京浜工業地帯・撮影日誌

京浜工業地帯写真目次 かさこワールド

・鶴見線〜京浜工業地帯
JRの首都圏に鶴見線なるものが走っていることを知らない人も多いだろう。
京浜工業地帯ーといえばまあ誰でも知っているに違いない。
社会の授業で習った四大工業地帯の1つである。
その工業地帯を走るのが鶴見線である。

私は小学生の頃、ぜんそくだった。
因果関係は定かではないが、
京浜工業地帯のすぐ近くの鶴見に住んでいたからではないかともいわれた。
私が住んでいた諏訪坂という高台から眺めると、
遠くに煙突が何本も立ち、白い煙がもくもくと吐き出されていたことには間違いなかった。
それを僕はいつも家の窓から眺めていた。
(写真:18年前の撮影した鶴見の町並み)

しかし僕にとって京浜工業地帯はともかく、
鶴見線は思い出の鉄道でもあった。
鉄道好きだった僕にとって、普通の在来線とは違う、
この奇妙な役割を持った鶴見線というのは誇らしくもあった。

そして、小学校5年生の時、
この愛すべき鶴見という地を離れなくてはならなくなった時、
鉄道好きの仲のいい同級生と3人で、
鶴見のお別れにと鶴見線の旅をした。
その時の写真は、その当時のまま、アルバムに貼られて残っている。
(写真:18年前、阪神帽をかぶっているのが小5の私)

あれから15年、僕は奇しくも鶴見に舞い戻ってきた。
僕はうれしくて仕方がなかった。
思い出深い生まれ故郷に戻ってきたように思えたからだ。
鶴見に来て僕はまず、あのお別れツアーをした、鶴見線に乗ってささやかな旅をしたいと思った。

もう15年も過ぎ、日本の産業構造は随分と変わったし、
環境環境と騒がれていることもあるし、「公害」なんて言葉が死語になった今、
果たして京浜工業地帯の工場へと走る鶴見線が廃線にならなかったのに驚いたが、
鶴見線の1つの終着駅、扇町という場所に降りた時、私は大きな衝撃を受けた。
頭が割れるような異臭がそこに漂っていたのだ。
まさか、未だにという想いと同時に、
小学校時代のささやかな甘い思い出は消え去った。
私は持ってきたカメラのシャッターを切ることなく、そのまま鶴見へと舞い戻った。
(鶴見線が撮影地にならなくてがっかりした帰りに、
総持寺になんとなく寄ってみると、墓地に猫がいて、
それから私は1年間、墓猫を撮り続けることになるのだが)

その後、3年、私は再び鶴見線を探訪し、写真を撮ろうと思った。
甘い思い出の追想ではなく、そこにある京浜工業地帯そのものを。
私はカメラを持って鶴見線に乗り、再び京浜工業地帯に降り立った。

やはり、頭の割れるような異臭というか空気が漂っている。
臭くはないのだ。ただ空気がおかしい。濁っているというか汚いというか、
それがノドにまとわりつき、そして頭が割れるように痛くなる。
首都圏の住宅地が広がるすぐそばに、これほどの場所があることはちょっと驚きだよな。
そしてここに毎日働いている人も大勢いる。
ノドが痛くなるせいなのか、この素っ気無い工業地帯に自販機だけがやたらと目立つ。

先日、撮った東京少女の舞台となった羽田空港以北の京浜島や城南島には、このような異臭はなかった。
やはり、ここは特別なのだ。
もちろん15年前のように目に見える形での煙は見えないが。

<アメリカ>
私は鶴見線を乗り継ぎ、または歩き、運河で区分けされた「島々」を撮影していたわけだが、
ここに1つ興味深い事実を紹介しよう。
鶴見線に安善町(あんぜんちょう)という駅がある。
この異臭のする工業地帯にあって、安善町駅のすぐ北側は、
わりに古くからありそうな住宅街がある。
この昔からある住宅街の地名は「寛政町」。
この地名からもなんとなく歴史がありそうな(あくまで)気がするのが、それに引き換え、
多分、後からできた埋立地と思わしきこの南側が、
安ずるに善いという安直な地名で、しかも「安全」と掛け合わせたような名であることが、
笑うに笑えないわけだけど、興味深い事実というのは、この安善町の2つの島にある。

安善町から南へまっすぐおよそ1200mの道が走っており、
私はそこを歩きながら撮影していたわけなのだが、
写真を撮っていたら、突然、フェンスからアーミー服をまとった男が出てきて、「こちら側は撮るな!」という。
その地点から橋を渡ってもう1つの島に行き、
今度は反対側を撮っていると、やはりフェンスからアーミー服をまとった男が出てきて、
「撮るな!撮るな!」と叫んでいる。

ここは、アメリカ、なのだ。


地図を見ると一目瞭然、ともに在日米海軍の「鶴見貯油所」と「鶴見油槽所」と書いてある。
周囲には東京ガスの鶴見工場や昭和シェル石油、エッソ、モービルといった油槽所があるのだが、
この在日米海軍の敷地は撮影禁止だというのだ。

在日米軍の基地がどこにあるかというのは国民の周知たる事実だが、
東京すぐそばの京浜工業地帯に、フェンスごしからも撮影してはならない、
アメリカの石油貯蔵所があるなんて、私はこれまでまったく知らなかった。
アメリカと石油。といえば国際世論を無視したイラク戦争。
ふと、こんなところにまで、アメリカの石油崇拝の傷跡が残されていた。

安善町とはよくいったものだな。
アメリカの正義とアメリカの安全。そしてテロと戦争の連鎖。
アメリカ批判をする私の無知をまた1つ思い知らされた。

・2005年3月29日 京浜工業地帯・撮影日誌
先週、鶴見線に乗って京浜工業地帯の写真を撮影した。
鶴見線に沿って、末広町島・安善町島・白石&大川町島の、3つの島を撮影した。
しかしまだ一番大きな扇町の島だけは回りきれなかった。
だから翌週、再び京浜工業地帯に行こうと思った。

そんなこともあって、なんとなく京浜工業地帯の写真を引っ掛けると、
美しい夜景の写真をアップしているサイトがいくつかあった。
どうも湾岸エリアのドライブついでにたまたま目にして撮ったという感じだ。
撮影された場所がどのサイトも「ちどり公園」だった。
私は神奈川の地図で調べたら、ちどり公園は、鶴見線が通っていない場所、
扇町からまだ2つ先の島だった。

鶴見線が通っていない島、かつ夜景。
はてどうしたものか。
私は久々にチャリンコを使って撮影旅行に出掛けることにした。
夜景を撮るため出発は16時と遅めだ。

私はひどいアレルギー性鼻炎で今、花粉症のせいかひどい鼻水状態なのだが、
集中力の妨げになるマスクはしていないが、そんな私がマスクを購入した。
なぜなら、京浜工業地帯はひどい異臭と砂塵でまみれているからだ。

撮影旅行にできればチャリンコは使いたくなかった。車も論外。
できれば歩きが一番ベストだ。
歩くスピードだからこそ、歩いている視線だからこそ気づく被写体があるからだ。
とはいっても、家からめざすべき京浜工業地帯にあるちどり公園まで片道8kmはある。
やむを得ないがチャリンコを使う。

そして私は地図を行きながら思わぬ事実に気づく。
鶴見駅から京浜工業地帯に行くまでの間にある町、
そこが昨年、訪れた鶴見沖縄&南米タウン(2004/11/16のつぶやき)なのである。

鶴見川南側には沖縄料理店や南米料理店が10軒以上集まっている地区がある。
そこには沖縄や南米から移り住んでいる多くの人たちがいまもなおいる。
その地区のちょっと先が、京浜工業地帯なのだ。

ちなみに川崎のグルメスポット、コリアンタウンもすぐそばが京浜工業地帯だ。
異臭にまみれ砂塵にまみれた汚染地帯。
そこで働く大量の工場労働者。
そのすぐそばに外国人移民地区。
無関係ではあるまい、と思う。

鶴見線沿い&産業道路ををチャリンコでこぎながら、めざすべきちどり公園の1つ手前にある島、
水江町島に向かった。
水江町島の手前、夜光という不気味な町の名前にある港から、
時間がちょうど夕暮れ時で、真正面にどでかい工場がある、とても美しい夕景が見られた。
地図で見ると東亜石油工場らしい。
やはり、この辺は石油工場が多いらしい。
地震が起きたら、京浜工業地帯はきっと火の海だろうなと思う。
東京湾に石油が注ぎ、泥まみれのやらせ水鳥でも見れるのか。
恐ろしいなと思う。
でかい工場のわりに、どこも見るからに老朽化していそうだからだ。

ここ以外はあまりいい撮影ポイントがなく、いよいよ暗くなってきた工業地帯を、
めざすべき千鳥町島へと自転車をこぐ。
そこで私は驚いた。
千鳥町島の入口にはセブンイレブンがあったのだ。

店がほとんどない工業地帯でコンビニがあったことに驚いた。
それだけでなく工業地帯で働く人たちが結構このコンビニを利用して繁盛しているのだ。

千鳥橋を渡り、千鳥町島へ。さすがに島自体にはコンビニはない。
暗闇の工業地帯は不気味だ。
しかし土曜日のせいかまばらだが働く人の姿が見受けられる。
いやだよな。こんな強烈なシンナーのような異臭のする工業地帯に毎日働くなんて。

撮影スポットでもあり一番のゴールであった千鳥公園は暗闇に包まれ恐ろしかった。
車はここから先は川崎港海底トンネルを通って、東扇島というこれまた人口島に出る。
私は公園内の暗がりをただひたすら先端の海が見える場所めざしてチャリをこぐ。
途中、公園から一歩通りに出て、電灯が照らしているところに猫が2匹。
おまえら、こんなところで生きているのか。
しかし猫がいるということはきっと食い物があるに違いない。
ニンゲンがいる可能性は大だ。

再び木々に囲まれた公園内をチャリで走り、やっと海が見える場所に出た!と思いきや、
そこにはなんと、夜釣りを楽しむ7、8人の男たちが。
彼らもこの暗闇の公園を通ってきたのか。
人がいて幾分ほっとする。やはりここにも猫がいる。やはりな。
それにしても京浜工業地帯は至るところに「釣り禁止」の看板があるのだが、
この暗闇の中で、わざわざ三脚持って鶴見からチャリで写真を撮りに来る奴も酔狂だが、
ここで夜釣りをする奴もなかなか酔狂だろうと思いつつ、
これだけ人がいるということは絶好の釣りスポットなのだろう。
もちろん水は汚い。しかし釣った魚を食べない限り、
釣れれば水の汚さは釣り人には関係ないのだなと妙に感心したりする。

この千鳥町島のさらに先の島には浮島町島があり、その隣の島が羽田空港である。
羽田空港の先は、私が先日撮影したモデル写真の品川埠頭やら大井埠頭であり、
その先が、お台場、浦安と続く。
逆に、鶴見より南の島に行くとしばらく京浜工業地帯の島々が続くが、
すぐその先が、先日撮影したみなとみらいエリアにでる。

この妙な位置関係がなんともいえないな。
東京にいれば、みなとみらいの夜景を見にいくだろうし、お台場にも行くだろうし、
羽田空港も利用するだろうし、ディズニーランドのある浦安も行く。
こうして東京・横浜ベイエリアは1つの観光スポットなわけなのだが、
その間にある数々の島々には、強烈なシンナーくさい異臭が漂い、砂塵がまいちり、
そして在日米軍の石油貯蓄所がある、京浜工業地帯がある。
そこには数多くの名の知れた大企業の工場がある。
東芝などがそのいい例だ。

私の鶴見の家のそばには東芝の社宅がごまんとある。
なるほど、なぜ鶴見という町は社宅が多いのかと思いきや、
京浜工業地帯の工場で働く人たちのベッドタウンだったというわけだ。

こうして私は、再び1つ1つの島々の夜景を撮りながら、鶴見へと帰っていった。
夜22時を過ぎていた。京浜工業地帯は広いのだ。

そして京浜工業地帯の一旦の島の脇を流れる大河が、私がさかのぼった鶴見川の河口である。
鶴見川のぼりをしたので、逆に河口はどうなっているのかいつか歩いてみたいなと思っていたが、
なんのことはない、京浜工業地帯の工場群の運河と化した河口なのである。
しかも地図を見る限り、鶴見線が鶴見川をまたぐ南は、川沿いの土手もなさそうだ。
海沿いは工場のある企業の敷地で覆われているから。

こうしてまた私のささやかな酔狂な撮影旅行は終わった。
いや、まだ横浜側の京浜工業地帯の島々はいっていないし、
羽田空港の手前の浮島町島にも行かなくてはならない。
まあしかし、昼はいいんだけど、夜、チャリをこぐのはかなりしんどいから、
余力があった時の楽しみにとっておこう。

京浜工業地帯の夜景はいつまで見れるのだろうか・・・。

・浮島町(京浜工業地帯)撮影日誌
先日、京浜工業地帯の夜景撮影をチャリンコで回った折、
行けなかったその先の島、浮島町という馬鹿でかい埋立地があった。
地図を見るにかなり工場も多く、いい撮影スポットになりそうだ。
しかし鶴見からチャリで行くにはあまりに遠い。
地図をよく見てみると京浜急行の川崎大師線が使えることに気づく。
大師線終点の小島新田駅から歩いていけば、浮島町に行ける。
片道4kmほどありそうだが、鶴見からチャリで行くよりはるかに楽そうだ。

私は小さい頃、鶴見に住んでいたので、川崎大師は知っていた。
京浜急行大師線というぐらいだから、この電車の用途は川崎大師に行くための電車だと思っていたが、
終電を調べるとなんと24時代まである。
単なる川崎大師に行く観光路線ではないのだなと思った。

実際に乗ってみるとやはり観光路線だけではなさそうだ。
もちろん沿線に住んでいる住民の足という側面もあるのだが、
小島新田駅そばにはすでに工場が多くある。
つまり、大師線は、鶴見線のような役割、
京浜工業地帯へと労働者を運ぶ足としての役割もあるから、
こんなに遅くまで走っているのだということに気づいた。

浮島町の工業地帯に行くには川崎駅から直通バスの方が便利なのだが、
小島新田駅周辺にも工場はあるし、その途中にもある。
途中駅の鈴木町駅なんかは、海芝浦を思い起こさせる作りで、
いくつか改札があるのだがその1つは、味の素の工場専用改札だ。
改札を出るとすぐ味の素工場になる。
つまり従業員しか降りることができない改札なのだ。
なんだ大師線も鶴見線と同じじゃないか。
大師線はずっと多摩川沿いを走る。鶴見川沿いを走る鶴見線と似たようなものだ。
鶴見川と多摩川の間に作られたのがまさしく京浜工業地帯なのだから。

小島新田駅を降りて浮島町方面に向かうのだが、
まずJR貨物と神奈川臨海鉄道なる貨物線が幅をきかせているので、
それをまたぐ長い歩行者歩道橋を渡らなくてはならない。
歩道橋の前にはすでに大きな工場がある。

浮島町へは神奈川臨海鉄道の貨物線に沿って歩いていくことになる。
浮島手前は「殿町」という名称。
歴史を感じさせるような町名はこの辺までがもとからあった土地なのか。
しばらく行くと県営埋立地入口と書いてある。

浮島手前からいすずとかどでかい工場群がすでにある。
小島新田駅から1kmほど歩くとやっと浮島橋に到着し、そこを渡ると浮島町だ。
橋からは浮島の南にある島、千鳥町の工場群が見える。

浮島町の2.5kmほどの道路沿いの両脇に、物騒な工場群が密集している。
これだけ工場が集まっている島はなかなかない。
ここがもしかしたら最大の工場島かもしれない。

通り北側には多摩川があり、そこを越えるとすぐそこが羽田空港。
だから飛行機の離発着が頻繁にあり、工場群をかすめるようにして飛び立っていく。
浮島からも飛行機や空港だけでなくモノレールもよく見える。

土曜日の夜だが、工場帰りの労働者が時折、自転車や徒歩で帰っていく姿が見られる。
ただ基本的には川崎駅行きのバスを使っているようだ。

小島新田駅から歩いて1時間ほどで浮島の先端に到着する。
その先は、木更津に行くアクアラインだ。
こんなところがアクアラインの入口なんだな。
先端にはカーフェリー乗り場もある。
その前にとってつけたような公園があり、
一体工業地帯の先端のこの公園に誰が来るんじゃと思いきや、
意外や意外、夜の公園に子供連れの家族の姿が見られる。
どうやらつり場になっているらしく、一軒エサや釣具、軽食を売っている店もあった。
結構、夜釣りを楽しんでいる人が多くいた。
犬の散歩をしている人も公園内にはいた。
鶴見線沿線ほど強烈な異臭はしないが、紛れもなく工業地帯の真っ只中ではあるのだが。

先端に辿り着くと今度は小島新田駅に向かって撮影を開始していく。
工業地帯はすぐ会社の敷地になってしまって入れない道が多く、
なかなかいい撮影スポットがみつかりにくいというデメリットはあるのだが、
それでも数箇所ほど工場を真正面に見れる場所があり、
暗闇の中、三脚を取り出すと、熱心に何枚をシャッターを切っていく。

「夜景」といっても町の中にあるライトアップされた景色ではないので、
基本的に周りは暗いのでピンが合わなかったり、ぼけたりしてしまう可能性が高いので、
とりあえずいっぱい撮っておく。

あまりに暗い場合はシャッター速度をかせぐために、
ISOを400から800に変えて撮影する。
デジカメは便利だよな。ISOを変えられるんだから。
もしフィルムカメラだったらISO400とISO800のフィルムを別々に用意し、
2つのカメラに装填しなければ、使い分けすることはできない。
あらためてデジカメの便利さを知る。

高度成長期はとっくに終り、厳しい公害規制を逃れるためと、
高い地価、高い人件費から逃れるために、工場を東南アジアに映し出したのは90年代のことだと思うが、
それでもまだこうしていっぱい東京のすぐそばに工場群があることに驚く。
働いている人も全盛期よりは少ないだろうが、かなりいるんだろうな。

地図を見るとよくわかるのだが、社名には「日本」の文字が入ったところが多い。
「日本ユニカー」「日本合成アルコール」「新日本ガス」「新日本石油」「日本触媒」「日本酸素」・・・
まさしく日本の経済成長を支えてきた昭和の製造業の原動力企業なのだろうが、
空洞化が進んだ今、これらの企業名が一般ニュースに登場するのは少なくなった。
しかし、厳然と、東京のすぐそばに存在している。
工場群がここにあることが時代錯誤なのか、それとも存在隠蔽なのか、
単に注目されなくなっただけなのか、当たり前のものとして認知されているのか、
なんだか恐ろしい危険地帯がすぐそばにあるんだよな。
「テロ警戒」という文字が真に迫ってくる。
こんなところに爆発物でも仕掛けられたらすごいことになるんだろう。
現に工場内は禁煙徹底しているところが多い。
こんな風にして日本の一端を見ながら、夜景として絵になるところを選んで撮影を続けていった。

しかし、それにしても、相も変わらず酔狂だなと思う。
一体、何が僕を駆り立てるのか。
土曜日の夜に空気の悪い京浜工業地帯に出向き、
三脚とカメラとパソコン背負って、人けのない工業地帯を4時間近く歩き彷徨っている。
体がなまっているある種のガス抜きなのか。
歩き回って汚濁の工場地帯に輝く美しい夜景の姿を収めたいという、
ただそれだけなんだけど。

チャリじゃなく徒歩で歩き回ったせいか、カメラをぶらさげていたクビやら、
リュックを背負っていた背中やら、足やら節々が痛い。

ひとまず京浜工業地帯の北側はほとんど回った。
あとは横浜に近いエリアと、千鳥町の先にある2つの扇島に行かないとな。

浮島町の夜景でない写真を追加しました

・2005年4月5日 かさこが歩けばニュースに当たる/大黒町夕景

土曜日に、私は京浜工業地帯の浮島町を撮影したわけだが、
私が京浜急行川崎大師線の小島新田駅から浮島の先端まで歩いていた道路の、
ちょうど真上を走る道路がなんと月曜日のヤフーニュースに出ていて驚いた。

首都高川崎縦貫線、2・4キロ残して工事費が底をつく
東名高速と東京湾アクアラインを結ぶ、
建設中の首都高速道路「川崎縦貫線」の1期区間(川崎市、7・9キロ)が、
あと2・4キロの段階で工事費が底をつき、
多額の資金不足に陥っていることが3日分かった。
ずさんな事業計画の破たんが原因だが、
首都高速道路公団は先月末に行った事業評価でも、
この事実を伏せたまま、抜本的な見直しを先送りしていた。
地価が高くトンネル工事などで
事業費が膨らみがちな大都市の高速道路は、
10月の公団民営化に向けて見直しが必至の中、
不透明な対応が問題になりそうだ。
川崎線の1期は、3・5キロを供用しているが、
接続するアクアラインの利用の低迷で交通量は予測の半分以下。2期は調査段階。(読売新聞)


何たる奇遇なことか。
別に私はそのために写真を撮りにいっていたわけではないんだけどな。
というか、まあ、私が歩けばニュースに当たるというよりは、
世の中そこいら中に無駄なものが多いってことだろう。
無能なマスコミの小泉バッシングは続いているが、
お国のやる無駄な郵政、道路公団ほか特殊法人廃止議論に、
「小泉君は説明義務を」みたいなバカなことを抜かしているマスコミは何を考えているんだろうな。
税金が食い物にされていて、民営化すればそれがなくなるっていうのに、
小泉首相の足を引っ張る報道ばかりしている。

それはさておき。

私はこのところ、土日はどこかに何かを撮影したいと思っているので、
毎週毎週天気予報を気にしている。
天気予報は非常に嘘つきで、外れる度合いも多いのだが、
前日に自分で夜空を見ることと、天気予報でも、
テレビの大雑把な意味のない天気予報ではなく、
インターネットのヤフー天気予報で、
区別の時間ごと詳細天気予報を直前に見ることでだいたいの予測はできる。
しかし、今週はまんまとやられてしまった。

4/2(土)はくもり、4/3(日)はくもりのち雨。
土曜日は当たった。
くもり予報だったので昼間写真はムリだなと判断し、
まあ夜景なら多少くもりでも大丈夫だろうということで、
夜景のみの撮影に土曜日は出掛けた。

そして日曜日。起きると晴れ渡っているのである。
にもかかわらずリアルタイムの天気予報を見てもくもりとのたまいている。
そして、午後から雨が降ると。
しかししかし、ずっと晴れ渡っていた。
私は神奈川の天気予報を見ているわけではない。
鶴見区という限定した予報を見ているのに、まったくリアルタイムから外れてしまっているのだ。

相変わらず18時はくもりで21時は雨という予報。
おいおいほんとかなと思い、面倒だが雨雲レーダー予想を見る。
これを見るのが一番確実だからだ。
夜20時30分になっても雨雲は神奈川県にはやってこない。
西の方に徐々に迫ってくるだけだ。
16時30分、相変わらず晴れ渡っている空を見て、私はあわてて撮影に出掛けることにした。
この時間、晴れているなら夕景を撮りたいと。

夕日が沈んでしまうのは今はだいたい18時ぐらい。
空が赤く染まりきれいな夕景が撮れるのは、17時30分前後だ。
そんなに遠方まではいけない。
そして、工場地帯と夕景を撮るためには、
西の方角に工場がある場所でなくてはならない。

これまで何度か京浜工業地帯を撮影しにいったのだが、
夕日の方角は、工場がある海とは正反対の、町の方なのだ。
だから工場と夕日というより、町と夕日になってしまう。
それでは意味がない。

鶴見川のぼりのために買った神奈川県地図を開き、
これからすぐ行ける場所で西の方角に工場があるであろう場所を探す。
1つ、良さそうな場所があった。
生麦駅南にある大黒町だ。
生麦事件のあった生麦を通り、キリンビール工場を南下し、橋を渡ると大黒町。
(ちなみにさらにその先は大黒ふ頭があり、横浜ベイブリッジがある)。
地図を見ると工場ではなくやや倉庫群が多そうな感じが気になるが、
まあ撮れなかったら撮れなかったでいい。
とにかく行ってみることだと思い、あわててチャリをすっ飛ばした。

鶴見駅から花月園を通って生麦に向かう途中、
ろくに歩道もない道の両脇に、鶴見駅に向かって歩く異様な群衆を目にする。
花月園で競輪があってちょうど終わったところのようなのだ。

大学生の頃、豊田に住んでいたこともあって、またナリタブライアンだとか武豊だとか、
競馬が流行ったこともあって、私は一時期毎週競馬に行っていた時期もあるのだが、
そこで見る人たちより「質」が悪い集団だった。
ほとんどが酔っ払いのようで、何事かうわごとをいい、
髪はぼさぼさで汚い服着てだらしない格好で歩いている葬列。
競輪は一時期の競馬のような大衆化はされておらず、
それこそギャンブルをやっている親父たちの聖域として残されているのだろう。

それを横目に私は急ぐ。
本当は鶴見駅付近で線路を渡って海側に出てしまえばいいのだが、
鶴見駅そばには日本全国有数の、
古くからの開かずの踏み切りがあるので有名なので、
そこは避けて通っていった。

幸いにして急いだおかげと多少の場所に恵まれ、何点か夕景が撮れた。
日中外れた天気予報も夜になるにつれ当たったのか、
夕日はすぐに雲に隠れてしまった。
まあそんなドタバタで撮った大黒町の夕景をご覧ください。

大黒町・夕景




・大黒ふ頭撮影日誌
妻から1年ぐらい前に「鶴見からバスに乗ってベイブリッジに行こう」といわれた時、
私にはさっぱりぴんと来なかったのを覚えている。
鶴見駅ーバスー横浜ベイブリッジというのが線でつながらないのだ。
この奇妙な組み合わせに違和感を抱いた私は、この誘いに乗らなかった。
土地の連続性が感じられなかったからだ。

それから1年後、私は小さい頃の思い出から鶴見線巡りをし、
そこから発展して京浜工業地帯を撮るようになり、
京浜ベイエリアの地図を見るようになり、やっと妻から言われたことが線としてつながった。
横浜ベイブリッジは京浜工業地帯とつながっていたのである。
といっても工場地帯とベイブリッジの間には大黒ふ頭という倉庫群の緩衝地帯がある。
だから余計に鶴見とベイブリッジが結びつかなかったのだろう。

先日、鶴見から「生麦事件」が起きた生麦を通って、キリンビール工場を過ぎて、
大黒町の倉庫群および工場の夕景を撮りにいった。
その先に大黒大橋という長い橋があり、その先に大黒ふ頭のある島とベイブリッジが見えたが、
かなり広そうなので、また別の日に訪れようと思った。

日を改めて、大黒町ではなくさらにその先の島・大黒ふ頭の夕景撮影に出かける。
妻がいったように大黒ふ頭にはベイブリッジがかかっており、
さらにそのベイブリッジを歩行できるというスカイウォークなる観光名所があるため、
鶴見駅からバスが出ている。
自転車ではちと遠いのでバスでスカイウォーク行きに乗って行った。

スカイウォーク前で降りたがそんなに観光客はいなさそうだった。
もちろんドライブコースとして自家用車でも来れるわけだけど、
駐車場にある車は数少なかった。
目の前にみなとみらいのランドマークタワーやら観覧車やらが見える絶好の場所なのだが、
ベイブリッジを車で走るという感覚はあっても、
その橋を歩いて見て回るという発想はなかなか思いつかないのだろう。
また、みなとみらいそのものにあるわけではなく、
まあいってみれば京浜工業地帯の端っこにある島にあるせいか、
日曜日にもかかわらずそれほど人が訪れていない原因になっているのだろう。

そんな閑散としたスカイウォークを後に大黒ふ頭を歩き回りはじめたのだが、
その他の京浜工業地帯の島々以上に人がいない。車もほとんど走っていない。
ゴーストタウン状態だ。
それは他の島々のように四六時中稼動させていなければならない工場がないからだろう。
ここはまったくの倉庫街なのだ。
しかも「倉庫」といってもマンションのようなでかさの倉庫街で、
休日のせいか従業員の姿もほとんど見受けられない。

歩き始めて私はにわかに撮影地選びに失敗したかなと後悔していた。
味のある古い倉庫群があるわけでもなく、もくもくと吐き出す工場があるわけではないので、
私の撮りたい工場地帯風景がここにはないのだ。

島なので海沿いに出れば対岸の工場地帯が一望できるはずだ。
しかし海沿いの多くは企業の敷地になっていて立入禁止区域ばかり。
このまま何も撮れずにスカイウォークでもいってお茶を濁してとんぼ帰りするだけかと思っていたが、
この島の東側、つまり羽田空港、川崎側に一般人も立入できると思われる港があった。
そこからばっちり京浜工業地帯と巨大クレーンを見ることができた。
私は興奮してシャッターを切り始める。

もう1つ、私には目的地があった。
この島のもう1つの「観光地」大黒ふ頭海釣り公園である。
京浜工業地帯は大変「素晴らしい」釣りスポットであるらしく、
工場地帯のあちこちに釣り船案内所やら釣り人やら釣り禁止のマークなどが点在している。
ここの公園もまさしく釣りのために作られた公園だ。
公園部分の敷地は無料なのだが、その先に釣り用に海に突き出した桟橋があり、
そこは900円もの入場料を取る。
しかし釣りをしない見学者は100円で済むのだ。

桟橋はさておき、公園を見て回った。
公園の柵外にテトラポットがあり、そこは釣り禁止になっているのだが、
堂々と多くの釣り人が釣りをしている。
そして桟橋とは反対側に海に突き出した灯台のあるふ頭があり、
そこも立入禁止の柵で覆われているにもかかわらず、
平然と釣り人が行き交っている。
その灯台の先に扇島や東扇島、さらには浮島町の工場群が見えるので、
私も立入禁止の柵を乗り越え、撮影する。
実に素晴らしい景色だ。

ここに来た時点で予定通りの夕景だったのだが、
なんとしても有料の桟橋からも夕景を撮影したい。
私は公園の端から端まであわてて走り出し、
なんとか桟橋側でも日が沈む直前の夕日と景色を撮ることができた。
桟橋からは工場地帯は撮れないのだが、ベイブリッジとみなとみらいの風景と、
対岸にある本牧ふ頭の巨大クレーン群を撮れる。

というわけであっという間に大黒ふ頭撮影旅行を終える。
東京の人なら、スカイウォークとこの海釣り公園という穴場スポットに、
観光しにきてもおもしろいかもしれない。
ただしスカイウォークは夏場でも20時まで、海釣り公園は18時までなので、
夜景をゆっくり楽しむことはできないので昼間観光にはなってしまうのだが、
ちょうどみなとみらいが夕日が沈む方向にあるので、
夕景を見に来てもなかなかロマンチックだと思う。

・2005年12月26日 酔狂な情熱を大切にする
正月休み前の思わぬ3連休、も、仕事かなあと思っていただけど、
大分、仕事にかたがつき、目覚ましをかけることなく眠れることができた。
ほんと久しぶりだなあ。目覚ましかけなくて眠れたのは。

でもそれは1日目のみ。
2日目、3日目は、仕事もないのに、人と会う予定もないのに、
勝手に朝5時40分に目覚ましをかけ、重ね着に重ね着を重ねて、
零度近い日の出前の寒空の中でチャリをこぐ。
前々からずっとしたいと思っていたこと。
京浜工業地帯の日の出時刻の朝風景を撮ることだった。

ここ最近、寒いが雲ひとつない快晴が続いていた。
「こんな時こそ撮影だよなー」と思っていたが、
夜景ならともかくも、休みの日に朝5時代に起きるという気力がなかった。
でもやっとそのチャンスがめぐってきた。
ここ最近、仕事で忙しくってなかなか自分の撮影ができなかったから、
「やりたい」という思いが募り、それが起きる気力に変わったのだろう。

仕事観や人生観で非常に参考になる良書「プロ論」の第二弾が今、発売されているのだけれど、
そのしょっぱなで、堺屋太一がこんな事を言っている。
「30代で丸2日寝なくても平気。そんなふうに時間が忘れられる仕事を探しなさい」と。

残念ながら意外に雲が多く、思ったほどの景色を撮ることはできなかったけど、
「まあはじめてのことだから今回はロケハン(下見)だけでもいい。
また行けばいいのだから」とそんな風に思える。
我ながら酔狂だなと思うけど、そういう酔狂な情熱が持てるものを、
別に仕事じゃなく趣味でもいいと思うけど、大事にしたいなと。

それにしても寒い。
ズボンは3枚、上着もセーターを2枚重ね着したんだけど、
私はこの2日間の早朝撮影であることに気づいた。
・薄いもんを何枚はおっても意味がない。
ズバッと決定的に暖かいものを着ること。
・何枚重ね着しようが、肌が露出している部分、
すなわち、顔と穴あき手袋のさきっちょの指も覆わないとそこが寒い。

さて、土曜日・日曜日と早朝に京浜工業地帯に行ったわけだけど、
工業地帯は24時間365日動いているのか、
朝6時代でも立ち食いそば屋や弁当屋や食堂がオープンしていて、働きにきている人も多かった。
しかし、それは土曜日に限ったことで、日曜日は愕然と人が減った。車も減った。
そのせいか、大黒ふ頭の先、海づり公園に行く前の道が、
日曜日は朝からしっかり検問が行われ、関係者以外立ち入れないように封鎖されていて予定外だった。
土曜日は巨大コンテナ積んだトラックがずらっと並んでいて、そこにチャリで入っていけたのになあ。
とまあ、第一回目としては土曜日、日曜日と2度行ったロケハンの甲斐はあったようだ。
あとは、天気だな。単なる晴れじゃなく、雲ひとつない快晴時に行きたいな。


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