哀愁の町、ブダペシュト かさこワールド 写真貸出


・ブダペシュト3景




「ブダペシュト」をご存知だろうか。
聞いたことはあってもどこにあるかわからない。
そう、ほんの数日前まで日本のバカなマスメディアが騒いでいた、
もう死語になるのは時間の問題のアヌシュ選手の母国ハンガリーの首都である。

ブダペシュトのはじめの印象は「哀愁の町」。
なんというかな、とても物悲しいというか、でも別に暗くて寂しいだけではないんだけど、
でもやっぱり、歴史の重みが歩いていてもずしんと感じられて、
やっぱり旧共産圏の国なのかなという、底抜けの明るさがなく、
でもここには落ち着いた暮らしが確かにある、一国の首都たる町並み・・・。
そんな印象を持った。

オーストリアの首都ウイーンはすぐそば。
ウイーンまでバスや電車でもたった3時間の距離。
にもかかわらず、ウイーンの町の印象たる「明るさ」とは程遠いのである。
とても不思議だなと思う。
私は町の中心部に滞在し、この町の素晴らしい夜景を見に歩いていったのだが、
家は廃墟のようだし、歩く人が実に少ないのに驚いた。

だからこそ逆に、西側諸国の有名都市に飽きてしまった人々にとっては目新しいのか、
観光客は非常に多い町でもある。
特に、ドナウ川に面した小高い丘の上に建つ王宮と鎖橋の美しさ。
それは「哀愁の町」からぱっと飛び出した、素晴らしい光景だ。
ご覧のように時間帯によってもその姿は変化する。
川沿いにある船上レストランで時間によって移り変る景色を望むのは実に贅沢だ。
歴史と文化のある国の景色はまったく違うな。
アメリカのようにモノクロにする必要がない。
どこを撮っても絵になる。
それだけ歴史が息づいて、今もしっかりと根付いているからだろう。

・ブダペシュトが「哀愁の町」の理由
「ブダペシュトは哀愁の町だ」と私は評したが、
その印象を裏付けるようなことを現地在住の方から聞いた。
「哀愁」というかようは首都にもかかわらず非常に寂しい印象を受けたのだが、その理由として空き家が多い。
町の中心部、観光の中心部のすぐそばにあまりに空き家が多いのは、
ほとんどそれは元ユダヤ人の住居だったからだそうだ。

ハンガリーは結構人種差別がひどい風潮があったらしく、大戦中、ユダヤ人を次々と追い出した。
どうもその多くが空き家になっているらしいのだ。
空き家になっているのをいいことにジプシーが何年も住み着いたらしいのだが、
それも追い出して、多くの家が空き家のまま打ち捨てられているらしい。
多少、工事をして新しい建物にしようとしているところも見掛けたが、
それが現地の人に言わせれば「近年まれにみる建設ラッシュ」とのこと。
そんな状態だから町の中心部を歩いていても、町に生活臭が漂ってこないのだ。

さらにハンガリーという国民は非常に悲観的で自殺者も多い国らしい。
ようは根が暗い国民性らしく、華やかな印象が町から漂ってこないのは、
そういったことも遠因になっている可能性は高い。

また、言語的にハンガリーは他のヨーロッパ諸国とは大きく違っているらしい。
もともと遊牧民族系が祖先で、文法はどちらかというと日本に似ているという。
逆にいうとそのほかの周辺諸国は言葉が違っても非常に似ているのに、
ハンガリーだけは言語体系が違うので、他の諸国と言葉面での「壁」があるそうだ。
確かに、私が「チェコ・ポーランド・ハンガリー」のガイドブックを作った時も、
チェコ語とポーランド語は単語が非常に似ているのに、ハンガリーだけまったく違うのを奇異に思った。
そういった言語学的な異質感のために、ヨーロッパの辺境というかヨーロッパの外れ的な意識があるせいか、
華やかはウイーンや西欧諸国にいまだに馴染めず、
旧共産主義的な空気をなんとなく町に残していると思わせてしまう原因なのかもしれない。

「旧共産主義」という意味では、いまだにこの国は共産主義時代のサービス精神のなさを引きずっている、
数少ない国といえる。
複数の現地在住者が口をそろえて、この国のたらい回し主義と職務怠慢主義をののしっていたが、
確かにいわれてみれば、レストランやカフェなどの対応は異様に遅い。
ウエイターの目の前に席についているのに一向にオーダーを取りに来ない。
はじめはそれがアメリカ人的な日本人の小僧1人なんぞどうだっていいんだというような、
ある種の人種差別的対応をわざとしているのかと思い、
オーダーを取りに来ないなら別の店に行こうと何度か思ったが、
実はそういう意味合いはなく、ほんとに仕事にやる気がなく、気がつかないだけだということに、
何日かいるうちにわかってきた。

私がハンガリーで最もよく聞いた言葉は「モメント」(英語のmoment)。
つまり「待て」ということである。
席に着く。メニューをくれという。すると嫌な顔して「モメント(待ってろ)」。
追加で注文を頼もうと思い、呼び止めると「モメント」。
待ってろといって来るならいいが、結構忘れてることが多い。
でも新人類は明らかにいるわけで、そんな時「メイアイヘルプユー」と声をかけてくれるスタッフがいて、
再度同じことを繰り返すとそのスタッフがやってくれたということはフォローとして付け加えておこう。

ちなみにお会計にも非常に時間がかかる。
「チェック」といってからお会計してくれるまでかなりの時間を要する。
これでクレジットカードやらおつりやらが発生するとまたかなり待たされる。
日本人のせわしないほどの迅速さに慣れている人はもうこれだけで苛立つこと間違いないだろう。
でも慣れてくるとむかつかない。
アメリカ人のようにわざとやっているわけじゃない。
彼らはそういう国民性なのだ。
いってみればスローフード、スローライフを実践している数少ない人種なのだ。

だから腹立ててはいけない。
ただ忙しくないのに嫌な顔して「モメント」といわれるのはちょっとムカっとくるけどね。
嘘でもいいから申し訳なさそうに「モメント」といってくれればいいものの、
プライドが高いのか「そんなの気づいてるんだよ」といわんばかりに「モメント」という輩が多い。

話はそれたが、そんな国民性も、いまだに取り残されたような「哀愁の町」的雰囲気の一因になっているのかもしれない。
ただ付け加えておくならば、虚無の町アメリカとは違って、
重層的な歴史がある町なので、寂しいけど行くに値する場所であることには間違いない。

・cfプラハ
「哀愁の町」とブダペシュトを評したが、ブダペシュトからプラハに移動し、
私のその評価が非常に間違ってはいなかったことに気づいた。

旅行のツアーを見るとわかるように「ウイーン・プラハ・ブダペスト」は、中欧三都でひとくくりとなっている。
日本からの直行便もあり、みどころも多いウイーンのみ別格にはなっているが、
プラハとブダペシュトは均等に扱われている。
しかししかし、私はプラハに来て思った。
ウイーンとプラハを同一に扱い、ブダペシュトは他の2都市と一緒にしてはだめだと。

ブダペシュトからプラハに来て最も驚いたことは人と店の数である。
「こんなにも人がいて、こんなにも店があるのか」と急に私はど田舎から大都会に戻ってきたような、
そんな感覚を覚えたのである。
実際、通りを歩いている人の数は20倍ぐらいいるんじゃないか。
店の数も20倍ぐらいあるだろう。
(これは決して大げさな表現ではない!)
多分、ウイーンのにぎやかさと同じぐらいだと思う。

そのことをチェコ人のガイドに話すと、彼女はこういっていた。
「ブダペシュトから来る旅行者はみんなこういう。ブダペシュトはエンプティーだと」

なるほどエンプティーとはまさに的を得た表現かもしれない。
プラハやウイーンに比べたら人も少ないし店も少ない。
それが小さな田舎町なら何の問題もないんだけど、建物や町だけは非常に大きいから、
そのギャップが「哀愁」を感じさせるのだ。
そうだよな。私は間違ってなかったよな。

建物の形や町の作りはそうたいして変わりないのに、なぜこうも違うのだろうか。
人がいない、店がないことはともかく、町から漂う印象の決定的な違いは「色」である。
ブダペシュトもプラハも建物は同じで、とても古くて重厚な印象を与えるけれど、
プラハの建物は明るいカラフルな色が塗られている。
それが町の印象を大きく変えている要因の1つだ。
ハンガリー人に「色」があることを教えてあげたい。
まあ所詮、人が住んでいない廃墟が多いブダペシュトに、
建物だけカラフルにしたところでその空疎感は変わらないだろうけど、でもまあ少しはましになるだろう。

しかしチェコ人ガイドさんから聞くところによると、プラハの建物がカラフルになったのは、
「民主化」つまりは共産時代が終わった後のことであるという。
抑圧された政治社会が変わると、建物の色さえ変わってくる。
実に示唆的な事実だ。

しかし同じく民主化したハンガリーはなぜ建物に色をつけないのか。
もともとの国民性がそういう気質だから、プラハのように政治体制が変わっても、
建物に色をつけるという発想が浮かばないのだろう。

こうして私はプラハに来たことで、ブダペシュトの町の哀愁の度合いがずば抜けていることを認識したのである。
ま、プラハと比べるのはちょっとかわいそうなのかもしれない。
モスクワとかブカレストとかソフィアとか、その辺と比べるのが妥当なのかもしれない。

そういう意味で、旅行ツアーも「ウイーン、プラハ、ブダペスト」にしては本当はいけないのかもしれない。
だってもしこの順番でいったら、すごくブダペシュトだけが格段に落ちた印象に思えてしまうだろうから。
ブダペシュトのためにもこの組み合わせは考え直した方がいいかもしれない。