カトマン沈遊記 かさこワールド カトマン沈遊記目次

・ジュエルビジネス
旅行者の集まるタメル地区を歩いていると、何かしら必ず声をかけられる。
「トレッキングに行かないか」という誘い。「エクスチェンジマネ−」と声をかける闇両替屋。あらゆるみやげ屋の客引き。
靴を直してあげるという靴の修理屋。「ハッパ、ハッパ」と寄ってくる麻薬売り。
英語で声をかけてくるのがほとんどだが、中には流暢な日本語で話し掛けてくるものも多い。

今日もまた特にやることもないので、近くにある日本の古本がたくさん置いてある本屋に行って、
本を買ってきて暇つぶししようと思った。いちよネパールの次の予定地はインドなので、
インド行きのイメージでも膨らませるかと、藤原新也の「印度放浪」という本を買った。
結構分厚く、これなら当分時間が潰せそうだからという理由もあって買った。

その帰り道、ミニオムホテルの近くで若い男に声をかけられた。
どうせ「ハッパ」か「トレッキング」の客引きだろうと思ったので無視して通り過ぎようとすると、
「あなたは僕を覚えてないですか」と妙なことを言う。
そう言われたので、知り合いなのに無視したら悪いなと思って、ふと足を止めて彼をみつめた。
確かに言われてみればどこかで会ったかもしれないが、誰だかわからない。
カトマンズに長くいるので、どこかで知り合いになった人かもしれない。
ス−パ−の店員ではないし、毎日、朝食を食べに行っているレストランの店員でもない。
バスチケットを手配してもらった旅行会社の人ではないし、一体誰だろうと考えていると、
「僕もこのミニオムホテルに泊まってるんです」と若い男は言った。
そう言われてみればそうかもしれないと思ったが、会った覚えは特にない。
まあでも客引きではないということに安心して、彼とホテルの前で立ち話をした。

「あなたは日本のどこから来ましたか?」
「東京だ」
「東京のどこか?」
ネパ−ル人は結構日本に詳しい人が多い。日本へ働きにいったことのある人が意外にも多いのだ。
だから、東京のさらにどこの場所かと聞かれることは、ネパ−ルだったらそんなにおかしくはない質問だが、
本当にこいつにわかるのかなと思いつつ、「埼玉だ」と答えると、
「おお!僕のビジネスパ−トナ−に埼玉の人がいる」と彼は喜んで言った。

もし彼が「トモダチ」が埼玉にいると言ったら聞き流していただろう。アジアにおける「トモダチ」は嘘っぱちが多い。
たとえばこうして僕と立ち話しただけで次の日には別の日本人に、「埼玉に住んでいるトモダチがいる」と話すからだ。
しかし彼は「トモダチ」とは言わずに、「ビジネスパ−トナ−」と言った。
ならば本当に日本のことをよく知っている人なのだろうと思った。

僕は同じ埼玉だということに関心を覚え、「その人は埼玉のどこに住んでいるの?」と聞くと、
「その人のアドレスが部屋にある。立ち話もなんだし、部屋に行こう」と言い出した。
別に彼のビジネスパ−トナ−の住所をどうしても知りたいわけじゃない。そのために彼の部屋にわざわざ行くのは面倒だった。
それに今の時点ではこの人を完全に信用しているわけではなかった。どこかで警戒している部分がある。
向こうから話し掛けられて、ろくに話しもしていないのに彼の部屋に行くということに抵抗があったが、
自分も同じホテルに泊まっているので、いざとなればホテルの人を呼べばいいだろうと思った。
そして何より「トモダチ」ではなく「ビジネスパ−トナ−」が日本にいるという話に興味を覚えた。
どうせホテルに帰ったってやることはないのだ。「暇だ」ということも手伝って、警戒はしながらも彼の部屋に行くことにした。

彼の部屋はミニオムホテル6階の「BO2 」という一室だった。
今、僕が泊まっている部屋の下の階で、部屋のつくりは僕の部屋と何ら変わりはない。
8畳程度の部屋に木のベットが二つおいてあるだけの部屋。彼が言うにはここを3年間借りているという。
1ヵ月4500ルピ−で借りているというから、1日150ルピ−(240円)という計算になる。
それは随分高いなと思った。僕は値切って1日120ルピ−で泊まっているのだから、
3年間も借りているならもっと安くしてもらえそうなものだ。しかも彼は旅行者ではなく、同じネパール人なのだから。
それともそんなことは気にしないぐらい金を持っているということなのだろうか。

彼は埼玉のビジネスパ−トナ−のアドレスを教える前に、自分が日本語を熱心に毎日勉強していることを話した。
ネパ−ルではよくある話。日本でもし1年でも働ければ、ネパ−ルで当分遊んで暮らせる金を稼げるからだろう。
実際に、出会ったネパ−ル人で何年か日本に働きに行ったことがあるという人に何人も会っていた。
彼もそのために日本語を勉強しているのだろう。ノ−トを取り出すとそこには五十音が書かれていたり、
いろんな単語が書かれていたりした。彼はいくつかこの言葉は日本語で何というか教えてくれと質問した。
僕は答えながらだんだん面倒になってきた。日本語教師に利用されたように思えたからだ。
別に暇なのだからそれぐらいいいとは思うのだが、どうも彼を信用できない部分があった。
早くビジネスパ−トナ−のアドレスを教えてくれとたまりかねて催促した。

「わかった、わかった」と彼は面倒くさそうに言いながら、バックから一枚の紙を取り出した。
それは日本人のパスポ−トのコピ−でその脇にはこう書かれていた。
「私は宝石についての30%のビジネスパ−トナ−になりました」
そしてサインが書かれていた。なんだこれは?僕がその意味をたずねる前に、彼は得意げにしゃべりはじめた。

「あなたもビジネスパ−トナ−になりませんか?なれば300$あげますよ」
「300$?!」
300$と言ったら約3万円である。なんでそんな大金が入るのか。
ネパールの安い物価感覚になれた旅行者にとって、3万円はえらい大金である。
宿代が1泊200円程度で、食事代が1食80円程度の生活をしている僕にとっては、大変な額である。
3万円あればネパールにあと1ヶ月ぐらいはいれる。そうしたら日本に帰って働くのも1ヶ月延期できる…。
そんな誘惑に満ちた報酬のからくりを、彼は熱心に説明しはじめた。

彼の話によると、日本に弟がいて宝石商をやっているそうだ。宝石の仕入れを彼がやっている。
仕入れた宝石を日本に送りたいのだが、340%もの税金がかかるという。
そこで日本人旅行者に声をかけて、その宝石を少しづつ分けて持っていってもらう。
宝石を渡す代わりに、日本人にパスポ−トのコピ−とビジネスパ−トナ−になった自筆のサインをもらう。
日本に着いたら弟が宝石を取りにいき、そのお礼に300$渡すというのだ。
弟は宝石を日本で1000$で売る。だから30%のビジネスパ−トナ−だというわけだ。
高額な税金を取られるぐらいなら、持っていってもらった人に謝礼として300$払った方が儲かるというのである。

確かに彼の話が本当なら筋は通っている。しかし疑問はいっぱいあった。
本当に340%もの税金がかかるのだろうか?30%ものお礼は多すぎないか?それで果たして利益が出るのか?
宝石を持ち逃げされないのか?といった数々の不審な点がある。
しかしもし本当に340%もの税金がかかるなら、旅行者にお礼を払ってでも持っていってもらった方が、
安くあがることは間違いないだろう。また彼が日本人に目をつけた点は実に理に適っている。
彼が言うには、他の外国人だと本当に宝石を届けてくれるか信用できない。
しかしその点、日本人はきちんと届けてくるから信用できるというのである。確かにその意見は的を得ているように思えた。

彼はからくりを説明しおえると、僕にビジネスパ−トナ−にならないかとしつこく誘ってきた。
僕に声をかけ部屋まで連れてきたのはそれが狙いだったのだ。
「こんな楽して儲かる仕事はない。今すぐパスポ−トのコピ−をして一筆書いてくれれば宝石を渡そう」
と、宝石を取り出して僕に突き付けてみせた。小さな箱から取り出した宝石の輝きは、
彼のうまい話をいっそうひきたてるのに役立っていた。美しい宝石を目の前に見せられると、
なんだかそのままうまくたぶらかされそうな気がしてならなかった。

確かに彼の言う通り、こんな楽して儲かる仕事はないというのはもっともだった。
しかし、じゃあすぐにここでやりましょうとは僕にはとても言えなかった。いや、やるつもりは全くなかった。
無職で異国をほっつきまわるものにとって300$という話はあまりに魅力的だったが、それはあまりにも高額な報酬すぎた。
それだけの金を払うということは、それだけのリスクがきっとあるに違いない。
ただ持っていくだけで何の問題もないのなら、300$も払う必要はないはずだ。
ハイリタ−ンがあるのは絶対にハイリスクが必ず背後にある。
しかし彼はうまいメリットの部分の話しか強調せず、それに伴うリスクの話は一切しない。
だからやすやすとビジネスパ−トナ−になる人がいるのだろう。

僕は宝石のことも知らなければ、関税に関することも知らない。知らないことに手を出すことほど危険なことはない。
だいたいこの世の中にうまい話などあるはずはない。
しかもパスポ−トのコピ−とビジネスパ−トナ−になったという自筆のサインの紙を彼に渡すということがどうにも引っ掛かった。
もし何か問題が発生したら、この紙切れは重大な物的証拠となる。
もし法に触れるようなことをしていたら、このパスポ−トコピ−に自筆のサイン入りの紙切れは、
牢獄への切符となる恐れだってあるのだ。

彼はしつこくビジネスパ−トナ−になるよう勧めてきた。
彼が熱心に勧めれば勧めるほど、かえって不信感は募っていく。
話を断ると、「なぜ断るんだ」とその理由をしつこく聞いてくる。
あやしい話だからとはさすがに言えないので、
「僕はいつ日本に帰るかわからないから」と、
彼が納得するであろう最も無難な答えを言った。いつ帰るかわからないといえば、彼も無理に頼まないだろうと思ったのだ。
ところが彼はそれでもいいと言ってきた。それを聞いてますます彼のことをあやしく思った。
いつ日本に帰るかもわからない旅行者に、はたして1000$もする宝石を渡すだろうか。
それはおかしな話だ。こういう話はすぐにボロがでる。筋が通らない部分が必ず出てくる。
彼がしつこく誘うので、僕は断るのが面倒なので考えておくと言って逃れようとした。 

すると彼はまた奇妙なことを言った。この話は日本人の友達にはしないでくれというのだ。
このパ−トナ−になる話は「グットフレンド」の「オンリーユー」だけの話だから、他の日本人には話してはだめだという。
それはおかしい。もし彼のビジネスのからくりが本当ならば、
多くの日本人に少しずつ宝石を持っていってもらった方がリスクは細分化され、大量に輸入できていいはずだ。
なのに他の日本人には言うなというのは明らかにおかしい。
これはなんとかして今ビジネスパ−トナ−にしてしまおうとする彼の戦法としか思えない。
「この話はあなただけに」「この価格は特別にあなただけに」という手法は、物を買わせるためのトリックだ。
実際はみんなに「あなただけ特別に」と言っているに違いない。

僕は考えておくということにして、しつこく誘う彼から逃れて部屋を出た。
全く実にあやしい話に出くわした。それにしても「ジュエルビジネス」か。
でも彼の話に乗ってしまう人もいるのだろうな。
宝石やお金というのは人の行動を変えてしまうほどの恐ろしい力を持っているのだから。
僕は、自分では絶対にやらないと思いながらも、300$あったら何をしようかと考えずにはいられなかった。
あぶない。あぶない。自分も気をつけなくっちゃ。それにしても、ミニオムホテル恐るべし。