・ニュータイプとは
「ニュータイプ」という言葉は、機動戦士ガンダムに出てくる。
ガンダムのストーリーが進むにつれ、このキーワードが重要になってくる。
「ニュータイプ」とは、直感力・認識力に優れた人をいう。
地球連邦軍であればガンダムを操るアムロであり、ジオン公国でいえば赤い彗星のシャアである。
宇宙戦争で人類が敵も味方もすさんだ状況にあって、
若くして才能あふれるニュータイプの人たちが、新しい時代を切り開いていくのだ。
彼らが戦うモチベーションは、「国家のため」とか「軍のため」という観念はない。
自分のために能力を磨いていくことが彼らの最大のモチベーションになっている。
「自分のため」といっても決して一人よがりなのではなく、
自分のためになることが、結果的にはチームのため、国家のため、組織のためになるという思考を持っている。
決してチームのために自分を犠牲にしたりはしないし、自分のためにチームを犠牲にしたりはしない。
自分とチームとが互いの目的のために非常にドライな関係で結ばれている。
今の時代、ニュータイプの代表といえば、
サッカーの中田英寿であり、野球のイチローであり、音楽界では宇多田ヒカルであろう。
厳しい時代に自分が生き残るために、今自分が持っている才能を最大限に生かす。
自分が他に活躍できる場があれば、何もその仕事にこだわらないというドライな精神も持っている。
圧倒的実力と人気を誇りながら、非常にクールで冷静。冷静沈着で頭脳明晰。
根性だとか忍耐だとかそういった非論理的・非科学的な旧時代の美徳を拝し、
持って生まれた才能を最大限に生かすために、論理的科学的方法を探っていく。
自分を非常によく客観視できているというのも特徴。
しかし冷徹かと思えば意外にも情に厚いところもある。
落ち着いていると思うと、意外に子供っぽいところがあったりする。
そんな二面性から勘違いされることも多いが、それが彼らのスタンダードとなっているのだ。
「個」としての確立が非常に確固たるものとなっている。
そういった個が集まって構成するチームが、社会の理想となる。
互いの個が互いの個性を認め合い、生かしあって、
そのときその場の最善の選択の中で自分のできることをする。
誰もが自分のためになり、それが結果的にチームのためになる。
これからの時代、旧時代の膿を出しきり、新しい時代を作りにあたって、旧体制・旧世代の頑強な反発が予想される。
争いの大きなポイントの一つは世代間戦争になるだろう。
ニュータイプたる人材は、今あちこちに芽を出している。
時代の大きな変革期・過渡期における、この荒波を乗り越えるのは、
「ニュータイプ」の人たちであろう。
・新たなニュータイプの誕生か?〜高橋尚子の世界新〜
はじめマラソン中継をびっくりしたのは、高橋尚子が男と走っているからだ。
「世界記録だけでなく、男子マラソンで優勝しよう」という目標でも掲げているのかと思った。
高橋ならやりかねないと。
9/18・9/19のつぶやきかさこで書いた「ニュータイプ」。
人の革新と言われる新世代の登場を意味するこの言葉は、アニメ・ガンダムからの概念だ。
サッカーの中田英寿、野球のイチロー、音楽の宇多田ヒカル。
それに続く新たなるニュータイプが出現した。
そう、ベルリンマラソンで世界記録を出したマラソン選手、高橋尚子である。
今回のレースは高橋尚子のためだけにあった。しかもその目標は世界記録の更新。
考えてみればすごいことである。
世界記録を目標にしてそれを達成するというのは大変なことである。
しかも単に現在の記録を1秒でも上回ればいいというのではなく、
2時間20分以内を切るという、1分以上も記録短縮をめざしたのだ。
マラソンというその日の環境や体調に左右されやすい、極めて安定性のない種目で、
狙い通りに記録を達成するのは、尋常なことではない。
しかも今まで日本人が外国人にはかなわなかった競技で。
機械のような走り。
計算されつくしたプランと圧倒的な練習量。
そして何より強靭な精神力と冷静さ、落ち着きさ。
彼女の精神力の強さと、記録も公言通りに実行してしまう計り知れない実力。
それはまさしく「ニュータイプ」ではないだろうかと、僕はずっとマラソンを見ていた。
しかし彼女は他のニュータイプとちょっと違うのは、マスコミへの対応がいいことだ。
しかも素直に無邪気に喜ぶ。
イチローや中田は、すごいことをやっても実に淡々としているし、
自分の目標に向っているだけなので、マスコミや他人のことは気にしない。
しかし高橋尚子は、サービス精神旺盛だ。
ちょっとこの姿に「ニュータイプ」の認定をしていいものかどうか僕は迷った。
あそこまで緻密で計算され尽くした走りをし、とりあえず目標を達成したものの、
もっともっと記録を出すつもりだったことだろうから、マスコミや国民受けせず、世界記録を出したのに、
「そんなの当然。自分の練習した成果が出ただけ。それよりもっと上をめざさなければ」
といったコメントをむっつりと、マスコミ対応がうざそうにしてもらいたかったな。
類稀なる才能から、いわば俗世間離れしていて、
修行僧のような超人然たるところがあった方がニュータイプにふさわしい。
でも世界記録を公言して平気でやってのける精神力と実力はまさしくニュータイプだ。
・ニュータイプの苦悩
類稀なる才能と努力で、飽くなき挑戦と、 自己のレベルアップを目指しつづけるニュータイプ。
日本を代表するニュータイプ、サッカー中田英寿が苦悩している。
今朝のスポーツ新聞の一面に、「中田放出」の記事がでかでかと載っていた。
鳴り物入りで移籍したパルマ。 しかしチームは低迷。監督解任劇へ。
それに伴って、中田も新生パルマの戦力として考えられなくなっていた。
ここ最近、ずっとパルマの試合を見ていたが、ほんとひどかった。
チームがばらばら。
フォワードはことごとくシュートを外し、ディフェンスはミスばかり。 間をつなぐ中盤も機能していない。
苛立つ選手はこうなったら個人技でと無理無理に突破しようとして、相手に数人に囲まれ自滅する。
そんな悪循環が続いていた。
それでも能力のあるチームだけに、後半になるとやっとチームが機能しはじめ、
前半にミスした分をとりかえすものの、時すでに遅しで、引き分けまで持っていくのが精一杯。
中田一人のせいにするのは、コクというものだ。
サッカーはチームプレーであり、組織力が問われる。
ゆえにいかに個人個人が卓越した能力を持とうとも、それが勝利につながるとは限らない。
中田はニュータイプだ。まわりの人間とは人種が違う。
それゆえ、先回りしたキラーパスを出したところで、
それに応えてくれる選手がいない限り、中田の能力は活かせない。
中田はキラーパスを出しつづけ、それを受け取れない選手を叱る。
しかし監督からは、逆にそれは独りよがりの独善パスだと叱られる。
能力が突出しすぎてしまったゆえの、ニュータイプの苦悩だ。
ニュータイプの言葉を生んだ「機動戦士ガンダム」でも同じようなことが起きる。
ニュータイプの代表であるアムロは、ホワイトベース艦長ブライトとしばし対立し、
しまいには独房に入れられることもあった。
組織の長としては、突出した能力で勝手に動かれる人間は、いくら結果が良くても使いにくいのだ。
ハイハイ言うことを聞く、平均的な能力のイエスマンの方が、上意下達の組織では好まれる。
ガンダムに出てくるニュータイプのもう一人の代表、赤い彗星のシャアは、さらに独善的に振舞う。
時には味方を見捨て、裏切ったりさえする。
能力もないのに肩書きや家柄だけで権力の座に居座るものが許せないのだ。
ニュータイプは苦悩する。
自分は組織のためにその突出した能力を発揮しているのに、
それを押さえつけられることに我慢がならないのだ。
なぜ中田は容赦なくキラーパスを出しつづけるか。
ニュータイプは自分の飽くなきレベルアップが最終目標。
それゆえ、その間に他人を構っている暇はない。
試合(本番)は、それぞれが自己研鑚を積んでその実力を発揮する場と、ニュータイプは考える。
組織は、自己の能力を高めた個人が集まった集団であって、
互いに傷を舐め合い、甘えあう関係ではないと、ニュータイプは考える。
独立した個人が集まって、1+1以上のものを出すことが組織の存在理由であって、
1+1=2の組織は、害悪であって必要はない。
目的意識のない、自己のレベルアップを図らない人間に合わせたパスを出すのはおかしいという考え方だ。
「遊び」ではなく「仕事」である以上、それぞれが高い意識で仕事(試合)に望まなければならない。
自分にも他人にも厳しくシビアな視線で、常に自己の能力の限界へ挑戦する。
だから彼はキラーパスを容赦なく出し続けるのだ。
もしかしたら僕もニュータイプなのかもしれない。
僕はもしかしたら容赦なく周囲にキラーパスを出し続けているかもしれない。
それを受け取れない味方選手を叱っているかもしれない。
でもそれは組織の長からみれば独善的なパスとして退けられるかもしれない。
天才的な能力を持った一部の人だけがニュータイプなのではない。
ニュータイプとは能力の問題ではない。
意識の問題なのだ。
高い意識を持てば、誰だって自分の能力に合わせた才能を開花することができる。
しかしその意識がないために、ニュータイプになりえないのだ。
ニュータイプは人の革新であると、ガンダムのジオン大君は言った。
意識の革新が起これば、人は誰もがニュータイプになれる。
しかしそれはまだ圧倒的な少数のために、独善的だと迫害を受けている。
ニュータイプの苦悩は続く。
中田選手にはぜひがんばってもらいたい。
ニュータイプの時代がやってくる
ここに二人の人生がある。
ニュータイプであるかさこは、アイフル入社以来、
新人とは思えないめざましい活躍で、将来を有望された。
しかし本人は不満だらけだった。
能力がある分、残業せず少ない時間で成果をあげているのに、
給料としては、営業成績が半分しかない人のほうが、残業している分、
給料を多くもらっているという矛盾が存在する。
ボーナスでS査定されたところで、基本給が少ないからどうしようもない。
能力のない課長からバカの一つ覚えみたいに「ありがとね」と言われるだけで、
仕事をさらによりよく向上させていくための、関係部署や取引先との調整は一切してくれない。
仕事上でさらなるレベルアップをめざして、
こんなことができれば会社は儲かるのにと良かれと思ってしていることを、
本部の堅い頭、役所的怠慢気質、現場を知らない人間によって踏みにじられていく。
こうなってくると仕事がバカらしくなる。
ニュータイプのかさこには、そういった組織上の欠点よりもさらなる野望があった。
こんな仕事で成果をあげ、昇進し、給料をもらうより、
自分のやりたいことをしたいという想いだった。
そういって、スピード昇進の地位を捨て、
旅に出て、以前の業界とは全く別の仕事へ転身した。
ちょうど僕の一つ年上の先輩で、やはり同じように成績優秀な人がいた。
彼もその能力ゆえに上司や部下に不満を言ったが、
だからといってこの会社を辞めようとか、他の業界に転職しようなどという気持ちは持っていなかった。
会社に文句を言いながらも、なんだかんだいって会社の人間なのだ。
彼は今年、超スピード出世で店長に昇進した。
僕はその事実を聞いて衝撃を受けた。
もし僕が会社を辞めて旅に出るという決断をしていなければ、
僕は今、同じような境遇になってもおかしくないからだ。
彼が今、店長になっているということは、
僕もあの会社にそのまま残っていれば、店長になっていたかもしれない。
60才過ぎの嘱託社員や中途採用の経験のある年上社員を、
わずか入社5年目の店内で最年少社員がまとめなければならないのだ。
自分自身のレベルアップややりたいことの実現なんかより、
組織を管理する人間としての日々で終わってしまうだろう。
管理職への昇進。
もうこうなってしまったら、地位と安定を手に入れるかわりに、
途方もない「夢」を語る資格を失ってしまうことだろう。
もし僕があの時、会社を辞めなかったら、
きっと今ごろ、会社にいいように使われる店長になっていただろう。
自由と解放、 夢と希望は、若かりし頃の青春の思い出となり、
会社のくびきにつながれた待遇の良い奴隷にならざるを得なかっただろう。
どちらの人生が良かったのかはわからない。
今でも僕にはそれがわからない。
もしかしたら大会社の中で昇進する平凡な人生こそが幸せなのではないかと思うことはある。
でも僕にはそれは納得がいかなかった。
今は大きな時代の過渡期にある。
旧来の価値観は崩壊し、常識は覆る。
そんな時代の変革期に、従来の幸せを追い求めたとしても、
時代や社会に裏切られることは明らかだと考えているからだ。
今はそんな時代じゃない。
新しい時代を生き残っていくには、多様な価値観とサバイバル精神が必要なのだ。
常識にとらわれない心。先を見据えた迅速な行動。
どんなに馬鹿げたことでも、やりたいと思ったことを貫く意志。
どんなに安泰だと思われる組織や団体など、もうこの時代には存在しない。
だからこそ、組織に頼った力ではなく、個人の技能が大切になるのだ。
今、まさにニュータイプ時代の到来なのだと思う。
組織からつまはじきされている、迫害を受けるニュータイプ。
しかし今こそニュータイプが主役となる時代が訪れようとしている。
中田の苦悩や、僕の苦悩は、もうまもなくすると解決されるだろう。
社会は変わる。
今まさに変わろうとしている。
世代間闘争が起き、新たなるニュータイプが時代を作るのだ。
・個人と組織
<1>
いつみてもトルシエジャパン・サッカー日本代表チームはおもしろい。
なぜなら、ここに個人と組織の関わり合いの妙が見られるからだ。
選手交代をタブー視しないトルシエによって、日本代表チームは大きく成長した。
昨日行われたイタリア代表戦。
イタリア・セリエAでプレーする中田英寿は先発スタメンではなかった。
これが日本人監督だったらブーブーだろうが、トルシエの個人と組織を考えた戦術論からすれば、
何の不思議もなかった。
日本サッカー代表の最大の課題はストライカーがいないことだ。
だから強いチームとやって善戦はできても、良くて引き分けどまり。
逆に決定力がないから、格下との相手にもせった試合をしてしまう。
点をとれないフォワードに、どんなにいいパスを出しても意味がない。
決定力のないフォワードでは、スペースやチャンスをつくる動きができない。
だから日本代表では中田はうまく機能しない。
逆にトップ下に入れた森島は実によく機能していた。
彼はパサーではなく、日本の動きの悪いフォワード代わりにあちこち動き回って相手をかくらんし、
どんなバカでもシュートを決められる場面を演出できる。
森島の入った試合が各段と攻撃にリズムができるのはこのためだ。
パルマでもそうだし、日本代表でもそうだが、中田はほんとかわいそうだ。
彼のイマジネーションについていけるフォワードがいないがゆえに、
彼のパスや動きがミスとして目立ってしまう。
<2>
ガリレオが地動説を唱えてバカ扱いされたように、
常人を覆す発想力を持ってしまった天才は、周りがついていけないので、迫害されてしまう。
今回のイタリア戦。前半の森島と後半の中田を見ると、実にそれがよくわかる。
早すぎた天才は、変人にしか見られない。
特にサッカーというゲームは個人技より組織力を問われるスポーツだ。
かりに野球のような団体スポーツなら、たとえチームが負けに負け最下位になったとしても、
自分の打撃成績だけは、チームメイトに関係なく残る。
そこがイチローと中田の違いであり、喜劇と悲劇の差となって表れているのだ。
イタリア戦の中継で最も印象に残ったシーンは、 試合が終わった後、観客に挨拶する日本人選手の中で、
このところずっと試合に出れずにいる中村俊輔と中田英寿が、二人して肩を組んで歩いている姿だった。
中村俊輔も次代を担うスーパープレーヤーだ。
あの天才的な才能は絶対に真似できない。
にもかかわらず、彼もチャンスを逃し、ベンチをあたためている。
中田と中村のツーショットが、周りに理解されない天才プレーヤー、
そう、まさしくニュータイプコンビに僕は見えた。
ガンダムでいえば、中田がシャーで、俊輔がアムロといったところか。
彼ら二人がいかんなく実力を発揮できるようなチームになった時、
はじめて日本のサッカーはワールドクラスになるのだろう。
それまでにあと何年かかるだろうか?
・国別対抗の意味のなさ ・なんだって飲み込んで
ワールドカップを見ていて思うのは、国別で対抗してチームを編成しているナンセンスさだ。
「フランス代表」といいながら、黒人選手が出ていたり、日本代表のアレックスしかりだが、
国別といいながら、明らかに違う国で生まれ育った身体能力の高い選手が入っているのはどうかと思う。
監督だってそうだ。
セネガル率いるフランス人監督がフランスを破るということが、
「国の威信をかけて戦うワールドカップ」というキャッチコピーからは程遠いような気もするし、
外国人監督を擁して勝った国が、国の威信をとやかくいうのもなんか違うような気もする。
またサッカーではお馴染みだが、イギリスは「イギリス代表」ではなくイングランド代表であり、
スコットランドとか州ごとに代表があることも、国の無意味さを感ぜずにはいられない。
そんな「国」による無意味さを我らがニュータイプの代表者中田英寿は察知したのか、
ベルギー戦の翌日、朝日新聞に、「今大会で日本代表を引退する」という興味深い記事が世間を賑わせた。
カズなど旧世代が「日の丸を背負うこと」に異様な執着を見せていたのとは対象的に、
自らが国代表に興味がないという、時代を2歩も3歩も先を行った考えが出始めている。
普段一緒にチームとしてやっていない即席代表チームより、
国内リーグでやっているチームの方が強かったりもする。
どうせなら、国別なんて政治的な線引きによる国際試合なんてやめて、
ワールドカップはクラブチーム対抗にすべきなんじゃないかな。
ヒデの極めて先進的な考え方に世間はついていけるのか、
それとも「生意気だ」とバッシングするのか。
ニュータイプはスポーツから政治や社会のシステムを変えるかもしれない。
“なんだって飲み込んで、なんだって消化して、全部筋肉に変えてしまおう”
MR.CHILDREN 「友とコーヒーと嘘と胃袋」より
イマドキ風呂なしだなんて・・・
私も昨年まで高円寺で風呂なし生活1年を過ごしていたが、
その同じ高円寺で、僕よりさらに狭い部屋で、
風呂なしトイレも共同で生活をしている親戚がいる。
漫画家をめざす僕よりミスチル好きなしんのすけ氏である。
これは彼が鉛筆で書いたスケッチをデジカメで撮ったものだが、すごく絵がうまい。
彼の僕以上のミスチル好きとともに、こんなにうまい絵を描く人が親戚にいたことに驚いた。
彼は漫画家めざして、高校卒業後、静岡から東京に出てきた。
家賃29000円、風呂なしトイレ共同で、天井にはネズミが這い回るというアパートで、
1年間、イラストの専門学校に通う費用を稼ぐために、
1年間アルバイトをして東京生活を送った。 もちろん、僕同様、めしは牛丼三昧である。
今、社会の歪みや、世界の不穏や、科学の行き詰まりや、
経済成長が幸せをもたらさないという意味での高度成長神話の崩壊で、人々の「生き方」が問われている。
従来のような生き方で本当に幸せな生活を送れるのだろうか?
一度しかない人生を楽しく、満足したものにするにはどうしたらいいのか?
そんな時代背景をよそに出てきたキャッチコピーが「好きを仕事にする」。
でもその裏に隠された苦労というのはなかなかクローズアップされず、
実際は安易に資格を取ったりして、
なんだか楽してスマートに好きなことやって暮らしま〜すみたいな、
今の時代にあったおきらく好き仕事になってしまっているけど、
本当にそうなんだろうか?
「好きを仕事にする」ために、犠牲にしなければならないことは多い。
僕が風呂なし生活を送っていたように、
(アイフル時代より給料が下がったことと、
深夜帰宅が多いためできるだけ都内に近い場所に住む必要があったため)
しんのすけ氏もまた、苦しい生活を送っている。
イマドキ風呂なしトイレ共同なんて流行らんかと思うかもしれないけど、そんなことはない。
こんな時代だからこそ、こういう生活がある意味求められているのだ。
僕にしても彼にしてもそうだが、実は結構住んでみればそれなりに満足してしまうわけで、
ようは慣れの問題である。
贅沢を知っているから満足に飽くなき欲望がつきまとうわけで、
なければないで人間それなりにその環境下でなんとかやっていくものだ。
この金や物が飽和しきった社会で、精神的な満足を得るためには、
さらなる飽食やさらなるブランドあさりではなく、足るを知ることを覚えることなのだ。
本当に生きていくために必要なことは何のか。
精神的充足を得るために必要なことは何のか。
すぐキレル若者、短絡的な犯罪、衝動買い、快楽主義、逃避意識・・・
彼らに必要なのはハングリー精神。
ないからこそ自分の力で手に入れたいと思うエネルギーが彼らにはない。
なぜなら生まれた時から何不自由なく育ってきたばかりか、
政府やマスコミはさらに物を買え物を買えとけしかけるのだから。
別にクリエーターでなくても、別に風呂なし生活じゃなくてもいいけど、
今の社会でよりよく生きていくためには、あまり物がない環境に置かれて、
自分の人生を考えることが必要なんじゃないかなと思う。
ハングリー精神やサバイバル精神といった意味において、
今の若者には「徴兵制」に当たるような、風呂なし生活が必要なんじゃないか。
しんのすけ氏が漫画家もしくはイラストレーターとして成功するかどうかはわからない。
まだ彼は19歳なのだから。
でも彼の人生にとって、自分のやりたいことをやるために、
大好きな風呂をあきらめ、東京という見知らぬ土地で、
風呂なしトイレ共同アパートでがんばったということは、いい経験になったんじゃないかな。
そういうことが実はこれからの若いもんには絶対必要だ。
そういう苦しい(別に風呂なし生活はそんなに苦しいわけではないが)生活があってこそ、
「好きを仕事にする」とか本当の意味でのやりがいある人生を発見できる。
いろいろな誘惑が多き時代だけあって、何が自分の精神的満足にとって必要なのか、
なかなか見極めるのが大変な時代だからこそ、
できるだけ不要な「モノ」はとっぱらって、がんばる時代があってしかるべきだと思う。
なんたって自分の伴侶(または恋人)選びすら、
男も女も今のモノみたいにひっかえとっかえ使い捨ての時代で、
物理的充足ばかり追いかけて、精神的満足を得られる相手すらろくに見つけられないのだから。
ニュータイプというと格好いいかもしれないが、天才イチローにしても天才ナカタにしても、
多分僕らが思っているよりも、はるかに泥臭い血なまぐさい努力をしているはずですよ。
・新庄剛志
深夜、新庄剛志・完全密着番組をやっていた。
新庄・・・ほんとかっこいいね!
やっぱこいつただもんじゃない。
イチローとは違うけど、こいつは間違いなくニュータイプの代表格だと改めて思った。
よくできた完全密着ドキュメンタリー。
5年契約12億円の阪神タイガースを蹴って、1年契約でメジャー最低年俸の2000万円を選んだ、
もしかしたら世界で一番バカな男で、もしかしたら世界で一番幸せな男。
イチローの大リーグ移籍で、日本人野手が大リーグに初挑戦という前に、
新庄も日本人野手で大リーグ挑戦が決まったのだ。
大リーガー初の日本人野手という称号をイチローだけに独占させなかった。
1年目、ニューヨークメッツでの活躍はあまりに華々しかった。
イチローもすごかったけど、新庄もすごかった。
2年目、電撃移籍のサンフランシスコジャイアンツで苦労する。
しかし3年目、古巣メッツに戻り、オープン戦では申し分ない成績をあげたにもかかわらず、
監督のせいでなかなか試合に出れず、ついにはマイナー行きを命じられる。
その後、新庄がマイナーでどのような生活を送っていたかはほとんど報じられていなかった。
今回、マイナーでの新庄の姿をみるに、腐っていたわけでもなく、成績が悪かったわけでもないことを、
はじめて知る。
でもアホな監督のせいでメジャーにお呼びはかからない。
しかし気持ちを切り替え、マイナーでの楽しさを、マイナーでの貴重な経験をプラスと捉えていた新庄の姿を見て、
やっぱりこいつすごいなと思った。
しかも、昔のちゃらちゃら感がなく、ユーモアは忘れないけど、
ものすごい猛練習をしていたことを知る。
その成果が確実に出ていた。
ホームランより打率。コンパクトなスイングで確実なヒッティングができるようになった。
そして天下一品、世界一といっても過言ではないスーパー守備はいつまでも健在だった。
その新庄が、意外や意外、札幌の日本ハムファイターズを選んだ。
メジャーからのオファーも来ていたにもかかわらず。
慣れたセリーグでもよかったにもかかわらず。
アメリカで学んだことを日本に持ちかえりたい。
日本のプロ野球もアメリカの大リーグもレベルは変わらないにもかからわず、
最近のメジャー志向が強い日本人プロ野球選手にあって、
唯一といってもいいだろう、アメリカで経験したらそのうち日本に戻って日本に恩返ししたいという気持ちを持っているのは。
こいつ、ほんまもんのニュータイプだ。
話題先行型で若干不安なところもあるが、
今回の完全密着ドキュメントを見るかぎり、きっと新庄はやってくれると思った。
ニュータイプ新庄の活躍にぜひ期待したい。
単にメジャーに憧れ、メジャーにいって活躍するということだけでなく、
日本のプロ野球に戻ってくることまで視野に入れたこの素晴らしい男に。
ほんと、新庄の生き方はかっこいい。
新しい時代を作るニュータイプの代表格だ。
ある意味ではイチローなんかよりはるかに「上」の選手かもしれないと思った。
・2006年7月5日 ヒデと新庄〜ニュータイプ理論再び〜
中田英寿も新庄剛もそしてイチローも、
私は彼らを「ニュータイプ」と呼び、
ニュータイプ理論なるものを数年前から書いている。
ニュータイプとは「人の革新」(By ガンダム)。
既存の価値観に捉われない先駆者であり革命児だ。
奇しくも、ヒデと新庄は共に今年、
「早すぎる」引退を表明し、周囲を驚かせた。
しかしニュータイプの彼らからしたら「当然」のこと。
サッカーや野球だけにこだわる人生なんてバカみたい。
人生にはさまざまな選択肢があり、何もプロスポーツ選手は、
一生そのスポーツだけに身をささげるなんて必要はどこにもない。
人が持っているマルチな才能を活かして楽しくいきればいいじゃないか。
私はヒデの引退ニュースを聞き、
最後にやっとニュータイプらしきことをしてくれたなと思った。
ただ、ヒデが引退を前から決めていたと聞いて、
また1つ、ワールドカップでの日本代表の大きな敗因が理解できた。
中田は「最後の試合」という思いから、いつも以上に輪をかけて、
空回りし、焦り、怒鳴り、和を乱していた。
あれじゃ、負けるよ。試合にならないよ。
チームとして機能できるわけがない。
中田引退で中田を振り返るみたいなミニ特集みたいなものをやっていたが、
思うに中田のピークは1998〜2002年ぐらいじゃなかったのかな。
1998年、フランス大会以前は、若さゆえの傲慢さも目立ったし、
ベテラン選手たちとの大きな齟齬も見受けられたし、
ここでミスしてはいけないという大事な場面で、
時折気の抜けたプレーでピンチを招いたりもした。
一方、2002年日韓共催大会以降は、
ヨーロッパでの試合の出場機会も少なくなり、
出ても華々しい活躍はできず、
でも「NAKATA」というブランドと誇りだけが先行してしまい、
本人もちぐはぐだったし、それゆえ焦ってまた失敗を繰り返していた。
そんな気がする。
「まだできる」と解説者は一様に言うが、
中田のピークはもう4年前に終わってしまったのではないか。
ピークだった1998〜2002年。
セリエAでの鮮烈デビューからはじまった中田の奇跡。
そして日韓共催大会は中田のエゴをトルシエがうまく消したせいか、
今大会ほど、中田の際立った苛立ちや怒りが少なかったのではないか。
思うにこの頃は、技術的な面での進歩だけでなく、
精神的に非常に安定していて、謙虚な姿勢を持ち合わせていたから、
中田の個性がうまくチームと調和して大活躍できたのではなかったか。
中田が引退すると聞いて、結局、彼は、
ドイツ大会でチームのことなんかまったく考えていない、
単なるナルシストの自己チュー野郎だったのではないかという想いを強くした。
ブラジル戦で長いことピッチに横たわっていたあの姿は、
日本代表が勝てなかった悔しさからではなく、
自分がこの試合を持って引退するからだったに過ぎないことがわかってしまった。
あるテレビのコメンテーターは、いつまでも中田がピッチにいるのは、
勝者に対しても失礼な、スポーツマンとして恥ずべき行為だと言ったらしいが、
まったく同感だ。
結局、自分のことしか考えていない。
自分が引退するから、自分が最後の試合だったから、あそこにいたかった。
ただ、それだけたったのか。
私はニュータイプとして彼に期待していただけに、かなり失望した。
それに引き換え、新庄は、という話である。
オールスターではファンから多くの投票を獲得するだけでなく、
プレーする他の選手からも「新庄が楽しみ」といわしめる人格。
同じ引退にもかかわらず、他の選手からのまなざしが違う。
それは確かに新庄は記録よりも記憶に残るタイプだから、
というタイプの違いが大きいかもしれないが、
団体スポーツである以上、他の選手との調和は最も大切なことだろう。
新庄のように周りには理解しがたい唐突な行動も、
実は頭の硬い老害連中を敵に回しているだけで、
実はすごく計算されていて、ファンのため、プロ野球全体を盛り上げるため、
ということが貫かれている。
そこが同じニュータイプでも、自分のことしか考えない中田と、
周囲のことまで考える新庄との歴然とした差として、現れているのだろう。
中田はガンダムでいえば、ホワイトベースをほっぽりだし、
自分のことだけしか考えず、戦線離脱してしまうような、
未熟なアムロに戻ってしまったといえるかもしれない。
または圧倒的能力を誇りながら、敵も味方も信じない、信じられないシャアといったところか。
一方の新庄は、特質的な能力を活かして時に奇異な行動をとりながらも、
最終的にはホワイトベースを救った、成長したアムロといったところか。
2人の人格の差が、ともにスポーツから離れてビジネスの世界に身を投じた時、
どう差が出てくるか。
ニュータイプ研究者の私としては大変、興味深いところである。