アジア90日間旅行
  
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・27日目 嘉峪関(中国)(1999年8月27日)
列車で朝目覚める。車窓はこれまでの列車から見える風景とは違い、砂漠が多くなっている。
どんどん中国の内陸に進んでいくのがわかる。
嘉峪関には12:40着。強行日程だが、これから観光して、夜また列車に乗って次の目的地に行く事にする。
あやしいおやじタクシーの客引きを振りきり、ナイティナインの矢部に似ている若い男とその恋人なのか若い女の子のいるタクシーにする。
女の子と筆談でいろいろと話をした。あちこち旅行している僕に興味を覚えたようだった。

万里の長城、西端の縣壁長城に到着。砂漠の中に城壁が続いている。
そこの入口で昼食にカップラーメンを食べたら、店のおばさんがお礼にポストカードをくれた。
なぜかはわからないが店のおばさんに気に入られたようだ。こんなに親切にされたのは中国でははじめてだった。
嘉峪関をあちこち見てまわり、夜中駅に向かう。
午前2:00、夜行列車出発。
次の目的地は、去年の夏訪れたシルクロードオアシスの町トルファン。

・28日目 トルファン(中国)(1999年8月28日)
午前2:00、嘉峪関を出発。列車に乗ること15時間。
強行日程が続いていたので、ほとんど列車の寝台で寝ていた。
17:00、去年旅したトルファンに到着。
ここからはウイグル自治区。文化的にも地理的にも「中国」の匂いはしない。
北京から3000kmちかく離れているので、北京との時差は2時間ぐらい。ただ同じ国なので17:00は北京時間。
ここは「火州」とも呼ばれる中国で最も暑い地域。
砂漠の中を駅からバスで1時間。オアシスの町、トルファンに到着する。
去年来たことのある町。約1年ぶり。なつかしさが込み上げる。
葡萄棚の通りを歩いて去年と同じホテルに泊まる。

・29日目 トルファン(中国)(1999年8月29日)
去年行ったトルファンに来たのは、
去年バザールで写真を撮って送ってと言われた氷屋の写真を届けるため。
バザールの中を記憶を頼りにうろつきまわるがなかなか見つからない。
たまたまみやげ屋のおばちゃんが声をかけてきたので、その写真を見せると、いる場所を教えてくれた。
バザールの入口に、アイスクリーム屋の友達の女の子と共に手伝っていた子供が、去年の写真に写っている女の子だった。
写真を渡すと大喜びでアイスクリームを3つほどくれた。
わざわざ写真を届けに来た甲斐があった。

午後は最高気温40℃の灼熱の砂漠の中を、町から10km先の遺跡までサイクリング。
苦しく辛かったが、そんなことが楽しかった。
自分で自転車をこいで目的地に到達できたことがうれしかった。
そんなことまでしないと喜びを感じられないほど、僕らは精神的に何かに飢えているのかもしれない。

・30日目 ウルムチ(中国)(1999年8月30日)
朝、再び自転車を借りて、町の外れにあるイスラム建築の塔を訪れる。
その塔の周囲を観光開発するために、せっかくのぶどう畑をつぶして公園を作っていた。
どこの国の政府もすることは変わらないのだなと思う。
自然をつぶして公園を作って、何のための観光誘致なのか?
ただ単に税金を地元企業に工事費としてばらまいているだけではないかと思った。

午後はバスに乗って、ウイグル自治区の首都ウルムチに向かう。
去年なかった高速道路が開通していた。
中国の開発のスピードはすさまじいなと思った。
12:00トルファン出発、15:00ウルムチ到着。
高層ビルが立ち並ぶ大都会に来た。1年前もここに来ていた。北京から飛行機で。
今は列車で10日間かけて北京からウルムチまでやっと到着した。
日本を出てからもう30日にもなるのか・・・。

・31日目 ウルムチ(中国)(1999年8月31日)
去年ウルムチでは、少数民族のパオがある南山牧場と、万年雪の天山山脈の姿をうつす天地という美しい湖に行った。
去年は天地へ最初に行こうとしたらチケットが売り切れで、行く予定のない南山牧場にまず行った。
結構そこが気に入って今年もまた南山牧場に行こうと思った。
少数民族の住むパオの集落で、観光客ずれしていない子供たちが印象的だったからだ。
しかし南山牧場行きの人が集まらず、天地行きに変わってしまった。
天地はウルムチの中でも最大の観光名所地で、バスが到着するなり、
「馬に乗らないか?」「パオに泊まっていかないか?」と日本語で言い寄ってくる客引きが大勢いた。
だから観光地としてはマイナーな南山牧場の方に行きたかったのだ。
でも天地の湖の美しさには変わりはなかった。

大都会ウルムチに来たので、このところ中華料理ばかりだったので(中国なので当たり前だが)、
去年の記憶を頼りに、1軒あったファーストフード店を探し出して、ハンバーガーセットを食べた。
久しぶりに中華料理でないものを食べたので、うまかった。

・32日目 ウルムチ(中国)(1999年9月1日)
ついに日本を出てから1ヶ月がたった。あっという間だった。
1ヶ月って途方もなく長い期間だと思っていたが、まだまだ旅はこれからだという気がする。
中国ではどんな安宿でも部屋に熱いお湯が入ったポットがあるので、朝はインスタントコーヒーを買ってきたクッキーで朝食。
昼夜は毎日中華料理ばかりなので、大都会ウルムチにはファーストフードの店があるので、
昼はまたそこにわざわざ食べにいく。セットで16.5元(約230円)。
夜はホテルの近くに感じのいい店を発見したので、またそこに行く。
青菜のスープ、ごはん、チンジャオロースで13元(約180円)。
今日は夜行列車に乗って、敦煌へ向かう。
23:30ウルムチ発、夜行列車に乗り込んだ。

・33日目 敦煌(中国)(1999年9月2日)
12:30、柳園駅に到着。これで中国列車の旅も終わり。
もうここからは鉄道は走っていない。バスの旅に変わる。
昼食をとった後、この駅のバスターミナルからミニバスに乗って130km先の敦煌に向かう。
駅ではタクシーの客引きがうろちょろしていて「敦煌まで安くしてやる」と言っているが、そんな贅沢は到底考えられない。
ミニバスは14:30発、敦煌の町に16:30到着。

敦煌に着くと早速、砂丘のある鳴砂山にバイクタクシーに乗っていく。
入口かららくだに乗って、砂丘の中にある月牙泉という、砂漠の中にあって枯れずに涌き出ている泉に行く。
らくだに乗るのはエジプト以来だなと思う。
その後はただひたすら歩いて砂丘を登っていく。
砂漠地帯の旅がはじまったことを、砂丘の頂上からの景色を眺めて実感した。
そしていよいよチベットの旅も近づいているのだ。

・34日目 敦煌(中国)(1999年9月3日)
朝、再び鳴砂山に自転車を借りて行く。夕方と朝では感じが違うかなと思ってまた行ってみたが、
あいにく曇っていてそんなに違いはなかった。朝早いせいか観光客が少なく、砂丘に登って記念写真を撮る。
それから中国三大石窟の一つ、莫高窟に行く。
石窟の中にある仏の目はまるで生きているようだった。
あとはとんでもない巨大な大仏がここにはある。何のためにこんな馬鹿でかいものを作ったのだろうか。

夕方、中国ビザの延長のため公安局に行く。
手続きは簡単だったが、ボールペンを1本くすねられた。
まったくせこいと思ったが、たかがボールペン1本のために逆らってビザを延長してもらえないと困るので仕方ない。

夜19:30、チベットの入口の町ゴルムド行きの夜行バスに乗る。
敦煌から南へ520km。砂漠地帯を走っていく。
途中、トイレ休憩のため道端に停車。
たちしょんしながら見た、夜の砂漠の空の満天の星がとても印象的だった。

・35日目 ゴルムド(中国)(1999年9月4日)
朝7:40、ゴルムド到着。標高2800mのせいか朝は少し肌寒い。
チベット・ラサ行きのバスチケットは外国人は国営の旅行会社を通して高い金を払い、かつ5人以上集まらなければ出発できない。
行ったら僕しかいないと言われた。この何もないゴルムドの町で一体いつになったらチベットに行けるのだろうか。
夕方、旅行会社の人が僕の部屋に「グットニュース」と騒いで来た。5人以上集まったので明日チベットに出発できるという。

良かった。明日にはチベット行きのバスに乗れるのだ。チケット代は1660元(約23000円)もの大金を払う。
中国人なら300元程度のバス料金なのに。それゆえ非合法の闇バスも横行していて、その相場は600元から800元ぐらい。
明日行くことになったので、いろいろとチベット行きに備えて買い物をする。
寒いときのため、偽のナイキのジャンバーはやめて、中国人民服を買った。
あとは高山病に備えて酸素スプレーとミネラルウォーターを買い込んだ。
(高山病にかかりそうになったら水分を多く取った方がいいらしいということで。)
いよいよチベットか。高山病は心配だがとても楽しみだ。

・36日目 ゴルムド(中国)(1999年9月5日)
12:00、ホテル前に集合。日本人旅行者ばかりだった。
12:30、ミニバスに乗って出発。途中でラサ行きの寝台バスに乗り換える。すでに中国人は乗っている。
外国人は7人。香港人の女の子2人とあと5人はすべて日本人。
14:00ぐらいまでゴルムドの町をバスはうろうろしてやっとチベットに向け出発。

標高3000mのチベット高原をひたすら走っていく。
夜が深まるにつれ、とにかく冷え込んだ。
5000mの峠を二つ途中で越えるというが、街灯一つない高原を夜走っている限り、どの辺を走っているか全くわからない。
運転手は3人いて夜通し走り続けた。
夜が深まるにつれ底冷えし、せまい寝台バスではゆったり体を伸ばして寝ることもできない。
しかし途中で見た夜の星空は美しかった。