“自然”と“街”が融合した近未来都市・シアトル かさこワールド

 シアトルというとまるで「イチロー」しかないかのごときイメージだが、
 街から車で4、5時間行ったところにはこんな大自然が広がっている。
 「世界遺産」である。
 マスコミやらテレビやらで「世界遺産」が騒がれる中、
 意外と知られていないこのオリンピック国立公園。
 確かにピラミッドやマチュピチュはすごい。
 でもそういった「人為」のものだけでなく、
 どんなに人間が「進歩」しても造りえない、自然の芸術品もまた、
 世界の偉大なる遺産として登録されているのだ。

 まるで宮崎駿映画に出てくるような、この異様な「コケの森」。
 特異な地形と自然環境によって作り出された不可思議さ。
 別にただそれだけだ。それで何かをして「遊べる」わけではない。
 でもこの静寂の森の空気を吸い、耳をすませば、
 流行り言葉の「スローライフ」だの「スローフード」だのっていうのが、
 バカらしくなるぐらい、
 自然は雄弁に“生きる道”を語りかける。

 人間はマシン(機械)ではない。
 自然界に生きる動物だ。
 忘れ去られた自然に身を浸せば、金で買う「癒し」なんか求めなくても、体の底から癒されることだろう。



オリンピック国立公園は、単にこのコケの森があるだけではない。
3000m級の山々があり、そことはまったく違う気候の海がある。
海・山・森・・・自然の宝庫。
特異な自然環境が、突然目の前に雪を出現させ、かと思えば温帯雨林の森を出現させ、
はたまた美しいビーチや港町を出現させ、夕食には巨大なカニを出現させる。
そんな自然の多様性が詰まったおもしろいエリアなのだ。

ちなみに右の写真はオリンピック半島内にあるポートエンジェルスという町だが、
ここからフェリーで1時間もいけば、カナダのビクトリアという町にもいける。
そういう意味でも旅行するには非常におもしろい場所だ。

アジアやヨーロッパを行きつきし、「もう海外は行き尽くした」なんてほざいている諸君。
世界はまだまだ広い。
シアトルーオリンピック国立公園ーカナダの旅なんてのもなかなかのものだよ、きっと。

 そんな自然あふれたオリンピック国立公園がすぐそばにあるシアトルは、
 見てのとおり近未来都市を思い起こさせる高層ビル群の都市なのだが、
 なぜかそこには現代都市の“腐臭”がしない。
 僕は基本的に高層ビル群を旅する趣味はないが、なぜかこの街は冷たさがない。

 実は街自体が非常に狭い。
 高層ビル群がたっているのはほんの1区画だけで、街の中心部はアメリカでは珍しく、
 徒歩で十分回れるコンパクトさなのだ。
 行けども行けどもビルに取り囲まれたTOKYOなんかとは違い、
 その周囲には港が広がり、緑が広がり、街が広がっている。

 ちなみに右の写真のフェリーは、シアトルからオリンピック国立公園に向う、
 “観光用”フェリーとしてよりも、むしろ“通勤用”フェリーとして使われている。
 住まいは自然豊かなオリンピック半島に住み、
 フェリーで30分かけて高層ビル群に出社する。
 フェリー通勤。
 優雅である。
 ちなみに子供たちが写っているのは、オリンピック国立公園へ遠足やキャンプに行くためだ。
 こうして街と自然が隣接している「理想」的な都市、
 だからこそ僕はシアトルを“近未来都市”と呼んでいるのである。




高層ビル群はほんのわずか。街の中心部の風景はほとんどがこの左の写真のようだ。
僕は新しい異国の街を訪れる時、「飛行機占い」をする。
飛行機の窓から見える街の景色で、その街がよさそうかよさそうでないかを判断するのである。
今回、シアトル上空からの景色を見て僕は驚いた。
“街にこんなに緑が多いのか”
エメラルドシティと呼ばれているのは嘘ではなかったらしい。
もちろん緑だけでなく、複雑に入り組んだ海や湖、川という「水」の多さも、街を輝かしいものにしている要因なのだが。

アメリカの都市なんてこれほどつまらんものはないという先入観を持っている僕でさえ、
シアトルの街歩きはなぜか楽しい。
それはアメリカならではの車社会たる車で移動することなく、歩いて見て回ることができる距離の近接感もさることながら、
右の写真のような味のある古い建物が多く残されて、しかもそれを単なる日本のおばかさんのように、
ただ「保存」目的だけでなく、実際に今も店として使われていることが、
街を生き生きとしたものにし、また街歩きを楽しくさせている要因である。
僕はシアトルの街を歩いている時、「アメリカ」というよりも「ヨーロッパ」を歩いているような錯覚にとらわれた。
カナダにすぐ近く、アメリカ国家でいえば北西の端にあるせいか、街の趣きが違うのだ。

街にたいした観光名所地があるわけじゃない。
でもなぜか散歩すると楽しい街。
それがシアトルの大きな魅力の1つだ。

・にくにくしくない


旅行中の大きな楽しみは「食べ物」なわけだが、
残念ながらその点において、アメリカ旅行というのは実に魅力がない。
どこの都市にいっても「世界各国料理」がそろっているわけだが、
それは裏を返せば、名物料理がない、郷土料理がないということに過ぎない。

高い金を出せばうまいもんは食えるが、有名高級レストランとなると、平気で1万円ぐらいかかってしまう。
そしてやっぱり肉が多い。しかも大味で、繊細さがない。
2、3日ならまだしも取材で2週間も行くと、食の地獄である。

しかしこのシアトルは、肉肉しくない。
海に面した港町シアトルは新鮮なシーフードが豊富なのだ。

この写真は市場である。パイクプレイスマーケットといって観光名所にもなっている。
アジアに行くと必ず僕は市場をのぞきにいくが、このシアトルにも市場をのぞける楽しみがある。
とにかく魚介類が多い。
特にカニ、カキ、エビ、この3つは実に豊富でうまい!
シアトル旅行に行ったら大味な肉料理攻撃に悩まされることもなく、うまいシーフード料理が食える。
この食の魅力は実に大きいですよ。

・シアトル・野球編

 <1>シアトルのヒーロー・イチロー
 イチロー、イチローと騒いでいるのは日本人だけではなかった。
 イチローは日本のプロ野球のスター選手としてではなく、
 アメリカ・大リーグにおいて、特に地元のシアトルにおいて、
 彼は特別な選手、チームになくてはならぬ選手、スーパースターとして君臨していた。

 “イチローはシアトルのヒーローだ”
 確かにイチロー効果で日本人観光客が大勢つめかけ、
 マリナーズのチームストアには日本人スタッフが何人も働いているほど、
 日本人が注目するイチローという側面はあるのだが、
 変な表現だが、日本人の僕らが嫉妬してしまうほど、
 イチローはもうすでに日本人のものではなく、シアトル人のものになっていた。

 本来イチローより1年前にいった大魔人・佐々木投手もそれほどの評価を受けていいはずだし、
 最近、佐々木より存在感のある活躍ぶりの長谷川投手だって評価されてしかるべきなんだけど、
 イチローの「格」というか「評価」というか「存在感」は並のもんじゃない。
 やはり彼こそ現代社会の閉塞を打ち破る、カリスマ的ニュータイプなのだろう。




 <2>日米野球の違い※あくまで今回の観戦での印象です
 ・カルチャー
 野球に対する価値観がまったく違う。
 アメリカにおけるベースボールっていうのは、
 年齢や性別を問わず、みんな大好きな国民的スポーツという印象を受けた。
 熱狂的な特定のファンだけが楽しんでいるものではないし、
 おやじだけが楽しむスポーツでもない。
 男性だけが見るスポーツでもない。
 老若男女を問わずみんなが楽しめるイベントとしての、
 野球(ベースボール)という印象だった。
 大げさな言い方をすれば、病めるアメリカ社会を救い、
 国民が1つになれる唯一のものかもしれない。

 もちろん、アメリカにおいては、ベースボールだけでなく、
 アメフト、バスケットボールというのも大きなイベントの1つではあるのだが、
 それでも野球は一際特別な存在として、
 国民に認知されているような感じがした。

特にシアトルに関していえば、日本人感覚で見ると驚きなのが、でかいスタジアムが2個隣り合わせにあること。
野球専用のセーフコフィールドの隣に、アメフト専用のシーフォークスタジアムがある。
いかにこの2つのスポーツの国民の生活に占めるウエイトが大きいかを感じざるを得なかった。
アメリカのサッカーが最近、世界でもそこそこ強いレベルにあったとしても、
そりゃ、野球にはどうあったって人気はひっくり返りようはないよな。
野球はアメリカの文化そのものなんだろうな、きっと。

日本にはそのようなスポーツはない。
相撲は国技だが、毎日結果をチェックして気にするのは、若い人よりも年配層に偏っているように思えるし、
そもそも国技館に足を運んで生で見たことがあるかといえば、多くの人はないのではないか。
野球はなんだかんだいっても日本で最もポピュラーなスポーツなのかもしれないが、
毎日試合結果を気にするのはほとんどが男性に限られる。
サッカーは野球よりも女性ファン層を取りこんでいるように思えるが、それでもごく少数で、かつ年齢層は圧倒的に若い人。

それに比べるとアメリカにおける野球の関心の高さっていうのはすごいなと思う。


 ・地域密着
 なぜアメリカにおける野球に対する市民の関心が高いかといえば、
 徹底した地域密着型だからだ。
 日本の野球チームはスポンサー企業の広告塔に過ぎず、
 市民の論理とはかけ離れた企業の遊び道具&儲け道具に過ぎない。
 「読売」ジャイアンツであり「西武」ライオンズであり「ダイエー」フォークスである。
 しかしアメリカは「シアトル」マリナーズであり「ロサンゼルス」ドジャースであり、
 「ニューヨーク」ヤンキースである。

 チーム名からしてもわかるわけだが、それだけではない。
 日本でも地域密着にして人気を取り戻そうという動きがあるが、
 企業名の前にとりあえず地名をつけただけの、非常にうわべ的な感じがする。
 ※ジャイアンツのユニフォームに入っている文字を、
 「YOMIURI」から「TOKYO」に変えたものの、誰が「東京」ジャイアンツと思うか?
 読売という企業イメージしかジャイアンツからは想像できない。
 そのぐらい日本では企業イメージが先行している。

イタリアのサッカーしかり、アメリカの野球しかり、
だからこそ「ホーム」か「アウェイ」ってことが重要になってくる。
チームを応援する後押しが全然違うのだ。
今回見に行ったマリナーズ戦も、すべて球場内はマリナーズファンではないかと思えるほど、
敵チームを応援する人は見受けられなかった。
いたのかもしれないが、マリナーズの本拠地でマリナーズの負けを堂々と喜べる雰囲気などまったくなかった。
日本の野球にはそこまで「ホーム」という感覚がない。
日本における「ホーム」の優位性っていうのは、ただ慣れた球場であるとか、
チームの本拠地であるとか、そういったことぐらいで、
イタリアのサッカーやアメリカの大リーグのような、ホームにおける圧倒的応援による優位性というのは、
あまり意識されていないように思う。

地域密着という点で成功している日本の野球チームは、
広島カープと福岡ダイエー、阪神タイガーズぐらいだろうか。
ダイエーは徹底した地域密着戦略により、
オープン戦や2軍戦でも福岡での観客動員数が増えるという、数少ない成功例だ。
また広島カープはそういった儲け主義的な戦略抜きに「市民球団」としての意識としては、
非常にアメリカのチームに近い感覚を持っている。
そしてチームに対する愛着度という意味での阪神タイガースは、日本のプロ野球界でも群を抜いている。
数字的・利益的戦略(ダイエー)・市民近接度(広島)・ファンの熱烈度(阪神)という、
3つすべてがそろっているのがアメリカにおける大リーグチームという感じがする。

 ・驚くべき球場の造り
 そして何よりマリナーズの本拠地・セーフコフィールド球場にいって驚いたことは、
 選手との距離が非常に近く、また非常に自由にいろいろなところから見れる点だ。
 観客席とグランドにフェンスがない。
 ひとまたぎすればすぐそこはグランド。
 だから日本のプロ野球観戦のような、変なかしこまった観戦という感じがしない。
 まるでどっかの草野球を見ているかのように、選手との距離感が近く感じる。
 球場が狭いのかといえばそうではないし、47000人も入る大球場である。
 席が単によかっただけではないかということでもない。
 基本的にどこの席からでも非常に見やすく、選手との近接感を感じられる。



そして驚くべきことは、指定座席以外でも動き回ってあちこちから見れる造りになっていること。
試合中、観客席を1周することができる。
これは日本の球場ではまずありえないことだろう。
そんでもって座席以外でもあちこちから見れる工夫がされているから、いろんな角度から見れる。
センターのすぐそばにはブルペンが間近に見れるだけではなく、
もう目の前が外野のグランドで、そこが自由な立見席になっている。
別にチケットはいらない。
そこだけでなく、ライトやセンター上部、レフトなど、ほんとあらゆるところから、自分の座席ではないところから、
自由に動き回れるから、立ってだけど見ることができる。

これはすごいことですよ。
日本のプロ野球はこの点を大いに見習うべきだ。
野球人気が低下する中で、大リーグの観客席のようなファンに見やすい球場の構造を真似すべきだ。
日本の球場では、自分の座席からしかほぼ見ることはできないし、
まして内野・外野・ライト・レフト側など球場内で自由に移動することはできない。
5万人近いシアトルの球場でそれが可能なのだから、ぜひ日本の球場もそうするべきだ。
そうしたらもっと球場に足を運んで見る楽しさが倍増し、観客動員も増えるし、野球への親しみも増すだろう。

 ・応援はやっぱり阪神が上だな
 しかし1点だけ、大リーグで物足りないことがある。応援だ。
 他の観客の邪魔にならないようにとの配慮なのだろうが、
 日本のように大きな旗を持っている人もいないし、
 トランペットなど楽器類の応援も禁止されているんだろうな。
 別に僕は大きな旗がなくても楽器類がなくても、
 楽しめる応援はできると思うのだが、
 少なくともシアトルでの球場応援に僕は物足りなさを感じた。

 たとえばカウントが2-3になると、
 追い込まれているような音楽が球場内から流れて、
 みんなそれにつられて手を叩こうとすると、もうその音楽は鳴り止んでしまっていて、
 拍手が散発的なままで終わってしまう。

のれそうでのれない、そんな球場主導の応援が何度もあって、
じっくり見る分にはいいんだろうが、楽しむって意味では、
日本のプロ野球、特に阪神の応援なんかの方がはるかに素晴らしく、盛り上がれる。
まあこの点は、きっとなんでもがんじがらめの法律で、
他人の権利に配慮したアメリカならではのルールなんだろうけど、
プロスポーツが1つのショーである以上、
観客自らが盛り上がれる応援スタイルを作り出すことも重要だと思う。
その点はほんと日本のプロ野球は進んでいる。
阪神ファンでなくても1度、日本のプロ野球を阪神サイド、特に外野席で見てみるがいい。
ほんとあの応援の素晴らしさはファンでなくてもファンになってしまいそうな、
そんな楽しい応援システムが作り上げられていますよ。

 ・あらためてニュータイプ・イチロー
 そんなわけで日米にはさまざまな野球に対する価値観やシステムが違うわけだけど、
 イチローというキーワードをきっかけに、
 野球やアメリカに興味を持って接してみるってことは、
 非常に貴重な「異文化体験」に値すると思うな。
 イチローを見てきたらぜひ阪神戦を見て欲しい。
 特に今、阪神はめっぽう強いから雰囲気もがぜん違うはず。

 ただイチローを見て思ったことは2つ。
 やっぱり野手ではないとだめだなということ。
 結局マリナーズ戦を見た時、長谷川も佐々木も見ることはできなかった。


イチローが野手、しかもレギュラー選手だからこそ、まずいついっても見られるわけだけど、これが投手となるとそうはいかない。
もちろん日本人選手の有無にかかわらず、大リーグの試合も観戦することはおもしろいわけだけど、
あまり野球に興味がない人がアメリカで大リーグを見るためには、イチローのようなポイントが絶対に必要だろうからな。

そしてやっぱりイチローは野茂や松井などとは桁違い、格違いの、スーパースターであること。
大リーグにおける日本人選手としての野茂の功績はイチロー以上のものがあるのだが、
やっぱりスターっていうのは功績とか実績にさらにプラスα何か特別なものがそなわっていないとだめなんだな。

キャラクターでもそうだし、タイミングもあるし、ルックスもそうだし、
運もあるし、もちろん実力も要求されるし。
ニュータイプの代表たるサッカーの中田が最近色あせはじめた現在、
ニュータイプで最も華々しく活躍しその存在感を強烈にアピールし、
人を惹きつけてやまないスーパースター・イチローっていうのは、日本だけでなくアメリカでも稀有な存在なんだと実感させられた。
もちろん日本から大リーグにいったからこそ、日本でも存在感もより増したわけだが。
※くれぐれもあと何年かして、もしイチローが日本のプロ野球に帰ってくることがあったら、
巨人にだけは入ってほしくないと願う。

ということで、ひとまずシアトルの野球編をお送りいたしました。
実はシアトルの魅力は野球なんかじゃない(ということは旅行前のつぶやきで書いたが)。
ただシアトルに興味を持ってもらうための1つのキーワードとしての「イチロー」は、
非常に有効な手段ではあると思ったので、ひとまずイチローから紹介しました。

・スタバ発祥の地なのだが・・・
 さてさてシアトルはスターバックス発祥の地として有名なわけだが、
 ほんと街中スタバやタリーズコーヒー他、スタバ系のコーヒーショップが至るところにある。
 きっとコーヒーが好きなんだろうな。
 カナダに近いとはいえ、そんなに寒い場所ではなく、わりに温暖ではあるのだが、
 なぜこの地にこれだけのコーヒーショップが流行ったのかは謎だ。
 ちょっと異常なぐらいある。
 それでも供給過剰ではないのだろう。





 しかし最も謎なのは、これだけコーヒーショップが多いのに、
 ほとんど店で飲んでいかず、テイクアウトするということである。
 日本のコーヒーショップの乱立ぶりもシアトルといい勝負だが、
 都内のドトールコーヒーがいついっても店はいっぱいという感じじゃあない。
 みんなテイクアウトして、持ち歩いているんだな。

 朝、通勤時間帯、4人に1人は、スタバやタリーズカフェなどの、
 テイクアウト用紙コップを持ちながら歩いている。
 日本でもスタバの紙コップを持ちながら電車に乗っている人などを見るが、
 このファッションは本場シアトル発らしい。
 確かにかっこいい感じはする。

しかしこれに一体何の意味があるのかがわからない。
僕はスタイルだけをまねた日本人の愚かな行為だと思っていたのだが、どうもこのおばか加減は本場に問題があるようだ。

歩いている人の姿を見ると、会社の目の前のコーヒー店で買って、事務所で飲むって感じではない。
紙コップを持ちながら5分以上歩いている。
コーヒー大好きの私から言わせたら、どんなにいい豆を使おうが、
紙コップにいれたコーヒーを5分以上持ち歩いたら、冷めてまずくなる。
それに熱いコーヒーを紙コップを持ちながら道路を歩くっていうのは非常に危ない。
こんなナンセンスなことはないのである。

ちなみに僕はホテルの目の前のスタバでカフェモカを買って、ホテルの部屋に帰って飲もうとしたのだが、
それでも部屋に戻るまでの3、4分の間で、もらった時はクリームがたっぷりのっていたものが、
すべてとけてあとかたもなくなってしまっていた。
もちろん冷めていてまずくなってしまっている。
これだったら何もわざわざスタバで300円近くもする高いコーヒーを買わずに、
ホテルのコーヒーメーカーでコーヒーをわかして飲んだ方ははるかにうまい。
※ちなみにシアトルのいいホテルの部屋にあるコーヒーメーカーには、
1回限りのスターバックスのコーヒーが置いてあることが多かった。

それにしてもいつも気になって仕方がないのだが、
紙コップにMとかAとかマジックで書くあのスタバならではの光景は、病院の検尿を思い起こすから辞めてほしいな。

 スターバックス成功物語によると、
 コーヒーショップっていうのは市民のサロン的な場であったと書かれているが、
 本場にもその跡形はない。
 だいたい客席が10席ぐらいしかない店が多い。
 日本のドトールなどのようなコーヒーショップのように、
 店で飲むのがメインではなく、テイクアウトが主流なのだ。

 ちょっと残念だったな。
 本場シアトルでは古き良き時代が残っていて、
 バリスタと市民が店で何気なく交わす会話とか、
 立ち飲み屋のような市民の交流の場になっているかと思ったが、そんなことはない。
 やはり何店舗も展開する「チェーン」化をすることによって、金太郎飴的ショップとなり下がる。

この上の写真は日本人観光客も必ず訪れるスターバックス1号店なのだが、
ロゴの色が変わってはいるが、店内はなんら日本と変わることはない。
シアトルにしかないマグカップが人気らしいが、店内に入ったところで、
日本のスタバと本場のスタバは何も変わらない。
たとえばアメリカに行ってわざわざマクドナルド観光するだろうか?
食べるためにマックに入るとしても、わざわざ見るためにマックには入らない。
だって店の雰囲気は日本と変わらないし、メニューだってほとんど変わらない。
マグドナルドと同じように、新宿のスタバと横浜のスタバが変わらないように、
本場シアトルのスタバも何ら変わりはしない。
そういう意味でスタバは、チェーン化されてしまった今、本場に足を運ぶ必要はなくなってしまっている。

ただコーヒーショップの流行地であるので、スタバやタリーズコーヒーやシアトルズコーヒーなどのチェーン店ではなく、
ちょっと変わったコーヒーショップがないこともない。
まあそのぐらいの違いだな。