ポーランド  かさこワールド

取材裏話    ポーランド写真

・序:"人類みな兄弟"の解釈

 ポーランドの最大の見所はアウシュビッツしかないと僕は思う。
 もちろん、その他にも美しい都市や、
 さまざまな世界遺産とかがあるわけだけど、
 「ここにしかないもの」と考えると、やはりアウシュビッツしかない。
 (美しい都市や教会だったらヨーロッパにいっぱいあるのだから)

 しかしアウシュビッツに行った時、
 行く前にいろいろな知識が詰まりすぎていたせいか、
 またいやいや連れてこられたのか、地元の高校生の社会見学みたいなのが、
 緊張感なく大挙として見学しにきていたせいなのか、
 中国ハルピン郊外にある、
 日本の731部隊のおぞましい人体実験跡を見た時に感じた、
 鳥肌が立つような戦慄は残念ながら感じることはできなかった。



「人類みな兄弟」みたいなたいそうなスローガンってのが、頭ではわかるんだけど、自分の中であまりぴんと来ない。
「人類」とかいう言葉があまりに広義過ぎて、自分の中でしっくりとしたイメージが沸いてこないからだろう。
でもそんな広義なスローガンを自分の身に寄せて考える契機があった。
それはアウシュビッツを見たからではなく、ポーランドでのガイドさんとの出会いからだ。


 今回、久しぶりの1人取材で、
 (今年取材で行ったシアトルおよびオーストリアは、
 プレスツアーといって他の日本人メディアと一緒に行動する取材スタイルだった)
 ほんといろいろな現地の人にお世話になった。
 特にワルシャワのガイドさんとクラクフのガイドさんにはともに3日間、
 朝から晩まで一緒に行動し、ほんとお世話になった。

 多分一生に一度きりの出会いで、今回の短い取材期間が終わってしまえば、
 別れがきてしまうはかない出会いではあるんだけど、
 取材にいっている間は、ずっと1対1で接し、
 互いに慣れない英語を使いながら、ずっと行動をともにしているので、
 「はかない出会い」とはいえ密度はすごく濃い。
 そういう形で行動をともにしていると、彼女らをとりたてて「異国人」とは思えないわけで、
 人生の中でさまざまな人との出会いがある一人に過ぎなくなってくる。
つまり、日本で出会う日本人と等価に見えてくる。

 また彼女らの生活の一端をかいま見ると、ポーランド人だろうが日本人だろうが、
 同じ人間、やっていることはたいして変わらないんだなと思ったりもした。
 ワルシャワのガイドさんが自宅で夕食を作ってくれたのだが、
 調理器具だって使う材料だって日本と同じだし、
 クラクフのガイドさんが、日本でいえば松屋に行くような感覚で、
 ミルクバーという安くてうまい食堂がどこよりもベストだという姿を見ていると、
 「人間って別にどこの国の人だろうがたいして変わりはないんだな」と思った。

 そういった今回のささやかな出会いから、
 アウシュビッツのことを考えてみると、
 人間が人間を殺戮するなんてバカみたいだなということが、
 やっと頭ではなく、体の感覚としてわかったような気がした。


ポーランドでは不思議と自分が外国人であるということをあまり感じなかった。
ポーランド人も「ポーランド人」というある特定の鋳型で見ることができず、普通の人としか見えなかった。
だからワルシャワやクラクフのガイドさんから、
「ポーランド人についてどう思う?」と聞かれて、返答に窮した。
僕の感覚からいうと「日本人と同じ」っていう答えが一番本音なんだけど、
見た目は明らかに違うし、価値観だって違うんだろうから、
そう答えてしまうと意味がわからないのではないかと思った。

どこの人間だってたいして変わりない。
みんなやっていることは同じ。
そう思うと、○○人だとか○○教徒だとか○○人種だとかいう感覚で何かを争うということが、
 いかにしょうもないことかとわかるわけです。
見た目とか考え方とか違うかもしれないけど、たかが同じ人間じゃないか。
ライオンやクマと戦ってるんじゃないんだから。

 「人類みな兄弟」
 なんとなくきなくさいスローガンだけど、やっとその当たり前のことが、
 自分の中で体感できたのが今回のポーランド取材だった。

 それともそう感じたのは、資本主義的社会生活スタイルが全世界に浸透し、
 それに染まった都市社会に暮らすポーランド人を見たから「同じ」に思えたのか、
 それとも本当にポーランド人は日本人と似ているのか、
 (歩きタバコをする人の多さと、携帯電話でメールをするのは、
 他の外国ではほとんど見られない、
 日本人とポーランド人の共通点であるかもしれないが)
 いずれにせよ、たかが人間されど人間、みんな同じじゃないかって感じた。




 アウシュビッツを見て思うこと。
 アウシュビッツのような人類の狂気を非難することは簡単だけど、
 なぜそのようなことが起こってしまったのかを理解することは、
 非常に難しいなと思う。
 そして今もなお、一言で「アホだ」といってしまえばそれまでだけど、
 イスラエルとパレスチナ、インドとパキスタン、
 アフガニスタン、イラク、アメリカなどなど、
 たかが人間、されど人間同士の、
 些細な違いからの共食いが延々繰り返されている。

 ささやかな「異国人」との出会いの積み重ねから、
 外国人のことを同朋とは変わらない隣人の友達と思える経験をすれば、
 人類みな兄弟って感覚が、頭ではなく自分の体感覚として理解できるわけで、
 そうなれば、人類同士の醜い悲劇も少なくなるのかもしれない。

 人類は過去の歴史からほとんど何も学んではいない、実に愚かな生物だけど、
 それでは未来や希望がない。
 泥沼化するイラク情勢やパレスチナ情勢を前に、
 アウシュビッツというより、さまざまな異邦人たちとの触れ合いを通して、
 改めてその愚かさを感じざるを得ない。

そしてまた、過去の人類の「狂気」のダイナミズムを解き明かさなくてはならないと思う。


・旅行の意義:ここにしかないもの〜アウシュビッツ

 「ポーランドに何があるの?」
 これが大半の日本人のポーランドイメージだと思う。
 僕も旅行地の選択肢として「ポーランド」という単語は思い浮かばなかった。
 今回、取材に行くことになっても、
 「アウシュビッツぐらいしかないのではないか」と思っていた。

 ポーランドに約10日間、取材に行った。
 首都ワルシャワ、古都クラクフを中心に、
 世界遺産の町トルンや、高原リゾート地ザコパネにも足を伸ばした。
 「何があるの?」という問いに対しては、
 ポーランドは行ってもいろいろと見るべき場所もあるし、
 いい町もあるし、旅行地の魅力としては意外と想像以上に印象がよく、
 なかなか楽しい場所であると思う。

(写真:クラクフの旧市街の中央広場)

しかしいつも僕が旅行する時に考えるのは、
「どうしても時間とお金をかけてまでして、そこにしかないものを見にいく」
というのが旅行の最大の動機だと思う。
だからどこにでもある海岸リゾートやどこでも体験できるスパやブランドショッピング、はてはテーマパークには何の興味もない。
だってそれだったらわざわざ海外に行かなくても日本で体験できるのだから。

 そう考えた時、ポーランドは確かに美しい町や場所がたくさんあるけど、
 他のヨーロッパ諸国に比べると、正直見劣りしてしまうきらいはある。
 もちろん他の国との比較の上で見るのはナンセンスだし、
 ポーランドにはポーランドらしいそれなりの街並みがあるんだけど、
 イタリアやスペインなどの地方都市の魅力とか、
 パリやロンドン、ウイ−ンといった大都市の魅力とかと比べると、
 まあ割り引いて考えなくてはならない。
 ポーランドに行く旅行動機ということを考えた場合、
 美しい町の紹介もしていくんだけど、やっぱりここにしかないものっていったら、
 やっぱりアウシュビッツだよなと思うので、
 まず、アウシュビッツから紹介しようと思う。

 (写真:アウシュビッツ・ビルケナウ)


・アウシュビッツの基礎知識
「基礎知識」といっても僕は専門家ではないし、
ここで旅行ガイドブックに書くようなことや教科書的なことを書いても意味がないわけで、
僕が行ってみた時の実体験に基づいての「基礎」を書くことにする。

ポーランドには首都ワルシャワと古都クラクフという二大都市があり、
古都クラクフから車で1時間半ほどのところにアウシュビッツ収容所跡がある。
これはまた後程書くけど、あまり見所のない首都ワルシャワより、
魅力あるクラクフを拠点にすれば、アウシュビッツにいったり、世界遺産の塩坑ヴィエリチカにいったりすることができる。

アウシュビッツというのはドイツ名らしく、現地の人に「アウシュビッツ」といっても通じるのだが、
ポーランド名のオシフィエンチムの方が現地の人には通じる。
クラクフのガイドさんもしきりに「オシフィエンチム」という単語を使い、
アウシュビッツという言葉をあまり使わなかったし、鉄道で行く場合も駅名はオシフィエンチムである。

 アウシュビッツがポーランド名で、
 「オシフィエンチム」という名で通っていることと、
 もう1つ意外なことは、映画やドキュメンタリーで出てくる、
 「アウシュビッツ」は、正確にいうと「ビルケナウ」も含まれている。
 アウシュビッツ収容所の3km先に第2のアウシュビッツともいえる、
 アウシュビッツよりさらに広大なビルケナウにも収容所があり、
 そこには、ユダヤ人たちが貨車で連れられてきたレール跡もあるし、
 いわゆる「アウシュビッツイメージ」という点では、
 アウシュビッツよりビルケナウの方がぴったりくるはず。

 なので当然ツアーではアウシュビッツとビルケナウをセットで回るわけだけど、
 アウシュビッツはきちんと博物館としてインフォメーションセンターや、
 コインロッカー、レストラン、郵便局などが整備されているせいか、
 こちらの見学が主となり、3km離れたビルケナウは、
 なんとなくおまけ的な扱いにされる可能性がある。
 (ビルケナウには資料がおいてある、
 小さなインフォメーションセンターしかないせいか)
 僕もクラクフからアウシュビッツ&ビルケナウのツアーに参加したわけだが、
 ビルケナウの時間が少なくて残念だったというのが感想だ。

(写真左:監視棟から見た一直線に伸びるレール跡)
(写真右:監視棟とレール跡。この門をくぐって列車で収容所に多くの人が連れてこられた)

さてさてちなみに個人で行く人の場合は、クラクフからバスや鉄道を使ってアウシュビッツに行けるわけだが、
アウシュビッツからビルケナウに行くには実に本数の少ないバスを利用するしかない。
ツアー参加でアウシュビッツにあまりに無意味な時間を割くのに業を煮やし、
僕はどうしてもビルケナウに時間をさきたかったので、
途中個人行動し、ビルケナウに先に行こうとしたのだが、バスがなくてタクシーに声をかけると、
たった3kmの距離に50zl(約1750円)かかるとほざき、さすがの僕もふざけんなと思い、タクシーで行くのをやめた。

ポーランドの普通の市内タクシーは初乗り1〜2kmぐらいでも6zl(210円)。
場所が場所だけに市内タクシーの料金とまったく同じというわけにはいかないにしても、
一応、アウシュビッツも小さな町であり、収容所跡以外何もないまったくの観光地ではない。
バスの本数が少ないのとタクシー台数が少ないのをいいことに、
たった3km、車で行ったらわずか5分ぐらいの距離に1750円ふんだくろうとするタクシーのおやじに、
アウシュビッツの悲惨さと同じぐらいの吐き気がした。
(たまたま僕は声をかけたタクシーのおやじが悪かっただけかもしれないが)

人類が忘れてはならない歴史遺産を利用しようして儲けようとするその根性が、
かつてのアウシュビッツのような人類の悲劇を生んだのではないか。
世界でも類稀なる歴史の教訓的遺産の価値を考えれば、それを利用して儲けようとする根性が信じられん。
エジプトのピラミッドを利用して儲けようとするのとは分けが違う。
ちなみに、アウシュビッツ収容所跡への入場料は(収容所は博物館という名目で整備されている)、
過去の人類の歴史的過ちを繰り返させてはならないという意図から、多くの人に見てもらう趣旨なのだろう、無料である。

 アウシュビッツ収容所跡の外観は、今みるとまるで大学のように見え、
 外側に張り巡らされた有刺鉄線以外は、
 ここで大量殺戮が行われたという実感があまりわかない。
 ただ、一部残されている館内の地下牢獄のおぞましさは、
 いるだけでも吐き気がするほどの雰囲気が漂っている。

 そこ以外は、館内に殺された人々の顔写真や、
 むしりとられた膨大な量の持ち物などが展示されている。
 当時の持ち物はその大量殺戮のすさまじさをありありと物語るものだが、
 それ以外の展示はどことなく整然とされすぎていて、
 その悲惨さはあまり伝わってはこない。




(写真左:殺戮に使われたチクロンBの大量の缶)
(写真中:収容所に連れてこられた人たちの靴の山)
(写真右:処刑が行われた「死の壁」)

比較することはナンセンスとはいえ、どうしても中国ハルピンの日本軍の人体実験&化学兵器工場跡の、
内部の生々しい当時の展示や実態と比べてしまうと、いくぶん整然とされすぎているような気がした。
(ま、それは中国が日本軍の行った過去の残虐を絶対に許してはならないし、
忘れてはならないという強烈な意志が露骨に展示の仕方に現れているせいかもしれない)
何にしろ、地下独房がある11号棟の吐き気のするような気色悪さだけは、
僕がアウシュビッツ見学をして最も強烈な印象が残った場所であった。


(写真左:ビルケナウ収容所跡 写真右:ビルケナウの棟内にあるベッド)

そしてあまり時間のなかったビルケナウだが、こっちはまずその広大さに驚かされる。
そこに囚人棟が何棟もあったのだろう。
アウシュビッツが大学の校舎だとするなら、こっちは巨大軍隊の兵舎の群れという感じ。
そして何より、貨車で運ばれたレール跡が残されているのがなんとも生生しい感じがする。
ここに何人もの人々が鉄道で運ばれ収容されたのだろうということが、このレール跡から容易に想像できる。
その他、一部しか見学はしていないが、収容された人々がつめこまれた3段ベッド跡は、なかでも生々しい印象を残した1つだった。

そしてもう1つ、印象に残ったのは見学客の多さ。
海外だけでなく国内からももちろん大勢の団体客が訪れていた。
ちょっと序でも触れたけど、緊張感のない、
多分強制的に学校行事の一環として連れてこられたのだろう学生たちがいて、
彼らの一部には、自発的に来たわけじゃないから、すごく緊張感なく、友達のふざけあっている人もいたということだ。

僕らは世界からわざわざこのアウシュビッツを見に来たわけだから、
彼らのそういうふざけた行動は理解できないかもしれないが、
僕にはどうもそれがあまりに皮肉な現実のような気がしてならない。

ここは「強制」収容所。
人間が強制的に何かをやらされることほど意味のないことはないとすると、
もし学校行事の社会見学か何かで全校生徒が「強制的に」ここに来ざるを得ないようなことになっているとするなら、
彼らの一部が緊張感なくふざけあい退屈な様子はよく理解できる。
そういうやり方での「教育」では意味がないわけで、本人の自発心を促すような仕方にしていかないと、
せっかくここに来ても時間の浪費に過ぎず、逆に「強制的」に連れられてきた分、マイナス効果になりかねない。

ここは強制収容所。強制させての社会見学だったらやめさせてほしいと思うし、
そうでないとあの緊張感のない一部の学生の態度は理解しがたい。

これが僕のアウシュビッツ旅行体験記である。
次にアウシュビッツとは何だったのかということについての僕なりの意見を、紹介しよう。

・ポーランドの魅力ある街・クラクフ!


 新製品のチョコレート菓子のキャンペーンガール。
 滞在中、街のあちこちで配っていた。
 コスチュームのかわいらしさと金髪美女に惹かれて写真を1枚。
 金髪美女だけと思ったのに、
 通りすがりの人々も割り込んできてしまったのだが、
 またそれも一興。











写真左:広場中央にあるアーケード街の前で、
民族衣装を来て楽しい演奏を聞かせてくれる楽団。
観光客用なのだろうが、とっても陽気で楽しい人々だった。
音楽テープを売っている以外は、お客さんからの自発的なチップをもらう。
広場にいくといつも楽しげな音楽と踊りをやっている。

写真右:広場の銅像は記念撮影の人気の的なのだが、
いつもがきんちょどもが占拠していて、観光客は彼らなしに撮影することはなかなか難しい。
彼らにカメラを向けると喜んで整列し、ポーズをとった。

 アウシュビッツの話はちょっと後にして、古都クラクフのお話を少々。
 今回、一番良かったなと思ったのは、クラクフという町だ。
 かつて首都が置かれていた場所で、
 まあいってみればワルシャワが東京なら、クラクフは京都といったところか。

 ただ「古都」とか「京都」とイメージするほど、旧市街部分は大きくない。
 ほんと小さな広場に教会と時計塔のついた市庁舎と、
 デパートの原型ともいわれるショッピングアーケード街、織物会館があるぐらいだ。
 その小さな広場に向って四方八方から、
 これまた他の大都市に比べれば非常に狭い道路が集まっていて、
 そこにはさまざまなお店がずらりと並んでいる。
 自分の足で回れる町のコンパクトさと、いろいろなものがある賑やかしさが、
 とても気に入った点だ。
 (写真:クラクフの中央広場)

 アウシュビッツを見て人類平和を考えたというようなインパクトは、
 僕にはなかったけれど、
 ポーランド取材時のガイドさんたちとの触れ合いを通じて、
 自分の身に寄せて「人類みな兄弟」ということを考えられたと序で書いたけど、
 概してポーランドの人たちは優しく親しみやすかった。

 どこの国の人が優しくてどこの国の人たちが優しくないというのは、
 あまり意味のないような気もするが、
 (それは旅行者のイメージであって、どこの国の人だろうと、
 優しくもあり恐ろしくもあり、恐くもあり親切でもあるのだから)
 それでも僕が訪れた印象からすると、
 どこか日本人に通ずるような親近感を持てたのは事実だ。

クラクフの広場に集まる、そんな人々の写真から、少しでもそんなことが伝わればいいなと思う。

(写真:クラクフ名物プリッツェルを売る店。クラクフのあちこちにあり、だいたい1つ0.8zl(約30円)
アホブッシュが死に損なったお菓子の小さなものとは違い、見た目はパンかドーナツのようで、結構でかい)

・2つの「虐殺」世界遺産〜ヴィエリチカ岩塩採掘場とアウシュビッツ

 奇しくも、ポーランドの魅力ある街・クラクフ郊外には、
 大量に人が死んだ「負」の世界遺産が2つある。
 1つは言わずと知れたアウシュビッツ収容所。
 もう1つは、ヨーロッパ最古の岩塩採掘場といわれるヴィエリチカである。

 ヴィエリチカはユニークな世界遺産として、
 今はまるでとってもアトラクションじみた、
 「明るい」世界遺産になっているのだが、
 実はここでもその700年にも及ぶ歴史の中で、
 多くの人命が失われている、「負」の遺産なはずだと私は受け取った。






 地下64mから327mに至る9層から岩塩を彫りだし、
 その地下通路たるや全長約250kmというから実にすごい。
 これはもしかしたら「輝かしい」人類の文明史なのかもしれないが、
 このとてつもない大仕事に、当然大勢の人々が亡くなっている。

 地底工事はもちろんのこと、岩塩の運び出しだって想像以上の重労働である。
 当時の様子がわかる人形などもあるが、
 現代社会のような便利な機械があるわけではなしに、
 実に原始的な方法で岩塩を掘り続け「させられた」のだろう。

 ここは簡単にいってみれば、資本主義・独裁政治の縮図ともいえる。
 当然、この塩山を所有し、塩を掘って莫大な巨利を得るのは、
 この辺の大富豪、つまりは王であろう。
 その塩を運び出す奴隷的な重労働を押しつけられるのは、当然弱い民たちだ。
 彼らは王が塩の貿易で巨利を得るために人命を失い続けた。




過酷な労働環境で当然、事故も多数起る。
そこで労働者たちは地下にも礼拝堂を作る。
ところが礼拝堂が可燃性のもので作られたために、火事が起き、さらなる事故を招いたのは1697年のこと。
それに教訓を得て、彼らは礼拝堂を岩塩で作ることにしたのだ。
それがこの素晴らしい彫刻群である。すべて岩塩でできているというから驚きだ。

ま、そんなわけで、すべて岩塩でできた礼拝堂だの像などを、
見て回るという趣向は大変おもしろい「アトラクション」なわけだが、
ここは資本家が労働者階級を奴隷のように扱って、多くの人々の命を失わせた「負」の遺産と見るべきだと思う。

 そう考えた時、同じくクラクフ郊外にあるアウシュビッツ収容所と、
 同じく見えてくる。
 人間が人間を自分たちの都合のために殺戮する遺産。

 しかし2つの遺産には決定的な差異がある。
 ヴィエリチカは岩塩を掘らせるために人間を働かせ、
 その結果として多くの人が命を落としたのだが、
 アウシュビッツは違う。
 ただ単に殺すことを目的に働かせたという点だ。

 だからわからない。
 ヴィエリチカは人が殺されてしまう理由は「理解」はできるわけです。
 地下の岩塩が欲しい。だから働かせる。その結果、人が死ぬ。
 しかしアウシュビッツの狂気は理解ができない。
 ユダヤ人をこの世から抹殺する。
 そこに「なぜ?」という動機が、日本人からはわからない。
 理解できないものほど恐いものはない。
 そこに2つの世界遺産の決定的な差異を感じさせられる。



 ヴィエリチカは、今は完全なアトラクションで、
 商売ッ気たっぷりで、岩塩のさまざまなグッズまでが売られている。
 ヴィエリチカの資本家と労働者階級との、
 過去の暗い歴史に焦点をあてた本は少ない。

 1冊売られている本があるんだけど、
 それによれば労働者がストライキ基金を集めて鉱山家に対抗した、
 ヨーロッパでも最も労働権が発達した素晴らしい場所だ、
 みたいな書き方をしていたがそうではないだろう。
 労働者が団結しなければならないほど、
 過酷な労働環境・労働条件だったということだ。



そんな資本家と労働者階級が最も古くから行われたこのポーランドが、
第2次世界大戦後、ソ連の強烈な圧力のもと、
共産主義国家になってしまうというのも実に皮肉な歴史の結果である。

今、ポーランドは1989年の劇的な体制転換をして10年以上がたち、
共産主義の呪縛から逃れ、「輝かしい」資本主義経済に乗り移ったのだが、
実は共産主義だろうと資本主義だろうと、
権力・金力を持ったものが一般大衆をこき使うという点では、残念ながらあまり変わりがないようだ。

そんなさまざまな歴史を思い起こされるヴィエリチカは、
アトラクション的楽しさゆえではなく、十分世界遺産としての価値があるだろう。

それにしても、共に「負」の象徴となっているのはレールである。
ちなみに日本では10月14日は鉄道の日。
鉄道は便利ではあるけれども、その発達の歴史は、
多分に軍事的政治的な理由からの建設が多いことがわかる。

・首都はつまらないの法則

 海外旅行をする際の1つの参考になるのが「首都はつまらない」の法則だ。
 どんなツアーでも首都滞在に大きく時間を割かれることが多いが、
 首都ほどつまらないところはなく、実は日帰りで帰ってきてしまうような、
 郊外都市の方が魅力があることが多い。
 先日ポーランド取材にいった際も、
 この「首都はつまらない」の法則を再確認したところだった。

 写真:ワルシャワ中央駅前には巨大ショッピングセンターができるそうだ




 首都ワルシャワに3日間取材にあてる。
 首都は日本からのアクセス地として、
 どうしても通過地点となるため、
 (クラクフーウイーンというフライトもあるので、
 実はワルシャワに必ずしも立ち寄る必要はない。
 また、周辺のヨーロッパ国からのアクセスでいけば、
 ワルシャワを通る必要は必ずしもない)
 ガイドブックでは必ず先頭に紹介し、
 かなり念入りにホテルや見所などを解説する。

 写真:ワルシャワの中心部の町の様子

 しかし僕のこれまでの旅行経験上、首都ほど治安が悪く、物価が高く、
 西欧化・近代化されていてどこの都市とも変わらず、
 魅力ある見所が少ないという傾向にある。
 特にヨーロッパは首都を離れて地方都市にいくと、
 やっと旅行気分になれるというかほっとすることが多い。
 首都はいろいろな人が入り乱れているし、
 どこの首都も近代ビルが立ち並ぶビジネスセンターとしての機能が強いので、
 ツーリストにあまりおすすめできない。
 もし僕がポーランドをプライベートで旅行するなら、
 ワルシャワにはせいぜい1日滞在するかしないかだろう。
 写真:文化科学宮殿から見たワルシャワの街並み

宮殿や博物館、美術館はいっぱいあるんだけど、
そういうものって、興味ある人でないと、単なるディレッタンティズムで終わってしまうっていうか、
あとからまったく思い出せない、記憶に残らない場所になりがちだ。

 ワルシャワで取材したほとんどの見所はショパン関連。
 ショパン生家には日本人グループがいたけど、
 ショパンがすごく好きでショパンファンクラブに入っているような人が生家を訪れたり、
 ショパンが学んだ学校を訪れたりしたら、感無量なんだろうけど、
 一般旅行者がショパンって有名だからって理由だけでいっても、たいした感動はない。
 興味もないのに無理して訪れる必要はまったくないわけで、
 ショパン関連は一般旅行者はパスすると、ワルシャワ滞在の1日は削れる。

 写真:ショパン博物館にあるショパンが使ったピアノ。
 オーストリアで見たモーツアルトが使ったピアノと僕にはたいして変わらない



 ワルシャワの唯一の見所は旧市街。
 第二次世界大戦時にほぼ全壊し、今あるのは再建築したものなんだけど、
 当時のままを見事に復元しているのでそれなりに楽しめる。

 あとどうしても訪れたいのはやはり第二次世界大戦関連だろうな。
 旧市街にワルシャワ歴史博物館があるんだけど、
 ここで第二次世界大戦当時のドキュメンタリーフィルムが見られる。
 これは誰がみても興味がなくても見ればわかるし、いろいろ考えさせられることが多い。

 写真:ワルシャワ旧市街入口。
 すべて復元とはいえ見応えはある

自由に生活していた人々にナチスが制圧し、大虐殺を行い、ワルシャワは見るも無残な廃墟となるが、
再び人々が復興に向けて動き出す。
このフィルムをみて、ここがこのワルシャワなんだっていう目で町を歩くと、いろいろ考えさせられることが多い。

 また、1989年以降、共産主義終焉以後の首都としての発展という意味で、
 首都ワルシャワを見る意義はあるかもしれない。
 ただそれには簡単な前知識が必要で、
 多少、現代史、政治史(ニュースレベルで十分)の本を読んでいくと感慨深い。
 宮殿類は残念ながら他のヨーロッパ諸国に比べると、
 たいしたことはない。教会しかり。

 写真:ワルシャワの町の様子。
 近代的なショッピングセンターができる傍ら、
 昔の名残か、道端で物を売る人の姿もあるが、
 非常にわびしいものに映る


だからワルシャワは1日で十分。
ワルシャワ滞在の削った時間を、トルンやグタンスクといった地方都市でゆっくり滞在するのがベストだ。
地方都市にいけば、世界的な有名ホテルもなければ、ブランドショップもなければ日本料理店もないが、
ここにしかないものがたくさんある。
人も親切な傾向だし、首都の煩雑さがない。

あとはなんといってもポーランド観光のハイライトはやっぱり古都クラクフなんだな。
京都ならみるところはいっぱいあるけど、東京にはほとんどみるべきものがないのと同じように、
古都クラクフはみるべきところはいっぱいあるけど、ワルシャワにはほとんどない。

せっかくお金をかけ、時間をかけて海外旅行に行くのだから、
建て前のごときディレッタンティズムの旅ではなく、
印象深い旅をしてほしいと思うからこそ、わざわざ「つまらない」情報を教えるわけだ。
こういった実践的本音のアドバイスが残念ながら今のメディアには少ないからな。
ただし、ショパンにすごく興味がある人は、何日いても飽きない場所であるとは思う。

・高原リゾート・ザコパネ

 クラクフから車で2時間ほど、
 高原リゾート地・ザコパネは10月にもかかわらず雪・・・
 ケーブルカーに乗って山の頂上から見事な景色を写す予定が・・・

 ポーランドはなんとなく「暗い」「寒い」というイメージがあり、
 確かにそういう部分も現実としてあるにはあるのだが、
 さすがに10月で雪は、異常気象らしい。
 日本よりちょっと寒いぐらいの気候だったにもかかわらず、
 ザコパネに着いたら気温は3度。
 さらにケーブルカーで登った頂上はマイナス5度。
 さすがにトラベルライターかさこさんも、頂上に着くなり、
 すぐ下りのケーブルカーに逃げ帰るように乗った。
 こりゃ、お手上げだなと。



 しかし運良く?!ケーブルカーの窓が開いていて、
 美しい雪化粧をした針葉樹の森林風景が撮れて、
 幾分かは満足している。
 これが晴れていたら、町の景色や広がる山脈などを、
 写し撮ることができたのだろうが、
 おかげさまで吹雪でほとんど景色は見えない状態。
 でも目の前にある雪化粧した森林を撮れたのは不幸中の幸いだった。

 ほんと凍えるほど寒かったけど(あたたかい服装はまったくなしだったから)、
 この写真が撮れてよかったなと思う。





さてさてこのザコパネ名物はスモークチーズ。
ザコパネの町のちょっとした広場には、スモークチーズを売る出店がいっぱい出ていた。
うれしいことに味見させてくれる。
というのも一言で「スモークチーズ」といっても、味がそれぞれ微妙に違うのだ。
写真を撮るために近づくと、きっと観光客だと思ったのか、味見をあちこちでさせてくれて、
おみやげに買おうかと思ったのだが、それで腹一杯になってしまったので、買わずに十分満足した。

「市場があれば国家は不要」とは藤原新也の名言かと思うが、
市場にいくたびに、その独立した活気に圧倒される。

凍えるような寒い1日だったが、なかなかおもしろい1日だったな。
ドライバー兼ガイドの人はしきりに「いつもはこんな天気じゃない」と悪天候を嘆いていたが、
「また夏の天気のいい日にこのザコパネに来るから」と僕がいうと、
にこっと笑って「ぜひザコパネに夏にもう一度来てくれ」とうれしそうな表情をみせたのが印象的だったな。

・高級料理はまずい?


 高級レストランのメインは、多分40zl(1400円)ぐらいはする。
 残念ながらちょっと微妙な味だった。
 写真は、安食堂、ミルクバー。全部で多分10zl(350円)ぐらい。
 とにかくポーランドはスープがうまい。
 スープにはソーセージやたまごなど具がいっぱい入っていて、
 これがおなかにたまるし実にうまい。
 ミルクバーならスープは1.5zl(50円)ぐらいだが、
 高級レストランなら15zl(500円)ぐらいする。
 ま、店の雰囲気とかインテリアやサービスが違うから、
 単純な比較はできないけど、
 味と量とうまさなら、やっぱりミルクバーが最高!!


クラクフのとあるポーランド料理店でのこと。
15時過ぎでガイドさんも僕もともに腹がへっていた。
ちょうどよいタイミングで、次は高級レストラン取材。
料理の撮影をすれば無料で食べさせてくれるだろうとの計算があったが、
なんか高級すぎてそんな雰囲気ではなく、また、とにかくインテリアがすごいので、
内装雰囲気さえ撮影すればそれで事足りることもあって、
料理の撮影はせず、ガイドさんとめしを食いにいこうといっていた。

ただガイドさんは僕に気をつかってくれて、<「ここであなたは昼食を食べたいか?」というので、
「いや・・・、できれば別の安い店の方がいい」と答えると、
ガイドさんも同感みたいで、「イエスイエス!」と意気投合した。
そんな同意ができたところで、レストランのマネージャーが、「なんか食べていく?」と僕らにたずねた。

ガイドさんが「これって無料かな?」っていうんで、僕は思わず笑ってしまった。
それは僕が聞きたいセリフであって、それを聞いてくれるのがガイドさんの仕事じゃないかなんて思いながら、
そのガイドさんの素直さに思わず笑ってしまいながら、 なぜか僕が逆の立場になって、
「多分、無料だから大丈夫。もしお金を払えといわれたら私が払うから」
なんていって、ここで昼食をとることになった。

こんな高級レストランで食べられる機会なんて、そうないと勢いこんだものの、
ガイドさんと僕の不安は的中した。
料理が洒落すぎていて凝りすぎていて、正直あまりおいしくないのだ。
たまたまはじめに出された前菜に、僕らは一口食べると、顔を見合わせた。

「どうですか?おいしいですか?」
とガイドさんがきくので、僕は大きな声ではいえないが、
顔の表情であまりおいしくないということを伝えると、
ガイドさんもそっと「私も・・・」といっているところで、
サービス満点のウエイトレスが自信満々に、 「どうです?おいしかったですか?」と聞くので、
そう聞かれて、まして取材できていて、多分無料でご馳走してもらっているのに、
おいしくないともいえず「ベリーグッド」といって、ウエイトレスが去っていくと、
ガイドさんと僕は顔を見合わせて、思わず互いに大笑いしてしまった。

スープはうまかったが、メインがまた微妙だった。
しゃれすぎているんだな。
まずくはないのだが、普通にシンプルに料理してくれた方が・・・
と互いに思っているらしく、でも残すわけにもいかないだろうと、 今度は二人とも黙って黙々と食べた。

この店は決して悪くはない。
確かにしゃれすぎてはいるが、インテリアはすばらしいし、
ロケーションもいいし、雰囲気もいいし、味もむちゃくちゃ悪いわけではない。
「毎日食うわけじゃないんだから、旅行者が雰囲気を味わいにくるならナイスだ」 と互いに同感したりする。
僕ら腹をすかせた若い2人にはちょっと嗜好が違っただけで、
旅先のディナーで雰囲気やサービス含めて楽しむなら素晴らしい店なのだが、
まあ相手が悪かったということだな。

レストランから出ると互いに「ミルクバー イズ ベスト!」といった。
ミルクバーとは安い食堂のことである。
ふとその時、なにか互いに通ずるものを感じ合えた。
やっぱりどこだって一緒なんだな。
しゃれた料理よりも、安くてうまくて量がある牛丼屋みたいなものが、 若い人には好まれるんだなと。

その後、ガイドさんと、何度も安くてうまくて量がある「ミルクバー」で食事をともにした。

・天気の重要性〜世界遺産の町・トルン

 旅行から帰ってくると、あそこが良かっただの、
 あそこはたいしたことがなかっただの、
 人それぞれに旅の印象があるわけだが、
 その印象を大きく左右してしまうのが天気なんだなと、
 今回はすごく実感させられた。

 ずっと天気が悪かった。
 アウシュビッツは雨が降っていても、
 その存在感はまったく変わらないのだが、
 写真に写っている世界遺産の町・トルンなんかは、
 きっと晴れていたら素晴らしい町という印象が残ったんだろうなと思った。

 写真は、教会の塔に登って町の中心部を見たものである。
 今にも雨が降りそうなどんよりした雲のせいで、
 街並みの素晴らしさがどうしても割り引かれてしまう。
これで晴れていたらきっと素晴らしいんだろうなと思わざるを得ない。いつか、晴れた時に、もう一度この町を訪れたいと思った。

そういった意味でも、旅行するときにはぜひ現地の天気を考えて計画してほしい。
たとえばネパールなんか、夏休みにいったらだめである。
雨季で山がまったく見えない。
乾季である冬がベストなのだ。
無論、雨なら雨なりに楽しむことはできるのだが、ヒマラヤ山脈はまず見えない。

どうしても日本の休みの論理(夏休みとか正月とか連休とか)で、旅行計画を立ててしまいがちだが、
またとない海外旅行の機会を十分楽しむなら、現地の天気に気を使うべきだな。


ま、それはともなく、せっかくだからこの世界遺産の町・トルンを説明しておくと、
地動説を唱えたコペルニクス出身の町として有名なのだ。
広場にはコペルニクス像が建てられている。
(ちなみにワルシャワにもコペルニクス像がある。)

コペルニクス博物館なんてのもあって、見所の1つになっている。
ただ一番人気は、コペルニクスの肖像画入りのおかしのおみやげ店である。
僕には普通のおかしとしか思えなかったのだが、
観光客だけでなく、地元の人達も、このコペルニクスのおかし店に殺到し、長い列を作っていた。
別にコペルニクスにちなんでいるから長蛇の列ができているわけではないらしく、
トルン名物のおかしとして有名だかららしい。
ワルシャワから来たガイドさんも買っていた。

ま、そんなわけで、この小さな中世都市トルンは、天気がいい時にいったら、
きっと素晴らしい印象を持って帰れることだろうと思う。