アジア90日間旅行
  
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53日目 カトマンズ(ネパール)(1999年9月22日)
中国最後の町ダムでまずやることは両替。
あまった中国紙幣をネパールルピーに替える。国境の町にはたくさんの両替人が声を掛けてくる。
ダムから国境へ、急激な坂道を下っていかなければならないので、トラックに乗る。
山を急激に降りていき、国境へ。手続きは至って簡単。
中国側から国境の友好橋を渡るとそこはネパール。1つの橋を渡っただけで時差が2時間違う。
新パーティー5人で車を借り切って、ネパール国境の町コダリから首都カトマンズへと向かう。
ネパールに入った途端、緑がうっそうと茂っている。チベット高原に昨日までいたのが嘘のよう。
コダリを12時出発。緑豊かな山道を下っていき、念願の旅行者天国カトマンズに16時半到着。
2年前に行ったことのあるカトマンズに懐かしさが込み上げる。

54日目 カトマンズ(ネパール)(1999年9月23日)
ネパール到着翌日。急激に移動を重ねてきたので、ゆっくりすることにする。
午前中は次の国インドのビザ申請にインド大使館に行く。
午後はカトマンズの外国郵便局に行く。日本からの荷物はまだ届いていなかった。
夕食はカメラマンと仙台学生君と韓国ジャックの4人で、祝カトマンズということでステーキを食べにいった。
分厚いステーキが200ルピー(約300円)。僕の泊まっているホテルはトイレ・シャワー付きで160ルピー(約250円)。
カトマンズが旅行者天国と言われる所以はこの物価の安さにある。
しばらくネパールでのんびりすることにする。

55日目 カトマンズ(ネパール)(1999年9月24日)
今日はカトマンズは祭り。この祭りを見るためにこの日程でチベットからネパールに来た。
カメラマンと2人で行動を共にする。
ところが祭りが何時に始まるかわからない。
人によって何時に始まるかという答えが違うのだ。
10時説・12時説・15時説・16時説・17時説。
終わってしまっては困ると、10時に祭りの会場となるダルバール広場に行ってみるがそれらしき雰囲気はなかった。
昼食を一緒に取り、僕はチョウメン(やきそば)とモモ(ギョーザ)で45ルピー(約70円)。
午後15時過ぎに再び広場へ向かうと、チベットで出会った大学生と再会する。
もう人で一杯でとても見れないので帰ってきたという。
行ってみるとものすごい人だかり。
僕は祭りが終わるまで人ごみの中にいて、何も見えなかったが、これだけ人が集まる雰囲気を味わえたのでよかった。
夜はカメラマンと2人で日本食レストランに行き、僕は日本を出発した8月からこれまでの新聞に目を通した。

56日目 カトマンズ(ネパール)(1999年9月25日)
カメラマンと共に、カトマンズ観光をする。
午前中はネパール最大の仏塔ボダナート。
お経を読む僧たちとお供え物を持って参列する団体がいた。何か今日は特別な日なのだろうか。
午後は仏塔スワヤンブナート。別名「モンキーテンプル」と呼ばれ、猿があちこちにいる。
2年前に来た時より猿が減ったかなと思った。
夕食は本格派イタリアンレストランに行き、特大ピザと本格派パスタとビールをカメラマンと共にする。
1人300ルピー(約450円)。かなり贅沢をしてしまったが、日本で食べたら5倍ぐらいの値段はするだろう。
僕が今まで食べたピザの中で、一番うまかった。
ネパールでの楽しみはすっかり食事になっていた。中国で中華料理以外のものが食べれなかった反動だろうか。

57日目 カトマンズ(ネパール)(1999年9月26日)
カトマンズでチベットの写真を試しに現像し、それができあがった。
写真を見て、今まで旅行していたチベットの懐かしさが込み上げる。
ネパールで写真を現像してもたいした問題はなかった。
午後はカメラマンと共に、ブタニールカンタ村に行く。
池に浮かぶヒンズー教の神様があるところ。
村に着くとかわいい女の子が勝手にガイドをはじめたので、僕とカメラマンでは、
ガイドはいいから写真を撮らせてくれと、2人で何枚も写真を撮る。

58日目 カトマンズ(ネパール)(1999年9月27日)
カトマンズに約1週間いた。カメラマンは明日タイに行ってしまうし、カトマンズにいても特にすることはないので、
明日から湖とヒマラヤ山脈の美しい景色の見えるポカラに行くことにする。
バスチケットの手配と、ポカラでゆっくりするために、カトマンズの日本の古本がいっぱいある本屋で本を買い込む。
カメラマンとはこれでお別れになるので、一緒に夕食をおいしいステーキ屋で食べ、
日本での再会を誓って別れる。

59日目 ポカラ(ネパール)(1999年9月28日)
朝7時、ポカラ行きのバスが出発。
ポカラに行くツーリストが多いのか。何台ものバスに外国人旅行者が何人も乗っていく。
僕の乗ったバスは途中で故障。しかし1時間ぐらいすると治り、前のバスに追いついてしまうことが不思議。
カトマンズからポカラまでは山の中の道を通っていく。
途中、狭い道の崖から落ちたバスに人だかりができていた。
他人事ではないなと思いつつ、自分の乗っているバスは大丈夫だろうと思っている。
ポカラには14時半到着。雨季はもうそろそろ終わるはず。天気はくもりで山は見えない。
ポカラを歩いていると、チベットからカトマンズまで一緒に来た韓国人のジャックと偶然再会。
夕食を共にした。旅人のルートは大概決まっているので、こういうことが結構起こる。

60日目 ポカラ(ネパール)(1999年9月29日)
ポカラでゆっくりしようと思う。
ぺワ湖を眺めながら、食事をしたり、散歩したり、本を読んだりする。
カトマンズの本屋で買ってきた古本、「深い河」(遠藤周作著)をあっという間に読んでしまう。
チベットで出会った日本人が勧めてくれた本だった。
この調子だと本はすべて読み終えてしまうなと思う。
時々突然の雨が降る。まだ完全に雨季は終わっていない。
ヒマラヤ山脈の姿が見えるのはいつだろうかと心待ちにする。

61日目 ポカラ(ネパール)(1999年9月30日)
今日もポカラでゆっくりする。
これまで旅した記録を整理しようと、旅行記を書き始めるが、まだ書いているのはモンゴルあたりの話。
当分、現実に追いつかないだろうなと思う。
退屈なので、デビット・ホールと呼ばれる滝を見に、散歩に出かける。
結構日中は暑いので、滝から吹き上げてくる水が気持ち良かった。
熱いチャイ(ミルクティー)を飲んで休憩する。
僕の泊まっているところは、レイクサイドにある。
滝からの帰り道、日本人がよく集まるダムサイドを通ると、チベットで見かけた人を3人も見る。
個人旅行者は団体ツアーをバカにするくせに、結局日本人のたまり場を作って団体で集まる傾向がある。
良いとか悪いとかの問題ではなく、日本人というのは個人主義ではなく集団主義なのだなと思う。
今日、夕方ぐらいにすごい雨が何時間も続いた。
きっとこれで雨季が終わるに違いないと思い、明日、ヒマラヤ山脈がよく見えるサランコットの丘に行くことにする。

62日目 ポカラ(ネパール)(1999年10月1日)
日本を出てから2ヶ月が過ぎる。
朝5時起床。タクシーに乗ってサランコットの丘に上る。
日が出てくるのは6時半から7時ぐらい。6時に丘の頂上に着き、山が現れるのを待つ。
2年前もこうしてこの丘に上った。何も見えなかった。
それで「ヒマラーヤは見えない」という作品を書いた。
今回僕は見ることができるのだろうか。
7時ごろ日が昇り、美しい気高いヒマラーヤ山脈が完璧とは言えないがとりあえず見えた。
姿を現していたのは10分程度だった。
「ヒマラーヤは見えない」から2年。僕は今、ヒマラーヤを見ましたよと一人つぶやく。
サランコットの丘でみやげ屋の高校生の女の子と話をした。
チャイを飲んだが、みやげも買ってくれと言われ、ついかわいかったので一番安いものを買っていく。
帰りは歩いて丘を降りていった。
ヒマラーヤが見えると、もうポカラにいる必要はないなと思い、そろそろカトマンズに帰ろうと思う。

63日目 ポカラ(ネパール)(1999年10月2日)
今日は自転車を借りて、ぺクナス湖に行った。
ぺワ湖と特に変わるわけでもなく、ただの暇つぶしで終わった。
今カトマンズでは「南アジアスポーツ大会」をやっていて、誰もがテレビにくぎ付けになっていた。
夜ホテルのレストランでチャイを飲んでくつろいでいると、ホテルのオーナーや従業員がサッカーの試合を見にテレビをつけた。
僕も一緒になって見て、ネパールを応援した。ネパールはこの大会ではホーム開催のせいか連勝していた。
試合が終わるとオーナーと話をした。
ここのオーナーは日本に何年か働いていたというのだ。
大宮だとか市ヶ谷だとかそんな地名を知っていた。
明日カトマンズに帰ることに決まった。

64日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月3日)
ポカラ7時出発。バスに乗って14時過ぎにカトマンズ着。
10月上旬にはネパールに行くから会おうと、チベット・ラサで出会った27才のまさやんが来てるかなと思い、
メッセージを残すことになっているホテルに行くと、そこのロビーでまさやんと出くわした。
ちょうどよいタイミングだった。まさやんとあっけなく再会した。
シガツェまで行動を共にした学生君も一緒に来たという。
あとは車をチャーターしてきたので、関西の女の子の大学生2人と来たらしい。
これでカトマンズにいてもしばらくは退屈しなくてすみそうだ。

65日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月4日)
日本から送ってもらっているはずの荷物を取りに郵便局に行くと、僕宛てのが届いていた。
僕が親にお願いしたもので、
1.ミスターチルドレンの9月に発売されたライブCD。
2.連続ものの本で毎回楽しみにしている「グイン・サーガ」67巻。
3.旅行中お世話になった人にあげるためのマイブック「エジプト旅行記」1冊。
の3点。日本を出てから2ヶ月過ぎた僕にとってはありがたい救援物資だった。
彼女が日本からネパールに来てくれるのが10月13日。
それまでカトマンズでの暇つぶしグッズになった。
夕食はまさやんや学生君らと食べた。

66日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月5日)
今日はインドビザ受取日。
午前中に1度大使館に行き、夕方再度また行かなくてはならない。
インドビザが無事取れると、やっと今度はインドだなという実感がわいてきた。
カトマンズにカジノがあるという話を聞き、学生君と2人で繰り出すが、あえなく惨敗。
ホテルに夜12時過ぎに戻ると、閉まっていて誰も出てこない。学生君の泊まっているホテルは開いていたがもう入っていってしまった。
どうしようか迷ったあげく、僕は1人24時間開いているカジノに再び行く。
さっき負けたので見ているだけにしようと思ったが、時間があまりにあるので勝負する。
ルーレットで賭けてどんどん吸い込まれていったが、ずっと賭けつづけていた「0」という数字が出て、掛け金の35倍でとんとんになった。
朝6時までカジノにいて疲れたが、35倍もの数字を当てた快感は忘れられなかった。

67日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月6日)
関西の学生が1人今日タイに出発したので、4人用の部屋に空きができたので、
僕はホテルを移った。まさやん・学生君・関西の大学生の女の子ともこちゃんと僕の4人となる。
今日はカトマンズは1日中雨。
そのため誰もどこへも出かけず、ホテルのベッドで何をすることもなくいた。
完全に4人はへたれになっていた。
雨が上がるまでは何もするまいと、ベッドでずっとごろごろしていた。

68日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月7日)
今日は学生君がタイへ行く。
今日はデモの日だかストライキだがの日で、いつものカトマンズと様相が違う。
店は閉まっているし、車の交通がほとんどない。あちこちに警備隊が歩いている。
こんな日に空港は大丈夫なのだろうかと心配して、学生君を空港行きのバス乗り場まで送っていく。
空港行きのバスには機動隊員が同乗していて、緊迫した雰囲気だった。
しかし午後になると、何ともなかったかのように普通のカトマンズに戻っていた。
一体今日は何の日だったのだろうか。
現地の人に聞いても答えがみんなバラバラなので真相がよくわからなかった。
これでカトマンズに残っているのは3人になった。

*残った1人の関西の大学生ともこちゃんの旅エッセイのページをご覧ください。

69日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月8日)
雨の日も終わりストライキの日も終わり、天気も良かったので小旅行に出かける。
大きな荷物はカトマンズのホテルにおいて出かける。
ローカルバスで1時間半かけてパナウティという小さな村で古い寺院を見る。
そこから少し戻って、古の都、バクタプルに到着。
村全体がそのまま古都の姿を残していて、タイムスリップしたような気分になれる。
さらにそこからバスに乗って山を上り、ヒマラヤ山脈の展望台、ナガルコットに行く。
夕方17時頃に着いたが、夕暮れの中に白い山脈郡の姿が美しく見えた。
夜は街灯もなく真っ暗なので、空にはたくさんの星が輝いている。
僕は旅に出て、何度となく美しい満天の星空を眺めた。
なんて贅沢なことなんだろうかとその度に思う。

70日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月9日)
朝4時半起床。ヒマラヤ山脈の良く見える展望台まで宿の人の車で行く。
展望台には6時に到着。暗闇の中待ちつづけると、朝日が昇り、雲海の上にヒマラヤ山脈がばっちりと見えた。
ポカラのサランコットの丘に見た時よりはるかに見えた。
わずかながらチョモランマも見えた。
僕は山脈の背後にあるチベットからこのネパールに来たのだなと思う。
7時に戻ってくると、そこから山を下っていくトレッキング。
サクーという村まで山道を下っていき、3時間近くひたすら歩いた。
山道の傍らで生活している人を見ながらトレッキングするのは気持ちが良かった。
サクーからバスに乗ってカトマンズには14時過ぎに戻った。
夜はまさやんとともこちゃんと3人でネパールの居酒屋に行った。
じゅうたんが敷いてある部屋で、日本の居酒屋のような雰囲気だった。

71日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月10日)
彼女がネパールに来るまであと3日。もう何もすることはなかった。
ホテルの部屋が屋上の部屋に移ったので、ホテルの屋上で日光浴をする。
青い空を見上げながら、日本から送ってきてもらったミスチルのライブCDを聞く。
ホテルから半径1kmも出なかった1日。
まさやんと夕食は妙にキムチが食べたくなって、韓国料理屋に行く。
ビビンバが150ルピー(約220円)。
ネパールの食費では随分贅沢してしまったが、それだけの価値が十分にあった。
ネパールは食べ物がおいしくて安いから長居ができるのだと思う。

72日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月11日)
今日は用を片付ける。
両替をして、書いた絵はがき数枚を日本に送り、
みやげ物や撮影済みのフイルムや書いたノートなどを日本に小包で送る。
インドに備えて極力大事なものはこのネパールから送ってしまうことにした。
みやげもネパールが物価が安いのでここで買ったものを送る。
あとは屋上で日光浴をして、そこでチャイを飲んだりし、本を読んだりする。靴も洗った。
いつまでこの極楽屋上日光浴の生活が続くのだろうか。
日本は、働いていた頃の僕は、はるか彼方に遠ざかっていく。

73日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月12日)
いよいよ明日、彼女が来る。
今泊まっているホテルは僕は気に入っているが、
トイレ・シャワーは共同で、シャワーは熱いお湯は稀にしか出ないし、部屋にありんこは歩いているので、
日本から来た人が旅行に耐えうるまともなホテルを探す。
3軒ホテルを回り、1泊1000ルピー(約1600円)の超快適で清潔な中級ホテルを予約する。
それが終わると、再び屋上で日光浴。
何もすることなく、異国の安宿の屋上で陽にさらされていると、この上ない虚脱感で、
どこかでこんなことをしていていいのだろうかという罪悪感を感じながらも、恍惚の中に身を置いている。
「幸せだ」と僕は何度もつぶやいた。
会社を辞めて旅に出た甲斐があったなあと、屋上の日光浴を日課とするようになって感じた。
夕方、ホテルにある謎のマッサージルームのねえちゃんに呼び止められる。
マッサージルームのからくりを聞く。ビールやモモをおごってくれた。
そこに「なすび」と名乗る日本人が連れられてきた。
僕はからくりを知っているので部屋を出た。
なずびと名乗ったあの日本人はどうなったのだろう。

74日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月13日)
今日、彼女が日本から来る。といっても夜に到着する。
もう本当にやることがない。
今日も午前中はずっと屋上で日光浴をしている。これが最後だなと。
せっかく高いホテルを予約してあるのだからと、14時にチェックインして、昼寝する。
18時半カトマンズ空港到着予定だが、早めに行って空港で待つことにする。
17時半ぐらいに空港到着。
僕と同じように、一人長旅をしていて空港で彼女と待ち合わせしている日本人旅行者がいた。
彼もチベットからネパールに入った人だった。
2ヶ月ぶりに彼女と会う。ネパールのカトマンズ空港で待ち合わせなんてうまくいくのだろうか。
日本からの飛行機が着くと、彼女が一番に外に出てきた。
うれしかったが、不思議な気分だった。一体ここはどこなんだろうか。
夕食は、僕が今まで生きてきた中で一番にうまいピザの店に行って食べる。
明日からわずかだが、彼女と共に旅行をする。

75日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月14日)
今日はヒマラヤ山脈を見るために、カトマンズを離れ、ナガルコットに泊まる。
朝食は、1階がパン屋で自分の好きなものを選び、2階のテラスレストランでコーヒーを頼んで食べる。
ネパールの朝食がこんな洒落たものとは彼女は思わなかっただろう。
それからローカルバスに乗って1時間。タイムスリップしたかのような古都バクタプル観光。
そこからローカルバスに乗ってナガルコットに行こうと思ったが、白タクに声を掛けられる。
割に安かったので、少々あやしいが白タクに乗って山を登り、ナガルコットに到着。
着いたところで、この前1人で行った時のホテルの兄ちゃんに会い、明日の頂上までの車をお願いする。
静かな山間の村でチャイを飲みながら、2人で旅行の計画を立てる。
街灯が全くないので星空は美しかった。

76日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月15日)
4:30起床。車が迎えに来て頂上までジープで連れていってくれる。
朝日、雲海、ヒマラヤ山脈。そして温かいチャイを飲む。
初日の出にきたような気分。
ホテルに帰って朝食を取り、カトマンズにローカルバスで帰る。
オンボロバスは屋根まで一杯。運良く座れた。バスにはヤギも乗っていた。
カトマンズに戻ると、安くてうまいチョウメン(やきそば)とモモ(ギョーザ)を食べる。
それからバイクタクシーに乗って20分。古都パタンに行く。
2年前、僕が1人で来た時、突然の雨が降ってきて雨宿りしたレストランに、彼女と2人で入る。
不思議な気分だった。2年後にまたネパールに来るとは思いもしなかったし、傍らに彼女がいるとも思わなかった。
夕食は、インド料理屋に行き、カレーとナンを食べる。
インドに行けば嫌と言うほど食べれるだろうに、このカレー屋はうまくて何度も足を運んだ。
もう彼女は明日日本に帰る。

77日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月16日)
今日はカトマンズを観光する。
猿がうようよいるモンキーテンプルことスワヤンブナート。
ネパールで最大の仏塔ボダナート。
ヒンズー教の聖地で、火葬も行われるパシュパティナート。
そしてカトマンズの中心地、ダルバート広場。
時はあっという間に過ぎていく。
1人で旅している時の時間とは何倍も早さが違う。
たったの4日間だったが、ネパールを十分満喫してもらったことだと思う。
夜、日本行きの飛行機は、ともこちゃんと同じだったので、待ち合わせして一緒に空港に行ってもらった。
また1人の旅が始まる。

78日目 カトマンズ(ネパール)(1999年10月17日)
もうカトマンズに1ヶ月近くいた。
することもないし、彼女も日本へ帰っていったし、次の国インドを目指す。
夜19:30、カトマンズ発インドとの国境行きのツーリストバスに乗る。
「ツーリスト」バスと言っても僕以外に乗っているのはすべてインド人だった。
ネパールに遊びに来たインド人用のバスに日本人僕1人。
妙に心細い。これからインドだと気合を入れなおす。
久しぶりに長距離を移動する。