カトマン沈遊記 かさこワールド カトマン沈遊記目次


・マッサ−ジル−ムの魅惑
ミニオムホテルの2階には、壁に赤ペンキで「マッサ−ジル−ム」と書かれたあやしげな部屋があった。
大抵は扉が閉まっていて中はよく見えなかった。このあやしげな部屋の中で一体どんなことが行われているのだろうか?と、
この部屋の前を通る度に気になっていた。だから時折扉が開いていると、興味津々にちらっと部屋をのぞきこんでみるのだが、
水色の壁にただ椅子が二つ置かれている手前の部屋が見えるだけで、その奥にあるもう一部屋までは見えない。
まさしくこの奥の部屋こそがあやしげなことが行われている場所に違いないと思っていたが、
このホテルを教えてくれたひしさんいわく、いかがわしいマッサ−ジではなく普通のマッサ−ジだが、
結構値段が高いのでマッサージしたことはないとのことだ。
別にいかがわしいマッサ−ジをしてもらうつもりはなかったが、普通のマッサ−ジと聞いて、なんだか急速に興味を失ってしまった。
あやしげなことが自分が泊まっているホテルで行われているというだけで妙に興奮したのに、と思っていたのかもしれない。

ミニオムホテルに泊まってもう何日が過ぎただろうか。ひしさんはもう日本に帰ってしまったが、
しばらくするとチベットで知り合った日本人旅行者のまさやんがこのミニオムホテルを訪ねてきたので、
4つベットのあるモナリザル−ムに一緒に泊まっていた。そのまさやんが、ある日のこと、神妙な顔つきで部屋に戻ってくるやいなや、
「マッサ−ジル−ムにいる若い女性に求婚された」
というのである。

「求婚?!」
あまりの唐突な話に何事かと思い詳しく聞くところによると、この部屋に戻る途中、
2階でマッサージルームの女性に呼び止められ、声を掛けられたというのだ。
「あなたは日本人ですか」
 「はい」
 「あなたは結婚していますか」
 「いいえ」
 「あなたはネパ−ル人が好きですか」
 「はい」
「じゃあ、私と結婚してもいいよね」
という強硬な3段論法で求婚されたというのである。

なるほど。日本人で未婚でネパール人が好きなら、私と結婚することに何の問題もないでしょというわけである。
そんな強引な問答に思わず笑ってしまった。
「いや、結構しつこくって困ったよ。結婚を断ると悲しそうな顔で、
『じゃあ、あなたはさっき嘘をついたのね』なんて言われるんだから。たかさんも気をつけた方がいいよ」と、
まさやんは真剣な顔で忠告してくれた。僕にとってはなんだかおかしくて仕方のないただの笑い話にしか思えなかった。
きっとまさやんはからかわれただけなのだから。

その笑い話はともかくとして、まさやんの話に別の意味で僕は興味を持った。マッサージルームに若い女性がいたということだ。
若い女性と聞いて、やっぱりあそこはいかがわしいマッサージの部屋なのではないかと僕は思ったのだ。
まさやんに求婚したのはそういって部屋に連れ込んで商売をしようとしたのではないか。僕はマッサージルームの部屋に再び興味を覚えた。

まさやんから話を聞いた翌日のこと。
僕はいつものようにお気に入りの食堂でチョウメン(やきそば)とモモ(ギョーザ)という昼食をとり、
その後はぶらぶらタメル地区にあるみやげ物屋をひやかしながらホテルに帰ってきた。
今日も満腹、昼寝でもするかと階段を上っていると、マッサージルームの前で、
まさしく昨日まさやんの言っていたと思わしき女性にばったりと出会ったのだ。
目鼻立ちのぱっちりとした、とてもかわいい女の子だった。花柄の薄手のワンピースを身にまとった姿はなかなか色気があった。
そして笑ってしまうほど見事に、例の3段論法を僕にも言ってきたのである。

 「あなたは日本人ですか」
 「はい」
 「あなたは結婚していますか」
 「いいえ」
 「あなたはネパ−ル人が好きですか」
 「はい」
 「じゃあ、私と結婚してもいいよね」
「いや…その…」

やばい。これでは全くまさやんと同じではないか。
「結婚していなくてネパ−ル人が好きで、なぜ私と結婚してくれないの?」
と、甘えるような声で耳元にささやいてくる。
「結婚してくれないの?」
と、執拗に求婚を迫ってくる。

「私はかわいくないの?」と聞かれ、「いやそんなことはない」と答えると、余計に「じゃあなぜなの?」と問い詰められる。
別にお世辞ではなく彼女はかわいかった。しかしだからといってこの場で会ったばかりで結婚を迫られても困る。
冗談で「じゃあ、結婚しようか」とも言える雰囲気にもないし、からかわれていることはわかっているが、
どうしたらこの場から逃げ出せるのかよくわからない。「昨日、同じことを友達にも言ったくせに」と言おうかとも思ったが、
そのかわいらしさゆえにそういった反論ができなかった。

それにしてもなぜ彼女は出会う日本人を捕まえては結婚しようと言うのだろうか。
本気で結婚しようと言っているようには思えないし、かといってからかうだけにしては随分と真剣な演技をする。
やっぱりあやしげなマッサージルームの客引きのためなのではないか。
その真相を探り出してやろうと、結婚の話をそらして彼女にいろんなことを聞いてみたが、
何を言っても「じゃあ結婚してくれる?」という話に持っていかれてしまうのでらちがあかない。
困り果てているとちょうどその時、タイミングよくホテルの受付をしているホテルの息子が来てくれて、
「サンギ、やめないか。この人はここに泊まっている人だ」
といって助けてくれた。
「なによ。いいところだったのに!」といわんばかりに、彼女は僕から手を離すとマッサージルームに消えていった。
そのおかげで僕はこの場を逃れられたが、マッサージルームへの興味は増すばかりだった。

その翌日、再び僕は彼女とまたばったり会ってしまった。といっても同じホテルにいるのだから、会う確率は相当に高いのだが。
すると彼女は昨日の3段論法はせず、
「マッサジ−ル−ムに遊びにこない?」
と、いかにも慣れた風に僕を誘った。
「いや、僕はマッサ−ジはしない」
と言うと、彼女はかわいげに、
「オンリ−ト−ク!オンリートーク!」
と僕を熱心に誘った。本当にト−クだけだねと念押してから、僕は彼女と謎のマッサ−ジル−ムへと入っていった。

二部屋あるうちの手前にある、ただ椅子だけが置かれている部屋に二人で座った。
一体「オンリ−ト−ク」というものの何を話すのだろうかと思ったら、やっぱり昨日の3段論法をここでも繰り返した。
私と結婚しようと再び迫ってくるのである。しかし僕が話を別の方へそらすと、昨日とは違って結婚の話はあきらめ、普通の会話をしてくれた。

名前はサンギと言った。彼女は大学生で19才だと言っていた。
確かまさやんには18才だと言っていたはずだと思いながらも、いずれにせよそのぐらいの年令であるようには見えたので、
敢えてそのことは言わなかった。とにかく若くてとてもかわいらしい女の子だった。
「このマッサ−ジル−ムには学校が終わってから来て、いつも夜19時になると帰るのよ」
「19時に帰っちゃうんだ」
「だって夜遅くなるとお母さんに叱られるでしょ」

19時に帰ってしまうということは、やはりここはいかがわしいマッサ−ジではないのだろう。
それにしてもお母さんに怒られてしまうからというわりには、マッサージルームで働くのもどうなのかなと思った。
そんなに早く帰るということは家がここから遠いのかなと思って、家の場所を聞くと、
「リングロードのバスステーションの近くなの」
「なんだ、それならバスで20分ぐらいのところじゃないか」
「えっ、バスじゃなくてタクシーで帰るのよ。いつも」
「えええ!タクシー使うの?毎日そんな短い距離で」
と僕が驚くと彼女は平然とこう言った。

「だってバスって危険でしょ」
僕はリングロードのバスステーションまでローカルバスに乗ったことがあっただけに、「危険」という意味がわからなかった。
別に乗った感じでは危険なことは何一つなかったように思う。こんな近くの距離でタクシーを使うということは、
彼女は地元ではお金持ちのお嬢様なのかもしれない。

彼女はこのマッサ−ジル−ムを「マイオフィス」と呼んでいた。
19才の大学生が自分のオフィスを持って一体どんな商売をするというのか?
マッサ−ジはいくらするのかと興味のある質問をしてみると、棚に置いてあった料金表を見せてくれた。
そこには英語で「リラックスマッサ−ジ:1000ルピ−」と表の一番上にあり、
その他にも何種類かのマッサ−ジがあって、だいたい1000〜1500ルピ−の値段だった。
日本円で約1600円〜2400円ぐらい。確かにこの値段ならいかがわしいマッサ−ジなら安いような気はしたが、
普通のマッサ−ジにしては高いと思った。ひしさんがここのマッサージの値段は高いと言っていたのはわかるような気がした。

「マッサ−ジの仕事は大変じゃないの?」
  「私はマッサ−ジはしないの」
「え?マッサージしない?だってここはサンギのオフィスでしょ」
「そうよ。でも見て。私は腕も細いし力もないのよ。私がマッサ−ジできるわけないじゃないの。別の人がするの」

別の人とは、僕らが話している時に何度か部屋を出入りしていた、ふとっちょのおばさんのことらしかった。
確かに言われてみればそうだ。普通のマッサ−ジには確かに力がいるだろう。 
「じゃあサンギはここで何をしているの?」
当然の疑問だった。
「私はね。客引きしてるの。私は若くてかわいいでしょ。だから私が声をかけるの。
そうするとみんな私がマッサ−ジしてくれると思って入ってくるでしょ。でもマッサ−ジするのは私じゃないの」

なるほど。そういうことか。ぬけぬけと自分で自分のことをかわいいなんてよく言うよな。
でもそれは本当だった。自分の美貌をよく自分自身でわかっている。確かに彼女の言うとおり、
彼女にマッサ−ジしないかと声を掛けられたら、世の男どもはみんな勘違いして誘いに乗ってくるだろう。
しかしマッサ−ジするのは彼女じゃない。あの大女のおばさんなのだ。いろいろと工夫してるんだなと妙に感心してしまった。
じゃあこの前のまさやんや僕に対して声を掛けたのは、マッサージルームの客引きのためだったのかな?

マッサージルームのからくりを彼女が僕に教えてくれたので、さらにもっと調べてみようと僕は隣の奥の部屋を見せてもらうことにした。
それは商売の秘密だかただめだとかって言われるかなとも思ったが、あっさり見せてくれた。
部屋を見せてもらえばそこがいかがわしいマッサ−ジなのか、普通のマッサ−ジなのかわかる。
僕にはどうにもここが普通のマッサージとは思えない節があったからだ。

奥の部屋に入ると中央をベニヤ板で二つに仕切り、即席のドアがそれぞれについて、いちよ個室のような形になっている。
ドアを開けるとそこには布団が敷いてあった。それが妙に生々しくて、
これを見せられたら客はいかがわしいマッサ−ジだと勘違いするだろうなと思った。
それが作戦なのか、それとも本当にここでいかがわしいマッサ−ジが行なわれるか。部屋の感じはどう見てもあやしかった。

奥の部屋を見て謎は深まるばかりだった。隣りの部屋に戻ってきて、また話を続けていると、
彼女はミニオムホテルにある1階のレストランで、チャイ(ミルクティー)とモモ(ギョーザ)を頼んでくれた。
しかもそれを僕におごってくれた。それからまもなくするとマッサ−ジをするおばさんがビ−ル瓶抱えて陽気に入ってきて、
ビ−ルの栓をいとも簡単に口でこじ開けると、僕とサンギにビールをくれた。
モモは、「お口あけてあーんして」みたいな感じで彼女が僕の口に運んでくれ、さらにはビ−ルまでもそうしてくれた。

なんでこんなに僕を歓待してくれるのだろうか。まさか僕を酔い潰して金を取ろうっていうんじゃあるまいなと、
少しばかり警戒はしていたが、サンギにしてもおばさんにしても僕を気に入ってくれたかららしく、3人で楽しくわきあいあいと話をしていた。 すっかり3人で打ち解けて会話を楽しんでいたところに、マッサ−ジル−ムに客が入ってきた。
小太りのネパ−ル人中年男につれられて入ってきたのは、なんと日本人で、しかも僕と同じぐらいの若者だった。
共に顔を見合わせて驚いた。入ってきた彼にしても日本人の先客がいるとは思わなかっただろうし、
僕もまさかこのいんちきマッサ−ジに日本人が来るとは思いもしなかった。
どちらかが話しかければ日本人同士で会話をしたのだろうが、場所が場所だけに、場面が場面だけに、
どちらも視線をさっと外して、互いに会話をすることはなかった。
そんな二人の日本人の駆け引きをよそに、彼を連れてきたネパ−ル人とおばさんとの間では何やら話が始まっていた。

おばさんが入ってきた、僕を歓待してくれた様子とはかけ離れた険しい表情で、その日本人に名前を聞いた。
すると彼は思いがけない答えをした。
「なすびです」
「なすび? おへー、ぷっー」

僕は必死で笑いをこらえた。確かに言われてみればお笑い芸能人のなすびに似ていないことはない。
身長は高く、そして顔は長かった。しかし名前を聞かれて「なすび」と名乗るのはどないなもんか。
僕はぐっと笑いをこらえて、これはおもしろくなったぞと思い、ことの成行を見守ることにした。
連れてきたネパ−ル人がそのなすびと名乗る男に、
「おまえはどっちにマッサ−ジしてもらいたい」
と、聞いた。当然なすびは迷わず若いサンギを選ぶ。するとサンギはネパ−ル語で激しく何事かまくしたて、そして隣にいる僕に突然抱きついた。
おいおいなんだかやっかいなことに巻き込まれなければよいが。僕がいるから私はマッサ−ジはしなのよと言っているように思えた。
これでなすびと僕とは完全に敵になってしまった。

もしこの時、なすびが僕に日本語で話しかけてきて「事情を説明しろ」と言われたら、何と答えようかと僕は困っていた。
このマッサ−ジル−ムのからくりを明らかにしてしまっては、サンギやおばさんに悪い。
かといってみすみす同じ日本人旅行者が金を吸い取られるのを見過ごしていいものだろうか。
同じ旅行者として、旅行者同士助け合えることがあるならしたかった。しかし彼は僕を完全に無視していた。

再び、連れてきたネパ−ル人とおばさんとの間でネパ−ル語で何やら激しい議論が繰り広げられた後、
なすびとそのネパ−ル人は奥の部屋に通された。いよいよ何かが始まる。これからどうなるのだろうかと僕はじっと座って、
聞き耳を立てて待っていた。サンギは奥の部屋には入らず、おばさんだけが奥の部屋に入っていった。
まだ連れてきた男とおばさんとの話し声が続いていた。
5分もしないうちに一行は奥の部屋から出てきた。連れてきたネパ−ル人がなすびに、
「明日なら大丈夫だ」
と言っている。なすびは不服そうな顔をしていた。

そりゃそうだろう。何と言って彼がここへ連れられてきたのか知らないが、
なすびの頭の中はいかがわしいマッサ−ジをしてもらうことで一杯だったのだろう。
それがわけのわからぬうちに、また明日来いと言われたらさぞかし不服だろう。
それでもなすびは「大人しく明日来ればいいんでしょ」というような表情であきらめて部屋から出ていこうとした。その時だった。
 「おい!」
おばさんが出ていこうとした彼らに鋭い声を掛けた。連れの男は困惑した様子でなすびに申し訳なさそうに説明した。
 「さっき飲んだラッシ−(飲むヨ−グルトのようなもの)代を払えって」
 「いくら」
 「100ルピ−」

100ルピ−だって!このホテルにあるレストランのラッシ−の値段は15ルピ−ぐらいなものだ。
それをあのおばさんはぬけぬけと100ルピ−とほざくのだ。これはさすがになすびも怒るだろう。
マッサ−ジはしてもらえないは、ラッシ−代で100ルピ−払わされるは、文句の一つも言わないほうがおかしい。
これはおもしろくなったぞと僕は脇でじっと見守っていると、なんとなすびはあっさりと財布から100ルピ−を払ってしまったのだ。

なんだよ、あいつ。バカだな。なんで100ルピ−もあっさりと払っちゃうんだよ。
これだから日本人は海外でバカにされるんだよ。僕は意外ななすびの行動に憤りを感じた。
おばさんやサンギとは仲良くなった僕だが、日本人旅行者の彼には、自分の力でこの場を切り抜けて欲しかった。
彼らの言うままに、15ルピーのものに100ルピーもお金を簡単に払ってしまうなんて。
文句の一つも言って欲しかった。彼らに旅行者がなめられたままで終わって欲しくなかった。

あっさりと金を払って一行が部屋から出ていこうとすると、再びおばさんが鋭い声で彼らを呼び止めた。
まだ、何かあるのだろうか?一体何が始まるのだろうか。なんと今度はお金の請求ではなく、彼らは奥の部屋へと通されたのだ。
ラッシー代に100ルピーも文句も言わずに払ったことで、こいつは金払いがいいと認められたのだろうか。
そして今度は僕がこの部屋から追い出される番だった。サンギが極めて申し訳なさそうに、
僕にしばらく部屋を出てくれないかと言った。またこれから何やら始まるのだ。いよいよ商売の始まりなのだろう。
その修羅場の場面にからくりを知っている日本人の僕がいてはまずいのだろう。

サンギは僕を部屋の外まで送ってくれた。
「ごめんね。あなたがいるとね。ちょっとまずいの。わかるでしょう?」
と言った後、彼女は突然、僕の唇に軽くキスをした。
僕はその思いがけない行動にその場に立ち尽くしてしまった。
サンギは部屋に戻ると、マッサージルームの扉は固く閉ざされた。僕はその前でただ呆然としていているだけだった。

彼女のキスは一体何だったのだろうか。
あこぎな商売をしている彼女のことだ。男をたぶらかすことぐらい朝飯前だろう。でもだからといって唇にキスをするだろうか。

サンギのキスのぬくもりがいつまでも僕には忘れることができなかった。
その後、なすびがどのような目に合ったかはわからない。きっとラッシー代だけでなく、
今度はマッサージ代として法外な値段を取られたことだろう。
ただ僕はボッたくられたなすびを笑う資格はないのかもしれないと思った。
なすびと同じように僕もマッサ−ジル−ムの魅惑に惑わされているのだから。