サンフランシスコ〜取材滞在記〜 かさこワールド

2004/6/17〜7/2まで、旅行ガイドブック取材のため、
アメリカ・サンフランシスコに滞在しました。
その時の滞在記ならびに写真をアップしています。
たかが2週間の滞在ですが、
「アメリカ的なるもの」が少しでも浮かび上がっているものになっていれば、
と思っています。

1:牢獄国家、2:アメリカテンション
3:サンフランシスコ第一印象、4:取材1
5:取材2(天気)、6:なぜアメリカでスタバがはやるか
7:取材3(食べ歩き取材)、8:取材4(アメリカは好きですか?)
9:ノートパソコンとの格闘、10:取材5(アメリカの官僚的対応1)
11:取材6(グッドジョブ)12:モントレー&カーメル
13:取材7(最後のアポあり取材)、14:映画「華氏911」in アメリカ

15:差のある対応、16:ゴールデンゲートブリッジ・サイクリング、17:鎖国しちまえアメリカ
アメリカ旅行の秘訣1:水、2:ホテルコーヒー

写真1:カリフォルニア的虚無
写真2:サンフランシスコ・イメージ
写真3:サンフランシスコ・人写真






1:牢獄国家アメリカ
まるで入国する人間すべてがテロリストだと思っているらしいな・・・。
ロサンゼルス空港での入国審査。
入国審査カウンターすべてに小型カメラが設置されで、
すべての入国者の顔写真を撮影し、
入国審査カウンターすべてに指紋採取器があり、すべての入国者の指紋を取る・・・。

(現時点ではまだ行われていないが、今秋に実施されるらしい)
「Welcome to Las Angels」の文字が虚しく踊る。
何が「Welcome」だ。誰も歓迎されてないじゃないか。
アメリカの入国者に対する尋常ならざる措置に唖然とするが、
裏を返せば当然かもしれぬ。
つまり、入国審査を厳しくしなければならない理由は、
いかにアメリカが世界から恨まれているか。
いかにアメリカが世界でひどいことをしているか、その証左に他ならない。

飛行機を降りてから1時間かけてやっと空港の外に出れる。
指紋採取も写真撮影もまだ行われていない、今の時点でこれだけ時間がかかるとするならば、
この審査システムが導入されたら、いかなる時間がかかるのか。
まったく前代未聞の入国審査だ。

しかししかし、まだまだ話は終わらない。
国際線の入国審査だけでなく、アメリカ国内線の審査も尋常じゃない。
全員、靴を脱がされる。
脱がされるだけでなくX線検査にすべて靴まで通される。
ベルトも全員ではないがいけないらしい。
ベルトを取らされ、これもX線検査に通す。
ノートパソコンはバックから取り出し、ケースから取り出し、
さらにはマウスを外され、完全な単体として、X線検査にかけられる。
ノートパソコン爆弾でもあったのだろうか。
X線検査を見守るのは3人。
さらに人間にも全身検査を詳細にする。

思うに、そのうちアメリカの国内線は、
人間は一切衣服やアクセサリーはつけられず、素っ裸で検査されるんじゃないか。
そんな事態がすぐそこまで近づいている。
これ冗談じゃないよ。

田舎では玄関の鍵はかけないで寝る。
鍵などかけなくても泥棒などいないからだ。
それに周囲にいるのは知っている人しかいないのだから。

しかし都会はそうはいかない。
玄関に鍵をかけないなんて信じられない。
昔は都会でも寝る前以外は特に鍵など閉めなかったけど、
最近では、昼間だろうが必ず鍵を閉める。
人が信じられないし、みんなよそ者・流れ者だから、
金や欲望のために何をするかわからないからだ。

アメリカは国家に厳重な鍵をかけはじめた。
人が信じれらないからだ。
思うに人が信じられないのは、自分が信じられないからではないか。
平気でよその国にいって、正義ずらして、虐待するは誤爆するは、
その国をむちゃくちゃにする自分たちが信じられないから、他人も信じることができない。

いやもしかしたら確信犯なのかもな。
自分たちはこれだけ悪いことを世界中でしているのだから、
24時間365日、厳重な警戒をしていないと、うかうか寝ることすらできない。
だから、アメリカは国内移動や国際移動に、尋常ならざる審査をしている。
しかし審査や警戒はきりがない。
他人を信じられない限り、自分たちの行いを正さない限り、
審査や警戒はエスカレートしていくだろう。

2001.9.11.のテロがあった後、僕はこのロスの空港を訪れている。
その時も「厳しくなった」とはいえ、ここまでではなかった。
その後も2度、このロスの空港を訪れているが、ここまで厳しい審査はなかった。

思うに審査が厳しくなったのは「テロ」のせいではなく、
アメリカが行っているテロ=イラク戦争後のことだと思う。

アメリカがやっているのは天に向かって唾を吐いているに等しい。
同じ人間に向かって唾を吐き続ければ、それはいつかは自分のところに返ってくる。
悲しい国だな、アメリカは。
移民の国のくせして、他国からの人間をこんなに厳重に審査するとは。

移民の国が「鎖国」をすれば、いずれ滅びるのは時間の問題だろう。

2:アメリカテンション
アメリカに来てすぐ切り替えなくてはならないことがある。
テンションだ。
テンションをね、普段より2つぐらいあげて接しなくてはならない。
どこでもね。

「ハ〜イ!ハワユー!!」
たとえばタクシーの運転手とか、たとえば両替所とか、たとえば飛行機のチェックインカウンターだとか、
たとえば店の店員だとか、だいたいこんなハイテンションで接してくる。
こちらもそれにあわせて「ハーイ!!!」と返さなくてはならない。

合コンで、しょっぱなから妙に盛り上げようとする、
場違いの変なハイテンションの幹事というのがいるだろう。
それを思い浮かべてくれればいい。

アメリカではみんなよそもの。
よそものが集まってできた国。
だから初対面はハイテンションで接して仲良くなろうとする。
オーバーアクションなぐらいハイテンションで接しなければ、
逆に互いによそものだから「怖い」という印象を与えてしまいかねない。
だから初対面ほどハイテンションに接しなくてはならないのだろう。

アメリカについて感じることはいわゆる「アメリカ人」とは何を指すのか。
見た目には「アメリカ人」なるものはわからない。
きわめて日本人みたいな人もいればきわめて中国人みたいな人もいるけど、
たとえば日本語で話しかけてもまったく日本語がでいないという、彼らは立派な「アメリカ」人なのだ。
さまざまな人種が入り乱れていて、見た目だけでは「アメリカ人」というものが判然としない。
まあそれがアメリカでありアメリカたるゆえんなのだが。

たとえば中国にいけばすぐ僕らとは違う中国人がいるわけだし、
韓国にいけば韓国人がいるし、イタリアにいけばイタリア人がいるんだけど、
アメリカに来ると誰がアメリカ人で誰がそうでないのかがわからないのだ。
その証拠ともいうべきか、アメリカに住んでいる人間でもまともな英語を話せない人が結構多い。
移民でできあがっている国だからなのか、メキシコ系のアメリカ人の英語とか、
日系のアメリカ人でもそうだし、中国系のアメリカ人でもそうだし、
とにかく「アメリカ人」だろうとも流暢な英語を話せるとは限らない。
アメリカ人がいないようにアメリカ語もないしアメリカ料理もない。
土着の人々がいないから、(というかインディアンはいたわけだが、
ほとんど追いやってしまったわけだし)
まっとうな英語を話せないアメリカ人がいてもまあ不思議なことではないのだ。

でもそんなこともあるからこそ、初対面はハイテンションに、
「ハ〜イ!ハワ〜ユ!!!」から入らねばならないのかもしれないが。

3:サンフランシスコ第一印象
ホテルに着いたのが現地時間15時過ぎ。
もう眠くて眠くて仕方がないんだけど、
はじめての町へ来たうれしさで、出られずにはいられない。
出発したのは17時。でもまだ外は明るい。
陽が長いと夜遅くまであちこち動け回れるので、取材者にとってはありがたい。

取材うんぬんはともかく「サンフランといえば」という場所に行こうと思った。
サンフランシスコ名物ケーブルカーに乗ってフィッシャーマンズワーフに行く。
ケーブルカー乗り場は想像以上に混んでいた。
ほとんどが観光客。
人気がある理由はすごくわかる。
とっても楽しそうな乗り物だもんな。
ただ「移動」するためだけのものではなくって、
味があるというか楽しさを与えてくれるというか。

とにかく驚いたのはシスコの坂のアップダウンのすさまじさ。
写真や話に聞く以上だった。
ものすごいアップダウン。
地図ならアップダウンがわからないから、すごく近そうなところでも、坂が登りだったらえらいこった。

でもこの坂があることで、シスコの町の美しさが際立っている。
坂の先に海が見えたり、アルカトラズ島が見えたり、ピアが見えたり、実に絵になる風景なのだ。
そこにレトロなケーブルカーが走る。
こりゃ、完璧じゃないか。観光客も喜ぶよ。
ディズニーランドのような造られたアトラクションではなく、
町の地勢を生かし、町に息づいているから、すごく自然で、すごく驚きがある。

フィッシャーマンズワーフも思っていたより広かった。
ロスのサンタモニカで僕はさんざんな目にあっているから、
(さんざんな目というのは、実にたいしたことがなかったという意味。
海に向かって300mぐらいの桟橋にメリーゴーランドがあるだけの場所が、
なぜ観光地として取り上げられるのか不思議に思うぐらい、ほんとたいしたことなかった)。

フィッシャーマンズワーフもロスのサンタモニカ程度かと思っていたが規模が違う。
ピア39なんか、いっぱいレストランやショップがあって、迷路みたい。
そこにアシカが見れたり、クルーズがあったり、
ゴールデンゲートブリッジがあったり、アルカトラズ島があったりするのだから、
サンタモニカなんかとは比較にならない。

どことなくシアトルに似てる。
シアトルのいいとこどりにしてさらにその規模をおっきくしたような感じ。
シーフード屋台もいっぱいあったし、シーフード料理店もいっぱいあって、
すごくリゾートな雰囲気がしてとてもよかった。

帰りもケーブルカーでと思ったがとんでもなかった。
乗るのに30分待たされた。結構寒かったし。
あれは実用性はないんだな。何か別の交通手段を探さなくては。

サンフランシスコの第一印象はとってもよかったですよ。

4:取材1
時差ボケさめやらぬ、到着翌日から、
1日9件取材というとってもクレイジーな記念すべき日。
レストランとショップばかり。
とりあえず終わった。疲れたという暇もない。
こんなんでちゃんと取材できて写真撮影できてるのだろうか。
まあ、どうにかなってしまうんだろうな。

それにしても美しい町にもかかわらず、いらっしゃるんですよ、あちこちに。
浮浪者みたいなのが。
一本、路地を入ったところとか、危ないエリアとかじゃなくって、町の中心部、繁華街で結構目にする。
町としてきちんと対処した方がいいと思うんだけどね。
観光客も大勢きてるし、コンベンションでビジネスマンも大勢きているみたいだから。
日本みたいに川沿いとか駅とか特定の場所にいるなら、そこを避ければいいわけだけど、
いってみれば銀座のど真ん中とか東京のビジネス街とかに、1ブロックおきぐらいにいる感覚。
別に無視すればそれですむけど、ちょっとどうかなと思う。

それにしてもちょっと行っただけで、急にさびれた地区が現れるのにも驚いた。
ガイドブックのキャッチフレーズは、
「今サンフランシスコで最も発展が著しい、注目のエリア、ソーマ」なんだけど、
確かにソーマの中心部には美術館があったり、コンベンションセンターがあったり、
整備された公園があったり、最新テクノロジーを駆使したへんてこなアトラクションもどきがあったりするんだけど、
その2本先の通りからは、まるでゴーストタウン。
ほとんど通り沿いの建物には人は住んでいず、店もつぶれたまま、
昼間でも、いかれた酔っ払いや奇声を発する輩やら、
札束を数えながら歩く男や、一人言をいいながら歩くあやしげな女やら、
こうも雰囲気が変わってしまうのかと驚いた。
1件、そのエリアに店があったからいったんだけど、
まあ昼間は平気だけど、あまり足を踏み入れたくない場所だよな。
たった2本先の通り、300mぐらいいけば、
観光客であふれる「最も発展著しい」場所があるのに、とにかくそのギャップに驚いた。

それにしても今日は9件のうちレストラン取材が6件あったんだけど、
昼立て続けに2件、撮影した料理を食えて、
「もうはいらないっす」と思ってたんだけど、
腹が減った夜は、1件は食べさせてあげるとやさしい言葉をいただいたにもかかわらず、
次の取材が迫っていて食べれず、
そのほかは残念ながら食べることができなかった。
ホテルに帰ってきてさて夕食何を食おうかと思っても、
これだけ何件も取材したレストランへは到底足を運べず(高いので)、
わが愛するマックかバーガーキングかサブウエイに駆け込むという、非常に悲しい現実もある。
サブウエイでサンドイッチを買ってきたんだけど、量は多いんだけど、味の繊細さがなくって、
結局、日本から持ってきた「カレせん(カレーせんべい)」を食の足しにする。

5:取材2(天気)
昨日の1日取材9件というクレイジーなことはなく、
午前中に3件のみと比較的ゆったりしたスケジュール。
じゃあ午前中だけで終わるのかといったらそうじゃない。
アポイントが入っている取材が3件だけで、フリーの時間は、
アポなしでできる取材にかけずりまわらなくてはならない。

このフリーの時間に何をするか、何ができるかで、取材者の力量が問われるわけで、
アポイントだけの取材だけだったらハードなスケジュールだろうが、大変ではない。
受験勉強は大変かもしれないけど、ある意味、決められたことだけをやっていればいいから楽だけど、
社会人の「勉強」となると、決められたことはないから、
自由だけど自分で決めてやらねばいけないから大変というたとえに似ている。

さて午後のフリー時間に何をしようかとある程度、昨日作戦を立てていたにもかかわらず、
翌日、予想外の出来事が起きた。
雨、である。
とにかく海外取材時に気をつかうのは、日の出日の入りの時間と天気である。
日照時間によって取材時間が決まってくるし、
天気によって写真の撮れ具合は雲泥の差。
特に外の撮影は天気が写真の良し悪しを決定してしまうといっても過言ではない。
しかもガイドブック取材だからどんよりした曇り空よりからっと晴れていた方が大概はいい。
(アウシュビッツ収容所なんかは曇り空がよく似合ってはいたけど・・・)

サンフランシスコの連日の天気のくせをよむに、
朝は6時過ぎから明るいんだけど11時ぐらいまでは曇っている。
それからからっと晴れだして、16時ぐらいまでは問題なく撮影ができる。
16〜20時過ぎは明るいが、弱い日差しになり、あまり撮影は望ましくない。
たださすがはアメリカ西海岸ゆえ、雨が降らないというのがこのところのデータだった。

朝、雨が降っていてまあすぐやむだろうとたかをくくっていたのだが、なかなかやまないので、
もしかしたら今日は1日雨かもな、と作戦変更を考えていた。

午前中の3件取材が終わり、「雨の日」用作戦変更していたが、昼を食べ終わった後、晴れ始めた。
このタイミングを逃すな!と急遽、元の作戦に戻した。
晴れている日を利用してベイクルーズに参加したのである。
町から町を撮るのではなく、海から町を撮れば町全体が撮れる。
それとアルカトラズ島に近づけるのと、ゴールデンゲートブリッジにも近づいて海から撮影できる。

町はよかったが、橋はだめだった。
橋付近だけには雲がまだ残っていたからだ。
まあ仕方がない。またのチャンスを狙うしかない。

クルーズを終えると15時。微妙な時間だ。
本当は展望台にも行きたかったが、若干雲が残っている箇所もあるので、またの機会を待ち、
雨の日用作戦へと切り替えた。

まあこんな風にして天気に左右されながら、その場その場の状況判断で、
短い滞在期間の間に最大限のパフォーマンスをあげることを心がけている。
だから自由時間なんてほとんどない。
というか1日まったくフリーの日を作るべく、がんばってはいるんだけど。

それにしても日が長い。
日が完全に落ちて暗くなるのは夜21時過ぎぐらいだ。

そしてアメリカはウイークデーと休日の差が激しい。
今日は土曜で、朝はゴーストタウンのごとく閑散としていて、
最大の観光地ピア39も10時ぐらいは閑散としていて、
「この町、大丈夫かな」なんて思っていたけど、なんてことはない。
昼過ぎになると平日にはないにぎやかさだった。

さらに驚いたのが夜23時というのに町に人があふれているのである。
「アメリカ」と聞くと夜どんな街だろうが歩くなんてとんでもない、
というイメージがあると思うけど、
土曜日のサンフランシスコに限っては、とりあえずは大丈夫なようである。
ちょっとアメリカを見直したよ。
夜、町歩きができるなんてたいしたもんじゃないか。
いや、でもこれはサンフラン限定のことだろうけど。

6:なぜアメリカでスタバがはやるか
スタバ発祥の地、アメリカはシアトルを昨年訪れた時、
スタバに限らず、スタバもどきのもろもろのチェーン店が、
町の至るところにあるのに驚かされた。
しかしそれはシアトルに限ったことではないようだ。
サンフランシスコの町にも至るところにスタバがある。
100mおきぐらいに1軒あるんじゃないか。

店の数が多いにもかかわらずどこも結構な人のにぎわい。
そのほとんどがテイクアウトで、スタバのコーヒーを持って歩いている人の数はあまりに多い。
なぜこんなにもスタバがあるのか?
僕はある1つの自分なりの結論を得た。
レストランのコーヒーがまずいからである。

ファーストフードはもちろん、それなりのレストラン(ランチのパスタで15ドル※1600円!もするような場所)でも、
食後にコーヒーを頼むと実にまずい!
結構な高級レストランでもうまいコーヒーが出た記憶があまりない。
コーヒーじゃなくて、熱湯にちょっとコーヒー味をつけましたみたいな、
実にまずいインスタントコーヒーが、どでかいコップになみなみつがれて、
おかわり自由だからなのか、砂糖とミルクが10個ぐらい一緒になって出てくる。

せっかくおいしい料理を食べてもしめの食後のコーヒーがまずかったら台無しだ。
でもこういうレストランが実に多いことに気づかされる。
めしを中心にした「カフェ」なんかでもそうなのだから。

そこできっと「おいしい」というか「まっとうな」コーヒーをウリにした、
スタバがはやっているのではないか。
そう考えると、スタバの異常な多さもスタバの異常な盛況ぶりも、
そして意味のない「持ち歩き」も納得ができる。

レストランでコーヒー飲むなら、早めに出てスタバでコーヒーをテイクアウトする。
これがアメリカでのスタバ大流行の秘密じゃあないかと僕は確信した。

7:取材3(食べ歩き取材)
今日から出版社の人と一緒に取材することに。
一人取材もいいけど、誰か他に人がいて一緒に取材するのは、それはそれでなかなかよい。
取材同行者が現地の外国人ガイドさんともなると、頼りがいはあるんだけど、
言葉の問題があり、かえって気をつかって気疲れしてしまう場合もあるし、
また同じ日本人であっても、そりがあわないと、これはこれで大変、悲惨なことになるわけだけど、
今回は非常に楽しい取材になった。

今日はアポがある取材というより、買い食い取材ばかり。
もう朝から晩まで買っては撮影して食べ、買っては撮影して食べの繰り返し。
そう聞くと取材をしたことがない人には「天国」のように思えるが、
まあこれが取材で仕事となると楽しいけれど想像以上に大変である。

午前中はパフェを中心にデザートメニューを5つ撮影し、2つだけ試食。
それが終わると、サンフランシスコ名物シーフード屋台に行って、
まずはクラムチャウダーをいただき、そのあと、
いか、えび、かに、ロブスターなどを買っては撮影し、そして食べる。
その様子を周囲から奇異な目で見られながら、どんどんこなしていく。
はじめの一口はおいしいんだけど、もういっぱい食べているから、だんだん苦しいだけになってくる。
もちろん完食するわけでもないし、それが目的ではないんだけど、
やっぱりあまり残してしまうのはなーと妙な気をつかってしまうせいで、自分を苦しめる。

それが終わると今度はフェリービルディングという食のショップが集まったスポットへ行き、
サラダ、フルーツ、ランチプレート、サンドイッチ、アイスなど、
これまた外のベンチで撮影しては食べることを繰り返す。
そんなこんなで10時から18時ぐらいまでほぼ食べっぱなしの状態だ。

まあたまにこんな日があっていいし、まあこういうのも楽しいんだけど、
(というかこれを楽しいと思えないとこの職業にはつけない)
やっぱりかなりしんどいことは確か。
ホテルに帰ってくるとぐったりして早く眠りたいんだけど、
明日の取材予定を確認したりなんかしなくてはいけないので、なかなかそうも言ってはいられない。

そんな風にして1日買い食い取材デーは無事終了した。

きちんとした時間にきちんとした形で「昼食」「夕食」を食べていないせいか、
おなかいっぱいなんだけど何か物足りないような感覚もあり、なんだかすこぶる胃の調子が悪かったりもする。

また今日ほとんど外で買い食い撮影をしていたせいか、顔が暑い。
日焼けというより軽いやけどの症状に近いんじゃないかな。
そんなおまけも今日の取材でついてきた。

8:取材4(アメリカは好きですか?)
ホテルは観光局のタイアップのおかげで、いいホテルに無料で泊まれているわけだが、
どのホテルもなんと朝食がついていない。
特にひどかったのは、はじめに泊まったホテルで、
ベッドの上に大きく「Breakfast Daliy」と書かれた札があったので、
てっきり「朝食は毎日ついてます」ってことかと思ったら、
「Daliy」とはレストランの名前で、ようは、
「朝食食べるなら、このレストランで!」みたいな単なる宣伝だった。

そんなこともあって毎朝、ただでさえアジアのように食が豊富ではないくそアメリカで、
朝食探しの旅に出なくてはいけないのはこれが結構大変だ。
まあ、それはともかく、今日、例によって朝飯の旅に出ると、空のチェックをする。
空の様子でどんな取材になるかが決まる。
どうやら今日は晴れそうだ。いつものごとく曇り空なんだけど、いつもより雲が厚くない。
これは今日、いい天気になるぞと思ったらその通りだった。
町によって天気のくせが違うから、このあたりのくせを早く理解して、
天候予測を正確にできると、短い取材時間を有効活用できる。

さて、今日も出版社の編集者と同行取材。
今回はというかほとんどの場合、海外取材は、
ライターとカメラマンの両方をしなくてはならないので、結構大変なのだが、
この同行取材時だけは、出版社の編集者にライターをお願いし、
私は撮影するだけなので非常にらくだ。
しかしそれもほんの束の間だけ。
また明日から一人二役をこなさなくてはならないのだが。

さてさて今日もがんばるぞと思いきや、一件目でずっこける。
お店取材でアポイントした11時にいったが誰もいないのだ。
しかも今日はお店が休みの日。
アポイントの際には、取材のために、今日、お店をあけて待ってますということだったらしいが、
見事にすっぽかしてくれた。
まあアメリカではよくあることだ。また機会をみて滞在中に再訪問するしかないよな。

アメリカではアポイントのリコンファームが必要というまったくおもしろい国である。
つまり「19日の14時にうかがいます」と約束を取り付けても、
それを何度も確認しないと平気ですっぽかされるらしい。
つまり約束の確認を何度もしないといけないのである。
まったくもう!

昨日はずっと食べ物取材ばかりだったが、今日は一転してショッピング取材。
ひたすら服やら小物やらを撮影する。
昨日よりしんどくないが、合間に食べ物取材が入ってくれるとありがたいんだけどなー。
ひたすら物撮りばかりしているとこれもまた飽きてくるんだけど、まあ取材だから仕方がない。

今日、歩いている時、小学校の課外授業のような集団と遭遇した。
そこにアメリカが凝縮していた。
白人も多いけど、黒人もいるし、日本人系もいるし中国系もいるし、とにかくインターナショナルなのだ。
これぞアメリカなんだよな。移民国家。

ショップ三昧だったが、最後にレストラン取材で、
ここもアポイントをとった人がいなくてよく話が通じていなかったが、
その場にいたマネージャーが臨機応変に対応してくれ、無事取材できただけでなく、
撮影用に使ったカニ、エビ、かきたっぷりのシーフード三昧プレートを、なんと僕らに食ってけといってくれた。
もうこれはありがたいといわんばかりに、遠慮なくいただくことにした。
このときばかりは思うんだよね。取材者の役得だよなー。

今日、移動中のタクシーの合間からチャイナタウンを見た。
すごい!ぜひ行ってみたい!
サンフランシスコのチャイナタウンは大きくて有名なのだが、ここまでとは思わなかった。
ほんとこの地区はそのまま中国に来た感覚だ。

「リャンカイ!リャンカイ!(2元、2元)と中国語が飛びかう地区。
チャイナタウンを通り過ぎただけでこれだけの郷愁を感じるのは、
きっと中国が好きなんだろうな。

今日乗ったタクシーのおやじは実に英語が聞き取りにくかったんだけど、
(前述したが英語をしゃべれないアメリカ人は非常に多い)
そのおやじが突然、流暢な日本語をしゃべりはじめたのに驚いた。
15、6年前に日本に行ったことがあるらしく、2ヶ月いたというのだ。
九州に友達がいて、ナカス、テンジン、フクオカ、アマクサ、ベップ、オキナワなどにも行ったという。
アマクサはとてもきれいでよかったという。
いやー私、日本人だけど、アマクサは行ったことないんだよね。
自分はブラジル人だという。ブラジル系の移民というわけだ。
これがアメリカ、なんだよね。インターナショナルというかなんというか。

そのおやじがこんな質問を投げかけた。
「アメリカは好きかい?」
出版社の編集者も私も思わず黙ってしまった。
われわれ2人はアメリカをくそだと思っているからだ。
うそでも好きだとはいえない。
しかし出版社の人がうまいこと答えた。
「サンフランシスコはとても好きです」
ザッツライト!ナイス、きりかえし!
ほんと私もサンフランシスコは好きです。
それにしても、えぐい質問だったよなー。

取材が終わり、オフィス街を抜けてホテルのある中心部に戻ろうとしたのだが、
オフィス街にまったく人がいないんです。
まだ19時過ぎ。しかもまだ外は明るいのに。
ときおり変な不良者が金よこせっていっている姿が非常に目立ち、
サンフランシスコのオフィス街はゴーストタウンと化す。
スタバに入って一服しようにもどこも早くしまってしまう。
こんなに平日と土日の差が激しい場所も珍しい。
でもね思うんだけど、オフィス街が19時でゴーストタウンと化してしまうということは、
ほとんどの人は残業なんかしないで毛絵帰ってくるってことなんだよだ。

9:ノートパソコンとの格闘
ノートパソコンを導入し、取材中も大活躍したわけだが、
結構そのせいで、ホテルに帰ってきてからえらい時間をとられていることもある。
まず、買ったばかりのノートパソコンのせいか、
随分前にはやったXPのウイルス、ワームにかかってしまって、
ネットにつなぐとすぐシャットダウンされてしまうという事態が瞬く間に起きた。
まったく困ったもんである。
随分前なんだから修正プログラムをインストールしたものにしておけよ!

思えば、妻のパソコンはXPなのだがウイルスにかかったときは結構難儀した。
だいたいおかしいのはネットにつなぐとシャットダウンされてしまうトラブルなのに、
ネットから3MB近い修正プログラムをダウンロードしろというのが無茶だ。
手順によるとファイアーウォールを有効にすればダウンロードできるはずなのだが、
まったく意味をなさず、やはりシャットダウンされてしまう。
はじめのホテルはぼろいホテルなので高速接続ではなくダイアルアップのため、
たかだが3MBといえども40分ぐらいかかってしまう。
これではどうしようもない。

そういえば、僕が家でいつも使っているのは、とってもでかいボックスの、
今じゃ考えられない非常にスペースをとるデスクトップで、
OSもウインドウズ98なんだけど、98ではへんてこなウイルスにかかった覚えがない。
XPなんかよりはるかに使い勝手がいいのになー。

さてさてどうしたもんかとまず考えたのが、現地の日本人のところでパソコンを使わせてもらい、
そのパソコンに修正プログラムをおとしてCDに焼き、
それを自前のノートパソコンにおとすという方法を思いついたが、なぜだがうまくいかなかった。

次に考えたのが、高速接続できる場所でノートをつなぎ、
なんとか修正プログラムをダウンロードする方法だ。
いいホテルに移って、しかもそこには高速インターネットサービスのケーブルがある。
これはしめた!と思ったのだが、ケーブルつっこんでもまったく接続できない。
設定をいろいろ変えてもだめで、仕方なく、現地の問い合わせ先に夜23時頃電話した。

しかしなんてったって英語である。
しかも会って話しているならともかく電話である。
まったく何をいっているか通じない。
というかパソコンの設定がわからないときに電話で、しかも英語でわあわあいわれても到底わからない。
部屋にきてくれよ!と思ったけど、どうやらこの電話はホテル内の専門家ではなく、
あちこちのホテルに高速インターネットサービスを提供している業者のようで、
ホテルにはいないので部屋にはいけないという。

まいったなと思うと、その業者は、ホテルのフロントにかけて、
ホテルの誰かに部屋に来てもらえという。
なるほどそうするかと思い、ホテルのフロントにかけると、
すぐ人が来てくれたのだが、守衛さんみたいな人でちっともわかっちゃいない。
だって高速インターネットサービスの使い方注意書きには、
ケーブルは簡単につけられるから無理やり力ずくで差し込んだりするなと英語で書いてあるんだけど、
このおやじ、ケーブルがちゃんとささってないということのせいにしようとして、
とにかくケーブルを力強く差し込もうとする。
おいおいやめてくれよ、おやじ。
結局このおやじも「業者の問い合わせ先にかけろ」とたらい回し。
こんなことで2時間あまり無駄な時間が過ぎてしまった。

もうこうなったらシャットダウンされても5分ぐらいはネットにつなげるから、
それでネットをするしかないかと思っていた。
しかしそこで奇跡が、というか妙なことに気づいたのである。
ネットをつなぐとすぐエラーメッセージが表示され、
それにOKなりキャンセルなりをクリックすると、その後、
1分でシャットダウンされるというメッセージが表示されるのだが、
はじめのエラーメッセージにOKともキャンセルとも返事をしないと、
そのままネットがつなげて使えるのである。
これはチャンスとばかりに、ダイアルアップ接続ながら、その間に修正プログラムをダウンロードすることができ、
やっと普通にネットが使えるようになったのである。

こんな風に想像以上にネット環境整備に時間がとられ、
貴重な取材時の睡眠時間が奪われていったのである。

そんなわけでネット関連でだいぶ時間がとられ、連日のハードスケジュールでかなり眠い。
でも眠る暇もないハードなスケジュールだとそんなこともいってはいられないんだけど、
アポイントの合間に2時間とか中途半端な時間があまったりして、
その付近の写真とかも撮り終えてしまって、マックとかで時間をつぶしている、
そういう合間時間に、そういった眠気や疲れがどっと押し寄せてくる。
かえって中途半端な空き時間がない方が疲れを感じないのかもしれない。

10:取材5(アメリカの官僚的対応1)
出版社の人がロスに行ってしまい、再び一人取材に。
このところアポなしの自由取材が多かったが、
今度は再びぎっしりつめこまれたアポあり取材開始。
前日に1件追加され、今日は8件アポあり取材。
その合間をぬって、アポがとれなかった店3軒の調査もかねる。
はっきりいってものすごく大変です。「海外取材」なんていうと聞こえはいいけどね。

でも今日は8件といってもすべて歩ける範囲、
しかもすべて500m四方ぐらいの中をうろうろしているから、そう大変ではない。
初日のいきなり9件取材とは違って、だいぶ取材の勘を取り戻してきたので、
結構すいすい終わる。
そもそもアポイント自体が1時間おきないし30分おきだから、
そう時間をかけて取材をしていられないし、
今回はサンフランシスコの町の中心部ユニオンスクエア、日本でいったら銀座みたいなところのせいか、
どこの店もあわただしいこともあって、まともに時間がとれないこともあり、
でも慣れてくると実にインスタントな取材ができるわけで、
写真も撮って書く材料を集めて聞くこと聞いて、だいたい1件あたりざっと10〜30分ぐらいで終わらせた。

取材をしていて2つ困るパターンがある。
1つは店は非常にいいけど、取材対応が悪い店。
もう1つは店はあまりよくないけど、取材対応が非常によい店。
今日は「店は非常にいいけど、取材対応が悪い店」に1件あたってしまって大変だった。

レストランだったんだけど11時にアポイントをとっているのに担当者が来ない。
担当者が来なくても取材趣旨を説明すれば現場で対応してくれればいいんだけど、
とにかく担当者が来るまで待ての1点張り。
はじめはまあ仕方ないかと思ったけど30分待たされた。
待っている間、何か飲み物がいるかとたずねられて水をくれといったが、
忘れられていっこうに持ってきてくれなかったし。

何度、聞いても「担当者がもうすぐ来るから待て」というばかりなのだが、
11時30分に店が開いて、どんどん客が入って混んできた。
確かにいい店なのだ。だから客のいりは非常にいい。
30分待って信用できなくなったのと、次のアポイントもあるし、客で混雑すると困るので、
もう勝手にレストランの店内撮影をはじめた。
すると現場担当者が三脚を気にして「気をつけろ」の一言。
おいおい、わかっちゃいるけどさ、担当者はいつくるんだよと、かまわず撮影を続ける。

店内撮影を終えて時間もなくなってきたので、料理を用意してくれと現場担当者に頼む。
すると「わかった」といったけど、やっぱり持ってこなかった。
料理を待つこと30分。
やっと来たかと思うと、「担当者が来ないから料理撮影は☆□※☆□※☆□※☆□※☆□※・・・」と、
わけのわからんことをいわれて、結局、用意してなかったらしい。
そんでもって座っている席をどけという。
つまりは店が混んできて客が待っているから、僕が座っている席を空けろということなのだ。

もう腹立たしいを通り越してあきれて何もいえない状態なんだけど、
確かに店はいいし料理もうまそうなので、載せないというわけにもいかない。
結局その現場担当者がいまさらながら事務所みたいなところに僕を連れて行って、
そこでいつくるかもわからん担当者を待てといって消えてしまう。
もう次のアポイントが迫っているからとっとと僕も消えることにする。

まあこんなトラブルが取材ではそこそこある。
ほんとアポイントとってても担当者は忘れていて、現場にも何も伝えていないってことが結構ある。
ラスベガスなんかではそういうことがしょっちゅうあるから、
アポイントの確認シートを先方にサインさせてファックスにさせていたりもしたぐらいだからなー。

実はこの店の前、しょっぱなのブランド店も結構いい加減で、
開店が10時で取材アポイントも10時だったんだけど、
10時に店が開いていなくって、客が5人ぐらい店前で待っていて、
店が開いたのが15分後という、アメリカではよくあることに出くわしていた。

日本でも名の知れたブランド店ですら、平気で営業時間を遅らせてしまうという、
アメリカという国は実に情けないというかスロースターターな国だ。
開店時間になっても開いていない店というのは取材中結構あった。

そんな感じで8件取材のうちはじめの2件がこけて、すっかりムカツイテたわけだけど、
まだまだ6件も取材があるから気分を変えてやらなくてはいけない。
ここは日本じゃないのだから、仕方がない。
くそアメリカ流にあわせるしかないんだからな。

しかしこの対応のなっていないレストランだが、
どうしても料理の撮影もしなくてはならないので、
すべての取材が終わり夕食を食べた後、もう一度行ってみた。
担当者は来ているが会議中だという。
仕方がないので待っているとそこに「拾う神」が現れた。
エクゼクティブシェフが現れ、僕の訪問趣旨を聞くと、すぐ対応してくれたのだ。

料理が出てくるまでほんの5分ほど。
僕も店が混んでいるのですぐに撮影を終わらせた。
とっても話のわかるシェフだった。
彼のおかげで、僕はこの店の印象が悪いままで終わらなくてすんだ。
ありがとう。

しかしこういう「臨機応変」というか役所のようなたらい回し対応しないアメリカ人というのは、実は結構少ない。
アポイントをとるのは現地の日本人まかせなんだけど、ほんとあちことにたらいまわしされるらしいし、
担当者でないと他の人は何もやってくれないらしい。
それが「合理的」とは到底思えないけどね。

その代わり残業はしないし、プライベートの時間はしっかり確保するという、
日本のような仕事中毒状態ではないからそれはいいんだけど。

11:取材6(グッドジョブ)
今日は念願のチャイナタウンのお店取材。
通りがかっただけのチャイナタウンを歩いてみたが、ほんとここだけは完全な中国世界が広がっている。
一部では英語が通じなくって「How much?」ではなく「多少銭(ドウシャオチェン)?」と聞き直したら、
中国元で値段をいわれて、困ってしまった。
いやいやさすがに中国元は持っていないのよ。
ドルでいくら?と聞いてもまったく要領を得なかった。

スロースターターなアメリカでチャイナタウンだけは10時頃から活気に満ち溢れていた。
中国的猥雑さとどこからかわいてきた人々の群れが歩き回っている。
まあおもしろかったけど、ちょっと疲れるし、
何もわざわざサンフランシスコで中国を感じなくてもなー。

実は非常におもしろいことに、中国人街のすぐそばにイタリア人街があって、
イタリア料理店が軒を連ね、こちらはこちらでイタリア人が多い。
そういう意味でほんとアメリカってのはインターナショナルな国なんだよな。
本来ならアメリカ社会は今後、ボータレスになっていく世界の、モデル国家になりうる社会が存在している。
多民族、多人種が、生まれ育ちにかかわらず、ここで生活しているのだから。

しかし今日もまた昨日同様スロースターター・アメリカに悩まされる。
午前中2軒レストラン取材があって嫌な予感はしていたんだけど、
案の定、アポイントをとっている時間にいったにもかかわらず、
「来るのが早すぎるから後で来てくれ」といわれる。
まあ予想はしていたけど、困るんだよなー。
午後も目いっぱいアポがあるんだし。

でもなんとか他を早めたり、早く終わらせたりうまいことやりくりして、
無事に取材を終えることができた。
中でもすごく親切な中国料理店があった。
取材に非常に協力的で、料理の写真を撮りたいといったら、
どでかい蟹と北京ダックを用意してくれ、さらに「お腹が空いているかい?」といって、
チンジャオロースを作ってくれた。
撮影した後も北京ダックを食べさせてくれたし。

別に食わせてくれたから親切というわけではなく、その店のマネージャーと結構いろんな話をした。
中国人ではなく台湾人らしいんだけど、日本語もそこそこ話せて、
2人して英語をベースに日本語と中国語が入り混じる3ヶ国語でしゃべってたんだけど、
そのせいか他に比べて不思議と彼の英語は非常に聞き取りやすいし、なんだかとても気があったような気がした。
なんだかとってもおもしろいよな。
台湾人がサンフランシスコに来てレストランを経営しそこに住んでいる。
雇っている人は同郷の人が多いのか従業員には中国語を使い、外国人には流暢な英語を使う。
英語ができるからマネージャーになれるんだよな。
従業員はたぶんそんなに英語はできないはずだから。

そういえばそのマネージャーが写真を撮る私を見て、こんなことを聞いてきた。
「カメラは学校で勉強したのか?」
「・・・いや・・・」
「自分で興味があってはじめたの?」
「あ、はい!」
「何事も興味に勝るものはない。興味があるものを仕事にするのが幸せなことだ。
ただ興味あるものを仕事にするとギャラが少ない場合が多いんだけどね(笑)」

取材をしていると、他の取材先からも、
「レストランやお店を何軒もまわって、それが仕事なんて、とってもいいわね!」
と何度かいわれたことがある。
きっとそれが仕事探しのポイントなんだよな。
今、日本の若者の迷える職探し状況の1つの指針がこの言葉にあるような気がする。
無論、そんな理想論だけでは片付けられない、現実の厳しい問題(ギャラとか)も考えなくてはならないんだけど。

それにしてもサンフランシスコの物価は非常に高い。
特に外食はすごく高い。スーパーのサンドイッチとかサラダもばか高いけど。
日本みたいに1000円以下で食べられる店が皆無に等しい。
せっかくイタリア人街にいるのだから夕食はパスタを食べたいなと思ったんだけど、
別に高級レストランじゃなくても普通にパスタが15ドル(1700円)とかする。
あちこち探し回って、ガーリックパンとサラダとパスタがついて7.7ドルという、
非常に安いセットがうりの店を発見し入ったんだけど、
結局、そこにセールスタックスが加算されチップ(ここはサービス料として含まれていた)が加算されると、
瞬く間に10ドル(1100円)ぐらいしてしまう。
ちょっとたまらんですよ、この値段は。

まあそんなわけもあってできるだけ取材したレストランで、
もしどうせ捨てるのであれば撮影した料理を食べさせてはくれないかなーと、
いやしいながらもそんなことを楽しみに取材をしている毎日である。

12:モントレー&カーメル
サンフランシスコから南下すること約200km。
1泊2日でモントレーとカーメルという小さな町に行く。
サンフランシスコからは日帰りツアーも出ている場所で、人気の町だ。
「都市より郊外の町の方が絶対によい」という私の旅原則からいっても、かなり期待していた町だった。

しかし残念ながら、私好みの町ではなかった。
わざわざ時間をかけていくほどの場所ではない。
サンフランシスコの方がはるかに魅力ある町だ!という思わぬ結果となった。

モントレーまではサンフランシスコからグレイハウンドという全米を網羅したバスで行く。
これがむちゃくちゃ安い。
200km離れたモントレーの往復でわずか37ドル弱なのだ。
サンフランシスコの空港から町の中心部までタクシーで50ドルあまりすることを考えれば、
いかに安いかがわかるだろう。

しかしこのバスがいただけない。
もうあちこちちんたら遠回りしながら停車するのだ。
まずはサンフランシスコからオークランドへ。
サンフランシスコを出発し、いよいよバスの旅だ!と思いきや、
20分ぐらい走ったこの場所で20分待ち。
他の客を乗せるためだった。
こんな感じで、サンノゼ、サンタクルーズなどなど、
あちこち停車しては客の乗り降りがあるため時間調整をし、実にゆったり走る。
遠回りせずかっとばせばたいして時間がかからないはずなのに、
これだから4時間あまりもかかるのだ。
ぶっ通しで4時間走ってくれれば疲れないのだが、こうちんたらやるとかなりしんどい旅になる。

まあグレイハウンドは安いゆえに文句をつけても仕方がないのだが、
結局のところ、もうちょっとお金を出しても速い手段がないのがアメリカなのだ。
つまり、車社会。
車を持っていることを前提にした社会だから、グレイハウンドの客もまばらだし、
鉄道網も赤字続きでどんどん廃止されていく始末なのだ。

アメリカが車社会であることをサンフランシスコ郊外に出て嫌というほど感じさせられた。
思えば、サンフランシスコのような、歩ける町、
歩けない場所でも公共バスやケーブルカーなどさまざまな公共交通機関が発達している町は、
アメリカでは特殊なのだ。
そう思った。

さてさて念願のモントレーについた。
ここにもフィッシャーマンズワーフがあり、サンフランシスコより小さいが、
ロスのサンタモニカのピアほどせこくなく、実にいい按配。
しかもすぐそばの海がきれいで、水が透き通っている。
いやあ実にいいところじゃないか!と思ったのはこのはじめだけだった。

そこからもう1つ、町の観光の中心地、キャナリーロウという缶詰工場跡を再利用した、
ショップやレストランが集まる地区に海沿いのサイクリングロードを歩いていったのだが、
まあ実に観光地化されすぎてしまっていて、非常に興ざめな感じだった。
サンフランシスコより200kmも離れた小さな町だから、
風情があって、静かで、とってもいいところじゃないかと思ったが大はずれ。
アメリカ人家族連れの格好の観光地になっていて、風情もくそもない。

気を取り直してここの観光の目玉であるモントレー水族館に行こうと思ったら、
切符を買うのに尋常ならざる列をなしている。
よほどここだけはすごいんだろうと思って、翌日行ったが、これが実にたいしたことない。
大連や上海の水族館の方がはるかにすごい。葛西にある水族館の方がはるかにすごい。
やたらでかいんだけど、肝心要の生きている魚たちの展示スペースが少なく、
その間にいらんレストランスペースやらいらん通路やらいらん休憩スペースやらがあって、
生きている魚をみるところが実に少ない。
たぶんそれを隠すためだろう、順路がなく入り組んだつくりになっていて、
非常に無駄なスペースが多いことに驚いた。
こりゃ、ひどいな。
アメリカ人の地元の人たちが子供のために観光に来る場所としては最適だが、
わざわざ日本から訪れる場所とはちょっと言いがたい。

さてさてでもそんなはずはないだろう。きっといいところもあるに違いないと、
モントレーで目に付けていたのが「ホエールウオッチング」だ。
モントレーのフィッシャーマンズワーフから船が出ていて3時間のくじらウオッチングツアーがある。
25ドルとそこそこの値段だが、パンフレットを見るとどでかいくじらが海から全身飛び出てものすごい迫力である。
確かに海はきれいだから、きっとこれは外さないだろうと思ったが最後、
これが大失敗だった。

20人ぐらい乗客が乗っていて、中央部には屋根付きの部屋があるけど、
もちろんみんな外にあるベンチにこしかけ、くじらが出るタイミングを見逃すものかとスタンバイしている。
しかし1時間ぐらいはまったく何もない。
ただ海だけ。
しかも結構ものすごい波でかなり揺れる。
すでに行きで若い男性が完全にグロッキーになっていた。

そしてやっとのことスピードを落としくじらスポットへと到着するのだが、
確かに時折、くじらが200mぐらい先にいるはいるんだけど、
大海原の中、ほんのちょこっと背中が見えるのと潮をふくのが確認できるぐらいで、
こんなのがちょぼちょぼ4、5回ぐらいあって終わり。
4、5回そのわずかな姿を見るのに1時間ぐらいかける。
みんな船に乗り出してくじらを見逃すまいとしてふんばってるんだけど、
見える回数がなんたって少ないし、とにかくすごい揺れでしっかりつかまってないと、
まじで海に放り出されてしまいそうになるからシャレにならない。
しかもこのくじらを見るための無理がたたって、かなりみんな気持ち悪くなってくる。
1人の若い男性は顔が青ざめ、かなりやばい状態。
そのほか数人も離脱し、あちこちでげろっている。
私もかなりしんどいので、はっきりいってもうちょこっとみえるくじらの背中のために、
無理にたとうとは思わず、座り込んで早く船が陸に帰ることを祈るばかり。

それで帰るのにまた1時間。
はっきりいって地獄です。
私の印象だと私の時がたまたまあまり見えなかったという感じはなく、
多分こんなもんだと思う。
しかもその見えるわずかな姿に対してこの超気持ち悪くなるリスクは絶対に負いたくない。
せっかくホエールウオッチングがよければガイドブックで紹介しようと思ったけど、
むしろ乗らない方がよいと注意書きをしておきたいぐらい。
私は乗り物酔いしない方だが、あれはこの世の地獄ですよ。

さあて、モントレーはあまりたいしたことはないと到着して1時間ほどしてわかったので、
モントレーから南に10kmあまり先にあるもう1つの町、カーメルに期待をかけるべく、
こちらでホテルを探し、拠点にすることにする。
まあカーメルはモントレーよりもはるかにましだけど、私が想像していたのとはちょっと違った。
高級別荘地みたいな雰囲気で、メインストリート沿いには、
ブランド店が集まったショッピングプラザがあったり、
誰か書いたかわからんが絵画のギャラリーがいっぱいあったり、
あとはかわいらしい家並みにショップやレストランがあるといった感じで、
軽井沢的雰囲気なんだけど、すぐ先にはビーチがあるような場所だった。

観光客がこちらも大挙して押し寄せてはいるが、ファミリー向けというより、
もうちょっと大人向けな感じではあるので落ち着いてはいるけど、
自然の小さな町というよりは作られたリゾートの町といった感じだった。

その証拠にここでホテルを探そうと思ったんだけど、
たいしたことのなさそうなロッジが1泊240ドルとかほざいている。
ここだけふざけているのかと思ったが、ほかをあたっても200ドルはくだらないという。
まいったな。またモントレーに戻るのか。
もうモントレーに戻る気であきらめかけていたところ、
もう1件だけ聞いてみたところが89ドル。
これは安い!と思ったけど、税金が入って107ドル。
12000円あまりである。
朝食もつかない、狭いシャワールームしかないホテルがだよ。
まああっただけでその時は大いに助かったと思ったんだけど。

でもこのカーメルのビーチはよかった。
すごくきれいというわけではないけど、ビーチで1時間ほどミスチルを聞いた。
こうやって金を払わずにのんびりぼーとできるある場所があるというのは非常によい。

とまあこんな風にモントレー&カーメルは予想外にたいしたことのない町でした。
ここがよかったらもう1泊しようかなどと考えていたけど、
むしろさっさと取材が終わればこんなところで1泊せず、
早くサンフランシスコに戻りたいと思ったぐらい。
こんな風に思うとは私も予想外でした。

ああーいっぱいモントレーとカーメルの「悪口」というか事実を書いたけど、
ガイドブックで紹介するんだよなー。

13:取材7(最後のアポあり取材)
<取材1>
午前中、やっと取材のアポイントがとれた有名レストランに行く。
しかしアポの時間が開店前の10時半。
嫌な予感はしていた。

店に入るとマネージャーらしき人がすぐに声をかけてくれた。
しかしとにかくあわただしい様子で、手っ取り早くレストランのインフォメーションがわかる、
プレスキット(メディア向けのインフォメーション)をくれて、料理などの撮影はできないといわれた。
まあ有名レストランだから忙しいのは仕方がない。
そこでレストランが持っている料理の写真を貸してくれといったが、
ないと言い張り、くれなかった。
この規模のレストランで店が持っている料理写真がないなんてあるはずないのに。
ないのなら、今できないなら、後でくるから撮影させてくれとしつこくお願いしたが、
「忙しい」を連呼して結局、撮影させてくれなかった。
店内写真で逃げようにも、まだ店内のテーブルセッティングが終わってないから撮影しようがない。
仕方がないのでプレスキットだけもらい、なんてことはない店の外観を撮影し帰ることにした。

気持ちはわからないでもない。
営業で忙しいのに何度も大なり小なりのメディアの要望に応えていたらきりがないし。
でも、もうちょっとなんかこう思いやりのある対応があってもいいんじゃないかなと思わなくもない。
残念ながら、スタッフの対応が悪くても、いいレストランなので紹介せざるを得ない。

小さなレストランやお店になればなるほど対応はいい。
どんな媒体であれ、自分の店が紹介されることほどうれしいことはないからだ。
特に日本人をターゲットにした国の店はもう「るるぶ」に紹介されると聞いただけで、
ものすごい歓待ぶりである。
だってみんな本を買って、その本に載っている店に行くわけだから、
そこに載るか載らないかはセールスが大きく違ってくる。
載らない店は金を出して広告として掲載したいというところもある。
ハワイやイタリアなんかのるるぶのあの広告ページの多さはそういうことだ。

ただ今回のように、別に日本人をターゲットにしてはいない、
しかもかなり大きな組織になってしまったレストランともなると対応は非常に冷ややかだ。
そんなことしなくたって客が来るのだから。
気持ちはわからなくもないが、メディアも1人の客であり、
メディアへの対応が断るにせよよい印象を残さないと、
そういう店っていうのはいずれどこかでほころびが出てくるんじゃないかなと思う。

<取材2>
そんなむなくそ悪い気分で取材がスタートしたんだけど、
次にアポイントをとっていたのはサンフランシスコのウエスティンホテルのセールスディレクターだった。
彼女は非常によかった。
今回、観光局経由で5つのホテルに無料で滞在させてもらい、どこのホテルも非常に対応がよかったのだが、
直接、セールスマネージャーと会ったのはこのウエスティンとグランドハイアットだけだった。
ウエスティンの担当者は「ランチでもどうですか?」と食事に誘ってくれた。
そんな珍しいメッセージを受け取ったので、
こちらとしても会って取材する必要はなかったのだが、心あるメッセージに応えようと時間をつくった。

てっきりホテルのあちこちを連れ回され、ホテルの施設案内をするのかと思ったが、
そうではなく純粋にランチに誘ってくれ、こちらの媒体についていろいろ話を聞きたかったようだ。
彼女はインドネシア出身ということなのか、非常に英語が通じやすかったし、聞き取りやすかった。

彼女と別れる際にインドネシア語でありがとうを意味する「トリマカシ」と声をかけたら、彼女の表情が一変した。
「あなたはインドネシア語を知っているのね!」
そして「ドウイタシマシテ」と日本語でかえしてくれた。

取材期間でいろいろな店やレストランとの出会いがあり、
そのほとんどはその場限りの一瞬のもので終わってしまう。
それはこちらもそうだし相手もそうだし、必要以上の過度なコミュニケーションも互いの負担になるし。
でもランチに誘ってくれた彼女との出会いは記憶に残るものだ。
そしてたった一言の「トリマカシ」効果で、彼女が私のことを少しでも記憶にとどめてくれるなら、
それは互いにとってほんの一瞬の出会いだったけど、有意義なものだったんじゃないかなと思う。
そんなささやかな出会いがあるから、取材は楽しい。

<取材3>
彼女のおかげで気を取り直して、いざ午後の取材へ。
午後は日本語メニューもあるステーキ屋で、高級店ばかりが多い中、
とってもチープな感じでいい。
といっても思ったより高くてステーキ12ドルぐらいはするんだけど、
そこのおやじさんも欧米系の人間じゃないのかな、
なんだかすごくスムーズに英語で会話が話せた。
次のアポイントがすぐにあるので超速取材。
メニューは日本語のがあるのでそれをもらってくればほとんど聞くことは終わったも同じ。
ステーキを作ってもらい撮影をしてそれでフィニッシュ!

と思いきや、さすがは気のいいおやじ、「もちろんこれはあんたが食ってけ!エンジョイ!!」といって、
撮影商品を食べさせてくれた。
実はウエスティンで「神戸ビーフハンバーガー」なるものを食べてしまったばかりで、
かなりおなかはしんどいが、気のいいおやじの気使いに応えないわけにはいかない。
半分ぐらい食べて、次のアポもあるし、おなかも限界だし、失礼することにする。
とってもいいおやじだった。
たぶん客とかにも評判いいんだろうな。

<取材4>
今度は町の中心部からタクシーに乗って15分ほどのところ。
またもレストラン。
15時という時間帯のせいか、お客も少なくとっても取材しやすそうだったのだが、
料理の撮影をしたいというと、「今はできない」と断られてしまう。
午前中のふざけたたかびー有名レストランの断り方とは違い、シェフ自らが今の時間はできないが、
夕方になればいっぱいお客さんくるし、いっぱい料理つくるし、あんたが夕食食べてもいいから、
夜に来てくれるとありがたい、ぜひ夜にきて俺のナイスな料理を撮ってくれととても親切だった。

とりあえず今日の夜、またここに来るモチベーションはなかったので、
料理撮影をなしにしてしまうこともできたが、シェフの心意気にふれ、明日、夜訪れることにした。
それにしても夜来てほしいなら夜にアポとっておいてくれたらなー。
まあこういう行き違いが取材にはつきものなので致し方がない。

<取材5>
再びタクシーに乗って20分ほど移動して、ショップ取材。
ちょっと早くついたがコーヒーを飲んで時間をつぶすほどでもないので、うろうろしていると、
この前、ここに取材に来た時に、まだ改装中でろくに取材ができなくて困ってしまった靴屋が、
1階のみだけど仮改装を終え、オープンしていたのを発見し、
随分取材後半になって、疲れがたまってきたせいか、パフォーマンス能力が衰えてきた私でさえも、
これはなんとしてでも再取材しなくてはならない!と思い、店に交渉する。

先週、取材したとき、まだ工事中で写真が撮れなかったので、
今、たまたま通りかかったら1階がオープンしていたから再度、撮影したい。
とこのようなことを伝えるには非常に高度な英語力がいるわけだが、単語のつぎはぎで意図が通じた。
先週取材した時の親切なおやじが出てくるかと思いきや、別の担当者が出てきたので、
私の意図が理解されるかどうか不安だったが、頭のよい人で、
私のつたないつぎはぎ単語でも趣旨を理解してくれて助かった。

撮影を終え、そろそろ次の取材場所へと思ったところに、
先週、工事中の店を案内してくれた非常に親切で熱心なおやじが現れた。
向こうも私を覚えてくれて、私も非常に熱心だったので印象に残っていたので、
まるで旧友に再会するような懐かしさを覚えた。

「そうかそうか、よく来てくださいました。
で、工事中ですがすばらしい内装になる予定の2階をご案内しましょう!」
とまた同じ繰り返しになりそうなので、あわてて先週見せてもらったというと、
「わかりました。ではちょっとこっちへ来てください。よいものをお見せしましょう」
といって事務所に連れて行かれて2階の内装完成予想図を見せてくれる。
とにかくこのおっさん、とっても熱心でとっても親切なのだ。
メディアが取材に来た。この機会を逃すまい!となんでもかんでもPRする。
でもそれは自分の店を日本の雑誌が紹介してくれるなんてなんて光栄なんだ!という、
純粋なうれしい気持ちから現れていることがわかるので、
私もそのように丁寧に接してくれる人は大切にしたいと思い、
あまりなおざりにしないよう、それでいて他のアポイントもあるので、それに影響しないよう、
適当につきあい、適当に断りながら、いい形で別れた。
また会うとは思わなかった。ほんと奇遇である。

<取材6>
そして、これがアポイントがとれている最後のショップ取材。
コンタクトする人の名前が日本人だったので、日本語で取材ができるのかななんて、
ちょっぴり浮ついた気持ちで店に入ると、いきなり冷水を浴びせられた。

「この前の取材に来たかたはまったく載ったことも教えてくれないし、
本も送ってくれないし、どういう形で掲載されるのかとかも教えてくれないし、
うちとしても困るんですよね。ま、別にいいんですけど」
すごく怒っているわけではないが、だいぶ前に不快な思いをしたことは確かだ。
前に取材に来たのはうちの会社ではなく、3年前に作った前の編集プロダクションなのだが、
(自分の会社の落ち度ではなくてほっとした面もあったが)
とはいえ先方から見れば同じガイドブックである。
ただひたすら謝り、今後の対応をしっかりするようにと約束した。

でもとってもいい人だった。
まだ若い。20代前半の男性でこの店の店長だという。
現地スタッフを流暢な英語でつかいこなし、日本人客に日本語で対応する、
非常にできる人だなと思った。

あるブランドの服屋なんだけど、私には皆目つかない値打ちがあるそうだ。
単なるTシャツが30ドルもするんだけど、
「日本だと2倍するんで日本人のお客さんがよく来るんです」といっていた。

しかし驚くべきは、ここにしかない30ドルの限定Tシャツが、
日本のオークションで2万円で売られているということだ。
「オークションっていい面もあるけど悪い面もあって、
ここで30ドルで買って、オークションで売る目的で大量に買い込んでいこうとする人がいるんですよ。
30枚くださいとかいってね。売らないですけどね」

僕には何がいいんだかよくわからん普通のTシャツが2万円でオークションで売られるという事実。
ほんとオークションはちょっといろいろ考え直した方がいい。
だって30ドルで仕入れて2万円で売りさばいて大もうけしている人がいるのに、
店は30ドルでしか売っていないわけで、
これはコンサートチケットにもいえるんだけど、
オークション目当ての転売目的のチケット入手が増え、その差益は、
主催者にもアーティストにも反映されないわけで、ちょっとどうかと思うよな。

しかしこのなんでもなさそうなTシャツ30ドルが2万円か。
世も末だなと思いつつも、私も1枚買って儲けたお金で、
大金はたいてオークションで買ったミスチルチケットの代金補填をしようかとも思ったけど、
まあ店長からそんな話を聞かされて私も1枚買いたいなんていえないしな・・・

ここの店もとても親切でとても真摯に対応してくれた。

そしてここが無事終了し、アポあり取材はすべて終了!
ホテルに帰るとこの上もない開放感だった。
残り2日あり、アポなし取材はまだまだいっぱいあるんだけど、
アポイントがある取材の緊張感とはわけが違う。
いやーやっと終わったなあと長かった取材生活に一息つけることを喜んだ。

14:映画「華氏911」in アメリカ
アメリカ取材で何か楽しみなことがあるとは到底思えなかったけど、
ヤフーニュースを見て「これだ!」とひらめいた。
僕がいち早く見たいと思っていた映画「華氏911」がつい先日から、アメリカで上映されているという。
アメリカにいる地の利をいかして、日本公開前に先駆け、
この映画を見ようと、どこでやっているかネットを検索。
すると何のことはない。
ガイドブックにも載せている、到底観光客が楽しめるような場所ではない、
ソーマにあるメトレオンでやっているではないか。
泊まっているユニオンスクエアから非常に近いので見に行ってみることにした。

※映画の性質からして到底、英語を理解できるわけもなく、
詳細な映画内容の論評はできないが、
くそブッシュの母国、くそブッシュを支持し、
世界をクレイジーに巻き込んでいるアメリカで、
この映画に対してどのようなリアクションがなされているかを中心にレポートします。

ディズニー社がブッシュのお膝元での税制優遇に影響が出ることから、
このブッシュ批判ともいえる映画の配給を断ったというニュースを以前つぶやきで紹介し、
その後、カンヌで最高賞を受賞し、一体どこで見れるのだろうかと思いきや、
アメリカで無事6月末から上映になったようだ。
ヤフーニュースによると大変な人気らしい。
取材を終えると一目散に映画館に行ったが、
18時30分、19時10分はすでに売り切れ。
仕方がないので21時10分の回を購入する。
(ちなみに9.75ドル。日本の映画館より安いんじゃないか)

外国で映画を見るのははじめてだったので30分ぐらい前に再び映画館に。
するとこのソニーがプロデュースした最新設備が整い、
15のスクリーンを持つメトレオンともあろう映画館が、
座席指定ではなく、長蛇の列ができている始末。
まったくハードがよくったてこういうソフト面での充実度がないと、最新設備も意味なしだよな。
ものすごい長蛇の列に現地の人もため息をついていたので、
いかにこの映画の人気が特殊かということを示していると思う。

過去の出来事ではなく、まさしく現在の政治批判したドキュメンタリー映画なるものが、
これほどの人気を集めるのは政治がショー化されたアメリカならではか。
たとえば小泉政権を批判したドキュメンタリー映画が日本で上映されたとしても、
そんなに人が入るとは思えない。
いや、この映画が日本で上映されたとしてもこれほどの反響はないんじゃないかなと思う。
ハリーポッターに列をなす日本の映画視聴者がブッシュの政治批判映画を見るとは到底思えない。

平日、火曜日の夜21時。これから2時間映画というにもかかわらず、ものすごい列。
20代後半から30代が圧倒的に多く、みなラフな格好をしてはいるが、学生には見えない。
仕事帰りに見に来たのだろうか。
男女比は半々ぐらい。友人同士で訪れているタイプが多いが、カップルで来ているのも結構見受けられる。
政治批判ドキュメンタリー映画なのになあ。
あまり関係ないのかな。
特徴的なことは黒人はほとんどいない。アジア系もほとんどいない。
町を歩いている感じの人口比率とは明らかに違い、白人ばかりである。

映画館スペースはざっと25列×30席あまりか。
にもかかわらず見事に満席である。
15分ぐらい宣伝が流れる。
日本でも最近、くだらん宣伝を少なくし、いきなり映画に入るものが多くなったように思うが、
アメリカはまだまだなのかなー。
いきなりコーラの宣伝とかやるし。

21時10分開場で本編が始まったのは21時40分。
ここからがいかにも「アメリカ」なのだが、宣伝が終わり、本編に入ろうとすると拍手が起こる。
さらにマイケルムーア監督の名前が出るとこれまた拍手が。

映画はまず2000年の大統領選挙の模様から。
ブッシュが極めて接戦で勝ったことから始まっている。
もしあの時、ブッシュではなかったら・・・と思わざるを得ない。

そして2001.9.11。
真っ暗な映像のまま、その時の音だけが流される。
これにはさすがのアメリカ人もしんと静まりかえるし、
私もこの時ばかりは、なんともいたたまれない気持ちというか、
なぜこのような世界になってしまったのかと考えざるを得ない。

実はこの事件が起きた時、ブッシュはとある小学校の朗読会みたいなのに参加していた。
事件の一報を側近が伝えたにもかかわらず、7分間彼はその朗読会に参加していた映像が流される。
またテロが起きる1ヶ月前、テロが起きる可能性をさまざまな機関が指摘していたにもかかわらず、
それに耳を傾けないブッシュという意味で、8月のアホずらブッシュのバケーション様子が流される。
ブッシュの言動にたびたびアメリカ人は、
日本でいうところの昔バラエティ番組なので、やらせの非常にわざとらしい観客笑い声そっくりなのが、
館内に何度となく響きわたる。
彼らは本当におもしろいのか、それともそういう笑い方なのか。

ブッシュのグループ企業とターリバン、ビンラディンと密接な関係であること、
911テロ後、アフガン攻撃、さらにはイラク攻撃で、
これまたブッシュのグループ企業が石油に限らず、軍事部門や派遣された軍人へのサービス企業などで、
いかに儲けているかが流される。
彼がなぜそれほどまでに戦争に固執するのか、これを見れば一目瞭然だ。
グループ企業の金儲けのためだ。

イラク戦争のかなり悲惨な映像なども流され、館内はしんとしている場面が少ないのだが、
どうもアメリカ人はあのわざとらしい笑いをするために映画を見に来ている節があり、
またマイケル・ムーア監督の手法としてシリアスなテーマも、
皮肉に笑い飛ばす映像が作られているから、結構館内はあのわざとらしい笑い声が何度も聞こえてくる。

あと非常にアメリカ的だなと思ったのは、
多分反戦的なことをいっている人のインタビューとかが流れると、それに拍手をするのだ。
テレビが友達というか映像が友達というかネットが友達というか、
バーチャルな世界と現実世界の区別が最もつかないのはアメリカ人ではないかと思った。
だから政治も戦争も殺人事件もショーとして見れるのではないか。

2時間ぴったり、とてもシリアスなテーマで、とても深刻な問題をひめた、
現政権批判、現大統領批判映画が終わると、
なんだかそんな深刻さが吹き飛んでしまうような、
口笛とか拍手が聞こえてくる。
「よくぞマイケルムーア、大統領を滑稽に描いてくれたぜ!」みたいな、
バラエティー番組を見ている感覚で見た人もいたのではないかと、
過剰なリアクションをする人々から読み取れたが、それが大多数ではないので、
きっとみなそれぞれがはたしてこの国をブッシュに任せていいのかということ、
世界各地で戦争をしまくっている現政権の政策が正しいのかということを考えた、
いや考えてほしいと思った。

この映画は戦争の悲惨さをこのバラエティ好きのアメリカ人向けに、
うまくエンターテイメント化して見せている。
この映画がアメリカで大ヒットしていることの意味は大きいと思う。
クレイジーな世界をまっとうに戻すことができるのは、
もしかしたらこの映画を見たアメリカ人にかかっているのかもしれない。
しかに映画にも描かれていたように、ブッシュ支持派もいるし、
狂信的とも思える国家主義が国民に根付いていることも確かだ。

クレイジーな国、クレイジーな世界を変えられるには、
アメリカ国民自らが変わらなければならないと思う。

15:差のある応対
欲望資本主義の権化たるアメリカでは、
どこもサービス過剰なほど応対がよいと思ったら大間違いだ。
意外にも、日本のお役所的、旧共産主義国家並みの、
自分の縄張り主義的なサービス業スタッフが結構多い。
そんな一例としてもっとも印象的だったあるホテルのフロントデスクの話をしよう。

今日チェックアウトしたホテルに私は忘れ物をしてしまったのに気づき、
フロントデスクに行き、忘れ物をしたという。
一見すると日本人ではないかと思うような、アジア系の30歳前後の女性は、
忘れ物と聞いて露骨に嫌な顔をする。
私はちょっと驚いた。
名の知れた世界的チェーンの大ホテルである。
今日泊まっていたゲストに対してこれほど露骨な対応をとるだろうか?
ちなみにGHホテルの「CAYAGO」だが「SAYAGO」というネームプレートをつけた女性である。

「部屋番号は?」
そう聞かれると思ったが、なんせサンフランシスコの滞在中、どこのホテルも2〜3泊しては移動しているから、
意外と覚えていない。
「多分(メイビー)3021だと思う」と答えると、
「メイビー?!」(ふざけんなバカ!部屋番号ぐらい覚えておけよ!!)というような表情をする。
このくそ女!いい気になりやがって!
ふざけた対応しやがって。
彼女はどこかに電話をかけると、それに出ろ!私は知らんといって、電話の客室係と話すことになる。

その後、電話口の客室係がフロントの女性と変わってくれというので、電話を渡すと、
「私に電話出ろって?(あんたの聞き間違いじゃない?私は知らないわよ)」というような表情を浮かべる。
そして了解したとばかりにこの問題をベルデスクのボーイにまかせることにしたらしい。
彼についていけといって、もう知らんぷり。
これが1泊何万円ととり、施設がどうだのなんだのって自慢する大ホテルの顔でもあるフロントデスクのとる対応かね。
どんなに施設がよくたって、どんなに客室がすばらしくたって、
対応するスタッフがくずならまったく意味がないんだよ。
このくそ女、覚えてろ!!!

しかしたらいまわしにされて、とんだとばっちりをくったインド系の男性のボーイは非常に親切にしてくれた。
客室に案内してくれ、その後、ハウスキーピング係に電話してくれいろいろと確認してくれた。
結果、なかったんだけど、彼の応対は実にすばらしかった。

帰り際にチップを渡そうとすると、
「とんでもない。チップなど不要です」と実にかしこまった丁寧な対応。
私はこのすばらしいボーイのおかげで救われたのだった。

アメリカに滞在していると結構このようなことが多い。
自分の縄張り以外は一切仕事はしたくない輩。
ちょっとでも面倒そうなことはすぐ断る輩。
自分で対応できるのにたらい回しにする輩。
旧共産主義国家ならともかく、欲望資本主義の権化たるアメリカですよ。
ちょっと驚いたが、アメリカではよくあることだ。

でも官僚的なムカツク輩とはまったく対象的に、
チップ目当てのいらぬサービスではなく、かゆいところに手が届く非常に親切な人もいることも間違いないのだが。

16:ゴールデンゲートブリッジ・サイクリング
今日は取材最終日。
自転車を借りてゴールデンゲートブリッジを渡り、
サウサリートという町までいって帰ってくる。
一番、楽しみにしていた取材だったのだが、予想以上に難儀だった。

天気が悪かった。
来た当初は必ず朝は曇り空だったが、ここ最近、朝から快晴の日が多く、
「もしや」とは思わないでもなかったが、まあ大丈夫だろうとたかをくくっていたが、
非常に天気が悪かった。
晴れないとどうしようもない取材なので、ホテルで空の様子を眺めながら11時ぐらいまで待機していたが、
一向に晴れてくる様子がない。
仕方がないので曇り空のままサイクリングをスタートさせた。

もうすぐ7月のアメリカ西海岸っていったら半袖イメージの暑いところかと思いきや、
6月中のサンフランシスコはずっと寒かった。
長袖は必須。さらにはおるものがないと朝、夜は寒い感じ。
海岸沿いをチャリで走るとより一層寒さがしみる。

予想外だったのは結構ハードだったこと。
車の旅なんかよりチャリの旅をこよなく愛する私だが、
中国シルクロード、トルファンの町から10km先にある遺跡まで、
40度の灼熱の最中をサイクリングした時も苦しかったが、これもなかなかハードだった。

まず想像以上に距離がある。
どでかいゴールデンゲートブリッジがすぐそばに見えてるから、
もうすぐだろうと思えど、行けども行けどもつかない。
1時間ぐらい走ってやっと橋にたどりついた。

それと坂が多い。
とてもチャリでこげるような坂ではなく、何度か仕方がないので引いた。
ちょっとそういう登りが多いとせっかくのチャリの旅もしんどいよな。

それからゴールデンゲートブリッジも相当距離がある。
チャリで渡ると景色を楽しむ余裕がないので、橋の上は歩きがベターか。
いな、でも歩きだったら橋渡るのにゆうに20分、いや30分ぐらいかかるかもしれない。
それほど距離が長い。

とまあこんなわけで随分しんどいチャリ旅になり、
フィッシャーマンズワーフからゴールデンゲートブリッジを通ってサウサリートに到着するまで、
途中途中写真を撮る程度の停止のみで2時間かかった。
ちょっとこれはしんどいかな。

ちなみにサウサリートは小さな町なのでせっかく乗ってきた自転車も活躍はしない。
それから帰りはもう到底、チャリで帰る気力もなく、また意味もなく、
フェリーをつかって対岸へと渡った。
フェリーだと10分ぐらいである。実に楽だった。

それからサンフランシスコから湾を渡っていけるこのサウサリートという町だが、
なかなか小さくてかわいらしくてよい。
観光するところはないけど、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフのような、
いい意味でも悪い意味でも観光地化されてしまった猥雑さがなく、
サンフランシスコの町並みを眺めながら、海を眺めながら、
ゆっくり食事ができるレストランもあり、なかなかよい。
こっちに泊まるというのも手かもしれない。

とはいえここは所詮アメリカ。
ヨーロッパのこの手の町だったらすっごくいいんだろうけど、
そもそもアメリカという国に観光できるような場所が私にはあるとは思えないので、
(グランドキャニオンやモニュメントバレーのような自然系の国立公園でのトレッキングをのぞいて)
まあ1時間ぐらいぶらぶらすると飽きてしまうというかやることがなくてサンフランシスコに帰ってきてしまった。

これでやっと取材が終わった、という開放感があり、
どこかでうまいもんでも食って明日、日本に帰るかと思うのだが、
イタリア人街のパスタぐらいしか手頃な値段でうまいものが食えるところは知らず、
かといってそれはサンフランシスコ内の話であって、
日本のイタリア料理や本場のイタリア料理と比べて、値段と味がそれほどいいわけでもなく、
混んだケーブルカーに乗っていかなければならないこともあり、すぐ近くの非常に安い日本料理屋で、
昨日と同じカレーうどん6.95ドルにアボガドロール3.25ドルをつけて、
サンフランシスコをお開きにした。

17:鎖国しちまえアメリカ!
といいたくなるぐらい、空港での審査は厳重という度を越えて、異常と化している。
飛行機に乗る際の審査ゲートでのこと。
普通に手荷物を通すだけでは済まされない。
「パソコンはあるか?」
「あるなら出せ!」
「ケースからちゃんと取り出せ!」
「マウスは外せ!」
「マウスはバッグの中に入れろ!」
とまずは一発みまう。

手荷物が終わると自分が通るわけだが、
「ジャケットを脱げ!」
「靴を脱げ!」
「コインを出せ!」
「ベルトを脱げ!」
ともうこんな風にまさしく着ぐるみはがされなけない勢いである。
そのうち「Yシャツも脱げ!」「ズボンも脱げ!」「Tシャツも脱げ!」「パンツも脱げ!」「カツラを外せ!」
なんてこんな風に延々と審査はエスカレートすること間違いないだろう。

シット(糞)!アメリカ!!
おまえらが戦争するからこんなことになるんだろう!
おまえらが無実に人々を殺戮し続けるからこんなことになるんだろう!
おまえらが世界中の人々から恨まれるような行いをしているからこんなことになるんだろう!

2001.9.11、NYで起きた、まさしくテレビでライブで映し出された、
この世の悪魔的映像ともいえる、ビルに飛行機がとっこむ映像が脳裏をよぎる。

悪いのは「テロ」を起こした側なのか?
悪いのは「テロ」を起こさせるようなことをしているアメリカじゃないのか。

私はあのテロの瞬間、小さなガッツポーズをした。
それは私だけではなかったはずだ。世界の半分は同じような気持ちだっただろう。
おまえらの、普段の行いの、報いだよ。

ロスの空港に私はテロ以降、4度訪れている。
テロ直後の年末。翌年に2回。そして今年。
今から思うとテロ直後の審査などたいしたことはなかった。
ここまで異常な審査はしていなかった。
今、このような異常な審査をしなければならないのは、やはりイラク戦争が大きいのだろう。
イラク戦争をおっぱじめてからもう1年以上が過ぎた。

あのね、アメリカさん。どうせなら鎖国したら?
どんなに厳重な審査したって100%セーフティー(安全)にすることなんて不可能なんだから。
鎖国して、他国との貿易もしないで、他国と関わりなく、
国家に柵でも壁でも張り巡らせて、自分たちだけで生きていけばいいじゃないか。
まるで世界のプリズナーのようにね。

<追伸>
世界から恨みをかっているアメリカのせいで、
手荷物検査や身体検査の異常さもさることながら、
預け入れる大きな荷物(スーツケース)は鍵をかけてはならないという、
とんでもないルールが常識化されている。
ようはこれもハイジャック対策のためらしい。

一昔前までは、荷物を盗まれる可能性もあるから、
ちゃんとスーツケースに鍵をかけないといけないというのが常識だった。
その常識を覆すほど、アメリカの世界からの恨まれ方は半端ではないということだろう。

私はもちろん鍵をかけずに預けた。
ただ鍵はかけずにつけていた。
日本で荷物を受け取ったとき、その番号式の鍵が紛失していた。
それだけならまだいい。
鍵をかけなかったせいか、ぱんぱんにつめこまれたスーツケースが開いてしまったようで、
勝手に臨時でプラスチックの紐上のもので簡易鍵をかけられている。
それが開けられない。

手荷物の中から多少スーツケースに荷物を追加して、
空港から会社に送ってしまおうと思っていたのに、そのせいで開かない。
「シット(くそ)!アメリカ!!」
私は再びくそアメリカの洗礼を浴びせられなければならなかった。

アメリカのくそとは何の関係もないが、どうにも開けられないので、
近くにいた空港係員にはさみかカッターを貸してくれという。
はじめは怪訝な表情をされ、「ないのですが・・・」と断られたが、
アメリカのくそにムカツキを覚えている私は、
「勝手に鍵をかけられ開かなくて困ってるから貸してくれ!」と、
幾分、声を荒げていうと、事情がわかったのか、事務所にいって大きなはさみを貸してくれた。

最後までアメリカのくそにやられたな。
アメリカでなくしたもの。
1.新しく買った3色ボールペン
(私は国内取材でもよく3色ボールペンをなくす)
2.インターネットケーブルチェッカー
(あるホテルに忘れてきてただちに気づいたが、
フロントのくそ女はともかく非常に親切なベルデスクの男性に対応してもらったにもかかわらず、
やはりなかった)
3.スーツケースの番号鍵

この借りはいずれ返す。

アメリカ旅行の秘訣1〜水
普段、日本にいる時は意識しない「水」だけど、
アジアしかりヨーロッパしかり、レストランにいって水を飲みたい場合は、
「ミネラルウォーター」を頼んで金を払うのが一般的である。
この感覚でアメリカでもレストランで「ドリンクは?」と聞かれて、
「ミネラルウォーター」なんていうととんでもないことになる。
ちゃんとビンに入ったミネラルウォーターを持ってきてくれるのだが、
下手をすると3ドルぐらい取られたりして、あとで会計の時に随分多いなと思ったら、このせいだったりする。

しかし思うにアメリカでわざわざ3ドルも出してミネラルウォーターを買う必要はない。
水道水でも大抵の場合、何ら問題なく飲めるからだ。
レストランでウォーターと頼めば、まず3ドルもするミネラルウォーターではなく、
氷を入れた水道水を持ってきてくれて、十分これが飲める。
もちろん日本のレストランで水が出てくるような感覚でただである。
ドリンクを何も頼まない場合でも食事と一緒に大抵この無料の水を持ってきてくれる。
これで3ドル節約できるのなら、この手を使わない手はない。

はじめすっかりこのことに気づかず、レストランでミネラルウォーターを頼んだために、
ただでさえ高い外食費のコストをさらにあげてしまったわけだが、
(しかも気を効かせてか100%ガス入りを持ってくる)
途中でこの重大なことに気づき、一切ミネラルウォーターを頼むのをやめたが、
腹を壊したということはない。
ちなみにスーパーでミネラルウォーターは安いもので1ドル弱ぐらいで売っているけど、
これも同様、強いて買う必要はない。

アメリカ旅行の秘訣2〜ホテルコーヒー
それなりの大ホテルに宿泊すると、大概コーヒーメーカーがあり、
大概スタバのドリップ式のコーヒーが置いてある。
コーヒーがまずいアメリカにおいて、
また客席が少ないコーヒー屋が多いアメリカで、これはなかなか重宝するサービスだ。

しかしまったくなってないホテルがある。
コーヒーメーカーが置いてあって、せっかくスタバのコーヒーが置いてあるにもかかわらず、
カップがガラスのコップしか置いていないところがあるのだ。
耐熱用のガラスのコップなんだろうけど、
ガラスのコップで飲むホットコーヒーほどまずいものはない。
できそこないのアイスコーヒーみたいで非常にまずい。

そこでいい方法を思いついた。
私は物乞いホームレスにそのヒントを得た。
彼らは「金をくれ」といって差し出す入れ物の多くが、
スタバやファーストフードなどの空き紙コップなのである。
私もそれを拝借することにしたのだ。

アメリカのスタバでは大概空き紙コップが客側からもとれる場所にある。
これをすっと1つ拝借してこれにいれてホテルに飲む。
するとガラスコップで飲んだコーヒーとはまったく別の味になるのだ。
圧倒的にうまくなる。

それにしてもホテルサービスもこういった細部にまで気を配ってほしいものだ。
いくらコーヒーがよくてもガラスのコップではお話にならない。
ぜひ普通のカップを用意してもらいたいなと思う。
こういった細部にまで気を配れるか否かが、本当のサービス業だと思う。