書評・宮本輝By 書評ランキング

この人の著作の膨大さには驚かされる。
上下巻が多いが、人の会話を中心としたテンポのよい小説が多いので、なんなく読める。
読む本に困っている方、電車や旅先での暇つぶしに困っている方など、
とにかく膨大な著作の中で、どれから読んでいったら良いか、
どれがおもしろいかの一つの参考になればよいと思います。

宮本輝・書評偏差値ランキング
Sランク(75-70):なし
Aランク(69-65):春の夢、血脈の火、花の降る午後、優駿、愉楽の園、
夢見通りの人々、ドナウの旅人、避暑地の猫、ここに地終わり、海始まる、海岸列車、地の星
Bランク(65-60):青が散る、星々の悲しみ、人間の幸福、胸の香り、森のなかの海
Cランク(59-50):彗星物語、流転の海、わかれの船、錦繍、草原の椅子、
私たちが好きだったこと
Dランク(49-40):天の夜曲、蛍川、海辺の扉、オレンジの壷、葡萄と郷愁、月光の東
Eランク(39-25):星宿海への道

・花の降る午後(68)
フランス料理店を舞台して、一つは絵描きとの奇妙な恋愛物語、
もう一つは店の乗っ取り陰謀という、2つの話がスリリングに同時進行し、実におもしろかった作品。
そのどちらの話の結末は、いささかとってつけたようでお粗末なのだが、
そこまでに辿りつく過程のおもしろさはピカ一。実に良かったですよ。

・血脈の火(68)
再び大阪に戻って商売をはじめる主人公。
いろいろな事業に手を出し、次から次へと成功していく。
人間関係の様々な問題を彼流にかたしながら。
そんな人間模様と事業の拡大していくのはおもいろい。

この物語の最大のポイントは子供だ。
1部2部では存在だけが重要だった子供が、この3部では主人公にとってかわらんばかりに、
縦横無尽に何かをやらかしたりする。
そこに子供を通して見えてくる自分の姿を、これからの人生を主人公が考えさせられるのだ。

しかし3部中途から、暗転する。
台風により、もくろんでいた事業が失敗してしまったのだ。
新しい事業も共同経営者とそりがあわなくなり撤退。
さらにそれを機に、糖尿病だと診断され、一挙に暗転する。
結局、手を広げた事業を辞め、自宅兼店舗で、中華料理やと
きんつば焼売りに専念することになった。

そしてクライマックスは自宅近くの船の火事だ。
そこに子供をちょうど行かせたところで、主人公は必死になって火の手のあがる船に走り出す。
しかし子供はなんとか逃れていた。
その危機迫るシーンが、親にとっていかに子供が大切かを印象的に表していた。

はったりや人情でやってきた自分の甘さに、その火事の犯人をかばったことで思い知る。
考え方は早いが、やり方が古い。

最後は親子3人のシーンで終わる。
結末で何よりよかったのは、主人公・妻・子供の誰かを殺さなかったこと。
家族を殺すことが、小説を簡単に意義づけ印象深くさせる効果に役立つわけだが、
誰も殺さず、一家の人生と子供の成長とともに考えさせられる親を描いてよかった。

・優駿(67)
単にスーパースターとなる馬のサクセスストーリーではなく、
馬をめぐる、牧場・馬主・厩舎・騎手・調教師など、
様々に入り乱れる人間関係のおもしろさが最高!
また単に馬だけの話にとどまらず、そこに登場する様々な問題や生死が、
さらにこの物語をおもしろくしている。

宮本輝は女性を主人公にした話も多いが、一番フィットするのは、
わりに昔がたきの、関西の中小企業の社長を主人公にしたものだ。
キャラクターというかその人の行動が、無理なく理解できるからだ。

特に前巻の終わりの皐月賞での大事故は、非常に良かった。
綿密な取材をもとに物語を作り上げた力作である。
宮本輝作品にしては珍しく、結末も納得のいくものだった。

・ドナウの旅人(67)
上下巻、約800ページにわたる長編を、僕は先がどうなるか知りたいあまりに、
あっという間に読んでしまったという事実は、かなり高い評価をしなくてはならないと思う。
本で一番大切なのは、「先を読み進めたい」と読者に思わせることだと思うからだ。

ドナウに沿って旅をするという一つの仕掛けにそって、
2組の異色のカップルが、様々な登場人物に出会ったり、
様々な出来事に巻きこまれながら旅をしていく。
残念ながらこの本を読んで「ドナウに沿って旅をしたい」と思えなかったのは、
正直、物語の中心的話題とは何の関連性のなかったことと、
東欧・共産圏のマイナスイメージばかりが目立っていたからのように思える。

あちこちの話の設定の無理があるが、まあそれをいちいち問うていたら、
小説が成立しなくなってしまうので、それは気にせずに読み進めればおもしろいだろう。
またこの小説の主たるテーマである「男と女」ということ以外に、
「共産主義とは何か」というテーマが度々出てくるが、それは余計だと思う。
とはいえこれが書かれた時代がソ連崩壊の前、1985年であることを考えれば、
それもいたし方ないのかもしれない。

ぜひ読んで欲しい本ではあるが、結末はあまり納得のいくものではない。
これから読む人のために結末はいわないが、
なぜあんな結末にする必要があったのかは非常に疑問だが、
まあそれまでがおもしろかったのでよしとしなくてはならないかな。
宮本輝は結末を無理やりつけようとする傾向があり、
他の小説のように汚い手とはいえ、結末は濁した方がいいのではないかと思える。

すごく考えさせられるというほど深くはないが、
暇なときに本を読むというエンターテインメントとしては素晴らしい作品のように思う。
久しぶりにおもしろい本に出会ったというのが率直な感想だ。
ぜひ読んで見て欲しい。

・愉楽の園(67)
実におもしろかった。
バンコクという舞台がとても生き生きとして描かれ、
「一体どうなってしまうのか」という展開力がピカ一の作品。

しかし残念なのは結末。
恵子が結婚する相手をタイ人にするか日本人にするかで迷った挙句、
「一瞬」でタイ人に決断を下してしまうのがあまりに解せなかった。
まあそれでもここで小説は終わるべきだったのに、
実にひどいのが、その後の10日間の結婚生活で、
あっという間にタイ人に違和感を覚え、日本に帰って日本人と結婚することにしようとする結末である。
上下巻ずっとこれまでおもしろかったのに、最後の余計な数行の書き足しのために、
すべてが台無しになってしまう。
とはいうもののそれがなければ全体的にはすごくおもしろかった。
日本ではなく外国を舞台にしたことも、話の臨場感を出していた。

・避暑地の猫(67)
いやあ、これはすごくおもしろかったな。
宮本輝には珍しく上下巻ではなく、1冊の長編なんだけど、
これで十二分に適度な長さできちんと物語が完結している。
あれもこれもとテーマをつぎこまず、1つの話で完結している。
だから読みやすいし、入っていきやすいし、本に食い入れられる。

軽井沢という舞台設定もいいし、別荘番と主との入り組んだ人間関係と、
それの慣れのはてを追って行く話は実におもしろい。
主人公である少年からみる大人社会と異性との触れあいも、実によく描かれていた。

ただタイトルがよくない。
「避暑地の猫」というと、すごくのんびりしたほのぼのエッセイみたいなものを想像していたから、
今までこの本を避けていたのだ。
本を選ぶ重要な判断材料となるタイトルが、その中身を表していなくて、
しかも違った物語を想像させてしまうというのは、はっきりいって愚だ。
タイトルが直接的である必要性はないが、中身のイメージと離れすぎているというのはどうかと思う。
まだ「避暑地の魔」とか「避暑地の怪」といった方がいいだろう。

物語は非常におもしろいですよ。
タイトル変えて興味を惹かせなくっちゃ。

・ここに地終わり 海始まる(66)
18年間入院生活をしていた女性が社会に復帰して2人の男性をめぐる恋愛物語。
作者の狙いとおり、18年間入院していたことによって、
普通の人にはない、美徳を備えた純粋で直感力優れたキャラクターによって人を見抜く力を備えている点が、
単なるセックスまみれの恋愛話ではなく、人間の心をあぶりだすようでおもしろい。

また入り組んだ人間関係も物語をより一層おもしろくさせている。
意外な関係が、ラストの急展開を演出することになるなんて、思いもよらずおもしろかった。
また相手役である「梶井」を取り巻く人間関係や仕事における様々な問題も、おもしろさをアップさせている。

若干、「絵葉書」の設定や「梶井」のあやふやなキャラクター設定に違和感を覚えるものの、
全体としてはよく仕上がっており、どうなるんだろうかと、自然に読み進めていけた。

・海岸列車(65)
絡み合う人間関係と様々な展開に引き込まれた。
節々に見られる作者の思想が、登場人物を使って語られていく。
「海岸列車」という一つの象徴的なからくりを使って、
「生と死」を感じた人々が、懸命になって、それぞれの舞台で活躍していく。
人間は常に死と隣り合わせに生きている。
それに気づくからこそ、精一杯生きられる。BR> 会社の盛衰、死によるそれぞれの人生の急展開。
実におもしろかった。

ただ結末が納得いかない。宮本輝は書きすぎるのだ。
ああここでこの物語も終わったなというところでやめておけばいいのに、
終わり時を逸して書きすぎてしまうから不満が残る。

・地の星(65)
流転の海、第二部は、大阪から離れ、舞台を故郷の愛媛に移る。
都会を離れ田舎暮らしすることによって、
体の弱かった妻と子供が自然に囲まれながらすくすく育っていく様子と、
田舎特有の閉鎖的社会の様々な問題に、半分退屈しのぎに関わっていく主人公・熊吾の様子が描かれている。
次々と知人が死んでいく中で、再び熊吾は大阪に出て再起を誓うところまでだ。

ここで興味深いのは、子供って大人の人格形成には絶対に必要なものなんだなということ。
自分以外にこれほど気にかかる他者は、夫婦以上に子供である。
それが、田舎で子供を育てている熊吾の場面を読むとよくわかる。

宮本輝のいいところでもあり悪いところは、
それを登場人物を使って直接的に語らせてしまうこと。
「子供がいない夫婦はどこか人間としてなっていない」とわざわざ語らせなくても、
熊吾が子供に、子供がわからないことでもかまわず自分の人生について語って聞かせる場面さえあれば、
読者にはじーんとそれが感覚でわかるのである。
それが小説の良さだと思うのだが、
その主張をダメ押しするかのように登場人物にしゃべらせるのはかえって興冷めというもの。

それともう一つは、生きていく環境がこれほど人の性格を変えるということを見事に描き出している。
もちろんその人の持って生まれた性格は変えようがない。
それでも大阪の生活を描き出した1巻と比べて、この地の星は、
明らかに、生活のリズムが違った場所で、それに応じて人も変わって生活している様子がよくわかるのだ。

特に大人ではなく子供にとっては、幼少期にどこで生まれ育つかということは、
わかってはいるけど、本当に重要なことなんだなということがわかる。

・人間の幸福(64)
随分と大ぎょうなタイトルで、本の内容を勘違いされてしまうので、マイナスだろう。
確かにこの物語に流れているテーマなのだが、「人間の幸福」というタイトルの本が、
小説としてふさわしいかは疑問だ。

しかし中身は非常にわかりやすい、おもしろい物語だ。
近所で起こった殺人事件をきっかけに、
マンションの住人たちに互いの人間不信や詮索・噂が広まっていく。
犯人が捕まらない状況下で、何度も警察に呼ばれる住人たちは、
ますます互いの人間関係を悪化させていく。
そしてまたその事件のせいで、
不倫や信じられない住人同士の結びつきや関係が浮き彫りになっていく。

犯人は誰だろう?
その謎が物語をスリリングに先を読ませる展開力となっている。
刑事や探偵を主人公にした殺人事件ではなく、
現場を取り巻く住人たちを主人公にしたサスペンスという試みは、新鮮でおもしろかった。

若干、どうしてこの人がこんな行動を取るのか、納得いかない部分も多いし、
結末としての犯人逮捕も、期待外れでおもしろみに欠けるが、
まあ全体としては良かったと思う。

・星々の悲しみ(64)
友達に勧められ、今年になって宮本輝の本を読むこと、この「星々の悲しみ」でちょうど10冊。
はじめて宮本輝の短編集を読んだ。
主に昭和55年頃書かれた7つの短編を集めたものだが、これがどの話もなかなか良かった。
宮本輝は長編なんかより、はるかに短編の方が向いているのではないかと思ったぐらい、
実にどの作品も完成度が高く、各々の話に深みがあった。

短編集というと、どちらかというと奇をてらったものが多かったり、
あっさりと完結してしまう小話的なものが多いが、この「星々の悲しみ」は違った。
ある意味、ここに載せられている話は、実に日常にありふれた話なのである。
特異な点や際立っておもしろい話ではない。
全く話に仕掛けがないわけではないが、それも日常に起こりうる延長線上のことであって、
その当時の普段の生活のシーンを淡々と描いているだけなのである。

結末は、その短編を象徴するような日常の一場面でそのまますーと終わっていく感じで、
宮本輝の長編小説に見られる、明確な結末やはっきりした終わりがあるわけではない。
逆にそのことによって、この短編集がすごく心に染みわたっていく要因となっている。

日常の落とし穴のような話が、自分の生活にも起こりうるのではないかと、読んだ後に感じさせるような作品群。
シーンを描きつづけて、シーンで終わるところがまた余韻を残し、想像力を駆り立てる。

この短編のよい雰囲気を出しているのは、今が舞台ではなく、20年前の話であることも大きな要因となっている。
「古き良き時代」感というか、全体的な雰囲気に人と人の温かみみたいなものが感じられる。
最近読んだ本ではかさこランキングでいうところの偏差値50付近のものが多く、
久しぶりにいい本に出会えたなあという感想だった。

最後に、この本がいきいきとしている理由は、関西弁で書かれているからかもしれない。
関西出身の宮本輝のほとんどの作品は、関西弁では書かれていない。
生まれ育った地の言葉で書いていることが、この短編集を生き生きとさせている一番の要因かもしれない。

・胸の香り(60)
小編を集めたものだが、クオリティは高い。
どれもなかなか味わい深く、おもしろい。
もうちょっと長ければというのが唯一の不満。

宮本輝の大半は上下巻の長編なのだが、
時折どうしたんだ?とうたがいたくなるような駄作もある。
この小編がおもしろいのは、設定に共通点がある。

1、舞台は関西
関西を舞台にした宮本輝の作品は生き生きしていて、
行ったこともない場所でも情景がすっと浮かんでくる。
だから物語も自然と生き生きしてくる。

2、時は昔の話
戦後から高度成長期ぐらいまでの時期設定だと、
宮本輝作品は哀愁を帯び、テーマがしっかりし、 人間性豊かで、物語が生き生きしてくる。

この2つを「胸の香り」の小編は満たしているので、
当たり外れがなく、みんなどれもおもしろいのだろう。

・森のなかの海(60)
まず、さまざまな批判点があるにせよ、先をすぐに読みたくなるぐらい、
熱中して読み進められる本であった点を先に断っておこう。
その点はおおいに評価できるし、おもしろく読み進められると思う。
ただし、さまざまなアラがあって、問題点も多い。

1)とにかく一番読んでいてふがいないなと思ったのは、
主人公の女性の子供の話や心情、会話が皆無な点だ。
主人公は離婚した女性なんだけど、
阪神大震災にあって孤児になった子供を10人も世話をすることになる。
引き取った子供たちの会話や心情はいろいろ出てくるにもかかわらず、
実の子供である2人の息子の心情がまったく出てこないのだ。

息子2人がたまたま東京にいて大震災にあわなかったから、
この本のテーマにそぐわないとしてわざと出さなかったのかもしれないが、
別にこの本のテーマは阪神大震災ではない。
(これについては反論もあるかもしれないが、
本書を読めば、阪神大震災が大きなテーマの1つではあるが、
もっと大きな意味での人間の生き方がテーマであると考えた方が無難だろう。
そう考えなければ、下巻部分の毛利さんの息子などははっきりいって不要になってしまう)

孤児になった子供の悲惨な体験から、
彼女らがどんな気持ちでどんな風に新しい生活を送っているかと同じぐらい、
両親が突如離婚し、いきなり奥飛騨に住むことになり、
しかもお母さんは自分たち以外に、
まったく知らない子供を10人も世話して一緒に生活することになる。
その実の息子たちの心の葛藤や親とのぶつかりあい、
心情の揺れなどは、まさにこの本で扱うべきテーマにもかかわらず、
それがまったく抜け落ちている。

孤児は個性的なキャラクターでいきいきと描かれ、
主人公(お母さん)とのぶつかりあいがあるのに、
実の息子たちがいるのにまったく無視という有り様は、
はっきりいって読者を馬鹿にしているとしか思えない。
もし息子たちを描かないなら、
この主人公に子供たちがいない設定でもよかったのではないかと思える。

孤児ばかり「かわいそうだ」と世話をして、
実の息子たちはほったらかしという内容になっているんじゃ、
「子供たちのそれぞれの生き方・教育」も大きなテーマとなっているはずのこの本が、
まったく本末転倒なものとなってしまう。
逆に実の子供はほったらかしにして孤児ばかりに目を向け、孤児は立派に育ったけど、
実の息子はぐれちゃったっていう話ならわかるんだけど、そうじゃないだろう。ここで言いたいことは。

最悪なことにそれをまるで辻褄をあわせるかのように、
話の終りに、この共同生活で一番成長したのは息子2人だったと、
いかにもわざとらしく文章を入れていること。
そういう成長ぶりっていうのが、話のなかにまったくでてこなくって、
最後にとってつけたようにそんなこといわれたって、「しらねえよ!」って感じ。
息子2人を完全に無視するか、いない方が話の筋としておかしくなったのではないか。

2)露骨な社会批判を会話に混ぜる愚
これも宮本輝の作品に見受けられる愚なんだけど、特にこの本にはそれが目立つ。
父や姉や毛利の息子を使って露骨に作者の意見と思われる社会批判的言葉を述べさせる会話は、
かえって逆効果でうんざりしてしまう。
社会論評じゃなく小説なんだから、
わざわざ阪神大震災への対応のまずさを露骨に登場人物に語らせなくても、
その情景や様子が描かれていれば、読者は暗にそれを感じ取ることができるわけですよ。
にもかかわらず、それをだめ押しのように言葉にされてしまうと、
かえって小説の奥深さがなくなり、いわば小説を騙った社会論評に見えてしまう。

作家・宮本輝の社会論評なら社会論評らしく、何も小説で語らせなくても、
インタビューなり、そういった場面でのコメントなり、
論評本なりでそういったことを語った方が説得力があるわけで、小説に持ち出すのははっきりいって愚かだ。
他の作品でもこの傾向はあるんだけど、今回特に繰り返し出てくる。
・政治家への批判・阪神大震災の対応批判・教育への批判・日本旅館への批判

特にひどいのが日本旅館への批判。阪神大震災の対応批判は仕方がないにしても、
日本旅館への批判はあまりに唐突すぎるし、この作品テーマとはなんら関係ない。
しかもその批判が僕にはどうもピンとこない。
食べきれない量の料理がいっぱい出てきて糖尿病患者を増やす元凶となっているという批判なんだけど、
全部が全部、日本旅館がそうといえるのだろうか疑問。
しかも、この言葉を父だけでなく毛利の息子にも語らせ、
違う登場人物から2度もそんなことが出てくると、
それってあんたが勝手に思ったことを、この作品の会話に挿入するなよと思う。
この手法はちょっと考え直した方がいい。

3)離婚の謎が不明
この作品の一番はじめに出てくる出来事が、突然でかつ不可解な離婚騒動なのだが、
この種明かしが納得される形で説明されていない。
主人公の精神的ショックは、阪神大震災だけでなく、この離婚に大きな原因となっているのだが、
はじめに出てくるだけ後の巻でほとんど出てこない。
しかもその離婚への過程があまりに不自然で、
その謎解きがあるんじゃないかと期待して読み進めても、一向に出てこない。
そうなると、また宮本輝が話をおもしろくするために、無理な設定をしたのかと興醒めしてしまう。

金持ち令嬢と結婚するからだという理由にしても、不倫は明らかに夫に不利なことなのに、
夫のお母さんがそれを知っていて加担している理由が明確ではないし、
そのやり方も到底うまいとはいえない。
また、なぜそのためには邪魔なはずの妻の子供を、
自分のところで執拗に預かるといったのか、意味不明。
また地震が起きた時に、夫はその女のことを心配して、妻に指示を出したというのだが、
そこまで覚悟を決めてその女が心配だったら、地震の混乱に乗じて妻など助けずに、
女のところになぜ直行しなかったのか。
結局そういう不自然さな設定があって、
「ひょっとしてこれは妻が不倫だと思い込んでいるだけで、もっと奥深い陰謀があるんじゃないか」
と読み進めていくんだけど、結局その答えがどこにもない。
一番はじめに出てくる大きな話だけに、それがはっきりしないというのは不可解に過ぎる。

4)毛利の息子の会話が到底68才には思えない
下巻あたりから順主人公的扱いにまでなる、重要人物、毛利の息子なのだが、
68才という設定なのに、会話の口ぶりがあまりに若い。
この話し言葉から想像するに30〜40歳代の男性を想像してしまうのは、私だけだろうか?
いくら若い68歳だとしても自分のことをまず「僕」というだろうか?
それはともかくとしても、とにかく会話の内容というかテンポというか68歳とは思えない。

これは書き手だからわかるけど、多分この会話を書いている間は68歳という設定を著者は絶対に忘れてしまっている。
別にもっと若い年齢の設定でもよかったのではないか。
重要登場人物がその設定と合わないっていうの小説にとっては致命的なことじゃないか。

ちなみに宮本輝作品によく出てくるキャラクタータイプ
60歳前後で社長・経営者=この作品では父、このタイプを主人公にした作品の方が躍動感がありおもしろい
35歳前後の女性=この作品では主人公。宮本輝作品はこの手の女性を主人公にした作品が多い。
かつこの女性キャラクタータイプで多いのはお嬢様でどこか社会性がなく、
一般の人とずれてるんじゃないかみたいな不安をいだいている。
その中でどう生きるかみたいなことがテーマとなっているんだけど、
宮本輝はこのキャラクター女性の心情を主人公にするほど理解しているのか不思議でならない。
35歳前後の男性=この作品では離婚した夫。どこかずる賢く、世渡り上手というか腹黒的キャラクターが多い。
このキャラクターも、「えっ、このキャラクターがここでこういう行動に出るか?」と不思議に思う場面が多い。

今回この68歳の毛利の息子は、宮本輝作品においては、
35歳前後の男性的な会話文章と同じなんだよね。だから違和感を感じてしまうんだよ。

5)3人姉妹と7人軍団
まだ3人姉妹を引き取るまではよかった。3人のキャラクターもいきいきとしていたし。
さあこの3人はどうなっていくのかなってところで、新たに7人も追加されてしまった。
しかも主人公が引き取ろうと思ったのではなく、向こうから押しかけてきて。
そのせいでどのキャラクターも拡散してしまった。
この7人の登場以来、3人の話は激減してしまうし、7人加わったとはいえ、
7人の中ではっきりとキャラクター像を描ける程度に出てくるのはマフウ1人しかいないし、
なんかいっぱい来てしまったせいで、それぞれの心情の揺れがちょろっとした文章だけで片付けられてしまって、
おもしろくなくなってしまう。
いきいきしていた3人姉妹と息子2人の震災後の新生活の成長ぶりで充分話はでいたんじゃないかと思う。

5)たきこみ屋
何か商売をと思ってはじめたのがたきこみ屋なんだけど、どうも突拍子すぎる。
僕は家を譲ってくれた毛利さんが作った秘伝のマロングラッセの作り方を研究し、
それを作れるようになって商売にするのかと思っていた。
そのぐらいマロングラッセならこの話では必然性があったにもかかわらず、
思い付きはなはだしいたきめし屋がはじまり、
しかもなんのことはなく繁盛してしまうっていう、どうにも納得がいかない話。
というかこの話も不要だったんじゃないか。
もっと子供の心情を描くべきだったのではないか。
とってつけたような商売話ははっきりいって不要。

6)地方生活の軋轢
それから震災で都会から逃れて来て、山の中で夢のような生活を送っているような感じだけど、
本当なら、きっと地元の人たちとの軋轢もあったはずだと思うんだ。
それこそ、今までの生活にはなかった主人公の選んだ道の葛藤であり、
それを乗り越えてこそ新生活の意義が出てくるわけだが、そういう話がまったく出てこない。

だって考えてればわかる。
金持ちの人から第三者にもかかわらず山荘をただでもらい、
息子2人、引き取った3人姉妹&7人の崩れた不良集団の子供達を抱えた生活って、
絶対に嫌みをいう人がいてもおかしくないし、迷惑をかける可能性もあるし、
ましてよそものが商売繁盛してたらそういう軋轢もあったはずなんだけど、
そういう話がないから、物語に深みがないし現実性がなくなってしまう。

7)毛利さんの謎解き
そしてちゃんちゃらおかしいのが、譲り受けた人の謎解きはしてくれるなといわれ、
それを了解してノートなども燃やしたぐらいにもかかわらず、
なぜか毛利さんについてどんどん調べたりしてしまう。
で、結局しまいには下巻では調べてほしくなかった、
かたくなまでの毛利さんの心情を無視して、その謎解きに終始する。

なんかおかしんじゃないかと思う。そんな話じゃなかっただろうって。
しかもその謎はそこまで隠すほどのことだったのだろうか?
むしろ毛利さんが死ぬ時に「謎解きはするな」と主人公にいうのではなく、
謎解きのヒントとなるようなことを言い残して死んだなら、いいんだけど、
そうではないんだからな。

8)あまりにいろんな話をつめこみすぎ
結局なんでもかんでもぶちこんでしまった話になって、
ただいろんな話があるだけで、それぞれの内容がうすい。
はじめの離婚と震災と息子の成長この3点だけに絞ってもよかったのではないか。
または毛利家の謎だけに絞ってもよかったのではないか。
いろんな話をごちゃまぜにしていっしょくたんにしちゃってるから、
1つ1つの話の意味が軽くなっちゃうんだな。

ということでね、おもしろくは読み進められたんだけど、
物語の作り込みがしっかりできてないっていうか、
すごくインスタント的っていうか、
それが宮本輝のよさなのかもしれないけど、
他の宮本輝作品に比べると、すっごい時間がないなかで、
とりあえず他のいろんな仕事と並行させながら、書いた底の浅くなってしまった作品だなと思う。
せっかく阪神大震災を発端としたいいテーマを扱っているんだから、
不要なものは切り捨て、必要なものに文章をさき、
もっと奥深くっておもしろい作品が時間さえあればきっと書けただろうにと思うと、
残念でならない作品だな。

・流転の海(58)
はじめは単調な物語かと思いきや、戦後、会社の復興にかける主人公が動き出し、
この先どうなっていくか、注目していける。
主人公の特異なキャラクターが魅力ある。

しかしテーマは次第に代わっていく。50歳ではじめて父になった。
その子供のために事業を捨てて田舎に引きこもることにするのだ。そこで三部作の第一巻は終わる。
まだ何も出来事がはじまっていないのでこの評価だが、おもしろいことはおもしろい。
戦後の日本社会の洞察もなかなかだ。

・彗星物語(58)
大家族のテレビドラマといえば「天までとどけ」がおもしろい。
まさか「そのパクリではあるまいな?」と思った作品だが、
残念ながら「天までどどけ」の方がはるかにおもしろいのだが・・・。

ハンガリーの留学生を13人家族の家に泊めることになった3年間を描く。
つまらなくはないし、読み進めてしまうが、暇つぶしの本としての意義はあるが、
深い文学作品ではないので、残念ながら後に何も残らない。
深く何かを考えさせられる本ではない。まあテレビドラマにしたらおもしろいかもしれない。
深いテーマがなくとも単なるエンターテインメント小説ならば、
もっともっと一つ一つの話を濃くして10巻ぐらいのシリーズにすべき。

書かれている視点がくるくる変わる。
母の心情を通した書き方が一番多いが、一番下の子供を通した書き方の部分もあり、
なんかその辺があまり一定していないことが、余計にあやふやにさせる。
通底した主人公から、家族それぞれを眺め渡していく方がわかりやすいかもしれない。

批評をすれば切りはないが、なぜ家に来たのが「ハンガリー人」だったがいまいち不明。
作者の共産主義に対する痛烈な批判を、共産主義国に住む若者に語らせるためなのか。
でもそれが主題なら、2巻程度で軽い話ばかりが出てくる中では、
この共産主義批判は唐突な感がある。

おもしろい仕掛けは、教育批判をするために、
自分の作品が出題された国語の問題を取りだし、作者自らが文句をつけるのを、
一番下の子に語らせるというのはおもしろいにはおもしろいが、
まあなんかそこにちょこっとだけそんな話を挿入されても、深くは印象に残らないし、
エンターテインメント小説にしては生々しい問題がでてきすぎるという欠点もある。

この大家族を冷静にみつめている犬の存在も、この作品の中では大きな意味があるのだろうし、
最後にこの犬が死ぬことによって物語を終わらせていることから、その重要度がわかるわけだが、
かといって犬の存在を中心に書かれているわけでもなく、その辺がすごく中途半端なのだな。

話したいことを詰めこみすぎで、一つ一つが軽薄になってしまうという、
愚を犯しているような気がする。

・錦繍(53)
話はおもしろいのに、なぜすべて手紙形式にしてしまったのか?
せっかく話はおもしろいのに、すべて手紙形式で1冊通してしまったがために、
おもしろさが半減している。
宮本君、手紙形式ではなく、現在進行形の物語に書き換えた方が絶対いいよ。

1通の手紙があり得ないぐらい長い。
だってそこに小説の物語を綴っているのだから。
手紙であるために物語の躍動感が損なわれてしまう。
「〜しました。〜しました。〜したのです。〜と言いました。〜しました・・・」

おいおい、これじゃ、小学生の日記だよ。
「今日学校に行きました。体育の授業をしました。先生がサッカーをすると言いました。
とても楽しかったです。すごく疲れました・・・」
躍動感がない。すべて過去形の日記帳。これじゃあ話がおもしろくてもずっこける。

すべて過去形であることが物語を進展していく躍動感を失わせている。
また元夫婦同士にしては、どちらも妙に丁寧な言葉使いをしているため、
他人行儀で余計、話がつまらなくなる。
すべてを手紙の往来で小説を書き上げようとしたことがすべての間違いで、
それを続けるために、どちらの手紙も、同じ口調で、同じぐらいの長さで、
ずっと続いているから、いかにも作り物っぽさが出てしまう。
はっきりいってこの物語を手紙形式にする意味はまったくない。

ただ書き手の側からみれば、手紙形式にすることほど書きやすいことはない。
手紙形式というシステムにのっとって、
お互いが過去を懐古しあう書き方っていうのは、これほどらくなことはないもんな。
だからこそ話に生き生きさがなくなってしまう。

「これからどうなってしまうんだろう?」
と期待して読み進めていけるのは現在進行形で進んでいくからであって、
もちろんたまに過去の懐古があっても構わないが、
すべて過去の懐古でしかも手紙という、
話し言葉ではなく書き言葉で物語が進んでいくことほどつまらないことはない。
話がおもしろいだけにもったいないなと思う。
というか手紙形式のせいで「おもしろい、どうなるんだろう?」
と思っていたところで文末の手紙口調でその勢いを止められてしまうんだな。

相変わらず宮本輝らしい悪さ(というか良さ)もいくつか見受けられたが、
多分、この小説を手紙形式ではなく、
普通に書いたらすっごいおもしろかったんだろうな。

宮本輝らしいところとは、登場人物に人生のテーマともいうべき、
哲学的な言葉を無理やり語らせること。
ここではモーツアルトを聞いて「生きていることと死んでいることとは同じことかもしれない」
という言葉を延々繰り返している。
でもそんなことを押しつけがましく書けば書くほど、
物語がつまらなくなっていく。

そんなにはっきりと書かなくても、
この物語を読めば、読者はそれぞれに人生なり人間なりを考えるわけなんだけど、
そう思った時に押しつけるがごときにそういうセリフを、
登場人物に繰り返させることによってかえって興醒めさせてしまう。

「この小説って一体何をテーマに書いているんだろうか?」
ってわからない中学生とか小学生に、それをわからせるために、
そういった言葉を随所にはさむのならいいかもしれないが、
大人が読む分にはそういった押しつけがましさはむしろ逆効果。
多用すればするほどその言葉の重みも消えていってしまう。

象徴的に一言ぽつりといれておく。
あとは物語の事実に語らせれば、十分なのになあ。

まあそんなわけで、とにかく手紙形式でなかったらまったく違った評価なのにという、
残念な作品であった。話がおもしろかっただけに残念。

・草原の椅子(52)
宮本輝の1999年作だから極めて最近の作品。
今までの作品と違うのは、小説でありながら登場人物にかなり日本社会への批判を語らせている点。
あとがきで著者自身、「『草原の椅子』の小説にとりかかる前、一種異常なほど『日本への憎悪』につきまとわれた。
ありとあらゆる事柄に腹が立った。」と述べている。
日本社会についてどうしようもないほど文句が言いたかった時期だと自覚しているが、
無理に小説上の登場人物に語らせるのなら、一層のこと小説ではなく評論なりエッセイという形で、
言いたいことを書けばよかったのではないか、と思う。小説の人物の会話として語らせるのはあまりに不自然だった。

最近の作品のせいなのか、テーマがあまりに多すぎるということも難点だった。
阪神大震災を経験し人生観が変わったこと、離婚して新たに恋をした女性が現れたこと、
交通事故で一瞬にして我が子をなくしてしまったこと、親から虐待を受けて捨てられた子供のこと、
パキスタン・カラコルムハイウェイを旅行した時に老人から言われた3つの青い星のこと、
情緒不安定で何度も自殺を試みている若い女の子のこと、自営業としてやってきてそろそろ大きな転機が訪れていること・・・

どれもテーマとして1冊小説を書けるぐらいのものなのに、この1冊に駆け足のごとく急ぎ足でいっしょくたんに入っているので、
一体何が話のメインのテーマなのか?どれについて話が展開していくのか、あまりに多すぎてそれぞれの話が薄れてしまっている。
どれか一つに絞って書けばよかったのではないか、と思わずにはいられない。

それでも最終的には、4人の登場人物がパキスタン・カラコルムハイウェイを旅行するという形で話が収斂していく。
その部分は先がどうなるのか、異国の風景とあいまって興味を惹かれて読み進めていくところだが、
結局結末はなんだかしりきれとんぼで、一体何をこの作品で言いたかったのかわからないまま終わってしまった。

作品に散りばめられているそれぞれのテーマや話がおもしろいだけに、もったいないなという感じが否めなかった。
かつての宮本輝作品のように、テーマを絞った形で一つの作品を書いた方がおもしろかったのになあと、最近作は心残りで終わった。

・私たちが好きだったこと(50)
いつになく急展開なスト−リ−。
76倍の公団住宅に当たった主人公が、友達と二人で住むことにする。
引っ越しする前にバーで知り合った二人組の女の子が、突然一緒に住むことになり公団に引っ越ししてくる。
さらには引っ越しした当日に、ちょうどよく2組のカップルができてしまう。

なんと強引なスト−リ−だ。
小説なんてなんでもありだから、おもしろければいいのかなと思った。
4人が展開する共同生活に巻き起こる様々な問題の設定にも無理があるが、まあ基本的にはおもしろくないことはなかった。

設定やスト−リ−が強引であったが、逆にそれが展開していくスピ−ド感となって、僕はどんどん読み進めていった。
本のおもしろさとは、いかに読者に「この先どうなるのだろうか」と思わせることなのだろうが、
その意味では、この本は成功しているのかもしれない。
ペ−ジを次々とめくっていけるスピ−ド感は、読んでいて気持ちが良かった。

それでもやっぱりかつての宮本輝作品の力作と比べると、格段落ちるなと思わざるを得ない。
まずテ−マが非常にばらけているため、登場人物にセリフとして語らせている社会観や人生観というものが、
単発の細切れで終わってしまい、言っていることは非常によくわかるのだが、心にしみ込んでこないというか、全体的に印象が薄い感じ。

話の作り方にしても、お人好しで人助けするため簡単に借金してしまうのも、なんかちょっとおかしいし、
それでいて最後には4人が4人とも、それぞれの道で独立して活躍するという、
とってつけたようなハッピーエンドの結末にも著者の手抜きを感じぜずにはいられない。

かつての名作があるからこんな本でも読むのであって、
もしこれが宮本輝ではなかったら、もう二度とこの作品を書いた著者の本は読まないだろう。
やっぱり売れっ子になって大量生産を余儀なくされた結果なのかな。

『愉楽の園』『海岸列車』『春の夢』のようなテ−マが一貫していて、
スト−リ−がよく練られたかつての力作のような作品を、もう書けなくなってしまったのだろうか?

天の夜曲(48)
「流転の海」第4部。
待ちに待った続きで、前3作は非常におもしろく読んだのに、ちょっと今回はずっこけた感じ。
というのも、これまでの3作は、戦後の日本のごたごたの中で、時代を読み、剛毅な性格で、
いろいろなトラブルが起こりながらも、思いきりのよさで次々と乗り越えていく、
その豪快さが実におもしろかったんだけど、4作目になると、その主人公の「老い」が現れ、
読んでいて痛快な豪快さが消えていき、
やることなすこと、今までとは違っていとも簡単に裏目裏目に出てしまうので、正直、読むに耐えない。

もちろん、そういう老いを描きたかったんだろうけど、
今までの3作の痛快さが消えてしまい、
「なんでこんなところでこんなことしてしまうんだろう?」
と疑問に感じることが多く、
それが見事に転落していく人生になってしまうので、読んでいておもしろくないんだな。

しかもこれまでの前3作とは違って、
本の中で起こる出来事が少ないしダイナミックではないし、
ほとんどが父親が子供に向って話しているという形をとった、
単に著者が現代社会にいいたいことばかりになっていて、
それだったら小説じゃなくて評論を書けばいいと思ってしまう。
これまではそういうメッセージが織り込まれていたとしても、
いろいろな物語があって、最後にぽつりと一言主人公の言葉があるから、すごく効果的に読者に響くんだけど、
主人公の言葉を借りてえんえん説教を聞かさせるような物語展開になると、
物語=小説を読んでいる気がしなくなってくる。

だから今回読み進めていくのが非常にかったるかったし、
読まなくてもいいようなどうでもいい言葉があまりに多すぎた。

ま、著者と老いとともに主人公も老い、
その精彩さがなくなっていくということを現しているのならば、
これほど見事に「転落」を表現した本はないとは思うが。

・螢川(45)
昭和30〜40年代の話。
僕らの世代には実感として時代背景が湧かないが、どこか古き良き日本を感じさせる。
この物語がおもしろく読み進められたのは「二人の死」があったからだ。
しかも死にそうな父ではなく、突然思わぬ人が死んでしまうこと。
そこから急速に物語が展開していく。
死のはかなさ、生きていくことのはかなさ。
とはいえシーンで終わるあっけない結末に、短編小説の難しさを感じる。

・海辺の扉(45)
「愉楽の園」や「海岸列車」のように、そこで巻き起こる事件と恋愛が両方ともうまくかみあって、
物語を紡ぎ出していくようなおもしろさがなく、残念。
つまらなかった「オレンジの壺」と同じで、事件・恋愛がどちらも中途半端な絡み合いで、結末も納得のいかないものだった。

唯一この本で一番おもしろかったのは、前の日本人の妻を選ぶか、今の恋人のギリシア人女性を選ぶかまでのところ。
この選択を小説のテーマとしてもっと全面に押し出せばおもしろいものになったのに、
主人公がその難しい選択に、あまりにあっけなく決断を下してしまうのが不可思議でならなかった。

またギリシアをどうして舞台にしなければならなかったのかも不鮮明。
外国だったらどこでも良かったのではないかと思えてしまうと、物語の設定に疑問を感じてしまう。
タイトルからしておかしい。最後にとってつけたように、タイトルを説明するために付け足したような部分が引っ掛かる。
単行本化される前の、雑誌連載中のタイトル「来世への階段」の方が、よほどいいような気がした。

・オレンジの壺(44)
上巻は実に退屈。意味のない日記が延々とつづられ、一体何の意味かわからない。
物語の設定にも無理を感じる。
下巻になって、エジプトの女に出会ったところから話が展開しはじめる。
次々と謎が明らかになり、日本に帰る飛行機の中で「もう一つの日記」を読む場面はおもしろかった。

しかし全体的に設定に無理があり、強引なストーリー展開などがあって、
全体的にはあまりおもしろくなかった。
主テーマがありながら、それがあやふやで、そこから外れたどうでもいいテーマが際立ってしまう。

急ぎで手を抜いて書いたのではないか。
とりあえずつじつまあわせで作品を書いたというか。
もっとしっかり練り込めばおもしろいものが書けたはずなのに…
「宮本さん、あらどうしたの?」って感じだった

・葡萄と郷愁(40)
つまらなかった原因
1:東京とブタペストという何の関係もない女性の話を同時並行に進める意味がまったくない
東京の結婚を迷う女性と、ブタペストでアメリカ行きを迷う女性の話が交互に展開されているんだけど、
なんの関係性もないし、テーマの類似性もない。
それがタイトルで同時刻になっているからといって何の意味もない。
僕はどこかでこの2つの物語がつながるのかと思った。
それなら多少の意味が出てくる。
しかしそんなこともなく、どちらも中途半端に終わった。これじゃ、つまらんだろう。

2:テーマの一貫性のなさ
ブタペストの方の話は一体何をテーマにしているのかわからない。
ただ作者が興味を持っていることをずらずら並べているだけで、テーマに確固とした一貫性がない。
東欧諸国の閉塞と自由がテーマなのか、謎の女性の死がテーマなのか、
友人をとるのか夢をとるのかがテーマなのか、しかも最後はあっけなくアメリカ行きをやめてしまう。
その要因となった事柄は何なのか。
短い話にこれだけのテーマをぐちゃぐちゃにつっこむと、
どれもが中途半端で説得力のないつまらない物語になってしまう。

3:設定の無理
宮本輝の悪い癖である。
東京の話は、ずっと好きだった恋人との関係が続きながら、
ろくにしりもしない友人のプロポーズを国際電話で受けてしまうという、なんだか理解不能な話。
しかもそれを「外交官夫人に憧れたから」と主人公に開き直られてもまったく意味がわからん。
それほど外交官夫人という地位がすごいものだとは思いもしないし、
しかも恋人の方はいちよ一流の建設会社なわけで、
別に親戚や親に対してもそっちでも十分なわけで。
しかもその恋人が弁護士になる夢を辞めた理由が、
弁護士の奥さんと浮気したからという突拍子も無い出来事をこじつけようとしてもさっぱり意味分からん。

ということでつまらなかった。
優駿や花の降る午後など、あんなにおもしろい作品を書いている同一人物とは思えないほどの駄作。
初心者は読むべからず。
これから読むと宮本輝がきらいになってしまうだろうから。

・月光の東(40)
ほんとつまらなかったな。
まず何がいけないかっていったら、すべて他人行儀なですます調。
これじゃ、登場人物に感情移入できず、物語の世界へ入っていけないよ。
そして宮本輝の悪い癖でもある、設定の強引さ。
特にそれが目立ったのがこの作品。
36年前に会ったことのある同級生探し。
なぜ彼が探さねばならないのか、全くもって意味不明。
しかも発見したところで、お互い50歳。そこにラブロマンスはありえない。

そしてもう一人この女性を探す人物が現れる。それは夫の自殺の謎を解くため。
しかし結局その謎がわからぬまま、あやふやに物語が終わってしまう。
はっきりいって許せない。何のためにその女
性を探したんだ?

謎解きを期待して読み進めているのに。 「花の降る午後」のような、おもしろい物語を書いた同じ著者とは思えない。
ほんとくだらん。読まん方がいい。

星宿海への道(30)
誤解のないようはじめに断っておこう。
私は宮本輝作品が大好きである。
ただし、おもしろいものはおもしろい、つまらないものはつまらない。
宮本輝作品の評価が低いと熱狂的なファンから批判を受けるので、
(上記のような説明をするとわかっていただけるのだが)
私が彼の作品を批判するために読んでいるわけではないことを断っておきたい。

久しぶりの宮本作品に私はかなり期待していたが、最悪だった。
つまらない。一体何がいいたいのか。何をテーマにしているのか。
まったくばらばらで意味がわからない。だからつまらない。

兄の失踪の謎解きかと思いきや、そういうことでもない。
「星宿海」というキーワードを辿っていく物語でもない。
「兄弟」の微妙な距離感とその関わりを書いたものでもない。
とにかくばらばらだらだらとだた闇雲に書き綴っている。
何を視点に読んでいけばいいのかがわからない。
だからストーリーに入っていけないし、感情移入できない。

文体も宮本輝必殺の「小学生日記」体である。
弟が兄の過去の話を「〜でした」「〜しました」とずっと書いていく。
本人の視点ではなく本人の話を過去形で書いていく。
飽きますよ。特に物語もつまらないんだから。