書評・村上龍By 書評ランキング

・希望の国のエクソダス
僕はあまり村上龍は好きではないし、なんとなく読むのも抵抗感があるのだが、
この作品はめちゃめちゃおもしろいですよ。
村上龍を見直した。こんな小説が書けるんじゃないか。
久々の超おもしろかった、大ヒット作品だったな。

何がおもしろいか。
今の日本をリアルに描いた近未来シミュレーションなのだ。
いつまでたっても腐敗だらけの日本に、中学生の不登校から、
中学生がインターネットを介してネットワークを作り上げ、それを利用してネットビジネスを展開する。
彼らの計画はあまりに壮大である。それは日本からの独立国家の建設。
それも突拍子もないストーリーではなく、
きわめてありえそうなリアルな筋書きに、驚きを禁じえない。

ネットビジネスによる豊富な資金と、全国の中学生ネットワークを作り、
まず自分たちで自分たちが勉強する学校を作る。
そこから優秀な人材を育て、各事業をはじめ、北海道に土地を買い、
そこに独自通貨を発行させる。
通貨を独自に発行することで、それは一つの独立国たりえる。

それを全国各地に広げていき、今の日本の諸問題に対応した社会をそこに作り上げていく。
腐敗しきった日本はぶっつぶれるのは必然で、
日本国内内部から、既成の選挙から政治家を出したりとか、官僚や政治家を武力で倒すわけでもなく、
自分のビジネスとネットワークを武器に、日本内部に独立国家を次々と作り上げる。

それはまさしく今の日本であっておかしくない、
超現実味を帯びた未来シミュレーションだ。

この本を読んでいる時、住基ネットの問題が出た。
もしかしたら住基ネットからの離脱を国民の多くが表明し、
独自の路線を各自治体で歩み始めると、この本と基本的には同じ方向性になる。
つまり住基ネットを脱退した自治体が一つの独立国家となり、
日本から離脱する自治体が増え、
その地域に応じた税制なり法案なりを成立させ、
腐敗しきった日本国と切り離して社会の改革を行っていく。

この本はすごい。夢物語ではない。
日本が日本内部から崩れ去っていくプロローグは、
住基ネットからはじまっているのではないかと思うと、わくわくしてくる。
もしかしたら住基ネットというオオバカ政策によって、
日本の改革が大きく進む転機になるやもしれぬ。

そう考えると、日本にいることが希望を捨てたものではないことにはなるのだが。

・ラッフルズホテル
はじめての村上龍作品を読んだが、実におもしろかった。
村上龍って、でぶでぶさいくなくせして、妙にかっこつけたいきがったおっさんで、
小説の中身といったら、世間のうわっつらをすくっただけのものだとどこかで思い込んでいたが、
この「ラッフルズホテル」は実に奥深い、よくできた小説で、どんどんのめりこんで読み進めていった。

旅行記を中心とした、基本的に自分の体験したことをベースに物を書いている僕にとっては、
村上龍の小説を読んで、小説って実に自由な世界なんだなとあらためて思った。
書き方もそれぞれの登場人物を一人称にして物語を進めていく手法は、
常識かけはなれた不思議な本間萌子という女性が登場するからこそ効果的だ。

何が本当の世界で何が嘘の世界なのか。この世の混沌を象徴的に描いた素晴らしい作品。
カメラマンが死人なのかそれとも女優が死人なのか、ラストシーンでの逆転現象はとても印象的だった。

ちなみに映画にもなっていて、早速ビデオ屋で借りてみてみた。
小説の方がはるかにおもしろかったが、小説を読んでからビデオを見ると、
ビデオの言葉足らずがイメージできてよいかもしれない。

また他の作品も読んでみたいなと思えた作品にはじめに出会えてラッキーだった。

・愛と幻想のファシズム
問題だらけの日本社会に一つの可能性を指し示す近未来シミュレーションを描いたこの作品。
随分前に書いたこともあり、同種の著作「希望の国のエクソダス」のすさまじいリアリティさから比べると、
時代背景(米ソ冷戦など)が感じられ労働闘争などが出てくるとなんだか色あせた感はあるし、
また「希望の国のエクソダス」の圧倒的な取材量から生みだした、
現実に起こってもおかしくはない超リアルシミュレーションに比べると、
やっぱり幾分落ちる作品かなあ。

ヒトラーのごときファシズムを推進するカリスマが日本に登場するだろうかと考えると、
この小説に書かれた事柄の現実性は感じられず、ただの物語になってしまうものの、
それでも日本や世界の社会問題は的を得ているので、おもしろく読み進めることはできる。

特に注目すべきは「狩猟生活」から人間社会を考え直そうという視点だ。
機械に囲まれ、自然を破壊してきた人間は、いつのまにか自分たちが、
猿や象やそれこそゴキブリなどと何ら変わりはない「動物」であることを忘れがちで、
そのおごりが現代社会の問題氾濫につながっていることを考えると、
「狩猟生活」には戻れないものの、それをもとに今の社会を考える視点は必要だ。

ただ非常に印象的なのは、弱者を廃止し、サバイバル精神的強さを持つ人間の優位を解いていながら、
実はこの狩猟社に集まってくる人間は、何の力もなく、
ただカリスマにすがり強い者の庇護化に置かれたいと願う弱者が集まってくるというパラドックスはおもしろい。
本来なら独立した個々人が、自分の力で組織に頼らず一匹狼的に生きる力強さが必要なのだろうが、
日本という国単位でその精神を実行性に移すにあたっては、
どうしてもカリスマに惹かれた弱者の組織化が必然となってしまい、
それがある意味、ファシズムの脆弱性なのかもしれない。

カリスマ的支配者が主人公なのではあるが、
その支えとなる広報部長の生き方の方が、ある種、現代人には暗示的メッセージが強いかもしれない。
組織内で何をしたらいいかわからない。変態性行為や酒に溺れる毎日。
しかし広報という仕事を与えられ、水を得た魚のように働くが、
本当にそれでいいのだろうかと常に自問自答を忘れなかった彼は、一つの映画作品を残して自殺してしまう。
カリスマの周囲につく、盲目的にカリスマを指示し、特定の専門分野を生かして働きまわる、
テクノクラ−ト(官僚)よりは、はるかに広報部長の方が人間らしく感じるのだ。

狩猟社が政権を取るところまでは小説には描かれないが、
その過程の躍動性や時代的存在意義に比べて、政権を実際にとってしまったら、
様々なしがらみにがんじがらめになって、彼ら本来の理念を実現できなかったのかもしれない。
だからこそ広報部長は一つの区切りに自殺したのかもしれない。
腐った既成勢力を打破し、国際社会の危機に乗じて求心力を持つファシズム団体は、
既成勢力の打破という破壊活動は得意にしたとしても、
その後の政権運営である建設は苦手なのかもしれない。

それにしても世界を巨大企業がいいように動かすというシナリオは非常に興味深い。
その点だけに、この小説が提示した未来の現実性を感じた。

・限りなく透明に近いブルー
これが芥川賞受賞というからお笑いだ。
僕だったら「希望の国のエクソダス」(村上龍著)の方が、
「芥川賞」なんて足りないぐらいの絶賛をするよ。

どうしてそういう賞を決める輩は、
わけのわからん作品をわかったように難しい言葉でこねくりまわして、
わかったような顔をして我が物顔で大いばりして、一般読者とはかけはなれた評価をするんだろうか。
それが自分たちの「権威」を高めると思ってるのか。
ま、賞に対する批判はともかく、この村上龍のデビュー作だが、まあはっきりいってわけわからん。

「イビザ」よりははるかにましだったけど。わからんわけじゃなくて、別にどうってことはない。
若い連中が薬やって乱交パーティーやって喧嘩したりなんかして、
ラリってる時の会話をずらずら並べた、まあただそれだけの話。
「そんな世界もあるんだな」ということぐらいで、別におもしろくもなんともない。

薬やってる描写が多いんだけど、やったことのない大半の読者にはピンとこないと思うんだよな。
はっきりいって吐いてばかりで汚らしい描写ばかりだし、
乱交パーティーっていったって理解不能の変態セックス描写だし。

ただそういう一部の人たちのディープな世界を描くってことは、一つの作品として成り立つわけで、
そうなると主人公の「リュウ」(作者自身なのだろう)っていう、妙に冷静で冷めた奴は邪魔になるし、
どこかで作品を意味付けしようとする描写も不要になる。
ようはどっちつかずで中途半端なんだけど、
到底この薬中連中の変態セックス描写を読んで「うーん!おもしろい」とか、
「考えさせられるな、この作品」っていうにはほどとおいわけで、これが絶賛される意味はようわからん。

むしろリュウなんていう村上龍自身のごとき、ちょっと頭が良くて小ざかしくて、
仲間連中がバカやってるときに、妙に冷めた目で見てそれを記録して小説にしようなんてやつは、
こういう小説には脇役でいいわけで、
むしろはちゃめちゃで不器用なんだけど一生懸命生きてる「ヨシヤマ」なんていうのを主人公にした方が、
単なる薬中・変態セックス・暴力作品でもおもしろみが出てくるわけよ。

まあそのー、いいたいことはわかるわけよ。
こういったはちゃめちゃなことでもしない限り、
現代社会の閉塞感の中でいきる若者は存在証明(アイディンティティ)を得られないみたいな。
でもそれだったらもっと作品に意味付けを求めていいと思うし、
単なる変態セックスの描写じゃなくストーリーを描いた方が、
一般読者にははるかにわかりやすいし、第一おもしろいわけよ。
描写だけ書いてわけわからんまま終わりになって、
「意味を排除したなんちゃら作品」だの「非現実の世界が現実感を持つなんちゃら効果」だの、
そんなことは、読者には関係ないわけよ。
ようは、本を読んでおもしろかったか否か、それに尽きるんだから。

ちなみにこの作品はほんとは「限りなく透明に近いブルー」なんて、洒落たかっこつけじゃなく、
「クリトリスにバター」をだったらしい。

こっちの方がはるかにこの本の内容からすれば合っているわけで、インパクトもあっていいんだけど、
結局、賞を取る関係なのか自分の見栄なのかなんなのか、
無難なタイトルにしてしまったのは、世間的には成功したかもしれないが、作品としては質を下げたな。
売れた時に「クリトリスにバターを」でデビューなんて紹介されたらかっこわるいとか、
反感を持つ人がいるだろうとか、そういうことでタイトルを変えたとしか思えない。
残念でならない。

一番の失敗は主人公を「リュウ」という本人名にしたことだろうな。
それがどこかでこのどうしようもないはちゃめちゃ小説に、
タイトルも無難なものにしたように、どこかで歯止めがきいてしまい、非常に中途半端になっている。

この著者自身が登場する小説を、今井裕康くんがこう解説している。
「<私>意識の解体を文体そのものにおいて見事に定着してみせた」
おいおい、作者自身の名が出てきてそれが主人公のこの作品の、どこが<私>意識の解体なんだ?
解体どころか<私>意識の過剰化じゃあないか。
多分こういった連中が芥川賞とか決めてるから、
一般読者が読んでおもしろくない作品ばかり賞をとったりするんだろうな。

・かなりがっかりだった「半島を出よ」村上龍著
「北朝鮮の舞台が九州を制圧!」という実にテーマ設定がおもしろい、
近未来シミュレーションで、「愛と幻想のファシズム」を非常に気に入った私にとっては、
これはぜひにとハードカバーで本を買ったが、はっきりいって期待外れだった。

原因は1つ。
いらんことを、ディテールを書きすぎるのだ。

北朝鮮が陰謀を画策し、九州を制圧する作戦からはじまり、
上陸してからの対応の仕方、
そしてこれを阻止しようという動きとその攻防みたいな、
ストーリー自体は非常におもしろいんだから、
ディテールは必要最低限にとどめ、どんどん話が展開していくスピード感が欲しいわけで、
そうすればこの切羽詰った異常事態みたいな緊迫感がよりリアルに出てくるわけだけど、
いらんこと、はっきりいえば「知識のひけらかし」か「調べたことを全部書く」くせがあるのか、
そんな記述ばかりでぜんぜん話が進んでいかないから緊迫感がなくなっていくのだ。

下巻の膨大な参考図書を見ればわかるけど、えらい調べている。
別に北朝鮮だけのことじゃなく、出てくる「ヤクドクガエル」についてだとか、
さまざまな銃についてだとか、全部調べたことを書いている感があって、
小説を読んでいるものとしては、つまらん学者の本を読まされている感じになって、
だんだん、読み進めるのが嫌になってしまう。

調べたことはね、「半島を出でよ取材ノート」みたいな形で別冊にして、
これを読んだ人がバックグラウンドを知りたい時の本にすればいいじゃない。
それを本来スピード感と緊迫感が売りのストーリーに全部つめこむからおかしなことになる。
それでいてくだらんディテールが書かれているわりに、
人間たちの目的というか意志みたいなディテールが少ない。

だってさ、制圧した北朝鮮軍を全滅させるため、ビル爆破しようとそこまでいっているのに、
章が変わるとそのつづきじゃなく、これまで出てこなかった新しい登場人物の、
日常描写とかがでてきちゃうとほんとどうしようもない。

せっかくいい題材なのに台無しだな。
はっきりいって読まない方がいいでしょう。

しかし、こういう書評が皆無に等しく、賞賛記事ばかりが目立つのは、
ジャーナリズムの衰退といわざるを得ないだろうな。