Mr.Childrenの部屋 ミスチルトップ かさこワールド

・待ちに待ったミスチル待望のニューシングル「掌/くるみ」が本日より発売!
ミスチルにとっては多分、初の両面Aシングル、
昨年「HERO」以来、約1年ぶりとなる新曲です。

つい2ヵ月前、新曲「タガタメ」をラジオのみで流すという、
ファン無視&かつネットただダウンロードを助長させるような暴挙をしたばかりで、
そういう意味では、「久しぶりの新曲」といいつつも、
「タガタメ」が実は本当の意味での「久しぶり」の新曲であって、
今回は第2弾シングルといった感が強い。

ミスチル初の両A面シングルということだが、
ま、まだ買ったばかりでちょっとしか聞いていないので、こういうのもなんだが、
両A面というより、2曲目に入っている「くるみ」の片面シングルといった方が正確に思える。

1曲目にきている「掌」は、どっちかっていうとアルバム的に好まれるような曲で、
正直、シングルの、しかも1曲目にくるってのはどうかと思う。
シングルってのはファンじゃない人も借りたりするわけで、
そういう意味では1曲目にとっつきにくいというか、
何度も聞くと味が出てくるような曲は持ってくるべきじゃないと思うな。

余計そう思うのは2曲目のくるみが単独シングルにふさわしい、
ぱっと聞いてすぐ耳に残るような、すんなりすぐに「いい曲」っていえるものだからだ。
CD買ってすぐ聞いたが、1曲目の「掌」でう〜ん、どうかな、
このまま2曲目もこんな感じなのかなって心配させてしまうんだけど、
くるみはぱっと1回聞いただけで、すっとメロディが入ってくるような、
とってもいい曲だなって素直にいえる。

別に曲順なんてどうだっていいなんていうかもしれないけど、
多くの人に聞いてほしいと願うなら、くるみを1曲目にもってきてほしかったな。

そんだけ褒める「くるみ」って曲は、
そういう意味ではうがった見方をすれば「耳障りのいい、万人受けするような、ラブソング」
みたいにいうこともできるかもしれないけど、
ほんと、そういう邪推を感じさせない、実によい曲ですよ。

系統としては「君が好き」とか「口笛」とかそういう感じで、
「抱きしめたい」みたいな完全無欠のラブソングというより、
日常の些細な出来事みたいなことをテーマにしながら、
一歩踏み出せばきっといいことがあるよみたいな、あたたかみのある曲だ。

一方「掌」は、今までのミスチルではちょっと雰囲気の違う曲で、
「光の射す方へ」とか「every body gose」とかみたいな、
完全に突き抜けて、開き直ったような、痛快社会批判ソングではないんだけど、
ちょっとくせがあって耳に引っ掛かるような、
それこそアルバムにも収録されないシングルB面の「デルモ」とか「Love is Blindness」みたいな、
そんな系統のような気がする。

もちろん何度も聞けばいろんな意味で味が出てくるとは思うんだけど、
シングルの1曲目っていう性格ではないな。
もし普通にミスチルがこれまで通りのスタイルでいくなら、
片面シングルで1曲目がくるみで、2曲目が掌ってことで何の違和感もない。

さてここで、僕はあたらめて思う。
ミスチルの完全復活(小脳梗塞で倒れて以来、1度限りのライブとシングル1枚しか出していないという意味で)
を果たす意味でも、いい意味での切り替え時期であるなら、
「掌/くるみ」という形ではなく「タガタメ/くるみ」の両面Aシングルで行くべきではなかったか。

ほんともったいない。タガタメが。
タガタメって曲は非常に世に出す方法がまずかったせいで、
「みんなに早く聞いて欲しい」という美麗字句とは逆に、
ほとんど聞かれずに終わってしまう曲になってしまう。
そういう曲でもいい曲なら別に特別に好きなファンだけがしこしこ聞いていればいいわけだけど、
あの「タガタメ」という曲の強いメッセージと強いメロディこそ、
今のミスチルが最もシングルとして出すべき新境地的曲ではなかったか。

くるみはすごくいいんだけど、シンプルで聴きざわりがよすぎて、
一つ間違うと、よくある当たり前の曲になりかねない危険をはらんでいるし、
ミスチルに聴きなれたものとしては、今まである曲の延長として聞いてしまいかねない危険もある。

かといって「掌」まで技術に凝って「変わった感」を出しすぎると、
バランスを崩した感じになってしまう。

その意味で「タガタメ」という曲は、今までになかった感を抱かせながら、
ミスチルという枠組を外してはいずに、すごくバランス感覚もあり、
でもすごく印象に残る、力強い曲で、今の時代に必要とされる曲だと思う。

ほんとそういう意味では、なぜタガタメをシングルに持ってこなかったのか、
それ以上のできである曲が今回の「掌/くるみ」であったというならともかく、
曲に優劣をつけるのも変な話だが、やっぱりこの2曲よりは、
タガタメの完成度、インパクト、メッセージ性は上だと思う。
「掌」や「くるみ」はアルバムにとっておいて、
「タガタメ」こそシングルカットでどんと現代社会にドロップキックすべきだと思う。
それがミスチルの「復活」だと僕は思う。

さてさて、ここで熱く「タガタメ」を語っても、悲しいかな、
ミスチルの血迷い戦略のせいで、一般の人は聞けないわけである。
(といってもネットから無料で勝手に高音質のものをダウンロードできてしまうわけだが)
そこで、ちょっとタガタメの歌詞について触れ、
タガタメの曲紹介に変えたい。

「ディカプリオの出世作なら〜」という非常にユニークな歌詞からはじまるわけだが、
ま、そんなことを話題にしなくても十分いい曲であることは間違いない。
「子供らを被害者に加害者にもせずに この町で暮らすためまず何をすべきだろう」
という歌詞がこの曲の核になっている。
「被害者」だけでなく「加害者」にも子供をさせないってこと。
犯罪の少子化は今にはじまったことじゃないけど、
子供の誘拐や性的いたずらが当たり前のように横行する一方、
その子供自身がとんでもない犯罪を犯してしまうという、
まさしく今こそ世紀末的世の中で、まず何をすべきだろうって強く問いかける言葉っていうのが、
音楽にすることですごいぐっさりと心を引き裂かれたようなインパクトを与えるわけです。

どんどん曲が進むにつれて、自分の心のわだかまりみたいなものが煮えたぎって、
このままじゃこうしちゃいられないみたいな、心のうちからみなぎる力を与えてくれるような、
そんな力強い曲がタガタメで、ほんとこの曲をシングルとして世に堂々と放って欲しかったなと思う。
こんな2曲のシングルを出すぐらいなら。

ただ、もうミスチルは新しいアルバムの制作をほぼ終えているようだ。
シングル1曲1曲どうのこうのいうより、早くぼ〜んとアルバムを出して欲しいな。
それから、今週金曜日のミュージックステーション、
それから12/1のHEY!HEY!HEY!にミスチルが久しぶりにテレビ出演する。
ま、今回の両面シングルのためのプロモーションということなんだけど、
ぜひタガタメをテレビで歌ってくれたらなと思う。
ま、そんなことは絶対しないだろうけど。
せめて「掌」ではなく「くるみ」を歌って欲しいと願うが、
その願いが万人評価からしてもあっさり実現するに違いない。

・「掌」再考
何度も聞いていくうちに味が出てくる曲ーそれが第一印象だった。
それだけに「特定のファンだけでなく、むしろ今までミスチルを聞いていなかった人に響かせていきたい」
みたいな趣旨を書いていた、Rockin on Japan11月号のインタビュー内容からはかなり違和感を感じ、
両A面シングルという初の試みにもかかわらず、どちらかというとファン好みの、
何度も辛抱強く聞いているうちに、ある瞬間ぱっとその曲の良さがわかるようなアルバム向きの曲を、
なぜ1年ぶりの復活シングルとなる1曲目に持ってきたのかが理解できなかったので、
ニューシングル速報で「タガタメ/くるみ」シングル提案をしたわけだが、
聞きやすくわかりやすい「くるみ」を何度も聞きながら、
そのついでに聞いている「掌」の歌詞やメロディのつっかかりが、逆に新鮮な感じを覚え、
歌詞を追い、メロディをじっくり聞いてみて、
ふとこの曲を「理解」するとっかかりのようなものを自分なりに見つけた。

「タガタメ」とか「終わりなき旅」とか、わかりやすい歌詞のメッセージソングとは違い、
歌詞はわかりそうでわかりにくく、抽象的でもないけど具体的でもない、
ちょっとしか聞かないとなんともとりとめのなさを感じてしまう曲。
メロディも曲の作りもちょっと聞き慣れない感じで引っ掛かりがある。
なぜこの曲を1曲目に・・・
しかし歌詞をじっくりメロディにそって読みこなしていくうちに、
その裏に秘められたメッセージみたいなものが透けてみえてきて、この曲がすごく好きになった。

ミスチルが強いてこの曲を1曲目に持ってきた「意味」をあげるならば、
聞きやすいわかりやすい、非常にインスタントでコンビニ的で使い捨て的なシングル曲ではなく、
何度も何度も買った人にわかるまで聞いてもらいたい、
じっくり聞き込んで欲しいシングルを出したからということではないかと思った。
(ま、それは本当はアルバムでやればいい話だとは思うんだけど)

この曲の歌詞の核は「ひとつにならなくていいや」というフレーズ。
「ひとつにならなくていい」っていうのはちょっと意外な感じがする反語的メッセージで、
「愛」という言葉が何度も出てくるこの曲からすれば、男女は「ひとつになる」ことが理想なわけで、
そこにあえてひとつにならなくていいというメッセージを持ってきたことに、おや?と思わなくもないんだけど、
「認め合うことができれば」ひとつにならなくていいという言葉がついて、はじめてなるほどなと思う。

そしてもう1つ、この曲のサビである部分は、男女の愛憎表現にしては、
ちょっと言い過ぎではないかと思える逆説言葉が続く。
「抱いたはずが突き飛ばして 包むはずが切り刻んで・・・」
ま、確かにそういうこともあるだろうけど、
随分とプラスからマイナスの両極端な感じがして、
ここもサビでありながら違和感を覚えさせる要因となっている。
ところが、この歌詞を単に「男女の愛憎」と考えずに、「社会」「世界」と考えると、
この歌詞の奥深さがじわじわと伝わってくるのだ。

〜一元論を越えて〜
「ひとつにならなくていいよ」というのは男女ではなく、世界の人々に対するメッセージではないか。
それは「価値観も理念も宗教もさ」という歌詞でなるほどなとわかる。
本当はこっちのことを言いたいがための曲じゃないかって。

今、世界で起きている大問題、テロと戦争の連鎖のすべでの諸悪の権化は「一元的価値観」の押し付けだ。
アメリカ的価値観(ルール)を全世界に押しつけようとするアメリカイデオロギーと、
それに根強く反発する、欲望資本主義を戒めてきたイスラム教徒たち。
「世界」がアメリカ的価値観によって「一つ」になることが世界平和なんじゃなくって、
「認め合うことができれば」「ひとつにならなくていい」というのは、
まさしく今の世界に対する桜井さんらしいメッセージじゃないか。

これまで人類史上最大の課題は「どうやって人間の欲望をコントロールするか」ということだった。
そのために賢い古代の人々は、フィクショナルな存在である「神」をつくりあげた。
フィクショナルな絶対的存在をつくりだすことで、
絶対的たろうとする人間の一人一人の欲望を抑え、社会に調和と安定をもたらそうとしたのだ。
「神」が生まれれば、そこに「宗教(=ルール)」が生まれ、「法」が生まれた。
それが有限性のある地球環境の中で共食いをしない「人類」の賢さであった。

ところが、今、そういった何千年もの間、築き上げてきた人類の叡智を嘲笑う、
とんでもない原理・宗教・法律・価値観が生まれ、全世界にものすごいスピードで席巻している。
それがアメリカ的価値観=「自由欲望資本主義」である。
人間は絶対に欲望を消すことはできない。
だから古代の人々は布にベールをかぶせる習慣をつくったり、
言い伝えやたたりや伝説をつくりあげ、欲望を抑える方法を考え続けてきたにもかかわらず、
このアメリカの価値観は実にシンプルでおそるべし魔力を持っている。

「宗教や法律なんかで欲望のある人間を縛りつけることなんてできやしない。
だったら欲望を開放してやったらどうだ。
その代わり欲望はすべて経済的なマネーの数値に置きかえることにすれば、
まさしく「神のみえざる手」によって、金のあるなしで欲望は、
法律や宗教がなくても抑制できるんだという考え方だ。
完全な人間性悪説を100%開き直り、すべての欲望を「金」で買えるようにすることで、
欲望を経済貧富で抑制しようというすさまじい考え方だ。

だから世界中をマクドナルドが席巻し、たびたびその価値観に合わない人々が、マクドナルドをテロの対象とした。
でもそのアメリカ的欲望マネー主義は、ある意味では徹底した合理主義に基づくものであるから、
非合理な「神」だの「宗教」だの「祈り」だのってのを嘲笑う圧倒的力を持ち、
そういった昔ながらの人類の叡智を守り続けてきた宗教に生きる人々も揺さぶるようになりはじめた。

多様性に満ちた社会が、ひとつの「正義」という名の一元論によって、
社会がおかしくなっている現実社会に対して、
ミスチルが「ひとつにならなくていいよ」と何度も繰り返す。
だからこの抽象的な歌詞が「メッセージ性の強い曲」と論評されるわけだ。

歌詞のもう1つのポイントである、「抱いたはずが突き飛ばして 包むはずが切り刻んで」
のような反意語が続くサビのメッセージには、
僕は「援助」や「ボランティア」や「支援」という名の世界の欺瞞を現している言葉ではないかと受けとめた。
イラク「復興支援」とかアフガン「復興支援」といって「抱いたはず」が、
実はイラク国民やアフガン国民を「突き飛ばした」ことにしかならないというメッセージ。
発展途上国に「援助」というといかにも絶対正義があるように見せかけて、
実はその国の人たちの自立心を妨げていたり、
特定の権力集団にだけ金がまわるだけで、かえってその国の貧困を悪化させていたり、
そういう「抱いたはずが突き飛ばす」行動に疑問を投げ掛けているのではないか。

一時のボランティアブームだってそうだ。
自分自身の欲望を満たすために「ボランティア」をやっているだけで、
実はされている方ははた迷惑っていう「抱いたはずが突き飛ばしている」行為が世界には横行しているのではないか。
そういうことに対して、「タガタメ」のように直接的具体的でわかりやすいメッセージではなく、
「なんでこんな曲をシングルのA面に持ってきたんだろうか」と思わせるような、
間接的で抽象的でわかりにくメッセージで、
聞いてくれる人が気づいてくれないかと願ったのではないか。

直接的なメッセージソングはややもするとボランティアと同じく、
聞いた人がそれを聞いただけで、社会批判を「した気に」させてしまう恐ろしさがあり、
聞き手の自立心をそいでしまう可能性がある。
だからこそミスチルはわかりにくい曲を敢えて復活シングルに持ってきたのではないかと、
かなり強引だがそう解釈してみることにした。

<追加1>
すっかり掌の虜になっている私だが、
音楽番組を欠かさず出るミスチルのプロモーション活動をみるに、
(ミュージックステーション、CDTV、HEY!HEY!HEY!)
聞きやすい「くるみ」は歌うことなく、必ず「掌」を歌っている。
このミディアムテンポで下手をすると中途半端と取られかねない曲だが、
だからこそこうして丹念に何度も歌うことで、
その曲の良さ、力強さをわかってもらおうと思っているんじゃないかなと思った。

また聞けば聞くほど、現代社会の閉塞感に対する憤りを誰に向けていいのかわからない、
どうしようもない不完全燃焼感というか内なるフラストレーションの蓄積みたいなものが、
よく現れていて、すごく心の中で叫びたくなるような力強い曲だなと思った。

<追加2>
12/3のFNS歌謡祭で「ミスチルが未発表曲を歌う!」というから、
ひょっとしてあの「タガタメ」を歌うのかと大いに期待したのだが、
なんのことはない、「くるみ」を歌ったのだった。
でも「くるみ」をこうしてテレビで聞き返すと、
やっぱりファンではない人にミスチル復活をアピールするなら、
「掌」より「くるみ」だよなと改めて思った。

しかししかし、それより何より、ライブでは「タガタメ」を歌うかもしれないが、
そういった限られた場ではなく、テレビという公衆の面前で、
「子供らを被害者に加害者にもせずに この町で暮らすためまず何をすべきだろう」
というインパクトのあるメッセージを解き放って欲しかったなと思う。


・タガタメ〜ミスチルの大いなる欺瞞〜(2003/9/1発表)

私は大のミスチルファンではあるが、大好きだからといって、
すべてをまったく無批判に受けとめる狂信者ではない。
大好きであるからこそ、今回のミスチルの「新曲」に対する発表の仕方に多いに疑問を投げ掛けたい。

ミスチル桜井の急病、そして復活。
今、新曲のレコーディング真っ最中である。
ミスチルファン会報によると大分前にすでにアルバムを作れるだけの候補曲ができあがっているといっていた。
詳細は不明だが、きっとそのレコーディングを今しているのであろう。
だから当然それに合わせて、先行シングルが発売されるだろうと、
ここ最近、ずっとミスチルホームページをチェックしていた。

ところがどっこい!
ミスチルのホームページより先にヤフーニュースで驚きのニュースが、9/1だったかな。
「ミスチル新曲、ラジオのオンエアのみで発表」
???
ホームページを確かめてみるとこうだ。

新曲のレコーディング中「できる限り早く世の中の人に聴いてもらいたい」曲ができたという。
「早く世の中に出してみんなに聴いてもらうこと」を優先するため、
通常のプロモーションプランを度外視し、ラジオでのオンエアが最も早い方法だと思い、
ラジオのみでこの新曲「タガタメ」を流すことにした。
発売の予定はない。

まともに文面を読むとこれほどファンをバカにした言葉はない。
早く聴いてもらう方法がはたして今の時代「ラジオ」なのだろうか?
そもそも世の中の人に聴いて欲しい手段として、
今の時代に「ラジオ」が適切なメディアなのだろうか。
ちょっととちくるってるとしか思えない。

しかも聴いてもらいたいといっているわりに、「発売の予定はない」というのはどういうことか。
まったく意味不明というか、くされミュージシャンの情けない「プロモーション」戦略と言わざるを得ない。

さあて、私としてはこのくそったれ戦略に腹立つとはいえ、とにかく曲は早く聞きたいわけである。
それで今まで一度も使ったことのない、家にあったラジオを引っ張り出してくる。
しかしラジオ番組表をみても「ミスチル新曲発表」なんていうものは書かれているわけがない。
どこかの音楽番組の中でいつか流れるかもしれないし流れないかもしれないし。
そんな状態でミスチル新曲を聴けるかっていったら不可能だ。
仮に運良く聞けたとしても一回聴いただけで終わってしまう。

このくされ手段に対抗し、「いち早く聴いてもらいたい」というメッセージを真摯に受け止めるのならば、
禁じてを使う以外にはないだろう。
というか、このミスチルのメッセージには「禁じてを使って音楽を聴いてね」といっているようなものだ。

以前、つぶやきにも書いたが、ネットから勝手に無料で音楽をダウンロードでき放題なのらしい。
しかも未発表曲やら発売日の1ヶ月前の新曲などもダウンロードできるらしい。
今まで自分でやったことはなかったが、そういう手段で手に入れた人から、
コピーCDを手に入れたことは何度かある。

これは明らかに違法なのだろうが、野放しになっている。
しかも特別な裏サイトにアクセスするというわけでもなく、ヤフーで堂々と紹介されている。

今回のミスチルのあまりにファンをバカにした新曲発表の仕方に対して、
ファン側もバカにされたまま、必死になってラジオを1日中聞くなんてバカな真似はしないわけで、
だったら仕方がない、あんたらがそういう発表の仕方しかしないのなら、
今、音楽を手に入れる方法はいろいろありますよということを実践せざるを得ない。

ヒントはWINMX。
ヤフーで検索するとわんさか出てくる。

私は書き手である以上、ネット上で勝手に自分の文章や写真を使われていたら嫌だなと思う観点からも、
音楽の違法コピーというのはしたくないわけだけど、
ラジオしか発表しないというアホな今回のミスチルに対しては、
悪いけどこちらは泣き寝入りはしないつもりだ。

ま、発表の仕方は最悪だけど、新曲は最高!
こうやってネットで簡単に流布している時代を鑑みて、
発表の仕方を考えるべきじゃないかな。
こんなことするんだったらコピーガードのCDをいち早く販売した方がはるかにいいわけなのだから。

それにしても、ミスチルのこのアホな発表の仕方は誰がいけないんだろうか。
ラジオ局から金でももらったのか、事務所の移行なのか、
これも話題作りだと勘違いしているのか、単にラジオが好きなだけなのか。
今の音楽著作権という時代の現実にも、時代を切り裂くミスチルは目を向けて発表の仕方を考えるべきだろう。
ファンはバカにされたまま黙ってないで、勝手にダウンロードしていくだけですよ。