文明の旅〜ロンボク島〜 かさこワールド

「文明の旅」なんていうとちょっと大げさだけど、
ようはそのー、「発展途上」の島の姿をかいまみることができるという意味なんだな。
原始的生活を送る人々もいるし、汚れなき、美しき自然が残っている。
でもリゾート化=近代化=西欧化するのは時間の問題で、その途上もみることができる。
社会の発展段階をいっぺんにみれる島。それがロンボク島。
「第2のバリ島」となることは間違いなく、
きっと数年後には日本人にも馴染みの深い場所になるやもしれぬ。
でもその前に、まだまだ知られていない時に訪れたこの島の記憶を、ここに記しておこう。
行くなら今のうち!世俗化は時間の問題だ!!

・ロンボク島写真

・汚れなき海中世界

 「バリ島」っていったらすごく有名な、
 それこそハワイやグアムと並んでいまやメジャーな日本人観光地となっているんだけど、
 そのお隣の島、ロンボク島はまだまだ馴染みが薄い。
 バリ島から飛行機で30分。船でも3時間ぐらいだから、
 バリ島の観光地化されて観光客だらけの、
 あまりきれいではなくなっているビーチよりは、
 ロンボク島の方がはるかにいいかもしれんというわけで、今回、行ってみた。

 (バリ島も観光地化された有名ビーチは行く価値のないクズだが、
 そこを離れた町にいけばそれはそれはなかなかいいですよ)

 基本的に島なので、ビーチ以外、特に観光名所というのはない。
 ただきれいなビーチやまだ汚されていない自然というのは、
 それだけで十二分に「観光地」になるんだな。

 ロンボク島の空港に着いてからホテルまでの道のりの緑の多さとのどかさ。
 ほんと、日本の喧騒を忘れさせてくれる南の島ってイメージ。
 こんなところに来たかったなって感じ。
 もちろんここも観光客は来るわけでシェラトンなんて大ホテルがあるぐらいだから、
 その付近はすっごくきれいな砂浜と海というわけにはいかないんだけど、
 そこから車で1、2時間行った場所の砂浜の美しさや、海のきれいさはほんと贅沢だなと思う。

 自然のままであることの美しさっていうのは、何物にもかえがたい貴重な存在なんだな。
 たとえばターリバンがバーミヤンの仏教遺跡をぶっ壊したからといっても、
 いくら歴史的価値のある遺跡でも、
 そういった人的遺跡の価値と自然の価値っていうのは比べ物にならないわけで、
 ロンボク島にはあんまり人にはいって欲しくないし、
 それこそ第2のバリみたいになってしまって、
 リゾート化されてしまうことによる汚染で、
 ただの「島」になってしまわないことを祈りたい。

 でもまあバリ島から30分の島をほっておくはずがなくって、
 ロンボク島の南にあるタンジュアンビーチは、
 輝く白砂浜辺とグリーンからブルーにグラデーションになっている透き通る海、
 そして海岸沿いに連なる一面のヤシの木畑と、ほんと最高の美しさを誇るビーチなんだけど、
 今は建物なんかは何もないんだけど、なんとそこには17ものホテルの建設予定があるとかで、
 しかもその辺で自然に囲まれた原始的生活を行っている地元住民も、
 物売りしたり、土地を売りに出したりして、
 第2のバリとなることは間違いなく、
 もう何年かしたら、この美しさとこの静けさとこののどかさはなくなってしまうんだろうなと、
 そういったことが容易に想像できる場所だけに、行くんなら今のうちかなって気がする。


 こういった「自然」遺産をうまいこと残していけると、現代の汚毒に染まった人間の心洗う地になるんだけど、
 それは「リゾート化=近代化=西欧化」の荒波に、きっとこの美しいビーチものまれてしまうんだろうな。
 もしかしたら僕が行った今ですら、もう遅かったのかもしれない。
 美しいビーチには日本語をしゃべる物売りが5,6人つきまとって、
 「これやすいね。トモダチプライスね。ゴマンルピア」とかいってるのだから・・・。

 まあそれでも今のうちだろうな。ロンボク島に行くなら。まだまだ汚れなき自然や人の心が残っているから。

・清濁あわせて“素朴”と言えるから・・・


 バリ島最大のビーチ・クタからロンボク島に来ると、
 「いやー、素朴で静かでいいなあ、ロンボク島!」と思った。
 まあまあその通りなのだが、ではロンボク島が、
 「南の島の楽園か」と言われると、う〜んとうなってしまうところもある。

 ロンボク島のスンギギ・ビーチを散歩してみた。
 泊まっているシェラトン敷地内を出ると、
 待ってましたとばかりに「ジャパン!」といって、
 「コレヤスイネ」と言って物売りが猛烈な勢いで寄ってくる。
 おいおいここは10年前のバリ島で素朴でのんびりビーチじゃ・・・
 そんな戸惑いを覚えたのは確かだ。

 でもね、でもね、そこにいる子供たちはすっごく純だったんだ。
 金くれなんて他の国の子供みたいに言わないし、
 ちょっと恥ずかしながらもポーズなんかとってしまう、
 なんかその愛くるしさはたまらなかった。
 ああ、やっぱりここは「素朴な島」じゃないか。
 よかった、よかったと。



 しかししかし、現代社会において話はそう簡単にはいかない。
 前の2人の子供の写真とこの2人の子供の写真では、
 まったく表情が違っていることがおわかりになるだろう。

 まだまだなーんにもない、ホテルもレストランも1軒も建っていない、
 ロンボク島でもさらに静かで美しいタンジュアンビーチには、
 ガイジンが来るとそれを待ちうけている5,6人の物売りが、
 ビーチの眼前をふさいで、これまた日本語で、 「コレヤスイ、トモダチプライス」と言い寄ってくる。

 さらにそこには1人、子供の物売りもいた。それが彼(写真右)だ。
 僕に詰めより貝殻のようなものを差し出し、「ワンダラー」と言い寄ってくる。

 まあでも彼の「ワンダラー」は、これは僕の個人的感想だが、
 ネパールやインドの子供たちが金をせびってくる「迫力」や「必要性」が感じられなかった。
 彼はきっと大人の物売りのマネをしているだけなのだろう。
 この辺はホテルもレストランもなく、町ではない。
 ヤシの木畑の中にある村では、貨幣経済とはあまり関係のない、自給自足に近い生活が行われているはずだ。
 まして年中熱帯で豊富な農作物や海からの魚介もあって、
 食べ物がたくさんあるこの地で「飢える」ことはないのではないかと思う。

 どんなに美しいビーチにも物売りがいて、そこには子供の物売りもいたけど、
 それでもここは憎めない何かがある。
 きっとそれは「自然環境」が生み出した人々の素朴さなんじゃないかと思う。

 写真左の少女の表情も結構渋い。
 これは未だに自給自足で昔ながらの生活を送っている村の少女なんだけど、
 写真を撮ってもいいか?と聞くと、
 目できっとにらみ、そんなもんいいからここのみやげを買ってくれという表情をしたのだ。
 ここもまた貨幣経済とはそんなに縁のない村。
 だから少女の隣りにいるおばあちゃんも「生活のため」ではなく、 余剰消費のためにみやげを売っている。
 その大人の姿が、少女にものりうつったんだと思う。

 この村も、観光のために入口で「寄進」の名のもと入場料をもらい、
 外国人に開放し、英語を話せるガイドがつき、
 訪れた外国人に織物を売るという「外貨獲得」のための方策が取られている。

 ロンボク島にはいないと思った観光客目当ての日本語しゃべれる物売りはいて、
 ロンボク島にはいないと思った金をくれとせびる子供もいた。
 それが現実なんだけど、でもね、でもね、
 まだ貨幣経済を必要としない生活基盤があるのか、
 暖かな気候と豊富な食糧があるからなのか、
 やっぱりそこには、他では見られない素朴さみたいなものが感じられた。

 清らかで美しくて1点の曇りもない「ユートピア」など、どこにもないに決まっているし、
 ロンボク島にも「観光客」が来る以上、多かれ少なかれ、早かれ遅かれ、
 いろいろな「汚濁」が流れてくるかもしれない。
 もしかしたらその汚濁の結果が、日本語しゃべれる物売りだったり、
 カメラを向けても笑いもはにかみもない子供たちもいるのは確かなんだけど、
 そんな清濁両方合わせて飲み込んでも、「素朴」って言える。
 きっとそこには手付かずの自然があるからなんだろうな。

 僕なんかが来ることはきっとこの島にとっては大変迷惑な「汚濁」で、
 子供たちの「清らかさ」を吸いとって帰ってしまっているのでは、
 というある種の責任を感じないわけではないけど、
 心洗われる地が、まだこの世界に残っていることを素直にうれしく思う。

・文明の旅〜伝統的生活+・・・〜


Welcome to SADE-REMBITAN!
ロンボク島に住む原住民ササッ人の中で、今も伝統的な生活をしている村を紹介しよう。
(原住民というと随分と前近代的イメージで、ロンボク島に住む90%以上の人がこの原住民ササッ人なんだけど、
みんながみんなこの伝統的生活を送っているわけではもちろんない)
観光客に入村料を支払い、英語ガイドがついて案内してくれるので、
そういった意味ではテーマパーク的といえ、
本当の意味での「伝統的」とは言いがたいかもしれないが、
それでも町に住む人たちの生活から比べれば、(ロンボク島の中心地にはマックもあるし、大ホテルもある)
昔ながらの生活スタイルを営んでいるところといえよう。
この写真を見ておわかりのとおり、なんだか随分と時代をタイムスリップした感がある。

ちなみに入村料だか、いちよ「寄進」ということになっているので、金額は個人の自由である。
まあ1000ルピア(14円)も払えば十分じゃないかなと思う。
(ミネラルウォーターがスーパーで買ったら1本1300ルピア、
ナシゴレン(チャーハン)やミーゴレン(やきそば)が7000ルピアぐらい)


村の風景。写真右は歴史で習った「高床式住居」。
日本のテーパパークとはわけは違い、観光客に開放しているとはいえ、
あくまで見世物のために作ったのではなく、実際上の生活で使われているものである。

まあまあそんなわけで、なんだかう〜んと昔の歴史の勉強を実地に見ているようだ。
これはすごいですよ・・・。


とまあいっても、完全なる古代社会というわけではなくって、
もちろんそこには外界から入った「近代」の影響があるわけで、
「伝統的生活」には必要とは到底思えないテレビは大人気で、
村に1台しかないのか、みんな集まって真剣に見入っている次第である。(写真右)
そんでもってさらには、この伝統的家屋にはイタリアサッカー選手「デルピエロ」のポスターまで貼ってある。(写真左)

ただ僕はそういった近代化の波をみて、このロンボク島ではそんなに悲観的ではない。
なんだろうな、とりあえず今の段階では、清濁合わせてもまだまだ「素朴」と言えるんだな。
もしかしたら「近代化」の波が、このロンボク島にも一方通行的に押し寄せて、
日本や他のアジア諸国のように「伝統的生活」が追いやられ、
心がすさんだ社会になってしまう可能性も秘めているんだけど、
僕の個人的な楽観的期待なんだけど、ロンボク島はうまく「伝統」と「近代」を組み合わせていけるのではないかと思っている。
年中熱帯という気候的要因における単調さと明るさや、
実り豊かな農業生活主体のこの小さな島には、所詮近代化の波には限界があるような気がしてならない。
いや、きっとそうであって欲しいと僕が願っているだけで、
5年10年もするとそんな素朴さや伝統的な生活など放棄されてしまっているかもしれないが・・・。

ちなみにロンボク島の多くの人が知っている多分唯一の日本人は「ナカタ」である。
ナカタとはもちろんサッカーの中田英寿だ。
ワールドカップがアジアで行われたことは、このインドネシア・ロンボク島でも大きな出来事だったらしい。
そこで「ナカタ」を知ったのだろう。 まさしく中田は「世界のナカタ」なのだ。
これはすごいことですよ。

・サローンの攻防(1)


まあまあそんなわけで、この村に「観光」に来た外国人になんとしても買っていってもらいたいのが、
ロンボク島各地でさかんな織物製品である。
村にはこうして機織する光景があちこちで見られ、観光客用に売っている「店」もある。
それこそ日本昔話の世界ではないが、男性は農作業、女性は機織という性別役割分業がはっきりみてとれる。

観光客が通ると「サローン!サローン!」といって声を掛ける。
「サローン」(sarong)とは男女が共に腰に巻く布切れのことである。
考えてみればロンボク島だけではないが、男女問わずこの布切れを巻いている。
ようは「ズボン」「スカート」という区別がない。
これはなかなか便利もでもあり、お洒落でもあるから、
雑貨や食い物やら何やら何でもアジアンブームの日本で、
このサローンがファッションとしてぜひはやったらおもしろいのにな。
結構柄がきれいな布切れだから、腰に巻かなくても他に使用法がありそうだ。

ここからが「社会」の授業なのだが、こうしてロンボク島の伝統的生活を送る村でも余剰生産物ができて、
それを自給自足の最少単位である「村」以外の人間に売ることによって、
そこにマネー(通貨)が必要になり、外貨獲得となり、貧富の格差ができて、
争いや権力や貧困や奴隷や支配や被支配の仕組みが出来上がっていくわけである。
もちろんここで生活している分には食えなくなることはないわけで、
マネーはノーマネー(通貨が必要ないようは交換経済を基本とした社会)なんだけどね。

この「サローン」売りがこの村に限らず、ビーチや寺院なんかに多かったんだな。

・サローンの攻防(2)


ロンボク島でもいまだビーチリゾート開発がされていない、タンジュアンビーチの美しさに圧倒されるんだが、
その美しさとともに圧倒されるのが、店1つないビーチに時々訪れる観光客を狙う物売り集団である。
ビーチを一望できる丘に登ると、ぞろぞろ物売りが5、6人ついてきて、
見事にビーチをふさいで、頭にのっけた大量の「サローン」を目の前に差し出すのである。
ビーチを見続ける限り、この「サローン、サローン、サローン」という妙に物悲しげな声は、響き続けるのである。

バリ島やインドネシアの日本のガイドブックなんかには、 ロンボク島の紹介に、
この手の海を背にして頭にかごをのっけて立ち並ぶ女性の写真をばーんとのっけて、
「美しい自然と素朴な人々との触れ合いが残されたロンボク島」
なーんて言ってるわけなんだけど、かごの中身がサローンだったら、要注意だな。

それは単に「素朴な人々との触れ合い」というより、
「物売りに囲まれ売りつけられようとしている日本人」の写真なんだな。
かごの中身が他のものであれば、物売りではなく通りがかった人の可能性が強いのだが。

まあまあそんなわけでロンボク島は素朴な人々ばかりではないのは当たり前のことなんだけど、
でも、なんだかこのロンボク島の物売りは憎めないんだな。
確かにしつこかったけど、やっぱりこいつら、生活かかった物売りじゃないんだよね。
これが売れると儲けられる!っていうだけで、これが売れないと今日食うもんがない!って世界じゃない。

だからなんだろうな。きっと。
僕は必殺サラ金回収バージョンに変身して、ビーチに立ち塞がる物売りをおっぱらうってことはしない。
この美しいビーチと、金持ち観光客から吸いとってやろうっていう「素朴」な物売り。
それがロンボク島の現実の1つなんだから、それはそれでいいじゃないかって。

何かをユートピア化したり理想化したりすることは危険なこと。
タンジュアンビーチの物売りのしつこさが、ロンボク島をユートピア化したがっていた僕に、
そのことを教えてくれたんだと思う。
そしてまた皮肉なことに、彼らの「素朴さ」をうざったい物売りに変えたのは、僕も含めた観光客なのだからな。

ただここの物売りはあまりにしつこかったんで、「かとちゃんぺ」攻撃に出た。
「サローン、サローン」と付きまとってくる物売りに、「かとちゃんぺ!かとちゃんぺ!」と投げキッスをしたら、
「このヤーパン(日本人)、あたまおかしいんじゃないか」と思ったのか、去っていった。

サローンの攻防・タンジュアン編。それもまた一つの旅の思い出。

・サローンの攻防(3)


ロンボク島の州都マタラムにあるヒンズー教寺院「メル寺院」。
ロンボク島の多くはイスラム教徒だが、お隣のバリ島の影響からヒンズー教寺院もある。
11層もの塔を中心に、9層の塔が隣り合う3つの塔の姿は実に立派である。
ここも「入場料」ではなく「寄進料」という形で、まあ1000ルピア(14円)程度払って見学する。

ここで受付をした兄ちゃんが「ガイド」の名のもと、寺院の説明をはじめた。
こりゃ微妙だな。寄進料に含まれるガイドとは到底思えない。
断ってもついてくるし、まあインドなんかだったら断固として拒否しなければとんでもないことになるが、
まあまあここはロンボク島だ。
後からガイド料といわれたところでたいした金額ではあるまいと思い、説明を受けていた。

もちろん英語をしゃべる。実に達者である。ガイドはなかなか良かった。
寺院を見学しおえた後、さてガイド料を請求してくるものかと向こうの出方を待っていたが、
「こっちに来い」といって、寺院からすぐ近くの家に案内してくれた。


寺院だけでなく家まで案内してガイド料を取ろうという意図なのか、
なぜ彼が家まで案内した思惑がわからず、おそるおそる警戒していたものの、
一般民家に入れるチャンスもそうないと思うと、ついついついていってしまう。
まあまあインドやトルコやエジプトなんかに比べたら、どうとでも切り抜けられるだろうと。

彼が「一般民家」を紹介してくれてるのかと思い、物珍しげにばしばし写真を撮っていた。
すると彼が案内した奥には「織物工場」があったんだな。
工場っていうほどたいそうなものではないが、何人かが例の「サローン」を作っているわけだ。

ははあーん、このサローンを買ってくれってわけだったのか。
意図がわかってほっとしたものの、どうしたものかと僕は迷っていた。

工場見学した後、家に入ると、そこの一室にはサローンがいっぱい!
まいったなあ。ガイド料をいくらか払ってサローンを買わないか、
それともガイド料変りにサローンを1枚ぐらいなんかのみやげに買っていくべきか。
彼の態度は日本人の泣き所をついている。
買えとは強制しないのだ。あくまで「良かったらどうですか」的スタンスなのだ。

ここでもしインドだのエジプトだののように、頼みもしないのに勝手にガイドしたあげく、
勝手に店に連れ込まれて、買わなきゃ出さねえぞ的強圧的態度を取られると、
こっちとしてもそんなもんしらねえよ、アホンダラ!と何としてでも反抗するのだが、
彼は「ガイドしてやっただろう」なんて態度は絶対にしないし、
ましてここで絶対サローンを買って行けよという強圧的態度もまったくない。

こういう日本人的「遠慮・控えめ・親切」攻撃には、僕であっても非常に弱い。
またここで買わないといった時にごちゃごちゃもめるのも面倒だということも考えないでもない。
そして何より新婚旅行で方々にみやげを買わねばならないということが、頭のどこかでかすめていた。

スンギギビーチやタンジュアビーチのサローン売りを蹴散らし、
伝統的村のサローンも見向きもせず、織物の村ではサローンを着せてもらって写真を撮ってもらったものの、
それでもサローンなど買いもしなかったのに、ついにここでサローンを1枚買うことにした。

1枚10万ルピアと聞いて「うえー高けえ!」と思ったが、
ついつい日本円換算にして考えてしまい、1枚1400円ならまあいいかと買った。
ほんとは外国に行った時、日本円換算で考えちゃいかんのだよ。
だって日本の物価水準から比べたら何でも安いのに決まってるんだから。
10万ルピアと向こうで最高金額のお札なのだから、相当高い買物と考えなくてはならないのだが・・・。
こうして直接的サローン売りからは逃れてきたものの、 手の込んだサローン売りにまんまとやられてしまったな。
ま、もちろん断ることはできたんだけど。

こうしてロンボク島でのサローンの攻防はここに終結。
日本でズボン代わりにサローンでもまいて歩こうかな。 それぐらいしか使い道、ないっしょ。

・コロニアル


なぜ、美しい海があるビーチリゾートホテルに、わざわざプールが必要なのか?

僕はずっとその理由がわからなかった。
ビーチにはきれいな海があるわけだから、そこで泳げばいいんであって、プールなんか作る必要ない。
しかしこのロンボク島のスンギギビーチに建つ、シェラトンに宿泊する欧米人の行動を観察し、 やっとわかったのである。
彼らは決して海では泳がない。

「きゃー、きれいな海!素敵!!」なんて海外ビーチで海に入るのは、日本人ぐらいなものである。
欧米人はまず入らない。どんなに美しかろうが、海なんて波があっていろんな生物がいるわけで、
塩水で砂や土も混じった「汚い水」に過ぎないのである。

見て美しいのだから見ることしかせず、泳ぐんだったら、波もなく危険もなく、
薬品できちんと洗浄され、きちんと人間によって管理された「きれいな水」であるプールでしか入らない。
だから、美しい海の目の前にわざわざプールがあるんだ。
それは到底日本人の考えでは理解できないが、それが欧米人が生み出した「ビーチリゾート」なのである。
つまりはそこにくる日本人が間違ってるってことだな。

しかし、欧米人はプールでめったに泳がないし、まして日本人のように遊んだりはしない。


美しい海は見るため。じゃあ泳ぐためのプールで欧米人が泳ぐかっていったら、これまたノー。
ほとんど泳がないですよ。時々水に浸かるぐらい。 あとは子供だな。
というわけでシェラトンの立派な大プールは、欧米人のがきんちょと我々の占領地区となったのである。

じゃあ彼らは一体何をしにくるのか。
何もしない。
海辺とプールぎわにねそべって、眠ったり日焼けしたり本を読んだりする。
時々酒やコーヒーを飲む。 ほんと何もしないでぼけーとしてるんだな。
これまた日本人じゃ信じられんこと。

日本人の旅行は疲れる。
せっかくきた海外だからと、飛行機バンバン使って、名所を「バスから眺めるだけ」で下車せず、
とにかくとことん詰め込んで回る。それが日本人の海外旅行スタイル。
いってみれば未だにおのぼりさんなんだな。
だから休まるはずの旅行も超過密スケジュールで何が何だかわからないうちに、疲れきって終わってしまう。

もちろん欧米人だって名所回りはするんだけど、とてもじゃないけど日本人の信じられない過密スケジュールなんかしない。
彼らには「またすぐに来れる」という余裕があり、「せっかくの休みなんだからゆっくりしたい」のが主眼である。
だからといってどこへもいかず、日常空間でただ寝てばかりいる日本人的ゆっくりとは違う。
ただ寝るだけのために、日常を離れ、心身をリセットするために、わざわざ高い金払って虚無空間であるビーチリゾートに来るのである。

ショッピングなんかしない。スパなんかしない。
ほんとビーチ沿いで酒飲みながら寝てる。それが彼らの「バカ」ンスなのだ。

まあまあそんなわけで、美しい海があるにもかかわらずプールがあり、
そのプールも泳ぐ目的のためでなく、まあせいぜいインテリア感覚なんだろ。
というか暑いビーチでの水風呂ぐらいにしか考えていない。

こういうビーチリゾートと欧米人スタイルっていうのは、 きっと植民地時代の名残なのではないかとふと思った。
圧倒的財力と権力を持ち合わせた先進大国西欧が、
まだ未開の、しかし手付かずの自然が残る「南」の国々を占領し、こうしてバカンスを過ごす場所とする。
ビーチリゾートは小金持ち(ジャポン)の遊び場ではなく、大金持ちの遊び場なのだなとつくづく思い知らされた。

時折欧米人を気取って日本人もビーチでのんびりしたりするんだけど、やっぱりどうも落ち着かない。
僕は到底1分と寝転がってはいられない。
プールに入るなら泳いで遊ぶ。 それ以外はどこかに行く。

ま、そんなわけで、ビーチリゾートの過ごし方は欧米人のコロニアルスタイルであるというのが僕の結論だ。
日本人は日本人なりの場所で日本人なりの楽しみをした方がいい。
彼らのように圧倒的時間的精神的ゆとりのない貧弱国家なのだから。


・9・11-ロンボク島


2001.9.11−ちょうど1年前、あの時は、あちこち海外旅行がキャンセルされたものだが、
1年たった今、成田空港の出国検査の行列を見るに、もうそんなものどこ吹く風といった感じ。
ちょうど1年後ということもあって、何か起きてもおかしくはないのではと思ったが、
まあ日本なんかにいるよりは、かえってロンボク島にいる方が安全だろうなんて思って、
それほど「9.11」を気にすることなく旅行をした。

ロンボク島なんて小さな小さな島に行ったら、9.11など何の関係もないだろう、と思ったら大間違いだった。
9.11−島にある市場見学に行った時のこと、
僕のはるか10m先、何気なくすっと通りすぎた女性の背中には、確かに「ビンラディン」が描かれていた。

僕はあわててシャッターを切る。しかし女性は瞬く間に市場の中へと消え去ってしまった・・・。

こののどかなロンボク島で「ビンラディンTシャツ」を着た女性がいたことは大変な驚きではあるわけだが、
その時、ふと僕の頭によぎったことは「ロンボク島の多くの人々はイスラム教なんだ」ということであった。
ビンラディンとイスラム教を簡単に結びつけることはナンセンスだが、
9.11とは全く関係のないこの島に「ビンラディンTシャツ」なるものが存在していたことを理解するために、
一つのヒントになりうるのではないかと思ったからだ。

彼女があのTシャツをどこで手に入れたものかはわからないし、
彼女が「今日は9.11」と知ってわざわざあのTシャツを着ていたかもわからないが、
「9.11」の影響というのはこんなところにまで波及しているのだなと感心させられたわけである。

あのTシャツを日本で着ていたらどうなるだろう?あのTシャツをアメリカで着ていたらどうなるだろう・・・

・ロンボク島ってイスラム教?!

ロンボク島・スンギギビーチの近くにあるヒンズー教寺院

「ビンラディンTシャツにイスラム教」と聞くと、みなさんのロンボク島イメージが崩れるだろうな。
ガイドブックの説明によれば、ロンボク島の大半はイスラム教が中心だという。
てっきり僕は、お隣の島、バリ島のバリ・ヒンズー教かと思ったのだが・・・。
ヒンズー教寺院は島にはあるようだが、ヒンズー教が息づいているバリ島的雰囲気もまったくない。
「イスラム」というと中東諸国を思い浮かべるが、
こんなところにもイスラム教が広まっていることに単純に驚いた。

しかしどうもいわゆる中東やエジプトなどの「厳格な」イスラム教には程遠いように思えた。
確かに町中にはあちこちにモスクがあるんだけど、
エジプトのようにモスクを中心に町が形成されているといった雰囲気はなく、
町中にあってもそんなに目立たない。
エジプトでは空港でもほんとどこでも1日に5回のお祈りは、欠かさずメッカの方向に向って確かにやっていたが、
どうもロンボクではそういう様子を見ない。
モスクから流れてくるアザーン(お祈りの時刻の呼びかけ、これがうるさいんだな)は聞こえてこないし、
顔を覆う女性もいないし、イスラム教国って町の雰囲気からして全然違うんだけど、それがまったくない。

ロンボク島=イスラム教というのはどうも感じられない。
そもそもイスラム教の僕の勝手なイメージは、荒漠とした砂漠地帯の苛烈な自然状況下で、
生きていくための教え的な、厳しい自然状況下での精神的支えみたいに思っていたんだけど、
そういう意味では、海も山もあって、果物や魚や米など食べ物も豊富で、
苛烈な気候ではないロンボク島にはどうもイスラム教というのが根本的に合わないような印象を受けた。

ロンボク島はバリ島の支配を受け、その後はオランダの統治下になり、
さらには日本も第二時大戦下ではこのロンボク島まで支配していたらしいから、
(日本人の大半がロンボク島を知らなくても、ロンボク島民は支配者としての日本をよう知っているという、
日本の戦前の異常性というのをこんなところにまできても感じぜずにはいかないのだが)
小島が大国からの支配から逃れるための精神的支えとして、 イスラム教が受け入れられた可能性があるのかなと思う。

ただやはりここまで来ると、イスラム色はかなり薄められているようで、
この島に住んでいた先住民族ササッ人の、もともと宗教とまではいえないが、農業生活における祈りみたいなものと、
おとなりバリ島のヒンズー教の影響を受けて、それらがイスラム教に交じり合った感想を持った。
(学術書で調べたが、やはりロンボク島は、先住民族の原始宗教+バリ・ヒンズー+イスラムの混合宗教的側面があると指摘している)
いちよモスクはあるが、ロンボク島においてどうしても強力な精神的支えとしての宗教を必要としていないのではないかと思う。
毎日の漁や農業の生活が基本だから、その豊作や天候を祈ったりというのはするのだろうけど。

その土地の気候や状況に応じて、精神的支柱である生きるための知恵である宗教というのが、
本来の教えから微妙に違ってくるのは当然のことで、その土地その土地にあった宗教に勝手にカスタマイズされていくんだな。
日本だって「仏教国」には程遠いわけだし。それはいいわるいの問題ではなく、
人間の作った宗教というものが、地域や民族によってカスタマイズされるのは必然といえる。

ま、そんなわけで、ロンボク島は「イスラム教」というイメージには程遠く、
多分みんなの想像する「南の島」的イメージの方が近いとは思うというのが結論である。

ロンボク島民がイスラム教っていうのはどう考えても結びつかないんだけど、
イスラム的側面があるってことは旅行パンフのイメージ写真なんかじゃなく、
実際に行ってみて肌で感じてみると、様々な民族の歴史がよみがえり、おもしろいよな。

・生きるための語学


 この写真の人、ロンボク島のリンサル寺院という、
 あまり観光客が行かないところのガイドなんだけど、
 現地のササク語、インドネシア語、英語、そしてイタリア語もしゃべれるという。

 日本の語学熱が高まっているのに、なぜ話すことができないのか?
 それは目的がないのにただなんなく「英語がしゃべれた方がいい」とか、
 「英語以外の語学も話せたら」などという、
 ディレッタンティズム(学問を趣味として愛好すること)的動機だからだ。

 日本にいる限り、特別に仕事で使う以外は、
 いくら英語を学ぼうがいくらタイ語を学ぼうが、しゃべる機会はない。
 しゃべる機会がないのに学んでも何の意味もないわけで、
 せっかく学んでもしゃべる機会がなければすぐに忘れてしまう。
 だから日本の語学熱はいかさまなのだ。

 しかし生きるために、日銭を稼ぐために必要とされる人々は、
 別にバカ高い教材費やスクール費など払わなくても、独学できちんと話せるのである。

 たとえば日本人が「ロンボク島」というと、
 かなり知的文明の劣った、なんとなく日本の方が発展していてロンボク島なんて下の意識で見るが、
 たとえば観光客の少ないロンボク島でも、リンサル寺院の政府公認ガイドは、
 現地のササク語とインドネシア語はもちろん、英語は当然。
 さらには観光客が多い、イタリア語も話せるという。

 物売りは英語・日本語それぞれ必要最低限、自分の商売ができる範囲での言葉はしゃべれるし、
 バリ島のジンバランビーチのシーフード屋台の人たちも、
 オプショナルツアーでクタやレギャンなどのビーチから、
 日本人観光客が大挙して押し寄せるせいか、日本語はかなりうまい。
 もちろん日本人観光客が大勢いるクタやレギャンのホテルマンは日本語を話せるし、
 両替商もジゴロも物売りもお店の人も、英語は当然として日本語もしゃべれる。
 それは簡単にいえばすぐそれが金になるからだ。

 彼らは駅前留学なんてしていないし、高い教材を買って勉強しているわけではないけど、
 毎日毎日生きるために必要だし、あった方が儲けることができるから、
 学ぼうという動機の質も違うし、毎日話す機会があるから、当然うまくなるし忘れない。

 そうやって外国語を話す必要性があれば、誰だって語学なんてある程度はしゃべれるようになるわけで、
 逆に話す必要性もなく、話す機会もなく、ただなんとなく自分に「箔」をつけるための「語学の勉強」では、
 金も時間も無駄だし、結局話せるようにはならないし、ほんと意味がない。

 何に必要だから●●語を学びたい。
 そういう明確な目的意識と高いモチベーションがない人間に外国語は必要ない。

・子供写真館inロンボク島
今回はいっぱい子供の写真撮れました。
金くれということもなく、実に表情豊かに、外国人である僕に、
カメラの前でリアクションしてくれました。
かさこさんとしてはうれしい限り。 これだから旅は辞められませんね。
子供の純粋な表情見て、日本社会の汚濁を洗い流す。
みなさんも写真でどうぞ。


写真左)織物の村で
隣りでばあちゃんが糸車を回してるんだけど、
退屈なのか落ち着きがなく、なよなよなよなよしてました。
なまめかしいでしょ?写真慣れ?!しれるんかい?

写真右)州都マタラムの近くにある寺院の敷地内で
大人の男たちは寺院の工事に精を出し、女たちは彼らの食事を作っていた。
そこで退屈していたのが彼なんだな。
はじめはかなり警戒していた。 外国人が恐いのかカメラが恐いのか。
でも時間がたつにつれ、打ち解けてきた。
危害を加えない存在で、普段見たことない人種だなと好奇心を持ち始めたようで、
今度は逆に寺院を見ている僕らに、自分の存在を気づかせようと、
敷地内をちょろちょろ動き回りはじめたのだ。
でもまだ恥ずかしさがあるようで、なかなか近くには寄ってこなかったんだけど、
僕らの視線を感じると、楽しそうに微笑んでいた。


写真)スンギギビーチの近くの道端で
僕は「出会い」を求めて、チャリンコを借りて、
ホテルからどんどん離れてあてもなくチャリンコをこいでいた。
そこで出会った学校帰りの子供たち。
僕はチャリンコをとめ、「写真撮ってもいい?」ってカメラを向けて合図を送ると、
「えっ?!私たちを撮ってくれるの?!」
と何とも照れくさいようなうれしいような、そんな表情が印象的だった。