰るのだという突然の決断は、うれしいようでもありさみしいようでもあり、悲しいようでもあった。
19:30、インド・デリー空港を日本に向けて出発。

90日目 トウキョウ(日本)(1999年10月29日)
快適な飛行機という乗り物に乗って9時間。
僕が3ヶ月間かけて日本から辿り着いたデリーから、わずか9時間で日本に戻ってこれてしまう。
朝7時、3ヶ月ぶりの日本に到着。
成田空港から上野行き京成電車に乗ると、ちょうど通勤ラッシュで人がどっと乗ってくる。
駅で並んで待ち構えているサラリーマンの大群と、
もう寒いというのにもろ太ももを出したミニスカートをはいている女子高生の集団を見て、
「ああ、僕は日本に帰ってきたのだな」と改めて思った。
3ヶ月ぶりの日本。
ここ1週間シャワーも浴びずに、インドの安宿から帰ってきた僕の姿は、この通勤ラッシュにはそぐわないだろうと考えていた。
3ヶ月、90日間、僕は日本にいなかったのだ。
しかしあっという間に帰って来れるのだということが、どことなく寂しさを感じた。

家に帰るとすぐに出前を注文した。
ここ何日間か、病床に伏せる中で夢見たネギミソラーメンとギョーザを。
ついに旅が終わったのかな・・・。