カトマン沈遊記 かさこワールド カトマン沈遊記目次

・結婚したい
今日も特にやることはない。さあて何をしようかと考え、そうだ、暇つぶしに日本大使館にでも行ってみようかと思い浮かんだ。
日本の友達に絵葉書を送って、もし手紙をくれるならカトマンズの日本大使館宛てに出してくれと何人かに書いた覚えがあるので、
もしかしたら誰かから手紙が来ているかもしれない。日本大使館までミニオムホテルから歩いて30分ぐらいの距離なので、
暇つぶしにはちょうどいいなと、散歩がてら日本大使館へと向った。

日本大使館は、カトマンズでは高級住宅街のような場所にあった。
各国の大使館が集まっていて、そこで働いている人たちの家があるからなのだろうか。
バックパッカーの集まる安宿街タメルばかりを歩いている僕にとって、「閑静な住宅街」ともいうべきこの地区は、
なんだかここが同じカトマンズだとは到底思いにくかった。
カトマンズにもこんな地区もあるのだなと妙に感心しながら歩いていた。

日本大使館の外観はお金持ちの豪邸というような感じだった。2階建てで高い塀が周囲を取り囲んでいる。
入口には銃を持った門番がいて厳重な警備をしている。僕が入口に近づいていくと警備員はさっと身構えたが、
日本のパスポ−トを見せると「日本人の方ですか」と一転してなごやかな雰囲気になる。
厳重なチェックは現地の人に対して主に行なわれるようで、日本人とわかるとすっと通してくれた。

雨期がもう終わったのか天気がとても良く、暑い日差しが照りつけている外から大使館の中へ入ると、
なんとクーラーがついているではないか。まるで別天地のような外の暑さとはかけ離れた涼しい空間に、僕は戸惑いを覚えた。
それはそうだ。カトマンズでク−ラ−のついている所に入ったのははじめてなのだから。
さすがは日本大使館だなと思った。高級ホテルに泊まればクーラーぐらい当たり前なのだろうが、
タメルの安宿でクーラー付きの部屋なんて聞いたことがない。
もちろんわがミニオムホテルにクーラーなど付いているわけがない。
こんなことにカルチャーショックを受けたりして楽しんでいた。

日本からの手紙を受け取るのは「ビザセクション」と書かれている場所だった。
あれだけタメル地区には日本人が多いにもかかわらず、大使館には日本人は少なく、
日本のビザを取るために来ているネパ−ル人ばかりだったのが意外な感じがした。
そのため、応対にあたっている窓口の人はネパ−ル人で、日本大使館なのに日本人はいなかった。
日本大使館ならさぞ日本人が多いことだろうと思っていたが、窓口の人もここに来る人もほとんどが現地の人であることに驚いた。
僕以外では、僕の前に並んでいる男女のカップルの女性だけが日本人だった。

彼女は一体何をしに来たのだろうか。大学生ぐらいで旅慣れしているバックパッカー風だった。
手紙を受け取りに来たのかなと思ったが、若いネパ−ル人の男性と一緒に日本大使館に来ているところを見ると、そうではないらしい。
彼女らの番になると、窓口のネパール人に向って彼女は日本語でしゃべりだした。
窓口の人は日本語をしゃべれるのかなと興味深くやりとりを聞いていると、なんとも流暢な日本語で応対した。

「これでいいですか?」
彼女はリュックの中から何枚もの書類を取り出して、窓口のネパール人につきつけるようにして見せた。
窓口の人は書類にさっと目を通すと、「これじゃあだめだ」と、かなりきっぱりとした強い調子で言い、
投げ付けるように書類を差し戻した。
このあまりのぞんざいな態度に、一緒に来ているネパ−ル人の男性が何か言い返すかなと思ったが、
彼は何も言わず、すっかり彼女に頼り切っている様子だった。頼りなさそうな気の弱そうな男はぽつんと立っているだけだ。

その彼の態度とは対照的に、彼女は負けじと窓口に向って反論を展開した。
「じゃあ一体何が必要なんですか」
彼女も負けじと相当強い口調で言い返した。
「日本に滞在する費用を証明するものがなければだめだ」
「費用を証明するものってどんなものならいいんですか?」
「銀行の残高証明とか収入の証明になるようなものとかいろいろあるでしょう」
「彼はインドになら銀行の口座を持っているんです」
「だったらその証明になるようなものを持ってきなさい。いくらその口座にお金があるかわかるものもですよ」
「それを持ってくればビザをくれるんですか?」
「それは見てみないとわからないが、一体どのくらいそこにお金があるんだ」
「多分…3000円ぐらい」
3000円と聞いて思わず吹き出しそうになったが、やりとりはかなり真剣味を帯びていたので、じっと事の顛末を見守っていた。

「あのね、3000円で日本でどうやって暮らしていくんですか。そんなんじゃだめに決まってるでしょう」
「じゃあいくらだったらいいんですか?」
「彼が日本に滞在している期間に必要なお金の証明をもってこなければだめです」
「滞在費は私が出します!」
この言葉を聞いてぎょっと思った。

「じゃああなたの所得の証明なり銀行の残高証明なりを持ってきなさい」
「でも私は学生だから所得の証明なんてないし」
「それじゃあお話にならないですよ。親に保証してもらうとかしない限りは無理ですよ」
「いや親には言っていないし、言わないつもりだし、とにかく自分一人でやりたいんです」
「自分でやりたいって言ったってそれじゃあどうしようもないでしょう。彼を日本に連れていっても困るだけでしょう。
一体どういうつもりなんだね」
「私、この人と結婚したいんです!」

そのきっぱりとした彼女の言葉に、僕も窓口の人もあっけにとられて黙してしまった。
そこまではっきりとした宣言を聞くとは思わなかったからだ。
彼女の強い意志に困ったのか、執拗に迫る彼女にらちがあかないと思ったのか、窓口のネパ−ル人は奥へと行き、
ス−ツを着た偉そうな中年の日本人を連れてきた。多分この人が大使館の責任者ではないだろうか。
「一体どういうことなんだね。お金の証明もないし、親にも言ってないし。結婚するってあなたは何歳なんですか」
「19です」
「じゃあ親の承諾がなければだめでしょう」
「日本で成人してから彼と結婚します」
「ちゃんと親には言ったのかね」
「いえ、自分でやりたいんです」

「だってあなたはまだ学生なんでしょう。彼を日本に連れていった所で、どうやって滞在費を出すんですか。
親にも言っていない。自分は働いてもいない。彼はお金を持っていない。それでどうやって日本で暮らすんですか。
ちゃんとした滞在費を証明できるものがなければビザは絶対おりませんよ」
日本人の大使館員が出てくると、さすがの彼女も押されっぱなしだった。
それでも彼女はまだ何か反論したそうだったが、「絶対にビザはおりない」という言葉を聞いて、
今は何を言ってもだめだとあきらめたのか、そっと2人で大使館を出ていった。
一緒にいたネパ−ル人の彼は、結局一言も言葉を発しなかった。

やっと僕の番になったが、僕宛ての日本からの手紙は来ていなかった。しかしそんなことはもうどうでもよくなっていた。
「結婚したいんです」という彼女の強い言葉がずっと心の中で鳴り響いていた。
彼女はこれからどうなるのだろうか。そのことが気になってしょうがなかった。

僕は急いで大使館を出て、あの2人を追ったが、その姿はどこにも見当らなかった。
残念だったが、これで良かったのかもしれない。彼女たちを見つけたところで、
僕は一体何をしようとしていたのか自分でもわからなかったからだ。ただ気になって追い掛けた。
しかしいたところで僕は彼女に何と声をかけるつもりだったのだろうか。

彼女の若さゆえの性急さを、大使館員と同じようにたしなめたのだろうか。
それとも彼女に何か手助けをしようとしたのだろうか。考えてみれば、彼女らにとっては僕は全く関係のない存在なのだ。
だから追い掛けて、彼女たちがいなかったことにほっとしたのかもしれない。

ク−ラ−の効いた部屋から出ると、外はまるで別世界のように暑い日差しが照りつけ、ムアッとした熱気が絡み付いてきた。
「結婚したい」という彼女の言葉は、遠い別世界の出来事のように、この外の世界に戻ると熱気と共に蒸発していった。
僕の脳裏からもだんだんと彼女の言葉が薄れていくようだった。

今日も暑い。昼間は外で歩き回るべきじゃない。ホテルに帰って本でも読もう。そう思って再び来た道を戻っていった。

雑学コラム@:日本へのビザ
外国人が日本のビザを取得するために提出する書類の中に、「在留中の一切の経費の支弁能力を明らかにする資料」というのがある。
彼の収入証明書を要求したのはこのためだろう。「結婚するからいいではないか」と反論した彼女だが、
日本人の配偶者であっても「当該外国人またはその配偶者の職業および収入に関する証明書」の提出が必要とされる。
彼に日本で生活できるお金がなく、彼女にもそのお金がなければ、日本へのビザは下りない。
世界の中でも物価の高い日本に滞在するには、滞在中の費用を持っているかどうかが重要なポイントとなる。

彼にお金がなくても、彼女が成人で収入がある人であれば、大使館側はあそこまで強硬な態度を取らなかっただろうが、
彼女の場合は、未成年でかつ学生で収入がなく、さらに親の同意もないということから、大使館に強く言われたのだろう。

これはあくまでうがった見方だが、もし彼が彼女を愛しているなら、何も日本に行って暮らさなくても、
彼女がネパールで暮らせばいいだけの話。それをわざわざ彼が日本に行くことにこだわっているのは、
日本人女性と結婚し、GNPが何倍もの日本で働いてお金を稼ぐ事が真の目的ではないかと思える。(あくまで僕の推測の話)

全く根拠なく推測して物を言っているわけでない。
というのもカトマンズでは一人旅の日本人女性に近づいてくるネパール人は非常に多い。
目的はお金であったり、結婚して日本に行き、お金を稼ぐことであったり、セックスなど様々。
日本人女性は騙しやすいしお金も持っているし、軽いというイメージからなのか、よく声を掛けられる。
実際タメルを歩いていると、日本人女性旅行者とネパール人男性が二人で仲良く歩いている姿を何度となく目にした。
すべてそれがお金やセックス目的とは断言できないが、それが多い事は事実。
逆に親切で優しいネパール人目当てに、一時の遊びを目的とした日本人の女性旅行者も中にはいる。
遊ぶのも遊ばれるの個人の自由だが、重大なトラブルに巻き込まれければよいと思う。

しかし「マッサージルームの魅惑」のように、ネパール人女性が日本人男性に近づいてくるというのは極めて稀なケース。
そう考えるとやっぱりあれは商売目的か?