ラスベガス考 かさこワールド

砂漠の真ん中に作られた巨大エンターテインメント都市・ラスベガス。
「カジノ」のイメージしかないかもしれないが、実はカジノだけではなく、
様々なエンターテインメントを凝縮した巨大遊園地へと進化を遂げている。
砂漠化した現代社会の人工ユートピアなる「ラスベガス」は、
いろいろな意味で実に興味深い都市である。

・2003/7/13:お知らせ:るるぶラスベガス04発売!


かさこ完全編集!るるぶラスベガス04が全国の書店で発売されました!
ほぼ全ページの企画・構成、約70ページの原稿の執筆、約20%の写真撮影など、
私がはじめて全面的に携わった市販される旅行ガイドブックです。
ぜひ書店にいったら立ち読みしてみてください。
もしよかったら、るるぶラスベガスを買ってラスベガス&グランドキャニオンに旅行してみてね!



・巨大テーマパークシティ&カジノ立国ラスベガス

<1>
ラスベガスに1週間近く、取材ということであちこち見て回った。
ラスベガスというとなんていってもカジノのイメージが強いわけだが、
カジノキャンブルシティというより、町全体がいわばディズニーランド&シーみたいなところで、
カジノイメージとのギャップが大きいことに驚かさせる。

〜町そのものがディズニーランド〜
現にラスベガスに行った友達で1度もカジノをしなかったという人も多い。
はじめそれを聞いて「ラスベガスでじゃあ何してたんだ?」と不思議に思ったんだけど、
カジノ以外に大人の遊び仕掛けがいっぱい用意されていることに、行ってみるとわかる。
ということでその魅力は、来年6月に発売される「るるぶラスベガス」を買ってみてほしい!
と宣伝になるわけだが・・・。

イメージとしてはディズニーシーを10倍ぐらい巨大化し本格化したテーマパークシティと思えばよい。
シーが真似したのかラスベガスが真似したのか、両方とも偶然の一致だったのかしらんが、
ホテルの目の前に海があり山があり、そこでいろいろなショーをやる。
シーにベネチアを模倣したゴンドラ乗りがあるが、あれと全く同じものもある。
ついでに「イクスピアリ」ではないが、もっとテーマ性のある、
内装が凝っていて有名ブランドが軒を連ねるショッピングモールもホテルに併設されている。
もちろんランドやシーのごとく、有名レストランでは列を成して並ぶ・・・とまあ、
イメージとしてはほんとディズニーランド&シーの10倍規模のものと思うとわかりやすい。
ただし、そのアミューズメントの中心となっているのが、金がかけられるカジノがある、ということが、
ラスベガスのラスベガスたるゆえんで、ランド&シーと大きく違うところではあるが。

そしてさらに驚くべきは、シーを作っておしまいというディズニーリゾートとは違って、
なんたって荒涼とした砂漠の真ん中にある町ゆえ、まだまだ空き地があるから、
次々とニューホテル・ニュースポット・ニューアトラクションが増殖しているということだ。
恐るべき都市である。

テーマパークがどうしようもなくって飽きられてバンバン潰れている日本の状況下において、
(そういえば大阪のディズニーをめざしたユニバーサルはもうだめだろう)
唯一存続し、今だに絶好調なディズニーランドが大受けする日本人にとっては、
ラスベガスはきっと楽しいところなんだろう。
なんたってディズニーランドが子供向け小規模遊園地としか思えないほど、
ラスベガスは完全に大人向けで、かつ超大規模なのだから。
世界最大の大人の遊園地といっていいだろうな、きっと。

でも日本人にとっての「ラスベガス」と外国人にとっての「ラスベガス」は大きな隔たりがある。
外国人はもちろんアトラクションだとかショーだとかで楽しむんだけど、
やっぱりあくまでメインはカジノなのである。
24時間365日営業しているカジノは各ホテルの入口にあって、いつも人だかりが絶えない。
ラスベガスを訪れた1人平均600ドル(72000円)も1回の滞在でカジノに使うらしいというのが、
このラスベガスのラスベガスたる実態であるのだが、
多分日本人は1人100ドルも1回の滞在でカジノに金は使わないんじゃないかな。
日本人にとってカジノはおまけみたいなもので、カジノなくてもディズニーランド的に遊べるという、
他の外国人とは全く違う過ごし方をしているのだから。

しかしこの「入園料」のないラスベガスにとって、
カジノ資金こそがテーマパーク運営&増殖の元手となっているわけで、
来た旅行客がカジノでできるだけ金を落としていってくれないと困るわけである。
逆にいえば、カジノですってくれる人が多いおかげで、
ディズニーランドのように入園料の限りない値上げという事態を招かなくてすむ。
「無料」で楽しめるなって思ったら大間違い。カジノでみんな入園料以上のお金をしっかり払ってるってわけね。
だからひょっとすると日本人の楽しみからは考えようによっちゃあ賢いのかもしれない。

<2>
ギャンブルによって成り立つ町。
実はこれ、何もラスベガスだけの話ではなくなるかもしれない。
ラスベガスの合法ギャンブル・カジノ都市運営モデルを、
それこそ国や市にもそのまま導入したらどうかという議論は、
税収不足に悩む日本ではかなりウルトラC的手段として検討されているのだ。

ギャンブルを合法化し、国が胴元になって、その資金で国を運営していけば、
まず間違いなく消費税は廃止され、雇用保険や年金資金不足にあえぐこともない。
ただそれを国としてやってしまうことがいいのかどうか、政策論的成否の問題ではなく、
倫理的問題があるからやらんだけであって、
現に東京都の石原慎太郎君は真剣にギャンブル胴元案を考えているようだ。

サッカーくじしかり、競馬競輪しかり、そんでもってカジノ。
ただ日本人はわりにギャンブルに対する根強い倫理的反発があるから、
カジノでは税代わりにならんかもしれんが、それよりもってこいなのが、宝くじだな。
カジノはもちろんのこと競馬競輪なんかよりはるかに配当率が低く、
少ない資金で確実の胴元が儲かる超いかさまギャンブル(というかギャンブルとさえいえない)
宝くじはなぜか日本人は「ギャンブル意識」という抵抗感なく買えるからか人気だから、
これを国の事業にして税収不足を補う手はある。

とまあ、そんなわけでちょっと話はそれたが、
ラスベガスという町の運営は実に興味深い都市モデルなのである。
ギャンブルを行政モデルとしなくてはならないほど悲惨な日本の経済状況なわけだが、
消費税が10%になるよりいいかもしれん。

ただちなみにカジノで潤うラスベガスのあるネバタ州には州税(住民税)がないらしいが、
ただし消費税の相当するものが毎回7.25%もかかるのだが・・・。

ギャンブルで落とした贅沢な資金をバックに繁栄を続ける巨大エンターテイメント都市、
というとかっこいいが、ようは大人の遊園地ラスベガス。
世界でも類稀なる徹底したカジノ中心の町作りは一見の価値あり。
様々な社会システムを想起させてくれる・・・いやいやそんなことを考えなくとも、
ようはわけもなく金を落として遊んでいってくれる人が大勢集まってくれれば、
そのお金でもっと楽しくおもしろいショーなりアトラクションを作ってくれ、
またそれによって人が集まるという好循環を生むわけだ。
税金は上がるは年金や保険はもらえんわ、消費税があがってよけい買い物しなくなって不景気になるわの、
どうしようもない悪循環を続けている日本とはまったく逆のラスベガス。

さあ来年の6月に発売されるるるぶを買ってラスベガスに行こう!ってなわけだ。

・海外旅行入門にラスベガス
ラスベガスには12/8〜12/15と行ったのだが、
平日でしかも年末年始前であまり一般日本人が休みを取りにくく、
あまり海外旅行なぞに行かない時期のはずではあるが、
結構多くの日本人旅行客を見掛けた。

行きの飛行機の様子を見る限りでは、結構「はじめての海外旅行」者が多いんじゃないかと思わしき感じがした。
ひっきりなしに飛行機内で自分たちの写真を撮る若い女性グループ。
(しかも驚くべきことに、行きはともかくとしても、疲れているはずの帰りにも、そのようなグループがいたこと)

今年のメキシコ行きと同じ、大韓航空だったので、
機内食は「ビーフorフィッシュ」ではなく「ビビンバorフィッシュ」なんだけど、
多分そんな奇想天外な選択肢を予想していなかったのか、旅行に不慣れなのか、
海外旅行マニュアル本を読みながら「ビーフ!ビーフ!」と力説していた男性。

「ビビンバかフィッシュか」と聞いているのに「ビーフ」と言われて困った韓国人スチュワーデスが、
「パードン?」と聞き返すと、彼は英語では通じないかと思ったのか、
「ニク!ニク!」を繰り返していたが、さわにスチュワーデスは困ってしまい、
「ニーク?ニーク?・・・ミートゥー?me,too!」と都合よく解釈し、
つまり隣りに座っていたビビンバと注文した私に続いて「me,too!(私もビビンバを欲しい)」と理解したようだった。

その後に座っていたやはり女の子グループは、朝食の機内食で、
「フルーツorオムレツ?」という質問に、
思わず大声で「えっ、どちらか選ぶんですか!」とキレていた。
確かに「そばかうどん」「パンかごはん」「天丼かカツ丼」のような日本人のバランス感覚にはない、
「フルーツかオムレツか」に戸惑うのはわかるが、
何も青筋たててスチュワーデスに「選ぶんですか!」と怒らなくてもいいのに・・・。

緊張しているのか酔ったのか、10時間のフライトで1度も席を立たず、
トイレにもいかなかった僕の列の窓側に座っている女の子とか・・・。

まあまあそんな風に、きっとはじめての海外旅行なのだろうなと、
なんとも微笑ましいというか痛ましい光景で僕を楽しませてくれたわけだが、
まあ考えてみれば、ラスベガスというところは海外旅行初体験にはふさわしい場所かもしれない。

1.治安がよい
ラスベガスは町というよりディズニーランドの園内と思ってもよい。
だから治安もよく、初心者には旅行しやすい場所なのではないか。
といっても普通に置き引きとかスリとかには気をつけなくてはならないし、
人通りの少ない狭くて暗い道(まああまりないが)を一人で歩くなんていうのは論外だが。

2.英語圏である
そんなの当たり前だと思うかもしれないが、英語の通じる海外のありがたさは、
英語が全く通じない国に行くと、ものすごくありがたく感じる。
中国しかり、メキシコしかり、ウズベキスタンしかり・・・。
ホテルもウォーターもワンツースリーもバスも通じないとなると、これはえらいことである。
だから別にとりたてて英語なんかしゃべれなくっても、義務教育卒業した人間なら、
英語圏での「旅行」は何ら問題ない。

3.遠出の移動手段を使わなくてよい
長距離バスや鉄道といったものを必要とするところになると、
気遣いも増えまた乗り方等面倒なこともあるが(まあそんなに面倒とは思わないが)、
ラスベガスは基本的に歩けるし、使うとしても料金一律のバスだけで、
ほとんど乗客は旅行客だし、長い時間乗ることもないので、旅行しやすい。

4.コンビニ・ファーストフード・コーヒーチェーン店がある
何か水ひとつ買うにも地元の商店となると気が引けてしまったりすることもあるだろうが、
ここには24時間コンビニショップがあるし、(もちろんセブンイレブンやampmなどもある)
マクドナルドやスターバックスといった日本人に馴染み深い店があるので、 何をするのもしやすい。

5.日本語を話せるスタッフがそこそこいる
大ホテルに1人ぐらいは日本人もしくは日本語をかなりしゃべれる人がいるので、
日本人でおどおどしてるとまず助けてくれるから安心だ。

6.動物がいない
たとえばインドに行ったりなんかすると通り道を牛がふさいでいたりして、
言葉の通じない動物と格闘するのは結構大変なことである。
猿・象・蚊・犬・ラクダ・・・といった動物との摩擦なしに旅行できる都市なので、 安心して旅行ができる。

そんなわけでラスベガスには海外旅行初心者にふさわしい条件が整っている。
しかもこれが最大の理由かもしれないが、
遺跡とか大自然とかではなく人工物だから、気軽に誰もが楽しみやすい場所だということだ。
かつ、カップルで来てもグループで来ても家族で来ても、
若い学生が来ても年寄りが来ても、基本的に万人受けしやすいので、
海外旅行初心者に最適な旅行場所なのかもしれない。

ということで、まだ海外に1度も行った事のない人は、
ラスベガスなんてわりにいいかもしれない。
東京ディズニーランドなんだけど、スタッフがみんなアメリカ人みたいな場所と思ってもらえればいいから。

ま、そんなステップは踏まずとも、いきなりインドに行ってもよし、
いきなりアフリカに行ってもよし、それは好き好き。
ただラスベガスに行っただけで海外旅行に満足して欲しくないなと思う。
それをきっかけにどんどんいろんなところに旅行に行って欲しいよな。
きっと何らかの発見なりなんなりがあると思うから。

・カジノ必勝法?!
ラスベガスのカジノというとなんかすごそうだが、
もちろん規模・数・配当などはすごいが、まあいってみれば、
パチンコのスロットコーナーとかゲーセンのメダルコーナーの大きいのというイメージでよい。
しかもいわゆるヨーロッパ系の貴族の遊びとしてのカジノみたいに、
えらぶってそれこそネクタイしなきゃならんとかジャケットはおらなあかんとか、
そういった堅苦しさはないから、日本のゲーセン感覚で気軽に入れる。

ラスベガスのカジノコーナーを見てゲーセンのメダルコーナーを思い出した時、
僕はふと「ひょっとして・・・」とある行動に出た。
すると思った通り・・・むふふふ。。。
そうゲーセンのメダルコーナーと同じで、誰かが忘れていったコインが、
スロットマシーンに結構残っているのだ。

取材の合間の待ち時間10分ほどで、25セントコインを5枚ほど発見した。
結構マシンの受け皿にコイン忘れが残っているのである。
大学生の頃、よくゲーセンのメダルコーナーで「1銭も使わず楽しむ!」とか称して、
メダル残りを探しては拾って、それを競馬ゲームに賭けて、
その勝った配当でしばらく遊ぶなんてことをよくやっていたが、
これと同じことが本場カジノのラスベガスでも通用するのだ!

この拾った25セントで100万ドルとか当たったらどうしよう・・・なんて考えていたが、
残念ながら杞憂に終わったようだ。
まあ仕事で来ていたので本格的にコイン探しをやらなかったが、 結構拾い集めるとなかなかの額になる。
ぜひあまり金を賭けたくない方、裏技カジノ法としてトライしてみてはいかがだろうか。

ただカジノには警備員みたいなのがうろうろしているから、見つからないように。
それからコインの色と受け皿の色が共にシルバーで、かつカジノは薄暗いから、
発見するのはかなり高度な目配りが必要になる。
長いこと立ち止まるとあやしまれるから、さっと通ってぱっと目配せし、
「こりゃありそうだ」と思ったら、何気なくその台に座ってやるふりしながらコインをゲットする。
これはかなりな高テクニックですよ。

なになにせこいって?!
ギャンブルにせこいもくそもない。ようはいかにリスクを少なくしリターンを高めるか、
その点においてこの「コイン拾い大作戦」はなかなか有効な方法ですよ。

ただ残念なことに、主に落ちているのは25セント(約31円)か5セント(約6円)という、
非常に低額なコインばかりだということ。
1ドルはほとんど紙幣になってしまうから、1度に1ドル拾うことは残念ながらないのが現状だ。
ただし、スロットマシーンは1回5セントからできるから、25セント拾えば、5回分ただで楽しめるので、
まあかなりお得っちゃあお得ではあるのだが・・・。

ほんとラスベガスのスロットマシーンは蟻地獄のように、
1度やりだすとひっこみがつかなくなりどんどんやってしまう魔力がある。
たとえば5ドルつっこんで出なかったとする。
ってことはもう5ドルつっこめばそろそろ出るんじゃないかみたいな誘惑を醸し出す。
しかも「負けで終われるか」みたいな意地みたいなものが出てくると、
「とりあえずもう5ドルやるか」なんていってると、ほんと瞬く間に金が吸い込まれていく。

またさらにいけないのは適度に当たる事。
適度に少額は当たるから、もしやこのまま続けていれば?みたいな印象を抱かせるのだ。
まあそんなわけではまる人ははまるから、財布にはやる金額しか持っていかずにのぞむのがよろし。
足りなかったらコイン拾いに徹する・・・これが一番だな。

ただカジノはのっけから勝てる気がしない。
スロットマシーンは宝くじみたいなものだし、
ポーカー・ブラックジャック・ルーレットなどのテーブルゲームは、
当たった時の配当が当たる確率に見合っていない(そりゃ当たり前なのだが)ので、
やりつづければ負ける仕組みになっている。

一番いいのは花札があるといいんだけどなあ。
昔、中学生の頃、ほんとはちゅうぼうじゃやっちゃいけないんだけど、
友達に誘われゲーセンのメダルコーナーに通ったことがあった。
別にカジノと違っていくら当たっても金に代えられるわけじゃないからばっからしいなと思いながら、
友達とのつきあいで、長く遊べる花札をやっていたんだけど、花札やる限り負ける気がしない。

もちろんカードが悪い時も多いが、花札というのは悪いなりに、
ゲームの途上でプレイヤーに考える余地があり、かつ順当な出し方さえしていけば、
まずコンピュータごときに負けるわけがないわけで、
僕は1度大勝してしまって、メダル300枚ぐらい当たったのが2度ぐらいあって、
1度には使いきれないからゲーセンに預けておくことができるんだけど、
結局使いきらずに終わってしまったなあ。

だってそんだけメダルがあるとメダル1枚のありがたみもないし、
むちゃくちゃな枚数かけてそれこそ競馬ゲームで総流しみないなことしても、
いつまでたってもなくならないんだな。
しかもそういうメダルに余裕にある時に賭け方は、別に当たらなくてもいいやなんて思ってるから、
マーフィーの法則(もう死語か?)じゃないけど、それでも結構当たっちゃうんだよな。

そんなわけで、ラスベガスカジノ君、ポーカーなんてせこいゲームじゃなく、花札を導入しなさい。
そしたら私、24時間でもやり続けますから。
対人で花札ゲームすると相手の行動が予測しづらいから勝つのは難しいけど、
マシン相手じゃまずやり続けていれば負けないんだな。

花札カジノで大金つかむ・・・
ま、そんなことより、サラ金書いて印税生活の方が手っ取りはやそうだな。

・ルーレットカジノ
僕のカジノ初体験はなんとネパールであった。
ネパールなんかにカジノがあるなんてすごく意外だったが、
どうも金持ちインド人がネパール旅行に来た際の娯楽施設としての用途であるらしい。

「カジノは飲み放題食べ放題らしい」と聞いて、
約2ヶ月近く日本を離れて旅していた僕は、節約になるかもしれんとカジノに行ったのがきっかけだった。
ネパールでは実質カジノをやらなくても、無料で飲み放題食べ放題だったのだが、
残念ながら本場ラスベガスではそうはいかない。
まあ食い物はそもそもなくって、飲み物はカジノやっていれば「無料」でくれるはずなのだが、
アメリカ習慣で「チップ」を渡さなくてはならない。
最低でも1ドルとすると飲み物1杯ただというより125円払ってる計算になるので、お得感はない。

ネパールでカジノをした時にはまったのがルーレットだった。
というのも他のゲームと違って、赤か黒かに賭ければ当たる確率が1/2とでかいからだった。
ルーレットは0から36の37個あるんだけど、奇数が黒、偶数が赤、そして0も赤だったので、
これなら赤が出る確率が19/37と1/2以上になるのでこれはいいことを発見したと思ったのだが、
そんなうまい話はなく、0が出ると赤でも黒でもないということで胴元の総取りになってしまうのだった。

そりゃひでえなと思って、ネパールでのルーレットカジノをやめたわけだが、
ラスベガスのルーレットはもっとひどい。
0と00の2つがあるのだ。つまり数字は、00、0〜36の38通り。
にもかかわらず、配当は0〜36の37通りしかないものと同じだというからこんなバカらしいものに賭ける気はしないと、
僕はネパールでのルーレットの興奮を本場ラスベガスで取り返す!なんて期待していたものの、
00があることでまったくカジノに手を出してはいなかった。

ところが、である。カジノによっては「シングルゼロ」方式、
つまり0と00があるいかさまルーレットではなく、0が一つしかないルーレットを発見したのだ。
これならやってもいいなと思い、シングルゼロの台を選んで賭けようとした。
テーブルには最低賭け金は1ドルからと書かれていた。
僕はディーラーに10ドル差し出し10枚のコインに変えてもらうと、
毎回1枚づつ「0」に賭け続けようとコインを賭けた時のことだった。

「これじゃだめだよ」
「はあ?」
「5ドル最低でも賭けなくてはならない」とディーラーはいうのだ。
そんなアホな、最低賭け金は1ドルって書いてあるじゃないか。

しかしディーラーいわく「1つの数字に最低賭けられるのが1ドルであって、
1回のルーレットに賭ける金額の最低は5ドルと決められている」というのだ。
そんな・・・
せっかくシングルゼロ台発見したのだから、1ドルづつゼロに賭けつづけて大金狙おうとした計画がパーではないか。
1ドルだけでよかったら10回楽しめたのに、最低5ドルじゃ2回で終わっちゃうじゃないか・・・

でも決まりだから仕方がない。
そんなわけでせっかくシングルゼロルーレットを発見したにもかかわらず、
落ち着いて賭けを楽しむこともできず、
10ドルで2回しかゲームができず、あっという間に金を吸い取られてしまったのだ。

なんだこれじゃあなあ。
本場ラスベガスよりネパールカジノの方が食べ放題飲み放題だし、
1回の賭け金が少ないからいいんじゃない!なんて思ってみたりもした。

・「アメリカ」人
今まで約20カ国あまり旅してきたが、実はアメリカに1週間近くいたというのははじめての経験だった。
今年のメキシコ行き時に、今回ラスベガスに行くまったく同じ、大韓航空に乗ってロス経由だったが、
そこでは1泊しただけだった。 つまり今までアメリカ経験は1日しかなかったわけだ。

ただメキシコ旅行時のアメリカ1日印象と変ってはいない。
「アメリカ」人なんていないこと。
ほんと驚くべきことだが、外見はどうみても東洋系の「アメリカ」人も多いし、
白人黒人、東洋系アラブ系ヨーロッパ系、もうなんでもかんでも「アメリカ」人なのだ。
つまりみんな移民の集まりであってほんとうの土着アメリカ人というのはいない。

ただ彼らに共通していることが1つある。
日本人なんかに比べて、実に顔の表情が豊かなのだ。
別に友達同士でもなんでもないんだけど、
店の店員やらホテルのスタッフやら空港のカウンターの人やら、
「オーバーアクションではないか?」と思えるほど、顔の表情が豊かなのだ。

実はこれ、移民社会というか多民族国家ならではのルールなのかもしれない。
日本人みたいに同一民族国家じゃなくって、お互い何考えてるかわからん、
言ってみれば敵対関係にあるわけです。
そこに何らかのコミュニケートを持とうとした時、
互いにオーバーアクションとも思えるほど、フレンドリーさを先にアピールしないことには、
互いに何者であるかわからないまま終わってしまうという危機感からだともとれる。
つまり彼らのオーバーアクションは「私はあなたの敵ではありませんから攻撃しないでください」という、
ある意味、微笑みの先制攻撃による、相手方の敵対行動の牽制行為なのだ。

だからエレベーターなんかで一緒になると必ずといっていいほど、彼らはにこやかに言葉を交わしてくる。
それは彼らが誰にでも仲良くできるフレンドリーな人種だからということではなく、
移民ばかりでそれこそいつ何が起きるかもわからない緊張関係の中でうまく生きぬくための、
生活の知恵としての行動なのではないか。
それこそ互いに銃を持っている人間関係の中で、互いに撃たれたくないから、
見ず知らずの人でも先に挨拶して「仲間」であることを伝えることが必要なのではないか。
だからこそ表情豊かに、オーバーアクションと思えるほどの表情で挨拶するのだろう。

別にそれが悪いといっているのではなく、日本とは全く違った社会システムであるということを、
理解しなくては、あの不可解な「アメリカ」という「大国」の行動はわからないだろう。
みんな生まれも人種も宗教も価値観も違う人々が集まるからこそ、
強力な政治力を持った指導者(大統領)が必要とされるのだろうし、
またそうだからこそ、日本のように細かなことにとらわれず、アメリカンドリームが可能となるのだろう。

しかし今回の滞在中、僕は「本当のアメリカ人」の存在を気づかされることになる。
グランドキャニオンに行った時のこと、そこには多くの昔から住むインディアンがいるというのだ。
グランドキャニオンのみやげ物屋にはインディアンみやげ物屋があって、
そこで作られた工芸品は「Native Amrerican」と「Not Native Amrerican」の製品に分けられているのだ。

つまりNative Amrerican(本当のアメリカ人)=インディアンであり、
後から流入してきた圧倒的大多数の移民「アメリカ人」はNot Native Amrerican(生まれつきのアメリカ人ではない)のだ。

「インディアン」というキーワードに出会った時、
僕は国際政治および社会システムを理解する上での「アメリカ」という興味以外のものに気づかされたのだ。
ここにもこの土地に根ざして文化を発展させ生活してきた人々っていうのはどういう人たちなのだろうかと。

そういった土着文化・先住民族に興味を持つようになったのは、
そこに行き詰まった今の社会の一つのヒントがあるからだ。
21世紀は明るい未来の世紀ではなく、第3次世界大戦が世界恐慌と同時多発しそうな、
きわめてどうしようもない世紀となろうとしている。
それはこれまでの社会システムでは人間の幸福を実現できない現れなのだ。

そういった矛盾はテロや戦争や核兵器や金儲けでは解決できない。
もう1度、地球(自然)に根ざした動物の一種としての人間として、
生活・社会を根本から考え直さなくてはならない(これがほんとの構造改革だな)。
その時ヒントとなるのが、自然を敬い自然と共に生きてきた土着文化なのだ。

別に原始時代に戻れといっているわけではない。
ただ私たちが経済の発展だの科学技術の発展なので忘れてしまった大事なことを、
それこそインディアンなんかははるかに我々より賢く理解しているのだ。
そういった意味で、アメリカのインディアンの生活文化に触れるということは、
一つの立派な「旅」になるわけだ。

確かに現代アメリカの壮大なる実験国家システムは、ボーダレスの時代の社会モデルとなりうるものではあるが、
やはりそこには思ったほどの期待は多くなく、むしろその中での矛盾があまりに際立ち始めている。
(それはあのくそブッシュの行動を支持する国民の投票でわかる)
イラクを攻撃する可能性が高くなればなるほど、一部の利益集団だけが儲かり、
国民レベルの経済は悪化し、さらにまたテロの標的となる可能性があるという、
百害あって一利ない政策を、目先のムードに流されてしまう国民を生む社会土壌には、
大きなシステム上の欠点があるとしか思えない。
だからこそ僕は「アメリカ」人ではなく、インディアンアメリカンに興味を持ったのだ。

いつか本当のアメリカ人に会う旅をしたいと思って、日本に帰ってきた。

・グランドキャニオンよりラスベガスホテルの方が水が高いという皮肉
ほとんどの人は、グランドキャニオンの景色をテレビや本で見ているかと思う。
あの前人未踏と思われる、自然が作りだした壮大な場所なのだが、
なんとあそこには、ホテルもあれば、レストランもあり、
鉄道駅もあれば、銀行も郵便局もあり、
さらにはスーパーマーケットまである場所なのだ。

峡谷の下にはホテルが1軒しかないものの、
峡谷の上は人が住んでいるし、多少ブッシュが生い茂る砂漠を突っ走れば、
ラスベガスから車で4時間でグランドキャニオンに行ける。
そう考えるとそう辺鄙な場所とも思えなくなる。

グランドキャニオンにホテルがあることが、行ったはじめての驚きだったが、
もっと驚くべきことは、果ての大地の観光地で、あらゆるものの値段が高いかと思っていたが、
実はそうではないということだ。

グランドキャニオン内のスーパーマーケットのミネラルウォーターの値段は、
ラスベガスのカジノホテル内のコンビニショップの約半分の値段!
カジノホテルでは2ドルだが、グランドキャニオンのスーパーでは1ドル弱。
ちなみにラスベガスはフーバーダムのおかげで、
電力・水ともあまりあまっていて他州に売っている場所で、
グランドキャニオンは基本的に水がないため、水道代は1回トイレの水を流しただけでも、
17円はするという場所にもかかわらず、
ラスベガスのホテルでミネラルウォーターを買うより、グランドキャニオンの方が安いというこの皮肉。
無論、ラスベガスでもホテルから出て外にあるコンビニにいけば、
グランドキャニオンよりも安くミネラルウォーターを買える(0.79ドル〜)のだが、
それにしてもグランドキャニオンより水が高いというカジノホテルの横暴さには飽きれたものだ。

無論これはミネラルウォーターだけでなく、ジュースやおかしにも言える。
カジノホテルのコンビニショップは馬鹿高い。
すぐ近くにあるコンビニに行けばだいたい半値で同じ物が買える。
まあこんな風にしてカジノホテルは絶えず儲け主義にはしり、
その儲けたお金で、派手な無料ショーをやったりするわけである。

儲けたい一心と、ホテル内にある便利さはわかるけど、
グランドキャニオンのスーパーより水が高いっていうのはいくらなんでもまずいんじゃないかなー。

・日本のカジノ構想は絶対に失敗する
ラスベガスは、カジノで落とされていく金をうまく使って、
州税を無料にしたり、無料ショーをやったり、ホテル代を安くしたりして大成功を収めていて、
確かに財政難にあえぐ日本の地方自治体にとって「ギャンブル国営化」によるウルトラC的施策が、
魅力的なのはわかるが、いわゆる「カジノ」だけでは、間違いなく失敗する。
ほんと一時的ブームで終わり、それこそ不良債権化している「テーパパーク」の二の舞になりかねない。

というのも、ラスベガスに20日間近く滞在して思ったが、
日本人はほんとカジノをあまりやっていかないというのが理由の一つ。
スロットマシーンをちょぼちょぼやるだけで、
ルーレットやブラックジャックといった金のかかるテーブルゲームにはほとんど手を出さない。
これは単に語学ができないからテーブルゲームをやらないというよりも、
日本人の文化的にルーレットやブラックジャックといったゲームが、
あまり親しまれていない、興味がないといったことに起因している。
これでは日本にカジノを作ったところで失敗するのは目に見えている。

第1このカジノ王国ラスベガスでさえ、カジノだけの収益依存には限界があるのか、
超有名シェフのレストランやら、世界的なショー誘致や、巨大ショッピングモールの売上など、
カジノ以外の部分の魅力の増強で収益をまかなっている。
東京だの静岡だの石川だのがカジノ特区に立候補しているらしいが、
カジノホテルを1つぽつんと建てただけでは到底成功はしえない。

ラスベガスのように奇抜な超巨大ホテルが20も30も集まって、
しかも一度来た人に飽きられないために、未だに新しい巨大ホテルを建設しているように、
いわば自転車操業的に、新しいものを常に作っていかなければ、
一過性のブームですたれてしまうということだ。
カジノで大成功しているラスベガスでさえ、新しいものを作らなければ飽きられてしまうという、 危機感を持っている中で、
日本の一地方都市にちゃっちいカジノを作ったところで、所詮物珍しさに1回来ただけで終わってしまうだろう。
テーマパークと同じ、常にリピータを呼び寄せる魅力がない限り、絶対にカジノ構想はすたれる。

そしてもう一つ、ラスベガスカジノの収益的に大成功を収めている点は、
桁違いのとんでもないハイローラーたちがいるおかげである。
たとえばタイガーウッズがカジノで何億円すったとか、
セリーヌディオンの夫が9億円すったとか、
ラスベガスには金の余った有名人たちが豪遊して金を落としていってくれる。

有名人に限らず、世界各地の金持ちが、特に金持ちチャイニーズが、
カジノ狂で、これまた何億、何千万と桁違いのお金を落としていってくれる。
そういうハイローラーたちの豪遊費があるからこそ成り立っているのであって、
日本にカジノを作ったところでそういうハイローラーたちが果たしているかということも問題である。
庶民がちょぼちょぼすったお金を集めてたんじゃあ、
パチンコとは違ったカジノへの莫大な投資金額と維持費を到底回収することは不可能だ。

だから日本にいわゆる「カジノ」を持ってきてもより不良債権を増すだけの話。
だったら一層のこと、パチンコを国営化してしまった方がまだ現実味のある話。
あとは前にも書いたが、日本人に人気があって、コストがかからず金をぼったくれる宝くじの乱発により、
税収不足を補う方法が現実路線というべきだろう。

そして今回、ラスベガス滞在で日本にも転用して成功する要素があるのはスポーツブックだ。
ラスベガスカジノのほとんどに、スロットマシーンやテーブルゲーム以外に、 スポーツブックがある。
競馬とかあらゆるスポーツに金がかけられるギャンブルだ。

これなら日本も多少の成功を収めることはできるだろう。
にわかブームのサッカーにのサッカーくじを導入したから失敗するんであって、
もとから日本人に人気のある野球や相撲の賭けができるようになれば、絶対に人気が出る。
日本シリーズ何勝何敗でどちらが勝つかとかペナントレースの全順位予想やタイトル争い、
それこそ一試合一試合の勝負の賭けなど、野球が賭けの対象になれば、
これは絶対に日本でも根付くはず。

さらに相撲とかあとは今人気のあるK-1とかに賭けができるような、
スポーツブックカジノができればこれは成功するだろうな。
もともと賭ける賭けないにかかわらず見る人が大勢いるのだから。

視察旅行と称して遊ぶだけの役人たちはもっとラスベガスの現実を直視すべきだ。
日本人が金を使うのはカジノではなく、未だにブランド品のショッピング。
カジノを導入したところで成功するわけがない。
せいぜいやるなら宝くじとスポーツブックの胴元になって儲けた金を、
国民に還元する(年金、医療費、消費税廃止など)。
ラスベガスカジノの特異性を分析すれば、日本にカジノを導入すれば儲かるなんて、
短絡的な考えは、絶対に起きないと思うんだけどなあ。

ちなみに今回、僕は20日間の滞在でカジノに使ったお金はたったの3ドル。
だってゲーム自体に魅力がないんだもん!
それこそメジャーの試合でもあってイチローが一試合何本ヒット打つかとかだったら、
もっと金使って賭けてただろうけどね。
それが日本人的行動ってもんだと思うよ。

・アメリカ人のノリ
<1>
今回、ラスベガスで最も入手困難といわれる、
圧倒的人気を誇るショー「オー」を見に行った。
超レアなチケットというわりに、当日なんなく取れ、
しかも前から4列目という良い席だった。ミスチルのコンサートほどじゃないな。
というか毎晩2回も公演してるんだから、よほどのことがない限り取れるんじゃないかな。
というか事前予約は枚数制限してあって、
当日は空いた席を懸命に売っているのが実情じゃないか?

それはともかくとして、この前もラスベガスでショーを見学し、今回も見たのだが、
すごく気になったのが、日本人とはまったく違う、観客のノリである。
余興的に出てきたピエロのどうしようもないほど、前近代的なボケみたいなものに対して、
アメリカ人は、日本のお笑い番組で収録したようなわざとらしい笑い声をあげて喜ぶのだ。

いやあ、これ、日本でやったらあまりに見えすいていて、
逆にシラケルんじゃないかなと思えるものでも、
いやそんなものに限って、必ずといっていいほど、誰かが大きな笑い声をあげる。
ちょっとこれにはまいってしまう。
なにか、ここで笑ってあげなければ場がしらけてしまうじゃないという、
痛々しいほどの同情的笑いを慣習的にやっているような節がある。
結構、この笑いは日本人からするとひいちゃいますよね。

そして必ずことあるごとに拍手をする。
サーカス芸なんかすごいのはわかるんだけど、
僕なんかどっちかというとそれにじっくり見入っているから、
1つ1つ芸が終わる度に拍手されるのはかえってうざい。
あくまで途中なんだから途中で拍手はせず、
じっくり見入りたいよなという日本人的心境とはまったく違う。

そしてきわめつけはスタンディングオベーション。
たとえば野球なんかでサヨナラホームランを売ったりなんかして、
自然と立ち上がって拍手をしてしまうような、
そういうスタンディングオベーションならいいんだけど、どうも義務的にすぎる。
ショーが終わると、やらねばといったような感じで、前の方からぽつぽつと人が立ち上がり、
前の人が立ち上がると見えなくなるから、みんな仕方がねえなと立ち上がっていく。
なんかそういう義務的礼儀的なものって、
かえってそのショーの品位をおとしめているような感じがしてならない。

<2>
これら3つのことに共通していえること。
それはおもしろかろうがなんだろうがこの場を盛り上げなければならないという強迫観念。
よく大学生の頃、コンパかなにかで、
別にしらけてるわけじゃなく、それぞれが話をしているのに、
それを「盛りあがっていない」「おとなしい」と無理やりに盛り上げなくてはと、
誰もやりたくないのにイッキとかゲームなんかしたりして、
そのおかげで騒がしくなるけど、実はしらけてるみたいな、
そういう「盛り上げなきゃ恐怖感」というのはアメリカから来てるんじゃないかと思える。

これはもしかしたら感情表現を表に出すか出さないかの、
日本とアメリカの違いなのかもしれないけど、
日本というのは表に出さなくても、
出演者が今日の観客が喜んでいるのかどうなのかがわかるわけです。

しかしアメリカっていうのはそうじゃない。
単一民族じゃなく、みんな移民、つまりネイティブ(インディアン)はほとんどいないわけです。
だから日本のような以心伝心はありえない。
だからこそ多少大袈裟でも、その感情を表に出そうと努力する。
これがアメリカなんですね。

ちなみにこのショー「オー」をみて、
すごい芸術性と想像性のある舞台だなと思いつつも、
時折音楽などは、どこかの民族音楽をモチーフにしてるんじゃないかと思った時、
ふと気がつくわけです。

なぜアメリカがエンターテインメント王国なのか。
それは文化がないから。
つまりこの不可思議な踊りであったり舞台であったり音楽であったりって、
普通、歴史の長い国には「祭り」なり「儀礼」なり「伝統」なりとして、
そういうものが残っているわけです。
しかしアメリカにはそれがない。ネイティブがいないから。

でもやっぱり同じ地域に住んでいる人同士を結びつける何か、
共有感を持たせるような何か(たとえば学校でいう校歌や国旗みたいなもの、
下手をすると、戦時の君が代のように、為政者のプロパガンダになりかねない)
が、アメリカにはどうしても必要なんです。
だから彼らは必死にエンターテインメントを作り上げ、
みんなで共有感、共通体験を持てるようなものを作り上げなくてはならないんです。
それがショーであり映画であり音楽なんでしょう。

そういう創造活動の必要性に迫られた環境があるからこそ、
日本や世界各国のアーティストなど創作家がアメリカに移住するわけです。
日本にいたら日本人を結びつける共有文化はすでにできあがっているから、
そこに音楽だの舞台だのなんだのっていう創作活動はあまり必要ない。
しかしアメリカにはそういったものがないと移民の国だからバラバラになっちゃう。
そういう物を作り上げる必要性のある環境だからこそ、創造性のあるものを作りやすいんです。

そう考えると、まったく必要性のないイラク戦争をするというのも、
実はアメリカにとっては共通の敵を作ることによって、
移民でバラバラの国家をまとめあげるのに必要な「祭り」なわけです。
こんな風にして仮想国家アメリカは今必死になってもがいているんですね。

文化がないからエンタテインメントを作り上げる。
アメリカ人の涙ぐましいまでの義務的な「ノリ」に、
アメリカという国家の特異性を感ずる。

・世界に興味はない
アメリカに18年住んでいるという、ヘリツアー会社の日本人といろいろと話す機会があって、
実に興味深い話を聞いた。

話の発端は、9.11テロ以降のアメリカ旅行の日本人客の落ちこみの話から。
今思い返せば不思議なことだが、テロが起きたといって、
米軍基地のある沖縄旅行が大キャンセルになったり、
ハワイ旅行がキャンセルになったりした騒ぎがあったけど、
狂牛病騒ぎで焼肉・牛丼を急に食べなくなったのに、
喉元すぎればなんとかで、今では普通に食っているように、
沖縄もハワイも日本人旅行客は戻りつつある。
しかしアメリカ本土のラスベガスはまだまだといった感があるらしく、
挙句の果てに、イラクを攻撃するなんていっているから、ほとほと困っているらしい。

「でもね、京都議定書の問題(地球環境)にしたって、イラク攻撃だの北朝鮮問題だのって、
はっきりいって圧倒的多数のアメリカ人は興味ないんですよ。
世界に興味がない。
だってはっきりいってアメリカっていうのは田舎もんの国ですから」

それを聞いてなるほどなと思った。
なぜあのくそブッシュに対してアメリカ国民は反論しないのか?
(若干支持率が下がったり、反戦デモがあったりするけど、
全体から見れば極めて小さな動きにしか過ぎない)
ようは興味がない。その一言がすべてを物語っているような気がした。

国際社会でもまれてきたヨーロッパや日本的国際感覚はない。
みんな移民でアメリカという幻想の国に暮らしていて、
一部の大都市をのぞけば、みんな世界とはかけ離れた田舎暮らし。
イラクがどうなろうがアフガンがどうなろうが北朝鮮がどうなろうが、
距離的にいってもかけ離れているし、まったく関係ない。

目先の私利私欲に目をひんむいているブッシュの行動は、
一部の企業および軍事産業が儲かるだけで、
国民には悪影響しかない戦争に対してアメリカ国民がなぜノーといわないか、
不思議でならなかったけど、ちょっとその心情がわかったような気がした。

確かにそうだよな。
アメリカの隣の国で戦争が起きてるんだったら真剣になるけど、そうじゃない。
テロが起きても大都市だけ。
圧倒的多数のアメリカ国民は田舎に住んでいて、まして移民の集まりでしかない人々にとっては、
ブッシュが何しようがどうだっていい、というか世界に興味がないというのは、
非常にわかりやすい説明だなと思った。

その点、日本は肝心なところで鈍感で、どうでもいいところで過剰だよな。
北朝鮮に関しては、拉致問題ではなく核問題に関して過剰になるべきだと思うけど、
ニューヨークでテロが起きたからといって、
ニューヨークやロスの旅行をキャンセルするならともかく、
ハワイや沖縄までキャンセルするとはやはり過剰に過ぎるかもしれない。

今、自分の目の前にある危機がなんなのか?
9.11のテロがあったとはいえ、アメリカが焦土と化したのは、
あのニューヨークのバベルの塔だけでしかない。

ちなみにその跡地に何を作るか2案に絞られたらしいのだが、
その両方とも、前のビルを越える世界一の高層ビルを建設するつもりらしい。
バベルの塔の教訓が何も生かされていない。
所詮この国はお祭り国家でしかないのか?!

・肥満社会アメリカ
「肥満になったのはマクドナルドのせいだ」などという、
日本人的感覚から見れば極めて奇妙な訴えが、裁判で取り上げられるという、
なんでも訴訟アメリカ社会なのだが、
(とりあえずマクドナルド側の勝訴で終わったらしい。
そりゃそうだろう。肥満になったのはマックを食い続けた奴が悪いんだから)
確かにアメリカ社会における「肥満」という問題はかなり深刻らしい。

日本のテレビでやっていたが、
アメリカでは300kg〜500kgにも及ぶ肥満人が多く、
自分では何もできなくなってしまい、
肥満治療施設に預けられて、治療を行っているという驚愕の内容だったのだが、
確かにラスベガスを歩いていても、300kgクラスの巨体をかなり見掛ける。
日本人の流行「ダイエット」などとはわけが違う。
300kg巨体の人たちにこそ「ダイエット」という言葉が意味をなす。

なぜこんなにもアメリカに肥満が多いかというのはさまざまな理由があるのだろうが、
ただ単純に食べ過ぎるということだけではない。
第一に食うものの内容だな。
確かにマックを代表として、ハンバーガー&ポテトっていうのは定番食い物らしく、
(はっきりいってマックのハンバーガーなんかかわいいもの。
レストランで食べるハンバーガーの大きさたるや、マックのハンバーガーの2倍はあるだろう)
そのせいもあるだろうが、とにかく肉料理ばかりというのが一つの理由だろう。

マクドナルドは気の毒にも、肥満の原因にされるは、
日米両方とも格安戦略の失敗で、赤字転落してしまうはで、
かわいそうなマックを擁護するわけではないが、
アメリカにおいて安くて早く食べれるところは、僕の知る限り、マックぐらいしかない。
だからマックを食べ続けてしまうという肥満人の訴えもわからんでもない。
ラスベガス滞在中、とにかく頭を悩ませていたのが食費で、観光都市なのでどこも高い。
安くてかつ時間を待たずに食べれるのはやはりマック頼みなんだな。

それと肥満の原因として大きなことは、完全なる車社会ということ。
みんな車移動なわけですよ。
電車通勤なんかしない。というか電車はない。
歩いて買い物にいったりなんかしない。なんでもかんでも車で移動。
こうなるとまったく運動する機会がなくなってしまうわけです。

日本人はその点、地方は別にして、都市圏に住んでいる限り、
毎日階段を上り下りしたり、乗り換えのために歩いたり、
結構なんだかんだいって普段歩いているから、そこで運動になる。
でもアメリカではまずそういうことはない。
こうなるとますます肥満体へまっしぐらというわけです。

でもほんと皮肉ですよね。
先進国は食い過ぎで肥満になってしまいダイエットすることが至上命題になっているんだけど、
その一方で、毎日毎日食うものに困る貧しい国々もたくさんある。
300kg巨体アメリカ人がばかみたいに食った食べ物を半分でもまわせば、
アメリカは肥満に悩まされず、貧しい国は食うものに困らず、
ちょうどよくなるはずなんだけど、なかなかそううまくはいかないのが現状らしい。

アメリカ肥満社会の300kg巨体群を見るにつけ、
日本人も気をつけなあかんなあと思う。
金満ニッポン、精神的充足の少ない日本人の唯一のストレス発散&楽しみが、
最近、物では満足できなくなったせいか、「食」に傾いているような気がする。
ダイエットとほざきながらうまいもんいっぱいくいたいという、このどうしようもない傲慢さ。
昔の時代の王様かがグルメ狂で、食っては吐き食っては吐きということを繰り返していたというが、
日本の現状は「ダイエット」とほざきつつ、うまいもんは食いたいというわがままさ。

ようはインプットを減らしてアウトプットを増やす。
つまり食べる量を少なく、運動を多くすれば、
健全な肉体っていうのはできるんだけど、
食べる量は増やしたいし、運動をしている時間はないけど、
ダイエットしたいとかばかなこといっているから、
変な薬飲んで死んじまったりするんだよなあ。

健全な肉体にこそ健全な精神が宿る。
逆に言えば、肥満社会のアメリカはいかに精神的に頽廃しているかがわかるような気がする。
なんでもかんでも「アメリカナイズ」されてきてる日本人も、
肥満には気を付けなあかんですよ。
不幸中の幸いで地獄の通勤ラッシュが運動になっているという皮肉をのぞいて。

・ある意味、立派だ!
グランドキャニオンに行った時のこと。
ここももちろん大勢の日本人旅行客が押し寄せるわけだが、
ヒールの高いブーツにミニスカート、ひらひらした長いマフラー姿で来ていた若い女の子を見掛けた。
他の日本人の女の子は、大抵ズボンにヒールの高くない靴で、完全に旅行仕様だったので、
東京で歩く感覚をそのまま持ち込んでいる彼女の姿はひときわ目立っていた。

その姿を見て「バカっだなあ、こいつ」と一瞬思ったけど、すぐに別の思いがよぎった。
いやいやそうじゃない。「こいつは相当すごいやつなんじゃないか」と、僕は逆に感心したのだ。
決して皮肉ではなく。

「グランドキャニオンツアー」なんていったって、峡谷の上のまったいらな大地から、
景色を眺めているだけで、しかもキャニオン滞在時間はわずか2時間足らずしかない。
別に峡谷を下っていくトレッキングツアーなわけではないし、
各ポイントをあちこち見て回るツアーでもない。
いわばなんちゃってツアーなんであって、何も「グランドキャニオン」に行くからといって、
わざわざ格好や靴を変える必要はないとも言えなくはないのだ。

もしかしたら彼女は、そんな骨抜きキャニオンツアーのツアー催行会社をバカにする意味で、
わざとそんな東京スタイルで来た確信犯と捉えることはできないだろうかと思ったら、
こいつはたいしたもんだと思うわけである。

まあ彼女はそこまで考えてはいなかっただろうけど、
どこに行こうが自分のスタイルを変えずに持ち込むってことは、
たとえそれが場にそぐわなくても「バカ」というより「すごいな」と思った。
逆に「グランドキャニオンだから」というだけで、
必要もないのに急に旅行スタイルになってしまう、
盲目的服従スタイルの他の日本人の方がバカなんじゃないかと…。

アメリカ人やヨーロッパ人でラスベガスなんかに遊びに来ている人で、
10度以下の寒い日にもかかわらず、何を考えているのか、
バカンスに来たからという理由なのか、半袖短パン姿で歩く輩がいる。

それはそれでいいのではないか。
自分が良かれと思うスタイルを貫き、それで風邪をひこうが、
ハイヒールのせいで峡谷に落っこちてしまおうがそれはそれでいいんじゃないか。
むしろそんなことは百も承知で敢えて自分のスタイルを崩さず、
それを貫き通している彼女はすごいんじゃないかと。