冬のシルクロード 「冬のシルクロード」の写真のリンク
  
・1999年11月21日・5日目・北京
さすがに長い長い船旅にも飽きてきた。
北京に着いたら、うまくて安い北京ダックを食べにいくぞとそればかり考えている。
船は神戸港を出発してから50時間後、中国・天津港に14時到着。
陸を歩いていてもどこか地面が揺れているような感覚が残っている。

夏の旅はこの天津港に韓国からやってきた。
再びこうして船でこの港にやってくるなどとは考えてもみなかった。
北京行きのバスに乗るが一向に出発しない。
一緒に乗っている日本人は、なぜすぐに出発しないのか不満をもらしていた。
でもこれが中国式。
バスは満杯にならない限り出発しないのだ。

しかしこの港で待っていても、日本から来た乗客はすでに降りているから、他に客を乗せる見込みはないはず。
もしや・・・と思ったらその通りだった。
僕らがバスに乗ってから1時間半後、韓国から来た船が到着した。
その乗客を待っていたのだ。
14時には天津港に着いていたのに、バスが出たのは16時半。
やっと北京に着いたのは19時半。
北京は寒かった。吐く息が白い。気温は2度ぐらい。

こんなに遅くなってしまったので、北京ダックは明日に持ち越し、
ホテルの近くの食堂でホイコ−ロ−を食べた。
油っぽく濃い味付けで、寒い季節に体の暖まる料理だった。
ついに4度目の北京の地に辿り着いた。
ここから再びシルクロードの旅が始まる。

・1999年11月22日・6日目・北京
朝早く起き、ウズベキスタン大使館にビザを取るために行く。
インビテ−ションを持っていくと、無料で30分後ぐらいにはビザが取れた。
こんなにあっさり取れるとは思わなかった。
日本でインビテ−ションを取るのに2週間、15000円かけただけはある。

夏の旅行で余ったトラベラ−ズチェックをドルの現金に替える。
これから行くウズベキやカザフスタンなどはTCが使えない恐れがあり、ドルの現金が一番いいからだ。
日本で米ドルTCからドルの現金にするより、中国で両替した方が手数料が安いのだ。
ほんと、日本の銀行は手数料ばかり高くて使えない。
特に外貨の両替は不便。
アメリカと仲の良いはずの日本の方が手数料が高く、
中国の方が手数料が安く簡単にドルの現金に両替できるというのもおかしな話だ。

昼はマックで食べ、夜は楽しみにしていた北京ダックを食べにいく。
夏に行った店までバスに乗っていって食べた。
たっぷりある北京ダックがなんと22元(約270円)。
冬の旅の出発点に到着を祝い、ビ−ルと北京ダックをむさぼり食う。
期待にたがわず味は最高だった。
この北京ダックさえ食べれればもう言うことはない。
満足してホテルに帰った。

・1999年11月23日・7日目・北京
北京でもう一つやりたいことがあった。
列車で万里の長城に行くことである。
さびれた北京北駅を8時半出発。2時間かけて万里の長城のある駅に到着する。
夏のモンゴル行き列車から見た時と同じように、車窓から壮大な万里の長城が見えた。
列車の中に万里の長城の入場券およびみやげを売りに来ていた。
行く前に万里の長城のみやげを中国人が結構買っているのに驚いた。

昼は牛肉面と包子を食べる。中国の飯は何を食べてもうまい。
4年ぶりに万里の長城を訪れたが、前に行った時にはなかったロ−プウェイが出来ていた。
このあたりの中国の観光熱はすごい。
帰りはバスで帰ったが、前にはなかった高速道路も完成されていた。
まさに建設ラッシュで高度成長の真っ只中にあるのだ。

町の中心のデパ−トで、これからビザ取得のために必要な顔写真を取る。
日本の3分間写真の値段なんかよりはるかに安い。
長旅の秘訣は日本で準備をせず、現地調達するに限る。

夕食はチンジャオロ−スを食べた。
ほんと中国では毎食何を食べようか楽しみで仕方がない。

・1999年11月24日・8日目・北京
北京でやるべきことはした。
ウズベキスタンのビザを取ること。北京ダックを食べること。列車で万里の長城に行くこと。
今日から、シルクロードの旅を進めていく。
まずは西安に行き、それから蘭州・嘉峪関・トルファン・ウルムチと、列車で3500kmの旅をする。

ウルムチでカザフスタンのトランジットビザを取り、
そこからバスでカザフスタンに行き、ウズベキスタンに行き、
トルクメニスタン、イラン、トルコと旅をしていく予定。目標は年内までに到着すること。

4度目にもなる北京の名残を惜しむかのように、再び北京ダックを夕食に食べる。
違う店に入ってみたら、25元(約300円)で、北京ダックと鴨入りスープまでついた。
北京ダックをほおばりながら、これでもう北京に思い残すことはないと、
夜21:40発の夜行列車に乗って、北京から880km離れた西安をめざす。

二等寝台の3段ベットの一番上で寝た。
おしゃべり好きで、荷物をいっぱい抱え込んだ中国人に囲まれながら、
夏の中国シルクロード列車の旅をなぞっていく。

・1999年11月25日・9日目・西安
冬の夜行列車は寒い。
朝、起きると、備え付けのポットの熱湯でインスタントコーヒーをつくり、
列車の旅、朝食用のクッキーをかじる。
中国の列車で良いところは、熱湯が常備されていることだ。
インスタントコーヒーはもちろんカップメンも車内で食えるのだ。

北京を出発して16時間後、14時に西安に到着。
さすがに久しぶりの列車での長旅に疲れた。
3段ベットの最上段は、周囲の中国人の侵入を受けなくて済むが、天井がすぐで圧迫感があるし、
上ったり降りたりするのが大変。
西安に着くと、明日の蘭州までの夜行列車のキップを買い、一番下段にしてもらった。

西安はなぜかやたらケンタッキーが多い。
北京はマックがやたら多いが、西安にはマックは見かけず、ケンタッキーばかりが目立つ。
昼は中華だったので、夕食はケンタッキーにした。セットで16.5元(約210円)と中華料理を食べるより高い。

今日は西安のホテルで1泊し、明日また列車の移動をする。

・1999年11月26日・10日目・西安
ホテル代節約のためと、時間の有効活用のため、移動は夜行列車。
夜の出発まで、西安を観光する。(といっても西安に訪れるのはこれで3度目だが)
今まで西安で観光したことのない、シルクロード起点群像を見にいく。

作り物で歴史あるものではないのだろうが、シルクロードの出発点を記念したものには、
これからシルクロードを旅しようとする者にとってはある種の感慨がある。
昔も今も、ここを起点にしてはるか西方をめざして旅をする人がたえないのだろう。

像はらくだを連れた隊商だった。
今でさえ夜行列車で何時間も乗って大変だというのに、昔はらくだを連れて行ったのだから、
その苦労は大変なものだろうと思った。

午後は大雁塔の近くにある世界最大の絵巻物博物館・玄奘院を訪れる。
三蔵法師・玄奘が西安(長安)を出発し、
シルクロードを旅してインドまで行き、経典を持ちかえる様子が描かれている。
玄奘法師の行った場所が、僕の夏の旅に訪れた場所と重なるのでおもしろかった。

現代の三蔵法師「かさこ」は、一体日本にどんな経典を持ちかえり、どんな「西遊記」を描くのだろうか?
観光が終わると、夜21:40出発までずっとケンタッキーで時間をつぶしていた。
都会の流浪者の居場所としてのファーストフードはありがたい。
夜、680km離れた蘭州に向け、再び夜行列車に乗る。

・1999年11月27日・11日目・蘭州
西安を出発して列車に乗ること、13時間。
中国内陸にどんどん入っていき、蘭州に11時半着。
蘭州名物牛肉面(3元=約40円)を食べるために下車。
駅に到着すると、今日の夜21:33の列車の切符を買う。

牛肉ラ−メンを食べて満足すると、黄河を見にいこうと川の方に向かって歩く。
すると、夏に見た時の川の色と違っている。
夏は水が多いせいか、泥まじりの茶色をしていた黄河が、
冬は清らかな透明な水になっていることにびっくりした。
季節によってこんなにも川の色が変わってしまうなんて。
こうして冬にまた来なければ、黄河の色は泥色だと思い込んでいた。

蘭州にはファ−ストフ−ド店がないし、中国には喫茶店というものがないので、
高級ホテルにあるカフェに入って1杯23元(約300円)もするコ−ヒ−を飲んで時間をつぶす。

そして夜、再び夜行列車に乗り込む。770km離れた嘉峪関に向かって。

・1999年11月28日・12日目・嘉峪関
さすがに2連泊夜行列車では、体が休まらない。
ここまで中国内陸に入ってくると、車窓は一面砂漠乾燥地帯に突入する。
12:30、嘉峪関に到着。

チンジャオロ−ス7元(約100円)の昼食を食べ、ホテルの手続きをした後、
夏に行った、万里の長城の最西端に行く。
夏、そこでポストカ−ドをただでくれたおばさんに会えるかなと思ったが、
冬のため、家には人はいなかった。
冬の旅は出会いが少ない。

町に戻ると、ドラム缶で蒸したやきいも屋がいたので、おいしそうなので買ってみた。
どっさり5本ぐらいのいもが2元(約30円)。
冬に、寒い旅人の心を暖めてくれた。
乾燥した砂漠の大地にある嘉峪関の町は底冷えしていた。

・1999年11月29日・13日目・嘉峪関
今日は12:30の列車で移動する。
それまでチャリンコを借りて、西域の拠城となった嘉峪関を訪れる。

朝9時。寒いなんてもんじゃない。
一面砂漠の乾燥した大地、気温は氷点下5度ぐらい。
そこをわざわざチャリンコに乗って旅する馬鹿者がいる。
夏は車で回ってしまったので、どうしても今度はチャリンコでそこまでの道程を楽しみたかった。
夏に訪れた時には曇っていて見えなかった天山山脈が、見事にチャリンコをこいでいる間、眺められた。

夏、トルファンで40度の灼熱サイクリングをした僕は、冬、嘉峪関で氷点下サイクリングをしている。
ここまでしなければ得られない何かが、きっとあるのだろう。
氷点下の中、寒さに震えながらチャリンコをこいでいる。
しかしどんなに寒くても、旅への情熱がある限り、僕は目的地に向けて旅を続けていく。

12:30、駅に戻り、中国シルクロ−ド、列車の旅、終着点ウルムチに向う。
嘉峪関から約1122kmの長旅。
列車の旅、最後を飾るべく、はじめて列車の食堂に行ってみたが、
噂どおり高くて(21元=約300円)あまりおいしくはなかったが、思い出になった。

・1999年11月30日・14日目・トルファン
朝、7:20、1100km、19時間にも及ぶ列車の旅が終わり、ウイグル自治区の首都ウルムチに到着。
まだ外は暗い。ウルムチに来て一段と寒さが増した。雪が道路にも積もっていた。
この朝早く時間をつぶせるのは高級ホテルのカフェしかない。
ホテルに行き、90元(約1300円)もする朝食バイキングで時間をつぶす。

9:00に次に入国する予定のカザフスタンのビザを取るため、カザフスタン大使館に行く。
順番待ちで氷点下5度、凍りついた外で1時間待たされ、やっとビザ申請できた。
ビザ受け取りは2日後。
ビザ待ちの2日間は、あまり見るべきところのないウルムチで待たず、
ウルムチから160km離れた砂漠オアシスの町、トルファンに行く。

14時過ぎのバスに乗り、トルファン到着17:30。
大都会ウルムチより、砂漠オアシス・トルファンの方が寒くないのはどういうわけだろうか。
この旅で多分一番安いだろう1泊10元(約140円)のホテルに泊まった。

・1999年12月1日・15日目・ウルムチ
翌日、夏、写真を届けた氷屋の子供たちに再び会うために、バザ−ルを探したが店はなかった。
それはそうだ。氷点下にもなる冬に氷屋がやっているはずがない。
夏に氷屋を探していて、知り合った土産屋のおばあちゃんの店に行って写真を届けると、
見知らぬ旅人が、自分の知り合いや自分の姿の写真を持っているのに驚くとともに、大喜びしてくれた。
氷屋の子供たちには結局会えず、午後、バスでウルムチに戻った。

冬は出会いの季節ではないのだろうか。
冬は旅をすべき季節ではないのだろうか。
またいつか夏にトルファンを訪れ、写真を届けようと思った。

・1999年12月2日・16日目・ウルムチ
今日はカザフスタンビザの受け取りの日。
大使館まで、途中までバスで行けたが、雪が道路に凍り付いてしまったために、
町の人々全員が外に出て、道路の氷かきに励んでいて、車が通れない。
仕方がないので、そこから大使館まで歩くことにする。

ホテルのロビ−に書いてあった天気予報によると、
今日のウルムチの最低気温はマイナス10度、最高気温マイナス4度。
そんな中を1時間半歩いていった。寒さで顔が痛い。

寒さの中を歩いた甲斐あってか、大使館でカザフスタンのトランジットビザを取れた。(3日間有効)
この辺の国々のビザはちゃんと取れるかわからないので、無事取れたことにほっとする。
これから先の国は通信事情は悪いことが予想されるので、ここで日本の友達に絵はがきを送っておいた。

夜20:00、ウルムチからカザフスタンの国境に近い町イ−ニンに向け夜行バスに乗る。
いよいよ中国ともお別れだ。
寝台バスで足を伸ばせ、毛布もあるが、鬼のように寒い。

・1999年12月3日・17日目・イーニン
夜中3時、バスが何度目かの休憩に止まった。
僕は眠いし寒いし、動きたくなかったのでバスにいたら、運転手にたたき起こされた。
外に出ろというのである。

何事かと思ったら、この時間にめし休憩。
乗客全員が夜中の3時に、油ぎとぎと濃いめの味付け中華料理を食べていた。
おいおい、頼むから勘弁してくれ。なんでこんな時間に食べなければならないんだ?

朝になると、バスは一面雪山に囲まれた銀世界の平原地帯を走っていた。
すばらしい美しい景色だったが、寒さに震え、風邪をひいてしまったようだ。
12時ぐらいにはイ−ニンに到着すると思ったのに、到着したのは16時。
しかも道端トイレ停車はあったものの、食事休憩が全くない。
なんで夜中の3時に食事休憩を取り、翌日は16時までノンストップなんだ。
ほんと中国のバスは頭悪い。しかしそんな苛立ちも、寒さと空腹で萎えていた。

イ−ニンに到着すると、そこでカザフスタン・アルマティ行きのバスチケットを買う。
アルマティへのバスは週2回しかなく、明日を逃してしまうと、
トランジットビザには日にち指定が入っているので、カザフに入国できなくなってしまう。
1時間待たされて国際バスの切符をやっと手に入れた。
チンジャオロ−スを食べて、すぐ眠りに就いた。